放課後、帰ろうとしていた淋代さんを呼び止めて、ひと気のない廊下まで来てもらった。
怒りはまだ俺の中で発生した時と同じ熱さで残っていた。
淋代さんは、英語の自習の時と同じくらいには動揺して見えたけれど、それでも歩く姿勢は良いのだった。
光がほとんど入らない薄暗い廊下で、淋代さんと向かい合う。
淋代さんは、黙ったまま俺が話し始めるのを待っているようだった。
まわりに誰もいないことを確かめてから、自分のスマホを操作して、淋代さんの目前に突き出して、自分が撮影した日月と彼女の動画を見せる。
「淋代さん、日月とデキてるよな。俺、知ってるから」
淋代さんは、俺のスマホの画面を真剣な顔で見つめ、数秒後に唇を噛んだ。その瞬間、怒りの半分が、激しい高揚感に変わり始める。
淋代さんは。こんな証拠みたいなものまで撮られて、どうしようと思っているのだろうか。いまさら? 馬鹿じゃねーの。教室とか公園とか、人目につくようなところで会っていかがわしいことをしているから、こうなったんだろ。気持ち悪いんだよ。なんでもできます、高嶺の花ですって感じでいるくせに、こそこそ気持ち悪い相手と気持ち悪いことをして。
日月に質問をしたあと、一発ギャグをしたあと、みんな俺を軽蔑してたけれど、本当に軽蔑されるべきは、俺なんかじゃないだろ。こいつの方が、キモイだろ。
誰も。誰も。当事者じゃないって顔をして。助けることはしないくせに、迷惑だって顔だけうまくて、優しくしてはくれないのに、傷つけることだけはうまくて。自分には関係ないって外野から、非難だけ視線や目で浴びせることは息をするようにやってみせて。
残ったもう半分の怒り。その矢は、本当は、淋代さんにだけ向けたいものじゃなかった。でも、向ける相手は今淋代さんしかいないから、全部射ってやろうと思った。
「あのさ、淋代さん。淋代さんって賢いんじゃないの。知ってるだろ、生徒と教師が恋愛しちゃだめって。つーか、なんで日月なんだよ。あんな覇気のないやつ。趣味悪いんじゃねーの、まあ別にそこはどうでもいいけどさ。日月、犯罪者だよな。だって淋代さん未成年だもん。ねえ、なんで日月とこんな気持ち悪い関係になったの? 俺、知らなかったわ、淋代さんがこういうことしちゃうやつだって。見損なった、まじで。へへ、これ、俺がばらしたら、淋代さんと日月どうなんのかな」
淋代さんに一歩近づく。
「これみんなに言ったら、どうなると思う?」
淋代さんは、俺が近づいた分だけ後退りながら、追い詰められている人間がする、青ざめた顔をしていた。
その顔には覚えがあって、胃が引き攣るように痛む。でもそれもすぐに消えて、俺のほとんどが高揚感に支配される。
他人との関係の主導権を握るというのは、こんな感じなのかと思った。支配しているような、自分の手のひらの中で踊らせるような、こんな、こんな。
「自習の時に、日月に嘘吐かせたよな。恋人いません。童貞ですって。かばわせて、自分は何も関係ないって顔してたよな。だめだろ。自分がだめなことしてるって分かってんの? 今日の昼間だって、俺、本当のこと言ったはずなのに、怒られて、みんなの前で謝らされたじゃん。あれ、謝り損じゃね? 悪いの淋代さんたちじゃん。淋代さんも、俺に謝って。謝れよ。嘘ついてごめんなさいって。私のせいで一発ギャグさせてごめんなさいって。ちゃんと、謝んないと」
自分が草間になっているような気分だった。今の、俺は、草間で、九十九で、矢野だった。そして、淋代さんは、いつもの俺と同じだった。
淋代さんは、焦燥感が滲んだ青白い顔で俺をじっと見ていたけれど、何を思ったのか、突然その場にしゃがみこんで、土下座の体勢をとった。
「申し訳ありませんでした。日月先生は何も悪くないです。すべて私が悪いです」
頭を床につけて、淋代さんが言う。咄嗟に、俺はまたまわりに人がいないか確認してしまう。
綺麗な土下座だった。そこまでしてほしかったわけではなかったのに、高揚感はさらに膨らんで、公園で二人を盗撮した時と同じように、また股間が硬くなっていく。
ゆっくりと淋代さんが顔をあげて、俺を見上げる。
淋代さんのことを、出会ってからはじめて惨めだと感じていた。いつもの俺を見ているような気分になって、自分まで惨めになる。
怒りながら高揚して、惨めになっている。三つ同時に上手くできるわけもなく、俺はもうわけがわからない。
「二人の動画、俺、ばらまくから」
追い打ちをかけるようにそう言うと、淋代さんは今にも泣き出してしまいそうな顔をした。
そんなに日月との関係がばれるのは嫌か。馬鹿だろ。気持ち悪いんだよ。この様子も撮ってやろうか。俺は今俺ではなく草間たちだから、酷いことだって簡単にできると思った。
スマホを操作して、カメラアプリを操作する。撮影開始のところに触れようとする。だけど、触れる前に後ろから足音が聞こえて、振り返ると、そこには日月がいた。
「お二人は、何をされてるのですか」
戸惑う、でも次の瞬間には、好都合だ、と思い直す。
日月は、俺と淋代さんのところまで静かに歩いてきて、俺と向かい合うように立った。
じっと見られる。顔を。日月が視線を下に滑らせて、俺の腹の下で止める。じっと、見られていた。盛り上がったズボンの部分を。
「僕も、君たちのスタンスで行きましょう」
日月は抑揚のない声でそう呟いて、す、と俺の股間を指さした。
「ひとに土下座させるのが、針生君の性癖ですか。興奮してますね」
指摘された瞬間に、頬がかっと熱くなるのを感じた。でも、ここで負けるわけにはいかなかった。
教師のくせに、と思いながら、怒りの矢を射る先を日月に変える。
「他人のこと言えんの? 俺は、まじで知ってますよ。あんたと淋代さんがデキてること。どうするんすか。あんた、弱み握られてんだよ。これ、他の先生に見せたら、あんたどうなるんだろうね。恋人はいない? 童貞? 嘘吐くなよ。きめーんだよ」
まわりには俺たちのほかには誰もいないけれど、いずれ誰か来るかもしれない。でも、俺は声を抑えようとは思わなかった。誰に聞かれてもかまわない。むしろ、ばれてしまえ。
大人を罵倒するなんて初めてで、さらに興奮する。俺の制服のズボンは不自然に盛り上がったまま、平常時のように戻ろうとしてくれない。でも、かまわない。
「……あんたも俺に謝れよ。謝れ、謝れ!」
「人を脅して詰りながら、謝罪を要求して勃起してるのと、未成年と成人した人間が交際をするのだったら、どちらの方がより悪趣味なんでしょうね。針生君、僕に、謝ってほしい? 淋代さんにも謝ってほしかった? 本当は違うんじゃないですか。君が、謝ってほしい相手は」
「は? 何言ってんだよ」
日月が、俺に一歩近づいて、眉間に皺をよせた。
不快感を露わにする日月を見るのは初めてで、俺は目がはなせなくなってしまう。
怒っている、気がする。俺は、怒ってる。でも、日月も怒っている気がした。それはでも俺に対して、ではないような気もした。
「今日、君、なぜひとりだけ謝ったの」
「……は」
「君だけが悪いわけじゃなかったでしょう。なぜ、草間君たちに抵抗しなかったのですか。なぜ、君は一発ギャグなんていう辱めを簡単に引き受けたんですか」
「……は? うるせーんだよ、淫行教師が」
俺の声が廊下に響く。でも、誰も来る気配はない。
誰でもいいから来てほしい。易々と、助けてほしくなっている。追い詰めたはずなのに、形勢逆転を仕掛けられた気分だった。
俺は確かに、淋代さんと日月に自分の怒りをぶつけている。だけど、確かに、本当にこころの底から謝ってほしい相手は彼らではなかった。いつも、いつもそれは、別なやつらだ。日月はさらにもう一歩、俺に近づく。
「君には君のゲームがあるんだよ。でも、僕には僕のゲームがあって、淋代さんにも淋代さんのゲームがある」
「……ゲームって、何だよ」
「自分の人生のことです。ほかでもない、自分が手綱を握って全うする人生です。自分以外の誰にもその手綱を握らせてはいけない」
いつもの日月とは違う。強い声だった。
日月は、俺と目線を合わせるためか、少し背を曲げて顔を近づけてきた。それで俺の視界は、日月でいっぱいになる。日月の薄い唇が、目前で、ゆっくりと開く。
「僕は、嘘なんて吐いてませんよ。淋代さんと恋愛関係かどうかには、はっきりと否と答えます。教師と生徒だ。君には分からないだろうけど、僕の中には恋愛感情は存在しない。君くらいの年齢の時にはよく聞かれましたよ。クラスメイトや友人に。その後の人生でも節目節目で聞かれる。彼女はいないのか。結婚はしないのか。君が手にしている前提は僕にはないので、十代の頃は、よく打ちのめされて、君みたいに愛想笑いばかり浮かべてました。君のゲームと、僕のゲームは、本当にね、違うんですよ」
「……知らねーってそんなの。誤解される方が悪いだろっ」
「どうして誤解する方は、いつも正しいって顔をしてるんだろうね。でも、そうだな。そういう風に見せる必要があったことは事実です。だから、こちらにも落ち度はあります。僕は君には謝りませんが。君だって、もうこれ以上、誰にも謝らなくていいじゃないですか」
謝らなくていい。これ以上。でも、俺は他人に謝ってほしい。そうだ、謝ってほしかったのだ。
謝ってほしくて苦しかった。酷いことをしていると思ってほしかった。対等に接してほしかった。そういう自分をずっと殺してきた。
他人の弱みを握ったら、理解できると思った。どの側に立つかは自分ではどうしようもないことで、それは神の采配だから、どの立場にいようが誰も悪くない。そう信じることでしか、もう生き延びることができないと思っていた。ずっと、そう信じてやりすごしていた。
「……先生、気づいてただろ。公園で。俺が先生と淋代さんのこと見てたこと」
「はい」
勃起は、いつの間にかおさまっていた。
自分の体内をめぐっていた熱がゆっくりと引いていくのを感じながら、俺は、日月からしゃがみこんだままの淋代さんに目線を落とした。
自らの意思で加害することもできる。そういう自分に安心して、興奮していたのは確かだった。やられるだけじゃなくて、やることもできるんだって分かったら、やられることは大したことではなくなるんじゃないかって思っていたから。
淋代さんをじっと見つめながら、俺は息を吸いこむ。
もう、自暴自棄になってやろう。そういうことを、これまでの日々を諦めるように思った。自分でも知らない、穏やかな自暴自棄だった。
「…………暴行を、受けてます」
薄暗い廊下に、俺の声が小さく響く。
自分の手のひらをぎゅっと握りしめて、もう一度息を吸いこむ。顎が震えて、滑らかに空気が入ってこなかった。
でも、続ける。こんなはずじゃなかったのに、と思いながら、本当はどこかでこの時を待ってたんじゃないか、とも思う。
ずっと待っていた。
「……草間と、九十九と、矢野に、暴行を、受けてます。つねられたり、蹴られたり、するんです。毎日、じゃないけど。見えないところに、痣とか傷ができるまで。針生は、貧弱で、情けないから、男になったほうがいいって、男になる練習だって、放課後の空き教室で。でも、俺は、いつもへらへら笑ってます。……知らない後輩の女の子に告白しろって言われて、好きでも何でもないのに汚い言葉で告白して、その子のこと怖がらせて、その様子を撮影されて、今も時々流されて笑われます。購買のパンも、多い勝ちをするけど、俺ばっかり負けるから、いつもいつも三人のパンを買わされる。俺は、パシリで、暇つぶしの玩具みたいなものだけど、三人にとっては、ただのいじりだから、俺は、三人の友達、だから。もっとひどいことされるのは怖くて、俺は、今の俺から、どうやって抜け出せばいいか分からない。分からない、です。ただ、ひとりになるのは、嫌なんです。ひとりは、怖いから」
言い切って、口を閉ざす。
急に何を言い出すんだと思われたかもしれない。でも俺の中では、二人を脅そうとしたこととしっかり繋がっていて、開き直ってしまえば、繋がっていないことなんて世の中には何もないのだった。
誰かに、聞いてほしかった。言い終えてから気づく。気づいたら、鼻の奥がつんと痛んだ。
「傷、見せて」
日月が呟く。嘘を吐いたと疑われてるのかと一瞬思ったけれど、見上げた先の日月の表情は俺に不信感を抱いているようなものではなかった。
俺の知らない優しい顔をしている。
俺は、制服をまくって、右腕を胸の高さまで持ち上げる。骨みたいな俺の腕は、薄暗い廊下では血が通っていないように見えた。数日前、九十九につねられてできた痣と、草間と矢野に笑いながら布を絞るように握られてできた痕がまだ残っていた。
「針生君」
か細い声が、俺を呼ぶ。淋代さんだった。
俺は日月に自分の腕を晒したまま、「何」と淋代さんに返事をする。
淋代さんは、ゆっくりと立ち上がって、日月の隣に並んだ。もう俺の目には、二人が恋愛をしているようには全く見えなかった。
「私は」
淋代さんの声が震えている。彼女は、今にも泣き出しそうだった。
放課後の教室で日月と二人でいるのを見た日から、彼女が取り乱す姿をたくさん想像した。つい数分前までは、自分と同じ側に突き落とそうと考えていた。
だけど、今、彼女のことを追い詰めて泣かせるようなことをしなくてよかった、動画を撮る前に日月が声をかけてくれてよかったと心の底から思っていた。
俺は、やっぱり他人を傷つけたくない。傷つけたくないし、傷つけられたくない。どの側にいても、どの立場でも。
「私は、私の場合は、万引きがやめられなかったの。お店で、物を盗む自分を止められなかった。私の弱みは、日月先生じゃない。日月先生には、私が万引きをしてしまわないように協力してもらっていたの。私なりに考えて、スリルを他のものに、置き換えてみようと思った。その代替案が、日月先生との偽装恋愛、だった。本当には、日月先生に触れてないよ。一度も。絶対。でも、ばれそうで、ばれない、そういうスリルが私には必要だった」
「万引き?」
淋代さんが頷く。
俺は瞬時にものをたくさん考えるのが苦手だから、すぐには彼女の言い分が理解できなかった。だけど、偽りの逢瀬に危機感が足りないと感じたのは、あえてだったのかとか、彼女は決して俺を騙しこむために取ってつけたような嘘を吐いているわけではないのだろうとか、そういうことははっきりと分かった。
「針生君、考えもしなかったでしょう」
「……それは、だって、ずっと淋代さんは、完璧な人だったし。そんなの考えるわけ、ないよ」
「……そうだよね。私も。……私も、考えたことなかった。気づかなかった」
淋代さんはそう言って、俺の腕に手を伸ばして、草間たちから与えられた痛みの印に、そっと指先で触れてきた。
「痛いよね」
「…………痛いよ」
痛い。今も、痛い。心も体も痛かった。頷いたら、みるみるうちに視界が滲んでいって、まずいと思ったけど、もう無理だった。
「同じクラスなのにね。あなたが、私が万引きすることに気づかなかったのとはわけが違う。ごめんなさい」
「淋代さんは、悪くないよ。何もしてないだろ」
「気づかないことも気づこうとしないことも、十分、罪だよ」
一度溢れたら涙はとまらなくて、恥ずかしかったけれど、今は、泣くのを我慢しないことにした。二人の前にさらした腕が痺れてきて、裾をまくりあげたままそっとおろす。
見えているものが全てではない。見えているものは、世界のほんのわずかだけなのだと、分かり合えていなかったという事実を他者と突きつけ合わないと、気づけない。そういうところでこれからも生きていくんだと思うと途方に暮れてしまうけど、こういう瞬間が死ぬまでにあと数回は訪れるような予感が、不思議とこんな時にもあった。
日月が、お二人ともいいですか、といつもの抑揚のない声で言う。でも、聞こえているものも、聞こえている通りではないのかもしれないって、今の俺は思っていた。
「淋代さんは、引き続き。今からは、針生君の困り事にも協力しますよ」
「……先生、脅してきた生徒に、よくそんな気前がいいこと言えますね」
「さっき、君の生理現象を指摘したでしょう、僕。どんな事情があれ、ああいうのはよくないことですから、おあいこです。それに、君たちは未成年だ。僕は、君たちよりは大人で、一応、教師です。とはいえ、大人も間違えますし、これから、君たちの望むままに協力できるとは、思わないでいてください。それでもね、針生君」
日月はまた背を窮屈そうに屈めて、俺と目線を合わせる。
相変わらず、生気のない表情をしている。でも、俺をきちんと見てくれたのは、日月が初めてのような気がした。
「決して、君を見捨てはしません」
日月の薄暗い瞳に、俺がうつっている。
「針生君、どういうことか分かりますか」
「どういう、こと」
「君は、本当の意味でひとりにはならないということです。僕はね、こんな大人だけど、ひとりが怖いということはよく分かっているつもりです」
日月が俺の腕を指さして、触れても大丈夫ですか、と俺に聞く。俺は、ぼろぼろ泣いたままで頷いた。
そしたら、日月は俺の腕をとって、自分のスーツのポケットから絆創膏を取り出すと、俺の腕にある、草間たちにつけられた中でも一番目立つ痣に、ぺたんと貼った。それはうさぎのイラストが描かれた可愛らしい絆創膏だった。
何だよこれ、と思いながらも、涙は余計に溢れてきて、嗚咽と笑いが混じった息を漏らしてしまう。
「……これ、先生の趣味?」
「そうですね。痛みにはひとさじのユーモア。だけど、強がったり、無理をしたりするのは、違います。針生君、傷は、傷だから。どういう理由でつけられたとしても、どう自分が納得しようとしても。だから、君は、自分がもうこれ以上傷つかないようにしなければならない。傷つけてもいい人間も、傷つけてもいい人間もいません。君は、君が傷つくことをなるべく許さないようにしてください。そのために何ができるか、これから一緒に考えます」
「傷は、傷」
「そう。ここから先はもう、相手のゲームからおりるんです。君は君のゲームを生きる。草間君や九十九君や矢野君のゲームに君が付き合ってあげる必要はないです。他人のゲームを自分に都合よくすりかえてもいい」
「自分の、ゲームを、生きる」
「他人のゲームの駒には、絶対になってやらない。僕が言っていること、分かりますか」
俺は、日月がはってくれた絆創膏をじっと見つめながら、慎重に首を縦に動かす。
「……先生は、本当に、俺をひとりにしないですか」
「しません」
「本当に?」
「約束するよ」
俺は一度、日月を見上げて、日月の瞳にうつっている自分の輪郭を確かめてから、また絆創膏に視線を戻した。
「先生は、嘘は吐かないと思う」
淋代さんが、優しい声で俺に言う。
「淋代さん」
「うん?」
「今日、ごめんね」
「お互い様だよ」
「うん、でもごめん。……あと、日月先生」
「何ですか」
「俺は、俺が傷つくことを、もう、許したくないです」
「はい。許さないでください」
もういいんだと思った。僕とセックスしてくださいなんてひどい言葉を吐いて他人を怖がらせないで済むんだと思った。購買のパンを俺だけが買わなくていいんだと思った。誰も幸せにはならない一発ギャグをしなくていいんだと思った。
ひとりになることが怖くて痛みに耐えなくていい。もう本当は一秒だって耐えられない。俺は、もう耐えない。決心をしたら、少しだけ自分に許されたような気がした。
痣の上に日月が貼ってくれた絆創膏のうさぎたちは、今、俺に微笑みかけている。



