11.
ここまでは、私が選出した資料群を提示させていただきました。
これらの資料は、一見すると関連性の薄いものが混在しているように映るかもしれません。
しかし、私はある特定の意図をもって、数多の資料の中からこれらを選び出しました。その背後にある共通項は、読み進めるうちに次第に浮かび上がってくるかと思います。
たとえば、「あめつちの詞」について言えば、その不可解さを読者の皆様も感じ取られたのではないでしょうか?
最後の文字列の意図や意味が判然としないこと、いろは歌のように現代でも広く親しまれる存在とはならなかったこと、さらには、これに関連すると思われる伝承が各地に散在していることなど、謎は尽きません。
この段階では資料同士の繋がりや、私が意図したところが十分に読み取れないかもしれません。
ですが、それは想定の範囲内でもあり、むしろそれこそが資料編纂の過程として自然な形だと私は考えています。
今後は、より具体的なイメージを結べるような資料を順次提示していきます。
それによって、今回提示した資料群の持つ意味も、より鮮明に浮かび上がってくると思います。
是非、ご期待ください。
最後に、序文と同様、戸黒さんからいただいた手紙を、そのままここに掲載させていただこうと思います。
==== ==== ==== ====
拝啓
「あめつちの詞」について、私見を述べさせていただきたく、筆を執りました。
近頃、この古より伝わる文字の配列について、いくつかの興味深い発見がございました。
「あめ」から始まり「なれゐて」で終わるこの不思議な連なりは、従来、単なる五十音図の源流とされてきました。
しかし、その解釈があまりにも皮相的であることは、明らかではないでしょうか。
つい先日、深夜の書斎で「あめつちの詞」を写し取っておりました時、ある気づきを得ました。「あめ」の字を記した瞬間、部屋の空気が変わったように感じられたのです。
そして「つち」を記せば、どこからともなく風が吹き込み、部屋のカーテンが揺らめきました。もちろん、これは偶然の一致かもしれません。しかし、この感覚は以来、何度も繰り返し起こるのです。
「あめつちの詞」の四十八文字には、目に見えない糸が張り巡らされているかのようです。
「は」と「す」の関係性、「か」と「ゑ」の呼応、そして「ひ」と「ま」の共鳴。これらの配置には、何か深い意図が感じられます。
特に注目すべきは、「ゆ」から「て」にかけての16文字です。この部分を読み上げていると、言葉では言い表せない感覚に包まれるのです。
阿刀様、「あめつちの詞」は本当に単なる文字の羅列なのでしょうか。
私には時として、これが太古の叡智の結晶であるように思えてなりません。伝統的な解釈では説明のつかない規則性が、そこには確かに存在しているのです。夜な夜な書き写しているうちに、新たな発見がございます。例えば、特定の文字の組み合わせを縦に並べると、思いがけない意味が浮かび上がってくるのです。「あ」「い」「つ」「へ」を縦に記せば、まるで古代の呪文のような響きを持ちます。これは偶然とは思えません。
書斎の壁には今、この配列を様々な角度から図示した紙が貼られています。それらを眺めていると、文字たちが新たな意味を帯びて浮かび上がってくるのです。特に月明かりの下では、その様相が一層際立ちます。
どうか、この私の観察を笑い話として聞き流さないでください。「あめつちの詞」には、我々の理解をはるかに超えた何かが秘められているのです。貴女様もこの深遠なる謎に、共に分け入ってはくださいませんか。
末筆ながら、私からの提案がございます。ぜひ、貴女様も「あめつちの詞」を写し取ってはいかがでしょうか。
きっと、新たな発見があるはずです。
敬具
2022年5月4日
戸黒正彰
ここまでは、私が選出した資料群を提示させていただきました。
これらの資料は、一見すると関連性の薄いものが混在しているように映るかもしれません。
しかし、私はある特定の意図をもって、数多の資料の中からこれらを選び出しました。その背後にある共通項は、読み進めるうちに次第に浮かび上がってくるかと思います。
たとえば、「あめつちの詞」について言えば、その不可解さを読者の皆様も感じ取られたのではないでしょうか?
最後の文字列の意図や意味が判然としないこと、いろは歌のように現代でも広く親しまれる存在とはならなかったこと、さらには、これに関連すると思われる伝承が各地に散在していることなど、謎は尽きません。
この段階では資料同士の繋がりや、私が意図したところが十分に読み取れないかもしれません。
ですが、それは想定の範囲内でもあり、むしろそれこそが資料編纂の過程として自然な形だと私は考えています。
今後は、より具体的なイメージを結べるような資料を順次提示していきます。
それによって、今回提示した資料群の持つ意味も、より鮮明に浮かび上がってくると思います。
是非、ご期待ください。
最後に、序文と同様、戸黒さんからいただいた手紙を、そのままここに掲載させていただこうと思います。
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拝啓
「あめつちの詞」について、私見を述べさせていただきたく、筆を執りました。
近頃、この古より伝わる文字の配列について、いくつかの興味深い発見がございました。
「あめ」から始まり「なれゐて」で終わるこの不思議な連なりは、従来、単なる五十音図の源流とされてきました。
しかし、その解釈があまりにも皮相的であることは、明らかではないでしょうか。
つい先日、深夜の書斎で「あめつちの詞」を写し取っておりました時、ある気づきを得ました。「あめ」の字を記した瞬間、部屋の空気が変わったように感じられたのです。
そして「つち」を記せば、どこからともなく風が吹き込み、部屋のカーテンが揺らめきました。もちろん、これは偶然の一致かもしれません。しかし、この感覚は以来、何度も繰り返し起こるのです。
「あめつちの詞」の四十八文字には、目に見えない糸が張り巡らされているかのようです。
「は」と「す」の関係性、「か」と「ゑ」の呼応、そして「ひ」と「ま」の共鳴。これらの配置には、何か深い意図が感じられます。
特に注目すべきは、「ゆ」から「て」にかけての16文字です。この部分を読み上げていると、言葉では言い表せない感覚に包まれるのです。
阿刀様、「あめつちの詞」は本当に単なる文字の羅列なのでしょうか。
私には時として、これが太古の叡智の結晶であるように思えてなりません。伝統的な解釈では説明のつかない規則性が、そこには確かに存在しているのです。夜な夜な書き写しているうちに、新たな発見がございます。例えば、特定の文字の組み合わせを縦に並べると、思いがけない意味が浮かび上がってくるのです。「あ」「い」「つ」「へ」を縦に記せば、まるで古代の呪文のような響きを持ちます。これは偶然とは思えません。
書斎の壁には今、この配列を様々な角度から図示した紙が貼られています。それらを眺めていると、文字たちが新たな意味を帯びて浮かび上がってくるのです。特に月明かりの下では、その様相が一層際立ちます。
どうか、この私の観察を笑い話として聞き流さないでください。「あめつちの詞」には、我々の理解をはるかに超えた何かが秘められているのです。貴女様もこの深遠なる謎に、共に分け入ってはくださいませんか。
末筆ながら、私からの提案がございます。ぜひ、貴女様も「あめつちの詞」を写し取ってはいかがでしょうか。
きっと、新たな発見があるはずです。
敬具
2022年5月4日
戸黒正彰
