転生聖職者の楽しい過ごし方

「やぁ。」

 里桜は呆れた様な笑い顔をした。

「お忙しくはないのですか?」
「あぁ。忙しい。これでもこの国の王だからな。」
「ならばなぜこんな庭の真ん中でお茶を?」
「リオに会うための時間ならば作る。無理にでもな。」

 レオナールはそう言って笑い、里桜に座るように促す。

「…今回は仕事の話だ。結界の綻びを修復する日取りが決まった。町人には虹の女神が修復をすると大々的に発表するつもりだ。」

 レオナール付きの侍女が里桜にケーキを取り分ける。

「この日取りや当日の流れを決めている間に虹の女神についての噂も流した。救世主と共に渡ってきた渡り人が女神の力を得ていたと。」
「そんなに都合良く、神話級の登場人物のこと信じますか?」
「やってもいないトシコ嬢の活躍話を流したのは誰だと思ってる。神殿は昔からプロパガンダが得意なんだ。」

 里桜は口に広がる緑茶の味を堪能した。

「懐かしいか?」
「お茶ですか?えぇ。はい。とても懐かしいです。」
「ケーキは好きではないのか?」

 里桜は首を振って、ケーキを一口食べた。

「とっても美味しいです。」

 里桜がケーキをフォークですくうと口に運ぶまで、レオナールはじっと見つめている。里桜は思わず、顔を伏せた。

「この木はアーモンドの木だ。‘サクラ’に似ているか?」

 里桜は頭上に伸びている木を見上げる。

「えぇ。似ています。一瞬桜の木かと思ったくらいです。でも木肌が違うのでなんの木だろうと思っていました。」
「似ていて良かった。アニアに聞いたんだ。春先に‘サクラ’の木の下でピクニックをするのだと。その花はリオの名前にもなっているのだと。この国では春を告げるのはアーモンドの花だ。少しは故郷のものに近づいていたら嬉しいが。」

 里桜は、アーモンドの木を見上げ、花に見入る。レオナールはひと枝手折って里桜に差し出した。

「サクラを見せてやれず、申し訳ないが。」
「木を傷付けては…」
「ここは私の住まいの庭だ。頼む。怒らずに受け取ってくれ。」

 里桜は笑って、受け取った。


∴∵


「リオ様、素敵なお衣装です。」
「ここまでする必要ありますかね?」

 新しい尊者の装束を着て、布地に見入る。形はそのままで、生地が今までの物より数段豪華になっている。

「これ。細やかな模様は銀糸の刺繍ですよね?」
「はい。ロベール様とシド様がリオ様に相応しい布地をご用意下さいました。」

 レオナールに修復する日が決まったと聞かされたのは半月ほど前。その間に見事、結界の補修をするのはただの渡り人ではなく、虹の女神の力を得た渡り人だと巷に噂が広まった。

「それに私、祝詞とか上げなくても結界の補修出来るんですけど…。」
「馬車で行って、パッて結界直して、じゃっでは…。それらしい儀式も必要です。」

 里桜は納得がいかず首を傾げる。

「皆さんがリオ様を見に来ます。私としては、リオ様の素敵なドレス姿をご覧頂きたいくらいですが、尊者としての威厳も必要ですから。仕方ございません。」

 壁際のコンソールテーブルにはレオナールから貰ったアーモンドの枝が枯れない様に魔術をかけて飾られている。
 あの日、枝を持ち帰った里桜に、リナがアーモンドの花の花言葉を教えてくれた。それが、本当にレオナールの気持ちならば枯れて捨ててしまうことは躊躇われた。

「それでは、リオ様参りましょう。アナスタシアさんも先に神殿で準備をしてお待ちですから。」
「はい。行きましょう。」


∴∵


 神殿の一番格式の高い馬車に乗り込み、ザイデンウィンズの街に着いた。神官のジョルジュが降り、アナスタシアが降りて、二人に迎えられる様に里桜が降りた。
 既にそこには簡易的な神殿が作られていて、数名の神官と聖徒、尊者四名も既に定位置に着いていた。
 里桜は皆から恭しく迎えられ、決められた場所で立ち止まる。
 呼吸を整え、ロベールとシドが考えた祝詞を上げる。里桜の祝詞に続き、他の尊者もそれぞれ祝詞を上げ、最後シドが祝詞を上げ終わると、里桜は両手を空へ掲げて、結界を張った。
 何故か、里桜の放った力は洗礼式の時の様にオーロラの様な光を放った。その光の美しさに、その場にいた者はみな、息を飲んだ。
 最後にまた里桜は祝詞を上げ、聖杯に入った水を飲んで一連の儀式は終わった。
 その場は一瞬静まったが、里桜の力を目の当たりにした人々は歓喜の声を上げた。

 そして、この国に虹の女神が誕生した。


∴∵


 里桜は休日に居室のソファーで本を読んでいた。階段を上ってくる足音がして、そちらの方を見ると顔を覗かせてのはアナスタシアだった。

「リオ様、例の出来上がりました。」

 里桜が目を輝かせると、アナスタシアも同じように輝かせた。

「今、宜しいですか?」
「はい。どうぞ。リナさんは?」
「国軍の練習場へ。」

 アナスタシアと護衛の兵士は大きな箱を抱えて入ってきた。

「アドルフさん、荷物を運んで頂いてありがとうございます。」

 兵士は挙手で礼をしてその場を離れた。

「開けても?」
「はい。」

 里桜が蓋を開けた。

「思った通り。」
「リナさんにお似合いになると思います。」

 取り出して広げる。ボルドーにライトグレーのパイピングが施されたロングジャケット。この色はアナスタシアと拘ったリナに合わせた色。

「リナさん喜んでくれますかね?」
「はい。きっと。」


「アナスタシアさん戻りました。」

 いつもなら、この時間は食堂か応接間で掃除や午後のお茶の用意をしている時間だ。それなのに応接間にも食堂にもアナスタシアの姿がない。二階から里桜の声がする。リナは階段を上る。

「お帰りなさい。リナさん。」
「お二人でどうなさいました?」

 里桜とアナスタシアは、互いを見てにっこりと笑った。

「これ、リナさんに贈り物です。あと…実はアナスタシアさんにも。」
「えっ?私にもですか?」
「はい。もちろん。」

 幾つかある大きな箱を順に開けていき、そのうちの一つをアナスタシアに渡した。

「開けてみて下さい。」

 アナスタシアの方は同じ型の色違いだった。

「お二人の制服です。リナさんのは一見ワンピースに見えますがロングジャケットになっていて、下にパンツを合わせてもらって、騎士服になるように。アナスタシアさんのは、見たままのワンピースです。色は私の独断で。」

 アナスタシアのワンピースはティールブルーにライトグレーのパイピングになっている。 

「私の侍女としてこれからずっと一緒にいて下さる二人に。私から。これまでの感謝とこれからもよろしくとの気持ちを込めて。」
「どう言う事?」
「ですから、先月渡り人のリオ様が虹の女神様であったことが披露されました。」
「虹の女神って何よ。」

 利子はテーブルに乗り出さんばかりの勢いで聞いた。

「建国神話にございます・・」
「それは何となく聞いたわよ。神が女に逃げられたとかで、泉に虹の橋を架けたんだかなんだかって。」
「はい。国民の間では、神話だけでの存在でしたが、王室や神殿では古くから語り継がれておりました。通常の救世主様ですと白金の力を持ちますが、女神様はそれ以上のお力をお持ちでございます。」
「それがあの子だって、なんの証拠があるのよ。」

 利子はテーブルを叩く。

「お披露目の式典で結界の補修を致しましたところ、青・緑・黄・橙・赤・白・白金、全ての色をした光の柱を見せました。まるで女神様のお体から虹が発生したみたいに。とても美しく神々しいお姿でした。」
「…そう。それは凄いわね。」


∴∵


「おーこれが、以前にリオが言っていた写真と言う技術か。」

 里桜は日本で使っていた入館証をレオナールに見せていた。

「これ自体は少し、違うのですが…。」
「これが、前の世界でのリオか。しかし、目の前のリオの方が柔らかく優しい笑顔だ。写真を作った者は腕が良くないようだ。」

 写真の私が疲れた顔で笑っているのは、繁忙期と本社社屋の移転が重なって死ぬほど忙しい中で、新しい入館証用の写真を撮らなくちゃいけなかったから。
 それ、最高潮に忙しい時だから。総務を訴えたいくらいの写真なんだから。撮る時期ってものがあるでしょうよ。

「写真は描くのとは全く違う方法で、専用の道具で映しているんです。だから、こう言う物では撮る人の腕はそんなに関係ないかもしれません。もっと沢山の写真をお見せ出来たのですが、その道具をこちらに来るときになくしてしまったみたいで。」

 里桜は寂しそうな顔をした。

「それで、リオはどんな世界でどんな生活をしていた?」

 レオナールのあまりに真っ直ぐな視線に、里桜は照れくさくなった。

「えっと…まずは、魔法はない世界のとても大きな大陸の東側にある島国で生まれました。八歳離れた兄と四歳離れた姉がいます。一歳の時に父が亡くなり、母方の実家に移り住んで、十八歳で働き始めて、二十歳で一人暮らしを始めました。贅沢な暮らしや、今のように誰かに生活のお世話をしてもらえる人生ではありませんでしたが、身の丈にあった生活が出来ていたと思っています。」
「お父上は何故亡くなった?戦争か?」
「戦争ではなく、病気です。仕事中に倒れ、家族は最後のお別れも出来なかったそうです。私は勿論父の記憶はありません。」

 里桜がレオナールに向かって微笑むと、レオナールも微笑み返した。

「移り住んだ母方の実家とはどんな町なんだ?一人暮らしとは…危険ではないのか?何か危ない目に遭っていなかっただろうな?」
「陛下、質問ばかりですね。」

 里桜は困って笑った。

「リオがどんな風に生活をしていたのか、想像するのは楽しい。きっとリオのことだから周りを楽しませていたのだろうな。…リオの事となると、どんな些細なことでも知りたいと思うし、心配をしてしまうんだ。」


∴∵



「とても素晴らしいです。トシコ様。」
「ありがとうございます。レイベス尊者。」

 結界が修復されたことで利子の魔力も回復し、白の魔力まで戻っていた。
 里桜が虹の女神として活躍している事を聞いてからの利子は、尊者や聖徒たちの言うことを聞き、日々勉強に励んでいた。その事が評価され、監護室から出ることを赦され、一先ず王宮の客室に移っていた。

「やはり、トシコ様も渡り人でいらっしゃる。とても豊富な魔力でございます。」

 今は、神殿の一室で魔術の練習をしていて、バケツ三杯分の水を出している。

「前は安定せずにちょうど良い水量を出せませんでしたが、今日はぴったり水を止める事が出来ましたね。次回からは、火の魔術を勉強致しましょう。」
「はい。わかりました。レイベス尊者ありがとうございます。」

 利子は侍女と歩いて客室へ戻る。
 利子の生活はあれから一転した。護衛は騎士ではなく国軍になり、住まいは離宮ではなく王宮の客間。救世主として作ったドレスは客室のクローゼットには収まりきれず、居間に置かれている。マクシミリアンやウィリアムは今は一切顔を見せず、お茶会の誘いもなくなった。

「セザール、護衛ご苦労様。今日はもう部屋から出ないし、もう帰っていいわ。」

 自室としている客室の前で利子は護衛の兵士に言った。

「いいえ、交代の時間までこちらに居ります。」
「そう。わかったわ。」

 部屋に入ると、ソファーに座り読みかけの本を読み始めた。
「はー。どうすれば良いのだ。私がどれだけあのニセ救世主に金を使ったと思ってる。細やかに世話をしてこちらでは親がいない渡り人の親代わりになり、後には我が家門が国王の外戚になれると…。全てはあの女が王妃になると見越しての先行投資だったはずなのに…。」

 マクシミリアンはソファーに腰掛け、貧乏揺すりをする。

「だから、前に私が言ったではありませんか。リオ嬢の方が穏やかでよい子だと。」
「おー。そうだ。お前あの役立たずの娘に熱をあげていただろう。どうだ?お近づきになれたのか?」

 足の動きを止めて、向かいに座る息子に身を乗り出す様に尋ねる。

「国軍の輩は彼女に力があると、初めから知っていたのに黙っていたのです。普通の渡り人にしては守りが固すぎると思っていたのです。ある日など、寮のエントランスにも入れないから、上官へこの無礼を報告するぞと言ってやったら、非番なので上官は関係ないと言われました。寮監も要件をうるさく聞いてくるし。たかが寮監のくせして、随分偉そうなんですよ。」
「結局、近づく事も許されていないんだな。お前こそ役立たずだな。」

 マクシミリアンは鼻で笑った。

「イリスの茶会にも欠席の返事が来たと言うし…。」
「名が良くないのでは?本物のIrisなのは、あちらなのですから。」
「・・・。」

 マクシミリアンは顎を触りながら、何やら思案する。

「そうだ。前に狩りで遊んでいると聞いた。狩りだ。我が領地には絶好の狩り場がある。陛下と共に狩りへお誘いしよう。二人がそこで絆を深めてくれれば、観光地として栄えるかもしれん。そうだ。そうしよう。」

 マクシミリアンはにやけて言う。

「その後に晩餐会をするぞ。虹の女神の好物や趣味を徹底的に調べろ。全て最高級の物だ。牛肉でもワインでも女神の好物の最高級品を用意しろ。良いなルイ。」
「鶏肉です。」
「は?」
「ニワトリの肉が好きなようです。」
「そんな庶民の食べ物。」
「王宮の者が言っていました。」

 マクシミリアンは頷く。

「ならば、鶏肉を用意しろ。何でも良いから、とにかく虹の女神の好物を用意しろ。」


∴∵


「ジョルジュ神官。他に書類は?」
「虹の女神様。本日の書類は以上でございます。」

 神官のジョルジュは畏まって頭を下げた。

「ジョルジュ神官。その呼び名はやめて下さいと言ったでしょう。」

 ジョルジュは、人懐っこい笑顔を見せる。

「リオ様が、虹の女神だと公表されてから、神官や聖徒からリオ様はどんな人なのか、世話係に召し上げてくれる様口利きして欲しいと頼まれるのです。」

 ジョルジュは急に顔を曇らせた。

「皆さん勝手です。トシコ様を救世主だと持ち上げていた時は、リオ様が毎日頑張っていらっしゃっても“何もしない”とか“役立たず”とか散々言っていたのに。手のひらを返して…。」
「ジョルジュ神官。その書類、早く持って行ってもらわないと、私、今度は‘おサボり女神’って言われてしまうから。さぁ早く持って行って。それと、今回のことは仕方のないことだから。あまり周りの人を悪く言っては駄目だからね。ジョルジュ神官は優しくてよく気が利く賢い人なのに勘違いされちゃうから。さぁ、行って。」

 里桜はジョルジュの背を見てため息を吐く。

「ジョルジュさんも嬉しい様な悔しい様な気持ちなのだと思います。」

 アナスタシアは笑顔を見せる。

「リオ様のされていることは、公表前も公表後も変わりはないのに、今のリオ様には多くの人が取り入ろうとされています。自分が尊敬する方が世間で認められた嬉しさもあり、何も変わりないのに周りの対応だけが変わって。戸惑う気持ちもあるのだと思います。」

 里桜は私物を片付けながら、笑って聞いていた。
 里桜が寮の居室に戻ると、花束が届けられていた。

「かわいい。ピンクだけど…この葉っぱって。リナさんこれは、あやめ?」
「アヤメ?」
「かきつばた?」
「カキツバタ?」
「菖蒲?」
「ショウブ・・・?」

 妙な会話にリナもアナスタシアも里桜も笑った。

「このお花は何?日本だと、似ている花が多くて私には違いが分からないんです。」
「アイリスでございます。」
「アイリス…あやめって、青っぽい紫とか白が入った紫色の印象でしたけど、薄ピンクもあるんですね。」
「はい。 ‘サクライロ’ のアイリスは陛下からでございます。アイリスの語源はイリス。虹の女神ですから。謂わばこの花はリオ様のお花でございますね。」

 里桜は置かれた花束を胸に抱えた。

「リナさん。お花生けておいて下さい。あと、陛下にお返事を書くので…厨房からワインを一本貰ってきて頂けますか?」
「ワインですか?」
「えぇ。陛下へのお返しに。」
「はい。分かりました。」


∴∵


「書類にサインを貰おうと思ったが…飲むには少し早いんじゃないか?」

 執務室にいるレオナールは机にワインを置き、手にはカードを持っている。

「リオからのお礼だ。」
「今度は馬じゃなく何をやったんだ?」
「アイリスの花。」

 クロヴィスは思わず吹き出した。

「お前、いつからそんな夢見がちな男になった?そんで?そのカードは?」

 レオナールは、カードをクロヴィスに渡す。

≪≦15475aefaed369cada456074b345bc42.png|C≧≫

 クロヴィスは声を出して笑った。

「リオには気持ちが全く伝わっていないと言うわけか。」
「リオ嬢の国では一夫一婦制らしいぞ。夫でも妻でもどちらかがそれ以外の相手と関係すれば離縁の正当な理由にもなるし、社会的にも非難されると。そんな国でそれを普通として生きてきたんだ。妃も子供もいるお前に言い寄られてもな・・・困惑もするだろう。」
「ベルナルダもアリーチェも俺が欲して側に置いた。それは事実だからな。」


∴∵


「陛下、是非とも私たちの領に狩りへいらしてください。その時は是非虹の女神様もご一緒に。」

 クロヴィスは、隣で苦笑いしている。

「私も狩りは趣味でして、虹の女神様も狩りが趣味で月に何度も狩り遊びをされていると聞きます。」
「それはどなたからの情報でしょうか?」

 渡り人は狩りばかりしているとくちさがない者からの情報ですとは、さすがのマクシミリアンも言えず、口ごもる。

「それは……どなただったかまでは……。」
「そうですか、それで彼女は何と返事をしたのです?」
「お誘いはありがたいが、神殿の仕事があるので遠慮すると。」
「ならば、彼女を連れていくことは無理ですね。それに彼女はもう狩りをやめました。」
「やめた?」
「狩りは魔獣討伐のための練習で、趣味や遊びではありません。訓練の一部です。今は、ロベール大叔父が出す動く土壁や飛ぶ葉などで練習をしています。国軍の練習場で練習が出来るようになって、狩りへ行く必要がなくなりましたので。」
「そっそうでしたか……。そうだ。虹の女神就任の祝いをお贈りしたいのですが、虹の女神様は、どのようなお召し物や宝飾品がお好きなのでしょうか?先日お贈りした首飾りは、"尊者には必要ありません"と戻って来てしまいました。」

 レオナールは呆れて言う。

「彼女は宝飾品やドレスには興味がないようですよ。」
「そんなはずはないでしょう。女は子どもでも年寄りでも宝飾品を喜ぶでしょう。差し上げた首飾りの宝石が小さかったのでしょうか?」

 あなたがそう言う人だから、周りにはそう言う人しか集まらないのでは?の言葉は飲み込んだ。

「まぁ、とにかく。彼女がお気遣いなくと言うのなら、気を遣わずにいれば良いのではないでしょうか?私は忙しいので、何か仕事の話でなければもうよろしいですか?」

 レオナールは腰を上げて、マクシミリアンに帰るよう促した。
 休日、リナ特製のナッツミルクラテを飲みながら庭の見える一階の窓辺で読書するのがここでの定番の過ごし方だった。
 そんな時はリナやアナスタシアはできる限り里桜を一人にしてくれている。

「あ゛ーぁ。お醤油味食べたい。お味噌汁飲みたい。」

 そんな一人の時、決まってこう大声で言ってストレスを解消している。

「リオ様、ショウユご存知でしたか?」

 突然のリナの声にビックリしていると、庭から軍手をはめたリナがひょっこり顔を出した。

「リナさんっ。居るの気が付かなくて。」
「あらっ、私ったら驚かせてしまい、申し訳ございません。しかし、今の本当でございますか?」
「本当?」
「食べたいですか?ショウユや、ミソ。」
「…はいっ。とても。」
「ございますよ。」
「えっ?」

 リナは土の付いた軍手を器用に外しながら、窓辺にいる里桜に近づいてきた。

「でも、伝承記には私の様な東洋人の特徴を持った渡り人が来たって言う記載はなかったですし…」
「えぇ。この国ではございません。エシタリシテソージャの特産でございます。」
「隣国?」

 リナは頷いた。

「エシタリシテソージャに百年前に渡ってきた救世主が大豆を育て、まずミソをお作りになって、後にショウユを。」

 里桜は目を大きく見開いた。驚いている里桜を見てリナは微笑む。

「でも、いくら交流がある隣国とはいっても輸入品となるとお高いですよね。」
「本当はそうなのですが、友好国ですし何よりも我が国にはとんでもなく太いパイプがおりまして。」
「太いパイプ?」


∴∵


「リオ様、そんなにですか?」
「えぇ。そんなにです。この世にないと思っていましたし、私では作る知恵もなく…もう一生食べられないと思っていたのに。」

 食べられるー。お醤油味、食べられる。もう…。
 馬車で王宮に着くとリナとアナスタシアを後ろに従えて早足で王宮内を横切って、国軍の棟までやって来た。里桜の顔を見ると兵士は何も言わず中へ通す。里桜はにっこりと会釈をして通る。
 アランの執務室の前にいる兵士に

「幕僚にお目通り頂きたいのですが。」

 兵士が中へ声をかけると、アランの声が返ってきた。兵士は扉をあけて里桜を中へ通す。

「バシュレ幕僚閣下。私にお醤油食べさせて。」
「は?」
「カラヴィ様に会わせて下さい。私にお醤油食べさせて下さい。」


∴∵


「とても香ばしい香りですね。」

 国軍寮の厨房の片隅で、リナ、アナスタシア、リュカ、護衛の兵士たちが一つの鍋を囲んでいる。

「これは、豚肉のショウガ焼き。とても一般的な食べ方なんですよ。いやーでもエシタリシテソージャなんて良い国。まさか、昆布や煮干しまであるなんて…。」
「あぁ。でも本当にようございました。リオ様はこちらへ来てから、アレ食べたいコレ食べたいなどの食事のことは殆ど何も仰らず出されたものを食べるばかりで…本当は何が食べたいのか気にしておりました。」

 アナスタシアはリナの方を見る。

「はい。本当は何がお好きなのか、何を召し上がりたいのか、また無理に食べて体調を崩さないか心配でした。こんなにも食べることを楽しみにしていらっしゃるリオ様を見るのは初めてです。」

 ニコニコとしている里桜を見て、二人も嬉しそうに笑う。

「よし。もうコメは炊けたよ。」

 里桜はリュカの両手を握りしめ、

「もうこのご恩を何と言えば良いか。陛下が良いと言われたら虹の力で加護でもなんでも付けて差し上げます。本当にありがとう。カラヴィ様。」

 リュカは、あまりの勢いに苦笑いをする。

「まさか隣国に米食文化があったなんて。お米を持っているだけではなく、お鍋で炊けるとか…もうホント神。…いや、天使。」
「どうして神から天使?何だか急に格下げされた雰囲気だけど。」
「違うんです(私にとって神は…あのボンクラ神の印象になってしまって…)。」
「まぁ、いいか。留学中に僕もコメが食べたくなって、その時は一緒に付いてきていた執事に炊いてもらっていたんだけど、この国に永住を決めたとき、執事に教わったんだ。コメって無性に食べたくなるもんね。この国ではコメは家畜の餌だし、ちょっと種類違うし。他国にはコメ食の文化がないから、あまり情報も広がらないんだろうね。まさか、アナスタシア嬢まで知らなかったなんて。」

 たまにじゃないよリュカ。私は違う。無性どころではなく、一日一食はご飯が良い。

「じゃ、あとはお味噌汁作ります。」

 里桜は、取っていただし汁を一番小さい鍋に移して火にかけ、スライスしたタマネギを入れた。

「なんともいえない香りですわね。牛や鶏のスープとは違う。」
「煮干しの香りだと思いますよ。こちらに来る前に料理の本を見ていた時に日本のだしは世界で一番簡単に取る事ができるスープストックだと書いてあったんです。」

 リュカからもらった味噌を一なめしてみる。

「牛や鶏のスープストックは骨や身をぐつぐつ、ことこと煮込まなくてはいけませんが、さっきやったみたいに昆布のだし汁は比較的時間はかからないので。」

 だし汁を軽くかき回しながら、

「でも本当は、それぞれの職人さんが手塩に掛けて素材を作ってくれているから、家庭でも簡単におだしが取れるんですけどね。その他に鰹で作る鰹節もスープストックの材料で、私の家は昆布と鰹のスープストックを使っていました。煮干しは私にとってはあまり馴染みがないんですけど…。鰹節を作るってところから始めると膨大な時間だし、作り方も正しくはわからないので、私には作れないんです。」

 火を止めて、味噌を溶く。

「しかも…お味噌が熟成豆味噌。良い香り。」
「ほぅ。それで、リオはそれを喜んで食べたのか。」
「はい。それはもう、物凄い勢いで召し上がったそうでございます。あっ飲み物はこれが一番合うと仰って、陛下の差し上げたお茶を美味しそうにお飲みになっていたと言う話しでございます。」

 侍従のアルチュールは笑顔で報告する。

「で、エシタリシテソージャへ外遊に行きたいと……」
「はい。外遊をご提案されたのは、クロヴィス閣下でございますが。」
「しかし、あそこまで行くとなると、一月をかけての外遊になる。」
「そうですね。なりますね。」
「俺も・・」
「陛下は行けません。一ヶ月も国内の公務を滞らせるわけにはいきません。それにいきなり国王が来訪など、あちらに迷惑をかけてしまいます。少なくとも一年は調整しなければいけなくなります。」

 “ですから駄目です。”とアルチュールは再び否定した。

「しかし、女神だけを向わせるのも心許ないので、外交的に鑑みまして…三大伯爵家のご子息たちを随行させてはどうかと。」

 レオナールは眉にぐいっと力を入れる。
 三大伯とは、この国の外交の要オードラン家、司法の要レオタール家、軍事の要ファロ家を言う。どの家も現在それぞれの大臣を担っている。その子息は着実に父の背を追い、立派な跡継ぎに成長している。

「リオと近すぎる。」

 アルチュールはレオナールに問う様なそぶりをする。

「リオは二十三歳、アルフォンスは二十五だ。」
「あぁ。そう意味では、陛下より女神に近いのかも知れませんね。でも、陛下だってまだ二十七歳でいらっしゃる。可能性はありますよ。私などはもう三十五ですから。それに比べればお若いですよ。」

 アルチュールは笑いながら執務室を後にした。


∴∵


「お久しぶりね。としこさん。」
「えぇ。りおさんはお元気そう。」

 里桜が訪れたのは、以前自分が聖徒になる前に暮らしていた王宮の客間。もう少し懐かしく感じるかと思ったが、部屋にはそこかしこに利子のドレスが置かれていて部屋の雰囲気がまるで違った。

「今日はね、お昼ご飯にどうかなと思って…差し入れ。一緒に食べない?」

 利子の侍女が二人の前に出したのは、おにぎりと豚汁だった。

「こんにゃくとか大根とかゴボウはないからちょっとね、物足りないけど。豚肉とにんじん、ジャガイモ、タマネギで作ったの。知ってた?この国ごま油はあるんだけど、貴族階級は食べないらしいの。美味しいのにね。それで町に買いに行ってもらちゃった。だからコクもあってなかなかな仕上がりだと思う。」

 利子は、里桜の料理をじっと見ている。

「あっ。人の握ったおにぎりダメ?」

 利子は首を振る。

「嫌いな物あった?」

 これにも首を振る。

「材料、良く手に入ったね。味噌とか。」
「うん。ちょっとね、意外な伝手があったの。おにぎりの中はね、カラスガレイに似た白身の魚があったから、醤油漬けにして焼いたのを具にしてるの。」

 利子はおにぎりを一口パクリと頬張り、豚汁をのむ。

「懐かしい。おいしい。」

 利子は柔らかい笑顔をした。

「良かった。本当は海苔もあれば嬉しかったけど。贅沢は言えないからね。黒ごままぶしたので我慢してね。私も頂くね。」
「それで、りおさん最近はどうなの?虹の女神?とやらになったんでしょ?」
「虹の女神になんて、なったつもりはないんだけど。」
「皆言ってるよ。素晴らしい力だって。」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、やってることはあまり変わらないんだよ。特別何かをしてるわけじゃないの。」
「ふーん。そうなんだ。」


∴∵


「それで、リオはエシタリシテソージャへ行きたいのか?」
「行きたいです。」
「ならば、渡り人の外遊として許可をしても良いが……」
「良いが、何ですか?」
「五月、我が国には虹の女神祭がある。女神が天界より降りてきた日と言われていて、毎年出店等も出て賑わう。初めて降りた地はゴーデンと言って、エシタリシテソージャへ行く道の途中にある街だ。そこで虹の女神として、この国の繁栄と安寧を祈願し祝詞を披露すること。行程にある宿場町に簡易治療所を作り、国民を治療すること。」
「はい。わかりました。」
「あれ程目立つのは嫌だと散々言っていたのに。」
「お米とお醤油とお出汁とお味噌のためならば。やってやります。日本人の意地です。」
「そうか?まぁ良い。あと、あの国は我が国と比べると些か奇妙だ。あちらからすれば我が国が異端なのだと言うが。貴賤意識が強く、リオの今の態度ではあちらでは通用しない。もう一度アニアから淑女教育を受け直すように。特に言葉遣いを直せ。侍女にさん付けなどしないようにな。」
「はい。わかりました。」
「あとは、あちらの国では私の婚約者として振る舞ってもらおう。」
「それは、お断りいたします。」
「お褒め頂き、ありがとうございます。」
「いいえ。素晴らしい成果でございます。本日お作り頂いた魔剣は国軍へ渡すと致しましょう。」
「はい。尊者よりお渡し願います。」
「はい。畏まりました。それではまた明日、同じ時刻に。」
「はい。ありがとうございました。」

 利子はレイベスを見送ってから、自分も神殿の個室を出た。扉の両脇に侍女と国軍兵士がいる。

「お待たせ。では、部屋へ帰りましょう。あっその前に図書室へ行きたいの。」

 侍女と兵士は短い返事をして、利子の後ろを歩く。


∴∵


「ジョルジュ神官、後で構いませんのでこの書類をシド尊者様に渡して下さい。あと、アナスタシアさんに・・」
「リオ様。お言葉が。」

 里桜はジョルジュの方を見て苦笑いをした。

「大目に見ていただけませんかね?」
「リオ様。お言葉が。」

 エシタリシテソージャへ外遊するにあたり、レオナールから課せられた条件の一つが淑女としての振る舞い。その一つとして言葉遣いを矯正中でジョルジュはアナスタシアより見張り役を仰せつかっている。

「ジョルジュ、後でこの書類をシド尊者に渡して頂戴。それと、アナスタシアに治療所へ向うと伝えて頂戴。」
「はい。リオ様。」

 里桜がふてくされた様にジョルジュを見ていると、ジョルジュは少しため息を吐いた。

「リオ様は今この神殿で最も尊いお方なのです。私はそんなお方にお仕え出来ていることを誇りに思っております。リオ様の朗らかで馴染みやすいお人柄も大変好ましく感じますが、今リオ様に必要なのはその地位に相応しい振る舞いです。地位に相応しい振る舞いがまたこの地位にさせるのだと言う事を忘れないで下さい。」

 里桜はジョルジュの目を真っ直ぐに見て一つ頷く。

「ジョルジュ、ありがとう。あなたの言葉、胸に刻みます。では、もう出かけるからアナスタシアを呼んできて頂戴。」
「はい。畏まりました。」


∴∵


「はー疲れた。リナさん今日は・・」

 伸びをした状態で後ろを歩くリナに話しかけようとして、アナスタシアやジョルジュの視線が刺さった。上げた腕を静かに下ろして何事もなかった振りで歩く。

「リオ様、言葉遣いが上手くいかないからと喋らないのでは、上達も致しません。ゆっくりで構いませんので、思ったことをきちんとお話し下さい。」
「今日はとても疲れたの。リナ、今夜はカモミールティーにしてもらえる?あと、夕食は軽めにして欲しいの。」
「はい。畏まりました。」
「宜しくお願いね。」

 里桜がアナスタシアの方を見ると、にっこり笑って頷いた。

「あっあと、エシタリシテソージャのことを少し調べたいから図書室へ行きたいの。ジョルジュは書類をシド尊者に渡したら帰って構わないから。」
「はい。リオ様。では私はここで失礼致します。」
「はい。お疲れ様。また明日も宜しくね。」

 ジョルジュは笑いながら一礼して、神殿の方へ歩いて行った。

「りおさん。」

 里桜が声に振り向くと、そこには侍女と兵士を連れた利子がいた。

「としこさん。」
「今日はもうお仕事は終わり?」
「えぇ。としこさんは?」
「今日は少し図書室に寄ったの。自分の無知が災害級の大火を生んでしまった訳だし。魔獣についてきちんと学んでおかないとね。あぁ。あなた、りおさんの侍女だったの?」

 利子はアナスタシアの方を見る。アナスタシアは黙っている。

「じゃあ、りおさんの侍女を借りてしまっていたのね。りおさん、その節はご不便をかけてごめんなさい。」
「ううん。大丈夫だよ。リナもいるし、不便なんて。」
「そう言えば、りおさん来月エシタリシテソージャへ外遊に行くって。」
「うん。陛下はとしこさんもって言っていたけど…」
「えぇ。お話しは聞いたけど、私はまだ他にも勉強しなければいけないことが沢山あるから。今回は遠慮させて頂いたの。」
「そう。」
「この前のお米や味噌や醤油が名産品なんでしょう?陛下は私も行ったら懐かしい料理が食べられるかもと言っていたけど、それより今は同じ過ちを繰り返さないことが重要だものね。あっごめんなさい。忙しい時に立ち話しで足止めしてしまって。」
「あぁ。ううん、良いの。もう仕事は終わっているし。それじゃ。」
「えぇ。じゃあ。りおさん、勉強と仕事で忙しそうだけど、お体を大切にね。」
「ありがとう。としこさんも。」

 利子が去る後ろ姿を里桜は見ていた。

「トシコ様はお変わりになりましたね。」

 アナスタシアは少し不思議な物を見た様な口調で言った。

「元いた世界では経験しない出来事ですから。としこさん、きっと色々考えたんだと思います。今も仮設住居に住まざる得ない人々もいますし。それが自分が起こした火災でとなると…辛いと思います。」

 アナスタシアは里桜の方を見てにっこり笑う。

「リオ様、お言葉が。」
「はい。」
「リオ様、そろそろお時間が。リナさんが心配されてしまいますので。」

 里桜が本から顔を上げると、外はすっかり暗くなっていた。リナは夕食や諸々の準備のため、先に寮へ帰っていた。

「エシタリシテソージャは比較的新しい国なのね。」
「そうですね。近隣国では唯一国名が変わった国でございますね。」
「陛下が貴賤意識が強く、伝統を重んじる国だと仰って。勝手に古い国だと思い込んでたみたい。」

 里桜は読んでいた本を書架に戻しに行く。

「いつも思うけど、アナスタシアは本当に博識ね。私が聞いて答えられなかった事がないくらい。」
「いいえ。私など、それほどでも。ただ、父は先王の兄、祖母も王女。そう言う家系ですから。国内外のことに幼い頃から興味がありました。」

 里桜は振り向いて、

「本当に単純な疑問なのだけど、陛下の結婚相手…王妃にアナスタシアの名前は挙がらなかったの?知識の豊富さも家格も魔力の強さもアナスタシアなら申し分ないでしょう?」
「先ほども申しましたが、祖母が王女、父が先王の兄では血が近すぎますので。私は逆に初めから外されておりました。ただ、王妃が定まった際には侍女になる道もあるのではと、勉強していただけでございます。」
「あ・・・。うん。そうね。私が生きていた時代には近親婚は道義的にも遺伝子学的にも禁止されていたけど、昔にはそう言う婚姻関係もあった様だったから。少し意外。」
「数百年前までは我が国も、魔力の強さを維持するために近親婚をしておりました。が、エパナスターシに渡ってきた救世主が近親婚の危険性について語り、近隣諸国にもその考えを広めました。今この大陸で近親婚をする国はありません。」
「それも、救世主の国に対しての貢献の仕方なのね。そう考えると、いつも思うのが私は何も出来ないって事。学があるわけでもないし、食料を自給自足出来る様な逞しさもない。何も出来ないことを痛感するな。」
「いいえ。リオ様。そんなことはございません。救世主が男性であった場合、私が救世主と婚姻を結ぶことになっておりました。しかも二人の間に出来た男子は陛下の元に養子に出す様に言われていたのです。」
「そんな…。」

 アナスタシアは微笑んだ。

「そもそも、私の存在自体が、王家に何かがあったときの代替品のようなもので。それも、私の役割だと覚悟を決めておりました。でも、私にはそうして夫を支える事よりも、こうしてリオ様の侍女として自分の知識や経験や魔力を使えることの方が合っております。初めは虹の女神だなどと思いも致しませんでしたが、渡ってきて下さったのがリオ様で、少なくとも私は本当に救われました。」
「ありがとう。アナスタシア。私もあの日教育係として来てくれたのがあなたで本当に良かった。さぁ、話し込んでしまったけど、早く帰らなきゃ。」
「そうですね。」
「どうでした?言葉遣い、及第点頂けますか?」
「リオ様、お言葉が。」
「…はい。」


∴∵


「いよいよ、日程が決まったよ。」

 神殿の里桜の執務室でクロヴィスがさっと寄越した紙には、大きく四十泊四十一日と書いてある。

「四十泊?」
「馬車での行動だし、途中女神祭と治療所があるからね。」
「お醤油食べるのも楽ではないか…。」
「そんなに魅惑的な調味料なの?」
「宰相は醤油味召し上がったことないですか?」
「エシタリシテソージャには行ったことあるから勿論食べたことはあるけどね。君に女神としての御披露目をさせるほどだとは……」
「カラヴィさんに伺ったら、」

 ジョルジュが'コホン'と咳払いをする。

「カラヴィに聞いたところ、国内にいくつかの醤油蔵があると。王都にも一件あるそうなので、それを是非とも拝見したいと……存じます。」
「そうか、エシタリシテソージャへ行くから淑女教育をやり直してるのか。……うん。確かに。君はこの国では誰にも勝る魔力を持っているけど、見た目や言動は侮られ易いだろうから。高位の振る舞いは身に付けた方が良いだろうな。」
「別に、侮られるくらいの事なら勝手に思わせとけって思いますけど……国の威信?」
「そんなんじゃないさ。ただ…レオナールは君が他国に侮られる事を許容できないだろうね。」

 クロヴィスは、何かを言いたそうに里桜を見る。

「許容できないって。相手国に何かすることもあるって事ですか?」
「さすがにそんな事はしないと思うけど、そうならないためにも君には、振る舞いに気をつけてと。それか、レオナールの婚約者だとか。確固たる地位があればね。」

 クロヴィスは笑った。

「陛下からは婚約者としてエシタリシテソージャへ行けと言われましたが、丁重にお断りしました。」
「レオナールとしてはそれが一番手っ取り早いと思ったんだろうね。爵位を与えるって事も考えたと思うけど。」
「お断りいたします。」
「ブレないね。せめて君が爵位を受けてくれれば、あちらもそう対応するしかないんだけど…。」
「それじゃ、何の意味もありませんよね。侯爵だから、伯爵だから、陛下の婚約者だから私に傅く。でも、私が平民ならば傅かない。それは、私に対して尊敬をしているからではなく、私の地位に傅いているだけですから。それなら心の赴くままに見下した態度を取られていた方が気持ちが良い。」
「君ならそう言うと思ってはいたけど。まぁとにかく、外遊に必要なものの用意は侍女や他の者たちに任せて、君は向こうに付け入る様な隙を与えないために勉強を。」
「はい。」
「返事は良いんだけどな、言葉遣いはまだ慣れが必要だな。」
「はい。」

 ジョルジュは、里桜の後ろでクスリと笑った。


∴∵


 里桜は、クロヴィスからの書類に目を通していた。

「こんなに大事になってしまって何だか申し訳ない気持ちだな。」
「リオ様、そこは気兼ねなさる事はないと存じます。リオ様が五月の虹の女神祭りで祝詞を捧げて下さる事は国としてもとても価値があることなのです。加えて、国外へも渡り人召喚を宣布出来るのです。リオ様の外遊は陛下にとっても国にとっても有益な事です。ですから、お気になさいません様に。」
「わかりました。ところで、ちょっと気に掛かることが。」
「はい。何でしょう?」
「護衛として今回は国軍ではなく騎士団が付くのは良いのだけど、第二団隊は王族護衛の団隊でしょう?」
「それは広義の王族であって、陛下の妹君の王女も降嫁致しましたが今も第二団隊が護衛しております。」
「でも、この第二中隊は…」
「はい。陛下の妃様を護衛する隊でございます。」
「私の身分だと、要人警護担当の第三団隊の方に護衛を受けるのが…」
「今回随行するフレデリック・オードラン、アルフォンス・レオタール、コンスタン・ファロの家は三大伯爵家と呼ばれており、国外でも大変有名な名門の伯爵家でございます。その中のファロ家は大変武芸に優れたお家で、コンスタン殿のお父上は第二団隊長を経験した後、現在は軍務大臣をされており、コンスタン殿も第二団隊の第二中隊に所属しております。今回、そのコンスタン殿が随行する関係でこの度の護衛は第二中隊の方がされる事になりました。」
「そう言う事…ありがとう。」
「いいえ。あとは疑問に思うことはございませんか?」
「日程がきつそうだとは思うけど…今のところ大丈夫。」