中高生、思春期、人生一度きりの青春。
熱中できる何かを求め迷走することが、「若気の至り」の名のもとに許されている残酷な季節。数百人もの高校生が集まれば、自意識のぶつけ先を文章に求めてしまう者だって数人はいるものだ。
けれど、文章を書くというのは本当に難しい。こんなものを書いたって、誰の心にも、何の感動も与えることが出来ないのかもしれないという不安と戦い続ける羽目になる。結華があの日語っていた、鋭敏な感性は誰しもが持っているわけじゃない。自分が、何も生み出せないちっぽけな存在だなんて信じたくない。でも生半可では、人の感情を動かすことはできない。
でも、恐怖なら。
例えば、突然大きな音が響く。ドアが突然叩かれる。自分のすぐそばで、本当かもしれない話、を聞かされる。自分の身に危険を感じる時、咄嗟に「怖い」と思うのは人間の本能だと、あの日皆は思い出した。必要なのは非凡な文才でもセンスでもない。リアリティさえあれば、「怖い」と確実に評価される。
なんてコスパの良い、自己実現の方法!
美波先輩は、現実を恐怖の素材に引きずり落とした。なんてことないドッキリだったけど、身に迫る恐怖の有効性を知らしめるには十分だった。示し合わせたわけでもないのに、それから一か月も経たないうちに部員が作品を三つも発表し、そのすべてが怪談だったこと。そこから明確になにかが狂い始めていたのだろう。
一人は、とある木箱についてのレポート形式の作品を書いた。
「この間、祖父の家で偶然見つけたの」
と言って、皆が見ている前でそれを開けた。中には蝉の死骸が大量に入っていた。詰めが甘いと思った。
一人は、怨念で死んだ女の幽霊が出てくる怪談を書いた。途中、皆が見ている前で大声で叫び、隣の席の生徒に襲いかかって首に爪を立てた。取り押さえて数分の後、
「本当に取り憑かれてたんだ、怖くない?」
と言って、演劇部の新入部員みたいに大げさに、にたにた笑った。芝居臭いと思った。
一人は、幽霊を呼ぶ儀式を調べたと言い、目の前でそれを実践した。
「儀式を成就させるには、血が必要なんだ」
と言って、広げた原稿用紙には黒茶けた血がこびりつき、スカートからのぞくふくらはぎにはてらてらと膿でぬめったかさぶたが覗いていた。ただただ気持ちが悪かった。
誰かの演出が披露されるたびに、他の皆は寒い芸人みたいな声を上げ、思わず椅子から立ち上がり、涙ぐんでしゃくりあげる。
「全然怖くない」
ふくらはぎの裏をさすりながら、耐えかねて私はとうとう呟いた。全員の目が揃ってこっちを見ていた。
「こないだの時は肩びくつかせてビビってたじゃん」
「あの時は怖かったけど、二番煎じじゃ流石に驚けないよ。ぶっちゃけ心の準備ができてたし、最初みたいには……」
言い終えてから、かつて結華にたしなめられた「書いてもいない奴が」という苦言が頭をよぎる。その点については反論されてもどうしようもない。覚悟の上だった。けれど。
「まぁ、仕方ないんじゃない? 怖いと感じるかどうかって人それぞれだし」
そう答えたのは美波先輩だった。皆が口々に声を上げる。
「うん、怖がるのにだって得意不得意があるもん」
「怖いと思える感受性ってのもあるしね。私は怖いと思ったけど」
その声に、確かな優越感を感じ取ったのは、私の被害妄想かもしれない。けれど、ただ心が広い、で片付けるには彼らの声はいやなとろけかたをしていた。
自分の作品を否定されて腹を立てない創作者には二種類いると、いつだったか結華が語っていた。
「一つは、本当に心が広くて、様々な意見をフラットに受け止められる者。そして、自分の作品を理解し得ない読者の感受性が低いと切り捨てる者だ」
怖がれない私、はこの瞬間、感受性が低い奴と切り捨てられた。ここでは、怖がり、怖がらせることがルールになっている。他人を怖がらせられること、そして、他人の作品で怖がることが出来ること。あらゆる価値観が恐怖に上書きされていた。それを悟った私はもう何も発言できない。
咄嗟に結華に視線を向ける。
「これくらいじゃ、怖くないんだね」
違う、という叫びは、結華の静かな目に吸い込まれるように消え失せた。怖い話に夢中で、誰も私達を見ていなかった。
「血ってやっぱりビジュアルとして強いよね」
「だよねー。でもインパクトはちょっと弱いんじゃないかな。かさぶた程度なら割と身近だし」
「虫は身近でもその量だとぞっとしたよ」
「でも虫も耐性あるひとは強いからなー。毒があるとか人を襲うとかならいいんだけどね」
「だれかに実際やってみりゃいいじゃん。苦手そうな人みつけてさ。発狂してくれたらラッキーってことで」
誰かがドアの向こうで息をひそめている。誰の仕込みだろうか。いつ怖がらせてくるのだろうか。
