日本医薬総合学会発行・会報「ファルマニア」■和七年十二月号
オピニオン:H神宮事件の悲劇を繰り返さないために
安達翔吾(理科学研究所)

 新年早々からH神宮事件が起こり、日本近代史にも残るであろう悲惨な幕開けをした■和七年も、残すところ一ヶ月となった。私は事件調査のため設置された第三者委員会のメンバーとして一年近くにわたりこの事件と向き合ってきたが、調べれば調べるほどに、この事件は起こるべくして起こったという思いが強まるばかりであった。この惨劇を引き起こしたK大学 大学院薬学研究科 吉田研究室の学生や研究員、ならびにOB達の証言から明らかになったのは、吉田教授のあまりに高圧的・権威主義的な研究室運営の姿勢である。吉田教授は自らの主張に対して研究室員達が異論を挟んだり意に沿わないデータを持ってきたりしようものなら、たちまち目を吊り上げ「大した業績も無いポスドクが私に意見するのか」「君の実験技術は中学生以下だ」等のアカデミック・ハラスメント(アカハラ)まがい、否、アカハラそのものと評する他ない言葉で恫喝するのが常だったという。このため、研究室では吉田教授の機嫌を損ねるような言葉は何であれ口にすることなどできないという空気が醸成されていたとのことである。このような吉田研究室の風潮が、あのような悲惨な結果を招いたことは論を待たない。よく歴史にifは無いと言われるが、仮に吉田研究室がもっと自由闊達に意見を言える風通しの良いラボであったなら、あの事件もヒヤリハット事例の一つに収まったのではないだろうか。
 この一件をきっかけとしてK大学では全学的なアカハラ調査も行われたが、その結果分かったことは、研究室員に対し吉田教授と同様の高圧的な姿勢で接している者の多さである。研究室における心理的安全性の低さは、研究室主宰者の意に沿ったデータを出さなくてはならないというプレッシャーから実験データの捏造や改竄にも繋がることはよく知られている(なお、事件をきっかけとして過去に吉田研究室から発表された論文にも注目が集まった結果、それらの論文のいくつかについて不正疑惑が浮上していることは私も承知しているが、それに対するコメントはここでは控えさせていただく)。読者諸氏にはこの一件を他人事ととらえず、今一度、自らの研究室運営の姿勢について省みる機会としていただきたいと思う。それこそが、失われてしまった大学への信頼を取り戻すための長い道の一歩である。