2024年5月29日 午前1時40分


阿久津が目を覚ましたとき、周囲には静寂が広がっていた。

かつて儀式の場だった地下室は跡形もなく消え、代わりに自分が草原の中に立っていることに気づいた。空は鈍色に曇り、重々しい空気が漂っている。


「……ここはどこだ?」


彼は手を伸ばして顔を触ると、そこには冷たい汗がべっとりとついていた。

先ほど石を壊した瞬間、周囲が真っ白に光り、すべてが砕け散るような音を聞いたことだけが記憶に残っている。

周囲を見回していると、遠くから誰かがこちらに近づいてくるのが見えた。


「……河原田?」


彼はその人物に声をかけた。

歩いてくる男の姿は確かに河原田のようだった。

しかし、顔をよく見ると何かが違う。

目の奥が深い闇に沈んでおり、その表情には生気がない。


「阿久津……」


河原田は低く掠れた声で阿久津の名前を呼んだ。

その声に、阿久津は背筋が凍るような不快感を覚えた。


「お前……本当に河原田なのか?」


河原田は何も答えず、ただじっと阿久津を見つめていた。

その目は、まるで何かを訴えるようでもあり、完全に空虚なようでもあった。


突然、河原田の口がゆっくりと動いた。


「……どうして、壊した?」

「え?」


阿久津が返事をする間もなく、河原田の体が崩れ始めた。

黒い煙のようなものが彼の体から漏れ出し、それが周囲の空間を侵食していく。


「待ってくれ! 俺は……お前を助けようとしただけなんだ!」


阿久津の叫びは、黒い煙にかき消された。


黒い煙が広がる中、阿久津は突然、強烈な引力を感じた。

足元が崩れるような感覚がし、気づけば別の空間へと引きずり込まれていた。

そこは、果てしなく広がる荒れ果てた大地だった。

空は赤黒く染まり、遠くで何かが燃えている音が聞こえる。


「ここは……?」


彼の目の前には、今度は巨大な扉が現れた。

その扉には無数の古代文字が刻まれており、その表面を黒い炎が覆っている。

扉の中央には、大きな瞳が描かれており、それがまるで生きているかのように動いていた。


突然、扉の瞳が阿久津を見据えた。


「お前は代償を支払わなければならない。」

「代償……?」


扉の瞳はゆっくりとまばたきしながら言葉を続けた。


「お前が壊した石は、この世界の均衡を崩した。その代償として、お前自身の存在をここに捧げるのだ。」

「そんなこと、聞いてない……!」


阿久津は必死に抗議したが、扉の瞳は冷酷に言葉を返した。


「選択の結果だ。すべては、お前自身が招いたものだ。」


突然、空間全体が揺れた。先ほど消えたはずの黒い影が再び現れ、扉の瞳と対峙するように浮かび上がった。


「貴様の役目は終わりだ。これ以上、この者を追い詰めることは許さん。」


影の声は低く響き、周囲の空気を震わせた。

扉の瞳は一瞬動きを止めたが、すぐに不気味な笑い声を上げた。


「貴様が現れるとはな……だが、何も変わらない。均衡は崩れ、全てが終わる。」


影は無言で手を伸ばし、扉に触れた。その瞬間、空間全体が光に包まれた。

光が収まると、阿久津はまた元の場所に立っていた。

そこは見慣れた街並みだったが、何かが決定的に変わっている気がした。

しかし、阿久津はそれ以上考える余裕もなく、その場に崩れ落ちた。