異世界で本命キャラと恋に落ちたい。



───はじめに3つの若葉があった。
   露がそれぞれの葉を濡らし、こぼれたその雫から
   『世界』と『光』と『闇』とが生まれた───




主人公・神月瑠果(こうづきるか)はある日、異世界アインヴェルトに
神の御使い(ミツカイ)』として召喚されてしまう。

元いた世界に帰るには、
アインヴェルトを侵す『穢れ』を祓わなくてはならない。

神の御使い(ミツカイ)』の役目を果たすため、
協力者たちと供に世界を浄化する旅に出るが……



(『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』公式サイトより)





 走る、走る。息を切らして、重い足を叱咤して。陽も落ちそうな森の中、木々に遮られ光はあまり届かない。転ばないようなんとか足を進めるので精一杯だ。背後からはざわめく葉の音に紛れいくつもの怒号や足音が迫ってくる。地の利がある彼らから逃げおおせることなど叶わないだろう。それでも、少しでも遠くへ。その一心で私はひたすらに走り続けた。



 その日私は上機嫌だった。今日は待ち望んだ発売日、帰ったらきっとあれが届いているはずだ。心躍り過ぎたからか、昨夜は夢で『彼』に会うこともできた。マンションの入口を鼻歌で通り抜け、宅配ボックスに手のひらサイズの小包が入っていることを確認すると、思わず顔がほころびにやけた笑みがこぼれる。いかんいかん、外でこんな表情をしていたら完全に不審人物だ。スキップしたい気持ちを抑えながら、小包を胸に抱えいそいそと廊下を早歩いた。
 私、藤本悠希(ふじもとゆうき)は、漫画やアニメゲームを愛するいわゆるオタクだが、それ以外はごく普通の大学生である。……いや、ごく普通というのは少々語弊があるか。普通とは言い難いと思うところ、それについて説明するには、私の『好きな人』のことも少し語らせてほしい。
 私の好きな人は、カーキブラウンで少しクセのある長髪を左肩にながしてまとめ、茶と緑を混ぜたような綺麗な(はしばみ)色の瞳をしている。少し垂れて三白眼気味の双眸は常に自信に満ち溢れた光を放ち、上がった口角は彼の内なる余裕を表しているみたいだ。背はきっと私より頭一つ分くらいは高く、すらりとした体型だけれど筋肉はしっかりついている、と思う。
 それぐらいにしておけって? まあまあ、あと少しだけ聞いて欲しい。
 彼は弟と二人、一族にかけられた呪いを解くために世界を旅している。得物は二対のダガーナイフで、魔法は得意じゃないけれど、一瞬で敵に近づき屠る技術はもはや芸術的で素晴らしい。名前はテオドール。永遠の二六歳。会ったこともないし、絶対に会うことも叶わない。
 そう、私の『好きな人』は現実の世界には存在していない。乙女ゲーム『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』──通称『ユメヒカ』の登場人物だ。

 ゆるく広くなオタクだった私は満遍なく色々なジャンルをかじり、漫画やアニメゲームに特撮、そして付随する各種イベント、2.5次元の実写舞台など、何でも好きだった。特に好きだったのは、乙女ゲーム。
 いつだったか大学の同志が布教のためにと渡してきた、界隈では有名な某社の女性向け恋愛シミュレーションゲーム。恐らくは私好みの作品をチョイスしてくれたんだろう。何の気なしに始めてみたところ、ファンタジーで王道なその世界観に、キャラと心を通わせ仲を深めていくその過程に、まんまとどハマりしてしまった。それからはもう、坂を転がり落ちるように。様々な乙女ゲームを買い漁ってはプレイし、気がついたら夜が明けていたなんてこともしばしば。そんな中、私はとあるゲームのキャラクターに本気で恋をしてしまったのだ。
 それが、『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』の、テオドールだった。『彼』は架空の人物でありこの世には存在しない。そんなことはもちろんわかっている。それでも、私の中で作り上げた『彼』の幻想は私を励まし力を与え、大袈裟でなく生きていく支えとなってくれた。本当の意味で会うことは叶わないが、『彼』の存在が私の世界に彩をもたらし、その事を考えているだけで満たされる。痛々しいことこの上ないが、それはそれは幸せで充実した日々を送っていた。

 部屋に帰るとしっかり念入りに手を洗い、机に置いた小包を恭しい心持ちでそっと開封していく。中からは落ち着いた茶色の革に金字で箔押しされた、しっかりとした造りの小箱が現れた。その小さな宝石箱をじっくり堪能してから蓋を開けると、やっと目的のものとご対面だ。
「──おお……」
 箱の内部には品の良いピンクのサテン生地が使われていて、同じ生地で作られた小さなクッションの上にシルバーのネックレスが鎮座していた。紅い宝玉が中央にあり、それを包み込むように銀で造られた若葉が三枚、縁取っている。葉にもそれぞれ朝露の滴のように透き通った鉱石が輝いていた。中央の宝玉は複雑にカットされ、光が反射してとても綺麗だ。
 このネックレスは、『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』の重要なキーアイテムをモチーフに作られている。物語本編に登場するのは指輪なのだが、同じ役目を持つアクセサリーとして、他にネックレスやブレスレット、サークレット等も存在しているとゲーム内でも明言されている。ヒロインの身に付けているものとは違うけれど、胸を張ってこれもあの世界の正式なアイテムだということが嬉しい。
 普段の生活で身に付けられるものを、というコンセプトのもと、ペンダントトップのモチーフは小さくさりげないサイズで作られていて、知らない人には普通のアクセサリーにしか見えないのがポイントだ。過去に作中でヒロインが身に着けていた指輪が販売されたこともあったが、こちらは原作にとても忠実な形で再現されていて、ファンとしては嬉しかったけれどごつくて重いし観賞用という感じだったので、今回の発売は本当に嬉しかったのだ!

「……ん~ん~ん~♪」
 ゲームのオープニングを小さく口ずさみながらベランダに出る。届いたらゲームのタイトルにちなんで夜空の下──ベランダに出て着けようって決めていたんだ。夏も本番になってきた今、陽の落ちたこの時間でも気温が下がらずまだ蒸し暑い。
 ネックレスを大事にそっと取り出し、首の後ろに手を回して身につけてみる。うん、重量はあまり感じないし良いじゃないか。紅い宝玉に月の光が入ると、人工的な灯りの時とはまた違って中で光をはね返し、キラキラと虹色に煌めいて見える。
 しばらくうっとりとそれを眺めていると──
 キラリ、と、宝玉の奥が光った気がした。

 その次の瞬間、ほんの瞬きの間に、私の景色は一変した。





 眩い光に視界を塗りつぶされると、首にずしりとした重みを感じた。
「おい、成功したのか……?」
「本当にミツカイかしら?」
「変な格好だな」
 ざわめき、訝しむ声──それと緑の匂い。光が落ち着いて目が段々に慣れてくると、まず夕焼け色の空が映った。頬に当たる風はひやりと冷たくて、今の服装だと寒いくらいだ。どうやら開けた場所に立っているらしい私を、沢山の目が見ている。
 なんで夕方になってるの? ベランダにいたはずなのに、いつの間にこんなところへ? それに……
 自分の身に起きたことがわからず、ぐるりと辺りを見回した。人々の後ろには大きな石の柱が立ち並んでいて、私の立っている石造りの舞台のような場所へは近づいて来ようとしない。後方には森があるようだ。何だか、昔教科書で見た海外の平原にある遺跡みたいだ。足元には円状の枠に何かの記号や図式とおぼしきものが彫ってあって、これは──よく漫画やゲームで見る魔法陣のようなものではないか。
 遠巻きに眺めている人達は私と同じ人種とは言い難いはっきりとした顔立ちに、黒に近い髪色の人もいるが、空のような青や若草のような薄緑の人もいる。染めたにしてはとてもあり得ない色だ。私の体の周囲には、未だ光の残滓が舞っている。とても綺麗なのだけど、これも科学的には有り得ない。非現実的だ。少なくとも日本ではない。恐らく……いや、きっと。ここは私の住んでいた世界ではないのかもしれない。

 どっどっと心音が早くなる。いつの間にかどこか別の世界へ迷いこんでしまったということだろうか。少しでも情報が欲しい。じっと息を潜めて、好奇の目を向ける人々をこちらからも観察した。
 ……皆どちらかというと身なりは良くない。恐らく手製の質素な服には継ぎはぎもあり、カラフルな髪はくすんで汚れが見える。見た目からの印象だと、寒村の村人……といったところだろうか。
「首にかかってるのは使った浄化の装身具に違いない……」
「とりあえずレイゾクの儀式だけはすませちまった方が……」
 ──レイゾク?
 話し合いを続ける人たちの口から、何だかとても不穏な言葉が洩れた。レイゾクのレイは、まさか奴隷の隷だろうか? すごく、嫌な予感がする。後ろに広がる森の様子をそっと伺った。まだ鳥たちのざわめきが聞こえるけれど、暗くなればどこかに身を隠すこともできるかもしれない。
 どうしよう。逃げ出してどうなるのか、それはわからないけれど、少なくとも私を取り囲む人々からは好意的な雰囲気を感じられなかった。今は集まって話し合っているし、こちらにさほど注意を向けていない。チャンスは今しかない。そう思った私は、夕暮れの森へ一目散に駆け出した。

 そうしてその場から逃げ出した訳だけれど、私がそんなことをするとは思っていなかったのか、一拍遅れて罵声や追いかける足音が聞こえ始めた。やはり、逃げ出して正解だったのかもしれない。必死に足を動かして森の奥へ奥へと進むけれど、どんどん夜が近づき、足元も見えづらくなってきた。
「あっちから音が聞こえたぞ!」
「絶対に逃がすな!」
 息があがって胸が苦しい。空気が重く感じる。走りながら振り返ると、木々に紛れて姿は見えなくても、追っ手がすぐ側まで来ている気配がする。捕まったらどうなるか。考えても無駄なのに、どうしても頭に余計な考えが浮かぶ。駄目だ、捕まってはいけない、絶対だ。
 ふと、遥か前方にちらと光が見えた気がする。こんな深い森の奥に? もしかしたら彼らの仲間だろうか。このままこっちに進んで本当に大丈夫なんだろうか。少しの迷いで足の動きが鈍り、首から下がったネックレスが跳ね、その存在を重く主張した。
 そう、ネックレス。なんで重いんだろう? 思わず胸元に目をやると、思い描いたサイズよりずっと大きく、そして見覚えがあった。このネックレスは──
「──っぐ、あっ」
 どう、と背中からつき倒され、痛みと衝撃に息が詰まる。逡巡の間に追い付かれてしまった。必死に身をよじってみるが、そのまま乗しかかられこれ以上の逃走は許されそうにもない。
「おい、レイゾクの指輪を持ってこい!」
 既に他の仲間たちも追い付き、囲いこまれてしまったようだ。さすがにこの状態から逃げるのはもうきっと不可能だろう。仰向けに転がされ、乗しかかっていた男が乱暴に腕を取った。私の指に何かをはめようとするのを、最後の抵抗とばかりに拳を握りしめて阻止する。
「このっ、手間をかけさせやがって!」
 激昂した男は何度か私の頬を張ると、仲間から手渡された大きな指輪を左手の中指に通していく。随分大きいようだったけれど、指の付け根でふいにきゅっと小さくなり、私の指にぴったりサイズになった。まるで魔法みたいだ。いや、魔法なんだろう。こんな状況じゃなければ、目の前の夢のような出来事に感激したかもしれない。いっそのこと全部夢だったら良かったのに。
「この首飾りは外しておくか?」
「おい馬鹿、触るな!」
 一人の男がネックレスを引っ張ると、突然バチっと音がしてその手が弾かれる。大きな音はしたけれど、特に痛くはなかった。しかし触った方はそうではなかったようで、当の男は赤くなった手をさすっている。舌打ちをひとつすると私を引きずるように立たせた。
「早く儀式をすませろ」
 引っ張られた腕と肩、未だじんじんと痛む頬が、これは夢では無いのだと突きつけてくる。涙で視界がじわりと滲む。口の中に土と鉄の味が広がるのを感じながら、これからの自分を待ち受ける運命をぼんやりと考えた。
 何でこんなことになってしまったのか。このまま死ぬより酷い目に合うのだろうか。それは嫌だけど、だからといって例えばこの場で舌を噛み切って死ぬような勇気も持ち合わせていない。
 嫌だ、怖い、誰か、────────

「おいおい、こんなところでよってたかって弱いものいじめか?」

 朦朧とする意識の中、どこか懐かしいその声は、確かに耳に響いた。





 目覚める前のまどろみに、ゆっくりと、しかし確実に自分が覚醒に近付いているのがわかる。誰かが側にいるのを感じて薄く目をあけると、その影がふわりとこちらを覗きこんだ。
 薄茶のウェーブがかかった髪に、ヘーゼルカラーの瞳の、可愛い女の子。
「………るかちゃんだぁ」
 呟くと、女の子は小さく息を飲んだ。まだ夢の続きを見ているんだろうか? 瑠果ちゃんが実際にいたら、こんな感じの子なんだろうな。あ、驚いた顔も目がまんまるで、猫みたいに可愛い。眼福眼福。噛み締めるように再び目を閉じると──
「……あの、目が覚めましたか?」
 彼女は、はっきりと、私に声をかけた。
「──え?」
 急速に意識が冴え、手足の感覚と体の重みが戻ってくる。瞬きをしても知らない天井。私は今横になっている……冷たい土の上じゃなさそうだし、お布団までかけている。声をかけてきた女の子が心配そうにこちらを伺っていた。またしても状況がつかめず、体を起こしてみる。ぎしりときしむ音がして、どうやらベッドにいるようだ。
「あっ、一応治癒はかけたけど、急に起き上がらない方が……」
「なんだ、目が覚めたのか?」
 彼女の後ろに見えていたドアがいきなり開き、部屋に次々と人が入ってくる──その姿に目を見張った。それぞれ鎧や長いローブを身にまとっていて、一言で表すならとてもファンタジーな装い。だけど……どれもどこかで見たことがあるような。
 キラキラの金髪に薄水色の長髪、濃いオレンジのような金髪。日本では、私の世界では、やはり有り得ない色たち。でも、それよりも。それよりも。最後に入ってきた人物に、私の目は釘付けになった。
 少しクセのあるカーキブラウンの髪を肩に流してくくり、怪訝そうにじろりとこちらを見る瞳は、茶と緑を混ぜたような綺麗な榛色。
 自分の頬をぎゅっとつねってみる。……痛い。
「な、……」
 なんで。思わず声がもれる。
 なんで、『彼』に、似ているの?
 夢の続きにしてはおかしすぎる。思い切りつねってみた頬は痛いのに、体の他の場所に明確な痛みはない。少し怠さを感じる程度だけど……あの時殴られたりしたし、森の中を駆けて擦り傷もいっぱいできていたはずなのに、私の手には傷ひとつなかった。でも、そうして確認した私の左手中指には、例の指輪がはまっている。だとしたら、先ほどまでの記憶はやはり。
「──っ……」
 とたんに体がカタカタと震え、喉がぐっと詰まる。夢ではなかったのなら。恐怖がよみがえり涙が滲んだ。今まで生きてきたなかで、少なくとも周囲からあんな風に悪意をぶつけられたり暴力を受けることは無かった。追いかけられて、殴られて、それからこの指輪をつけられて……
「……怖かったですよね。もう大丈夫。大丈夫ですよ」
 ふわりと、女の子が優しく抱き締めてくれた。頭や背中をゆっくりと、そっと丁寧に撫でてくれる。撫でられた箇所がじんわりと暖かく、甘くて柔らかくて、すごく安心する匂いに包まれた。
「……話は私が聞くから、皆は向こうで待っていて」
「ああ、その方が良さそうだな」
 男の人達が部屋から出ていくと、緊張が少し解けてほっとする。そのまま震えが止まるまで、彼女はずっと私を抱き締めて、撫で続けてくれた。

 すっかり涙が止まると、胸の奥の怖かった気持ちも融け出したように不思議なほど鎮まっていた。彼女の柔らかな笑顔はどこか安心させるようで、私を気遣ってくれているのが伝わる。楽にしゃべって欲しい、と言われたので、こちらからもそのようにお願いした。
「あの、ありがとう」
「ちょっとは落ち着けた、かな?」
「うん。あと、助けてもらって、本当にありがとうございます」
 そう言いながら深々頭を下げると、無事で良かったと彼女は優しく笑った。……やっぱり、似ている。
「さて。申し訳ないけど、詳しい話を聞いても大丈夫かな」
 気になることはあるが、頷いて、まずは彼女に事のあらましを話した。
 恐らく自分はこの世界の人間では無さそうだということ。気がついたら遺跡のような場所に居たこと。レイゾク──恐らく漢字をあてるなら「隷属」だろう──の儀式というものをされそうになったので逃げ出したが捕まってしまったこと。そうだ、はめられてしまった隷属の指輪。これは外せるんだろうか。無駄だろうと思いつつ指輪に手を伸ばす。
「あっ、待って!」
「……痛っ」
 びりりと電流が流れたような痛みとともに、指輪を外そうとした右手が弾かれる。
「……とれない……」
 ざっと全身の血の気が引くような心地がした。つけられたときの状況を考えても、なにがしかの魔法がかかっているんだろう。隷属ということは誰かの奴隷になってしまっているのだろうか。私の不安を察してか、彼女はそっと私の手を握った。
「大丈夫。儀式が不完全だったからか、主が決められていないみたいなの。
 誰かに従ったり行動を制限させられることは無いよ」
「そうなんだ……」
 この指輪を外すには、隷属の魔法を扱える人物か、呪いを解けるような技術を持つ魔導師に頼むしかないらしい。私には出来なくて……と、彼女は申し訳なさそうに付け足した。外そうとさえしなければ、触ったりするのも問題ないようだ。
 ほっと安心したところで──私の手を握る彼女の指に、見覚えのあるモチーフの指輪がはまっていることに気がついた。紅い宝玉を銀の葉が縁取る、浄化の指輪。身に付ける用と保存用で、私は2つ買って持っていた、『ユメヒカ』光の神の加護を受けた指輪だ。
 改めて、目の前の彼女をまじまじと見る。薄茶のウェーブがかかった柔らかそうな長い髪をハーフアップにしていて、ヘーゼルカラーの瞳は優しい色だけど、意志の強そうな光をたたえている。画面の左下にずっと見てきた、あのグラフィックが思い出された。
 ああ、似ているのは当たり前だ。きっとここは『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』の世界で。そして彼女は、この世界のヒロインなのだ。





 大好きなゲーム──私にとっては人生といえる大切な物語の恐らく主人公が、目の前に存在している。
 まだ夢を見ているような信じられない気持ちになりながら、思い出して自分の胸元に目をやる。彼女の着けている指輪と同じく、紅い宝玉に銀の葉で縁取られているネックレス。こちらにきてからどうにも首が重いと感じていたけれど、私がベランダでうきうき身につけたものと違って、がっしりのチェーンにペンダントトップもずっと大きく主張しているものに変わっていた。
 これはどう見ても、『ユメヒカ』に登場する浄化のアクセサリー……私も着けちゃってますけど?!
「たぶん、あなたも『神の御使い(ミツカイ)』として召喚されたんだと思うの」
「『神の御使い』……私が……?」
 混乱する私にかけてくれた『神の御使い』という言葉に、もしかしてという気持ちがより確かなものに近づく。ここが『ユメヒカ』なら、彼女がヒロインなら、さっきここに来ていた彼らは恐らくゲームの攻略対象達だ。つまり、『彼』に似ていると思った先程の人物はきっと……いや間違いなく、私の好きな、テオドールだったということになる。
「ひえ………」
 本当の意味で夢に見た、会いたかったけれど絶対に会えるわけのなかった相手。それが、存在している?! いやいやいや、そもそもここが『ユメヒカ』のゲームと全く同じかどうかはわからない。痛みを感じる夢の可能性もあるし……でも……限りなく『ユメヒカ』に近い世界、ならば。歓喜や戸惑い、色々な気持ちがない交ぜになる。叫びだしそうになるのを何とか堪えて、それでも抑えきれず頭を抱えた。
「だ、大丈夫? どこか痛いところある?」
「ああの、いや、ごめんね、大丈夫……」
 突然の奇行に走る私を心配してくれるヒロインまじ天使。大丈夫だけど、大丈夫じゃないです……
「色々話さなければいけないことがあるけど……まずはこれだけ聞いておきたいの」
「うん」
 いかんいかん、今はお話をちゃんと聞かねば。彼女の真剣な面持ちに、私も背筋を伸ばして頷き返す。そして、そのあとに続いたのは──
「もしかしてあなたは、『この世界』を……『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』を、知ってる?」
「──えっ
 ………ええっ?!」
 全く予想だにしなかった言葉だった。



 乙女ゲーム『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』──通称『ユメヒカ』は、自分でヒロインを動かし、時には敵と戦いながら物語を進める、女性向け恋愛シミュレーションRPGだ。
 ある日ヒロインは、ファンタジーな異世界アインヴェルトに『神の御使い(ミツカイ)』として召喚される。その役目はアインヴェルト各地で発生している『(けが)れ』を祓うこと。穢れを長期間放置するとその土地の力は淀み、痩せて腐り、やがて動物が凶暴化したり魔物が発生したりと、だんだんに荒廃していってしまう。
 しかし、アインヴェルトで穢れを祓えるのは光の神の加護を得た異世界人のみ。世界の穢れが増加すると加護の付与されたアクセサリーがどこからか出現し、それを介して『神の御使い』と成りうる人物を召喚することができるシステムだ。
 役目を果たせば元の世界に帰ることが出来ると知り、ヒロインは『神の御使い』としてアインヴェルトの穢れを祓うことを決意する。
 『ユメヒカ』において、穢れを祓ってもらうことはその土地の者にとって滅びを免れる大切な手段となるが、『神の御使い』を手元に置くことのメリットはもうひとつある。
 祓った穢れはアクセサリーの宝玉に蓄積され、最後には大陸の中央にある光の神の神殿に奉納する。その時に役目を果たしたご褒美として神様から三つの願いを叶えてもらえるのだ。──叶えられる願い事が何故三つなのかというと、アインヴェルトの創世神話に由来していて、浄化のアクセサリーの要である宝玉とそれを包み込んでいる三枚の若葉が、その神話をモチーフにして作られているらしい。
 ともかく、『神の御使い』召喚に成功したならば、あわよくばその願いの枠ももらってしまいたいという考えに至るのは想像に難くないことだ。アクセサリーは大陸各地にいくつも出現するが、そのすべての召喚は成功するとは限らない。召喚を実行する人物の力量だったり、土地環境にも寄る。そして、失敗した時の反動は大きく、周囲を巻き込んで被害を出す。
 そこまで考えて、あることに思い至りハッとなる。序盤で召喚に失敗し滅びた村に訪れるイベントがあった。ヒロインはそこで初めて土地の穢れを祓うのだ。もしかして私がこの世界に来たのは、その召喚が成功してしまった形なんだろうか? きっとあの村の人たちは、土地の穢れを祓う以外に願い事も叶えさせようとしていたのだろう。それならばすんなり言うことを聞かせるため、隷属の儀式を準備していたのも納得できる。
 ゲームの話に戻ると、最初はただ元いた世界に帰るためだけに役目を果たしていたヒロインだけれど、旅をするうちに攻略対象達と親交を深めて、特定の相手と恋仲になる。
 実は穢れは封印された闇の神の力で──光の神殿に穢れを奉納していたと思いきや、今までの『神の御使い』も闇の神復活の儀式を手伝わされていた訳なんだけれども──復活した闇の神を皆で倒して、救いだした光の神に願いを叶えてもらい、お相手と結ばれる。めでたしめでたし。ちなみに、ハッピーエンドは異世界残留エンドとお持ち帰りエンドの二つ。私は攻略対象の大切にしていたものがあるアインヴェルト残留エンドの方が好きだ。
 とまぁ、物語自体はよくある王道という感じだ。王道すばらしい。



「なんで……」
 なんで彼女は、それを知っているんだろう。
 私の一番愛する『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』の、テオドールに負けないくらい好きなヒロインちゃん。『ユメヒカ』の世界を知っているかということは、ここが乙女ゲームの世界──もしくはゲームにとても似通っている世界だと、ヒロイン本人が認識していることになる。それはつまり、彼女もまた、私のようなイレギュラーな存在なんだろうか?





「……その反応だと、やっぱり『ユメヒカ』を知ってるみたいだね」
「うん」
 私がしっかりと頷くと、彼女はほっとしたような嬉しそうな笑みを浮かべる。
「改めて自己紹介するね。私は神月瑠果(こうづきるか)、高校三年生。
 えっと……『ユメヒカ』主人公に似てはいるけれど、違うんだ」
 そう始めた彼女の話を聞きながら、私はまた驚き通しだった。
 彼女は前世の記憶をもつ、いわゆる転生者というものらしい。ただ、ここがプレイしたことのあるゲーム世界に似ていると思い出したのは、アインヴェルトに召喚された時。つまり、自覚をしたのもごく最近のことになる。よみがえった記憶も色濃いものではなく、『ユメヒカ』の物語とそれに関連するものがとても好きだったという事実を覚えている、という程度。前世の彼女自身がどんな人間でどんな風に亡くなったかは深く思い出せないそうだ。それまではごく普通の高校生として生活していたし、好物や得意なことは記憶にあるヒロインのものとは違う。実際に十八年生きてきた彼女にとってはここは紛れもない現実で、本人としてはただ『ユメヒカ』に似ている世界に生まれ変わったのかな、という考えに落ち着いているらしい。そして、もちろんこんな話は誰にもできないし、実のところ自分がそう思っているだけのただの妄想なのかもしれないと、ずっと気に病んでいたらしい。
「あなたが私の名前を呼んでくれてとても驚いたし、すごく嬉しかったの。
 もしかしたら、私の話をわかってくれるかもしれないと思って」
 この『ユメヒカ』を大好きな気持ちを誰かと共有したかった。そう言って彼女は顔をほころばせた。
「そうなんだ……」
 ……嬉しそうなところ申し訳ないが、私は気にかかることがあり、手放しでは喜べなかった。私の場合はテオドールが二次元本命の相手。好きが過ぎて引かれてしまわないか、そして万が一彼女が同じキャラを好きなのが駄目なタイプのファンだと、目も当てられないことになってしまう。
「あの、私もすごく『ユメヒカ』が好きで、むしろキャラの一人を生活の糧にしていたレベルなんだけど、逆に大丈夫……?」
 恐る恐るそう切り出してみたが、その心配はすぐに杞憂に終わる。
「大丈夫! たぶん私もかなり好きだった方だと思う。特定のキャラ推しって訳じゃなく、皆満遍なく好きだったかなとは思うけど……
 イベントとかグッズの記憶もあるよ。この浄化の指輪レプリカも、いくつも持ってたくらい」
「本当?! 私も保存用と使う用と分けて持ってた!」
「ファンブックとかソフトとか、布教用にも分けて買ってたタイプだったよ」
 わお。ヒロインがガチ勢……こんな稀有な感動は2度と無いだろうな。
「たぶん本物……の浄化の指輪も着けてみてもらえればいいんだけど、これが召喚の媒介になっているせいか、持ち主の御使いから外すことができないの。せっかくなのにごめんね……」
「いやいや、お気遣いなく……本物を目にできただけで満足です……」
 本物は私なんかが身に付けるには恐れ多すぎる。この指輪はやはりヒロインが身につけていなくては。でも、そうか、外れないのか。自分のネックレスを首から外せるか試してみるけれど、なるほど確かに不思議な力の反発にあい、動かすことができなかった。これだと隷属の指輪と同じく呪いのアイテムみたいなものだな……まあ、これなら道中もなくさないし便利かも。
「そういえば、あなたの名前もまだ聞いてなかったね。ごめんなさい、嬉しくて自分のことばかり話して」
「ううん、私も楽しくてすっかり忘れてた……私は藤本悠希、大学二年。悠希って呼んで!」
「うん。悠希さん、どうぞよろしくね」
 にっこりと笑う顔が眩しくて……ああっ、でも、彼女は彼女。生きて人格もある一人の人間で、『ユメヒカ』ヒロインとは別人だ。あのヒロインちゃんでなく、彼女として見なければ失礼だ。
 でも、私はどうしてもお願いしたいことがあった。ファンの間ではヒロインのことを『瑠果ちゃん』と呼ぶのが通例だったので、出来ればそう呼びたかったのだ。
「あの、もし良ければなんだけど、瑠果ちゃんって呼んでもいい……? 本当に良ければなんだけど……」
「もちろん! 私もヒロインは『瑠果ちゃん』呼びだったな……」
 おずおずと提案した私の言わんとすることがわかったのがさすがというか……快く許してくれて、ほっとする。改めて顔を見合わせて、お互いにふふっと笑いあった。
「それで、悠希さんは誰が一番好きなの?」
「えっっ」
「さっき、生活の糧にしていたっていうから」
 目をきらりとさせながら、瑠果ちゃんが私に尋ねてくる。そうだった。今この世界には、テオドールがいるんだ。瑠果ちゃんもそうだったように、彼もこの世界に住む一人の人間であり、もちろん私の好きなテオドールとは違うだろう。それでいいし、混同してはいけないと自分を戒める。でも、そっと眺めるくらいは許してもらえないだろうか。あわよくば少し言葉も交わしてみたい。私の中の『彼』とは違っても。
「さっきの皆を見た様子からすると、テオドール、かな?」
「……そんなにわかりやすかったの……?」
 ずばりと言い当てられて頷くしかない私に、うふふと笑う瑠果ちゃん。うん、とても敵いそうにないな。
「それで、今後のことなんたけど……」
「はい!」
 ぴしりと姿勢を正した私を見て瑠果ちゃんが笑う。憧れの世界に来たことで浮かれていたけれど、ここが現実である以上、しっかりと身の振り方を考えなければ。
 まずは大前提として、あの『ユメヒカ』ストーリーと同じように物語が進んで行くと仮定する。今のところ瑠果ちゃんは攻略対象全員と出会っていて、概ね記憶にある物語通りの出来事が起こっているらしい。
「悠希さんも『神の御使い』として召喚されたんだとすると、私と同じようにこの世界の穢れを祓っていくことになるんだと思うの」
「うん」
「色々なことは省いて、物語として気になるのは、役目を終えた後に叶える『願い』についてどうなるかってことかなぁと」
「そうだね……」
 物語では、アインヴェルト各地を巡って穢れを祓い、アクセサリーいっぱいに溜まった状態で神殿に奉納しにいく。これを瑠果ちゃんと私の二人で行った場合、叶えられる願いの数や配分はどうなるんだろう? もしかしたら、二倍の六つとかになるんだろうか? そもそも今までの願い事は復活を試みた闇の神に叶えられていたのだと思うけれど、アインヴェルトの世界では何度も『神の御使い』が召喚され願いが叶えられているし、有り得ないことでは無さそうだ。
 それに、『ユメヒカ』によく似たこの世界には、物語の進行やイベントなど何かしらの強制力が発生したりするのだろうか。もしストーリー通りなら、浄化のアクセサリーを奉納すれば、ラスボス戦のあと最低限三つの願いを叶えられるはず。
 役目を終えたら元の世界に帰れるとして、聞き届けられるなら、攻略対象者全員の願いをちょうど叶えてあげることができるかもしれない。『ユメヒカ』大好きな自分としては、皆の願いを叶うようにしてあげたいなぁ。





 『ユメヒカ』攻略対象者達は、皆叶えたい願いがありそれぞれ旅をしている。『神の御使い』であるヒロインに協力するのは、その願いを叶えてもらいたいという打算的な気持ちもあるのだ。物語では、最終的に願いは彼らのために使っているので皆その望みが叶えられる。ただ一人を除いては。



 『ユメヒカ』の攻略対象キャラは、全部で五人いる。
 メインヒーローの剣士レオンハルト、彼の願いは世界平和。
 レオンハルトとパーティの魔導師アルフレート、彼の願いは師匠を助けること。
 私の推しテオドールとその弟バルトルト、彼らの願いは一族の呪いを解くこと。
 そして、光の神殿の神官ニコラウス、彼の願いは、自らの命を断つこと。
 レオンハルトとアルフレートは召喚後のヒロインに協力をしてパーティを組む二人で、テオドールとバルトルトは願いを叶えてもらいたいがために、あわよくばヒロインを自分達のパーティに引き入れようとしてついてくる。
 この四人は最終的にどのルートでも願いが叶えられるので問題ないのだけど、最後の一人──神官のニコラウスは、ラスボス闇の神に深く関係してしまっている。彼だけは、個別ルートに入る以外は、生きて救われるという本当の意味での救済が不可能なのだ。
 余談だが、どのキャラもある程度親密度が高くなると、名前を短くしてあだ名呼びすることを許可される。レオンハルトはレオン。アルフレートはアル。テオドールはテオ。バルトルトはバルト。ニコラウスはニコ。ファンの間では、ニコラウスはもっぱらニコちゃんと呼ばれていた。
閑話休題。



「私は……もし三つは願いが叶うなら、ニコちゃんにも幸せになってもらいたい」
「そう!そうなの!! ニコちゃんは誰のルートでも死んじゃうから、是非生きて欲しいよね……」
 目の前で聞いていた瑠果ちゃんも、深くうんうんと頷いている。
「瑠果ちゃんは、ニコちゃんのルート……っていうのはちょっと抵抗があるね。
 ニコちゃんと……ええと、仲良くなる方向で考えているの?」
「実は私、元の世界──神月瑠果が生まれた方の世界ね。
 あっちの世界の幼なじみと……その、付き合っていて。そういうのはないかなと……」
「ええっ、そうなんだ!」
 これは……この世界に来て一番の驚きかもしれない。ヒロイン役の瑠果ちゃんは、誰とも恋に落ちる予定がない。やっぱりここは『ユメヒカ』そのものではなく、それに良く似た世界、という方がしっくりくるようだ。
「だから、私は特に叶えたい願いは無いの。強いて言うなら元の世界に帰りたいけど、それは役目を終えたら帰れるのかなって……」
 悠希さんは? と、そっと視線で問われる。
 物語上レオンハルトの願いは闇の神を倒すことで叶えられるので、本編で叶えるのはアルフレートとテオドール達の願い。そして残りひとつはヒロインと恋仲になったお相手と一緒に居るために使われていた。つまり、瑠果ちゃんが誰とも恋仲にならないなら、現時点で三つ目の願い事がフリーということになる。
「この隷属の指輪が外れないのはちょっと困りそうだけど……
 私はそれより皆の願いを叶えて幸せになってもらいたい!」
 その願い事を使って、万一の時はニコラウスも助けることが出来るかもしれない。それなら、私の望みはひとつしかない。
「……わかった!
 そうしたら、もし願い事が三つだけだったら、アルフレートとテオドール達の願いを叶えて、最後の一つはニコちゃんを助ける。……これで大丈夫?」
「うん!」
 私と瑠果ちゃんは、どちらともなくがっしり握手を交わし頷きあった。彼女は私と同じ方向性で『ユメヒカ』が好きなようで、すごく嬉しかった。
「たぶんね、その指輪も、アルフレートのお師匠さんが何とか出来るんじゃないかなって思ってるの」
「そっか……確かに、あの人なら外せそうかも」
 アルフレートの師匠であるその人物は、アインヴェルト屈指の魔導師と書かれていたはず。願いを叶えてもらい彼を救うことが出来れば、きっとなんとかしてもらえるだろう。指輪の方も宛てができそうでひと安心だ。
「今日はここまでにして、また明日続きを話そうか。結構時間も経ったし、精神的にも疲れてると思うの」
 部屋の外は、すっかり夜になっていた。気遣う瑠果ちゃんの言葉に、急にどっと疲れが出たてきたような気がする。確かに、今日は色々有りすぎた。色々有りすぎて、召喚時のあれこれが大分霞んだのは有難いけれど。……いや、深く思い出そうとするのはよしておこう。
「私は隣のベッドだから、何かあったらすぐに起こして大丈夫だよ」
「うん、ありがとう」
 皆に一度報告してくるね、と言い残して、彼女は部屋を出ていった。
 ベッドに横になると、とたんにまぶたが重くなる。
 なんだかすごいことになっちゃったなぁ。そういえば、瑠果ちゃんは治癒をかけたって言ってたけど、もしかして私も使えるようになってたりする? 明日聞いてみよう。
 目が覚めたらやっぱり夢でしたーってなっても驚かないな。もし夢でも、こんなにリアルな『ユメヒカ』の皆を間近に見られたなら、それだけですごく満足だ。だけど、できれば、もう一度。明日またこの世界で目が覚めるなら。この世界のテオドールに会いたい。
 うとうととりとめのない考え事をしながら、私はぼんやりと眠りに落ちていった。





 目を開けると、知らない光景だ。いつもの私の部屋ではない。今日はどこか遠征に来てたんだっけ……?
 ぼんやり働かない頭で横を見ると、隣のベッドにとても可愛らしい女の子が眠っている。すごい、睫毛バサバサ。朝日にキラキラ透けた髪が綺麗で、天使みたい。……ああ、夢じゃなかったんだな。
 そう、この隣で穏やかな寝息をたてている可愛い子は、『ユメヒカ』のヒロイン……もとい、恐らく同じ世界からの転生人瑠果ちゃんだ。ゲームの世界とは違うので別人とはいえ、容姿は『ユメヒカ』ヒロインのものといっていい。こんなに素敵な寝姿を見られるとは、ファン冥利に尽きるのでは。
 ゆるゆると本格的な覚醒に向かって、ぼんやり昨日話し合ったことやこれからのことを思う。
 たぶん私は、大好きな『ヨゾラにユメを、キミにヒカリを』に限りなく近い世界にいる。厳密には皆ゲームとは違う人物なわけだけどそれはまあ置いて、あの世界をこの目で見られるかもしれない、皆の役に立てるかもしれない、という事実がとても嬉しかった。今まで自分の中で『彼』と対話をしてきたけれど、確かにそこにいても、やはりそれは一方通行なのだというのはわかっていた。ああ、干渉ができる、ということは、何と素晴らしく幸せなことなんだろう。
 『神の御使い』として召喚されたからには、ゲームのヒロインと同じく浄化や魔法が使えるようになったんだろうか。ヒロインの魔法は護りや治癒系。基本他パーティーメンバーに前衛を任せ、後ろからサポートするのだ。
 私個人としては背中を任せろ! のタイプになりたいんだけど、戦うメンバーの背中を眺めるというのもこれまた新鮮で楽しかった。ゲーム内では親密度が高かったり恋仲だったりすると、敵からの攻撃を庇うという体で抱き締められたりする。その描写演出で、振り返ったキャラが近づいてきて画面中央にどアップで映るんだよね。外出時のプレイは背後に注意だったなぁ……
 あれ、もしかして、『神の御使い』として役目を果たしていくということは、このままなのか、それとも協力者として別の誰かが一緒に行くことになるのかな。でも、少なくともまだしばらくは皆と一緒に行動するだろう。 
 ということは、テオドールも一緒。テオドールと一緒に旅……旅をするのか……本当に……? 私の心臓は色々耐えられるんだろうか……? この世界のテオドールは私の『彼』ではないけれど、だからといってわざわざ印象を悪くしたいわけじゃない。せめて、最低限、目の前で奇声をあげないように抑えなければ……
 そういえば、昨日助けてもらったとき。意識を失う前に聞こえてきた声はテオドールだったのでは?!? あの中であのしゃべり方をするのはテオドールだけだ。 ひええ……なんと言葉に変えたらいいのか、、ああでも、こういう時は、せっかくだから前向きに考えよう。私を真っ先に助けてくれたのは、テオドール。うんうん、そういうことにしておこう。これだけでも一生の思い出としてとっておける。
「……ふふ」
 気が付くと、目を覚ました瑠果ちゃんが楽しそうにこちらを見ていた。顔を赤くしてニヤついたり頭を抱えて青くしたりしていた一部始終見られてしまったらしい。
「ごめんなさい、私も記憶を取り戻したとき、そんな風に百面相したなぁって」
 そう可笑しそうに笑ってくれる瑠果ちゃんにほっとする。そうだ、彼女はこちら側の人間でした。
 軽く身支度を済ませて──とはいえ私は着の身着のままなので、顔を洗って髪を整えるくらい──というところで、大変なことに気が付いた。眼鏡が、ない!! 視力検査では裸眼で一番上が見えないくらい重度の近眼で、眼鏡は大切なライフラインなのだけれど……何故か視界はハッキリしている。
「悠希さん、どうかしたの?」
「あの、私眼鏡をかけてて……昨日落としたのかも……でもなんでか見える……」
 混乱して要領を得ない説明になる私に、納得したように瑠果ちゃんが頷く。
「たぶん、こちらに召喚された効果なのかも」
 瑠果ちゃん曰く、こちらに来てから以前より視力や体力があると感じたり、第六感みたいなものが働いたりしているらしい。これも光の神の加護のようなものなんだろうか。
 チカチカした視界を持て余しながら、瑠果ちゃんの身支度が終わるのを待つ。ふわふわとゆるくウェーブのかかった髪の毛を慣れたように編み込みして、今日はポニーテールにまとめている。朝日を受けるその姿が神々しく光っているようで、とても絵になる光景だ。当たり前だけど、いつもゲームと同じ髪型服装という訳じゃないんだよな。ああカメラが欲しい。せめて脳内スチルとしてストックしておこう……
「まずは中央神殿を目指すのがいいと思うの」
 中央神殿。この世界、アインヴェルトの大陸中心部に有り、光の神を祀る神殿だ。神殿の周囲は城下町のように発展している。
「ニコちゃんのところに行くの?」
 そう訪ねると、瑠果ちゃんは頷いた。
「悠希さんのことも報告したいけど、『神の御使い』が二人なら、例えば二手に分かれて回ることが良いのかどうか、聞いてみたいと思って」
「そっか、早ければ早いほど、助けられる可能性も高くなるかもしれないね」
 ゲームで神官ニコラウス個別ルートに進むには、彼とのイベント消化の他に、浄化のアクセサリーを奉納しに行くのにも期限がある。これは彼の命の期限が闇の神の復活と関連しているためだ。すなわち、早く穢れを祓い闇の神復活の儀式を遂行してしまえば、ニコラウスは生きたまま助けられる見込みができる。

 さて。ひとまずこれから下の階に下りて皆と朝ご飯を食べる訳なんだけれども。ちなみにここは旅の宿で、一階は食堂兼酒場、二階以降は宿泊部屋という感じに構成されている。そう、皆と食べる。つまり皆と会う。改めて顔を合わせるにはまだ心の準備が出来ずに、階段上でぐだぐだしていた。
「気持ちはわかるけど、悠希さん、ほら!」
「ひぇぇ……」
 瑠果ちゃんはぐいぐいと私の腕を引っ張って下りていく。最初は小さくなりながら、しかしカウンターの奥にどんと大きい樽があったり、何かしらの穀物が入っている麻袋がたくさん積んであったり、見慣れない光景だからついキョロキョロしてしまう。食堂エリアには丸い木のテーブルと椅子がいくつも並んでいて、様々な人が朝食を取っていた。色とりどりの髪。服装もやはりファンタジーだが、各種武器を手元に持っている人達もいる。改めて、ここが自分のいた世界とは違うんだと実感する。
 カウンターから離れた壁際の一角に、目的の人々は座っていた。




  
 瑠果ちゃんと私に気が付くと、テーブルの男の人がこちらに手を上げて合図した。
 サラサラの金髪に碧眼と整った顔立ち。正に主人公という容姿のこの男の人は、ゲームのメインヒーロー、レオンハルトだ。濃いオレンジの短髪にテオドールとそっくりな榛色の瞳をしたバルトルトは軽くこちらに会釈する。透き通った水色の髪と瞳のアルフレートは僅かに目を細めこちらを観察しているようにみえた。
 そして、カーキブラウンの髪と榛色の瞳のテオドール。強いその眼光に射抜かれそうになる。ああ、彼はここに、こうして存在しているのだ。
 感傷に浸りそうになるのをぐっと飲み込んで、どうにかこうにか昨日のお礼から──と思ったところで、先に口を開いたのは、じっとこちらを見ていたテオドールだった。
「それで、話はどんな風にまとまったんだ? そっちの『神の御使い』は俺達がもらい受けていいのか?」
 ひえ────! 俺達が。もらい受ける。もらい受ける!! 『神の御使い』を、だけど、私のことについて言われているので間違いないのだ。失礼で俺様な感じがとってもテオドールらしいし、新しいセリフ(しかもボイス有りで)ありがとうございます!!!という感じで頭がパンクしそうだ。
「テオドール、それは今日改めてって話したでしょ。
 それに、もらい受けるって、ものじゃないんだから失礼だよ」
 瑠果ちゃんがたしなめているけれど、私は目の前で実際に動くテオドールに、そして私を認識しているという事実に心がうち震えるレベルで感動している。もうこれだけで十分すぎる

「藤本、悠希です。あの、命を助けていただいて、本当にありがとうございました」
 改めて、自己紹介とお礼をする。これに関しては、どれだけ感謝してもしたりない。深々と頭を下げる私に、レオンハルトは人の良さそうな笑みで答えた。
「俺はレオンハルトだ! 話はルカから大体聞いている。
 お礼なら、こいつ──テオドールに言ってくれよ。テオドールが、森の中で最初に君を見つけたんだ」
 あーーー、やっぱりあのとき声をかけてきたのはテオドールで確定だ。身悶えするのを抑えつつ、テオドールにしっかりお礼を伝える。ふん、と鼻を鳴らして返されたが、それすらテオドールらしくて嬉しい。
「私はバルトルトです。こちらのテオドールの、弟です。……兄さん、ほら」
「……テオドールだ」
 バルトルトに促されて、テオドールもしぶしぶと名前を告げる。ゲームの中でもよくどちらが歳上なんだか……といわれていた、しっかりものの弟だ。
「……アルフレート。あと、こっちはクリス。よろしく、ユウキ。」
 最後のひとり、アルフレートは口数が少なく無表情なタイプ。その肩に乗ったリスのような小動物も紹介してくれる。この小動物にはまあ色々あるのだけど、それよりも。
 メインヒーローのレオンハルトと同じく、友好的なのはありがたい。ありがたいけど、名前呼び!! この世界的に名字があるかどうかわからないから名前呼びになるのは当たり前だけど、思わずどきっとするので心臓に悪い。皆の前であまり挙動不審にならないように注意しなければと気合いを入れているけれど、早速難しそうだ。
「昨日のこともあって、こうして知らない者に囲まれるのは怖いかもしれないが……ここには君を害する人物はいないから、安心して欲しい」
 顔を強ばらせている私が怖がっていると思ったのか、レオンハルトが声をかけてくれる。恐怖は違う意味でしているけども、やっぱりメインヒーローはとても良い人だな?! 何とかぎこちなく頷きで返すと、バルトルトはちらりとテオドールを見やった。
「兄は、顔は険しいかもしれないですが、怖くないですよ」
「…………おい、バルト」
「だって、あんたがこの人を睨んでるから。」
 バルトルトの言葉でさらに口を曲げたテオドールに、アルフレートが淡々とフォローにならないフォローを入れる。ああ……目の前のやりとりが尊すぎてすでに心臓がもたない。テンションがおかしくて鼻血が出てきそうだ。脳内のシャッターをぱしゃぱしゃときりつつ、なんとか朝御飯を食べ終えた。

 食後、改めて今後の方針などすりあわせをした。とりあえずは、中央神殿に行って神官ニコラウスに指示をあおぐ。出来れば二手に分かれたいというところは、より早く世界を浄化するためと、皆にはそう伝えた。もし二手に分かれることになれば、テオドールが言ったように、私はテオドールバルトルトと一緒に行くことになった。……これについては深く考えると完全に脳が処理落ちしそうなので、ひとまずは置いておこう。
 あとは、穢れを祓う浄化について。瑠果ちゃんもまだやったことがないので、可能ならば、最初は二人でやること。お互いどうなるかわからなくてとても不安だから、是非一緒にいるうちに経験しておきたい。
 中央神殿には、ここから馬車で二週間ほどかかるらしい。今日はまず道中に必要な物を買い、準備を整えることになった。
 宿の一角に設けられたスペースにところ狭しと商品が並べられている。街道を通る商人さんが色々と置いていくらしいので、その種類も豊富だ。タオルやせっけんなどの日用品から、ちょっとしたアクセサリーもある。どれもデザインが珍しいものなので見ているだけで面白い。
「中央で改めて買い足すとして、ひとまずは悠希さんのお洋服かな。あとは靴だね」
「ありがとう、助かります……」
 向こうから着の身着のままなので上下シンプルなスウェットなのもあれだけど、靴も召喚されたときのままなので、実はベランダに置いていたサンダルだ。歩きづらかったので、ちゃんとした靴はとてもありがたい。
「あとは、何か欲しいものはある?
 お役目だけで何の楽しみも無いのは良くないと思うの」
 魔法は精神状態にも左右されるし、と瑠果ちゃんは教えてくれる。ちなみに瑠果ちゃんは、せっけんは自分好みの良い香りのものを買うことに決めているそうだ。この世界に来て長いわけではないのに大分順応しているようだ。すごい。
 私は並べられた商品たちを改めて見た。服……はおしゃれより機動力や暖かさ重視だし、アクセサリーの類いは、本来は生活の邪魔になるのであまり好きではない。ふと、端の方に並べられた冊子が目についた。手にとってペラペラとめくってみると何も書かれていない。どうやらノートみたいなものらしい。
「瑠果ちゃん、この世界は紙って高価なものなの?」
「そうでもないかな。植物でできた紙が流通してるし、インクが無くても書ける不思議なペンもあるよ」
「そうなんだ……」
 ゲームをやっているときは特に気にしなかったけど、こういった文明部分は不思議で謎だ。違う世界だから比較しても仕方ないけれど、このぐらいの時代観だと羊皮紙とかで紙が高かったり、インクをつけて使うペンだったりのイメージだった。不思議道具があるのは魔法が存在しているからなんだろうか。深く考えても仕方ないし、便利ならそれにこしたことはないだろう。
「生活必需品じゃないんだけどこれはいいかな……?」
「大丈夫! 私のせっけんの方が高いくらいだよ」
 小さなノートと不思議ペン。元の世界に持ち帰ったり出来ないと思うけど、書くことで体は記憶する。少しでも覚えておけるように、この旅の日記に出来たらと思ったのだ。
 出発は明日の早朝。道中では、魔法の練習もする予定だ。