15.スクラップブック抜粋

(※加藤さんご提供のスクラップブックより抜粋(2022年3月))

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a.「ガチでヤバい!?徳川埋蔵金の謎に迫る!!」

徳川埋蔵金、それは日本の歴史が生んだ最大のミステリーの一つだ!
幕末の混乱の中、徳川家が莫大な財宝をどこかに隠したと言われるが、その真実は今も闇の中だ。黄金、小判、秘宝の数々――想像するだけでヨダレが止まらない!

この埋蔵金の噂は、江戸時代が終わり明治の新時代が始まるころに始まったらしい。徳川家が幕府崩壊後の万が一に備え、財産を隠したという話だ。しかも、ただの小銭や宝石じゃない。言い伝えでは、金塊でその額なんと数兆円規模!?いや、もしかしたらもっとかもしれない!

その場所はというと、これまた諸説ありすぎて困る。日光東照宮の近くだとか、榛名の山中だとか、駿府城の地下だとか……。おまけに「家康の秘蔵マップがどこかに存在する!」なんて言い出す輩までいる。だが、証拠は一切なし。ただの妄想と笑うなかれ。何十年にもわたり、この財宝を追い求めた人々が後を絶たないのだ。

昭和のバブル期には、埋蔵金ブームが巻き起こり、テレビや雑誌がこぞって特集を組んだ。「ついに発見か!?」と大騒ぎしたものの、結果は空振り。それでも探し続ける人がいるという事実が、どれだけこの話が人を惹きつけるかを物語っている。

しかし…冷静に考えてほしい。もし本当にそんな巨額の財宝が存在するなら、どうしていまだに見つからないのか?
地図も証拠も出てこないまま、ただの都市伝説として語り継がれているだけなのではないか?
いやいや、もしかしたら、本当にあるのかもしれないぞ!ロマンを追い求める心が、財宝探しの醍醐味なのだから。

徳川埋蔵金――それは、夢見る者たちの永遠のテーマ。
あなたも、もし一攫千金を狙いたいなら、シャベル片手に山にでも行ってみるといい。もしかしたら、歴史に名を刻むのはあなたかもしれない!

(「週刊トレジャーハントDX 第67巻 第3号」 株式会社アドベンチャー出版)


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h.「封印された地図が語る 徳川埋蔵金と戦国武将たちの暗号」

歴史の闇に埋もれた財宝の謎。それは単なる徳川幕府の埋蔵金ではなかった——。

富岡製糸場の創建時、明治5年の地下工事で発見された一枚の古地図。その端には「甲斐信玄旧蔵」の印が押され、裏面には判読不能な文字が記されていた。当時の工事責任者は幕末の動乱で行方不明となり、古地図も闇に消えたとされる。

しかし、平成に入って富岡市の古文書から、その地図の写しの一部が発見された。解読を試みた専門家たちは、そこに上杉謙信の家紋を模した暗号と、平将門の乱で失われたとされる「金印」への言及を見出したという。
さらに注目すべきは、その暗号が示す場所が、徳川幕府が財宝を埋めたと伝わる地点と一致することだ。これは単なる偶然なのか。それとも——。
「信玄と謙信は、実は平将門の末裔が隠し伝えた財宝の在り処を争っていた可能性があります」と語るのは、古文書研究家の藤原一嘉氏だ。「徳川家は、その秘密を知り、幕府の財宝と共に隠したのかもしれません」

謎は深まるばかりだ。富岡製糸場の地下には、未だ発見されていない秘密の通路があるという噂も絶えない。日本史上最大の謎は、さらなる謎を胎んでいたのである。

(取材・文:深山知史)


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s.「徳川埋蔵金の新解釈:情報としての埋蔵物」

徳川埋蔵金は、日本史における最大の謎の一つとして長らく語られてきた。従来の研究や伝説では、埋蔵金とは大量の小判や金塊であり、それがどこかに埋められているとされている。しかし、本論文では新たな視点を提示する。この埋蔵金とは、物理的な財宝ではなく、極めて価値の高い"情報"そのものであったという仮説である。そして、この情報は群馬県に伝わる「十六柱信仰」や「ムカデ信仰」と密接に関係しており、さらに明治以降の群馬県の産業振興にも深く関与していることを論じる。

#### 十六柱信仰とムカデ信仰の関連性

群馬県では、古くから「十六柱信仰」と呼ばれる宗教儀式が行われてきた。この信仰は日本神話の神々を祀り、地域社会の繁栄を祈るものだが、その詳細は今なお謎に包まれている。一方、ムカデ信仰は、ムカデが繁栄と防御の象徴とされている。この二つの信仰には、表向きは異なる性質があるものの、共通して地域の守護や繁栄を願う点で重なりが見られる。

埋蔵された"情報"は、これらの信仰に深く根ざしており、その内容は十六柱信仰の儀式体系やムカデ信仰のシンボリズムを用いた地域統治の秘伝であった可能性がある。特に、ムカデが象徴する繁栄は、後述する群馬県の産業振興の鍵となる情報として隠されていたのではないかと考えられる。

#### 明治以降の産業振興との関わり

明治時代に入ると、群馬県は絹産業を中心とした産業革命の一翼を担うようになる。この過程で注目されるのが、伝統的な技術や農業手法に加え、新たな生産方法や市場拡大の戦略が導入された点である。本論文の仮説によれば、これらの発展に寄与した重要な情報が、徳川埋蔵金として秘匿されていた"情報"だった可能性がある。

具体的には、絹産業における革新的な技術や、物流を最適化するための地理情報、さらには国際市場への進出を見据えた外交的知識などがこの"情報"に含まれていたのではないか。この情報が群馬県内で極秘裏に共有され、地域社会の発展を陰で支えていたとするならば、徳川埋蔵金が単なる伝説にとどまらない実在の可能性を持つものとなる。

#### まとめ

本論文では、徳川埋蔵金の新解釈として、物理的な財宝ではなく情報そのものであったという仮説を提起した。この情報が十六柱信仰やムカデ信仰といかに結びつき、さらに群馬県の近代化にどのような影響を与えたかを概略的に論じたに過ぎない。詳細な証拠や実例については、続編となる論文でさらに深く掘り下げる予定である。

(『徳川埋蔵金と群馬の産業革命」上州文化研究会より)


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w.「徳川埋蔵金とUFO目撃事例の時空的相関性に関する考察」

徳川幕府の埋蔵金伝説の地点と、江戸時代から明治初期にかけての「火の玉」「夜光」等の目撃証言との地理的・時間的相関関係について、新たな視点からの分析を試みた。
特に注目すべきは、寛政年間(1789-1801)に富士山麓で記録された「天より降り来たる光の柱」の記録と、同地域における埋蔵金伝承地点の高い一致率である。『甲州道中膝栗毛』等の当時の紀行文にも、この現象への言及が散見される。
さらに、明治初期の浅間山周辺における「夜空の銀の車輪」の目撃証言と、旧幕府関係者の秘密裏の移動記録との時間的重複は、単なる偶然とは考えにくい。
本研究では、以下の作業仮説を提示する:

徳川幕府は何らかの「非地球圏起源の存在」と接触を持っていた可能性がある
いわゆる「埋蔵金」は、実際には技術的遺物の保管場所を示す暗号であった可能性がある
明治維新期の混乱は、この秘密の移送・隠蔽工作の一環であった可能性がある

特に注目すべきは、江戸城天守からの「青い光」目撃証言と、寛永寺での異様な音響現象の記録である。これらは現代のUFO目撃証言に見られる特徴と著しい類似性を示している。
本稿では、古文書に記された目撃証言を現代のUFO研究の観点から再検討し、徳川埋蔵金伝説の新たな解釈の可能性を探る。

(「東アジア未確認飛行物体研究会 会報 第127号」より)