マトマトがどうしても!と要求するので、仕方なくもう一度エレベーターに乗ることにした。また壊れたらどうしようとは思ったが、反面「そもそもエレベーターが問題ではないのではないか?」という気になってきたというのもある。
 このビルがある土地そのものがよろしくないというのなら、多分怪現象はエレベーターに乗っても乗らなくても関係ない。地下一階に何かがあるのだとすれば、エレベーターではなく階段で行っても同じく嫌な思いをすることになりそうだ。無論、エレベーターよりまだ階段の方が安心感があるのは事実だが。

「一応訊くけどマトマト」

 とりあえず、僕は彼に意思確認をしてみることにする。

「お前はその、今まで聞いた話総合して……本当にこの土地にやばいものが憑いてるって、そう思う?」

 はっきり言おう。
 流石に僕も、マジでこれはよろしくないんじゃないか?とは思い始めている。
 初日に地下でエレベーターの挙動がおかしくなった時は、単に老朽化で壊れたせいだと考えていたのだ。でも、話を聞くにつれいわくつきの物語が出るわ出るわ。同時に、やっぱり六階で見た真っ黒な人影のことがどうしても気になる。あれが人間だったとは、考えにくい。そのあと、僕もマトマトも記憶がぶっ飛んでいて、いつの間にか公園にいたというのもおかしなことではないか。
 まあようするに――このまま調査を続けるのは、やっぱりまずいんじゃないか、ってこと。
 ある程度情報は集まったし、一つ動画を作るくらいはできそうだ。なら、そろそろ撤退してもいいのではないか、という気持ちがまったくないわけではなくて。

「うん、まあ、マジなんじゃね?ていうか、マジであってほしい」

 マトマトはエレベーターの呼び出しボタンを押しながら言う。

「何度も言うけどさあ、今まで俺達いくつもホラースポット巡りとかしてきて、それでも本物の幽霊に出会ったことなんかなかったわけじゃん?動画再生数がそれなりに回ったやつもあったけど、結局それは『普通は入れない廃病院に入ってるのが面白かった』とか、『怖い雰囲気が楽しめたから良かった』的なものだと思うわけで。そういうのばっかりじゃ、そのうち飽きられちまうんだよな、やっぱ」
「そろそろ本物の幽霊撮影しておきたいってのはわかるけど……ってか、それはこの間エレベーター降りてきた影で充分じゃないのか?」
「いやいやいやいや、あれ暗かったし、ぼんやりとしか映ってなかったから物足りないって!もっといいもの撮らないと、視聴者さんがっかりさせちゃうって!」

 いいのか?と彼はぐい、と顔を近づけてくる。

「楽しみにしてくれる視聴者さんを裏切って本当にいいのかよ?そりゃ、違法行為とか、迷惑行為するのは論外だぜ?でも、俺らがやってるのは、このビルの謎を解き明かすってことだけだ。今のところ、誰かに叱られてるわけでもない。ビルの大家さんに許可は撮ってないけど、共有部分に入るのもダメってことは多分ないだろ。用がないわけじゃないし」
「まあ……」

 そういう理屈になる、のだろうか?ここはよくわからない。そもそも不法侵入とやらの基準が結構不明確ではある。人が住んでいる家に勝手に入ったら適用されるのは間違いないだろうが、マンションやビルの共有部分は知らない人も入ってきてナンボ、と言われればそういう気がしないでもない。
 特に、今回はまず五階の住人を尋ねてみよう、ということにはなっているわけで。なら、人を訪れるためにマンションに来た、はまったく違法でない、のかもしれない。
 なんだか絆された気がしないでもないが、僕としても悪いことしているとは思いたくないので、そういうことにしておこうと決めた。それに、ここで退いたら視聴者さんをがっかりさせるだろうな、というのはまったくもってその通りではあるのだ。
 怖いけれど、やるしかない。
 いろいろ五月蝿く言ってくる人もいるが、僕達はただお金が稼ぎたいだけじゃなくて、見てくれる人を楽しませたくてユーチューバーをやっている。そのつもりであるのも事実なのだ。

「うお、きたきたきた!」

 マトマトが嬉しそうに声を上げる。エレベーターが六階からゆっくり降りてきたのだ。僕はやっぱり眉をしかめるしかない。
 多分このエレベーターは、何も操作してない時は一階で止まっている設定になっている。というか、多くのエレベーターはそういう設定であることが多いだろう。それなのに、なんで今六階にいたのだろうか。
 ここに住んでいる唯一の住人は五階に住んでいるはずである。その人が出入りするだけなら、止まるのは五階であるはずなのだが――。

「あれ?」

 乗り込んだところで、マトマトが声を上げた。

「ガムテープ、ちょっとはがれてない?」
「……ほんとだ」

 初日に語ったように、この非常に狭苦しいエレベーターには、いくつか妙なところがある。そのうちの一つが、地下一階のボタンに貼られたガムテープ。緑色のガムテープが、まるでボタンを封印するようにバッテンに貼られているのだ。実際はそれを無視してボタンを押し込むことができたので、僕達は地下一階の状況を見ることができたのだが――。
 今はそのガムテープが、半分以上剥がれている。びらびらと不自然に揺れるテープが緑色の海藻か何かのようで、なんだか不気味だった。

「……これ、簡単にはがせるようなやつだったか?」

 僕は思わずまじまじと観察して言う。これは言い忘れていたことなのだが、ボタンは何度もガムテープが貼り直されたのか、周辺がべたべたになっていたのだった。そして、僕達が見た緑色のガムテープも、わりと最近貼られたかのように新しいものだった。
 新しい、ということは粘着力もそれなりに強力ということ。特にこの糸が入っているタイプのガムテープは元々がっつり貼りつきやすいやつのはずだ。爪でかりかりひっかいても、はがすのはかなり手間がかかるような気がするのだが。

「うえ、なんだろうね。なんか半分くらい剥がれてんね?」

 マトマトは相変わらずお気楽だ。

「気にしなくていいんじゃないの?だって、どうせ貼ってあっても意味なかったじゃん。ボタン押せちゃうんだし。誰かが悪戯ではがしたんじゃねえの?」
「誰かって、誰がよ?」
「俺らみたいに探検目的で侵入した人がいてもおかしくないし、五階の霊能力者サン?がはがしたのかもしれないし。気にしてもしょうがない、しょうがない。つか、さっさと五階押してくれって」
「お、おう……」

 僕より怖がりなタイプだと思っていたのに、こいつのテンションは妙に高い。それだけ使命感に燃えている、ということなんだろうか。
 言われるがまま僕は五階のボタンを押した。五階を押したのにエレベーターが下がり始めたらどうしようとか思っていたけれど、幸いエレベーターのドアは普通に閉まり、ちゃんと上昇を始めたのだった。なんというか、僕としてはやっぱり六階&屋上も怖いけれど、それ以上にあの封印された地下が怖い気持ちが強いのだ。多分元凶となる何かは、地下の方にいる可能性が高いのだし。
 さて。
 エレベーターは特に何の問題もなく五階に到着し、チン!という音と共に扉が開いたのだが。

「……んん?」

 僕は眉をひそめた。階を間違えたのかと思ったからだ。
 というのも五階は初日に一回通っている。エレベーターではなく階段を登る際、ちょっと通り過ぎただけではあったが。ゆえに、五階のフロアに特におかしなことがなかったのはざっと確認しているのだ。
 一階から五階までに、妙な点はなかった。窓はないけれど、ちゃんと電気がついていて明るかったのだ。
 それが――どういうことだろう。なぜ、今自分達に見える景色が真っ暗なのだろうか。射し込んでくる光は、五階と六階、それから五階と四階を繋ぐ踊り場の窓からの光のみである。

「前に通った時、ここ、電気ついてたよね?」
「おう、ついてたついてた」

 うんうんと頷くマトマト。

「今日は消えてんな。蛍光灯切れちゃったとかそういう?」
「ここLEDじゃないんかな……ってそういうことじゃなくて。住人が一人住んでるフロアなのに消えてるんだな……。管理人に文句でも言えばいいのに」

 僕達はエレベーターをそろりそろりと降りた。僕達が降りたエレベーターは、特におかしな挙動をすることもなく時間差でドアが閉まっていく。
 自称霊能者氏の名前はわかっていた。というのも、入る前にポストを確認してきたからだ。間違っていないのならば『韮澤研二』という名前のはずである。読み方は『にらさわけんじ』、であっているだろうか?
 502のドアをノックする。表札は砂まみれになっていたが、かろうじて韮澤、の名前は読めた。ノックした後でインターフォンの存在に気付き、そちらも押してみる。――返事がない。

「留守じゃね?」
「かも……」

 よく考えたら、この韮澤という人に関して自分は何も知らない。あるのは末子さんのこの証言のみだ。

『ものすごおおおおおおく、変わった人よ。青白い顔で長い黒髪で、年齢不詳の男の人。何度か出かけている姿を見たことがあるけれど、なんだかゾンビみたいで怖い雰囲気って思っちゃった。話したことは、一度しかないわね』

 はい、自分のブログの台詞をコピペしてまいりました。
 ゾンビみたい、と言われるとちょっと怖いが、ロボコとしてはこの人の話を聞かないわけにもいかない。
 この地が本当に呪われた土地で、この人が本当に霊能者ならば、ヤバイのがわかっていて住み続けているということになる。ならば、必ず何か理由があるはずだ。僕達がまだ掴んでいない情報を知っているなら、是非ともそれを教えてほしいところ。ただ、話が通じないタイプのアカン人なら、即時撤退も考えなければならないが。

「もしもーし?」

 マトマトがもう一度声をかけて、ピンポンを押す。

「本当に留守かな。参ったな、あんま何度も来たくねーんだけど……」

 彼がそう言った、次の瞬間だった。
 どた、どた、どた、どた。
 よろめくような足音が、中から聞こえてきたのだった。うお、と思った次の瞬間、鍵が開くがちゃりという音が聞こえる。
 ドアノブが回り、そして。

「…………なんできた?」

 ぬう、と姿を現したのは、まるで昆布のような黒い長髪の、ぎょろんとした目の男。
 そいつは誰、ではなく――開口一番、そう言ったのだ。何で来た?と。