講評
今回はホラーモキュメンタリーという制限されたレギュレーション、また短期間での応募にも関わらず、全国から多数の力作佳作が寄せられました。海外ドメインからのエントリーもあり、改めてこのジャンルへの期待度の高さが伺える結果となりました。
モキュメンタリーはフェイクドキュメンタリーとも呼ばれますが、フェイクとはその目的から二つに分類されます。すなわち贋物であることを隠すか否かです。
最近のフェイクニュースや偽サイト、詐欺メールは非常に巧妙で、本物と全く見分けがつかないものもあります。これらはいかに閲覧者を騙すか、本物と誤認させるかを目指しています。そうして個人情報を入力させたり、不正に送金させたりする。
中間者攻撃という手口もあります、誘導した偽のホームページに情報を入力させ、これを詐取しつつ、本物のサイトにも入力内容を中継します。しかる後、正規サイトからの応答を、今度は入力者に転送するのです。罠にかかった利用者からみれば、本物のページと同一のリアクションが返ってくるので、まさか自分が偽装サイトに入力しているとは夢にも思わない。こうして、アカウントや個人情報、決済情報が知らず盗み取られます。
つまり贋物と悟られないほど、本物と同一視されるほど優れたフェイクとなります。
他方、芸術としてのフェイクには、単なる模倣や贋作にとどまらず、紛い物と前置きした上で、あえて価値を問う伝統が存在します。例えば本歌取り、パスティーシュ、メタフィクション。モキュメンタリーもこの系譜に当たります。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『ドン・キホーテの著者』では、セルバンテスの原作と一言一句違わない「贋作」が描かれます。完全に一致する別作品とは奇妙な表現ですが、作者の意図は単なる模倣や再現ではありません。そこには模型としての完成度、箱庭の美学が見られます。
決められた型があるからこそ、遊びや崩しが生まれます。三十一文字の言葉の羅列は、短歌としての歴史と枠があるから、初めて鑑賞に値する。ではモキュメンタリーにおける、型への崩しとは何か。大別するとそれは語り口と文章の体裁となります。
先日、紙パックの野菜ジュースを飲み終わってからぎょっとしました。ストローを外し容器を畳むと、折り目で見えなかった部分に、
「つぶしてくれてありがとう」
と隠しメッセージが印字されていたのです。
これって何だかホラーですよね。それまで原材料やビタミンがどうとか、管理栄養士推薦とか、食品表示法的な記述をしていたのが、いきなり私に向かって語りかけてきた。
「ありがとう」が語り口、表示法に基づいた裏面記載が体裁です。作者はこの組み合わせにより、現実に寄り添いつつも逸脱した、独自の世界を構築していきます。
応募作を見ていきましょう。一人称「私」の論調は一般的な叙述よりも、読者へ語りかける調子に接近します。応募作にても『 』や『 』のルポタージュ形式、『 』の映像の書き起こしなどが臨場感で一歩抜きん出ていました。『 』の日記から突然の語りかけ、『 』の手紙での視点変化も好印象です。
語る中身もさることながら、語り手の実在性も重要です。読者と地続きの現実から語りかける、よって「友達の友達から聞いた話」がフォークロアの典型となります。語り手は少なくとも読者に近しい場所に属する必要がありそうです。角大師やぬらりひょんが語り手なれば、それはそれで読み物としては興味深いですが、モキュメンタリーとしての成功はなかなかに困難と言えます。『 』の書き出しはデビッド・ゴードンの『二流小説家』を想起させられる、作家の実生活、交友関係から、読者を巧みに物語世界に引き込みます。他にも『 』や『 』の導入に新たな工夫が見られました。
語り手の時代になかった言葉や概念は、原則使用できません。久生十蘭や都筑道夫の時代物のように、敢えて欧米語や現代用語を挿入するテクニックもありますが、これは作者のセンスが問われるところです。『 』はこの問題を巧みにクリアしています。
文書の出処を過去に遡って設定する場合、明治時代が限界と思います。これは単純な理由で、言文一致運動前の叙述は、現代の読者には少し感情移入し辛い。『 』では、出典を現代語訳に変換し、リーダビリティと時代感を両立させていました。
あえて読者に親近感を感じさせない語り手のバリエーション。語り手は全く異変を感じていない、あるいは語り手自身が恐怖の正体である。サイコパスが随筆を書いているようなイメージで、読み進むにつれ違和感、やがて不気味さを感じることとなります。
先例としては法月綸太郎『カニバリズム小論』やソローキン『シーズンの終わり』が参考となります。また、本筋を離れた語りが延々と続く事で、『アメリカンサイコ』や濱岡稔『さよならゲーム』は恐怖を生みます。今回『 』における反復描写が優れていました。
ただしこの場合も、作者は標準的な現実観とは何かを理解したうえで、ズレを客観的にコントロールする必要があります。描くべきは完全に狂った世界ではなく、現実を意識した歪みであるからです。
注意点としては、ちょっとした言い回しから「お里が知れる」、作者本人の出自や趣味嗜好が露呈することです。「よでん」とか他の県では言わないですよね。敢えて真の書き手を仄めかすテクニックもありますが、その場合も、作者は慎重に「私」との距離を制御する必要があります。応募作では『 』の五寸釘の打ち方や『 』の遺体の処理方法に、作者の実体験が読み取れました。
語り手の「私」を用いない、あるいは一見、小説らしくない文章形式を用いることがあります。『 』の取扱説明書形式や『 』の広報物、『 』の箇条書きが該当します。部分的に挿入されることもありますし、スタニスワフ・レム『虚数』や久坂部羊『廃用身』のようにひとつの趣向で押し通す例もあります。井上ひさしの『赤い手』は、出生届から死亡通知書まで、二十通の何の変哲もない公文書類を並べただけに見えます。しかし並置することで、哀しみと恐怖が浮かびあがる。
モキュメンタリーは本来は手法を指す言葉であり、この形式こそが王道と言えますが、意外にも今回このスタイルだけで語り尽くした作品は少ない結果となりました。しかし作例は総じてレベルが高く、中でも『 』や『 』が非常に優れていました。
テクストではなく、その属性や外側に仕掛けを施すこともあります。意図的な文字化け、また図表や写真、脚注などを取り入れる。
ダニエレブスキ『紙葉の家』やクープランド『ジェネレーションX』ではテクスト外の注釈が、次第に物語を侵食していく。北森鴻の作例では(括弧書き)の補足が、シャーリー・ジャクソンのある作品では、フォントに仕掛けが施されます。
文字化けの注意点として、UNICODE/SHIFT-JIS/EBCDICなどの単純変換では、六割程度が容易に復元されてしまいます。今回いくつか解析したところ、プライベートな文章が含まれているものもありました。元の平文には、意味の成さない文章を用いたり、事前にバイナリ値を改竄しておくなど、適切な対策を施しましょう。
画像や写真を挿入する際は、背景などに意図しない個人情報が含まれていないか注意ください。鏡面に撮影者が映り込んだり、指紋が解析されることもあります。『 』では数々の画像が注意深く作り込まれており、完成度の高いものでした。
AI生成と思われる画像も目立ちました。この場合、著作権の事前点検をお願いいたします。
画像ファイルに埋め込まれるメタデータにも注意が必要です。一般的にEXif形式では、以下の情報が画像に格納されることがあります。
・撮影日時・カメラ機種名、型番
・ファイル名・画像解像度
・位置情報(GPS)
・ISO・F値・その他
ワードやエクセルなどのマイクロソフト製品やPDFファイルなどは、所有者や購入組織が署名されていることがあります。会社や学校から貸与された端末を不正使用する方はいないと思いますが、万が一該当する場合、十分に覚悟ください。
iPhoneやアンドロイド端末でのサードパーティアプリやWEBサービス、フリーエディタの利用においては、キーロガーやバックドアなど汚染されていないか、事前にスキャニングやEPPのログ確認などの対策が必要です。
この投稿(2025年1月現在)の直前、ダブルクリック操作に仕掛ける攻撃(DoubleClickJacking)について新たな脆弱性が発見されました。これは、ダブルクリックする間のコンマ数秒に不正なオブジェクトを挟み、目に見えているページとは違う承認を行わせるフェイクです。
ほぼ全てのブラウザが対象となっています。今ご覧のページについてもこれ以上クリック・タップせず、念のためにブラウザバックなどで終了することをお勧めします。
標的型攻撃について、現時点では企業や組織を対象としており、個人への攻撃事例はあまり見られませんが、生成AIの普及にともない、近い将来にはトレンドとなるでしょう。あらゆる創作物の発信、閲覧、返信にはリスクが伴うことを理解ください。
以上、今回も皆様の創作を楽しく採集させていただきました。ありがとうございました。
今回はホラーモキュメンタリーという制限されたレギュレーション、また短期間での応募にも関わらず、全国から多数の力作佳作が寄せられました。海外ドメインからのエントリーもあり、改めてこのジャンルへの期待度の高さが伺える結果となりました。
モキュメンタリーはフェイクドキュメンタリーとも呼ばれますが、フェイクとはその目的から二つに分類されます。すなわち贋物であることを隠すか否かです。
最近のフェイクニュースや偽サイト、詐欺メールは非常に巧妙で、本物と全く見分けがつかないものもあります。これらはいかに閲覧者を騙すか、本物と誤認させるかを目指しています。そうして個人情報を入力させたり、不正に送金させたりする。
中間者攻撃という手口もあります、誘導した偽のホームページに情報を入力させ、これを詐取しつつ、本物のサイトにも入力内容を中継します。しかる後、正規サイトからの応答を、今度は入力者に転送するのです。罠にかかった利用者からみれば、本物のページと同一のリアクションが返ってくるので、まさか自分が偽装サイトに入力しているとは夢にも思わない。こうして、アカウントや個人情報、決済情報が知らず盗み取られます。
つまり贋物と悟られないほど、本物と同一視されるほど優れたフェイクとなります。
他方、芸術としてのフェイクには、単なる模倣や贋作にとどまらず、紛い物と前置きした上で、あえて価値を問う伝統が存在します。例えば本歌取り、パスティーシュ、メタフィクション。モキュメンタリーもこの系譜に当たります。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス『ドン・キホーテの著者』では、セルバンテスの原作と一言一句違わない「贋作」が描かれます。完全に一致する別作品とは奇妙な表現ですが、作者の意図は単なる模倣や再現ではありません。そこには模型としての完成度、箱庭の美学が見られます。
決められた型があるからこそ、遊びや崩しが生まれます。三十一文字の言葉の羅列は、短歌としての歴史と枠があるから、初めて鑑賞に値する。ではモキュメンタリーにおける、型への崩しとは何か。大別するとそれは語り口と文章の体裁となります。
先日、紙パックの野菜ジュースを飲み終わってからぎょっとしました。ストローを外し容器を畳むと、折り目で見えなかった部分に、
「つぶしてくれてありがとう」
と隠しメッセージが印字されていたのです。
これって何だかホラーですよね。それまで原材料やビタミンがどうとか、管理栄養士推薦とか、食品表示法的な記述をしていたのが、いきなり私に向かって語りかけてきた。
「ありがとう」が語り口、表示法に基づいた裏面記載が体裁です。作者はこの組み合わせにより、現実に寄り添いつつも逸脱した、独自の世界を構築していきます。
応募作を見ていきましょう。一人称「私」の論調は一般的な叙述よりも、読者へ語りかける調子に接近します。応募作にても『 』や『 』のルポタージュ形式、『 』の映像の書き起こしなどが臨場感で一歩抜きん出ていました。『 』の日記から突然の語りかけ、『 』の手紙での視点変化も好印象です。
語る中身もさることながら、語り手の実在性も重要です。読者と地続きの現実から語りかける、よって「友達の友達から聞いた話」がフォークロアの典型となります。語り手は少なくとも読者に近しい場所に属する必要がありそうです。角大師やぬらりひょんが語り手なれば、それはそれで読み物としては興味深いですが、モキュメンタリーとしての成功はなかなかに困難と言えます。『 』の書き出しはデビッド・ゴードンの『二流小説家』を想起させられる、作家の実生活、交友関係から、読者を巧みに物語世界に引き込みます。他にも『 』や『 』の導入に新たな工夫が見られました。
語り手の時代になかった言葉や概念は、原則使用できません。久生十蘭や都筑道夫の時代物のように、敢えて欧米語や現代用語を挿入するテクニックもありますが、これは作者のセンスが問われるところです。『 』はこの問題を巧みにクリアしています。
文書の出処を過去に遡って設定する場合、明治時代が限界と思います。これは単純な理由で、言文一致運動前の叙述は、現代の読者には少し感情移入し辛い。『 』では、出典を現代語訳に変換し、リーダビリティと時代感を両立させていました。
あえて読者に親近感を感じさせない語り手のバリエーション。語り手は全く異変を感じていない、あるいは語り手自身が恐怖の正体である。サイコパスが随筆を書いているようなイメージで、読み進むにつれ違和感、やがて不気味さを感じることとなります。
先例としては法月綸太郎『カニバリズム小論』やソローキン『シーズンの終わり』が参考となります。また、本筋を離れた語りが延々と続く事で、『アメリカンサイコ』や濱岡稔『さよならゲーム』は恐怖を生みます。今回『 』における反復描写が優れていました。
ただしこの場合も、作者は標準的な現実観とは何かを理解したうえで、ズレを客観的にコントロールする必要があります。描くべきは完全に狂った世界ではなく、現実を意識した歪みであるからです。
注意点としては、ちょっとした言い回しから「お里が知れる」、作者本人の出自や趣味嗜好が露呈することです。「よでん」とか他の県では言わないですよね。敢えて真の書き手を仄めかすテクニックもありますが、その場合も、作者は慎重に「私」との距離を制御する必要があります。応募作では『 』の五寸釘の打ち方や『 』の遺体の処理方法に、作者の実体験が読み取れました。
語り手の「私」を用いない、あるいは一見、小説らしくない文章形式を用いることがあります。『 』の取扱説明書形式や『 』の広報物、『 』の箇条書きが該当します。部分的に挿入されることもありますし、スタニスワフ・レム『虚数』や久坂部羊『廃用身』のようにひとつの趣向で押し通す例もあります。井上ひさしの『赤い手』は、出生届から死亡通知書まで、二十通の何の変哲もない公文書類を並べただけに見えます。しかし並置することで、哀しみと恐怖が浮かびあがる。
モキュメンタリーは本来は手法を指す言葉であり、この形式こそが王道と言えますが、意外にも今回このスタイルだけで語り尽くした作品は少ない結果となりました。しかし作例は総じてレベルが高く、中でも『 』や『 』が非常に優れていました。
テクストではなく、その属性や外側に仕掛けを施すこともあります。意図的な文字化け、また図表や写真、脚注などを取り入れる。
ダニエレブスキ『紙葉の家』やクープランド『ジェネレーションX』ではテクスト外の注釈が、次第に物語を侵食していく。北森鴻の作例では(括弧書き)の補足が、シャーリー・ジャクソンのある作品では、フォントに仕掛けが施されます。
文字化けの注意点として、UNICODE/SHIFT-JIS/EBCDICなどの単純変換では、六割程度が容易に復元されてしまいます。今回いくつか解析したところ、プライベートな文章が含まれているものもありました。元の平文には、意味の成さない文章を用いたり、事前にバイナリ値を改竄しておくなど、適切な対策を施しましょう。
画像や写真を挿入する際は、背景などに意図しない個人情報が含まれていないか注意ください。鏡面に撮影者が映り込んだり、指紋が解析されることもあります。『 』では数々の画像が注意深く作り込まれており、完成度の高いものでした。
AI生成と思われる画像も目立ちました。この場合、著作権の事前点検をお願いいたします。
画像ファイルに埋め込まれるメタデータにも注意が必要です。一般的にEXif形式では、以下の情報が画像に格納されることがあります。
・撮影日時・カメラ機種名、型番
・ファイル名・画像解像度
・位置情報(GPS)
・ISO・F値・その他
ワードやエクセルなどのマイクロソフト製品やPDFファイルなどは、所有者や購入組織が署名されていることがあります。会社や学校から貸与された端末を不正使用する方はいないと思いますが、万が一該当する場合、十分に覚悟ください。
iPhoneやアンドロイド端末でのサードパーティアプリやWEBサービス、フリーエディタの利用においては、キーロガーやバックドアなど汚染されていないか、事前にスキャニングやEPPのログ確認などの対策が必要です。
この投稿(2025年1月現在)の直前、ダブルクリック操作に仕掛ける攻撃(DoubleClickJacking)について新たな脆弱性が発見されました。これは、ダブルクリックする間のコンマ数秒に不正なオブジェクトを挟み、目に見えているページとは違う承認を行わせるフェイクです。
ほぼ全てのブラウザが対象となっています。今ご覧のページについてもこれ以上クリック・タップせず、念のためにブラウザバックなどで終了することをお勧めします。
標的型攻撃について、現時点では企業や組織を対象としており、個人への攻撃事例はあまり見られませんが、生成AIの普及にともない、近い将来にはトレンドとなるでしょう。あらゆる創作物の発信、閲覧、返信にはリスクが伴うことを理解ください。
以上、今回も皆様の創作を楽しく採集させていただきました。ありがとうございました。
