例の部誌の真相を知ることになったのは、私が結華を焚きつけてからわずか一週間ほどのことだった。『文芸部』仲間の美波先輩が新作ができたと、部員たち──はっきりとした名簿なんて無いけれど──を集めたのだ。その割には事前に原稿がメールで送られてくるわけでも、やってきた美波先輩の手に原稿が握られているわけでもない。
 椅子を車座に並べ、美波先輩が窓を背にしてにやりと笑う。おもむろに窓に近づくと、カーテンを一気に閉めた。西日だけが光源だった部屋は一気に薄暗くなり、目が慣れない中で美波先輩は語りだした。原稿も見ずに。
 美波先輩がこの時語った話の詳細は割愛する。この程度で影響は出ないと思うけれど、100%ではないから。例の部誌に纏わる話で、同時にとてもありきたりな「学校の怪談」という言葉で片付けられるような、他愛もない噂話だった、とだけ書いておこう。
 けれど、冷房の効いた薄暗い部屋で巧みに抑揚をつけながら語られる、かつてこの学校で起きたかもしれない怪談。美波先輩の話には、少なくとも数分間、皆を引き込む魅力があった。そしてその緊張がピークに達した時。
 ガシャンガシャンガシャンガシャン!
 張りつめた聴覚を殴る様な鋭い音に、思わず叫び声をあげたのは私だけではなかった。部室の扉が凄まじい勢いで揺れている。何かが必死で押し入ろうとしているみたいに。
 音は鳴りやまない。凍り付いた空気の中でくつくつと笑い声が聞こえる。皆の視線が一斉に彼女に向けられる。さっきまで、怪談を読み上げていた声。それはだんだんと押し殺した忍び笑いから、あっけらかんとした大笑に変わっていった。
「いい反応するねー」
 美波先輩だけが、薄明るい部屋の中で無邪気に笑っている。本当に何かに憑かれてしまったのかと不安が膨らみ、精神が引き攣れ、取り乱しそうな自分を必死に抑える。しかし次の瞬間、半分笑い声交じりのままで彼女は続けた。
「もういいよ、ご協力ありがとう!」
 美波先輩が扉に向かってそう叫ぶと音はぴたりと止んだ。どういうこと、と結華が誰にともなく呟く。
「せっかくなら全力で怖がらせてやろうと思って。ちょっと仕込みをねー。合図を出したら廊下側から扉を叩いてくれ、って頼んどいたんだ。ほら、こういうときって神経が敏感になるでしょ。簡単な演出でも効くんじゃないかなーって、でもまさかこんなに怖がってくれるとは」
 まだ笑いが収まらないといった風な調子で、美波先輩は打って変わって軽やかな調子で続けた。
 美波先輩は放送部を兼部していて唯一学年が違うということもあり、他の部員からの尊敬のまなざしを集めて平気な顔をしていた。声がいいから自信がつくのか、自信を持っているから声を張れるのかはわからないけれど、怪談は語って聞かせるに限る、と言って朗読を申し出るなんて、美波先輩にしかできない芸当だった。お陰でどこまでが準備してきた台本なのかがわからない。
「流石ー」
「やることが違いますね。ホントに死ぬかと思った」
「私も。そういうの敏感だからマジで怖かった」
 緊張がゆるんで饒舌になり皆が口々に感想を交わす。口を開けては閉じ、タイミングを伺いながら息を吸って、ようやく発された結華の声は数秒間虚しく溶けていった。
「あの!」
 と痺れを切らした叫びで、一気に場が静まり返る。結華に視線が集中する。
「ジャンプスケアはどうかと思うんですけど」
 自分が想定外に注意を引いたことに気づいた結華の声は、ボリュームボタンを間違って長押ししたみたいに、急速に勢いを失くしていた。
「不意打ちでデカい音がなったら、ビビるのが普通じゃないですか」
「まーね?」
「それはフェアじゃないっていうか、ズルい、いやそれは言い過ぎかもしれないけど……」
 結華が珍しく美波先輩に食ってかかったのは、怪談特集の部誌という格好のネタを、先輩にかすめ取られた形になったからだろう。勿論、私達が部誌を発見できたのは美波先輩が先に部誌を掘り起こして置いていたからだし、身も蓋も無いことを言ってしまえば、仮に結華の方が先に見つけていたとしても、美波先輩ほどのクオリティに料理出来ていたかは怪しいものがあった。それでも結華からしてみれば出鼻をくじかれたのは事実だろう。
 実のところ私はこの時、二人のやりとりにあまり耳を傾けていなかった。結華を取り巻く乾いた空気にいたたまれなくなったというのもあるが、それ以上に気になる点があったからだった。
 美波先輩がドアを叩くよう協力を求めたという友人は、結局姿を一度も表さないままだった。なぜ、一言の挨拶も無しに去っていったのだろう。そこまで込みで「演出」だったのだろうか。興ざめだからと、協力者の姿は見せない段取りだったのか。でもそれでは、ドアを叩いたのが本当にその人だったのか、美波先輩自身にもわかっていないのではないだろうか。それとも、まだドアの向こうで、息をひそめて待っていたとしたら。さっき驚かされた時跳ね上がった動悸が微妙に収まりきっていなくて、そんなことを考えてしまったのかもしれない。
「結華ちゃんは真面目だねー。確かに卑怯なのは認めるよ。でもさ」
 私はずっと、ドアの向こうばかり気にしていた。だから美波先輩がその時放った言葉は、後から結華に教えてもらったものだ。
 美波先輩の声はよく通る。少し低めで、だからこそ何の抵抗もなく脳まで届く。そんな声で、まるでキメ台詞のように、彼女はこう言ったそうだ。
「怖けりゃ何でもよくない?」