21.文政九年 御触書
文政九年(1826年)九月吉日
○○藩 御目付役より御触書
此度、領内山間部百百村におきて伝わる「夜祭」の儀、かねてより風評にて奇怪の沙汰多く候。その祭礼、もっぱら「神祇へ生身の人を供物と為す」なる風習、村内および近隣村落より届く訴状にて知れるところと相成り候。
件の祭礼、村民たる者は一様に口を閉ざし、何ごとも「古くより伝わる仕来り」と称し、他村人の目には触れざるよう仕向けおり候。されど、昨今に至り、祭礼に際し毎年一名が供えらるるとの証言相次ぎ候。この者らは村内より選び出されるとのこと、さる者らの訴えにより候て、近隣村落の間におきて不安蔓延いたし候。
御目付役の手により調査を試み候ところ、該当する祭礼の由来、ならびに内容について詳細を知る者は皆無にて候。昼夜問わず、人目より隔絶せし境内にて、赤き灯りを掲げ、奇妙なる囃子のもと、何某の踊りありと風聞すれど、いずれも実際の光景を見た者は口を閉ざし、具体を語る者なし。しかれども、過去三十年において三十二名の若き男女が所在不明となりたる事実のみ、村内よりの調査にて確認され候。
これがただの災厄、もしくは移住の果てとする説もあるれど、生存を示す手掛かり皆無にて、いずれも祭礼の犠牲となりたる可能性高しと判断せらるる候。村内より藩に対し具体的事情を報告する者なきこと、返す返すも遺憾に存じ候。
つきましては、かかる不届き且つ非道なる仕来り、いよいよ放置すべからずと相成り候。ここに「祭礼停止並びに供物行為厳禁の御達」を公布するものなり。藩直轄の御役人、数名を該村に派遣し、違反者あらば厳重に処罰することと致し候。
なお、過去より継がれし風習なれば、村民たる者、容易に廃止を受け入れぬ恐れあり。しかれども、藩法は村の掟に優先す。違反の事実判明の折には、一切の容赦なく対応するものなり。
かかる奇習、これ以上の存続を許せば、領内の安寧を損なうこと明白にて、村のみならず他地域の名誉にも傷つき候。この文、村内各所に掲げ、また全村民への伝達を厳命するものなり。
本達により、百百村の祭礼は取り止めと相成り候が、数年後に村人ら数十名が一夜にして失踪する事件起き候。祭礼と失踪の関わりは不明なるも、「供物」を失いたる神祇の怒りを買いたるとの噂、いまだ絶えざる由。かかる次第にて、該村は今なお人を寄せ付けぬ地と化せり。
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―――以下、加藤氏による現代訳。
文政9年(1826年)9月吉日
○○藩 御目付役より通達
このたび、藩内山間部にある百百村に伝わる「夜祭」と呼ばれる行事について、以前から奇怪な噂が絶えないため調査したところ、非常に憂慮すべき事実が判明しました。この祭りでは「神に生身の人間を捧げる」という風習があると訴えがあり、村内および近隣の住民からも多数の告発が寄せられています。
件の祭りについて、村人たちは「古くからのしきたり」として固く口を閉ざし、よそ者の目に触れることを極力避けている様子です。しかし、近年になり「毎年一人が神に供えられる」という証言が相次いでいます。その人物は村内から選ばれると言われており、これが原因で近隣村々の間に不安と混乱が広がっています。
調査の結果、祭りの由来や詳細について知る者はいませんでしたが、夜になると境内で赤い灯りが掲げられ、奇妙な囃子が響き、人々が踊りを披露しているとの風聞があることが確認されました。ところが、その光景を直接見た者は誰も多くを語らず、内容は依然として謎のままです。
それでも、過去30年間にわたり、村内で若い男女32人が行方不明となっている事実が確認されました。これが単なる事故や移住によるものという説もありますが、生存を示す手がかりは一切見つかっていません。このため、祭りの供物として犠牲になった可能性が高いと判断されました。
村人の誰も具体的な事情を報告していないことは、非常に遺憾です。
つきましては、このような不届きで非道な風習をこれ以上放置するわけにはいきません。ここに、「祭礼停止および人身供物の行為を厳禁とする命令」を正式に発令します。藩直轄の役人を村へ派遣し、違反者があれば厳しく処罰します。
なお、このような古くからの風習であるため、村人が容易に従わない恐れがありますが、藩法は村の掟に優先します。違反が明らかになれば、いかなる場合でも一切の容赦をしません。
このような異常な風習が存続すれば、藩内の秩序と安全が損なわれることは明白です。村だけでなく他の地域にまで悪評が広がる恐れもあるため、この命令を村内の各所に掲示し、全村民に徹底して知らせるよう指示します。
追記:
本通達により百百村での祭礼は中止されましたが、数年後に村人数十名が一夜にして失踪する事件が発生しました。祭礼との関連性は不明ですが、村人たちの間では「供物を捧げなかったことで神の怒りを買った」との噂が絶えません。以降、村は人が近づかない場所となり、今もなお恐怖と謎に包まれています。
文政九年(1826年)九月吉日
○○藩 御目付役より御触書
此度、領内山間部百百村におきて伝わる「夜祭」の儀、かねてより風評にて奇怪の沙汰多く候。その祭礼、もっぱら「神祇へ生身の人を供物と為す」なる風習、村内および近隣村落より届く訴状にて知れるところと相成り候。
件の祭礼、村民たる者は一様に口を閉ざし、何ごとも「古くより伝わる仕来り」と称し、他村人の目には触れざるよう仕向けおり候。されど、昨今に至り、祭礼に際し毎年一名が供えらるるとの証言相次ぎ候。この者らは村内より選び出されるとのこと、さる者らの訴えにより候て、近隣村落の間におきて不安蔓延いたし候。
御目付役の手により調査を試み候ところ、該当する祭礼の由来、ならびに内容について詳細を知る者は皆無にて候。昼夜問わず、人目より隔絶せし境内にて、赤き灯りを掲げ、奇妙なる囃子のもと、何某の踊りありと風聞すれど、いずれも実際の光景を見た者は口を閉ざし、具体を語る者なし。しかれども、過去三十年において三十二名の若き男女が所在不明となりたる事実のみ、村内よりの調査にて確認され候。
これがただの災厄、もしくは移住の果てとする説もあるれど、生存を示す手掛かり皆無にて、いずれも祭礼の犠牲となりたる可能性高しと判断せらるる候。村内より藩に対し具体的事情を報告する者なきこと、返す返すも遺憾に存じ候。
つきましては、かかる不届き且つ非道なる仕来り、いよいよ放置すべからずと相成り候。ここに「祭礼停止並びに供物行為厳禁の御達」を公布するものなり。藩直轄の御役人、数名を該村に派遣し、違反者あらば厳重に処罰することと致し候。
なお、過去より継がれし風習なれば、村民たる者、容易に廃止を受け入れぬ恐れあり。しかれども、藩法は村の掟に優先す。違反の事実判明の折には、一切の容赦なく対応するものなり。
かかる奇習、これ以上の存続を許せば、領内の安寧を損なうこと明白にて、村のみならず他地域の名誉にも傷つき候。この文、村内各所に掲げ、また全村民への伝達を厳命するものなり。
本達により、百百村の祭礼は取り止めと相成り候が、数年後に村人ら数十名が一夜にして失踪する事件起き候。祭礼と失踪の関わりは不明なるも、「供物」を失いたる神祇の怒りを買いたるとの噂、いまだ絶えざる由。かかる次第にて、該村は今なお人を寄せ付けぬ地と化せり。
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―――以下、加藤氏による現代訳。
文政9年(1826年)9月吉日
○○藩 御目付役より通達
このたび、藩内山間部にある百百村に伝わる「夜祭」と呼ばれる行事について、以前から奇怪な噂が絶えないため調査したところ、非常に憂慮すべき事実が判明しました。この祭りでは「神に生身の人間を捧げる」という風習があると訴えがあり、村内および近隣の住民からも多数の告発が寄せられています。
件の祭りについて、村人たちは「古くからのしきたり」として固く口を閉ざし、よそ者の目に触れることを極力避けている様子です。しかし、近年になり「毎年一人が神に供えられる」という証言が相次いでいます。その人物は村内から選ばれると言われており、これが原因で近隣村々の間に不安と混乱が広がっています。
調査の結果、祭りの由来や詳細について知る者はいませんでしたが、夜になると境内で赤い灯りが掲げられ、奇妙な囃子が響き、人々が踊りを披露しているとの風聞があることが確認されました。ところが、その光景を直接見た者は誰も多くを語らず、内容は依然として謎のままです。
それでも、過去30年間にわたり、村内で若い男女32人が行方不明となっている事実が確認されました。これが単なる事故や移住によるものという説もありますが、生存を示す手がかりは一切見つかっていません。このため、祭りの供物として犠牲になった可能性が高いと判断されました。
村人の誰も具体的な事情を報告していないことは、非常に遺憾です。
つきましては、このような不届きで非道な風習をこれ以上放置するわけにはいきません。ここに、「祭礼停止および人身供物の行為を厳禁とする命令」を正式に発令します。藩直轄の役人を村へ派遣し、違反者があれば厳しく処罰します。
なお、このような古くからの風習であるため、村人が容易に従わない恐れがありますが、藩法は村の掟に優先します。違反が明らかになれば、いかなる場合でも一切の容赦をしません。
このような異常な風習が存続すれば、藩内の秩序と安全が損なわれることは明白です。村だけでなく他の地域にまで悪評が広がる恐れもあるため、この命令を村内の各所に掲示し、全村民に徹底して知らせるよう指示します。
追記:
本通達により百百村での祭礼は中止されましたが、数年後に村人数十名が一夜にして失踪する事件が発生しました。祭礼との関連性は不明ですが、村人たちの間では「供物を捧げなかったことで神の怒りを買った」との噂が絶えません。以降、村は人が近づかない場所となり、今もなお恐怖と謎に包まれています。
