かつて自殺したらしい部員の話、に勝るリアリティーを生み出す確実な方法。
それは皆わかっていて手を出すことはしない、いわば禁止カードのはずだった。けれど、どんどんエスカレートしていく中でいずれ誰かが手を染めるであろうことは、もうはっきりとした予感としてあった。その誰か、が結華ではなかったことは、想定外だったともいえるし想定内だったともいえる。このままいけば、結華はいつ手を出してもおかしくなかった。一方で、口の割に臆病でふっきれないまま、ぐずぐずしている間に先を越される、そういう間の悪さが結華にはあった。
飛び降りる時、部室に私や結華がいることを、あの部員は知っていたのだろうか。屋上にはローファーを重しにして原稿用紙の束が置かれていた。やはりと言うべきか、遺稿の内容は学校を舞台にした怪談話だったそうだ。
学校の怪談、呪い、怪異。そんなものが真面目に受け取られるはずもなく、遺稿の内容は事件そのものの衝撃の中で忘れ去られていった。当たり前だ。そのかわり、そんな話を書いた直後に飛び降りた彼女の精神状態についてはそれなりに問題視された。学校で死んだということからも、学校での人間関係が問題視されたのは自然な成り行きだった。
それをきっかけに『文芸部』には突然注目が集まった。無許可で集まって怪談を読みあっていたこと、自傷行為を伴う集団ヒステリーが起きていたこと。大人に知られてからは話が早かった。放課後は先生が巡回するようになり、無断での空き教室の使用は取り締まりが厳しくなった。ここ数か月つるんでいなかった私も含め、カウンセリングを何度も受けさせられるうちに冬が終わって、私達は三年生になった。受験勉強が本格的に始まって、『文芸部』は完全な崩壊を迎えた。美波先輩は卒業した。一人は学校を辞めたと聞いた。それ以上はわからない。意図的に文芸部の話題を避けるようにしていた。
結華は、まだ怪談を書こうとしている。
あの時、鈍くて重い響きが足元を揺らせた瞬間、弾かれるようにベランダに出て階下を覗き込んだのは結華の方だった。私は動けなかった。そこにある死体を想像して体がすくんだわけではなかった。今の状況が現実か妄想かわからなかったのだ。けたたましい悲鳴とざわめきが増幅して、先生達の怒鳴り声が響く。
その時、吐息交じりの結華の呟きが耳に届いた。
「くっそ、やられた」
ふと我に返り、目の前に創作ノートが無いことに気づいた。机にあるのは消しゴムのかすと、折れたシャーペンの芯の破片だけだった。首だけを動かしてベランダを見やる。
結華の視線は死体とノートとの間を忙しく行き来していた。唇の端が確かに吊り上がっていた。瞳に夕日が差しこみ、まるでおもちゃを見つめる子供みたいに輝いていた。なにやってんの、声を張り上げようとして嗚咽しか出ないことに驚く。入り込んだ外気が全身を冷たく撫でて、ずっと体が震えていたことに、その時ようやく気が付いた。無様に腰を抜かし泣き叫びながら廊下へと逃げる私に、結華は見向きもしなかった。
それきり、結華とは喋っていない。
今もずっと、アイデアはとめどなく湧き出しているのだろう。創作ノートは私が気づく範囲で四冊増えている。極限まで研ぎ澄まされた感性を襲う恐怖だけが、何にも結晶しないままで積もっていく。
けれど結華は結局一作も生み出していない。それだけが他の部員と違っていた。あれだけ恐怖に囚われ続けているのに。このまま一生何も書けないのではないか、そんな予感が胸をよぎり、それを結華に悟られないよう慌てて目をそらす。もし美波先輩が語った怪談に、本当に呪いのようなものがあったのだとしたらそれは、書くことへの執着を捨てられないままそれが実を結ばないことではないかと思う。
結華の恐怖の一端は、書けと言った私の責任だった。だから、私が責任を持って怪談に仕立て上げなければいけない。他でもない結華の願いだ。その代わり、ネタは提供してもらう。誰にも渡してやるもんか。
そろそろ尾鰭もつきはじめるころだ。『文芸部』の奇行はこれからどんどん語られて、噂になって、怪談になる。もしイマイチだったら、私がきちんと怖くしてあげればいいだけだ。怖けりゃなんでもいいんだから。
私の怪談を知った人が、精いっぱい怖がってくれますように。少しでも、結華の恐怖に近づけますように。
それは皆わかっていて手を出すことはしない、いわば禁止カードのはずだった。けれど、どんどんエスカレートしていく中でいずれ誰かが手を染めるであろうことは、もうはっきりとした予感としてあった。その誰か、が結華ではなかったことは、想定外だったともいえるし想定内だったともいえる。このままいけば、結華はいつ手を出してもおかしくなかった。一方で、口の割に臆病でふっきれないまま、ぐずぐずしている間に先を越される、そういう間の悪さが結華にはあった。
飛び降りる時、部室に私や結華がいることを、あの部員は知っていたのだろうか。屋上にはローファーを重しにして原稿用紙の束が置かれていた。やはりと言うべきか、遺稿の内容は学校を舞台にした怪談話だったそうだ。
学校の怪談、呪い、怪異。そんなものが真面目に受け取られるはずもなく、遺稿の内容は事件そのものの衝撃の中で忘れ去られていった。当たり前だ。そのかわり、そんな話を書いた直後に飛び降りた彼女の精神状態についてはそれなりに問題視された。学校で死んだということからも、学校での人間関係が問題視されたのは自然な成り行きだった。
それをきっかけに『文芸部』には突然注目が集まった。無許可で集まって怪談を読みあっていたこと、自傷行為を伴う集団ヒステリーが起きていたこと。大人に知られてからは話が早かった。放課後は先生が巡回するようになり、無断での空き教室の使用は取り締まりが厳しくなった。ここ数か月つるんでいなかった私も含め、カウンセリングを何度も受けさせられるうちに冬が終わって、私達は三年生になった。受験勉強が本格的に始まって、『文芸部』は完全な崩壊を迎えた。美波先輩は卒業した。一人は学校を辞めたと聞いた。それ以上はわからない。意図的に文芸部の話題を避けるようにしていた。
結華は、まだ怪談を書こうとしている。
あの時、鈍くて重い響きが足元を揺らせた瞬間、弾かれるようにベランダに出て階下を覗き込んだのは結華の方だった。私は動けなかった。そこにある死体を想像して体がすくんだわけではなかった。今の状況が現実か妄想かわからなかったのだ。けたたましい悲鳴とざわめきが増幅して、先生達の怒鳴り声が響く。
その時、吐息交じりの結華の呟きが耳に届いた。
「くっそ、やられた」
ふと我に返り、目の前に創作ノートが無いことに気づいた。机にあるのは消しゴムのかすと、折れたシャーペンの芯の破片だけだった。首だけを動かしてベランダを見やる。
結華の視線は死体とノートとの間を忙しく行き来していた。唇の端が確かに吊り上がっていた。瞳に夕日が差しこみ、まるでおもちゃを見つめる子供みたいに輝いていた。なにやってんの、声を張り上げようとして嗚咽しか出ないことに驚く。入り込んだ外気が全身を冷たく撫でて、ずっと体が震えていたことに、その時ようやく気が付いた。無様に腰を抜かし泣き叫びながら廊下へと逃げる私に、結華は見向きもしなかった。
それきり、結華とは喋っていない。
今もずっと、アイデアはとめどなく湧き出しているのだろう。創作ノートは私が気づく範囲で四冊増えている。極限まで研ぎ澄まされた感性を襲う恐怖だけが、何にも結晶しないままで積もっていく。
けれど結華は結局一作も生み出していない。それだけが他の部員と違っていた。あれだけ恐怖に囚われ続けているのに。このまま一生何も書けないのではないか、そんな予感が胸をよぎり、それを結華に悟られないよう慌てて目をそらす。もし美波先輩が語った怪談に、本当に呪いのようなものがあったのだとしたらそれは、書くことへの執着を捨てられないままそれが実を結ばないことではないかと思う。
結華の恐怖の一端は、書けと言った私の責任だった。だから、私が責任を持って怪談に仕立て上げなければいけない。他でもない結華の願いだ。その代わり、ネタは提供してもらう。誰にも渡してやるもんか。
そろそろ尾鰭もつきはじめるころだ。『文芸部』の奇行はこれからどんどん語られて、噂になって、怪談になる。もしイマイチだったら、私がきちんと怖くしてあげればいいだけだ。怖けりゃなんでもいいんだから。
私の怪談を知った人が、精いっぱい怖がってくれますように。少しでも、結華の恐怖に近づけますように。
