まず、二度目のカイヌキの儀式の話をする前に、黒田さんが退職してしまった話をしておきます。

黒田さんは、カイヌキの儀式が終わって一週間後に退職してしまいました。表向きの理由は転職するからとなっていましたが、実際はどうだったのかはわかりません。

ただ、一つ言えるとしたら、黒田さんの退職理由にカイヌキの儀式が関係していたのは間違いありません。なぜなら、前回からわずか半年という短いスパンでやることになったカイヌキの儀式に、黒田さんが志願者として参加していたからです。

黒田さんが志願者として現れたその日、カイヌキの儀式は延期になりました。理由はいくつかあるようでしたが、当然私にはその理由を教えてもらえることはありませんでした(延期すること自体は、雰囲気からして特段珍しいことではなさそうでした)。

そのおかげで、私はこの半年の間モヤモヤとしたまま抱えていた感情に背中を押されながら、カイヌキの儀式について改めて調べてみることにしました。

しかし、当然ながらカイヌキの儀式についてネットで調べてもなにもヒットしません。そもそもカイヌキという呼称が正式なものではない可能性がありますし、あの厳重な情報管理(しばらく私はあきらかに誰かから監視されていました)がなされている以上、ネットやsnsに情報を上げても削除されている可能性があります。そのため、私は無理を承知で中島さんに尋ねることにしました。

その日、中島さんと二人になるタイミングを見計らい、私は恐る恐る中島さんにカイヌキの儀式について尋ねました。中島さんは、一瞬目を細めた後、なぜカイヌキの儀式について知りたいのかと聞き返してきました。

私は、迷ったものの黒田さんが志願者として現れたからと答えました。黒田さんは、あのとき確かに御札を片手で持ったままでした。ということは、私が見た光景と同じものを見ているはずです。そのうえで志願者となったのであれば、そこにはなにか理由があると考えたわけです。

黒田さんは、なぜカイヌキの儀式の志願者になったのか。その理由がどうしても知りたい衝動にかられたと正直に伝えると、中島さんはやれやれといわんばかりに白い頭をかき始めました。

「竹下は、俺が見込んだ通りこの半年間は情報を漏らしていないから特別に教えてやる。だが、俺も全てを知ってるわけではないから期待はするなよ」

そう前置きした中島さんは、カイヌキの儀式について説明してくれました。

まず、カイヌキという呼称については、意外に全国的な通称とのことでした。儀式の正式名称は別にありはするものの、今の時代はカイヌキで統一してあるそうです。

カイヌキの儀式については、その発祥はかなり古いらしく、生贄を神に捧げて厄災を鎮めるという古来の儀式がベースになっているとのことでした。

そうした儀式が長い間繰り返されていくうちに、厄災が起きる原因には悪霊といったこの世のモノではない存在が関係していることがわかり、いつしかカイヌキの儀式は、そうした悪霊を生贄に同化させて生贄の魂ごとあの世に送り出すための儀式に変わっていったそうです。

「昔は生贄といった概念も通用しただろうが、時代と共にそうした概念は許されなくなっていき、いつしか人知れず秘密裏に行う儀式になったってわけだ」

中島さんの説明によると、カイヌキの儀式に参加していた志願者というのが生贄であり、あの日の志願者の中で一人だけ最後に御札を貼られた人が、カイヌキの儀式で選ばれた志願者ということでした。

「選ばれた志願者というのは、どういう意味なんですか?」

「それは、そのまんまの意味だ。カイヌキの儀式では、誰が生贄にふさわしいのかが試される。そして、選ばれた者だけが願いが叶うわけだ」

「願い、ですか?」

「そうだ。志願者たちは、みな共通した願いを持っている。それは、亡くなった者にもう一度会いたいという願いだ」

中島さんの説明に、反射的にチクリと胸の奥に痛みが走りました。あの日参加していた志願者たちは、みな亡くなった人に会いたいという願いを抱いていたようです。とすれば、黒田さんもまた、亡くなった人に会いたくて志願者となったのかもしれません。そうだとしたら、黒田さんが会いたいと願う相手は、やはり亡くなった奥さんということになるでしょう。

しかし、そうなると一つ疑問が生じます。あの時、黒田さんは闇を飲み込むどす黒い霧に包まれた正体不明のなにかを確かに見ていたはずです。そして、その正体不明のなにかが亡くなった奥さんではないことは、黒田さんなら一目でわかったはずです。

にもかかわらず、黒田さんはなぜ志願者になったのでしょうか。その疑問を中島さんにぶつけると、中島さんはしばらく思案した後、ゆっくりと重い口を開きました。

まず、カイヌキの儀式はこの世に厄災をもたらす悪霊を祓う儀式です。その方法は、生贄の魂と同化させて一緒にあの世に送るというものです。

ただ、この方法には一つ問題があったそうです。それは、悪霊との同化を生贄となる人がきちんと受け入れてくれなければ、儀式は失敗に終わるということです。

通常、自ら進んで悪霊を受け入れる人はいません。そこで、その難題を解決するために利用したのが、悪霊が持つ性質だそうです。

その性質というのが、悪霊が人の弱みにつけ込んで体を乗っ取ろうとすることです。そして、時に悪霊は、体を乗っ取る際に人が最も愛する者の姿に化けて近づいてくるというのです。

「ということは、あの時志願者たちには、あの得体の知れないなにかが会いたい人に見えていたということなんですか?」

「まあ、そういうことになるな。ただし、見えていたのはあの中のうちの一人だけだ。残りの二人には、おそらく禍々しい化け物が見えていたはずだ」

中島さんがそう答えた瞬間、あの時の光景が脳裏に蘇ってきました。あの時、確かに一人は最後まで幸せそうな笑みを浮かべていましたが、残りの二人は恐怖で錯乱していました。

「カイヌキの儀式では、必ず志願者が複数人選ばれることになっている。そして、志願者たちには会いたい人に会えるのは、志願者の中から一人だけと伝えてある。そうすることによって、志願者たちの間で願望を競わせ、一番想いが強かった者が選ばれるように仕向けているんだ。そうすれば、悪霊との同化も問題なく行えるからな」

そう語る中島さんの目は、細くなって揺れていました。おそらく、会うことが叶わす錯乱した人たちを案じていたのかもしれません。

「カイヌキの儀式についてはわかりました。ただ、この話、黒田さんは知っているんですか?」

「わからん。警察を辞めて俺のところに来た時には、既にカイヌキのことは知ってはいるようだった。おそらく、警察にいた時に噂かなにかで聞いてはいたんだろう。とはいえ、詳しい内容まではさすがに知らないと思う。黒田から聞かれたこともなければ、俺から話したこともないからな」

「だとしたら、黒田さんはあの得体の知れないなにかが悪霊だと知らない可能性もあるんですよね?」

「それは、俺にもわからん」

「でしたら、教えたほうがよくないですか? もし知らずに参加しているとしたら、黒田さんが選ばれた時、黒田さんは悪霊を奥さんと勘違いしたまま受け入れることになりますよ」

「いや、教えたところで結果はかわらんだろうな」

「どうしてですか?」

「竹下、お前も見たよな? 黒田が御札から片手を離してカイヌキの儀式を見ていたのを。黒田はあの時、自分の目でその存在を確かめたんだ。その時に黒田が見たのが悪霊だったのか、あるいは嫁の一部だったかはわからん。ただ、全てを見た上で志願者になることを決めたのなら、もう周りが説得しても無駄だということだ」

弱く呟いた中島さんの目が、再び細くなりました。黒田さんのことをよく知る中島さんだからこそ、黒田さんの決心が固いことがわかっているのてしょう。

黒田さんがあの時なにを見たのか。確かに、本当の意味では私にもわかりません。あの時、私には霧のようなものの下に歩行する足が見えました。だとすれば、最後まで観察していた黒田さんには、奥さんの一部が見えていたのかもしれません。

もしくは、悪霊はそっちのけで、幸せそうな笑みを浮かべた志願者を観察していただけかもしれません。悪霊が姿を変えているだけとはいえ、会いたい人に会えて歓喜する志願者の表情を見て、黒田さんは奥さんに再会できると勘違いしたのかも知れません。

いずれにせよ、黒田さんはあの光景を見た上で決めたことに間違いはありません。だとすれば、奥さんにもう一度会えると確信している黒田さんを説得することは、中島さんが言うとおり無理なのかもしれません。

「本当に、このままでいいんですか? いえ、それ以上にこんな儀式がそもそもとして本当に許されるんですか?」

「どういう意味だ?」

「だって、カイヌキの儀式は志願者の人に会いたい人に会えると嘘をついて、実際は悪霊と同化させるわけですよね? いくら厄災を祓うためとはいえ、志願者に嘘をついてまで命がけのことをさせることが、本当に許されるんですか?」

カイヌキの儀式の中身を知った今、憤りが止まらなくなった私は、やるせなさを言葉に込めて中島さんにぶつけました。

「その中身がどうであれ、カイヌキは昔から続くこの世に必要な儀式ということにはかわりはない。それこそ、俺達の仕事と似たようなもんだ」

「仕事って、警備の仕事がですか?」

「そうだ。警備の仕事は、当たり前の日常を維持することが全てだろ? なにか問題があれば人知れず表に出る前に解決する。この当たり前に存在する平穏の裏で、その平穏を支える為に働いているんだ。そういう意味では、カイヌキも人の世の平穏を支え続ける為に行われているようなもんだ」

中島さんのさとすような説明に、たかぶった気持ちが少しだけ引いていきました。この世に厄災をもたらす悪霊が存在するなら、それを祓おうとするのは人としておかしくはありません。たとえその方法に問題があったとしても、平穏な日常を維持するためにはある意味必要なことなのかもしれません。

この、当たり前が続く日常の裏で平穏を支えるために昔から行われてきたカイヌキ。

その中身を知った今、私は世の中には表と裏があるということを、本当の意味でつきつけられたような気になっていました。