そもそも、去年の冬休みにAと一泊二日の旅行でとある漁村に行ったことが始まりでした。
旅行の目的自体は、漁村の隣の市にある博物館の展示を見に行くことでした。
しかし、冬休みということもあり、県内でも中心地であったその市のホテルはどこも満室か、学生の貧乏旅行では手の出しにくい宿泊料金になっていました。
そこで、元々県内出身であるAの提案で、電車で数十分の場所にある漁村の民宿に泊まることにしました。
旅行当日、予想よりも早く博物館を見終わってしまった私たちは、夜までの時間潰しに困っていましたが、館内の掲示板で漁村で「恵比寿祭」というお祭りがその日に行われることを知り、早めに民宿に向かうことにしました。
電車から降りた後はAの案内で民宿に向かいました。予約時間よりもかなり早めに着いてしまいましたが、民宿の人は温かく迎え入れてくれました。
どうやら民宿を経営しているNさんという女性はAの叔母にあたる方だったらしく、Aも幼い頃に何度かこの村を訪れていたそうです。それを聞いて、Aがやけに村の地理に詳しかったり、ネットにも載っていない民宿を知っていたりすることに合点がいきました。
建物自体はとても古かったのですが、通された部屋は下手な旅館よりも綺麗で共用スペースまでしっかりと掃除が行き届いていました。
「わ、すごい綺麗。民泊って、もっと人の家感があると思ってたけど、なんか普通に旅館に泊まるのと大差ないね」
「そうでしょ? 元々叔母さんが綺麗好きなのもあるんだけど、今日明日は私たち以外の予約が入ってないし、せっかくだからって最近リノベーションした部屋にしてもらえたの」
後でお礼言わないとね、と私たちは笑い合ながら荷物を置きました。
すると、外から祭り囃子が聞こえてきました。
「あ、そういえばお祭りあるんだったね」
私たちはリビングにいるNさんに声をかけ、お祭りに出かけることにしました。
外に出て、Aの案内で村の大通りに出ると、たくさんの出店が道路の両側に並び、その間を大きな御神輿が通っていました。
「すごっ! 結構大きいお祭りなんだね」
私が驚いていると、
「こんな小さな村にしては盛大にやるよねー。ほら、御神輿も豪華でしょ?」
とAが御神輿を指さしました。
外装も煌びやかですが、何よりもその大きさです。一つの御神輿を屈強な男性達が、冬とは思えないほど大量の汗をかきながら引いていく様は圧巻でした。
「ちなみに、御神輿の真ん中の箱みたいになっている部分には御神体が入っているんだよ」
見ると確かに中央の箱状の部分には扉がついており、より豪華に装飾が施されていました。ただ、古いものなのか、箱のあちこちにシミのようなものが出来ているのが遠目でもわかりましたが、それもまたお祭りの歴史を感じさせます。
「っていうか、A、村について本当に詳しいね。たまに遊びに来てた程度なんでしょ?」
と私が問うと、Aは御神輿を眺めながら
「あー、私の叔父さん、N叔母さんの旦那さんね。その人がこの島唯一の神社の宮司さんやってるの。だから、昔から村の歴史とか教えてもらってたんだ」
と答えました。
「え、すごいね。その神社ってどこらへんにあるの?」
「ほら、あそこ。小高い山みたいになっているところの頂上だよ」
Aが指した方を見ると、小さく鳥居が見えました。また、その鳥居を起点として提灯の明かりが大通りまで続いています。
「せっかくだし、出店ぶらぶら見ながら行ってみる?」
「え、うん! 行ってみたい!」
私が大きく頷くと、Aは嬉しそうに笑みをこぼしました。しかし、久々に叔父さんと対面するからか、その顔はどこか緊張しているようでした。
本殿へと向かう階段は人でごった返しており、なかなか前に進めませんでした。
するとAが、
「あ、私、裏道知ってるよ。このままだと夕食に間に合わないかもだし、そっち使おう!」
と言い出しました。ついて行くと、どんどん人通りの少ない道に進んでいきます。
「ここ! ちょっと急だけど、ゆっくり行けば大丈夫だから」
Aが連れてきたのは、山の裏側でした。鬱蒼と茂った木々の隙間から、小さな石段が上へと続いているのが見えます。不安しかありませんでしたが、一人で宿まで帰れる自信もないので促されるままAの腕を掴み、石段を上がっていきました。
最初は談笑しながら上っていましたが、途中から疲労と日も暮れ始めたことへの焦燥からかAの口数も減り、心なしかペースも上がっていきました。私も慣れない運動でやっとの思いでAについていきました。
すると、急にAが立ち止まりました。何だろうと訝しみつつ一段上がろうとしたその時、私の右足が空を切りました。私は自分が滑落することを予期すると、咄嗟に巻き込まないようAの腕を離しました。暗がりでAの驚き引きつった表情が見えました。
「もうダメだ」と思い目をつむった次の瞬間、なぜか全く体が動かないことに気付きます。
目を開けると、私は石段の上に前のめりで倒れていました。
多少、手の甲などを擦りむいていましたが、強い痛みや怪我はなさそうでした。
ホッとしたのも束の間、Aの姿が見当たりません。名前を呼びながら周囲に目を向けると、下の方から小さくうめき声が聞こえました。見ると、Aが石段したに蹲る形で倒れています。Aは私を庇って石段から落ちたのだと一瞬で理解できました。
私は急いでAのところまで向いました。
「A! 大丈夫!?」
と呼びかけましたが、Aは痛みで声が出せないようで、ただ「うう……」とうめくだけでした。
「誰か!誰か来て下さい!」
と大声で呼びかけますが、元々人通りも少ない路地を進んできた場所に気付いてくれる人はいません。
このまま誰も来てくれないのではないかという不安と何も出来ない自分への苛立ちで涙を流していると、
「大丈夫ですか?」
と後ろから声をかけられました。
振り返ると、そこには装束を着た初老の男性が立っていました。
「こ、この子が私を庇って石段から落ちてっ……!」
パニックになりながらも私がAを指すと、男性は
「あれ? Aちゃんじゃないか?! 大丈夫かい?!」
とAに駆け寄りました。
どうやら男性はAの話していた宮司の叔父さんだったらしく、その後は応急処置に加え、民泊まで私とAを連れて行ってくれました。
宿に着くと、事情を前もって聞いていたらしく、Nさんが既に布団を敷いておいてくれました。横になった後もAは終始辛そうにしていましたが、旅の疲れもあってか早めに眠りについていました。
スヤスヤと寝息をたてるAの様子にホッとしていると、部屋の外からNさんに声をかけられました。
「大変だったわね。ごめんなさい、どうせお客さんも他にいなかったし、私もついて行ってあげればよかったわ」
「いえ、Nさんのせいじゃないです。むしろ悪いのは私です。多分、階段から落ちそうになった私をAが庇ってくれたんだと思います。本当に申し訳ないことをしました」
「そんなに気に病まないで。明日、Aは病院に連れて行くから」
Nさんは優しい声で慰めてくれました。続けて、
「あ、そうだ。色々あったから夕飯も食べてないでしょ? 出来合いのものでよければ作れるわよ。ちょっとこっちにいらっしゃい」
こんなことがあった後であまり食欲は湧きませんでしたが、Nさんのご厚意を無碍にすることもできず言われるがまま、共用の食事スペースに入ると、そこには出来合いのものとは思えないほど、豪勢な料理の数々が並んでいました。
私が、
「えっと、いいんですか? こんなに豪華な料理。高そうなお刺身とかありますけど。その…追加料金とか……」
と恐る恐る質問すると、Nさんは豪快に笑いながら
「いいのよ。これから豊漁の時期になるし、冷蔵庫の整理もしなきゃだしね」
と言いました。
有り難くちょっと遅めの夕食をいただいた後、部屋に戻り私も布団に入りました。私も疲労が溜まっていたため、すぐに寝付いてしまいました。
翌朝、村の病院に行くためにAとNさんは早くから宿を出て行きました。
私は、宿にいても落ち着かず、かと言って村の観光スポットを知っているわけでもなかったので、昨日行くことのできなかったあの神社に向かいました。
昨晩は人でいっぱいだった正面の階段も今日は閑散としていました。
上まで上ると、遠くからは見えなかった本殿が現れました。こう言ってはなんですが、本殿の見た目にこれといった特徴はなく、一般的な神社そのものでした。
お参りを済ませると、境内の端に設置されたベンチに座りました。ベンチは外向きに置かれており、村と海を一望でき、昨晩の転落事故で疲弊していた心が癒やされていくのを感じました。
「おや、こんにちは」
ボケッとしていた私は、急に隣から聞こえた声に驚いて飛び上がりました。
「申し訳ない。驚かせるつもりはなかったんだけど」
見ると昨晩の宮司さんが立っていました。
私は慌てて立ち上がりながら、
「こちらこそ、すみません。気付かなくて。えっと…、昨日は助けていただきありがとうございました」
とお礼を述べました。
「いやいや、当然のことをしたまでですよ。それより、君たちも災難でしたね。二人とも大丈夫でしたか?」
「はい、私はかすり傷で済んだのですが……。Aは足がかなり腫れてしまって…今日、村の病院にNさんが連れて行ってくれています」
姪っ子の予想外の大怪我にショックを受けたのか、宮司さんの表情が、一瞬固まったような気がしました。が、すぐに元のにこやかな顔に戻り、
「そうでしたか。大事に至っていないことを祈ります。Aちゃんにもお大事にとお伝えください」
と優しく言ってくれました。
その後は、今回の旅行の思い出話や村に関する話などをいくつか話しました。その中で、私は昨日のお祭りで気になったことを質問しました。
「そういえば、昨晩の御神輿すごかったです。確か、御祭神が乗せられているんですよね? やっぱりお祭りの名前通り恵比寿様なんですか?」
「半分当たっていて、半分違いますね。この地域独自の神様、我々が“ぼちん様”と呼ぶ神様が祀られています。漢字は…母に鎮魂の鎮と書きます。母なる海を鎮めて村民が平和に暮らせるように見守って下さっている神様です。ただ、漁師町ということもあり、いつしか外から入ってきた恵比寿信仰と結びついた形になっています」
話し終えると宮司さんは、これから重要な職務があるからと社務所の方に戻っていきました。私もそろそろAが戻ってきているかもと宿に戻りました。
宿に着くと、やはりAとNさんは既に病院から帰ってきていました。
Aの容体について聞くと、どうやら骨折していたらしく、見ると患部が昨晩よりもさらに酷く腫れていました。
歩くこともかなり難しいとのことで、このままAはNさんの家に続けて滞在することになりました。
Nさんから私にも残って欲しいと言われ、私もそのつもりでいたのですが、Aに
「明後日、第一志望の会社説明会があるんでしょ。たぶん私はしばらく帰れなさそうだし、そっちを優先して」
と言われました。
不安は残りましたが、親戚の所に泊まるのだし、もしもの時は県内に両親がいるから大丈夫とAから再度言われてしまいました。そのため、都内に帰ってきたら再会することを約束し、私は帰路につきました。
帰り際、Aは寂しそうに笑って手を振っており、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
旅行から帰宅後、念のためA宛てに無事帰宅した旨をメッセージアプリで連絡しました。Aからの返信は来ませんでした。私自身、その後しばらくは就活関係でバタバタし始めていたこともあり、その時点ではあまり気にしていませんでした。
しかし、一ヶ月ほど経ってもメッセージへの既読もつきません。試しに、彼女の住んでいたマンションと以前教えてもらったバイト先にも行ってみましたが、マンションは一ヶ月前に解約済み、バイトもマンションとほぼ同時期に電話一本で辞めてしまったことがわかりました。念のため電話番号を控えておいたNさんの民泊にも電話をかけましたが、こちらも繋がることはありませんでした。
本来なら彼女の実家に連絡を取るべき事態なのですが、彼女とは大学生になってからSNSを通じて知り合った仲ですので、親御さんの連絡先もわかりません。
藁にも縋る思いで警察にも相談をしましたが、友人関係でしかない私が出した捜索願は受理することができないと言われてしまい、その後はひたすらメッセージアプリと相互フォローをしているSNSの投稿やDMを気にかけることしかできませんでした。
旅行の目的自体は、漁村の隣の市にある博物館の展示を見に行くことでした。
しかし、冬休みということもあり、県内でも中心地であったその市のホテルはどこも満室か、学生の貧乏旅行では手の出しにくい宿泊料金になっていました。
そこで、元々県内出身であるAの提案で、電車で数十分の場所にある漁村の民宿に泊まることにしました。
旅行当日、予想よりも早く博物館を見終わってしまった私たちは、夜までの時間潰しに困っていましたが、館内の掲示板で漁村で「恵比寿祭」というお祭りがその日に行われることを知り、早めに民宿に向かうことにしました。
電車から降りた後はAの案内で民宿に向かいました。予約時間よりもかなり早めに着いてしまいましたが、民宿の人は温かく迎え入れてくれました。
どうやら民宿を経営しているNさんという女性はAの叔母にあたる方だったらしく、Aも幼い頃に何度かこの村を訪れていたそうです。それを聞いて、Aがやけに村の地理に詳しかったり、ネットにも載っていない民宿を知っていたりすることに合点がいきました。
建物自体はとても古かったのですが、通された部屋は下手な旅館よりも綺麗で共用スペースまでしっかりと掃除が行き届いていました。
「わ、すごい綺麗。民泊って、もっと人の家感があると思ってたけど、なんか普通に旅館に泊まるのと大差ないね」
「そうでしょ? 元々叔母さんが綺麗好きなのもあるんだけど、今日明日は私たち以外の予約が入ってないし、せっかくだからって最近リノベーションした部屋にしてもらえたの」
後でお礼言わないとね、と私たちは笑い合ながら荷物を置きました。
すると、外から祭り囃子が聞こえてきました。
「あ、そういえばお祭りあるんだったね」
私たちはリビングにいるNさんに声をかけ、お祭りに出かけることにしました。
外に出て、Aの案内で村の大通りに出ると、たくさんの出店が道路の両側に並び、その間を大きな御神輿が通っていました。
「すごっ! 結構大きいお祭りなんだね」
私が驚いていると、
「こんな小さな村にしては盛大にやるよねー。ほら、御神輿も豪華でしょ?」
とAが御神輿を指さしました。
外装も煌びやかですが、何よりもその大きさです。一つの御神輿を屈強な男性達が、冬とは思えないほど大量の汗をかきながら引いていく様は圧巻でした。
「ちなみに、御神輿の真ん中の箱みたいになっている部分には御神体が入っているんだよ」
見ると確かに中央の箱状の部分には扉がついており、より豪華に装飾が施されていました。ただ、古いものなのか、箱のあちこちにシミのようなものが出来ているのが遠目でもわかりましたが、それもまたお祭りの歴史を感じさせます。
「っていうか、A、村について本当に詳しいね。たまに遊びに来てた程度なんでしょ?」
と私が問うと、Aは御神輿を眺めながら
「あー、私の叔父さん、N叔母さんの旦那さんね。その人がこの島唯一の神社の宮司さんやってるの。だから、昔から村の歴史とか教えてもらってたんだ」
と答えました。
「え、すごいね。その神社ってどこらへんにあるの?」
「ほら、あそこ。小高い山みたいになっているところの頂上だよ」
Aが指した方を見ると、小さく鳥居が見えました。また、その鳥居を起点として提灯の明かりが大通りまで続いています。
「せっかくだし、出店ぶらぶら見ながら行ってみる?」
「え、うん! 行ってみたい!」
私が大きく頷くと、Aは嬉しそうに笑みをこぼしました。しかし、久々に叔父さんと対面するからか、その顔はどこか緊張しているようでした。
本殿へと向かう階段は人でごった返しており、なかなか前に進めませんでした。
するとAが、
「あ、私、裏道知ってるよ。このままだと夕食に間に合わないかもだし、そっち使おう!」
と言い出しました。ついて行くと、どんどん人通りの少ない道に進んでいきます。
「ここ! ちょっと急だけど、ゆっくり行けば大丈夫だから」
Aが連れてきたのは、山の裏側でした。鬱蒼と茂った木々の隙間から、小さな石段が上へと続いているのが見えます。不安しかありませんでしたが、一人で宿まで帰れる自信もないので促されるままAの腕を掴み、石段を上がっていきました。
最初は談笑しながら上っていましたが、途中から疲労と日も暮れ始めたことへの焦燥からかAの口数も減り、心なしかペースも上がっていきました。私も慣れない運動でやっとの思いでAについていきました。
すると、急にAが立ち止まりました。何だろうと訝しみつつ一段上がろうとしたその時、私の右足が空を切りました。私は自分が滑落することを予期すると、咄嗟に巻き込まないようAの腕を離しました。暗がりでAの驚き引きつった表情が見えました。
「もうダメだ」と思い目をつむった次の瞬間、なぜか全く体が動かないことに気付きます。
目を開けると、私は石段の上に前のめりで倒れていました。
多少、手の甲などを擦りむいていましたが、強い痛みや怪我はなさそうでした。
ホッとしたのも束の間、Aの姿が見当たりません。名前を呼びながら周囲に目を向けると、下の方から小さくうめき声が聞こえました。見ると、Aが石段したに蹲る形で倒れています。Aは私を庇って石段から落ちたのだと一瞬で理解できました。
私は急いでAのところまで向いました。
「A! 大丈夫!?」
と呼びかけましたが、Aは痛みで声が出せないようで、ただ「うう……」とうめくだけでした。
「誰か!誰か来て下さい!」
と大声で呼びかけますが、元々人通りも少ない路地を進んできた場所に気付いてくれる人はいません。
このまま誰も来てくれないのではないかという不安と何も出来ない自分への苛立ちで涙を流していると、
「大丈夫ですか?」
と後ろから声をかけられました。
振り返ると、そこには装束を着た初老の男性が立っていました。
「こ、この子が私を庇って石段から落ちてっ……!」
パニックになりながらも私がAを指すと、男性は
「あれ? Aちゃんじゃないか?! 大丈夫かい?!」
とAに駆け寄りました。
どうやら男性はAの話していた宮司の叔父さんだったらしく、その後は応急処置に加え、民泊まで私とAを連れて行ってくれました。
宿に着くと、事情を前もって聞いていたらしく、Nさんが既に布団を敷いておいてくれました。横になった後もAは終始辛そうにしていましたが、旅の疲れもあってか早めに眠りについていました。
スヤスヤと寝息をたてるAの様子にホッとしていると、部屋の外からNさんに声をかけられました。
「大変だったわね。ごめんなさい、どうせお客さんも他にいなかったし、私もついて行ってあげればよかったわ」
「いえ、Nさんのせいじゃないです。むしろ悪いのは私です。多分、階段から落ちそうになった私をAが庇ってくれたんだと思います。本当に申し訳ないことをしました」
「そんなに気に病まないで。明日、Aは病院に連れて行くから」
Nさんは優しい声で慰めてくれました。続けて、
「あ、そうだ。色々あったから夕飯も食べてないでしょ? 出来合いのものでよければ作れるわよ。ちょっとこっちにいらっしゃい」
こんなことがあった後であまり食欲は湧きませんでしたが、Nさんのご厚意を無碍にすることもできず言われるがまま、共用の食事スペースに入ると、そこには出来合いのものとは思えないほど、豪勢な料理の数々が並んでいました。
私が、
「えっと、いいんですか? こんなに豪華な料理。高そうなお刺身とかありますけど。その…追加料金とか……」
と恐る恐る質問すると、Nさんは豪快に笑いながら
「いいのよ。これから豊漁の時期になるし、冷蔵庫の整理もしなきゃだしね」
と言いました。
有り難くちょっと遅めの夕食をいただいた後、部屋に戻り私も布団に入りました。私も疲労が溜まっていたため、すぐに寝付いてしまいました。
翌朝、村の病院に行くためにAとNさんは早くから宿を出て行きました。
私は、宿にいても落ち着かず、かと言って村の観光スポットを知っているわけでもなかったので、昨日行くことのできなかったあの神社に向かいました。
昨晩は人でいっぱいだった正面の階段も今日は閑散としていました。
上まで上ると、遠くからは見えなかった本殿が現れました。こう言ってはなんですが、本殿の見た目にこれといった特徴はなく、一般的な神社そのものでした。
お参りを済ませると、境内の端に設置されたベンチに座りました。ベンチは外向きに置かれており、村と海を一望でき、昨晩の転落事故で疲弊していた心が癒やされていくのを感じました。
「おや、こんにちは」
ボケッとしていた私は、急に隣から聞こえた声に驚いて飛び上がりました。
「申し訳ない。驚かせるつもりはなかったんだけど」
見ると昨晩の宮司さんが立っていました。
私は慌てて立ち上がりながら、
「こちらこそ、すみません。気付かなくて。えっと…、昨日は助けていただきありがとうございました」
とお礼を述べました。
「いやいや、当然のことをしたまでですよ。それより、君たちも災難でしたね。二人とも大丈夫でしたか?」
「はい、私はかすり傷で済んだのですが……。Aは足がかなり腫れてしまって…今日、村の病院にNさんが連れて行ってくれています」
姪っ子の予想外の大怪我にショックを受けたのか、宮司さんの表情が、一瞬固まったような気がしました。が、すぐに元のにこやかな顔に戻り、
「そうでしたか。大事に至っていないことを祈ります。Aちゃんにもお大事にとお伝えください」
と優しく言ってくれました。
その後は、今回の旅行の思い出話や村に関する話などをいくつか話しました。その中で、私は昨日のお祭りで気になったことを質問しました。
「そういえば、昨晩の御神輿すごかったです。確か、御祭神が乗せられているんですよね? やっぱりお祭りの名前通り恵比寿様なんですか?」
「半分当たっていて、半分違いますね。この地域独自の神様、我々が“ぼちん様”と呼ぶ神様が祀られています。漢字は…母に鎮魂の鎮と書きます。母なる海を鎮めて村民が平和に暮らせるように見守って下さっている神様です。ただ、漁師町ということもあり、いつしか外から入ってきた恵比寿信仰と結びついた形になっています」
話し終えると宮司さんは、これから重要な職務があるからと社務所の方に戻っていきました。私もそろそろAが戻ってきているかもと宿に戻りました。
宿に着くと、やはりAとNさんは既に病院から帰ってきていました。
Aの容体について聞くと、どうやら骨折していたらしく、見ると患部が昨晩よりもさらに酷く腫れていました。
歩くこともかなり難しいとのことで、このままAはNさんの家に続けて滞在することになりました。
Nさんから私にも残って欲しいと言われ、私もそのつもりでいたのですが、Aに
「明後日、第一志望の会社説明会があるんでしょ。たぶん私はしばらく帰れなさそうだし、そっちを優先して」
と言われました。
不安は残りましたが、親戚の所に泊まるのだし、もしもの時は県内に両親がいるから大丈夫とAから再度言われてしまいました。そのため、都内に帰ってきたら再会することを約束し、私は帰路につきました。
帰り際、Aは寂しそうに笑って手を振っており、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
旅行から帰宅後、念のためA宛てに無事帰宅した旨をメッセージアプリで連絡しました。Aからの返信は来ませんでした。私自身、その後しばらくは就活関係でバタバタし始めていたこともあり、その時点ではあまり気にしていませんでした。
しかし、一ヶ月ほど経ってもメッセージへの既読もつきません。試しに、彼女の住んでいたマンションと以前教えてもらったバイト先にも行ってみましたが、マンションは一ヶ月前に解約済み、バイトもマンションとほぼ同時期に電話一本で辞めてしまったことがわかりました。念のため電話番号を控えておいたNさんの民泊にも電話をかけましたが、こちらも繋がることはありませんでした。
本来なら彼女の実家に連絡を取るべき事態なのですが、彼女とは大学生になってからSNSを通じて知り合った仲ですので、親御さんの連絡先もわかりません。
藁にも縋る思いで警察にも相談をしましたが、友人関係でしかない私が出した捜索願は受理することができないと言われてしまい、その後はひたすらメッセージアプリと相互フォローをしているSNSの投稿やDMを気にかけることしかできませんでした。
