地毛とは考えずらい明るい髪、輝くゴールドのアクセサリ―、そして、その中性的な美しい顔に浮かぶ笑顔。奥村(おくむら)空咲(さく)、20代半ば。現代国語の先生で担任。そして我らが美術部の顧問(部活には全然来ない)。
 イケメンで若くて親しみやすい(チャラいとも言う)奥村先生は一部女子の間ではリア恋勢がいるといわれている。
柚月(ゆずき)~!」
 幼馴染の呼ぶ声がした。その声に振り向くと幼馴染である黒沢(くろさわ)星哉(せいや)が言葉を続ける。
「今日の部活、オフになった。一緒に帰ろ!」
「いいよ~」
「ありがと!」
 星哉は笑顔で帰る準備を始める。
 何も考えず、ボーっと奥村先生を見ていたら、いつのまにか帰りのショートホームルームが終わっていたらしい。
 星哉が急いで帰る準備をしているのを見て、焦って準備を始める。
 ロッカーに鞄を取りに行こうと立ち上がると、クラスの女子の視線がこっちに向いているのに気づく。
 嫉妬の目だ。
 星哉は高身長でイケメン。優しくて運動神経も良い完璧王子。そのくせドジで天然。そういう抜けてるところ全てを含めて星哉が愛される所以なのだろう。
 星哉とは家が近くて家族ぐるみの仲。幼稚園、小学校、中学校、高校、全て一緒。腐れ縁というやつだ。
 学校から家までの約30分。星哉と他愛ない話をしながら登下校する時間が一番楽しい。
 星哉の言動に一喜一憂し、ぼんやりした部分を微笑ましく見守る。
 星哉は幼馴染で友達で親友で、そして、片思いの相手。
 いつもは星哉の部活で一緒に帰れないのに、一緒に帰れる日があるだけで幸せ。一緒に居る時間全て「星哉が好きだ~!」って思う。

 今日は土曜日。今日も明日も星哉に会えない。
 両親も仕事で不在、姉も友人と遊びに行っている今日、気分を上げるために新しく買ったワンピースを着て、ネイルをして、可愛い髪型にして、メイクをしてヒールを履く。とびっきりのオシャレをして街に出る。
 電車で高校と反対側に6駅。知り合いがいないであろう遠い場所。
 大型のショッピングモール内にあるアクセサリーショップで新しくシルバーの星形ネックレスを買った。
 アクセサリーショップから出たとき、知り合いに会ってしまった。
「阿部」
「お、奥村先生......」
 こんな可愛い格好、知り合いに見られたくなかった。
「阿部、その格好チョー似合ってるね」
「あ、ありがとうございます」
「一緒にカフェでも行く?」
「え、えっと......」
「あはは、冗談だよ。じゃ、また月曜日ね」
 ひらひら、っと軽く手を振って去っていくチャラい奥村先生。
 最悪だ。今から月曜日が憂鬱でしかない。
 このショッピングモールは知り合いが居る。
 もう会わないためにもさっさと退散しよう。

 ピピピピ、ピピピピ......
 いつも通り、目覚まし時計は6時に決まった機械音を鳴らす。
 月曜日。星哉に会える月曜日。なのに土曜日のことが頭にこびりついて離れない。
 先生はそんな人じゃない、ってわかってるけど、もし言いふらされたら、とか、馬鹿にされたら、とか、そんな事しか考えられない。
 顔を洗って、朝食を済ませて、着替えて身支度をした。
 家を出るのが憂鬱でいつもより5分遅く家を出た。
 それでも電車には余裕で間に合う。
 玄関を開けると、たまたま星哉がいて、
「おはよ」
 と言われた。
 慌てて「おはよう」と返し、星哉の隣まで駆け寄る。
 いつもは駅で会うから、一緒に駅まで行くのは久々。
「今日はいつもより遅いんだね」
「え、あ、うん」
 星哉がちょっとしたことに気づいてくれる。いつもなら今すぐ飛び跳ねたいくらい嬉しいのに、今日は憂鬱さが勝ってしまった。
「あれ、柚月元気ない?大丈夫?」
「え、嘘。全然大丈夫だよめっちゃ元気!」
「そう?なら良いんだけど......」
 さすが腐れ縁と言うべきか。この憂鬱さを感じ取るなんて。
 今日も他愛ない話をしながら星哉と学校へ向かう。
 途中、星哉が何度か体調を確認してくれたが、適当に誤魔化しておいた。
 学校では、奥村先生に会っても特に変わった様子はなく、いつも通りに一日を終えた。
 この憂鬱さから解放される下校の一歩手前。残念なことに奥村先生に呼び止められた。
「阿部、ちょっと良い?」
 いつものチャラい雰囲気じゃない、ちょっと真面目な様子。
 きっと土曜のことを言われる。覚悟を決めて
「なんですか?」
 と問い返した。
 連れてこられたのは多目的室。いわゆる空き部屋だ。
 先生と机を挟んで向かい合って座る。
「あのさ、俺の目標のクラスって知ってるよね」
「もちろんです」
 このクラスになったときからずっと言われ続けていたことだ。
「一人一人の個性を大切にするクラス、ですよね」
「あぁ。だからな、土曜日会った阿部の姿も個性だ」
 触れられたくないところ、先生は平気で触れてくる。
「なにが言いたいんですか?」
 ムカついてつい強い口調になってしまった。
「もっとクラスでも本当の阿部の姿を見せるべきだと思うんだ」
「もうすでに本当の姿ですよ」
 早くこの苦痛の時間から解放されたい。
「なぁ、阿部。無理に''男の子''を演じなくていいんじゃないか?」
 その言葉になにかがプチン、と切れた。
 先生にはこの気持ちがわからない。わからないのに知ったかぶりしたアドバイス。
 したくてもできないからコソコソしてるのに、できたら最初からそうするよ。
「阿部はトランスジェンダーだろ?本当は可愛い格好、もっとしたいんだろ?」
 俺は男の子。そんなことしたくないに決まってる。でも、土曜日の完全に女の子の格好を見られた手前、何も言えない。
 女の子になりたい、なんて誰にも言えない。一生、男の子として生きて、コソコソ女装して生きていく覚悟をしていた。
 星哉とも恋人にはならず、永遠に親友でいる覚悟をしていた。
 なのに、先生はその覚悟を踏みにじるように遠回りな言い方ではなく直球に聞いてくる。
 先生のせいで覚悟が揺らいだ。
 気づけば俺は泣きながら先生に訴えかけていた。
「できないから、困ってんの。この気持ちわかんない人が簡単にあれこれ言わないで」
「わかるから、俺も阿部の気持ち、わかるから言ってんの」
 嘘だ。先生にわかるはずない。
「だから、そうやって軽々しく言うところが分かってないの。先生はわかんないでしょ、スカート履きたい、とか、可愛くなりたいとか」
「確かに、わかんないかもしれないね。スカートが履きたいなら履けばいい」
 やっぱわかんないんじゃん。
「わかんないなら言わないで。こっちも色々考えたうえでの選択なんだから」
「色々って何を考えたんだ。高校2年生の年で色々って何を考えたんだ」
 先生の発言一つ一つがムカつく原動力になる。
 何か言い返そうと俺が口を開く前に、先生が言葉を続ける。
「もしかして、一生''男の子‘’を演じるってことか?平均寿命の81歳まで、65年間も本当の自分を隠して生き続けるのか?」
「もうその覚悟はできてんの」
「できてないから、土曜日みたいに可愛い格好をして街を歩いていたんじゃないか?」
「違う、」
 図星を付かれ、思わず弱気になる。
「とりあえず今日はもう良い。スカートやるから明日履いて学校に来い」
 奥村先生は俺にスカートを持たせて多目的室から追い出した。
 ムカつく、ムカつく、ムカつく。
 完全に分かってない奴の発言だ。
 トランスジェンダーを理解した気でいるなら、もっと気を遣ってほしい。帰宅部はすでに帰宅済み、部活組はまだ部活中、なんて微妙な時間に電車に乗って家に帰った。
 電車で一人、考えた。
 明日、スカートは履いて行かず先生に返そう。
 本当に覚悟を決めたんだって、思わせないときっと納得してくれないだろう。
 火曜日も憂鬱になった。

 決意の証か、火曜日である今日はいつもより3分早く家を出た。
 いつもより歩くのが速かったからか、1本時間が早い電車に乗れた。
 そのせいで星哉には会えなかったけど、きっと昨日みたいに心配させるだけだから会わなくたっていい。
 学校で星哉に今朝会えなかったことを言われたが「たまたま早い電車に乗れた」と言った。
 そんなことよりも、今日は奥村先生との戦いだ。
 座っている状態では俺がスカートかスラックスかわからない。
 朝のショートホームルーム前の号令。
「規律」
 その声と共に奥村先生の視線が俺の足に向く。
 俺は当然スラックスだ。
 すると奥村先生は突然、
「荷物検査しま~す!」
 と言い出した。
 1時間目は先生の担当教科である現代国語。以前、このクラスは余裕があると言っていた。
 もしかしたら、俺のバックからスカートを見つけ出して無理やりはかせる作戦かもしれない、と脳裏をよぎる。
 さすがに自意識過剰かもしれないが。
「さ、みんな鞄を机の上に出して!俺から見て右端から行くよ!」
 俺の席は先生から見て左側の前から3番目。つまり荷物検査では最後から3番目だ。
 先生は一人一人よく見て検査した。
 途中、ゲームなどが見つかったりしたが、先生は回収することなく、
「もう持ってくんなよ」
 の一言で終わらした。
 ついに俺の番。
 先生は裏のポケットまで確認するが、体操服袋の中までは確認しなかったらしい。なので、スカートを体操服袋の中に入れて、スカートがあることを悟れないよう余裕の表情でいた。
 でも、先生は鞄を開け、中をチェックした後、すぐに体操服袋の中を見た。
 先生はチャラいので馬鹿に見られがちなのだが、意外と頭が良い。もしかしたら罠だったのかもしれない。
 先生はすぐにスカートを見つけて、
「なにこれ?」
 と言って畳んでいたスカートを広げる。
 そして、
「なんで阿部スカート持ってんの?」
 と初めて見ましたよ、みたいな顔で問いかけてくる。
「あ、実はスカート履きたいんじゃない?全然履いてくれていいよ」
 いつものいじる感じで先生は俺にスカートを履かせようとしてくる。
「いや、間違えて姉のスカート持ってきただけです」
 あらかじめ用意していた返答を述べる。
「え、お姉さんココの学校出身だっけ?」
「はい」
 本当は違う。けど、そういうことにしとく。
「ふーん。ま、いいや。じゃ次」
 荷物検査でもともと履かせる気はなかったのか、すぐに手を引いてくれた。
 放課後、奥村先生に多目的室に来るように声をかけた。
 約束通り奥村先生は多目的室に来てくれた。
「コレ、お返しします。俺は履かないんで」
 おれは奥村先生にスカートを返す。
「あれ、コレおねーさんのスカートじゃないの?」
 馬鹿にしたようないじり方で問いかける。
「違います。先生に返すために持ってきたんです」
「なんで嘘ついたのさ」
 このダルがらみ、超うざい。
 それでも我慢して言い返す。
「説明ができないからですよ。しかも先生がしらない、みたいな顔するから」
「そうだっけ~?ごめんね?」
 先生は反省なんて一ミリもしてないような笑顔で謝る。
「それで、何の用?」
 先生は切り替えたように真面目に問いかけてきた。
「もう、俺にこの件でからまないでください」
「え~、俺はただ阿部に好きな格好で過ごしてほしいだけだよ」
「それが迷惑なんです」
「何したら、本当の姿で過ごしてくれる?」
 先生にまずこの気持ちを理解してもらわなければならない。
「先生が女装して1か月間、学校に来たら。そしたら1日だけ女の子の格好で学校に来ます」
 そう宣言すると、先生はポカンとして、数秒フリーズしたあと笑い出した。
「あはは、え、そんなんで良いの?なんだ、もっと死んでくれたら、とか言われんのかと思った」
「そんな軽々しく人を殺しませんよ」
「真面目だねー」
 なんて先生は軽く呟いてから宣言した。
「じゃあ、俺明日から女装して学校来るから。本当に女の子の格好してきてね」
「わかりました」
 できるわけない。
「じゃ、また明日ね。楽しみにしてて」
 また今日も昨日と同じくらいの時間に帰る。
 電車に揺られながら、ボーっと先生の女装姿を想像する。
 先生は中性的な顔立ちで、男性にしては小柄な方だからめっちゃ可愛くなりそう。
 先生の女装姿は意外と安易に想像できた。

 先生が女装してくるわけがない。
 俺は勝ち誇ったような気分で、いつもと同じ時間に玄関の扉を開けた。
 星哉の所属するサッカー部は今週末に大会らしく、今日は珍しく朝練で会わなかった。
 学校に到着すると、何やら少々騒がしい。
 そんな騒ぎには興味がなく素通りして自分の教室へ向かう。
 ショートホームルームが始まる時間。ガラガラ、といつもより大きな音を立てて扉を開け、奥村先生は教室に入ってきた。
 そんな奥村先生の姿は……ギャルだった。
 俺が想像していた奥村先生の姿は清楚系だったからか、女装してきた驚きよりも意外性が勝った。
 茶髪でロングのカツラ、異常に長いつけまつ毛、大きな瞳にはカラコン、目元のラメ、少し濃いめのリップ、長いネイルの爪、黒パーカーにミニスカート。
 先生は本当に女装してきた。
 きっと今朝の騒ぎはこれだろう。知っていた生徒もいたらしく、奥村先生が教室に入ってくりなり爆笑していた。
 俺と同じく知らない生徒は目が点になっていた。
「いやー、この格好してたら教頭にめっちゃ怒られたわ。なんでギャルの格好なんだって。別に女装してきたって良いじゃんね」
 なんて、笑い話をしてホームルームが始まった。
「女装がダメなんじゃなくてギャルの格好がダメなんじゃね?」
 なんて陽キャが軽くツッコんで、すぐに「それな〜」と他の陽キャからの共感の声が飛び交う。
「ってかなんで女装してんの?」
「したい格好してなんか悪いか」
 先生が冗談っぽく言うから、冗談っぽい雰囲気のまま
「先生、そんな趣味持ってたんだ〜」
 なんて感じで丸く収まった。
 その日の放課後、また奥村先生から多目的室に呼び出された。
「どう?ちゃんと約束守ったでしょ?だから阿部も女の子の格好してきてね」
「先生が1ヶ月間してきたらですよ」
「ちぇっ、覚えてたか」
 なぜか悔しそうに呟く先生。
「もう、良いですか?」
 多目的室を出ていこうとすると、先生に呼び止められた。
「待って」
「なんですか?」
「あいつは、阿部のこのこと知ってるの?」
 先生が呼んだ''あいつ’’になぜか心当たりがあった。
 でも、分からなかったフリをして聞き返す。だってもしかしたら別の人かもしれない。
「あいつ、って誰ですか?」
「え、黒沢だよ、黒沢星哉。あいつは阿部がトランスジェンダーなこと知ってんの?」
 やっぱり、予想通り星哉だった。
「なんで今、星哉の名前が出るんですか?」
「え~、だって幼馴染なんでしょ?ちっちゃいときから女の子みたいな格好してたんだったら知ってんのかな、って思って」
「どうなんでしょう。覚えてないんじゃないんですか」
 俺は小さいとき、姉のおさがりでわりと可愛い服を着ていたし、趣味が女の子みたいでもお姉ちゃんの影響、で許されていた頃だった。
 だから、きっと星哉は覚えてないだろう。
「阿部さ、黒沢のこと好きでしょ?」
 唐突に吹っ掛けられた質問。驚いた。
「急になんですか?そういうのセクハラですよ」
「なに言ってんの、男同士じゃん」
「同性間でもセクハラは成り立つんです」
「え~、初耳。めんどくさい世の中になったよね。ま、そんなことより黒沢のこと好きでしょ?正直に」
「……」
「うわっ、顔真っ赤じゃん。図星だね」
 先生の言う通り顔が熱くなって赤くなっている自覚はあった。
「そうですよ。星哉が好きです。なにか問題ですか?」
 いっそ開き直る作戦に出た。
「いいな~、青春。お前が女になれば正々堂々星哉と付き合えるじゃん」
 確かにそうだが、カミングアウトして引かれたらどうしよう、という不安の方が勝ってしまう。
 そんなこともわからない先生は、無知だ、とたびたび思う。

 先生は一か月間、ちゃんと女装して学校に来た。
 流石に一ヵ月もすればすれば皆も見慣れてくるようで、いちいち騒ぐ人なんていなくなった。
 ちょうど一ヵ月が経った日の六時間目、文化祭の役割決めを行った。
 うちのクラスは王道のお化け屋敷になぞ解きをかけた迷路、なぞ解きお化け屋敷に決定した。
 その次、この学校でもっとも盛り上がる文化祭内のイベント女装コンテスト、男装コンテストの参加者を決めることになった。
 各クラスの男女それぞれ一人ずつが女装、男装してトップを決めるコンテスト。
 女子は去年も出た人が進んで立候補してくれたが、男子はなかなか決まらないまま6時間目が終わった。
「じゃ、明日までに決まらなかったらくじで決めるからな」
 奥村先生が言って、その日は終わった。が、なんだか嫌な予感がした。
 帰りのショートホームルーム前の少し開いた時間、奥村先生に放課後多目的室に来るよう言われた。
 先生に言われた通り多目的室に行くと予想通りのことを言われた。
「女装コンテストに出てくれない?」
「何でですか、嫌です」
「だって誰にも不審がられず女装できる場だよ?」
「でもその代償がデカすぎます。知り合いに女装姿なんて見られたくない」
「そっかー、残念だわ。仕方ない、今日は行っていいよ」
 今日は意外とあっさり引いた先生。絶対なにか裏がある、と疑いながら帰った。
 次の日の朝、くじ引きが用意されていた。
 一時間目は体育なので女子は先に更衣室に行ってもらい、男子だけが残った。
「一晩考えて、やっても良い、と思った人いるか?」
 当たり前だけど誰も出ない。
「仕方ない、じゃあくじ引きするぞ、全員目を伏せろ」
 そして、先生が机を回っていく。
 終盤でくじが回ってきたが、まだくじを見ない。
「目を開けて」
 目を開けてくじを見る。
 俺だけ唯一、割りばしの先が赤かった。
 それを見た先生は、
「よし、じゃあ阿部で決定でいい?」
 と言った。
 もちろん、全員やりたくないので先生の言葉にうなずく。
 やられた。
 きっと先生はくじを事前に仕込んでいたのだろう。
 俺が女装するように仕向けていたのだ。
 先生はいつも一枚上手だ。
 その日の放課後、先生に文句を言うために多目的室に行く。
「先生!何考えてるんですか?」
「いや~、びっくりだね。偶然阿部になるなんて」
 先生はおチャラけて言う。
 絶対偶然なんかじゃない。仕組まれていた。
「仕組んでましたよね?」
「してないよ」
「じゃあ、なんで俺がやらなきゃいけないんですか?」
「だから、偶然だって」
「そんなわけない」
「じゃあ、証拠あるの?」
「な、ないですけど」
「本当に偶然の可能性だってあるじゃん」
 先生のその言葉にその口調、なぜか説得力があって思わず本当かも、と思ってしまった。
「ま、仕組んだけどね」
 ケロっ、と白状して怒りが増した。
「先生、許しません」
 その一言と共に俺は頭を冷やすために外に出た。

 
『星哉くん、好きです』
 俺の頭の中にはその一言が永遠に離れない。
 文化祭前日、クラスで一番かわいい女の子、久世(くぜ)(さくら)が星哉に告っているのを見てしまった。
 星哉はOKしたのだろうか。あの二人は恋人になったのだろうか。星哉は久世さんが好きなのだろうか。
 最後まで見てないので結果はわからない。だけど、嫌な予感しかしなくて、その場を逃げるように去り、泣いた。
 失恋なんかしてないのに、悲しくて泣いた。自分が女子だったら告白してたのにって、悔しくて泣いた。
 駅まで走って、やっと涙が止まった。
 家ですぐ鏡を確認すると、目の周りが赤くなっていて見ただけで泣いたと分かる。
 あぁ、明日文化祭なのに。もういっそ、休んじゃおうかな。
 そのまま俺は寝落ちした。
 朝、思ったよりも顔がむくんでなくてよかった。
 一瞬、休もうかと考えたが、優等生な俺はその決断ができず、結局いつも通り家を出た。
 いつも通り、駅で星哉と会った。
 なんだか、浮かない顔をしていて昨日告白の返事を読み取ることができなかった。
「おはよ、星哉」
「おはよう、柚月」
 なんとなく気まずくて無言の時間ができた。
 その気まずさを気にするようにゆっくりと口を開いたのは星哉だった。
「あのさ、俺、昨日久世さんに告られたんだよね」
「うん、なんて言ったの?」
「ごめん、って言った」
 俺にとっては嬉しい結果でホッとした。
「なんで?」
「好きじゃなかったし、」
「ふーん」
 これ以上深堀しないでおく。浮かない顔をしていたからだ。
 学校の最寄りについた。
 いつも通り、他愛ない会話。なのに互いに違和感を感じている。
 教室に入るなり、星哉が久世さんの取り巻きの女子3人に呼び出された。
 本当はよくない、とわかっているがついて行ってみた。
 人影のない階段横。
 星哉が詰められている。
「なんで、桜のこと振ったの?」
「好きじゃないから、」
 星哉は正直に答える。
「好きな人に振られてどんな気持ちかわかる?」
「わかんないけど、」
「めっちゃ、嫌な気持ちなの。悲しいの。小さいとき、人が悲しむことをしてはいけません。人を傷つけてはいけません、って習わなかった?」
「習ったけど、」
「じゃあ、桜と付き合うべきじゃない?」
「でも、それはできないよ。好きじゃない人と付き合うのは失礼だ」
「はぁ、マジないわ。もう良いよ、あんた」
 取り巻きの中のリーダー格の人がそう吐き捨てて、軽く星哉の脛を蹴って去っていった。
 こっちに向かってきた女の子たちに鉢合わせそうだったので、近くの角に隠れて、女の子たちが去っていくのを見た。
 その後、すぐに星哉のところへ駆け寄った。
 呆然としている星哉に
「大丈夫?」
 と声を掛けた。
 とにかく、星哉の事が心配だった。
「え、柚月?何してんのココで」
「そんなことより、星哉!大丈夫なの?」
「あ、まぁ、大丈夫だよ」
 そう言った、無表情な星哉の表情からは何も読み取れなかった。

 女装コンテスト・男装コンテストの1時間前、クラスの可愛いオシャレな女子達に囲まれて衣装に着替えたり、メイクをしてもらったりした。
 女子に囲まれてから30分、鏡には可愛くなった俺が写っていた。
 自分で女装する時の何倍も可愛い自分が写っていた。
 俺は鏡の前で立ち尽くし、
「すげぇ」
 と呟いた。
 俺の女装は思ったよりも好評で、男子からは
「女子だったら速攻告ってるわ」
 なんて、言われた。
 少し恥ずかしかったが、そんなことを言われたら満更でもない。とても嬉しかった。
 本当の自分が認めてもらえたみたいだった。
 盛り上がってる様子を見た奥村先生がこちらを見て、
「似合ってんじゃん」
 っと言った。
 奥村先生に仕組まれて無理やりやらされた事ではあったけど、やって良かった、と思っている自分がいる。
 男装コンテストが始まった。
 女装組は舞台袖で待機。
 男装コンテストは女装コンテストとは違ってみんなガチだった。舞台の上にはイケメンが勢揃い。
 審査員(先生)の審査の結果、うちのクラスの子は3位だった。
 次は俺たち女装コンテスト。
 女装コンテストは、ノリとか面白いからってやってる人が多くてガチで参加している人は半分くらいだった。
 舞台上では一人ずつインタビューされた。
「女装をしてみてどうですか?」
 俺の前に話していた人は全員、女装じゃないですよ、本物の女子、みたいなスタンスで話していた。
 だから、俺もそうすることにした。
「小さい頃から、スカートとか履いてたし、今でもたまに履くので全然違和感はないですよ」
 そう言うと、ドッと笑いが起こった。
 何が面白いのかわからない。全部事実なのに。
 それでも良かった。本当の自分でいれたから。
 周りを見渡すと、星哉がいた。
 みんなは俺の冗談に笑っているのに唯一、星哉だけが笑っていなかった。
 なんでよ、笑ってよ。
 心の底から、そう思った。
 星哉は俺を射抜くような鋭い眼差しでずっと俺を見ていた。
 なんだか心を見透かされているみたいで俺は星哉から目を逸らした。
「好きな人は誰ですか?」
 インタビュアーが俺に質問する。
 今までの人は人気アイドルの名前を適当に出していたので、俺もそうしようと口を開く直前、放送が流れた。
『星哉が好きです』
 俺の声だ。奥村先生と話していた時、録音されていたのだろう。
 放送が流れたのはきっと先生の仕業だ。
 奥村先生は本当にヤバい先生だと思う。好きな人を堂々とバラすのだから。
 でも俺は開き直った。これは冗談だ。星哉だってアイドルと一緒。女子から絶大な人気を集めている。
「私が好きな人は黒沢星哉くんです」
 放送にビックリしたみんなは固まっていて、急に話し出した俺の方を慌てて見た。
「あ、えっと、なんで好きなんですか?」
 インタビュアーは慌てて聞く。
「やっぱり、優しくてかっこいいじゃないですか。サッカーも上手いし。本当に惚れちゃいますよね」
「そうなんですか、やっぱり黒沢くんはみんなから人気ですよね」
「ライバルが多くて困ります」
 インタビュアーは「アハハ」と適当に笑い次の人にインタビューした。
 自分のターンが終わり、一段落したので周りを見渡す。
 すると、ふと星哉と目が合った。
 星哉は驚いたような困ったような、恥ずかしいような表情をしていた。
 星哉はずっとこちらを見ていた。

 しばらくすると、女装コンテストの結果が出た。
 結果、俺が1位だった。インパクトがあり、記憶に残ったのだろう。
 またインタビュアーの人が来て、質問する。
「今の気持ちはどうですか?」
「私が一番かわいいと思っていたので当たり前の結果です」
 なんて、一ミリも思ってないことを口に出す。
 俺は嘘の俺を演じることで場は笑う。
 俺は自分自身がトランスジェンダーだと気づいた時から、もうずっと嘘の''俺’’を演じている。
 一人称だって、本当は''私’’の方がうまく言えるのに、無理やりぎこちない''俺’’を発して、必死で''俺’’を演じている。
 そうすることで、うまく皆に馴染める。一人だけ女々しくて浮いたりなんかしない。普通の男の子でいれる。
 その代わり、本当の自分である''私’’を必死に押し殺して、1人のときしか素の自分でいられなくて、そんな自分が嫌だった。
 SNSにはトランスジェンダーやゲイ、レズビアンなんて個性が認められている人がいる。カミングアウトできる環境があって、本当の自分を認めてくれる人がいたのだ。
 俺みたいにカミングアウトできない環境がある。
 多様性、とか、個性、とか言ってる時代、カミングアウトできない環境があるのは、個性や多様性が当たり前でないから。
 みんな、こんな人がいたら認めよう、と思っているだけで、身近にいるなんて考えたことがない。
 だってもう、多様性とか個性、って言ってる時点でその人は''普通じゃない人’’というレッテルが張られる。
 それを気にしてカミングアウトできない俺も自分を''普通じゃない人’’と思っている。
 当事者である俺も個性や多様性を尊重できていない。
「大好きな黒沢星哉くんに一言お願いできますか?」
 インタビュアーが問う。
 俺は、いや、私は思いっ切り叫ぶ。
「星哉、大好きだよ」
 観客がヒューヒュー冷やかす中、1人、まっすぐ私の方へ進んでくる。
 星哉だ。
「柚月、行こう」
「うん」
 星哉が舞台に、私に向かって伸ばした手を迷わず取る。
「ここから、逃げよう」
「うん」
 星哉のその一言で、やっと私が泣いていることに気づいた。
 星哉と手を繋いで、学校外へ行く。
 怒られたっていい、冷やかされたっていい、今は星哉と一緒に居たかった。
 学校の一番近くの公園で、星哉と一緒にベンチに座る。
「なんで、ウソばっかりつくの?」
 星哉に唐突に聞かれた。
 俺は星哉に対して嘘をついた記憶がない。
「なんのこと?俺、星哉に嘘ついた?」
「違う!」
 星哉は珍しく声を荒げた。
「なんで、自分にウソばっかりつくの?俺、本当の柚月が好きだった。今日の柚月、可愛くて、本当に生き生きしてた」
「え?」
 本当の俺が好き?''私’’が好き?
 星哉はずっと気づいてたのだ、俺がトランスジェンダーだってこと。
「俺、柚月が嘘つくたび、苦しかった。でも、本人の方がつらいと思うし。だから、何も言わなかった。でも、最近、ほんとうに柚月が苦しそうで、辛そうで。だから、ごめん。目立つことした」
 最近、奥村先生のせいで嘘の自分が演じづらくなっていた。
 それまでも、星哉は見破っていた。
「俺、柚月のことが好き。本当の柚月が好き。だから、俺と付き合ってください。もし、柚月が本当の柚月でいれなくなったら俺が助ける。絶対俺が助けるから、柚月は自分の好きな格好でいて。俺の一番近くでで、生き生きした柚月の姿を見せて」
 私にも本当の自分を認めてくれる人がいた。
 本当の自分を好きになってくれる人がいた。
 私を守ってくれる人がいた。
 しかも、私の好きな人だ。
「もちろん、私も星哉が好き。もし、星哉が困っていたら、今度は私が助けるから」
 青空の下、私と君は手を繋いでベンチに座る。
 公園の外には二人のようすを見守る奥村先生が居た。
 奥村先生は微笑みながら静かに去った。