トイレから姿を現したねりちゃんは、周囲を見回して何かを確認してから俺の方へと歩み寄ってくる。
 本当に幽霊でも現れたのかと思って驚いたが、見慣れた人物であったことに安堵した。

「ユージちゃん、ちょっと」

「ん? ああ」

 ねりちゃんはスマホを伏せるようにして、マイク部分を掌で覆っている。
 先ほどの牛タルと同様に、聞かれたくないのだろうと思った俺はまたタブレットを遠ざけた。

「……もしかして、今の話聞いてた?」

「…………聞いてた」

「やっぱり」

「アタシ、聞くつもりじゃなかったんだよ? たまたまトイレ探してて、騒いでるの聞いて二人が保健室にいるってわかったから、出てきたトコを驚かそうと思って待機してたの。そしたら……」

 牛タルが、思わぬ告白をしたということか。
 普段は飄々(ひょうひょう)としているねりちゃんの頬は、薄暗い視界の中でもわかるくらいに赤く染まっている。

 二人がラブラブなことは周知の事実だが、まさかあんな風に真剣に考えてくれているとは思っていなかったのかもしれない。

「アタシもね、違ったんだ。トゴウ様へのお願い」

「違ったって?」

「……牛タルと、ずっと一緒にいられますようにって。そうお願いしようと思ってた」

 なるほど、食物連鎖の二人は互いに互いのことを想って願い事をしていたのか。

 トゴウ様に頼らなくとも、牛タルとねりちゃんであればきっと幸せになれるだろうに。二人の本音を聞かされた今だからこそ、余計にそう思う。

「……願いが叶うのは一人だけどさ。誰かに叶えてもらわなくたって、二人は絶対幸せになれるよ。それって多分、今のねりちゃんが一番よくわかってるんじゃないかと思う」

 トゴウ様なんて都市伝説を、そもそも信じていないとは言えなかった。けれど独り身である俺でも、やっかみも無く二人を応援しようと素直に思える。

 照れたようにはにかむ笑みを浮かべるねりちゃんは幸せそうで、夫婦になっても人気のMyTuberとして活躍していくのだろう。

 その時は二人の絆をより深めるきっかけを作った友人として、動画を撮らせてはもらえないだろうか?

「ありがと、ユージちゃん。……隠し場所は教えちゃダメだけど、隠されてない場所を共有しちゃダメってルールは無かったよね?」

「ああ、そのはずだけど」

「じゃあここのトイレと、そこの用務員室には人形無かったよ。探すなら他の場所がいいかも」

 そう伝えてくれたねりちゃんは、別の階へ移動するために階段を駆け上がっていった。

 人形を見つけさせないために、嘘をついている可能性もある。だが、ねりちゃんがそうするとは思えなかった俺は、彼女の言葉を素直に信じることにした。

(俺の人形……)

 スマホを取ろうとしてポケットに入れた手を、何も取り出すことなく再び外に出す。

 トゴウ様なんてただの作られた都市伝説だと、参加したメンバーの誰もがわかっているだろう。だが、その上で真剣な願いを胸に人形探しを続けているメンバーがいる。

 始めは動画の撮れ高のためにと思ったが、不正を働くのはやはり良くないと考え直した。見つけられなかったとしたら、それはそれでいい。

 俺は一階の反対側に行くために移動を始めて、途中で一年生の教室を覗きつつ、昇降口の前で足を止めた。

「待てよ。ここ……意外と穴場だったりして。なあ、リスナーのみんなはどう思う?」

 下駄箱は木製で蓋がなく、直接靴を出し入れできるようになっている。
 蓋が無いので隠し物をするには向いていないと思われるだろうが、その思考を逆手にとって隠したメンバーもいるかもしれない。

(俺の考えと同じで、スタート地点に隠そうとはなかなか思わないだろうし)

 そう思って下駄箱の一つ一つを覗き込んでみたのだが。結果的に誰のものかわからない、ボロボロの靴やゴミがいくつか見つかっただけだった。

「全然穴場じゃなかったわ。まあ、他に隠せる場所なんていくらでもあるもんなあ。……あれ?」

 成果を得られなかった俺は、ついでにすっかり暗くなった外の景色も撮影しておこうと、昇降口から校庭へカメラを向ける。

 そのまま扉を開けようとしたのだが、残念ながらそれは叶わなかった。

「あれ、鍵ってかけて……ないよな……?」

 校舎の鍵を管理しているのは俺だし、扉を閉めた時に鍵をかけた記憶はない。

 誰かが鍵をかけたとすれば内鍵なのですぐに開けられるはずだが、鍵がかかっているわけではないようだった。

「鎖も外れたままになってるのに、何で開かないんだ? もしかして、古くなりすぎて扉がイカれた……?」

 ガラス越しに外を覗き込んでみるが、外から鎖が巻かれている様子もない。

 部外者がたまたま不法侵入をしてきて、中にいる俺たちを困らせるために鎖を閉めた可能性も考えられるのかと思ったのだが。

「……そうか、またダミーちゃんあたりがイタズラしたんだな。マジでそういう方面に頭回りすぎじゃないか?」

 そこで俺は、先ほどの保健室でのやり取りを思い出して犯人に目星をつける。
 恐らくダミーちゃんは、人形をさっさと隠した上で残り時間をもれなくイタズラに充てたのだろう。

 不思議ちゃんで破天荒な動画をアップし続けている彼女なら、このくらいやっていてもおかしくはない。

 どのみち人形探しが終わるまで、外に出る理由はないのだ。俺は昇降口から引き返すと、向かいにある四年生の教室を調べ始めることにした。

『うーん、ここもハズレ! アタシの人形ちゃんどこ~?』

『この部屋暗すぎませんか……? 電気点けさせてほしい』

『見っけ! ……って、何だよこれ人形じゃねーし!』

 タブレットからは、メンバーたちの賑やかな声が聞こえてくる。
 喋り続けるのは難しいので無音になることもあるが、やはりビデオ通話を繋いで撮影するという判断は正解だったと思う。

「俺の方もハズレ。けど自分のじゃないだけで、人形見つけた奴いるだろ?」

『さて、どーでしょ~?』

『うわ、絶対見つけた奴の言い方じゃん。ユジっち俺クンの人形どこやったのー!?』

「それはルール違反だから言わんでしょ」

 和やかな空気に思わず目的を忘れて、このまま談笑したくなる。

 始めは人形を見つけて撮れ高を作ることを目的としていたが、メンバーとこうして楽しみながら作れる動画なら、それはそれでいいのかもしれない。

「真面目にやるつもりがねーならテメエら全員オレの人形探ししろや!!!!」

「ッ……!!」

 そんな平和な思考は、突如として響いた怒号に一瞬にしてかき消されてしまう。その声の主が誰なのかは、考えるまでもなかった。

「……財王さん、落ち着いてくださいよ。一応撮影してるんで……ね?」

 昇降口を抜けて隣の家庭科室に到着した俺は、向かいのトイレから出てくる財王さんに、できる限りの作り笑顔を向けたのだった。