2024年5月29日 午前0時00分


阿久津が目を覚ましたのは、異様に静かな空間だった。

目の前には暗闇が広がり、空気は湿って冷たい。

彼は立ち上がり、周囲を見渡したが、そこにあったのは見覚えのない廊下だった。


「……ここは……?」


どこからか水滴の音が響く。

その音がやけに大きく感じられ、胸がざわついた。

廊下の奥には薄い霧が漂い、何かが動いているようにも見えた。

阿久津は恐怖を押し殺しながら、足を進めた。

廊下の壁には何か文字のようなものが刻まれていたが、それは崩れていて判読不能だった。

ただ、一部の箇所だけが辛うじて読めた。


「ここは出口ではない」


廊下を進むと、やがて古びた部屋に辿り着いた。

その部屋の中央には、錆びた鉄製のテーブルと椅子が置かれていた。

椅子の上には、血の染みがついたメモが置かれていた。

阿久津は躊躇しながらもメモを手に取る。

メモには、かすれた文字でこう書かれていた。


「この場所を離れるには、門を閉じなければならない。だが、その代償は重い」


メモを読んだ瞬間、どこからかかすれた声が聞こえた。


「……お前は……その資格があるのか……」


阿久津は驚いて周囲を見渡したが、声の主はどこにもいなかった。

その代わり、先ほどまで何もなかったはずの壁に新たな扉が現れていた。


阿久津が扉を開けると、そこには見慣れた光景が広がっていた。

廃マンションのロビーだった。

しかし、何かが違う。空間全体が歪んで見え、ロビーには無数の影が立ち尽くしていた。

その影たちは、一斉に阿久津の方を向き、低い声で何かを呟いていた。

それは人間の言葉ではなく、異様に響く音だった。

阿久津はその場から逃げ出そうとしたが、足が地面に張り付いたように動かない。

そして、影の中の一つが彼に近づいてきた。

その影は、河原田の顔をしていた。


「……俺を……助けてくれ……」


河原田の声に似たその言葉は、明らかに彼のものではないと直感でわかった。

阿久津は震えながら叫んだ。


「お前は河原田じゃない! 誰なんだ!」


影は一瞬沈黙した後、笑い声を上げて消え去った。

その瞬間、ロビーの空間が大きく歪み、阿久津は再び暗闇に飲み込まれた。



阿久津が目を覚ますと、再び見覚えのない部屋にいた。

その部屋には、古びたテレビが置かれていた。

画面はノイズ混じりで点滅していたが、突然、映像が映し出された。

映像には、阿久津自身がマンション内を彷徨う姿が映っていた。

しかし、その背後には巨大な黒い影がはっきりと映っていた。

それを見た瞬間、阿久津は叫び声を上げた。


「なんだこれは……!」


映像の最後には、阿久津がどこかの扉を開けた瞬間、画面が真っ暗になり、次の文字が浮かび上がった。


「お前の役目はまだ終わっていない」


阿久津は混乱と恐怖で膝をついた。

そのとき、耳元で囁き声が聞こえた。


「扉を閉じるか……それとも……」