Wさん「本日は、取材を引き受けてくださり、ありがとうございます」
女性「いえいえ、そんな。ですが、私自身、あの漁村は幼い頃に数年間過ごしていただけなので、ほとんどその頃祖母から聞いたことしかお話できません。なので、あまり力になれないかもしれませんが……」
Wさん「とんでもない。そもそも、○○村に居住している人とは連絡が取れず、今では都市伝説上の村として語られているくらいですから、実際に居住されていた方のお話を聞けるだけでも貴重です。
では、さっそくですが恵比寿祭について覚えていることをお話いただいてもよろしいでしょうか」
女性「はい。……あの、まずお話しする前にちょっと気になることが……。気にしすぎかもしれませんが」
Wさん「どんな小さな事でもお話ください」
女性「実は取材許可のメールをいただいた時に少し違和感があったんです。
いえ、決して失礼な内容だったとかではなく。メールの中でお祭りの名前を『恵比寿祭』と表記されていましたよね?
はい、東京にある地名と同じ。もしかしたら、今では違う形で伝わっているのかもしれませんが、私が住んでいた当時、ポスターやチラシには『蛭子祭』と表記されていました。読み方は同じです。
まあ、どちらもエビス様を指すという意味では変わりありませんが。すみません、やはり気にしすぎだと思います」
Wさん「いえ、ありがとうございます。特にオカルト界隈においては、こういった小さな事から考察は広がっていくものですので」
女性「そうなんですね。なんというか、奥深い世界なのですね……。
えっと、では話を戻して、蛭子祭のことですよね。私もまだ村に住んでいた時に何度か家族や近所の子供と一緒に参加したことがあります。至って普通のお祭りだと思います。
村唯一の神社である蛭子神社の境内から村の大通りまで、ずらっと出店が並んでいました。あ、でもこちらに引っ越してきて吃驚したのは、お祭りって夏にやることが多いんですね。
蛭子祭は必ず冬に行われていました。寒空の下で飲むあら汁の味を今でも覚えています。確か、このお祭りが終わったら豊漁の時期に入るとかで、村民がそれに向けた準備運動のように活気づいていました」
Wさん「なんだか、都市伝説とは結びつかないような平和なお話ですね」
女性「ふふっ、本当ですね。ただ、このお祭りには怖い由縁があるらしく…、それが都市伝説に結びついたんじゃないかしら。
私も祖母から一度聞いただけですが、その夜は子どもながらに怖くて眠れませんでした」
Wさん「ほう、怖い由縁ですか。では、そちらをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
女性「はい。祖母が生まれた頃からお祭りはあったそうなんですが、その日から数日に亘ってある儀式を行っていたらしいです。さらに祖母もまだ産まれる前の蛭子祭は、こちらの儀式だけを行っていたそうなんですけどね。ただ、その儀式も最初はなかったらしくて……。
突然ですが、Wさんは『福子信仰』というものをご存じですか?」
Wさん「一応、概要程度は。確か、障がい児を聖化し、人々に福をもたらす存在として祀る的な……」
女性「そうです。その福子信仰が漁村でも行われていました。ですが、小さな村で当時から労働人口も少ない。そんな中で子どもとは言え、特定の人間を、しかも継続的に祭りあげることが段々と難しくなっていきました。
そんなある日、福子を連れて海を船で遊覧していると、うっかり福子が海に落ちてしまいました。慌てて捜索するも見つからず、お付きの人は大切な福子を見殺しにした罪で処刑されました。
それから暫く経って、漁に出ていた村人の網に例の福子の水死体がかかりました。当時、漁師の中で水死体は『エビス様』として縁起の良いものとされていたこと、亡くなってしまった福子を不憫に思ったことから、その死体を神社で安置し、祈祷することにしました。
すると、その年は過去にないほどの豊漁で、毎年起こっていた水難事故もピタッと止みました。たぶん、それはただの偶然だったのですが、村人は元々福子だったものが、さらにエビス様としての力も得て、我々を今まで以上に守ってくれているのだと考え、大喜びしました。
それに目を付けたのが村の当時の領主です。領主は、福子のさらなる神格化と称し、村の障がい児の口減らしを始めました。村人たちも薄々領主の真意には気付いていたそうですが、やはり生活が困窮していたことが彼らの倫理観を狂わせたのか、反対意見は出なかったようです。
それが、先ほどお話しした、ある儀式と蛭子祭の始まりだと祖母は言っていました。
そして、いつしか祭り上げられた遺体は“ぼちん様”と呼ばれるようになったそうです。
儀式の流れとしては、一日目に前代の“ぼちん様”を籠に入れ、村中を巡回しながら村民がそれぞれ感謝の意を表わし、二日目はその御体を海辺で燃やし、残った灰を海に還す。そして、その晩に次代の“ぼちん様”を決定し、三日目に海へと流す。というのが儀式の流れだったそうです」
Wさん「そんな………」
女性「いくら困窮していたとは言え、今では考えられないほど残虐な行為ですよね。
でも、障がいを抱えていようがいまいが、自分の子どもを積極的に手放したい親なんて存在しません。医療や福祉の発達と共に、そういった子どもが生まれた家はすぐに村を出てしまうようになりました。
それを切っ掛けとして、一度はこの儀式を打ち止めにしようという意見も挙がり始めたそうです。まあ、元々が口減らしのために始めた儀式ですからね。
それで本当に次の儀式を一度止めてみたそうなんです。しかし、その途端に今までにないほど大不漁の年になってしまっただけでなく、水難事故も多発し、たくさんの村民の命が失われました。
これを“ぼちん様”の祟りと考えた村民は、自分たちが作り上げた偽の信仰が、いつしか本物の神様を誕生させてしまったことを自覚しました。
そこで、村の偉い人たちが集まり会議をしました。結局その年は、その時期にちょうど足に怪我を負って療養していた村の若者を差し出すことになりました。
ただ、毎年都合良く怪我人が出るはずもなく、かといって故意に負傷させようにも、名乗り出る村民もおらず、それどころか村を出て行ってしまう可能性もあり、ただでさえ少ない人口が減ることになります。
そこで考えついたのが、村の外から来た人間に怪我を負わせて贄とする案でした。だいたいは、逃亡防止も兼ねて足と目を傷つけて捧げたそうです。
でも、やはり信仰心の違いなのかわかりませんが、外部の人間よりも村民を“ぼちん様”にした方が豊漁かつ水難事故も少ないそうです。
そこで、村の偉い人たちはあるルールを作りました。『蛭子祭の時期、外部の人間を贄とするが、該当者がいなかった場合又は著しく不漁年だった場合は村人を捧げる』というものです。これは村民に大々的に知らされることはなく、偉い人たちやその身内の中で秘密裏に行われていたらしいです。
それ以降、村に大きな水害や不漁の年はなかったので、きっと私たちの知らないところでまだ儀式が行われているのでしょう……。というお話です」
Wさん「……想像以上にすごい話で圧倒されてしまいました。なんだか、元村民の方に言うのもなんですが、人の業が詰まった話というか……」
女性「私もそう思います。まあ、当時の私は現実味のないお伽噺のような感覚で聞いていましたが」
Wさん「そういえば、“ぼちん様”という名前の由来は?」
女性「うーん。私も詳しくは知りませんが、私が堤防の上で遊んでいると祖母が『ぼちんしないように。』と注意してきたので、漁村独自の方言から来てるのだと思います」
Wさん「あ、そうなんですね。てっきりもっと深い意味が込められているのかと……」
女性「ふふっ、現代の私たちが勝手に深読みしているだけで、案外真実は単純なものなのかもしれませんね。
ちなみに、祖母の話では儀式の数日前にぼちん様となる人にご馳走を振る舞ったことが、現在の賑やかなお祭りに繋がっているそうですよ。なんだかそれを聞いて、次の年から出店に行くのが怖くなっちゃいました」
Wさん「なるほど……。ちなみに、その儀式は現在でも行われているのでしょうか?」
女性「さあ…どうでしょう。私自身は見たことがありませんし、なぜか両親はそもそも“ぼちん様”の話題に触れることを嫌がるので……。
家族で唯一村に残った祖母は私が幼い頃に亡くなってしまったらしいですし、引っ越しを機に村の友人たちとも連絡を取っていないのでよくわかりません」
Wさん「そうですか。あの、差し支えなければでよろしいのですが、おばあ様が『亡くなってしまったらしい』というのは?」
女性「ああ、実は祖母が亡くなったというのは両親から聞いただけで、実際は死に目に会うことは疎か、葬儀すら行われませんでした。階段から落ちて骨折したという話を聞いていましたが、なぜかお見舞いにも行かせてもらえなかったです。
両親も幼い私と、死に向かう祖母を会わせることに抵抗があったのかもしれませんが……おばあちゃん子だったので当時はかなりショックでした」
Wさん「なるほど。辛い事を思い出させてしまい申し訳ございません。
それでは、本日のインタビューは以上になります。原稿が出来上がりましたら、また連絡させていただきます。ありがとうございました」
女性「こちらこそ、久しぶりに若い方とお話できて楽しかったです。どうもありがとうございました」
女性「いえいえ、そんな。ですが、私自身、あの漁村は幼い頃に数年間過ごしていただけなので、ほとんどその頃祖母から聞いたことしかお話できません。なので、あまり力になれないかもしれませんが……」
Wさん「とんでもない。そもそも、○○村に居住している人とは連絡が取れず、今では都市伝説上の村として語られているくらいですから、実際に居住されていた方のお話を聞けるだけでも貴重です。
では、さっそくですが恵比寿祭について覚えていることをお話いただいてもよろしいでしょうか」
女性「はい。……あの、まずお話しする前にちょっと気になることが……。気にしすぎかもしれませんが」
Wさん「どんな小さな事でもお話ください」
女性「実は取材許可のメールをいただいた時に少し違和感があったんです。
いえ、決して失礼な内容だったとかではなく。メールの中でお祭りの名前を『恵比寿祭』と表記されていましたよね?
はい、東京にある地名と同じ。もしかしたら、今では違う形で伝わっているのかもしれませんが、私が住んでいた当時、ポスターやチラシには『蛭子祭』と表記されていました。読み方は同じです。
まあ、どちらもエビス様を指すという意味では変わりありませんが。すみません、やはり気にしすぎだと思います」
Wさん「いえ、ありがとうございます。特にオカルト界隈においては、こういった小さな事から考察は広がっていくものですので」
女性「そうなんですね。なんというか、奥深い世界なのですね……。
えっと、では話を戻して、蛭子祭のことですよね。私もまだ村に住んでいた時に何度か家族や近所の子供と一緒に参加したことがあります。至って普通のお祭りだと思います。
村唯一の神社である蛭子神社の境内から村の大通りまで、ずらっと出店が並んでいました。あ、でもこちらに引っ越してきて吃驚したのは、お祭りって夏にやることが多いんですね。
蛭子祭は必ず冬に行われていました。寒空の下で飲むあら汁の味を今でも覚えています。確か、このお祭りが終わったら豊漁の時期に入るとかで、村民がそれに向けた準備運動のように活気づいていました」
Wさん「なんだか、都市伝説とは結びつかないような平和なお話ですね」
女性「ふふっ、本当ですね。ただ、このお祭りには怖い由縁があるらしく…、それが都市伝説に結びついたんじゃないかしら。
私も祖母から一度聞いただけですが、その夜は子どもながらに怖くて眠れませんでした」
Wさん「ほう、怖い由縁ですか。では、そちらをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
女性「はい。祖母が生まれた頃からお祭りはあったそうなんですが、その日から数日に亘ってある儀式を行っていたらしいです。さらに祖母もまだ産まれる前の蛭子祭は、こちらの儀式だけを行っていたそうなんですけどね。ただ、その儀式も最初はなかったらしくて……。
突然ですが、Wさんは『福子信仰』というものをご存じですか?」
Wさん「一応、概要程度は。確か、障がい児を聖化し、人々に福をもたらす存在として祀る的な……」
女性「そうです。その福子信仰が漁村でも行われていました。ですが、小さな村で当時から労働人口も少ない。そんな中で子どもとは言え、特定の人間を、しかも継続的に祭りあげることが段々と難しくなっていきました。
そんなある日、福子を連れて海を船で遊覧していると、うっかり福子が海に落ちてしまいました。慌てて捜索するも見つからず、お付きの人は大切な福子を見殺しにした罪で処刑されました。
それから暫く経って、漁に出ていた村人の網に例の福子の水死体がかかりました。当時、漁師の中で水死体は『エビス様』として縁起の良いものとされていたこと、亡くなってしまった福子を不憫に思ったことから、その死体を神社で安置し、祈祷することにしました。
すると、その年は過去にないほどの豊漁で、毎年起こっていた水難事故もピタッと止みました。たぶん、それはただの偶然だったのですが、村人は元々福子だったものが、さらにエビス様としての力も得て、我々を今まで以上に守ってくれているのだと考え、大喜びしました。
それに目を付けたのが村の当時の領主です。領主は、福子のさらなる神格化と称し、村の障がい児の口減らしを始めました。村人たちも薄々領主の真意には気付いていたそうですが、やはり生活が困窮していたことが彼らの倫理観を狂わせたのか、反対意見は出なかったようです。
それが、先ほどお話しした、ある儀式と蛭子祭の始まりだと祖母は言っていました。
そして、いつしか祭り上げられた遺体は“ぼちん様”と呼ばれるようになったそうです。
儀式の流れとしては、一日目に前代の“ぼちん様”を籠に入れ、村中を巡回しながら村民がそれぞれ感謝の意を表わし、二日目はその御体を海辺で燃やし、残った灰を海に還す。そして、その晩に次代の“ぼちん様”を決定し、三日目に海へと流す。というのが儀式の流れだったそうです」
Wさん「そんな………」
女性「いくら困窮していたとは言え、今では考えられないほど残虐な行為ですよね。
でも、障がいを抱えていようがいまいが、自分の子どもを積極的に手放したい親なんて存在しません。医療や福祉の発達と共に、そういった子どもが生まれた家はすぐに村を出てしまうようになりました。
それを切っ掛けとして、一度はこの儀式を打ち止めにしようという意見も挙がり始めたそうです。まあ、元々が口減らしのために始めた儀式ですからね。
それで本当に次の儀式を一度止めてみたそうなんです。しかし、その途端に今までにないほど大不漁の年になってしまっただけでなく、水難事故も多発し、たくさんの村民の命が失われました。
これを“ぼちん様”の祟りと考えた村民は、自分たちが作り上げた偽の信仰が、いつしか本物の神様を誕生させてしまったことを自覚しました。
そこで、村の偉い人たちが集まり会議をしました。結局その年は、その時期にちょうど足に怪我を負って療養していた村の若者を差し出すことになりました。
ただ、毎年都合良く怪我人が出るはずもなく、かといって故意に負傷させようにも、名乗り出る村民もおらず、それどころか村を出て行ってしまう可能性もあり、ただでさえ少ない人口が減ることになります。
そこで考えついたのが、村の外から来た人間に怪我を負わせて贄とする案でした。だいたいは、逃亡防止も兼ねて足と目を傷つけて捧げたそうです。
でも、やはり信仰心の違いなのかわかりませんが、外部の人間よりも村民を“ぼちん様”にした方が豊漁かつ水難事故も少ないそうです。
そこで、村の偉い人たちはあるルールを作りました。『蛭子祭の時期、外部の人間を贄とするが、該当者がいなかった場合又は著しく不漁年だった場合は村人を捧げる』というものです。これは村民に大々的に知らされることはなく、偉い人たちやその身内の中で秘密裏に行われていたらしいです。
それ以降、村に大きな水害や不漁の年はなかったので、きっと私たちの知らないところでまだ儀式が行われているのでしょう……。というお話です」
Wさん「……想像以上にすごい話で圧倒されてしまいました。なんだか、元村民の方に言うのもなんですが、人の業が詰まった話というか……」
女性「私もそう思います。まあ、当時の私は現実味のないお伽噺のような感覚で聞いていましたが」
Wさん「そういえば、“ぼちん様”という名前の由来は?」
女性「うーん。私も詳しくは知りませんが、私が堤防の上で遊んでいると祖母が『ぼちんしないように。』と注意してきたので、漁村独自の方言から来てるのだと思います」
Wさん「あ、そうなんですね。てっきりもっと深い意味が込められているのかと……」
女性「ふふっ、現代の私たちが勝手に深読みしているだけで、案外真実は単純なものなのかもしれませんね。
ちなみに、祖母の話では儀式の数日前にぼちん様となる人にご馳走を振る舞ったことが、現在の賑やかなお祭りに繋がっているそうですよ。なんだかそれを聞いて、次の年から出店に行くのが怖くなっちゃいました」
Wさん「なるほど……。ちなみに、その儀式は現在でも行われているのでしょうか?」
女性「さあ…どうでしょう。私自身は見たことがありませんし、なぜか両親はそもそも“ぼちん様”の話題に触れることを嫌がるので……。
家族で唯一村に残った祖母は私が幼い頃に亡くなってしまったらしいですし、引っ越しを機に村の友人たちとも連絡を取っていないのでよくわかりません」
Wさん「そうですか。あの、差し支えなければでよろしいのですが、おばあ様が『亡くなってしまったらしい』というのは?」
女性「ああ、実は祖母が亡くなったというのは両親から聞いただけで、実際は死に目に会うことは疎か、葬儀すら行われませんでした。階段から落ちて骨折したという話を聞いていましたが、なぜかお見舞いにも行かせてもらえなかったです。
両親も幼い私と、死に向かう祖母を会わせることに抵抗があったのかもしれませんが……おばあちゃん子だったので当時はかなりショックでした」
Wさん「なるほど。辛い事を思い出させてしまい申し訳ございません。
それでは、本日のインタビューは以上になります。原稿が出来上がりましたら、また連絡させていただきます。ありがとうございました」
女性「こちらこそ、久しぶりに若い方とお話できて楽しかったです。どうもありがとうございました」
