事態が再び動き出したのは、それから二年が経った頃だった。

 ある朝、起床するとノートパソコンが開きっぱなしの状態で机の上にあった。薄暗い部屋の中で画面が煌々と光っている。
 わたしはぎょっとした。
 昨夜たしかにパソコンを閉じた記憶がある。それにパソコンは操作しないまま一定時間が経過すると自動的にスリープするように設定してある。
 つまりついさっきまで何者かがパソコンに触れていたということになる。
 わたしは恐る恐る部屋の中を確認した。が、狭いワンルームには誰の姿もなかった。玄関ドアには鍵もチェーンもかかっている。誰かが侵入した形跡もない。
 わたしはそこでようやくパソコンの画面に目をやった。
 画面に表示されていたのはWordの文書だった。
 タイトルは『Yアパート 一九七〇年代』。
 二年前にわたしが書いたものだ。しかし開いた覚えはない。
 さらにわたしを困惑させたのは、その文書の一部に変更が加えられていたことだった。

 “「すこしでも向井先輩に気に入られたくて、とにかく必死にアピールしたわ」
 その甲斐あってか、サークルの飲み会の帰り道、向井先輩は「俺の部屋に来ないか」と直美さんを誘ってくれた。“

 “その甲斐あってか、”の“甲斐”の部分に赤い下線が引かれていたのだ。
 もちろんこんなものを引いた覚えもない。
 ほかの文書も見返してみたが下線が引かれていたのは、この言葉だけだった。
 もしもこれが怪異側からのメッセージだとすると、わたしに何を伝えようとしているのだろう。
 わたしは試しにインターネットを開いて、『甲斐』というワードを検索欄に打ち込んでみた。
 検索結果に出てきたのは甲斐という言葉の意味や、甲斐が苗字の有名人、山梨県甲斐市の地図など。もしや甲斐市に何かがあるのかとも思ったが、あまりにもざっくりしすぎているせいで調べようがない。
 何かヒントがあるかもしれないと思って、過去に書いたS施設から始まる怪異の記録を読んでいると、ある文章が目に留まった。
 それはスナックRの亜希子さんから聞いた話を記述した文章の一節だった。

 “そのときはママもほかの子もいなくて、店には彼女一人だった。テーブルの上に椅子をあげてモップ掛けしてたのね。
 あたしなら適当にささっと済ませちゃうんだけど雅ちゃんは真面目だから、こう、腰をかがめて甲斐甲斐しくやってたらしいの。“

 ここにも甲斐と言う文字が入っているのに、下線が引かれていない。
 ひょっとするとYアパートの文書の中に入っている「甲斐」でないといけない理由があるのだろうか。
 そう思ったわたしは検索欄に「〇〇アパート(Yアパートの正式名称) 甲斐」と打ち込んでみた。
 検索結果の一番上にとあるブログの記事が表示された。
 それは甲斐子というハンドルネームの中年の主婦が運営している『甲斐子の徒然日記』というタイトルのブログだった。
 ヒットしたのは二〇一六年の夏に投稿された記事だ。
 記事のタイトルは『心霊アパートの思い出』。

 怪異には二種類ある。
 怪談話としてこの世に残されることを良しとするものと、そうでないものだ。
 わたしはこの記事を見た瞬間、確信した。
 この怪異は前者である。
 わたしが怪異の核心に迫り、怪談として記録することを、怪異側が望んでいる。