2024/09/07 日曜日

 思ったより文章が長くなってしまったので、一度報告を切らせてもらった。まとめるのが下手くそで申し訳ない。
 というわけで、昨日あったことをいろいろ整理したので、ここに投稿させてもらおうと思う。まだ混乱しているのでちょっと文章が荒れているかもしれないが、多めに見てくれると嬉しい。

 マトマトが来る少し前に僕はネカフェを出て、一足先に痣春ビルに行くことにした。
 痣春ビルの周辺はごっちゃごちゃの雑居ビル街なのだが、ところどころ妙に古い店なんかも点在してる。特に目立つのが、大昔からありそうなボロボロの酒屋だ。柱に貼ってある電話番号の桁数がものっそ少ない。まだ電話交換手とかがいた時代の番号なんだろうか?まあとにかく、昭和かそれいよりも前からあるんじゃないの?くらい古そうな日本家屋の酒屋とか米屋とかが、ところどころ存在しているわけだ。
 特に痣春ビルのはす向かいにある酒屋なんかは、本当に建物がボロい。よく東日本の震災を耐えられたもんだと感心してしまうほどである。確かにS県付近はものすごく揺れたわけではないが、それでも最大震度5弱とか5強くらいはあったはずなのだから。
 ちなみに僕は、お酒があんまり強くない。
 居酒屋に行っても一杯目だけカクテルとか飲んで、二杯目以降はソフトドリンクに行くのが常だ。僕と違ってマトマトはお酒が強いので、一緒に飲みに行くとすぐ「人生半分損してるわお前!」なんて白目を剥かれることになるのだが。

 話が逸れてしまった。
 まあ、お酒は強くないけど、ちょっと飲むなら好き、くらいの人間ではある。というわけで、お酒そのものにも興味がある。
 話を聞くのと一緒にお酒を買って帰るのも悪くないだろう。僕一人では一升瓶一本消費することはできないが、マトマトと一緒ならなんとかなるはずだ。あいつと一緒に部屋飲みすることも珍しくない。お互い男の一人暮らしだから融通がきくのだ。

「いらっしゃいませえ」

 僕がガラス戸をガラガラ開けて入っていくと、カウンターの奥にはとても上品な着物のおばあさんが据わっていた。多分、若い頃はめっちゃ美人だったと思われる。真っ白になった髪の毛をおだんご状にまとめていて、蝶が舞っているような紫色の着物と帯をしめていて、それがものすごく似合っているのだ。
 あと、店の外は結構ボロボロに見えたが、内装はリフォームされているのか結構綺麗だった。色々な種類のお酒の瓶と、それからお酒を使ったチョコレートみたいなものまで売っていた。結構普通に美味しそうである。

「あの、すんません」

 僕は店主っぽいおばあさんに声をかける。何か話を聞くなら、商品にちゃんと興味を持った姿勢を示しつつ、購買意欲を見せるのが大事だ。

「僕、こういう日本酒のお店とかあんま来たことなくて。でも興味はあって。……初心者向けの、度数低めのお酒とかあります?あ、できればちょっとフルーティなやつが好きなんですけど」
「あら、まあ。あまりお酒が強くない人かしらね?」
「はい。でも好きではあるんです。だからちみちみ飲みたいなって。友達は強いんですけど」
「だったら、おすすめはこういうのね」

 おばさんはすごく優しそうで、僕みたいな一見さんにも親切だった。なんでも、この店でしか卸してないような特別なお酒がいくつもあるらしい。
 このお店はなんと、大正の頃からやっているお店であるようだ。建物は空襲で被害を受けて燃えてしまい、そのあと立て直したものだという。東京大空襲、なんて名前がついているから燃えたのは東京だけかと思っていたのに、S県にも結構被害が出ていたらしい。――いやすまない、そのへんは不勉強だったもので。
 おばあさんは若い頃この家の旦那さんに嫁いできて、今は旦那さんが具合が悪くて入院していることもあり、彼女と息子夫婦が店を切り盛りしているというのだ。

後楽酒造(こうらくしゅぞう)さんは最近代替わりしたんだけど、まあ息子さんが腕が良くてね。これ新作なんだけど、日本酒初心者の方にも飲みやすいわよ。『労働意欲』っていうんだけど」
「なんでそんな名前にしたんすか!?」
「面白い名前つけるのが好きなのよね、彼!『異世界転生』ってのもあるわよ」
「どゆこと!?」

 初心者は麦焼酎か米焼酎がいいとか、甘いのが好きなら米から入るのがおすすめとか、まあそういうことをいろいろ教えてくれた。多分おばあさん本人の好みもあってのことだろう。
 これからビルの調査に入るので、今すぐ買うことはできない。後で友達も来るので、その時もう一度店に寄って買わせてもらいます――と僕はそういう約束をした。実際、彼女は話上手で、すすめられたお酒は純粋にどれも美味しそうだったというのが大きい。
 さて、そう言う話をしたところで本題である。

「あの、店主さん。えっと……」
末子(すえこ)って呼んでくださっていいわよ。松本末子」
「あ、末子さん、どうも。ちょっとお尋ねしたいんですが……あそこの痣春ビル。あれ、すっごくボロボロなんですけど、廃墟なんですか?廃墟なら、入口封鎖しないと危ないと思うんですけど。その、この間僕の弟があそこに面白半分で探検しに入っちゃって、連れ戻したことがあって」

 ちょっとズルいが、そういう嘘をつかせてもらうことにする。自分は小さな子を助けただけ、面白半分で踏み込むつもりではないと暗に主張する。廃墟ならば封鎖しないと危ない――そういう言い方をすることで、この人があのビルをどう思っているのかも訊きだせるという寸法だ。

「ああ、あそこねえ。あたしも危ないと思っているのよ」

 末子はため息交じりに言った。

「昔は塾とか、お医者さんとか、いろいろテナントが入っていたみたいなんだけど。今は個人の方が一人住んでるだけね。あんま部屋数の多いビルじゃないでしょうけど、一部は賃貸として個人の方に貸していたみたいだから」

 確かに、内部の構造はビルというより小さなマンションみたいだな、と思ったのは確かだ。601号室、なんて部屋番号がついていたから余計に。

「あのビルのどういうところが危ないと思っていたんです?ボロいから?」
「それもあるけど、あの場所って結構いわくつきなのよね。あのビルがどうこうっていうより、土地が良くない、というか。私はこの家に嫁に来ただけだから、ほとんどお義父様やお義母様の話を伝え聞いただけなんだけども」

 末子さんは、結構細かく事情を話してくれた。彼女はオカルト的なことを妄信しているタイプではなかったが、それでも高齢者ということもあってある程度目上の人が言うことは迷信でも信じる、というタイプだったらしい。
 痣春ビルが建ったのは、今から二十年くらい前のこと。――驚くことにあのビル、あんなにボロボロに見えるのに思ったほど古い建造物ではなかったらしい。
 その前にあったのは小さな個人経営のコンビニだったそうなのだが、そのコンビニは火事になって全焼。燃えたのが夜中だったので客はいなかったが、オーナーと店員一名が大火傷を負って意識不明の重体となったらしい。最終的に命はとりとめたものの、後遺症が重かったこともありそのまま店は畳んでしまったそうだ。その後暫く空き地になっており、その後に建築されたのが痣春ビルだったとのことである。
 なお、コンビニの前、そこにあったのはアパートだったのだと末子さんは言う。やや所得の低い高齢者が多く住んでいた、というが――。

「……ここ、そんな土地安いところですっけ?」

 やっぱりそこに疑問符がつく。
 所得の低い高齢者、が簡単に住めるほど家賃が安かったのだろうか。

「それが、もう驚くほど格安だったみたいなの。あたし、アパートの住人さんとも話したことがあるんだけど……むしろ、あそこに住んでくれって頭下げられたそうよ。その人はまだお仕事してる人で、工場に安月給で勤務していたようなのだけど。社員寮とかもないし、近くで住める安い賃貸探していたら声をかけられたって」
「ええ?大家から、住んで欲しいって頼まれたって……なんで?」
「さあ?ただ、ここは人が住んでないといけない土地だ、みたいなことを言われたみたい」

 なんだか、きな臭い話になってきた。人が住んでいないといけない土地。駅前の一等地で、そんな場所が何故あるのだろうか。

「そこ、怪奇現象でも起きてたんじゃ?」
「鋭いわね、その通りよ」

 末子さんは多分、元々話好きのタイプだったのだろう。僕がそう尋ねると、いたずらっ子のようににやりと笑った。

「今はそういうの、ラップ音っていうのかしらね?……あたしがよく話すその人は、三階に住んでいたの。で、屋上に入れるようなアパートじゃなかったのに、何故か自分の部屋の上から物音がすることが頻繁にあったっていうのよ。それも、子供が走り回るような足音とか、女の子の声が多かったって」

 女の子。
 それを聞いて僕が思い出したのは、あの文章だ。僕が投稿した覚えのないブログの記事。あれに書かれていた、はなえちゃん、という名前。
 よくよく考えれば、今時の女の子で『はなえちゃん』は少し古い名前のような気がする。しかしそれが、何十年も前から存在する悪霊か何かなら納得もいくというものではないだろうか。

「真夜中に足音はするし、声はするし……チャイムを鳴らされて、玄関のドアスコープを覗いても誰もいない、なんてことも頻発するし。彼は気味が悪くなって引っ越しをしてしまったわ。そしたらね」

 その直後だったわ、と末子さん。

「謎の異臭騒動が起きて、アパートの住人が次々倒れて救急車で担ぎこまれたって。……死人は出なかったそうだけど、原因がまったく不明。なんかガスみたいな臭いがしたそうだけど、ガスは検知されなかったそうで。それなのに……倒れた人達の多くが酷い後遺症が残って、そのあと何年もベッドの上で過ごしてから亡くなってしまった人もいるみたいで」
「うわ……それは、不気味っすね」
「でしょう?で、実はそのアパートが建つ前も変なことはあったみたいなのよ」
「うそ、まだその先があるんですか!?」

 アパートの前には小さな米屋があったらしい。今からもう、四十年くらい前のことになるようだ。

「あの日のことはよく覚えてるわ。本当に大騒ぎになったんだもの。確かにあんまり男らしくないというか、暗い顔をした旦那さんだとは思っていたけど、まさかねえ。……一家心中なんて目論むなんて、思ってもみなかったわ」