以上の資料は、K大学文学研究科民俗学研究室に所属するN特任助教のデスクに残されていたものである。
N特任助教は現地調査のため東北地方のある村に向かうと言って出立して以来、予定の調査期間が過ぎても戻らず、現在、消息不明となっている。民俗学研究室を主宰するM教授はN特任助教の行き先を事前に知らされていたが、後の警察の調査では、N特任助教が件の村を訪れた形跡自体が見つからなかった。また、デスクの引き出しに残されていた資料からも、N特任助教が実際に調査に向かった先は恐らく東北地方ではないだろうと推測されている。
N特任助教が調査先を偽った理由については、周囲の人間に対する聞き込み調査の結果から判断するに、恐らくは研究成果が奪われるのを恐れてのことではないかと考えられる(実際、この研究室では良い成果が出始めた研究テーマを元々その研究に携わっていた研究室員から取り上げ、M教授のお気に入りの研究室員に与えるようなことがしばしば行われていたそうである)。N特任助教が実際にどこへ向かったかについては残された資料からおおまかに地域を推測する程度のことしかできておらず、N特任助教の家族が顔写真入りのビラを配って目撃情報を募ってはいるものの、現在のところ信頼性の高い情報は得られていないそうである。
なお、残された三つの資料のうち、フウセンガシラなるものについてのN特任助教自身の仮説を記したノートには当該ページに大きくバツ印がつけられており、また「まちがっていました」という追記がされていた。ただし、ノート自体の筆跡は間違いなくN特任助教のものであると確認がとれた一方で、この「まちがっていました」という追記の筆跡はあえて利き手とは逆の手で書いたかのような、あるいは字を覚えたての幼児が書いたかのような大きく乱れたものであり、誰の手によって書かれたものかは判別不能であった。
もう一つ奇妙な点として、これらの資料が発見された経緯がある。
この三つの資料はN特任助教のデスクの引き出しに入っていたものだったが、その引き出しには元々、鍵がかけられていたという。それが、ある早朝に大学院生の一人が研究室に来たところ、引き出しが大きく開かれており、そこにこれらの資料が置かれていたとのことであった。そして、この机の鍵はN特任助教自身しか保有していないはずであるにも関わらず、引き出しが開かれたのはN特任助教が失踪した後になってからなのである。
つまり、行方をくらましていたN特任助教自身が夜の間に密かに戻って来ていたか、もしくはN特任助教から鍵を預かった(あるいは奪った)者が研究室にやって来て鍵を開けた可能性が高い(もっとも、ごく一般的な机の鍵であるため、鍵開けの技能を持つ者であれば鍵が無くとも開けること自体は可能と考えられる)。
仮にN特任助教自身が戻って来ていたのであれば、なぜ未だに姿を見せないのか。彼以外の人物が開けたのであれば、その人物はN特任助教の失踪とどのような関わりがあるのか。これらの謎を説明するいくつかの仮説は立てられているが、いずれも根拠に乏しく妄想の域を出ないため、ここには記載しない。
N特任助教は現地調査のため東北地方のある村に向かうと言って出立して以来、予定の調査期間が過ぎても戻らず、現在、消息不明となっている。民俗学研究室を主宰するM教授はN特任助教の行き先を事前に知らされていたが、後の警察の調査では、N特任助教が件の村を訪れた形跡自体が見つからなかった。また、デスクの引き出しに残されていた資料からも、N特任助教が実際に調査に向かった先は恐らく東北地方ではないだろうと推測されている。
N特任助教が調査先を偽った理由については、周囲の人間に対する聞き込み調査の結果から判断するに、恐らくは研究成果が奪われるのを恐れてのことではないかと考えられる(実際、この研究室では良い成果が出始めた研究テーマを元々その研究に携わっていた研究室員から取り上げ、M教授のお気に入りの研究室員に与えるようなことがしばしば行われていたそうである)。N特任助教が実際にどこへ向かったかについては残された資料からおおまかに地域を推測する程度のことしかできておらず、N特任助教の家族が顔写真入りのビラを配って目撃情報を募ってはいるものの、現在のところ信頼性の高い情報は得られていないそうである。
なお、残された三つの資料のうち、フウセンガシラなるものについてのN特任助教自身の仮説を記したノートには当該ページに大きくバツ印がつけられており、また「まちがっていました」という追記がされていた。ただし、ノート自体の筆跡は間違いなくN特任助教のものであると確認がとれた一方で、この「まちがっていました」という追記の筆跡はあえて利き手とは逆の手で書いたかのような、あるいは字を覚えたての幼児が書いたかのような大きく乱れたものであり、誰の手によって書かれたものかは判別不能であった。
もう一つ奇妙な点として、これらの資料が発見された経緯がある。
この三つの資料はN特任助教のデスクの引き出しに入っていたものだったが、その引き出しには元々、鍵がかけられていたという。それが、ある早朝に大学院生の一人が研究室に来たところ、引き出しが大きく開かれており、そこにこれらの資料が置かれていたとのことであった。そして、この机の鍵はN特任助教自身しか保有していないはずであるにも関わらず、引き出しが開かれたのはN特任助教が失踪した後になってからなのである。
つまり、行方をくらましていたN特任助教自身が夜の間に密かに戻って来ていたか、もしくはN特任助教から鍵を預かった(あるいは奪った)者が研究室にやって来て鍵を開けた可能性が高い(もっとも、ごく一般的な机の鍵であるため、鍵開けの技能を持つ者であれば鍵が無くとも開けること自体は可能と考えられる)。
仮にN特任助教自身が戻って来ていたのであれば、なぜ未だに姿を見せないのか。彼以外の人物が開けたのであれば、その人物はN特任助教の失踪とどのような関わりがあるのか。これらの謎を説明するいくつかの仮説は立てられているが、いずれも根拠に乏しく妄想の域を出ないため、ここには記載しない。

