二〇■■年十一月二十八日金曜日。
カナミが今のカナミに取り換えられた日である。
カナミの異変に気付いた者は、おそらくわたしだけだろう。父も母もカナミが変わったことに気がついていない。容姿も仕草も口調も記憶もすべて、以前と変わっていないことが理由だろう。まさしく生まれたときから共にいる両親が見抜くことができないのである。友人や親族、顔見知り程度の相手ならば尚更その変化に気がつかないのは当然と言えよう。
あえて言葉にするならば、それは記憶の改竄だ。カナミが間違ったカナミであることを、わたし以外の人間が気がつかないのではない。「知らない」のだ。カナミの変化に気がつかないのではなく、以前から今のカナミであると刷り込まれているのではないだろうか。
何故わたしだけがカナミの変化に気がつくことができたのか。直前までメールで連絡を取り合っていたためか、姉妹であるがゆえか。十一月二十八日の十六時四十分に駅の改札から出てきたカナミは、わたしのよく知るカナミではなくなっていた。存在のすべてが「高橋カナミ」であることを証明していたが、それは「わたしの妹のカナミ」と決定的な相違点が認められたのである。
いずれこの手記を今のカナミが読むことになるはずだ。もし彼女がわたしが気づいた相違点を知れば、より正しいカナミになるために修正をしてくるかもしれない。わたしはそれを望まない。かつてのカナミは今のカナミではない。修正されることでカナミが本当に消されてしまうのではないだろうかと危惧している。相違点が存続する限り、今のカナミはカナミの偽物でしかないのだ。
しかし相違点は複数あるため、ひとつだけ書き記すことを考えている。完全に一人の人間にすり替わることなど不可能なのだ。
手記を読んだ後、今のカナミがどのような行動に出るか観察したい。
現在のカナミとかつてのカナミの違いは、わたしとの秘密と共有している点にある。
わたしが八歳のころのことだ。わたしはカナミを■した。母は泣き叫んだ。父はわたしを罵った。カナミは■んだ。そして生まれ変わった。カナミは一度■んで生まれ変わったのだ。
八歳の子供の行動だ。衝動的で、「お母さんを取られたくなかった」という今にして思えば小さな動機だった。あのときわたしはカナミが邪魔だった。昔はかわいかったすべてが憎かった。だからわたしは彼女の背中を押した。階段をごろんごろんと前転するように落ちていった光景は、玩具のようで滑稽だった。
だがカナミは一連の出来事を覚えていない。わたしに■されそうになったことも、病院に■日間いたことも、しばらくわたしが■■の家に預けられ別々に暮らしていたことも、都合よく記憶を改竄していた。カナミはわたしに■されかけたのではなく、自分が謝って転落したのだと思い込んでいるようだった。怪我が少々ひどかったことや、彼女が幼かったことも要因としてあるだろう。無意識下では覚えていた可能性はあるが、いずれにしろ覚えていないカナミはわたしを姉として慕ってくれていたのだ。
しかし今の偽物のカナミは、わたしが■そうとしたことを知っていた。高橋カナミの存在すべてをコピーしたことで、彼女が忘れている記憶まで鮮明かつ正確に複製してしまったのだろう。偽のカナミは完璧を目指しすぎたのだ。■されかけたほどの強烈な体験なら覚えているに違いないと考えたのだろうが、人間は強烈な体験ほど忘却することもあるのだ。
本来ならば知らなかったことにすべき事実を、知っている事実として認識したカナミは偽物という他ない。
果たして今後、どうするのだろうか。本手記はこれで完結ではない。彼女がどのように軌道修正するのかを観察し、状況によってはさらに他の情報を彼女に開示することも考えている。最終的に高橋カナミがどのような人間になっていくのか、詳細にまとめたい。
最後に、二〇■■年十一月二十八日十六時四十分そのときに、現れたカナミが本物ではないと看破できた理由となった、カナミの発言を記す。
最寄り駅の■■■駅はショッピングモールを兼ねており、駅の改札は二階に位置していた。カナミが改札から出てきたちょうどそのとき、階段で足を滑らせた人がいた。さいわい大事には至らずその人物も自力で立ち上がり歩いて立ち去ったのだが、眺めていたカナミがわたしを見て次のように告げたのである。
「落ちると結構痛いんだよね。お姉ちゃんは知らないだろうけど」
結論として、現在の高橋カナミは偽物である。(※)
※ うん。



