朱い、朱い、それをください。あなたをずっと、見つけるために――
「どうか、俺にあなたを護らせてください。永久の忠誠をあなたに――」
――とかなんとか言いながら、薄幸の美人みたいな造形の顔の男が、朱莉の前に片膝をついていた。
自慢ではないが朱莉は平々凡々だ。
家も一般的なら、見た目も成績も並みを出ない。
今までひざまずかれたこともないし、そんなことをされる覚えもない。
なので朱莉は逃げることにした。
本来それをやるべき相手ではなかったと気づくだろうと、言葉を放棄して伝えることにした。
ところが――
「姫は足がお速いですね」
「そのまま行くと崖ですよ。危ないので俺の方へ来てください」
「こら! 木に登るなんて危ないです! やめてください」
(………ど、どういうこと……!? なんで次から次へと私の前に現れるの……!?)
神出鬼没過ぎる。
朱莉が駆け足で逃げれば先回りされていて、ちょっと怖いと思って学校の裏手へ回ればそこにも現れて、もう高いところしか逃げ場はない!? と思って木に登れば先に木の上にいて。
……怖すぎる。
「あはは、あいつそんなことやってたんだー」
「わ、笑い事じゃないです……」
放課後の朱莉は疲労でへたりこんでいた。
朝、始業の鐘が鳴ったのを天の助けと、転校二日目の朱莉は自分の教室へ駆け込んだ。
改めて教室を見回すと、謎の薄幸の美人は同じクラスではないようでホッと一安心した。
しかし休み時間も気の休まることはなく……。
放課後になると、中学時代に同じ部活の先輩で朱莉が彼から部長を継いだ縁で親しい一つ年上の十哉につかまって、一緒に空き教室にいるというのが現状。
十哉が、朱莉をつけまわしている人を知っていると言うから。
空き教室の椅子にぐったり座りこんだ朱莉は、べたーっと机にへばりついている。
「あいつ、って、先輩の知り合いですか?」
「ダチ。今まで学校は別だったけど、幼馴染みたいなもん」
「……なんなんですか? あの人……」
「不審マックスみてーだな?」
「不審ってか怖かったですよ……本気で」
朱莉は、どうつけまわされたのか、十哉につぶさに話した。
「うーん、あいつが変わってるって言うか、変わってるのは朱莉の方なんだよなあ」
体重を後ろにかけて椅子を揺らす十哉はのんびりと答える。
「え? 私ですか? 転校早々やらかしちゃってますっ?」
顔をあげた朱莉が鬼気迫る表情で問えば、十哉は落ち着けと手をひらひらさせた。
「朱莉であって、朱莉でないって言うか……」
「どういう意味ですか。私今本当困ってるんですよ」
朱莉が譲らずにいると、十哉はう~んと悩みだしてしまった。
「先輩~~~!」
「姫! こちらですか!?」
「ギャーッ!」
「ぐえっ!」
混乱のあまり十哉の襟をつかんで問いただしていたところへ謎の薄幸の美形が現れたので、朱莉は勢いで十哉の首を絞めてしまった。
「な、な、な……!」
「朱莉、苦しい、離して……」
戸惑う朱莉と、死にかけの十哉。そして二人の様子に混乱する薄幸の美形。
「え、な、なんで十哉が? なぜ姫と密室に二人きり!?」
「だから私はただの御堂朱莉ですーっ」
姫、と呼ばれる理由が一番わからないので、朱莉はそう叫んでいた。
そこへ、蘇生した十哉が二人に向かって腕を突き出して仲裁に入ってくれた。
「ちょ――っと待て、お互い誤解の上に誤解。いったん座れ」
「はい」
「はい」
十哉の号令で、朱莉と薄幸の美形は向かい合うように席についた。
朱莉は気心の知れている十哉がいるので少し安心していた。
「まず、こっちは俺の同級の香雅。んで、こっちは中学の部活の後輩の朱莉。香雅が朱莉に突撃したって聞いたから様子訊いてたんだよ。あやしいことは一切ない」
「十哉の後輩といいますと――部長を継いだという方ですか?」
「そうだよ。下手に手ぇ出すなよ? 返り討ちだ」
「心します。朱莉様。突然御前にまかり出て失礼致しました。十哉の後輩にあたられると聞いておりました。俺は香雅と申します」
「さ、様!? え、あの、どなたですか……? ってか、話す相手私じゃないですよね? 誰かと間違えてます……?」
そんな呼び方もされる覚えがない朱莉は、言いたかったことを言った。
やっと言えた……そして解放してほしい。そのひとつしか今は願いがない。
「いえ、間違いはありません」
しかし香雅ははっきりと言い切った。その眼差しはまっすぐすぎる。
「……面識ありました?」
真剣な勢いに押されて、朱莉も話す態勢になってしまった。
「朱莉様は――前世を信じられますか?」
突拍子もない話題だったが朱莉は怪しいと思うのではなく、すぐにその答えを思いついた。
「はあ……たぶんこうだったろうなあ、くらいはありますけど……」
朱莉のその言葉に香雅は、ぱあっと顔を輝かせた。
「本当ですかっ? 何か憶えておいでのことが?」
「たぶん階段から落ちて死んだんだろうなあってくらいです」
「………」
「え、なんでそうなるの? 朱莉、前世の記憶とかあるわけ?」
黙る香雅に反して声をあげたのは十哉だった。
「いえ、そういうんじゃないんですけど、私階段が苦手なんですよ。怖い方の怪談じゃなくて、上り下りする階段です。怖い話も得意ではないんですけど……。でも私、小さい頃はおじいちゃんたちと一階建ての日本家屋に住んでたんで、小さい頃に階段から落ちてトラウマになったってこともないんですよね。今は両親と二階建ての家ですけど、両親も外でも階段から落ちたことなんてないって言ってて。だから、たぶん私前世で階段から落ちて死んだんじゃないかなーって」
思ってるんです。と、朱莉は説明した。
「苦手って……学校にも階段あるじゃん」
「手すりがあれば大丈夫なんです。あと、四、五段くらいの階段ならいいんですけど、長い階段を上ってると後ろに引っ張られるというか……落ちそうな感覚になっちゃうんですよね。だから学校でも家でも、必ず手すり掴んでます」
「そりゃ大変だなー」
十哉は腕を組んで言った。その隣の香雅は……
「……朱莉様……っ、なんとお労しい……!」
「え。なんで泣いてるんですか……?」
泣いていた。
「香雅、お前今日情緒不安定だぞ? いくらずっと探してた奴に逢えたからって」
「十哉は! あなたは俺が探し続けてた方と中学が一緒だったからそんなこと言えるんです! しかも部活で部長を継がせたと? いかがわしいことしてたらそこの窓から突き落としますよ。ほら来なさい」
「ねーよ! てめーの勝手な妄想で殺すな! つーか朱莉に全部説明してやれよ……。俺巻き込まれ事故じゃん」
十哉が疲れたように額に手をやった。
「私に話していいことがあるのなら教えてください。私から訂正することもあるかもしれませんし……」
朱莉も、十哉の言葉を加勢に香雅に向けて言った。
「説明……しても、信じてもらえないかもしれません……」
しゅんとしてしまった香雅だが、その言葉には納得のいかない朱莉だ。
「信じるか信じないかではなく、心当たりがあるかないかで話して行かないと、私は何も理解できません。あ、もちろん、話せないことまでは訊きませんから」
朱莉の言葉に、香雅は目を見開いた。
だから一体なんだと言うのだ、というのが朱莉の感想だった。
「……わかりました。どうか、俺の話が、俺にとっては真実であることを前提に聞いてほしいのです」
「……はい」
「まず、朱莉様は前世で、俺の主でした」
「……あるじ? だから、様ですか?」
「はい。前世の朱莉様はとある領主のお嬢様で、俺はお嬢様に仕えていました」
「……はあ」
前世妄想……と言い切ってしまいたいが、あまりに香雅が熱が入っているので、朱莉もとりあえず最後まで聞くことにした。
「そこで……お嬢様は不慮の事故で、若くして落命されました。俺はそのとき傍にいることができなくて……お助けできませんでした」
「………」
「俺は前世の記憶を持ったまま、この架城香雅として生まれました。だから誓ったのです。今度こそ、俺の姫様をお守りすると」
「……その、お嬢様の生まれ変わり? が、私だと?」
「はい」
至って真剣な顔でうなずく香雅に、朱莉は眉根を寄せて見返した。
「私はそんな記憶ありませんよ? 架城先輩のことも憶えてないし……」
「それが仕方ありません。記憶を持って生まれるのはごく少数だと、俺も生きてくるうちに知りました」
「なら……なんで私だってわかったんですか? 証拠とかあるんですか?」
「まず、姫様とお顔立ちがそっくりです。そしてお声も」
「……似てる人もいるでしょう」
「一番の理由は、この方は俺がかしずく方だとわかったからです。どちからかというと、お顔立ちやお声は後付けです」
そう言って香雅は、ほがらかに笑った。朱莉は頭を抱えた。
かしずく方なんて言われても嬉しくなんて思わないし、なんだったら迷惑だ。朱莉は目立ちたくないのだ。
だが、朱莉としても言っておかないといけない。
「……個人的な意見としては……」
「はい」
「妄想やべえ先輩、でしかないんですが……」
「妄想と言われることは覚悟しておりました。ですがやべえ先輩はきついです……」
「あ、すみません……」
「――架城! 御用改めだ!」
「!?」
いきなり勢いよく開いた扉の音にびくっとして見やると、ひとりの男子生徒がそこにいた。
「月御門!? 俺まだ何もしていませんよ!?」
そう叫んだのは香雅だ。この人はつきみかどという名前なのか、と覚える朱莉。
「お前が転校生を追い回してるって話は上がってんだよ。斎陵学園に在籍する以上、俺の目を逃れられると思うなよ」
そう言って腕を組むのは、高い背丈に茶色が勝った髪、鋭い眼差し、けれど顔つきは優しそうな、美形の男子生徒だった。
朱莉が今までリアルで見てきた人たちの中でも飛びぬけた容姿をしている。
香雅を呼び捨てにするとは、香雅の先輩か同級生だろうか。
「おい月御門、お前別に風紀委員とかじゃねえんだから」
十哉も知り合いらしく、椅子を揺らしながら美形男子生徒――月御門を見上げる。
「犬上先輩、俺は仕事で来ています」
「あ、あー、そっちか……。月御門、ちょっと来い。ものは相談だ」
「? なんですか」
(………?)
なぜか香雅と同い年であるはずの十哉を先輩呼びしていた。そして仕事って?
よく事態が呑み込めない朱莉。
「十哉先輩行っちゃった……って何してるんですか!」
「お願いします朱莉様。ここは見逃してくださいっ」
なぜか真っ青になった香雅が、開け放った窓枠を掴み片足をのせているところだった。
見逃してって、まさか飛び降りるつもり!?
「ここ五階ですよ!? 何考えてるんですか!?」
「申し訳ありません朱莉様……‼ 前世の主にお逢い出来て浮かれていました。月御門との約束を破った俺はこれから制裁を受けるのです……だから逃げさせてください!」
「死ぬ! ここから飛び降りたら死ぬから!」
本気で真っ青な香雅は有言実行することに迷いのない顔つきで、朱莉は慌てて香雅を羽交い絞めにした。
しかし身長がものを言う。年齢にして平均身長の朱莉では、長身の香雅の肩を掴んで後ろに引っ張るくらいしか出来ない。
「ちょ、朱莉様危ないですっ――うわっ」
「ふぎゃっ!」
飛び降りるために全体重を前に傾けていた香雅は、いきなり後ろからつかまれてバランス感覚が狂った。勢いのまま後ろに倒れてしまう。
「あたた……」
「も、申し訳ありません朱莉さっ――」
「へ?」
至近距離に、香雅の顔。あれ、この人の目って青みが勝ってるんだ……と、一瞬場違いなことを考えた朱莉。
「香雅―、月御門と話つい……キャーッ!」
ドアを開けた十哉が、中を見るなり少女のような悲鳴をあげた。
その後ろから月御門が姿を見せる。
「なんだよ犬上先輩、………架城――――! 婦女子を白昼堂々学校で押し倒すとか貴様、俺との約定すべてを破ったととるぞ!」
すっと、どこからかわからないけれど月御門は扇を取り出した。目は据わっている。
それを見て香雅は、やっと自分の――自分たちの状態を思い出したらしい。しりもちをついた朱莉と、覆いかぶさっているような恰好の香雅。
やばいしかない。軽く命の危機だ。慌てて朱莉の上から飛びのいた。
「ちちちち、違います!!!! 俺が逃亡しようとしたのを朱莉様に止められて色々あってこうなっただけですっ!」
「ほう? 逃亡、色々」
ぽん、ぽん、と扇で手のひらを叩く月御門。
美形であることは変わらないけど、放つオーラがどす黒くなっていく。
「ぎゃーっ!」
それから香雅は、叫び声をあげながら問答無用で月御門に連行されていった。
部屋に残ったのは、ぽかんとする朱莉と、あちゃーという顔の十哉だけ。
「朱莉、念のため訊いておくけど、さっきのやばいことがあったわけじゃないよな?」
「え? あ、はい。架城先輩が窓から飛び降りて逃げようとするから止めたらあんな感じに……って、うわー! 今ごろ恥ずかしい!」
「あ、その反応は事故だったわけだな」
「事故ですけど! あ、あれって俗に言う、お、おおおおしたお……っ」
「落ち着け朱莉。お前、今日はもう帰っていいぞ。香雅のやつ、当分は月御門に解放されないだろうから」
月御門、とその名前を聞いて、頭が沸騰しそうだった朱莉もすっと熱が引いた。
月御門なる美形の青年は、登場からなにからぶっ飛びすぎていてツッコミが間に合っていなかった。
「あの、誰なんですか? さっきのあの人……」
「月御門白桜。一年なんだけど、かなり古い家の、すでに当主で、香雅のお目付け役? みたいな感じで……まあ香雅だけじゃないんだけど……」
「私と同い年ですか……にしてもカッコいい人ですね……女子に人気ありそう」
「あるある。そらもうすげーよ。学校イチのモテ男。でも、いつも幼馴染が一緒なんだ。その幼馴染は美少女をこれでもかって詰めたくらいの見た目で、たぶん付き合ってんじゃねーかな」
「そうなんですか」
それは少し見てみたい……と思った朱莉。十哉はため息をつきつつ雑に頭をかいた。
「月御門、たぶん明日には朱莉のとこに行くと思うけど、知らないことは知らないって言えば深追いはしねーだろうから」
「そうですか? って、さっき何話してたか訊いてもいいですか? 言える範囲で大丈夫ですけど」
「……香雅が朱莉を追いかけまわした理由――香雅がさっき話したやつ、俺も月御門も知ってたんだよ。そのこと軽く説明しといた」
「はあ……生まれ変わりってやつですか」
そのことを知っていたり香雅のお目付け役だったり……どういう人なんだろう、月御門白桜。
朱莉の中でかなり気になってきてしまっていた。
「そ。俺、香雅と幼馴染って言っただろ? あいつ、俺が憶えてる限りずっと、『俺のお姫様に逢い、お守りすることが俺が生まれてきた意味なんです』――って、本気の目で言っててさ。まさか朱莉だとは思ってなかったけど、香雅がふざけたりからかってる意味でやってないことは確かなんだ」
「……そう言われても、ふつーに怖いですよ」
「だよなー。俺から――言わなくても、月御門からつきまとい禁止令出されるだろうから、今日みたいにはならんと思うよ。朱莉が困ることがあれば、月御門に言えば注意してくれるし、香雅はそれに逆らえないから」
「逆らえない、ですか?」
「そう。それを交換条件に、香雅はここにいられるから」
「………」
(……? どういう意味だろう……訊いてもいいのかな……?)
「その意味を訊いたら、教えてくれますか?」
問われた十哉は、う、と息を詰まらせた。
「……いや、俺からは教えられない。訊きたいんなら、香雅に聞きな。月御門も教えないと思う」
「……はあ」
+++
「朱莉様! おはようございます!」
「……おはようございます、架城先輩」
翌朝、学校に来るなり門で待っていたらしい香雅に逢ってしまった。
朱莉はびくびくと反応する。
十哉が今日は大丈夫だろうと言っていたが、待ち伏せしているとは。
「昨日は大変申し訳ありませんでした。月御門にしばかれて反省しました」
と、深く頭を下げる香雅。
しばかれるという言葉が気にはなったけど、朱莉は意を決して考えていたことを実行した。
つまり、香雅としっかり話すこと。
「こっち来てください、架城先輩」
促して、ひとけのない木陰に呼ぶ。
「あ、朱莉様? なんでしょうか、この密会的な雰囲気は。俺ドキドキしちゃいま――」
「昨日十哉先輩が、月御門さんから接近禁止令出るだろうから、とか言ってたんですけど、それは違ったんですね?」
朱莉が強めに言うと、香雅は視線をうろつかせた。
「え、と、それ――は……」
「架城先輩?」
更に詰め寄ると、香雅はしゅんとこうべを垂れた。
「………出ました。接近禁止令……」
出てるんかい。
「じゃあなんで私に声かけてくるんですか」
香雅を問い詰めるために近づいていたところを体を離して少し距離を取った。
ひとまず、会話をすることは出来そうだ。
「……謝ることだけは、許しをもらったので……一番に昨日のことを謝罪して、あとは物陰から拝見して不届き物からお守りしようと……」
「物陰から!? それストーカーって言うの知ってます!?」
「そ、そうなのですか!? 天下の不届き物ではないですか!」
なぜだろう、香雅は一般常識がおかしいところがある気がする。
「はあ……物陰からはやめてください。……昨日先輩から聞いたお話を嘘だとも断じられないので、そこは否定しません。なので、ほかの人に変な思いをさせないくらいでしたら近づいて大丈夫ですよ」
「よ、よろしいのですかっ?」
「クラスの人とか、先輩の友達に変な目で見られない態度ってことですよ? つまり――友達ですっ」
「友達ですかっ」
「そう、友達です。だから先輩は私のこと『様』づけで呼んだりしないし、私の行く先々にいたりしないんです」
「わかりましたっ。友達としてなら、朱莉さ――朱莉さんの傍にいてもよいのですね?」
「そう、そうです。言うなら――十哉先輩に接する感じで、私にも接してください。そう言ったって、月御門さんに何か言われたら私から言っておきますから」
「あ、ありがとうございますっ。では朱莉さん、友達として、よろしくお願い致します」
「よろしくお願いします。……敬語もやめてくださいね? 私のが年下なんですから」
「あ……ぜ、善処します」
+++
「朱莉さん、一緒に帰りましょう」
「架城先輩、休み時間ごとに来るのやめて下さい。友達やめますよ」
帰り道、朱莉は早速香雅に怒っていた。
朝、友達ですよ、と念を押したら、「友達なので休み時間は一緒に過ごしましょう」と、朱莉の言った通り『十哉への態度』でやってきた。
朱莉、同学年からは転校早々珍獣扱いされている。
「すみません……朱莉様と少しでも長く一緒にいたくて……」
「様づけしないでください。十哉先輩にそんな呼び方しないでしょう?」
「それを言ったら十哉のことは下の名前で呼んでいるじゃないですか」
むむむ、と睨む視線が絡み合う。
これは平行線だな、と朱莉も感じた。
「……そういえば、月御門は向かいましたか?」
「……いえ、来てないです。私も来るかなーって思ってたんですけど」
お互い引かないことはわかったので、お互い話を変えた。
「そうですか……」
「あの……聞いちゃダメだったらそう言ってください。架城先輩は月御門さんに弱みでも握られているんですか?」
そう朱莉が言うと、香雅は傷ついたような顔になった。
「え……そんな風に見え……ましたか?」
「そんな風にしか見えなかったです……あ、何か理由があるなら言わなくて大丈夫ですから」
朱莉が胸の辺りで手を振ると、香雅は少し目を細めた。
「……朱莉さんは、先回りした言い方をされますね」
「? 先回り?」
「相手の行動を読んで喋っていらっしゃるというか……いえ、相手の言動を封じているという方が近いかもしれません」
「え……言動を封じるって……そんなつもりないんですけど……」
というか、それはどういうしゃべり方だ? 朱莉はそこからしてわからなかった。
「昨日もそうでした。俺に、話せることだけでいいから、と仰って、俺の言い分を聞きだされた」
「……そう、ですかね……」
朱莉の自覚していなかった、しゃべり癖。
それはいい方向なのかよくない方向なのか、自分のしゃべり方はどっちなのだろう? と考えた。
「はい。いい風に言うなら、『気の利いた人』だと思います」
「………」
(気の利いた人、か……)
朱莉が、小さな頃から言われてきた評価だ。
友達にも、「朱莉は気が利いてるから色々助かる」と言われる。
だが朱莉が自覚することは、人の顔色をうかがって、嫌な話はさせないようにし、その場を悪くしないことにばかり気がいっていることだ。
もちろん朱莉も、誰かを批判する言葉がものすごく苦手で、口にしたくないといつも思っている。
表面上だけでも、穏やかな関係であればいいと行動してしまうが、本心では本音で話し合いたいと思っている。
でも、これは性格なのか、本音で話すと人を傷つけるんじゃないかという不安が勝って言えない。
自分の気持ちを口にすることができない。
香雅は再びしゅんとした。
「……月御門に弱みを握られているとか、そういうわけではないんです。むしろ俺が、月御門に見張ってもらっているんです」
「……は? え、見張る、ですか……?」
なんだか物騒な話になってきた。
「ええ……いきなりですが、朱莉さんは『みえる人』ですよね?」
「えっ……」
「妖怪とか幽霊とか……そういった類のものが見える体質ではありませんか?」
香雅にひそめた声で言われて、朱莉は昨日から一番驚いた。前世どうのの話よりも驚いた。
「………どうして、わかったんですか?」
朱莉の声も小さなものになる。香雅は軽く顎を引いた。
「前の朱莉さんがそうでした。俺もみえるので、今も前も」
香雅もみえる人。
十哉はそうではなかったので、自分から十哉に、みえる人だと打ち明けたことはなかったけれど……。
「……それと月御門くんがどう関係するんですか?」
話の脈絡的に、離れてはいないはずだ。
「月御門は、御門流と呼ばれる陰陽師一派の当主なんです。学内にいる、ほかの月御門姓も親戚とからしいです」
「お、おんみょうじ……?」
朱莉はみえる人だけど、そんな人と関わったことはなかった。
「そうです。安倍晴明とかの」
「……はあ」
その人も名前くらいは知っているが、いまいちピンとこない。
「それでまあ……俺が記憶持ちの生まれ変わりだということで、月御門の管轄下に入ってしまったのです」
「え……なんかすごい偉そうな人ですね……。私と同い年なんですよね?」
「実際偉いんですよ。陰陽道二大たいかのひとつの、現当主ですからね。実力もあるし実績もあるし信頼もあるし。欠点といえば、月御門白桜であることくらいかと」
意味深な言い方は朱莉の興味を引いた。
「どういう意味ですかそれ。怖い意味?」
「特に意味はありません。言ってみたかっただけです」
香雅が真顔で言うので、朱莉は返事に詰まった。
そういうことを言うときはもっと明るくというか、おちゃらけて言ってほしかった。無駄に期待してしまったじゃないか。
「冗談です。月御門は、……幼馴染の存在で損していると思いますね」
「幼馴染? 嫉妬の強い女性とか、あまり性格がよろしくないとかですか?」
「いえ、男の幼馴染の方です。男の月御門に堂々とプロポーズする男です。俺と同じクラスです」
「え………」
朱莉は一瞬引いたあと、ぎゅんっと香雅の腕を掴んだ。ものすごい顔で。
「リアル? それリアルな話ですかっ?」
「え、朱莉さん……?」
突如態度の変わった朱莉に、香雅は戸惑っていた。
「うっわ心臓やばっ。生きてるうちにそんなお話にお目にかかれるなんてっ。どん人ですかっ? 名前はっ?」
「あ、あの? 朱莉さん?」
「昨日見ただけですけど月御門くんってすごい美形ですよねっ。そんな人の幼馴染とか期待があがるんですけどっ」
早口になった朱莉を見て、香雅は若干引いている。
「朱莉さん……もしかして……」
香雅が引きつった顔で言うので、朱莉ははっとして香雅から手を離した。
「あ、はい……まあ……」
「既に月御門か影小路に惚れていたのですか……っ!?」
「二人が恋仲だと美味しいなあって思う腐った頭です!」
「??? 腐ったあたま……?」
香雅の純粋な反応を見て、この人は知るべきではない世界だな、と感じ取った朱莉は誤魔化す方向にシフトチェンジした。
香雅を説得する態勢に入る。
「いいですか先輩。月御門くんは美形です」
「は、はい……俺もそう思います」
朱莉の勢いに押されたのか、こくりとうなずく香雅。
「そんな美形が美形と絡んでいたら目の保養になると思いませんか?」
そう言われて、香雅は軽く腕を組んで「うーん」とうなった。考えているようだ。
「朱莉さんがテラスで優雅にお茶を飲んでいる姿は、なると思います」
「うちは急須に湯飲みで緑茶派です。あとフローリングじゃなくて畳にこたつです」
「くっ……!」
こぶしを握った香雅が、がくっと膝を折る。予想外の反応に朱莉は慌てた。
「いや、うちの茶の間事情でそこまでへこまれても……」
「リビングと仰ってください! あと和もいいですね!」
道に膝をついたままの香雅が振り仰ぎ叫んだ。
「順応出来ないんだか早いんだかはっきりしてくださいっ。先輩は私に夢を見すぎですよね?」
朱莉がそこまで言うと、香雅は立ち上がった。
「夢というか、前世を重ねてはいます」
「あ、それアウトなやつです。前世といえど、本人以外の人を重ねてはいけません。好きな人相手だったら即恋愛対象から削除されますよ」
朱莉に注意を受けて、香雅は背筋を正した。
「はっ、はい! 以後気をつけます!」
「ちなみに私は先輩のこと、未だに不審者だと思ってるので好かれる好かれないとかの心配はしなくて大丈夫ですよ」
「くっ……!」
また香雅が膝を折った。朱莉の目は冷めている。
「だって不審者でしかないでしょう。先輩、周りに何も言われません?」
今度は回復も早く、立ち上がった香雅。
「級友からは黙っていればいいのに、とよく言われます」
「普段から奇怪な行動してるんですね」
同級生の評価は、出逢って二日の朱莉も同意するものだった。
「そんなっ。いつ朱莉さんと再会してもいいように執事としての鍛錬をしていただけですっ」
「私執事なんていりませんよ。日本の一般家庭ですからね?」
「それは――朱莉さん!」
「え?」
香雅が突然怒鳴って朱莉の腕を掴んだ。
「目を開けないで! 何か聞こえても何も聞かないでください!」
「え? え?」
その様子と言葉に戸惑う朱莉を、香雅が後ろから視界を覆った。
ぞくん――と、冷たい海の中に放り込まれたように朱莉の体全部が冷えて、指一本動かせなくなった。
な、んだこれは……。よくない、絶対によくないものだ。何かまではわからなくても、それだけはわかった。
「こんなときに……!」
朱莉の目を覆う香雅から苛立った声がする。
「か、じょ……」
「何も言わないでください! 取り込まれてしまう!」
取り込まれてしまう。それは恐ろしい――おそろしい、なにか。
ふっと、香雅の指の隙間からなにかがみえた。朱莉は瞬きすらできなくなる。
かお、だ。ただれ、崩れたような朱く光る三つの目――
こ わ い
「雷帝!」
鋭い言葉とともに、朱莉の眼前のあやかしが雷に撃たれ、瞬く間に霧散した。
恐怖なのかなんなのかわからないまま硬直していた朱莉の体から力が抜けてその場にくずおれる。朱莉様っ、と香雅の焦った声がしたあと、落ち着いた声が朱莉の前に立った。
「御堂朱莉さん――怪我はないか?」
片膝をついて姿を見せたのは、昨日香雅に怒鳴って連行していった月御門白桜だった。
間近で見る美形に普段なら照れたりするかもしれないが、今の朱莉はそんな余裕はなかった。
朱莉は気づかない間にぼたぼたと涙をこぼしていた。
「朱莉様……お怪我はありませんか? 不調などは……」
隣から香雅が問いかけてきたので、朱莉は小さくうなずいた。
「どこも……だいじょうぶです……ごめんなさい……」
朱莉が混乱から謝ってしまうと、月御門は軽く首を横に振った。
「いや、俺こそ突然すまない。怖かっただろう……架城、昨日言っていたことは当たっていた、ということでいいのか?」
残った瘴気――それと朱莉は知らないが――を、手を凪ぐことで祓った月御門が、香雅に顔を向ける。
「……はい。朱莉様は、前世と同じ力をお持ちのようです」
「そうか……。では架城、これより先はお前に一任でいいのだな?」
「はい」
――香雅と月御門の間でどのような話がされていたのかはわからないが、月御門は朱莉がみえる人であることを知っていたようだ。そしてそれを伝えたのが、香雅。
……本当にどういう関係なのだろう……。
END.