2024年5月29日 午前3時15分


阿久津は冷たいコンクリートの地面に横たわっていた。

目を開けると、頭上にあるのは見覚えのある街灯の明かりだった。

どうやら自分は再びマンションの駐車場に戻ってきたらしい。


「……戻ってこれたのか?」


彼は重い体を起こし、周囲を確認した。

風が木々を揺らし、虫の鳴き声が響いている。

まるで今までの出来事が夢だったかのように、現実味のある景色が広がっていた。

しかし、ふと気づく。自分の手のひらには黒い印のようなものが残されていた。


「これ……」


手のひらに刻まれたその模様は、不規則な形をしており、見るだけで不安を掻き立てられるものだった。

触れると何も感じないが、焼き付けられているかのようにそこに存在している。


「代償を支払わなければならない……って、あれはどういう意味だったんだ?」


阿久津の脳裏に、扉の瞳が発した冷酷な声が蘇る。


その時、背後から声がした。


「無事戻れたようだな。」


阿久津が振り返ると、そこには暗闇の中から浮かび上がるように、あの「影」が立っていた。


「お前は……誰だ?」


影は阿久津の質問に答えることなく、静かに彼を見つめていた。


「私はただの観察者だ。この状況をあるべき形に保つために存在している。」

「観察者……? なら、さっき助けてくれたのもお前か?」


影は首を傾げたが、答える代わりにこう言った。


「助けたと言えるかどうかは分からない。お前は均衡を崩す者だ。その代償を支払うのは避けられない。」

「代償ってなんなんだよ! 俺はただ、河原田を助けたくて……!」


阿久津の叫びに対し、影は一瞬の沈黙を挟んだ後、低い声で答えた。


「助けたいという思いが、正しい選択をもたらすとは限らない。お前の行動が、さらなる混乱を呼ぶこともある。」


阿久津はその言葉を受け入れることができなかった。


「ふざけるな……だったら俺は、どうすれば良かったんだ? 何もしないで河原田を見捨てろって言うのか?」


影は微かに笑ったように見えた。


「その答えを見つけるのは、お前自身だ。」


そう言い残すと、影はふっと消え去った。

再び静寂が訪れる。しかし、阿久津は立ち止まることができなかった。


「影の正体……そして、この印……何か分かるかもしれない。」


阿久津は意を決し、これまでの出来事を全て整理し直すために、再び自宅に向かった。


翌日、阿久津は手元に残っていた河原田の日記や、廃マンションの情報を改めて見直していた。

ページをめくる中で、ある奇妙な記述に気づいた。


『儀式の鍵は印を持つ者が持ち帰る。それは均衡を崩す力となるが、同時に全てを正す鍵でもある。』


「印……やっぱりこのことか?」


手のひらに刻まれた模様が、脈動するかのように熱を帯びたように感じられた。

さらに調べると、河原田の記録の中には「影」の存在についても触れられていた。


『影は観察者であり、干渉者。彼らの目的は人間の理解を超えたところにある。だが、一つだけ確かなことがある――彼らの介入は、必ず代償を伴う。』


阿久津はこの言葉に戦慄した。

影の言葉が現実となる予感が胸を締め付けた。


その日の夜、阿久津は家の中で異変を感じた。

物音がしないはずの部屋で、かすかな足音のような音が響いたのだ。


「誰だ……?」


振り向いた先には誰もいない。

しかし、再び目を戻すと、窓ガラスに薄く人影が映っているのを見つけた。

それは、見覚えのある輪郭――河原田のように見えた。


「河原田!? お前なのか?」


しかし、その人影は何も言わず、ただ阿久津をじっと見つめていた。

そして次の瞬間、その影は窓の外に消えた。

阿久津は恐怖と混乱の中で呟いた。


「まだ終わっていない……これは、ただの始まりなのかもしれない。」