ダイスケが亡くなって我が家は崩壊した。
家族の誰が悪いわけではない。運が悪かったとしか言えない。
それでも妻は正常な精神を維持することはできなかった。
ショックのあまり幻覚症状、幼児化などが現れ、そしてダイスケの記憶が彼女から失われてしまった。
ただ彼女からダイスケの記憶が失われたことだけは不幸中の幸いなのかもしれない。目の前で車に轢かれたダイスケ。いまだにあの光景が目に焼き付いて離れることはない。唐突に事故で亡くなったダイスケの場面がフラッシュバックすることもある。そんなときは吐き気を催し、しばらくその場から動けなくなる。とてもじゃないが今の妻に自分と同じ状態を耐えきれるとは思えない。
ダイスケのことを忘れてしまった妻だが、私のことを旦那と認識してくれているのは唯一の救いだった。これがあるおかげで今でも妻とは最低限のやり取りができている。
今日は妻の一時帰宅の日だ。
退院させてほしいとの話に担当医はなかなか首を縦に振ってくれなかったが、ダイスケの一周忌だと説明をしたら渋々だが許可を出してくれた。といっても入院の継続が必要とのことであくまでも一時的な帰宅となった。泊まりではなく、日帰りとはケチくさいとは思ったが、妻を連れだせることに今回は感謝である。
久しぶりに外で会う妻は幼き頃に出会ったときと同じような少女の顔をしていた。
アパートに到着し、玄関ドアを開けて部屋に入っていく。ここがどこか分からず、とまどいの表情を見せる妻。どうやら僕たちが一緒に暮らしていた家を忘れている様子だった。ただ僕が「ただいま」と言ったので、ここは僕たちの家なのだと納得はしてくれたようだった。初めは自分の家ではないと喚くだろうかと心配したところもあったのだが、とくに暴れることもなくすんなりと楽しそうにリビングへと妻は向かった。僕と一緒にいるだけで妻は精神が安定すると担当医が言っていたが、どうやら本当らしい。だから一時帰宅の許可が出たのかもしれない。
荷物を全て運び入れ、ボストンバックを開けたとき、妻は驚愕の表情を浮かべていた。そしてしばらく一点をじっと見つめていると、
「名前、付けていい?」
と、僕に尋ねてきた。妻がいうにはぬいぐるみのクマがバックから飛び出してきたらしい。もちろん自分で動くぬいぐるみのクマなんてものは存在していない。妻が視ているのはただの幻覚だ。担当医から幻覚症状があることは聞かされてはいた。僕はこの日のために妻を迎える準備をしてきた。だから妻が想定外の動きをしたとしても慌てる理由にはならないのだ。
名前を付けることに意味があるのかは分からない。しかし、妻としてもそれを見ていろいろと感じるところがあるのだろう。思っていたのとは違ったが妻が喜んでくれているのなら目的の一つは達成したとはいえる。それに妻と一緒に過ごせる時間は短い。望むことはできるだけ叶えてあげたい。
「君の好きにすればいいよ」
と僕は肯いた。
ぬいぐるみのクマを妻は「ダースケ」と名付けた。「ダイスケ」と「ダースケ」。妻はダイスケのことを覚えていない。それでも似たような名前を付けてしまうということは、心の奥底ではダイスケのことを忘れていない証になるのではないだろうか。
満面の笑みを浮かべる妻に僕はどんな顔ができていただろうか。心配させないようにちゃんと笑顔でいることができただろうか。こうやって寝る前につい自問自答をしてしまうが、妻の様子を見るかぎり、悪い結果にはならない程度には表情を作れていたのかと思う。
一年ぶりに妻と再会して僕自身、改めて一歩を踏み出す決意を固めることができた。いつまでも足踏みしているわけにはいかない。
家族の誰が悪いわけではない。運が悪かったとしか言えない。
それでも妻は正常な精神を維持することはできなかった。
ショックのあまり幻覚症状、幼児化などが現れ、そしてダイスケの記憶が彼女から失われてしまった。
ただ彼女からダイスケの記憶が失われたことだけは不幸中の幸いなのかもしれない。目の前で車に轢かれたダイスケ。いまだにあの光景が目に焼き付いて離れることはない。唐突に事故で亡くなったダイスケの場面がフラッシュバックすることもある。そんなときは吐き気を催し、しばらくその場から動けなくなる。とてもじゃないが今の妻に自分と同じ状態を耐えきれるとは思えない。
ダイスケのことを忘れてしまった妻だが、私のことを旦那と認識してくれているのは唯一の救いだった。これがあるおかげで今でも妻とは最低限のやり取りができている。
今日は妻の一時帰宅の日だ。
退院させてほしいとの話に担当医はなかなか首を縦に振ってくれなかったが、ダイスケの一周忌だと説明をしたら渋々だが許可を出してくれた。といっても入院の継続が必要とのことであくまでも一時的な帰宅となった。泊まりではなく、日帰りとはケチくさいとは思ったが、妻を連れだせることに今回は感謝である。
久しぶりに外で会う妻は幼き頃に出会ったときと同じような少女の顔をしていた。
アパートに到着し、玄関ドアを開けて部屋に入っていく。ここがどこか分からず、とまどいの表情を見せる妻。どうやら僕たちが一緒に暮らしていた家を忘れている様子だった。ただ僕が「ただいま」と言ったので、ここは僕たちの家なのだと納得はしてくれたようだった。初めは自分の家ではないと喚くだろうかと心配したところもあったのだが、とくに暴れることもなくすんなりと楽しそうにリビングへと妻は向かった。僕と一緒にいるだけで妻は精神が安定すると担当医が言っていたが、どうやら本当らしい。だから一時帰宅の許可が出たのかもしれない。
荷物を全て運び入れ、ボストンバックを開けたとき、妻は驚愕の表情を浮かべていた。そしてしばらく一点をじっと見つめていると、
「名前、付けていい?」
と、僕に尋ねてきた。妻がいうにはぬいぐるみのクマがバックから飛び出してきたらしい。もちろん自分で動くぬいぐるみのクマなんてものは存在していない。妻が視ているのはただの幻覚だ。担当医から幻覚症状があることは聞かされてはいた。僕はこの日のために妻を迎える準備をしてきた。だから妻が想定外の動きをしたとしても慌てる理由にはならないのだ。
名前を付けることに意味があるのかは分からない。しかし、妻としてもそれを見ていろいろと感じるところがあるのだろう。思っていたのとは違ったが妻が喜んでくれているのなら目的の一つは達成したとはいえる。それに妻と一緒に過ごせる時間は短い。望むことはできるだけ叶えてあげたい。
「君の好きにすればいいよ」
と僕は肯いた。
ぬいぐるみのクマを妻は「ダースケ」と名付けた。「ダイスケ」と「ダースケ」。妻はダイスケのことを覚えていない。それでも似たような名前を付けてしまうということは、心の奥底ではダイスケのことを忘れていない証になるのではないだろうか。
満面の笑みを浮かべる妻に僕はどんな顔ができていただろうか。心配させないようにちゃんと笑顔でいることができただろうか。こうやって寝る前につい自問自答をしてしまうが、妻の様子を見るかぎり、悪い結果にはならない程度には表情を作れていたのかと思う。
一年ぶりに妻と再会して僕自身、改めて一歩を踏み出す決意を固めることができた。いつまでも足踏みしているわけにはいかない。