現状可能性は三つあるだろう。
一つ目は本当にこのビルにやばい悪霊だの妖怪だのがいる可能性。『ロボコ』としては、ぜひこれであってほしいとは思っている。やっぱり本物の悪霊を撮影すれば動画はがっぽり回ってくれるし、視聴者さんたちも喜んでくれるはずだからだ。
二つ目はまったく別の理由で、人間がこのビルに踏み込んでほしくないと思っている可能性。たとえば半グレが屋上で大麻みたいなのをこっそり密売していて、ようは人にバレたらまずいから封鎖しているとか。まあ、犯罪と断定することはできないだろう。老朽化していて危ないとか、管理人がヤンキーの不法侵入を防ぎたいとか、そういう理由でわざわざ脅しをかけるようなことを書いているなんてケースもある。
そして三つ目は――もう本当に夢も希望もない話なのだが、単なるいたずらである可能性。僕達みたいなのがこっそりビルを探検して、来た人間がびびるのを見て喜んでいる奴がいる、というパターンだ。残念ながら、これも完全に無いとは言い切れない。ベニヤ板の上に貼られた張り紙の真っ赤な文字、なんてのは正直そこらへんのオバケ屋敷並にチープな仕掛けであるからだ。こんなもの、その気になれば子供にだって用意できてしまうだろう。
それこそベニヤ板だって、釘と板を持ってきて工具でトンカントンカンすればそれで済んでしまう話だ。
「一体誰が、こんな手のこんだことしてんだろーなあ?」
マトマトが板をひっぱったり、隙間を覗いたりしながら言う。
「悪戯なのか、マジで封印系か、どっちだろな?」
「や、僕に訊かれましても。現状では情報不足がすぎて、断定できないものと思われます」
「何故に敬語……」
ふざけたやり取りをしつつ、僕も屋上へのドアをまじまじと観察する。リクエストしてきた人は、きっとこの屋上をも調べて欲しかったはずだ。一応リュックサックの中には多少の工具も準備してきてはいたが、板はがっつり打ち付けられているし外すのは難しそうである。
というか、外していいのかもわからない。器物損壊になりかねないことまで本来やりたくはないのだ。オバケがいるかどうか以前の問題である。
「僕的には、ただの悪戯、ではないと思うんだよね。マジでお化けがいるか、もしくはオバケとは別の理由で入ってほしくない人が脅してきてるかのどっちかではないかと」
つい、と視線を階段の下に向ける僕。
「だってさ、さっきのエレベーター見たべ?ギシギシガタガタ、スピードもなんか妙におっそい。あれ壊れかけだろ絶対。このビル、相当老朽化進んでるんじゃないかなあ、というか。下手に入り込んで事故でも起こされたら困るから、管理者が脅してきてるってやつじゃないの」
「まあ、それが一番可能性ありそうか。だけどさタカ、それならなんで入口封鎖してねえのかね?入って欲しくないなら、窓を打ち付けるより先にドア封印した方が絶対いいべ?ロープも張ってないのはなんでよ?」
「……それだよなあ」
自分達はここまで自由に入れてしまっている。封鎖しておきたいいならば、対応があまりにもお粗末だ。
とりあえず、ここでいつまでもくっちゃべっていても始まらない。次にするべきことは決まった。このビルについてもう少し詳しく調べるってことと、屋上に入る手段があるかどうかを確認するっていうことだ。極端な話、さっきのベニヤ板をいっぺんはがしたところで、もう一度元通りに戻すことができればバレないと言えばそうなのである。何にせよ、道具を準備する必要があるだろう。
それと、このビルの管理者についても気になる。
ぶっちゃけた話、ヤクザが管理するビルです!とか言われたらもうソッコーで逃げなければやばい。流石に、自分達みたいなひ弱なカタギが、こんなことでヤクザと喧嘩するなんて笑えもしないことなのである。
とりあえず屋上のドアの写真だけ撮影すると、僕達はまずは六階まで降りることにしたのだった。
「なあ、エレベーターもっかい乗る?」
少ししょっぱい顔になってマトマトが言う。
「閉じ込められそうで怖いのは激しく同意なんだけど、それでもちゃんと撮影すんの忘れたしさあ。このまま帰るわけにもいかねえっしょ?」
「それはなあ……」
「あと、階段で地下一階まで行けるかどうかも確認したいところ。階段二つあるしさ、ひょっとしたらどっちかなら地下まで通じてる可能性もあるんじゃないかなあって」
さてどうしたものか。
はっきり言ってめっちゃくちゃ乗りたくないが、だからといってマトマト一人に行ってきてくれと頼むのもあまりにもカッコ悪すぎる。
考えながら、六階のエレベーターホールを通り過ぎようとした時だった。
「え」
不意に、マトマトが声を上げたのである。
「……動いてる」
「んあ?」
なんだ、と見て僕は目を見開いた。エレベーターがゆっくりと下降しているのである。行先表示が三階から二階、一階へと降りて――そのまま地下一階へと行ってしまう。
――地下一階?なんでだよ、あそこ降りられないのに。
僕達と同じように、面白半分でビルに入った輩だろうか。もしそうなら、あのガムテープで不自然に封印されたボタンに興味を持ってしまうのもわかる。あれを押して、本当に地下へ行けるのか確認したいと思う人もきっといることだろう。無論、それがアホな行為であるのは承知の上で。
しかし。
「……地下一階で、動かない?」
しばらく見つめていても、エレベーターはそこから動き出す様子がなかった。地下一階で、停止。さっきエレベーターに乗って自分達がわいわい騒いでいた時間よりも長い。
「なんで?」
マトマトが口を開いた。
「地下一階、降りられないだろあそこ。なのに、なんで地下一階で止まって、そのまんま?これじゃあまるで……」
そして、とんでもないことを言う。
「まるで、地下一階で誰かがエレベーター呼び出して……そのまま乗りこもうとしてる、みたいな」
「!」
いや待て、ともう一つ僕は気づいた。さっき僕達がちらっと見た時、エレベーターは一階にとまっていたはずだ。多分設定上、誰も触っていない時は基本的にエレベーターが一階で停止しているように設定がされているのだろう。
しかし、さっき自分達が見たエレベーターは、三階くらいから下降していた。それはつまり、誰かが三階か、あるいはそれよりも上の階まで上ったということではないだろうか?もしくは――その階で誰かがエレベーターを呼び出して乗り込んだということである。
それはつまり、このビルの中に自分達以外の誰かがいる可能性が高い、ということになるわけで。
「はは、ま、まさかなあ……?」
思わず否定した僕の声は、ひっくりかえっていた。まさか本当に、あの誰も降りられない、乗れないはずの地下一階で――誰かが乗降したとでもいうのだろうか?それができるとしたら、明らかに人間ではない、別の存在ではないか。
しかもエレベーターは、今度はまたゆっくりと上昇してくるのである。一階、二階、三階、四階――その速度は、呆れるほど遅い。でも確実に、自分達がいる六階へ近づいてきている。
「お、おい、マトマト」
僕はつい口にしていた。
「に、逃げよう」
「え!?なんでだよ、タカ!せっかく面白いことが起きてんのに!」
マトマトは呑気にビデオカメラを構えて撮影を始めている。一体誰がエレベーターの乗ってきたのか、気になってしょうがなといった様子だった。
怖くない、わけではないのだろう。だって声が確かに震えているのだから。でもそれ以上に、好奇心が勝っているらしい。同時に、動画配信者としても使命感にかられているというのもあるのかもしれない。自分達は常に面白く、刺激的な画を撮影することを求められているのだから。
その気持ちはわかる。めっちゃくちゃわかる。でも。
「や、やめとけって」
僕は彼の肩を掴んでいた。
「もし管理人とか、警備員とか、そういう人だったらめちゃくちゃ気まずいだろ?不法侵入とか言われたらどうするんだよ。そういう可能性もあるじゃんかよ」
「大丈夫大丈夫」
「何が大丈夫なんだっての!」
「大丈夫だってば。お前だって気になってんだろ、ナニが上がってくるのか、さ。今まで本物のオバケなんかいっぺんも撮影できてないんだ。これチャンスだぞ。むしろ本物の可能性があるならチャレンジしないと、な?」
いつもマトマトは、こんなに強引なタイプだっただろうか。むしろ、こういう企画をやる時は僕がリードして、あいつは軽いノリでくっついてくることが多かったというのに。
まるで、エレベーターを上がってくるのが人間ではない何かだと確信しているみたいだった。そして、それを絶対撮影しなければならないと、そう思い込んでいるみたいに。
「マトマト、お前……」
なんだか、彼のことも怖くなってきた。そして迷っているうちに、ついにエレベーターは六階に到着してしまうのである。
チン、という音とともにエレベーターが止まった。そして、ゆっくり、ゆっくりと扉が開いていく。ギイイイイ、がたがたがたがた、と何やら尋常ではない音がした。やっぱり壊れているということなんだろうか。
一体何が降りてくるのか、誰がいるのか。僕は階段の影に隠れるようにして、そっとエレベーターの方を覗き込んだ。そして。
「え……」
出てきた。
確かに、エレベーターから誰が降りてきたのだ。それはわかる。内部の明かりが暗いフロアを照らし出す。影が見える。一般的な成人男性、くらいのサイズだろうか。いや、恐怖は人影を大きく見せるというから、本当はもっと小さかったのかもしれない。
その黒い影が、ぬう、とエレベーターを降りてきたのである。影、としか言いようがなかった。
――な、なにあれ……?
だって、本当に何も見えないのだ。まるで人間の体を真っ黒な霧が覆っているかのよう。顔も、服も、髪型も何もわからない。本当にただ、何もかも真っ黒な影っぽいのが、ゆっくりとエレベーターから降りてくるのである。
ただフロアに電気がついていなくて暗いから、だけではあるまい。エレベーターのドアはいつまでも開きっぱなしで、そこから漏れる黄色い明かりに照らされているはずなのに何も見えないのだ。
「……おい」
僕は小声でマトマトに声をかけ、その右腕を引っ張った。
「おいってば。……まずいって、これ」
エレベーターを凝視しつつ、カメラを構えているマトマトの表情は見えない。ただ、彼はカメラを向けたまま微動だにしない。まるで、体が完全に固まってしまったかのように。
「マトマト、おい!」
僕が少し大きな声を上げた時だった。
「ひっ」
黒い影が、フロアの中心で止まった。
そしてゆっくりと、その影の角度が変わる。頭の部分が動くのが見える。
僕は気づいてしまう。こっちを振り返ったのだ、と。
「ま、マトマト、逃げ……逃げる!逃げるから!なあ!!」
そこからのことは、よく覚えていない。
ただ僕がこのブログを書いてアップできているあたりでもうお察しだろう。僕達は無事に、ビルから逃げてくることができたのである。ただし。
「何がどうなってんだよ、これ……」
「さ、さあ……」
僕達は気づいたら、痣春ビル近くの公園のベンチに仲良く座っていたのだ。あの影が振り返ったあと、ここまで逃げて来たということなのだろうか。そうかもしれない、でも。
僕にはまるで、自分達が突然飛ばされてワープでもさせられたようにしか感じなかったのである。
一つ目は本当にこのビルにやばい悪霊だの妖怪だのがいる可能性。『ロボコ』としては、ぜひこれであってほしいとは思っている。やっぱり本物の悪霊を撮影すれば動画はがっぽり回ってくれるし、視聴者さんたちも喜んでくれるはずだからだ。
二つ目はまったく別の理由で、人間がこのビルに踏み込んでほしくないと思っている可能性。たとえば半グレが屋上で大麻みたいなのをこっそり密売していて、ようは人にバレたらまずいから封鎖しているとか。まあ、犯罪と断定することはできないだろう。老朽化していて危ないとか、管理人がヤンキーの不法侵入を防ぎたいとか、そういう理由でわざわざ脅しをかけるようなことを書いているなんてケースもある。
そして三つ目は――もう本当に夢も希望もない話なのだが、単なるいたずらである可能性。僕達みたいなのがこっそりビルを探検して、来た人間がびびるのを見て喜んでいる奴がいる、というパターンだ。残念ながら、これも完全に無いとは言い切れない。ベニヤ板の上に貼られた張り紙の真っ赤な文字、なんてのは正直そこらへんのオバケ屋敷並にチープな仕掛けであるからだ。こんなもの、その気になれば子供にだって用意できてしまうだろう。
それこそベニヤ板だって、釘と板を持ってきて工具でトンカントンカンすればそれで済んでしまう話だ。
「一体誰が、こんな手のこんだことしてんだろーなあ?」
マトマトが板をひっぱったり、隙間を覗いたりしながら言う。
「悪戯なのか、マジで封印系か、どっちだろな?」
「や、僕に訊かれましても。現状では情報不足がすぎて、断定できないものと思われます」
「何故に敬語……」
ふざけたやり取りをしつつ、僕も屋上へのドアをまじまじと観察する。リクエストしてきた人は、きっとこの屋上をも調べて欲しかったはずだ。一応リュックサックの中には多少の工具も準備してきてはいたが、板はがっつり打ち付けられているし外すのは難しそうである。
というか、外していいのかもわからない。器物損壊になりかねないことまで本来やりたくはないのだ。オバケがいるかどうか以前の問題である。
「僕的には、ただの悪戯、ではないと思うんだよね。マジでお化けがいるか、もしくはオバケとは別の理由で入ってほしくない人が脅してきてるかのどっちかではないかと」
つい、と視線を階段の下に向ける僕。
「だってさ、さっきのエレベーター見たべ?ギシギシガタガタ、スピードもなんか妙におっそい。あれ壊れかけだろ絶対。このビル、相当老朽化進んでるんじゃないかなあ、というか。下手に入り込んで事故でも起こされたら困るから、管理者が脅してきてるってやつじゃないの」
「まあ、それが一番可能性ありそうか。だけどさタカ、それならなんで入口封鎖してねえのかね?入って欲しくないなら、窓を打ち付けるより先にドア封印した方が絶対いいべ?ロープも張ってないのはなんでよ?」
「……それだよなあ」
自分達はここまで自由に入れてしまっている。封鎖しておきたいいならば、対応があまりにもお粗末だ。
とりあえず、ここでいつまでもくっちゃべっていても始まらない。次にするべきことは決まった。このビルについてもう少し詳しく調べるってことと、屋上に入る手段があるかどうかを確認するっていうことだ。極端な話、さっきのベニヤ板をいっぺんはがしたところで、もう一度元通りに戻すことができればバレないと言えばそうなのである。何にせよ、道具を準備する必要があるだろう。
それと、このビルの管理者についても気になる。
ぶっちゃけた話、ヤクザが管理するビルです!とか言われたらもうソッコーで逃げなければやばい。流石に、自分達みたいなひ弱なカタギが、こんなことでヤクザと喧嘩するなんて笑えもしないことなのである。
とりあえず屋上のドアの写真だけ撮影すると、僕達はまずは六階まで降りることにしたのだった。
「なあ、エレベーターもっかい乗る?」
少ししょっぱい顔になってマトマトが言う。
「閉じ込められそうで怖いのは激しく同意なんだけど、それでもちゃんと撮影すんの忘れたしさあ。このまま帰るわけにもいかねえっしょ?」
「それはなあ……」
「あと、階段で地下一階まで行けるかどうかも確認したいところ。階段二つあるしさ、ひょっとしたらどっちかなら地下まで通じてる可能性もあるんじゃないかなあって」
さてどうしたものか。
はっきり言ってめっちゃくちゃ乗りたくないが、だからといってマトマト一人に行ってきてくれと頼むのもあまりにもカッコ悪すぎる。
考えながら、六階のエレベーターホールを通り過ぎようとした時だった。
「え」
不意に、マトマトが声を上げたのである。
「……動いてる」
「んあ?」
なんだ、と見て僕は目を見開いた。エレベーターがゆっくりと下降しているのである。行先表示が三階から二階、一階へと降りて――そのまま地下一階へと行ってしまう。
――地下一階?なんでだよ、あそこ降りられないのに。
僕達と同じように、面白半分でビルに入った輩だろうか。もしそうなら、あのガムテープで不自然に封印されたボタンに興味を持ってしまうのもわかる。あれを押して、本当に地下へ行けるのか確認したいと思う人もきっといることだろう。無論、それがアホな行為であるのは承知の上で。
しかし。
「……地下一階で、動かない?」
しばらく見つめていても、エレベーターはそこから動き出す様子がなかった。地下一階で、停止。さっきエレベーターに乗って自分達がわいわい騒いでいた時間よりも長い。
「なんで?」
マトマトが口を開いた。
「地下一階、降りられないだろあそこ。なのに、なんで地下一階で止まって、そのまんま?これじゃあまるで……」
そして、とんでもないことを言う。
「まるで、地下一階で誰かがエレベーター呼び出して……そのまま乗りこもうとしてる、みたいな」
「!」
いや待て、ともう一つ僕は気づいた。さっき僕達がちらっと見た時、エレベーターは一階にとまっていたはずだ。多分設定上、誰も触っていない時は基本的にエレベーターが一階で停止しているように設定がされているのだろう。
しかし、さっき自分達が見たエレベーターは、三階くらいから下降していた。それはつまり、誰かが三階か、あるいはそれよりも上の階まで上ったということではないだろうか?もしくは――その階で誰かがエレベーターを呼び出して乗り込んだということである。
それはつまり、このビルの中に自分達以外の誰かがいる可能性が高い、ということになるわけで。
「はは、ま、まさかなあ……?」
思わず否定した僕の声は、ひっくりかえっていた。まさか本当に、あの誰も降りられない、乗れないはずの地下一階で――誰かが乗降したとでもいうのだろうか?それができるとしたら、明らかに人間ではない、別の存在ではないか。
しかもエレベーターは、今度はまたゆっくりと上昇してくるのである。一階、二階、三階、四階――その速度は、呆れるほど遅い。でも確実に、自分達がいる六階へ近づいてきている。
「お、おい、マトマト」
僕はつい口にしていた。
「に、逃げよう」
「え!?なんでだよ、タカ!せっかく面白いことが起きてんのに!」
マトマトは呑気にビデオカメラを構えて撮影を始めている。一体誰がエレベーターの乗ってきたのか、気になってしょうがなといった様子だった。
怖くない、わけではないのだろう。だって声が確かに震えているのだから。でもそれ以上に、好奇心が勝っているらしい。同時に、動画配信者としても使命感にかられているというのもあるのかもしれない。自分達は常に面白く、刺激的な画を撮影することを求められているのだから。
その気持ちはわかる。めっちゃくちゃわかる。でも。
「や、やめとけって」
僕は彼の肩を掴んでいた。
「もし管理人とか、警備員とか、そういう人だったらめちゃくちゃ気まずいだろ?不法侵入とか言われたらどうするんだよ。そういう可能性もあるじゃんかよ」
「大丈夫大丈夫」
「何が大丈夫なんだっての!」
「大丈夫だってば。お前だって気になってんだろ、ナニが上がってくるのか、さ。今まで本物のオバケなんかいっぺんも撮影できてないんだ。これチャンスだぞ。むしろ本物の可能性があるならチャレンジしないと、な?」
いつもマトマトは、こんなに強引なタイプだっただろうか。むしろ、こういう企画をやる時は僕がリードして、あいつは軽いノリでくっついてくることが多かったというのに。
まるで、エレベーターを上がってくるのが人間ではない何かだと確信しているみたいだった。そして、それを絶対撮影しなければならないと、そう思い込んでいるみたいに。
「マトマト、お前……」
なんだか、彼のことも怖くなってきた。そして迷っているうちに、ついにエレベーターは六階に到着してしまうのである。
チン、という音とともにエレベーターが止まった。そして、ゆっくり、ゆっくりと扉が開いていく。ギイイイイ、がたがたがたがた、と何やら尋常ではない音がした。やっぱり壊れているということなんだろうか。
一体何が降りてくるのか、誰がいるのか。僕は階段の影に隠れるようにして、そっとエレベーターの方を覗き込んだ。そして。
「え……」
出てきた。
確かに、エレベーターから誰が降りてきたのだ。それはわかる。内部の明かりが暗いフロアを照らし出す。影が見える。一般的な成人男性、くらいのサイズだろうか。いや、恐怖は人影を大きく見せるというから、本当はもっと小さかったのかもしれない。
その黒い影が、ぬう、とエレベーターを降りてきたのである。影、としか言いようがなかった。
――な、なにあれ……?
だって、本当に何も見えないのだ。まるで人間の体を真っ黒な霧が覆っているかのよう。顔も、服も、髪型も何もわからない。本当にただ、何もかも真っ黒な影っぽいのが、ゆっくりとエレベーターから降りてくるのである。
ただフロアに電気がついていなくて暗いから、だけではあるまい。エレベーターのドアはいつまでも開きっぱなしで、そこから漏れる黄色い明かりに照らされているはずなのに何も見えないのだ。
「……おい」
僕は小声でマトマトに声をかけ、その右腕を引っ張った。
「おいってば。……まずいって、これ」
エレベーターを凝視しつつ、カメラを構えているマトマトの表情は見えない。ただ、彼はカメラを向けたまま微動だにしない。まるで、体が完全に固まってしまったかのように。
「マトマト、おい!」
僕が少し大きな声を上げた時だった。
「ひっ」
黒い影が、フロアの中心で止まった。
そしてゆっくりと、その影の角度が変わる。頭の部分が動くのが見える。
僕は気づいてしまう。こっちを振り返ったのだ、と。
「ま、マトマト、逃げ……逃げる!逃げるから!なあ!!」
そこからのことは、よく覚えていない。
ただ僕がこのブログを書いてアップできているあたりでもうお察しだろう。僕達は無事に、ビルから逃げてくることができたのである。ただし。
「何がどうなってんだよ、これ……」
「さ、さあ……」
僕達は気づいたら、痣春ビル近くの公園のベンチに仲良く座っていたのだ。あの影が振り返ったあと、ここまで逃げて来たということなのだろうか。そうかもしれない、でも。
僕にはまるで、自分達が突然飛ばされてワープでもさせられたようにしか感じなかったのである。



