担当している患者を日帰りという制限付きだが一時帰宅を許した。重度な患者のため、社会復帰はほぼ難しく、一時帰宅だとしても不安がつきまとうほどの患者だ。息子の命日だけは妻と二人で一緒に墓参りが行けるようにお願いしたい、という理由で以前から患者の夫には頼まれていた。しかし、私は患者の症状を考えると簡単には許可を出せなかった。ただ夫と会っているときの患者の様子を見ていると、通常よりもはるかに精神状態が比較的安定していることが分かり命日の一か月前には一時帰宅の許可を出した。迎えに来た夫と一緒に病院を出ていく患者の様子を見ていてたが、予想した通りの安定した精神の状態を見せていた。
前日からの夜勤だったため、一仕事を終えると午前中に家に帰り、朝昼兼用のご飯を食べ、深い眠りに入った。月に一度はこのようなサイクルである。寝ていたところ病院からの電話に起こされた。このようなことは別に珍しくはない。窓を見ると外は陽が落ちて闇が差し込み始めていた。電話の内容は日帰りだった患者が帰宅予定時間になっても戻らず、患者の夫に連絡を取ろうにも携帯電話が繋がらないということだった。久しぶりに会った身内と離れるのが辛くなり、自分の中で戻らなくてもいい理由を作り出し、わざと連絡を取らないようにする患者の家族はときおり存在する。
病院のマニュアル通り、患者宅へスタッフに迎えにいってもらう。外に出かけていて戻ってくるまで待つこともあるが、重度の患者を家の外に長い間放置することはできないため、患者宅に向かえば大概は解決する。
しかし、再度病院から届いた連絡は芳しいものではなかった。スタッフの話では家が真っ暗で電気や水道メーターも確認したが動いておらず、人が住んでいる気配がなかったとの話だった。しかもそれは昨日今日レベルの話ではないらしい。庭が手入れされておらず草が腰まで伸び放題になっており、窓から覗き込んだリビングは何も片づけられておらず埃が被っていたとのことだった。つまり夫婦の家には長期間誰も住んでいなかったということになってくる。
患者自身に対する心配はもちろんのことだが、病院としては入院費用未払い分があるため、警察に相談して被害届を出すことにした。しばらく音沙汰はなかったが本日、刑事が私のところに聞き込みに来たことで、患者夫婦が失踪したことを知った。
警察の調べによると、患者の夫は自宅とは別にアパートを借りていたということだった(携帯電話は一時帰宅の日には解約していたらしい)つまりは私たちから雲隠れしたのは突発的なものではなく、始めから計画された行動だったということだ。そして患者夫婦はしばらくアパートで過ごした後、ある日旅行バックを持って部屋を出ていき、そのまま行方不明になっているとのことだった。
そして刑事が私のところに聞き込みに来た理由。それは患者夫婦が行ったと思われる殺人事件だった。刑事の説明では、
キノコを採りに山へ入った老人が、遠目で木製の看板が立てかけられているのを発見した。昨日まで看板なんてなかったはずと訝しげながらも近づいていくと、看板と思われたものは土に刺さった卒塔婆だった。卒塔婆には『くまちゃんのおはか』と書かれている。悪戯と思った老人はこのまま置いておくわけにもいかないので卒塔婆を引っこ抜いた。すると土に埋まっていた部分にドス黒くなった血がべっとりと付着している。何事だと土を掘り返してみると大きなボストンバックが現れた。ボストンバックは破れて大きな穴があいている。きっとここに卒塔婆が刺さっていたのだろう。よく見れば生地の一部が赤黒くなっている。嫌な予感はしたが放置するわけにはいかない。老人は中を確かめるためにジッパーを開けてみることにした。
ボストンバックの中には手足を縛られながらボストンバックに無理やり詰め込まされ、オムツだけ身に纏った男の姿があった。卒塔婆が刺さっていたのだろう。男の腹部には大きな穴が開いていた。もちろん男の息は切れている。
その男の正体というのが、患者夫婦の息子を車で轢いた運転手ということだった。患者の夫は運転手を拉致し、ボストンバックに無理やり詰め込んで行動していたらしい。家にいるときは部屋に放置し、外に出かけるときはボストンバッグに詰め込むという具合にだ。ボストンバックの購入履歴など犯行の証拠は次々に出てくるが、肝心の患者夫婦はどこに向かったのかさえ分からないらしい。そんなわけで少しでも情報を得るために最後に会ったと思われる私のところへ聞き取りにやって来たということだ。
たしかに最後に会話を交わしたのは私かもしれない。しかし私達はあくまでも患者の家族と担当医の関係に過ぎないし、当日も一時帰宅の見送りに挨拶をした程度だ。だから刑事に多くのことを何度も訊かれたはしたが、私ができた返答は彼らが望むようなものではなかった。
ここまで今日の日記を書いてふと思った。私はなぜ患者の夫に一時帰宅の許可を出さなかっただろうのか。患者が夫と面談しているときの精神状態はずっと前から分かっていたはずだ。だというのに、なぜ命日の一か月前まで許可を出さなかったのか。いや、むしろなぜ一時帰宅の許可を出したのか。
脳裏に患者の夫の目を浮かべる。心身ともに患者の夫が疲れ果てているのは分かっていた。今思えば入院するほどではないが夫の方も精神を病んでいたんだと思う。だから一時帰宅とはいえ、夫に妻をカバーできる余裕はないと考えて私は外出許可を出さなかったのだ。だけど命日の一か月前のあの日、患者の夫はいつも通り私に一時帰宅のお願いをしてきた。
患者の夫の目を思い出す。あれは全てを捨てることを覚悟した人間の目だった。私はあの目を恐れたのだ。断れば何を起こすのか分からない目だった。彼がこの場で暴れてくれれば警備員が取り押さえてくれて、そのまま警察に引き渡すことができる。そして私は今日のところは怯えずに帰ることができただろう。だがたいしたことでもないので、すぐにでも患者の夫は保釈されてしまう。つまり私の安全はその時点でなくなるのだ。
あの目は目的を選ばない。そこに壁があれば害してでも排除する意思を感じた。私は自分に降りかかる危険を恐れたのだ。だから自らの安全を得るために患者の外出許可を出した。
未だに最後に頼みにきたときの目を忘れることができない。一見優しくて憎悪に満ちたあの目。
失踪した彼らはまだ生きているのだろうか。できることならば亡くなっていて欲しい。生きていたとしても二度と私の目の前に現れないでくれることを祈る。
先ほどから身体の震えが止まらない。
おかげで寝付くこともできない。
とにかく怖い。
怖い。
こわい。
前日からの夜勤だったため、一仕事を終えると午前中に家に帰り、朝昼兼用のご飯を食べ、深い眠りに入った。月に一度はこのようなサイクルである。寝ていたところ病院からの電話に起こされた。このようなことは別に珍しくはない。窓を見ると外は陽が落ちて闇が差し込み始めていた。電話の内容は日帰りだった患者が帰宅予定時間になっても戻らず、患者の夫に連絡を取ろうにも携帯電話が繋がらないということだった。久しぶりに会った身内と離れるのが辛くなり、自分の中で戻らなくてもいい理由を作り出し、わざと連絡を取らないようにする患者の家族はときおり存在する。
病院のマニュアル通り、患者宅へスタッフに迎えにいってもらう。外に出かけていて戻ってくるまで待つこともあるが、重度の患者を家の外に長い間放置することはできないため、患者宅に向かえば大概は解決する。
しかし、再度病院から届いた連絡は芳しいものではなかった。スタッフの話では家が真っ暗で電気や水道メーターも確認したが動いておらず、人が住んでいる気配がなかったとの話だった。しかもそれは昨日今日レベルの話ではないらしい。庭が手入れされておらず草が腰まで伸び放題になっており、窓から覗き込んだリビングは何も片づけられておらず埃が被っていたとのことだった。つまり夫婦の家には長期間誰も住んでいなかったということになってくる。
患者自身に対する心配はもちろんのことだが、病院としては入院費用未払い分があるため、警察に相談して被害届を出すことにした。しばらく音沙汰はなかったが本日、刑事が私のところに聞き込みに来たことで、患者夫婦が失踪したことを知った。
警察の調べによると、患者の夫は自宅とは別にアパートを借りていたということだった(携帯電話は一時帰宅の日には解約していたらしい)つまりは私たちから雲隠れしたのは突発的なものではなく、始めから計画された行動だったということだ。そして患者夫婦はしばらくアパートで過ごした後、ある日旅行バックを持って部屋を出ていき、そのまま行方不明になっているとのことだった。
そして刑事が私のところに聞き込みに来た理由。それは患者夫婦が行ったと思われる殺人事件だった。刑事の説明では、
キノコを採りに山へ入った老人が、遠目で木製の看板が立てかけられているのを発見した。昨日まで看板なんてなかったはずと訝しげながらも近づいていくと、看板と思われたものは土に刺さった卒塔婆だった。卒塔婆には『くまちゃんのおはか』と書かれている。悪戯と思った老人はこのまま置いておくわけにもいかないので卒塔婆を引っこ抜いた。すると土に埋まっていた部分にドス黒くなった血がべっとりと付着している。何事だと土を掘り返してみると大きなボストンバックが現れた。ボストンバックは破れて大きな穴があいている。きっとここに卒塔婆が刺さっていたのだろう。よく見れば生地の一部が赤黒くなっている。嫌な予感はしたが放置するわけにはいかない。老人は中を確かめるためにジッパーを開けてみることにした。
ボストンバックの中には手足を縛られながらボストンバックに無理やり詰め込まされ、オムツだけ身に纏った男の姿があった。卒塔婆が刺さっていたのだろう。男の腹部には大きな穴が開いていた。もちろん男の息は切れている。
その男の正体というのが、患者夫婦の息子を車で轢いた運転手ということだった。患者の夫は運転手を拉致し、ボストンバックに無理やり詰め込んで行動していたらしい。家にいるときは部屋に放置し、外に出かけるときはボストンバッグに詰め込むという具合にだ。ボストンバックの購入履歴など犯行の証拠は次々に出てくるが、肝心の患者夫婦はどこに向かったのかさえ分からないらしい。そんなわけで少しでも情報を得るために最後に会ったと思われる私のところへ聞き取りにやって来たということだ。
たしかに最後に会話を交わしたのは私かもしれない。しかし私達はあくまでも患者の家族と担当医の関係に過ぎないし、当日も一時帰宅の見送りに挨拶をした程度だ。だから刑事に多くのことを何度も訊かれたはしたが、私ができた返答は彼らが望むようなものではなかった。
ここまで今日の日記を書いてふと思った。私はなぜ患者の夫に一時帰宅の許可を出さなかっただろうのか。患者が夫と面談しているときの精神状態はずっと前から分かっていたはずだ。だというのに、なぜ命日の一か月前まで許可を出さなかったのか。いや、むしろなぜ一時帰宅の許可を出したのか。
脳裏に患者の夫の目を浮かべる。心身ともに患者の夫が疲れ果てているのは分かっていた。今思えば入院するほどではないが夫の方も精神を病んでいたんだと思う。だから一時帰宅とはいえ、夫に妻をカバーできる余裕はないと考えて私は外出許可を出さなかったのだ。だけど命日の一か月前のあの日、患者の夫はいつも通り私に一時帰宅のお願いをしてきた。
患者の夫の目を思い出す。あれは全てを捨てることを覚悟した人間の目だった。私はあの目を恐れたのだ。断れば何を起こすのか分からない目だった。彼がこの場で暴れてくれれば警備員が取り押さえてくれて、そのまま警察に引き渡すことができる。そして私は今日のところは怯えずに帰ることができただろう。だがたいしたことでもないので、すぐにでも患者の夫は保釈されてしまう。つまり私の安全はその時点でなくなるのだ。
あの目は目的を選ばない。そこに壁があれば害してでも排除する意思を感じた。私は自分に降りかかる危険を恐れたのだ。だから自らの安全を得るために患者の外出許可を出した。
未だに最後に頼みにきたときの目を忘れることができない。一見優しくて憎悪に満ちたあの目。
失踪した彼らはまだ生きているのだろうか。できることならば亡くなっていて欲しい。生きていたとしても二度と私の目の前に現れないでくれることを祈る。
先ほどから身体の震えが止まらない。
おかげで寝付くこともできない。
とにかく怖い。
怖い。
こわい。