はいはい、私が田坂修作ですけども、どちらさんで?
 ああ、あんさんが。いや、こん度は嫌な役引き受けてもろうて、ほんまに申し訳ないことです。ほんまやったら身内で済まさなあかんとこなんですけど、子供らは皆、こんな田舎は嫌や言うて村を出てってしまいましてなぁ。
 ああ、はいはい、聞いとりますよ。そん代わりに、なんや私に聞きたいことがあるいう話ですな。はあ、前にフウセンガシラが出た時ん話? そんなんでええんやったら、なんぼでも話しますわ。

 あれは私がまだ十くらいん時のことやから、もう六十年は前の話になりますかなぁ。
 そん頃、私ん家ではシシマルいう名前の猫を飼っとったんですわ。最近やと、近所ん人と揉めたりとか車に轢かれたりとか、そういうことが起こらんよう、猫は外に出さんで家ん中だけで飼うんが普通やて町に出た息子が前に言っとりましたけど、まあなにぶん昔ん話ですし、それにほら、こん通り人も少のうて家同士も離れとる田舎ん村ですからなぁ。シシマルは、放し飼いにしとりました。

 好きに外に出られる暮らしをしとったシシマルは、時々、外で生き物を捕まえてきよることがありましてなぁ。蝉とか蟷螂みたいな虫やった時もあったし、鼠や蝙蝠みたいな動物が犠牲になっとったこともありましたわ。
 ほんで、そんなある日のことです。妹の頼子が、「シシマルが変なものをくわえてきた」と私に知らせにきたんですわ。
 今度はいったい何持ってきたんやと妹に連れられて見に行ったんですが、それが何なんか分かった時はもう、血の気が引きましたわ。

 最初は、ただの鳩や思うたんですわ。あん頃は鳩にもいろんな種類がおるいうことを知らんかったんですが、今思い返してみると、あれはたぶんキジバトでしょうなぁ。
 もっとも、それは首から下だけの話ですわ。首から上は、どお見てもただのキジバトやありませんでした。
 ほんまなら鳩ん頭があるはずんとこには、しわくちゃの妙な塊がついとりました。そのしわくちゃの塊は鳩ん頭にしては小さすぎやったんですけど、そいでも、よう見たら鳩ん頭の名残りがありましたわ。

 口では説明しづらいんやけど、いっちゃん近いのは木乃伊やと思います。鳩ん頭を木乃伊にしたら、こんな風になるやろな、いう見た目やったんですわ。
 まあそうは言うても、木乃伊そのものとはまたちょっと違う感じでしたわ。木乃伊の頭いうんは、肉や皮から水気が脱けて生きとった時と比べたら多少縮んどることはあっても、頭ん骨の大きさよりも小さくなるいうことはないんやないかと思います。でも、そん鳩についとったしわくちゃの塊は、どう見ても鳩の元々の頭ん骨の大きさよりも縮んどりました。
 まあ強いて言うんやったら、肉も骨も溶かせる消化液みたいなもんを鳩ん頭に注射して、そん後で溶けた中身を吸い上げてもうたら、あんな風になるんやないかいう感じの見た目ですわ。

 首から下はほんまについさっきまで生きとったみたいな普通の鳩やいうのに、頭だけがそんな風になっとる時点でかなりおかしいんやけど、そいつには、もう一つおかしいとこがあったんですわ。
 首ん横から、赤くて薄い皮みたいなもんがびろびろと出とったんです。言うたら、割れた後の風船みたいな感じのもんですわ。質感は本物の風船に使われとるゴムみたいな感じやのうて、皮を剥いだ後の動物の肉みたいな感じやったんですけどね。
 そないな不気味なもんを見んのは初めてやったんですけど、それが村ん年寄りらから聞かされとったフウセンガシラやってことは、すぐ分かりましたわ。

「もしまだ生きとるフウセンガシラを見つけてもうたら、破裂させんよう気をつけて山ん上の廃集落にある封がされた井戸まで運んで、『死に声』が誰にも聞かれんよう生きたまま井戸に落としてこんとあかん」

「もし井戸に落とす前にフウセンガシラが破裂してもうて、そん『死に声』を聞いてしもうたら、聞いたもんも井戸に身を投げんとあかん」

 そういう話は何べん聞かされたか分からんくらいですわ。
 子供ん頃の私は、そん話を聞かされる度に震え上がっとりました。なんせね、フウセンガシラの話には、助かる道いうもんが無いんですわ。代々この地で祀ってきた神様に祈れば助かるとか、仏様の慈悲に縋れば助かるとか、そういう話がなんも無いんです。

 フウセンガシラの『死に声』を聞いてしもうたもんが選べるのは、死ぬのを待つか、そうなる前に自分で死ぬか、の二つだけ。
 そやから私は、シシマルが持ってきたフウセンガシラがもう破裂して死んどるんが分かって、心ん底からほっとしたんですわ。

 そやけどそん後すぐに、こんフウセンガシラが死んだんはいったいいつなんやと不安になりました。もしシシマルが頼子んとこへ持ってきた時にはまだ生きとって、頼子の目の前で破裂したんやとしたら……。
 そん場合、もしそれを人に知られてもうたら、頼子は山ん廃集落にある井戸に生きたまま放り込まれてまうことになります。

 もちろん、あん頃まだ子供やった私にお前が妹を井戸に落としてこいとは、さすがに誰も言わんかったでしょう。そん代わり、両親のどっちかがそれをやれ言われたんやないかと思います。もし両親が二人共、我が子を殺すことなんてできん言うたら、そん時はまあ、村ん大人の誰かが代わりにやることになったんでしょうなぁ。

 そやったら誰にも知られんかったら助かるんかいうと、そういうわけでもないんですわ。フウセンガシラはとりついた先の生きもんが死んだら破裂していっしょに死ぬもんですけど、なんもせんくてもどんどん膨らんでって、最後はやっぱり破裂して、とりついた先といっしょに死ぬんですわ。
 フウセンガシラの『死に声』を聞いてしもうたら、どう足掻いても結局最後は死ぬことになる、いうことですな。

 そやから私は、どうか頼子が『死に声』を聞いとりませんようにと心ん中で祈りながら、恐る恐る、シシマルがこん鳥を持ってきた時にそれがどないな風やったか頼子に聞いたんですわ。特に、首の横から出とるびらびらしたもんは最初に見た時からこんなんやったか、風船みたいに丸く膨らんどらんかったかいうところは、念入りに確認しました。
 結局、頼子が最初に見た時にはもうこんフウセンガシラは破裂しとったと分かって、そん時はほっとしました。
 

 そん日から何日か経った時、ふと気づいたんですわ。
 こん何日か、シシマル見とらんなって。なんせ半分野良みたいな生活しよる猫で、よそん家でちゃっかり餌もろうたりとお前はどこんちの猫なんや思うことも多いくらいでしたから、もともと四六時中我が家におるいうわけやありませんでした。でもそうは言うても、こないな風に一日に一回も見ん日が続くことはこれまでは無かったんやないかと思うたんです。

 ほんで、私はシシマルん名前呼びながら家中探し回ったんですけど、やっぱりどこにもおらんのですわ。これは外まで探しに行かんとあかんのやろか思って玄関まで行った時、そこで頼子と出くわしました。ほいで、私は頼子に「シシマル見んかった?」て聞いたんですわ。

 聞いた時はあんま期待しとらんかったんですけどね、口では「見とらん」言うとるくせに、頼子ん態度はどう見ても不自然でした。
 ははあ、これは嘘をついているな――と私は感づきましたわ。ほいで、気づかれんように頼子を見張ったんです。

 しばらくしたら頼子はまた外に出よったんで、私はこっそり後をつけましたわ。
 頼子は、そん頃にはもう使われとらんかった古い物置小屋に入っていって、内側から扉を閉めました。私は少し待ってからそん小屋にそっと近づいて、中におる頼子に気づかれんようそぉっと少しだけ扉を開けて、隙間から中を覗いてみたんですわ。

 目の前が真っ暗になる、いうんはああいう時のことを言うんやと思います。
 そこには頼子とシシマルがおったんですが、シシマルの方はもう、私が知っとる姿やありませんでした。
 シシマルの首ん横からは、皮を剥いだ肉みたいな赤い色した丸いもんが出とったんです。もう少しよう見たら、その丸いもんには目や嘴がありました。赤いゴムで鳩ん頭の模型作って、中をくり抜いてがらんどうにしてから空気入れて無理やり膨らませたみたいな感じや言うたら伝わりますかな。大きさは普通の鳩ん頭よりは大きうて……まあ、蜜柑くらいやったかと思いますわ。逆に、シシマル自身の頭ん方は、少ししぼんどるようでした。

 ええ、お察しの通りですわ。シシマルは、フウセンガシラにとりつかれてしまっとったんです。シシマルがフウセンガシラにとりつかれた鳩を見つけた時、それはまだ生きとったんでしょうな。今にして思えば、最初に死んだフウセンガシラをシシマルが持ってきた時に、なんでそんことに思い至らんかったんやろうと思いますわ。

 それまでは頼子に見つからんようこっそり後をつけとったんですけど、変わり果ててしもうたシシマルん姿を見た時には、驚いてつい声をあげてしまいましたわ。当然、頼子には気づかれますわな。まあでもどっちみち、私ん方もそれ以上隠れとるつもりはありませんでしたわ。

 私は、なぜこないな大事なこと黙っとったんかって頼子を問い質しましたわ。
「せやけど……言うたら、シシマルを井戸に落として殺してまうんやろ?」
 頼子は半泣きになってしゃくりあげながら、そう答えましたわ。

 そん答え聞いて、私は迷うたんです。フウセンガシラんことをすぐ両親に伝えるんが正しい、いうことは頭では分かっとりました。せやけど、もしそうしたら、両親がシシマルを井戸に落としてしまうんは間違いありません。

 シシマルはそん時にはもう元々の頭が萎んできとって、妙に膨らんだ真っ赤な鳩ん頭がついとるいう気味悪い姿になっとりました。元々のシシマルん意識がまだ残っとるんかも分からん状態でしたわ。そないな風になっとっても、やっぱりシシマルを生きたまま井戸に落としてしまうんは気が進まんかったんですな。

 ほいでも、フウセンガシラがとりついとるシシマルをこんままにしとくいうんも危険でした。
 そん時はいうてもまだそこまで膨らんどらんかったんですけど、時間が経てば経つほどフウセンガシラはどんどん膨らんでいって、小さな衝撃でも破裂するようになるんですわ。ほいで、完全に膨らみきってもうたら、もう何もせんでも勝手に破裂しよるんです。そん時に『死に声』が聞こえるところに誰かいたら、次はそん人がフウセンガシラにとりつかれてしまうんですわ。そん犠牲者は頼子になるかもしれんし、父や母、それか私自身やいうことも考えられますわな。最悪、一家全員がそろってフウセンガシラにとりつかれてまういうことだって十分有り得るんですわ。

 家族を守ろう思うたら、フウセンガシラがまだ小さうて破裂しづらいうちにシシマルを井戸ん中に落としてしもた方が良いでしょう。せやけど、私んとったらシシマルかて家族でした。
 もし私がこん時に大人やったら、なんぼ家族みたいなもんやいうても妹や両親ん命と天秤かけたら猫ん命は諦めるしかない思うたでしょう。でもそん時まだ子供やった私には、そう思い切るんは難しかったんですわ。

 答えを出せんとずっと迷うとる私に、頼子は必死で言いましたわ。
「あとちょっとだけ、お父さんとお母さんに言うんはあとちょっとだけ待って」
 頼子も、どっちみちシシマルが助からんことは分かっとったんでしょう。ほいでも、ぎりぎりまでは死なせたくなかったんやと思います。

 私自身も迷うとったくらいですから、頼子ん頼みを断るなんてとてもできませんでしたわ。結局、私は両親にこんことを黙っとると約束してしもうたんです。


 そん日から何日か、私は頼子と二人でシシマルん面倒を見ました。シシマルはじっと動かんでいる日が多くなって、本当の頭ん方はどんどん萎びて縮んでしもうたんですが、そいでも餌を口元に持っていったるとすっかり小さくなってしもた口でもそもそと少しずつ食べましたわ。
 本当の頭が萎んでいくんとは逆に、フウセンガシラん方は日が経つにつれてどんどん膨れ上がっていきよりました。それを見とると私の不安もどんどん膨れ上がったんですが、そんな私に頼子は、あとちょっとの間だけだからと言い続けたんですわ。

 せやけど一週間が過ぎる頃には、私は、もう無理や思うようになりました。そん時には、フウセンガシラはもう小玉の西瓜くらいの大きさにはなっとりました。もういつ勝手に破裂してもおかしないって思いましたわ。頼子はフウセンガシラがそんだけ膨らんどってもまだ両親に伝えるのを嫌がったんですけど、私はもう待てませんでしたな。私は、頼子にはなんも言わんと、一人で両親にこんことを話しにいきました。

 私ん話聞いて、両親はもう真っ青になりましたわ。父は信じられんいう顔で「フウセンガシラなんて何十年も出とらんから、もうおらんくなった思うとったのに」と呟いたのを覚えとります。

 両親は、すぐ物置小屋に行きましたわ。せやけど、そこにシシマルはおらんかったんです。
 そん頃にはもうシシマルは自分で歩きまわるようなことは全くせんかったんで、頼子が連れ出したんはすぐ分かりました。
 たぶん、私が両親に話しとったんを隠れて聞いとったんでしょうな。ほいで、こんままやとシシマルが井戸に落とされてまうと気づいて、急いで連れ出したんですわ。

 私と両親は、そらもう大慌てで頼子とシシマルを探しました。
 頼子は、すぐに見つかりましたわ。家から大して離れとらん草むらで、呆然と座り込んどったんです。服の前っかわが泥だらけになっとって、ああこれは走っとってこけたんやなと分かりました。

 頼子がどこかをじっと見とるもんやから私もそっちを向いたら、そこにシシマルがおりました。いや、シシマルん体がありました、言うた方が正しいでしょうな。
 最初に見えたんは、しっぽでした。私は見たくない見たくない思うとったんですけど、ほいでも確かめんわけにもいかんし、思い切ってシシマルん頭がある方を見ました。

 そん時ん気持ちは、ほんまにもう絶望としか言えませんわ。シシマルにとりついたフウセンガシラは、破裂してしもうとったんです。
 たぶん、頼子がこけて放り出された時にそうなったんやないかと思います。元気な猫やったら放り出されても普通に着地できた思いますけど、シシマルにはもう、そないな力はありませんでしたし、膨らみきったフウセンガシラは着地の衝撃に耐えらんかったでしょうから。

 私はもう頭が真っ白になってそのまま立ち尽くしとったんですが、両親は座り込んどる頼子んところに駆け寄りました。
「頼子、お前、『死に声』を聞いてしもうたんか!?」
 父は頼子ん両肩掴んで、がくがくと揺さぶりながらそう尋ねとりました。頼子は虚ろな顔で父と母ん顔を順番に見て、そいから、小さく頷きました。父と母ん顔に絶望が広がったんが分かりましたわ。

 もしかしたら何か奇跡が起こってそうはならんのやないかと願っとったんですけど、一時間もせんうちに頼子の首の横からはビー玉くらいの小さなフウセンガシラが生えてきよりました。
 そんフウセンガシラはシシマルにとりついとったんと同じで色は真っ赤やったんですけど、顔近づけてよう見たら、形は、猫の……シシマルの頭ん形をしとりました。

 そん頃、私と頼子はいつもおんなじ子供部屋で寝とったんですが、そん日は私一人、仏間で寝ることになったんですわ。生えてきてすぐの小さいフウセンガシラが破裂することはほとんどないいう話ですけど、親としては万が一を考えずにはおれんかったんでしょうな。

 いつもと違う部屋やいうこともあってか、私はいっこうに寝付けんくて、意味もなく布団ん中で何度も寝返りを打っとりました。
 隣にある居間からは、ぼそぼそと両親の話し合う声が漏れ聞こえとりました。しばらくすると、それは怒鳴り合いになりましたわ。
「自分の子を生きたまま井戸に放り込むやなんて! あなたはそれでも人ん親ですか!? 情けいうものが無いんですか!」
「そん情けのせいで、シシマルだけで済んどったはずが頼子まであないなことになってしもうたんやないか! ここで覚悟決めんかったら、次は修作かもしれんのやぞ。それに、頼子はどのみちもう助からん。山の井戸に落とそうと、このままここに置いとこうと、いつかはフウセンガシラが破裂してまうんやから」
「せやけど、とりついたフウセンガシラが破裂した時に誰にも『死に声』を聞かれんかったら、とりつかれた人はちゃんと死ぬこともできんと彷徨い続けるっていうやありませんか。頼子がそないなことになるなんて、私、耐えられへん」
「あんなんは年寄りが言うとるだけのことや。真に受けたらあかん」

 フウセンガシラにとりつかれた人や動物は、元々の自分の体が死んでも、そん時はまだ本当には死ねとらんと村では言われとったんですわ。元々の自分の体が死んだ時に次のフウセンガシラになって、『死に声』を聞いた人や動物にとりつく。そん後でフウセンガシラとして破裂した時に初めてちゃんと死ねる、そういう話でした。
 本当んところがどうなんかは私にも分かりませんわ。フウセンガシラの形が一つ前にとりついとった人や動物の頭ん形やからそないな風に言われるようになっただけで、確かめたことがある人はおらんのやないでしょうか。そもそも、確かめる方法もありませんしなぁ。
 ただまあ、母とおんなじようにそん話を信じとる人は、あの頃の村にはそれなりにおったと思いますわ。

 そん後も、両親の口論は続いとりました。二人とも、喧嘩しながら泣いとりましたわ。
 どちらの言うとることも分かるからこそ、なおさら私はいたたまれん気持ちになりましてなぁ。聞いとれんくなったんで、こっそり仏間を抜け出したんですわ。

 そいから私は、子供部屋におる頼子ん様子を見に行きました。両親には駄目や言われとりましたけど、やっぱりどうしても気になってしもうたんですわ。
 最初見た時はビー玉くらいの大きさやったフウセンガシラは、そん時にはピンポン玉くらいの大きさに膨れとりました。逆に、頼子自身の顔ん方はまだ縮んでこそおりませんでしたけど、肌から子供らしい艷やかさが無うなって、老人の皮膚みたいに乾いて皺が寄り始めとりました。
 シシマルん時とおんなじ様に、こんまま頼子ん頭もどんどん萎びて縮んでいってまういう現実が受け入れられんくて、私が見張っとったらそん間だけは萎びるんを食い止められるんやないかいう気がして、私は頼子ん枕元に座ってそん顔を見続けとりました。

 本当は一晩中そうしとるつもりやったんですけど、なにぶん子供でしたからなぁ。いつん間にか、眠ってしまっとったんですわ。気がついたら、私は仏間の自分の布団で寝とりました。たぶん、子供部屋へ頼子ん様子見に来た両親が、そこで私が眠っとるんを見て仏間まで運んだんでしょうな。

 まだようやっと空が白み始めたくらいの頃で起きるには少し早かったんですけど、喉が乾いとったんで、私は水を飲もうと台所へ向かうたんですわ。
 そん途中で、食卓ん上に手紙が置かれとるんが目に入りました。一目見た時から、不吉な予感がしよりましたわ。手紙は父宛やったんですけど、私は躊躇わんと開いて読みました。ほいで、大慌てで父を起こしにいったんですわ。

 私が持ってきた手紙を読んだ父は呆然としとりました。そん手紙は母が書いたもんで、内容は簡単に言うたら「頼子がちゃんと死ぬこともできんと彷徨い続けることになるんは耐えられん。自分が頼子にとりついたフウセンガシラの『死に声』を聞いて次のフウセンガシラになった頼子のとりつき先になり、そん後で井戸に身を投げて頼子をちゃんと死なせる」いうものでした。
 手紙ん最後には、井戸の封と私んことをよろしく頼むと書かれとりました。

 父はしばらくの間、呆けたように座り込んどりましたが、やにわに立ち上がると、外へと駆け出しました。私もすぐにそん後を追いましたわ。
 父は、私がついてきとることに気づくと家で待っとれと言いましたが、私はそん言葉を無視して父を追いかけ続けました。口論しとる時間は無い思うたんでしょうな。父も、それ以上は何も言いませんでしたわ。

 父が向かうた先は、思うた通り、裏山ん廃集落でした。私は例の井戸がどこにあるんか知らんかったんですけど、父は分かっとったらしくて、迷いの無い足取りで進んどりました。
 せやけど、結局、私達は間に合いませんでしたわ。私達が井戸んところに着いた時には、そん蓋は外されとって、横には見覚えのある母の靴が揃えて置かれとりました。
 私達にできたんは、母が言い遺した通り、井戸ん封をすることだけでしたわ。

 そん後ん話は、わざわざ聞いてもらうようなこともありませんわ。
 父は男手一つで私を育て上げてくれました。時々、裏山のあん井戸がある方をぼんやりと見上げとることがあって、私はそのうち父もあん井戸に身を投げてしまうんやないかと心配しとったんですが、結局そないなことにはなりませんでしたなぁ。母に私んことをよろしく頼むと言われとりましたから、約束は守らんとあかん思うとったんでしょうなぁ。

 そん父が病気でぽっくり逝ったのも、もう三十年は前の話になりますわ。遺言で、遺骨はあん井戸ん中に撒いて欲しいと言われましてなぁ。親戚連中は渋い顔しましたけども、お寺さんは案外すんなり了承してくれましたわ。たぶん、昔からそういうことは時々あったんやと思います。

 私ん昔話もこれでしまいですわ。

 そいにしても、あん日私が見たんを最後に六十年誰も見とらんかったフウセンガシラが今になってまた出てきて、そん『死に声』を聞いたんが私やいうんも、なんというか、巡り合わせみたいなもんを感じますなぁ。私はね、父と母と頼子が「お前ももう疲れたやろう、もう休んでええ」って迎えをよこしてくれたんやないかと思うとるんですわ。

 さて、ほいだら私はぼちぼち行きますわ。みんな、あの井戸の下で待っとってくれてるでしょうから。封の方は、よろしく頼んます。