狂った世界で生きていく

大人は嫌い。
だって簡単に嘘をつくから。
大人は醜い。
だって、平気で人を裏切るから。

昔から『こんな大人にはなりたくない』という人達に囲まれた生活だった。人格を否定され、行動を否定され。自分の頑張りさえ認めて貰えない。
私の評価は、他人がする。
これが、小学3年生に知った現実だった。
大人になるにつれて、それが当たり前のことだと理解した。ただ、当時まだ9歳の子供が知るにはあまりにも残酷な事実で。頑張っても、誰も褒めてくれない。周りの『普通』の子達は、親に当たり前のように頭を撫でてもらって「頑張ったね。すごいね」って褒められてた。
「ねぇねぇ先生、テストで100点だったんだ。」
「ふぅん。まぁ、小学生だしね。」
「ねぇねぇ先生、リフティング上手にできるようになったの。何回も続けてできるようになったんだよ。」
「へぇ。そんなことより宿題やったら?」
誰も、私の事なんか見てなくて。私は、自分で頑張ったことを頑張ったって人に認めて貰えないんだ。
その頃から、私は大人に対して『諦め』を学んだ。
理想と現実のギャップに、脳がエラーを起こすのに、そう時間はかからなかった。
私はただ、頭を撫でて『頑張ったね』って、一言言って欲しかっただけ。ただ、それだけだったのに。
残酷な現実から逃れるように本に没頭しだしたのも、9歳の頃からだった。最初は青い鳥文庫や色のついた本など、児童向けの小説だったけれど読み漁っていくうちに物足りなくなり、10歳の頃には分厚い『ハリーポッター』や文豪の『人間失格』などの本を読みふけっていた。それでも、この頃はまだ外でボール蹴って遊んでたし、体育館でバドミントンもしていた。
ただ、本を読んでいる時は色があるのに、本を閉じた瞬間に世界が色褪せて見えた。
私は、自分が嫌いだった。どれくらい嫌いかと聞かれたら殺してやりたいくらいと答えるほどには。
でも、本を読んだらその物語の主人公になれる。
大嫌いな、憎い自分じゃなくて。主人公の人生を歩ける。それが、苦しいだけの生活の支えだった。
大人になんて、なりたくなかった。
それだけが、本当に嫌だった。
でも、私も大人になった。
けれど、私は何一つ成長してなくて。今でも嫌な年上のおっさんがいたら『嫌な大人』だと思う。
頑張ったら、頭を撫でて欲しい。
それだけが願いだった。だから今でも、私は頭を撫でて欲しいと思う。子供っぽいだろうか。でも、子供の時にされなかったから、今それを求めてしまう。頭を撫でて、頑張ったねって。そう言って貰えるだけで、頑張ろうと思える。父親が『親になりきれない親』なのだとしたら私は『大人になりきれない大人』なのだろう。結局、私はどうやったってあの男の娘なのだ。血は争えんのだろう。そう思ったら私は全身の血を抜きたくなる衝動に駆られるが。
間違いから生まれた私は、全てが間違いなのだと。
生まれてきたことが間違いで。存在しちゃいけない人間で。だから私は、自分を否定し続ける。
自分を肯定するより、否定する方がはるかに楽で慣れている。だって、存在ごと否定されてきたから。人格を否定されてきたから。頑張りを否定されてきたから。
生まれてきてくれてありがとうと。他の誰でもない、両親に言われたかった。
私が、頑張ったんだよって。そうアピールするのは、本心でそう思えないから。他人に評価してもらわないと、私は自分で思っちゃいけないから。
だから、ほんとに頑張ったねって。褒める時は頭を撫でてほしい。撫でなくてもいいから、形だけでも肯定してあげてほしい。私は、自分のことを褒めちゃいけないから。
そんな『大人になれない大人』の独白。