まず異世界の駅とは何か説明したい。それは言葉どおり現実には存在しない異界の駅である。路線図には載っておらず、廃止された駅でもなく、真実この世界に存在していない。よって、わたしたちはそれらの駅の存在を認識することも、ごく少数の例外を除いて自発的に尋ねることもできない。
しかし、まれに足を踏み入れることがある。
代表的なものが「■■■■駅」だ。
■■■■駅が初めてわたしたちに認識されたのは、二〇■■年■月八日、インターネットの掲示板上だ。投稿者は電車に乗っているうちに、いつの間にか■■■■駅に到着していたという。駅に下りた投稿者は、帰るために線路をたどり始め、やがて出会った男性の車に乗る。投稿はここで途切れており、投稿者の行く末は語られていない――厳密には二〇■■年に同じ投稿者の名前で■■■■駅から帰ってきた旨のコメントが確認されている。が、これが二〇■■年の投稿者と同一人物であるかは不明だ。なお、投稿者が乗車していたのは■■県の私鉄となっている。(※1)
■■■■駅の他にも、二〇■■年■月十四日に認識された「■■■■駅」(※2)、二〇■■年■月十九日に認識された「■■■駅」(※3)、二〇■■年■月二十三日の「■■駅」(※4)など、多くの駅が確認されている。
関東に限れば■■駅から■■■駅間で確認された「■■駅」(※5)、■■■■■■■線における「■■■駅」「■■駅」「■■■■■■■■駅」「■■■駅」「■■■■■■■駅」「■■■駅」(※6)、■■■■線の■■■駅から■■■間に確認された「■■駅」(※7)、■■■県私鉄における「■■■■駅」(※8)、■■■■線「■■■駅」(※9)、■■市営地下鉄■■■■■■の■■語のようだったという「■■■■■駅」(※10)、■■■■■■■線■■■駅から■■■駅間の「■■駅」(※11)、■■線「■■■駅」(※12)、路線は不明ながら■■県内とされる「■■■駅」(※13)などがあるようだ。
それら異世界の駅には共通点と言えるものはない。ただし、霧に覆われていたり古い駅舎であったり、自身のデジタルデバイスに異変が起きる、車内アナウンスや乗客に異変が起きるといった、日常とは言い難い事物や現象が発生することが確認されている。いわば「一目で異常が認識できる」ことが異世界の駅の共通点と言えよう。
仮にこれが日常的に利用している駅とさほど変わりのない光景が広がる駅であったなら、その存在は目立つ物とはなりにくい。体験者に疑問や違和感を残すことは確かだろうが、寝入っている間に見た夢や、今まで気がつかなかっただけなのではないか、といった常識的な判断ですまされていた可能性もあるだろう。写真撮影によって不可解な駅との遭遇を証明しようにも、現実に存在しうるありふれた駅の光景ならば、受け手は創作だと判断する可能性が高い。
通常存在しないそれらの駅は、「普通の駅」であってはならないのだ。語り部が体験したことの真偽は問題ではない。実体験であると証明するための写真や動画の有無もまた問題ではなく、異常性を帯びていることが異世界の駅として成立するための条件ともいえるだろう。(※14)
異世界研究で著名な研究者が、■■■■大学准教授、佐々木行治だ。佐々木は、駅を含めた異世界を「並行世界であり、偶発的または衝動的に邂逅し出没しうる場所、または存在」と定義している。わかりやすく換言すれば、「たまたま出会ったパラレルワールド」だ。
観測可能な並行世界は、わたしたちが生活を送るこの世界の他にも、同様に生活が可能な世界が存在していることを意味している。普段は互いに干渉しあうことはない。しかし、何らかの契機によって駅や路線が交錯し、異世界の駅として観測されるのだ。そこがわたしたちの世界でないがゆえに、わたしたちの認識では「異常」と感じられる駅や景色が広がって見えるのである。都心と自然豊かな場所では空気や水すら異なると人は感じる。世界が異なれば変化は肌で感じられるだろう。
ここで注意が必要なのは、異世界と交わるのは駅だけに限らない点である。古くは村同士の境、坂や橋、辻などは異界との境目だと考えられていた。季節の節目も境目だ。現代ではそれらの認識が薄まっているぶん、異界との境界線に明確な境目はない。エレベーターで上昇した先、地下の扉の向こう、眠って目覚めた先、転んで立ち上がった場所、気がついたときなど、異世界は実に偶発的衝動的に現れる。(※15)
とはいえ、わたしたちが扱うのは異世界の駅だ。もし読者の中に駅ではなく並行世界や異世界全体に関心があるという人がいるのなら、佐々木行治『並行世界における異世界――現実世界との境目』(2001)、『並行世界に行ける方法研究 一・二』(2010)、『異世界で出会う存在――体験者は何故帰郷できたのか――』(2016)、滝沢美紀『パラレルワールドに行きたい! 生きたい!』(2022)下田晶『学校の七つを超える不思議2 地下・鏡・儀式編』(1992)に詳しい。
さて、異世界の駅に話を戻そう。
佐々木は異世界の駅について、『あなたに伝える並行世界ステーション』で次のように説明している。
■■■■駅に代表される異世界の駅は、「体験者巻き込まれ型」の邂逅です。巻き込まれ型では体験者の意思とは無関係に並行世界に導かれています。電車に乗っている「だけ」の体験者にとって、その邂逅は異世界側から突如として現れていることになります。「体験者依存型」と異なり、異世界と交錯するための儀式など必要ありません。扉を叩いているのは異世界の側であって、つまり、異世界の住人が我々の世界と交わるために開いた扉だと考えることができるのです。(※16)
異世界の駅体験者の多くは意図して並行世界に踏み込んだわけではなく、日常の延長として異世界に取り込まれる。望まずして体験することとなった異世界において、元の世界へ帰るための判断に迫られるのである。巻き込まれた側は、異世界の駅で降りるのか、行先もわからない電車に乗車したままでいるか、まず選ばされるのだ。その選択を誤れば、元の世界に戻ることができなくなると考えられる。インターネット上で確認できるほとんどの体験者は帰ることができているが、一部は行方不明になったと伝えられているようだ。
一般的には異世界に取り込まれることは避けたいと考えるだろう。今までの生活を捨て、巻き込まれる形で足を踏み入れた見知らぬ世界で生きる選択を容易にできる者は少ない。ゆえに帰還するための行動を起こす。巻き込まれた人々は、正しい選択をすることで帰路をたどることを許されるのかもしれない。(※17)
一方、異世界、並行世界、異次元、それらは人間の関心を強く引き付けるものだ。小学校に伝わる怪談、いわゆる学校の怪談の中にも「バスケットゴールの真下は異次元である」、「地下倉庫には異次元の入口がある」、「教室の中心に四人で手を繋いで円を作ると、誰か一人が異世界に連れていかれる」、「四時四十四分に踊り場の鏡が異世界に通じる」など多様な話がある。インターネット上にも異世界に行く方法として、エレベーターを用いたもの、紙にある文字を書いて眠るもの、明晰夢を利用するものなどが伝えられている。(※18)
特定の場所や方法論が生まれているということは、人々は異世界に魅力を感じているのだと考えられる。昨今ライトノベルやアニメ作品において「異世界もの」が流行している点も、その証左となり得るだろう。異世界の駅は、人々が心の奥底で持つ願いに引き寄せられて、意図しない世界同士の「混線」を引き起こしているのではないか。その前提に立ち、何故異世界の駅が「■■■■駅」の一つに集約されず、多種多様な駅が生まれる展開を見せているのかを考察してみよう。
黒田賢一はインターネット上に流布する噂話、ネットロアについて「(真偽は別として)人々の心を反映した物語」とした。多くの人々の間で語られる有名な噂話は、興味や関心の比重によって伝播の質や量が変わる。例えば先述した最も有名であろう異世界の駅「■■■■駅」は、書きこまれた当時目立った存在ではなかった。
「■■■■駅」は実況中継型怪談の先駆けともされており、掲示板に書き込まれたそのとき「同席」していた参加者が複数いた。参加者の数だけこの体験談の語り部が多く生まれたことになる。だがその体験談は広く知られることはなかった。つまり「■■■■駅」は当時の人々の興味関心を集めることができない矮小な存在であったのだ。
ところが「■■■■駅」は体験談が書きこまれた約■年後に、別のウエブサイトに取り上げられたことで耳目を集めることとなった。さらに二〇■■年にテレビ番組に取り上げられたことで、飛躍的に認知度を上げることに成功している。これをきっかけにか、「■■■■駅に行った」という投稿が■■■■■(現・■)で二〇■■から二〇■■年にかけて散見されている。ただしこれらの投稿はフェイクであることが確認されている場合が多い。
掲示板へ投稿された二〇■■年当時注目されなかった、あるいは一部のユーザー間に限られた話題であった異世界の駅は、この二〇■■年を境に多く語られるようになったと思われる。やはり人々は異世界という未知の場所への願望を抱いていることが推察できる。それは未知のものを知りたいという知識欲から発するものかもしれない。この現実から一時的にでも逃避したい願望の表れである可能性もあるだろう。単に「■■■■駅」を真似た創作で、注目を浴びたいという顕示欲が源ということもあり得る。
二〇■■年現在、確認できるだけで三十六の異世界の駅が確認されている。一年間で九つ報告されているのは二〇■■年で、次が八つの二〇■■年である。この二つの年は大きな天災に見舞われた年でもあった。
いずれにしろ断続的に異世界の駅体験談が語られ、インターネット上で転載やアレンジが重ねられている点に、異世界への期待を読み取ることができるだろう。人々の心を反映した異世界体験談は、今後も沈静化と興隆を繰り返すのだと考えられる。(※19)
ここまでは異世界の駅の多様性が、何故生まれたかについて考えてきた。
では、何故異世界の駅にわたしたちは実際にたどり着いてしまうのだろうか。
滝沢美紀は自身を「パラレルワールドから帰ってきた体験者」と自称している。その真偽は確かめようもないが、滝沢は並行世界の交錯に「残念ながら理由はない」としている。わたしたちが今生きている世界をAとして、Bの世界があると仮定する。世界Bは世界Aとを繋ぐ手段を持っているだけであり、その手段を持たない世界Aが結果的に受け皿になっているのだ。それはわたしたちの世界の科学技術が劣っているわけではなく、世界Bに可能とする手段が存在しているにすぎないという。そのほかの世界C、D、Eと無限に続く並行世界の中にも、わたしたちと同じように受け皿にしかなれない世界があると解釈できる。(※20)
滝沢が体験した異世界の駅は「とりか駅」だという。それは「埼玉から■■線の上りで東京方面に向かう途中の乗り換え駅にある」と説明されている。滝沢の体験は言及すべきと判断したため、その体験を詳細に見ていく。なお、言及される駅名は滝沢の著書による仮名である。
二〇■■年七月、大学生だった滝沢はその日講義がなかったが、すべての講義が終了した後にあるガイダンスに出席しなければならなかった。時刻は午後六時を過ぎており、自宅から東京方面に向かう電車は比較的空いていたという。
先頭車両に乗った滝沢は、乗り換えをするカラス駅まで携帯電話を操作しながら座席に座っていたそうだ。ところがふいに顔を上げた際、「目に賑やかな人」の存在に気がついた。それは女性で、背格好は自分と似ていたという。席は空いていたが、その人物は座ることなく滝沢に背を向ける形で扉の横に立っていた。服装は細かい花柄のチュニックに白のカーディガン、デニムパンツにスニーカーという目立たないものだったそうだ。
しかし「目に賑やか」だと感じ、それを不思議に思い見つめていたという。電車は滞りなく停車と出発を繰り返し、路線図どおりに進んでいた。風向きが変わったのは「目に賑やかな人」が動き出したときだ。その女性はスズメ駅で扉が閉まった際、その場を離れて滝沢のほうへと歩き出した。目があった気がした。見つめていたことに気づかれたのだと思い、滝沢は顔を伏せたそうだ。
女性は滝沢の前を通りすぎた。通路は空いており、女性の足が滝沢の前を右から左へと横切るのがしっかりと見えたという。咎められることはなかった。滝沢は安心して手に持っていた携帯電話で友人に宛てたメールを打ち始めた。「次で乗り換える、あとニ十分ほどで大学に着く」ことを知らせるものだったそうだ。近年は改善されている場所もあるが、当時の地下鉄では駅と駅の間を走行中は必ず電波が圏外になった。このときも圏外だったため、メールは送信できない状態だった。滝沢は次の駅に着いたら送信しようと準備していたそうだ。
電車がまだ速度を落とさない内に、滝沢は席を立ちこれから開く扉の前に立った。トンネル内を走行する電車の窓には、車内の様子が映り込む。自分の背後に例の女性が立つのが見えたという。ことさら気にすることなく、滝沢は到着を待った。電車の速度が落ち始め、アナウンスが始まる。利用するカラス駅は複数の路線が入る駅で利用者も多く、他の乗客も席を立ち始めた。
電車が駅に入り、完全に停止する。ホームに見える駅名は目的の「カラス駅」で間違いがなかったという。扉が開き、そのホームに降り立ったとき、背後から声をかけられた。
「すみません、『とりか駅』はここですね?」
滝沢は振り返って、声の主である「目に賑やかな」女性を見た。不思議と顔をよく覚えていないが、どこにでもいそうな顔立ちだったことは覚えているという。滝沢は「いいえ、ここはカラス駅ですよ」と答えた。内心では「駅名を見ればわかるだろう」と、疑問に思うより馬鹿にするような気持ちだったそうだ。女性は困った様子になり、次のように言ったという。
「『とりか駅』ですよね?」
滝沢は首を横に振り、急いでいるからとその場を立ち去った。いつものように近くのエスカレーターに乗り、改札に向かう。その間に友人にメールを送信しようとして、いまだ圏外であることに気がついた。少し待ってから送ろうと携帯電話を握ったまま、磁気式の定期券を取り出す。改札機を通り過ぎようとして、エラーで改札機に弾かれた。
定期券が吐き戻され、滝沢は戸惑いながらももう一度改札機に定期券を入れた。しかし改札機の扉が閉まり、通り抜けられない。前日までは利用できており、定期券の期限切れも起こしていない状態だ。何故通り抜けられないのかがわからず、近くにいた男性の駅員に声をかけたという。返ってきた答えが次だ。
「申し訳ございません、とりか駅ではお使いになれない定期券です」
滝沢はそれが女性の言っていた駅であることには気がついたが、自分が降りた駅はカラス駅である自信があった。それにすでに何年も都心の電車を利用しているが、「とりか駅」という駅名に心当たりもない。そのため「いや、カラス駅ですよね。これ昨日まではちゃんと使えていたんですけど」と苛立ちながら言った。しかし駅員は申し訳なさそうな態度で、「当駅はとりか駅でして」と繰り返すばかりだったそうだ。
携帯電話は圏外のままで、友人に助けを求めることもできない。居合わせた人々も、滝沢と駅員の小競り合いを気に留めることなく通り過ぎていく。だが改札を抜けられなければ駅を出ることもできないのだ。滝沢は差額を支払ってひとまず駅から出してもらおうと考え、駅員に「ハト駅から乗ったんですけど、とりか駅までだといくらになりますか?」と問いかけた。
駅員が答えようとしたとき、滝沢の横に件の女性が立ったそうだ。女性は小さな厚紙を取り出し駅員に手渡した。
「わたしの分、とりかえで」
垣間見えた厚紙に何が書いてあるのかはわからなかった。だが滝沢は直感的に切符だと悟った。受け取った駅員が厚紙を二つに折って切り離すと、片方を女性に返す。女性は改札に向かう前に、滝沢に声をかけた。
「とりかえますか?」
女性の視線は滝沢の持つ定期券に向けられていた。定期券と女性の持つ切符を取り換える、という意味だろうか。使用済みの切符と取り換えて意味があるのかと返答をためらっていると、駅員が言い添えた。
「とりかえますか?」
取り換えれば駅を出られるのだろう。そう考えたが、滝沢は断ったそうだ。更新したばかりの定期券と切符を交換してしまうのがもったいないと考えたのである。切符代を支払えば出られるのなら、交換する必要はない。滝沢に断られた女性は、頷いて改札を出ていったという。
滝沢の「とりか駅」での体験はこれで終わる。滝沢はこの後改札を出るのを諦めて再びホームに戻り、自宅に向かう下り電車に乗って元の世界に帰れたのだそうだ。滝沢は「切符を交換しない」、そして「帰りの電車に乗る」選択をし戻ることができた。滝沢の行動は電車に乗り移動していただけであり、佐々木のいう「体験者巻き込まれ型」だ。その他の異世界の駅体験者の話も同様であり、やはり異世界の駅に立ち入る原因を追究することは困難である可能性が高い。
「とりか駅」を具体的に紹介した理由は、まず「目に賑やかな人」に注目したからである。ごく普通の格好でありながら、目に鮮やかだと感じられた。これはカナミの告げた「オーラがカラフル」であることに近しいのではないだろうか。さらに乗り換え駅という共通点にも着目したい。滝沢の体験談とカナミの行動は非常に似通っていると考えられる。
カナミが現在も五体満足で生きている以上、滝沢同様に選択に成功したのではないか。そう解釈することも可能だが、わたしはカナミは誤った選択をしたのだと考えている。カナミは以前のカナミとは相違点があることが理由として挙げられる。
本節の最後に、カナミが当時使用していた携帯電話(■■■■■製 ■■-■■■型)に未送信メールとして保存されているものを一通紹介する。おそらく圏外であることに気がつかず送信し、送り返されたものがそのままになっていたのだろう。なお、このメールを発見したのは二〇■■年になってからである。
日時 二〇■■年十一月二十八日 十六時十分
送信者 カナミ
送信先 わたし
本文 「今■■■駅着いたとこ。あのさ、とりか駅? って知ってる? なんかさっきのカラフルな人に聞かれたんだけど」

カナミはほぼ間違いなく、とりか駅にたどり着いたのだ。(※21)
※1 これはほんとう。
※2 途中までほんとう。
※3 半分うそ。
※4 うそ。
※5 かんちがい。
※6 ほんとうとうそとかんちがい。
※7 うそ。
※8 うそ。
※9 うそ。
※10 半分ほんとう。
※11 かんちがい。
※12 うそ。
※13 半分うそ。
※14 条件はない。
※15 境界を失くそうプロジェクト始動中。
※16 まるで被害者。
※17 決まりはない。
※18 あといっぽ。
※19 人の噂も七十五日。それを超えると定位置。
※20 半分せいかい。
※21 ようこそ。



