めっちゃくちゃ記事が長くなってしまったが許してほしい。もう少し話は続いているのだ。

――ど、どこに行くんだ?

 彼は霊能者ではなかったんだろうか?韮澤を追いかけながら僕は思った。彼はサンダルにジャージ姿のまま、よたよたと六階への階段を登っていく。
 今は九月。まだ暑い日も多い。それなのに、上に行けば行くほどどこか肌寒いような気がするのは何故だろう。
 六階のフロアは真っ暗闇で、電気は相変わらずついていない。ぼんやりと光る消火栓の赤い光がどこまでも不気味でしかない。さらに六階を通り過ぎ、屋上へ続く階段を登る。踊り場の窓は相変わらずベニヤ板で塞がれている。

「ま、待ってくださいって、韮澤さん!」
「階段疲れるうー」

 僕とマトマトがぶつぶつ言いながらついていく。足元がおぼつかないように見えるのに、思ったよりも足が速い。男は階段を二段飛ばしにしてどんどん登っていってしまう。
 そして――僕達は再び、屋上のドアの前に辿り着くわけだが。

「え」

 そこで、驚くことになるのだ。
 ちょっとややこしいので改めて書いておくと、僕達が一番最初にこのビルに来たのは2024/09/02火曜日である。そして、今は2024/09/06土曜日だ。この記事を投稿したのは翌日の2024/09/07日曜日なのでちょっとややこしくて申し訳ない。まあつまり、僕達はこの土曜日の出来事から、無事に家に帰ったということでもあるのだが。
 まあようするに。この段階で、まだ最初にビルに来て四日しかしか過ぎていないのだ。その間、韮澤氏以外にビルの中で誰かと遭遇することなんてなかった――初日に見かけた、黒い人影を覗いては。
 で、屋上のドアの様子は、初日に説明した通り。大量のベニヤ板が打ち付けられていて、ドアそのものが封印されている状態。あのドアの向こうに行くには、外すための専用の工具を用意しないといけないなーとマトマトと話したのは覚えている(でもって、この日は持ってくるのをすっかり忘れた)。
 そのドアにはさらに、白い画用紙がべたべたと貼りつけられていて、真っ赤なクレヨンで同じ文字が書き連ねられていたわけだ。あけるな、あけるな、あけるな――ってな。それがかなり不気味な光景だったわけだが。

「剥がれてる……」

 紙の数枚が剥がれ落ちて、床の上でひらひらと踊っているではないか。いや、それだけならばセロテープがとれちゃったんだろう、なんてお気楽に思ったかもしれない。
 問題は、それだけ、ではなかったこと。
 ベニヤ板も数枚外れているのだ。――あんながっしり、釘で打ち付けられていたのに。
 錆びた釘のいくつかが足元でバラバラと散らばっている。僕は唖然とした。こんなもの、簡単に引き抜けるはずがない。相当力と手間が必要だったはずなのに、一体いつの間に、誰がこんなことをしたというのか。

「封印していた」

 ぽつり、とドアの前で韮澤氏が言った。

「元々下にあったものを、馬鹿どもが引き上げて屋上にも媒介を置いてしまった。これで点が二つとなり、線が引かれ、強固な領域を獲得してしまった。実に愚かしい、愚かしい、愚かしい。私とて地下にある神を直接封じる手段などない、せめてそこに人が入らないようにするしか方法がない。だからいろいろ手を回してエレベーターの出口を埋めたり、このようにドアを封じたりいろいろ手を講じたというのに、それは結局時間稼ぎにしかならなかった。お前らのせいだ。本当にお前ら馬鹿のせいだ、どうしてくれる」
「ま、待ってください!これ、やったの貴方だったんですか!?」

 僕がそう尋ねると、韮澤はぎろりとした目で僕を睨みつけてきた。

「くだらないと思うか。貴様ら凡人にはそうとしか思えんだろう。しかし、結局人間はどれほど何かが見えたところで神や悪魔を直接討ち滅ぼすことなんかできんのだ。できるのはそいつらの領域に追い返すことのみ。メディアに出てくる常識離れした悪魔祓い師、霊能者のなんと非現実的なことであるか。地下深くからやってきた旧神、古くからこの地に染みこんできた数多の邪霊、意思の混合物、神話生物を一体どうして人間なんぞで抑え込める?できるのは、それをそうだと知らしめ、愚か者が踏み込めないように結界を敷くことだけではないか、そうだろう?」

 言っていることは、相変わらずよくわからない。
 ただこの男はどうやら、神や悪魔はそもそも殺せるものではない、と考えているらしい。同時に、人間が近寄らないためにベニヤ板で打ち付けるような真似をしていた、と。

「ひ、人が近づかなければ解決するんですか?」

 結局、僕の疑問はそれだ。
 人が来ないようにするたけならもっと他に方法があるのではなかろうか。大体、ビルの入口ごと封鎖してしまうとか、警察とか神官とか、もっと専門職の人を頼るという手もあるのではないかと。
 しかし、韮澤は。

「馬鹿め」

 相変わらず、そう吐き捨てるばかりなのだ。

「引き寄せると言っただろう。土地そのものが呪いの温床なのだ、建物を封じて解決するものか。建物を壊して燃やしたところで何も変わらない、呪いはその場に残る。むしろ建物がなくなって安全と誤解する馬鹿が出る方が問題なのだ、余計なものがすみつくではないか」
「事故物件ではなくなるから、ですか?」
「お前たち愚図で阿呆な連中はみんなそうだ、建物で人が死ぬ、呪いを受けるということがなくなっても建物を変えればそれで安全だと思い込む。信じたがり、楽観視する。そのせいで余計に阿呆を呼び込んで愚行を繰り返し祟りを助長させると何故わからんのか。結局のところ先延ばしにするしか手の打ちようはないのに、其の先延ばしできる期限そのものをお前たちが自ら縮めようとする。此れだってそうだ、人が来てしまえば生贄が増えてますます呪いが増す、ただでさえ塾の馬鹿どものせいで呪いの力が爆増して人が死ぬようになったのに、何でそういうこともわからない?だから私は防ごうと、防ごうと、防いでやろうと……!」

 またしても、ぶつぶつと呟き始めてしまう韮澤氏。嫌本当に、これをほとんどちゃんと読み取って文字に起こしている僕は結構凄いのではないか。なんだか、斜め上の感嘆をしてしまった。
 ようは、呪いというのは、建物が変わっても意味がないらしい。
 事故物件という言い方が良くないのかもしれない。物件なんて呼ぶから、建物を建て直せばもう人が死んだ事実は消える、と思い込んでしまうのかもしれない。とはいえ、その土地そのものを問題視するようになると、この世の中人が死んでいない土地なんてあるっけ?というレベルの話になってしまうのだが ――。

「そ、その、えっと」

 とりあえず、僕はこう尋ねる。

「それで、僕達は……どうすれば?」

 答えは決まっているようなものだった。韮澤は唾を吐きながらこう言ったのだ。

「帰れ。迷惑だ、帰れ」
「そ、その、結局、この上にいるのは……」
「帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!帰れ!」
「ちょ、ちょっと、まっ」

 ぐいぐい押されて、無理矢理階段の下へと引っ張られてしまう僕。その様子を、なんだかんだカメラに撮影し続けているマトマトは大物なのではないだろうか。
 結局五階まで辿り着いたところで、韮澤氏はさっさと自分の部屋に引っ込んで、そのまま鍵をかけてしまった。

「なんなんだよ、もう」

 僕はため息をつきつつ、カメラを回し続けているマトマトを振り返った。

「お前、この映像まだアップできないからな?」
「え、なんでだよタカ!?」
「ばっかやろう、韮澤さんに許可取ってないだろ!顔出しNGなら顔映ってるとこ全部カットしなきゃなんねーし、モザイクでOKかどうかも訊かなきゃダメだからな!?」
「えええええ」

 正直、それを尋ねるタイミングがなかったといえばそう。とりあえず、この後韮澤氏にもう一度接触できたなら、その時映像を出していいのかどうか確認しようと思っている。
 もしこの時撮影した映像が動画にならなかったら、まあそういうことだと思ってほしい。

「霊能者つーから、もっとこう、テレビで見るような占い師みたいな人を想像してたんだけどな。なんかやばい人だったな」

 ドアの向こうから気配は消えている。なのでついつい小さくぼやいてしまう僕である。するとマトマトが、どうなんだろうなあ、と能天気に言った。

「元々普通の人だったかもしんねえぜ?でもさ……お前、クトゥルフ神話TRPGわかる?」
「なんだよ、藪から棒に。やったことあるけど……それが?」
「あれ、SANチェックってのがあるじゃん?ニャル様とか見るとさ、ダイス振って、その目によってSAN値が削れて発狂したりすんじゃん?……霊能者って常にSAN値削れるようなものばっか見てる人達だと思うんだよな。でもって、このビルなんてまさに呪いの温床っぽくね?そういうところにずーっといたら、SAN値削られまくっておかしくなるのも仕方ないんじゃないかなーとか思って」

 こいつにしては、随分鋭いことを言う。同時に、納得もできてしまったのは確かだ。
 彼は、まともに仕事ができるような状態には見えなかった。ひょっとしたら生活保護とかだったのかもしれない。風呂にもあまり入っていないようだったし、言動がとにかく攻撃的だった(乱暴な物言いを覗けば、僕達にアドバイスをしているとも受け取れなくはなかったが)。SAN値とやらが消し飛んだせいでおかしくなってしまった、というのは筋が通っている気がする。
 霊能力がある人間はそうなってしまうこともあるのだとしたら――なかなか難儀なスキルだとしか言いようがない。ひょっとしてそれで冷静さを欠いているから、お寺や神社に頼むということをしないのだろうか?

「やっぱやばいと思うんだけど、ここ」

 僕は苦々しい気持ちでマトマトに言った。

「とりあえず、今日はもう……」

 帰った方がいいんじゃ、と言いかけた時だった。
 バタン。
 ドアが閉まるような音がしたのである。僕はぎょっとして顔を上げた。
 音が聞こえたのは、僕が今背にしている502号室――韮澤氏のドア、ではない。正面の、501号室のドアだ。

「おいおい……」

 僕は知っている。501号室、そこはかつてこのビルの大家さんをしていた男性が住んでいた部屋だ、ということを。