UFOを知っていますか

 補遺資料①

■甲府事件
 1975年2月23日午後6時頃、甲府市立山城小学校2年生のいとこ同士の男子児童2名が帰宅途中にオレンジ色のUFOを目撃した。
 児童の話によると、UFOは二人を追いかけるように飛行して来たため、逃げて付近の墓地に隠れたという。これにより彼らはUFOを見失うが、程なくブドウ畑に降り立ったUFOを再度発見し、機体から現れたチョコレート色でシワシワののっぺらぼう状態の搭乗者を目撃する。児童のうち1名は背後に回り込んだ搭乗者に肩をたたかれ、恐怖でその場に座り込んでしまうが、もう1人はその場から逃げて家族を呼びに行き、家族が駆けつけた際には搭乗者の姿はなく燃えるような物体がブドウ畑にあったという。児童1人の母親は空に銀色の物体が回転していたと証言し、父親は消えかかる光を見たと述べた。当時の母親の目撃証言は録音されておりテレビ番組で公開されている。
 目撃した児童とその家族の証言に加え、甲府市環境センターの管理人も少年たちがローラースケートで遊んでいた場所の上空で光体を目撃したと証言している。また、7年後の1982年には、UFO着陸現場付近を車で走行中だった保険外交員の女性が、その搭乗者らしき人物に遭遇したと語っている。
                           〝甲府事件〟Wikipedia

■ミステリー・サークル
 ミステリー・サークルは、田畑で栽培している穀物の一部が円形(サークル形)に倒される現象、あるいは、その倒された跡。円が複数組み合わされた形状や、さらに複雑な形状のものもある。英国を中心に世界中で報告されている。英語ではクロップ・サークル (Crop circle) やコーン・サークル(Corn circle)という呼称が一般的である。
 1980年代に謎の現象として注目され、宇宙人説をはじめとするさまざまな原因仮説が示された。1990年代に入ってからは、製作者自身による告白や超常現象懐疑派による検証が進み、人為的なものと判明した。
 1990年9月17日、福岡県糟屋郡篠栗町の稲田で直径20メートルと5メートルのサークルが出現した。英国のミステリー・サークルが超常現象としてテレビ番組等で紹介されていた日本では全国ネットのニュース番組で取り上げられ、多くの見物客が現地に押しかける騒ぎになった。篠栗町ではミステリー・サークルのテレホンカードを売り出すなど、町おこしに活用している。それをきっかけに2か月間に福岡県と佐賀県で5箇所で10個のサークルが出現するなど日本各地でミステリー・サークルが発見され、マスコミでも大きく取り上げられた。
 篠栗町のミステリー・サークルは、超常現象否定派の物理学者である大槻義彦が発生から1週間後に現地調査を行い、同年の月刊文藝春秋12月号に「ミステリー・サークルの真犯人」と題するレポート記事を掲載。プラズマ特有の現象が確認できるとして、「プラズマ弾性体」によってできた自然現象による本物だと断定した。
(中略)
 1991年の10月、福岡県内で窃盗の常習犯として警察に検挙された高校生12人のグループが、篠栗町ミステリー・サークルを作ったのが自分たちだと自白し、いたずらと判明。大槻は「自分が調査するまでの1週間で現場が荒らされていた」「一部がいたずらであっても全てがそれで説明できるとは思わない」とする釈明コメントを出したが、この報道以降、日本におけるミステリー・サークル発生報告はほとんどなくなりブームは鎮静化した。
                     〝ミステリー・サークル〟Wikipedia

■うつろ舟の蛮女
『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」
 享和三年(1803年)の春二月二十二日の午後、当時寄合席だった小笠原越中守(石高四千国)〔『梅の塵』では小笠原和泉守〕の知行所、常陸国〔現・茨城県〕にある「はらやどり」という浜〔『梅の塵』では「原舎浜」〕の沖合い遥かに舟のようなものが見えた。浦人が多くの小舟を漕ぎ出し、その舟を浜辺まで曳いてきた。舟をよく見ると、形は香盒〔お香に使う入れ物〕のような丸い形状で、長さは三間〔約5・5m〕余り、上半分には「ガラス障子」の窓があり、窓には防水のために「チャン〔松脂〕」が塗ってあった。舟に下半分は鉄板でできた筋金で補強されていた。岩礁に当たっても砕かれないようにしたものだろう。上部の透き通った窓からは舟内がよく見えた。皆で船内を見ると、異様な服装の女性が一人いた。
(中略)
 女性の眉と髪の毛は赤く、顔色は桃色で、頭髪は白い入れ髪が背中に長く伸びていた。その髪が動物の毛か、糸を撚ったものかは誰にもわからなかった。言葉は通じず、どこから来たのか聞くこともできなかった。この女性は約二尺〔約60cm〕四方の箱をひとつ抱えていて、特に大切なものと思え、ひと時も放そうとせず、その箱に人を寄せ付けなかった。
                   江戸「うつろ舟」ミステリー 楽工社 加門正一










第二章「どうして人間はヘンなものを見てしまうのでしょう」



      1

 さて。そろそろこのあたりで、私・阿刀川恵が実際に目撃したUFOについて書かなければならないと思う。
 だがそのためには私の病気に()れておかなくてはならない。目撃時の状況や精神状態は無関係ではないと思うし、私だけ個人的なことを開陳しないのは、他のUFO目撃者に対してアンフェアだと思うからだ。
 ただし病気の話など興味ない方もいるだろうし、もしかしたら読んでいて不快にさせてしまうかもしれない。その場合はどうか読み飛ばしてほしいと思う。

 病気に関して、いつから症状があったのかわからないのだが、最初に痛みを自覚したのは、二〇一九年一二月三十一日の大晦日(おおみそか)だった。
 一年間のどん()まりの日、私は(ひだり)上腕から肩関節にかけての鈍痛になやんでいた。腕を動かすとピキリと痛く、痛みの種類はあえていうなら筋肉痛に似ていた。
 片腕だけ酷使するようなことがあっただろうか?と、ここ数日の行動を振り返ってみたが、年末進行と関係各所の忘年会で多忙な日々を過ごしていたために、原因となりそうな出来事は思い出せなかった。そもそも私の職業と腰痛・肩こりは切っても切り離せない関係である。とりあえず市販の湿布薬を貼りつけてその日は過ごし、夜は(はや)めにベッドに入ることにした。
 翌朝、目が覚めてみると体調は悪化していた。
 頭痛がするので熱を(はか)ってみると38度ある。泣く泣く仕事のパートナーである南條(なんじょう)文夏(ふみか)さんにLINEをして、初詣に行けなくなったと伝えた。じつは私も彼女も人生で一回も初詣というものをしたことがなく、ならば一念発起して元日に明治神宮に行こう、と盛り上がっていたのだ。
 LINEで、南條さんは「お大事に」とやさしい言葉をかけてくれた。
 この時の私は多分風邪(かぜ)をひいたのだろうと(たか)をくくっていて、「連載に影響が出ないように早めに(なお)すからね」などと返信している。
 だが、それから一週間が経過しても関節の痛みはおさまることがなかった。鎮痛剤を服用すれば症状は緩和するのだが、薬の効果が切れれば、元の不調にもどってしまう。さすがにおかしいと思い、近所の整形外科を受診した。
 最初の医院ではストレートネックではないかと診断された。
 別の医院も受診してみたが、原因は不明だった。
 この時の私は、医師に伝えるために症状を箇条(かじょう)書きにしている。
・痛みは左上腕、肩甲骨、背中の一部。
・肩関節に言葉にならない違和感がある。
・腕に力がはいりにくく、キーボードをタイピングできない。
・腕は上げられるけど、途中で痛みがある。
 とくに痛みが問題で、夜中に痛みのせいで目が覚めてしまうこともしょっちゅうだった。当時のSNSには「腕の骨に虫歯ができたみたい」と書いている。
 一向に改善しない状況に焦りを感じはじめた私は、仕事のスケジュールを調整して、地域でいちばん大きな総合病院を受診することにした。
 定番のレントゲン撮影をして、診察室にもどってくる。と、医師の表情が心なしか曇っていた。「骨の一部が石灰(せっかい)化している」と言うのだ。
「なんでしょうね、良性だと思うけど腫瘍(しゅよう)の可能性もあるかもしれないです。はっきりさせたほうが良いので今度МRI検査してみましょうか」
 その日は検査の予約だけして帰宅。
 帰宅するなりネットで腫瘍について調べる調べる調べまくる……。腫瘍ということは癌かもしれないわけで、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。部位が腕なだけに、靭帯(じんたい)損傷とか骨のヒビだろうと思い込んでいたのだ。
 病気の体験ブログをひたすら読み込んだ。自分の症状と合うところと合わないところを比べて、一喜一憂した。
 その後МRI検査を受け、検査の結果がようやく出たのは二月四日。
 最初に痛みを自覚してから、はやくも二ヶ月が経とうとしていた。
 あの日のことはいまだに覚えている。朝は(こご)えるほど冷え込んで、外に出ると吐く息が白かったが、午後から太陽が出はじめると、ホッとするような陽気になった。斜めに差し込む陽の光を背に浴びながら、私は総合病院の入口をくぐった。
軟骨肉腫(なんこつにくしゅ)でした。骨にできる腫瘍です」
 診察室で医師は告げた。
 モニターにМRI検査の結果が映し出されていた。骨のなかに五センチほどの黒っぽい異物が巣喰(すく)っている。やはりそうかという気持ちと、そうであって欲しくなかった気持ちとが正面衝突して、医師の話が耳に入ってこなかった。
 だが、腫瘍と判明した以上、考えなければならないことは山ほどあるのだ。
 生体検査をどうするかというのが、目下(もっか)決断を必要とする事項だった。検査は腕を切開して骨を露出させ、骨に(あな)をあけて腫瘍の細胞を採取する手術になるとのことで、もちろん入院が必要となる。
 ただし、生体検査をしても悪性かどうか必ずしも判別がつくとは限らない。
 だとすれば、無意味に身体を痛めつけるだけになってしまう……。
 どうしましょうか?と医師は訊ねてくるが、どうしても脳みそが働かず、いったん保留にさせてもらって「家に帰ってから考えてみる」と伝えた。
 医師も「そのほうがいいですね」と言ってくれた。
 病院を出た。
 来たときよりも気温が下がっていて、陽の光も頼りなくなっていた。マフラーをきつく巻き直した私は足早に歩きだした。いろんなことを考えた。
 仕事の関係各位に連絡しなくてはならなかった。 編集者と作画担当の南條さんに。連載はどうなるだろう。多大な迷惑をかけてしまうに相違ない。他にも連絡しなくてはならない人たちがたくさんいた。友人や知人。それと家族にも。
 母や妹に、電話しなければならない。
 癌であることを伝えたら、どんなリアクションが返ってくるだろう。私は、家族がかわいそうでしかたなかった。病気になったのは、私の方なのに。
 心を空っぽにしたまま歩きつづけた。
 ふと気がつくと、石神井(しゃくじい)川沿いの遊歩道にいた。時刻は一六時頃だったと思う。
 石神井川は、練馬区から板橋区にかけてを蛇行(だこう)しながら横断する川である。
 春ともなれば桜の名所になる川沿いの並木道も、二月の今は()せた枝ぶりを垂らしているだけだった。護岸壁は十メートル以上の高さがあり、覗き込むと冷たいガラスのような石神井川の水面が、冬の陽を反射していた。
 私は立ち止まって、しばらく川の流れを眺めた。
 虚無の時間が流れ、思考をするのがむずかしくなったフニャフニャの脳みそで「寒いしそろそろ行こう」とぼんやりと思い、何となく空へ視線を向けた。
 そして私は「それ」を目撃したのだった。
 高度はどのくらいだったのだろう。数十メートルか数百メートルか。
 上空にクロム色の球体が──完全な球体ではなく縦にやや(つぶ)れたような「何か」が、音もなく浮かんでいた。太陽の光を浴びてきらきらと輝いていたので、「宣伝用の飛行船か?」と思ったのだが、よく目を()らしてみれば、球体の周りを小さなものがぐるぐると廻っていた。数は4つか5つ。小さな「何か」も球体で、まるで太陽系の惑星運行モデルを見ているようだった。
 (……何だろう、あれ)
 正体を見極めようと謎の物体を見つめた。
 形が似ているものを思い浮かべたが、どれも当てはまらなかった。
 滑稽なのだが、これほど異常なものを目撃してもこの時は「UFOだ」などと微塵(みじん)も思わず、人間の造った機械以外の発想が浮かんでこなかった。
 謎の物体の見かけ上の大きさは、小指の爪ほど。私の裸眼視力は両方とも1・0だが、それでも目を細めないと輪郭を把握することさえむずかしい。物体は上昇もしくは遠ざかっているらしく、見つめているうちに雲の中へ入ってしまった。目撃体験は、時間にして一分間に満たなかったと思う。私はぼんやりとその場に立ち尽くし、しばらくして、やらなくてはいけない事を思い出して歩きはじめた。
 (何か不思議なものを見た……)
 クイズの答えを聞きそびれたような気持ちで私はのろのろと帰宅した。

 その後の話をすれば、手術は無事成功し、私はどうにか生き延びた。
 人工関節に置き換えられた左肩関節は不自由になったし、月にいちどの診察はまるでロシアンルーレットを(ため)しに行く心境であるが、今のところ癌は再発することなく日々を無事に過ごせている。
 南條文夏先生とのタッグで四年連載した作品が終了し、病気の影響で縮小せざるをえなかったために現在進行形の仕事がほぼゼロになると、ふいに私は癌の告知を受けた日に見た不思議な物体の正体が気になってきた。
(もしかしてUFOだったんじゃ……いやきっとUFOだったんだアレは)。
 日に日にその想いが強くなり、新連載の企画提出後、ヒマな時間を見つけてはちょくちょくUFOについて調べるうちに、どうせなら文章にまとめてみたくなった。漫画のネタには使えないだろうから、同人誌にして文学フリーマーケットに参加してみようなどと妄想を(ふく)らませ、とうとう本気になった次第である。
 それにしても返す返すも悔しいのは、UFOを目撃しておきながら撮影をしなかったことである。なぜあの時の私はぼんやりと眺めているだけだったのか。まあ当時の精神状態を考えれば、とっさにスマホで撮影するなんて無理だったのだが。
(もしかしたら、あの日アレを目撃したのは私以外にもいるかもしれない……)。
 そんな一縷(いちる)の望みをかけて、私はSNSでUFOの目撃情報を募集した。余計なバイアスがかかるのを避けるために、目撃した物体の詳細は伏せておくことにした。
 そして〝ゆうちゃむ〟くんこと土井勇斗くんが連絡をくれたのだった。
 さて、お気づきかもしれないが、勇斗くんが送ってきてくれた画像「水田のミステリーサークル」と、例の謎の物体は、いくつかの共通点がある。
・球体、もしくは円に準じる形。
・大きな母体と小さな子体。大きい円と小さい円。
・小さいほうの数は、4〜6。
 はたしてこれは偶然なのだろうか……?

      2

 あきる野市での取材を終えて、数日経った晩。
 スマートフォンに続けて二本のメッセージが着信した。
 一本目は、妹からだった。
『あのさ、わたしの友だちでA子ちゃんっていたのおぼえてる? その子が今年の四月に山で不思議な体験したんだって。UFOのこと調べてるんでしょ。こんど話聞いてみたら』
 妹は、私がどんなペンネームで活動しているか知っていて、SNSもチェックしている。それでこんなメッセージを送ってきたらしい。
 私は『感染者の推移を見て、そのうち帰る』と返信した。延期した東京オリンピックの開催が間近に迫っている現在、県を(また)ぐ移動は自粛が呼びかけられている。東京の感染者数は横ばい傾向だが、様子見したほうがいいと判断した。
 二本目のメッセージは、私が漫画家から原作者に転向したときに、最初に担当についてくれた某編集者からだった。彼もSNSを見たらしく『UFOについて知りたいんだったら詳しい人を紹介してあげようか?』と申し出てくれた。
 私はすぐさま『お願いします』と返信し、何度かやりとりを経て、皆川(みながわ)雄一(ゆういち)という人物を紹介してもらえることになった。
 皆川雄一氏は一九八六年生まれ。大学を卒業後大手出版社に就職するも、仲間と疑似科学をウォッチする会を結成して作家業をスタート。
 現在はAPAS(Anti−Pseudoscience Activities Society)の代表を務め、超常現象の真相を究明する本をいくつも出版している。
 私にとって願ってもないチャンスだった。素人(しろうと)がネットや書物で調べているだけでは限界がある。有識者の知見に頼らせてもらえるならそれが最良だ。

 皆川さんとお話する機会を得たのは、それから一週間後だった。
「こんばんは。はじめまして、皆川です」
 面会はオンライン上で行われた。ノートパソコンで立ち上げたウェブ会議のウィンドウに相手の顔と部屋が映っていた。皆川さんはどうやら仕事場ではなく自宅からネットに繋いでいるらしく、室内に趣味的な物が飾ってあるのが見えた。
 自己紹介のあと、彼は相好(そうごう)を崩して、
「UFOの話がしたいと伺って、うれしくなっちゃいまして。倉庫からこんなものを引っ張り出してきてしまいました」
 と机の上に宇宙人のフィギュアをつぎつぎに置いてみせた。
 塩化ビニールやプラスチック製だろうか。オモチャには詳しくないが日本製には見えず、海外のそれもかなりアンティークなフィギュアのようだ。保存状態も良いしブリスターパックもついていたら結構良い値段がするのではないだろうか。
「こういうモノは卒業しろと家族に怒られて泣く泣く大部分を捨てたんですが、全部を捨てるのは忍びなくてですねぇ。内緒でこっそりアレしてホイしてたんですが、やっぱり良いですね、こういうオモチャは」
 皆川さんはうれしそうに言った。
「どことなく可愛いですね、その宇宙人。昔の特撮(とくさつ)の怪獣みたいで」と私が言うと、
「そうなんですよ。見てください、こいつの造形なんか秀逸ですよねぇ」
 と言いながら皆川さんはスカートをはいた宇宙人のフィギュアを持ち上げた。商品紹介系のユーチューバーがやるように背後に手のひらを()える。
 フラットウッズ・モンスタ((1))
 一九五二年に米国ウェストヴァージニア州フラットウッズで目撃された全長三メートルの宇宙人だ。頭部にスペード型の板をはりつけたような面白い姿(すがた)をしているので、創作の題材にされやすく、私も以前から知っていた。
「今アメリカのオークションサイトでは、このフィギュアが一〇〇ドル前後で取引されているんですよ。いやぁもったいないことをしましたよ」
 もっと他にも色々持っていたのに……、と彼は悔しがる。
「皆川さんはUFOに懐疑的な立場だと聞いたんですが、それにしては宇宙人とかUFOのオモチャはお好きなんですね?」 
「ええまぁ……これとそれは別なので」
「今回は、その懐疑的立場から、いろいろお話を伺いたいと思っているんです。皆川さんは、ズバリUFOの正体は何だと思います?」
 取材に(のぞ)むにあたって、私はいつも質問リストを作成している。
 今回、皆川氏に聞いてみたいのは、ダントツでこの質問であった。
 UFOとは何なのか? どうして私たちは空に謎の飛行物体を見てしまうのか?
 目撃例の大多数は、おそらく誤認や虚偽なのだろう。だが、その中には最後まで正体不明なケースがあるわけで、実際に私も体験したし、あきる野で会った三人も嘘をついていたとは思えない。であれば、アレは何なのか。懐疑派の立場から合理的な解釈を聞きたかった。
 私の質問を受けて、皆川さんはしばらく思案していた様子だったが、
「うーん。いきなり直球できましたね。弱ったな」
 と頭をかいてみせて、
「何なのか?と聞かれると、わかりませんと答えるしかないです。正体がわからないけど、何かが空を飛んでいたんでしょうね、というのがUFOなので」
「失礼しました。質問の仕方が悪かったですね」と私は言った。「あくまで皆川さん個人の意見で、という意味です。UFOの正体を究明しろ、ということではなく、皆川さんはどんな考えをお持ちなのか、それを知りたいんです」
 ふむ、と皆川さんは首をかしげた。そして、
「なるほど。僕個人の意見というエクスキューズさせてもらえるんやったら、もしかしてこういうことちゃうかなぁ?というのはあります。まあ大した話じゃないかもしれませんが、順番に話していきましょうか」
 皆川さんは笑いながら「そうだ」と言って、宇宙人のフィギュアを手に取って、「せっかくここに面白いものがあるんやし、最初に阿刀川さんにクイズ出しておきましょうか」
「クイズ、ですか?」
「ええ。ここにあるフィギュアは、過去に目撃された宇宙人たちです。いろんな格好してますよねぇ。金髪の女性だったり、ロボットだったり」
 皆川さんはフィギュアをひとつずつ指さしていく。
 たしかにその外見は多種多様だ。
 宇宙服を着ている個体や、全身毛むくじゃらのゴリラのような個体。真っ赤なミシュランマンみたいな個体。半透明のクラゲのような個体や、二足歩行の巨大な蛾のような個体。どれも宇宙人というより、モンスター映画の怪物のように見える。
「こいつらは五〇年代から七〇年代にかけて実際に目撃されました。ところがですよ、ある時期を(さかい)に、目撃例はほぼ一種類に収束してしまうんです」
 と言って、彼はフィギュアのひとつを持ち上げた。
 それは馴染みのある姿形をしていた。大きな頭部。アーモンド型の巨大な瞳。手足は華奢(きゃしゃ)で、身長は低い。体色がくすんだ灰色であることから、リトル・グレ((2))と呼ばれる種類の宇宙人だ。
「阿刀川さんも宇宙人といったらこいつを連想するんじゃないですか?」
「まあ、そうですね……」
「かつてはあれだけバリエーション豊かな宇宙人が目撃されていたのに、ある時期からグレイ・タイプに目撃例は限定されるようになった。でも、考えたらおかしな話ですよね。他の宇宙人はどこへ消えてしまったのか? なぜグレイ・タイプばかり目撃されるのか?」
「なるほど。それがクイズなんですね?」
「そういうことです。僕がこれから話す内容と関係してきますので、しょうもない話ですけど、聞きながら考えてもらえたらな、と思って」
 皆川さんはフフフと不敵に頬を歪めた。

      3

 宇宙人のフィギュアはお役御免(ごめん)ということで、机の上から片付けられた。
 だが、皆川さんはそのかわりにUFOのプラモデルを持ってきたので、賑やかさは相変わらずだった。
 私はなんだかユーチューバーの動画を視聴している気分になっていた。
「では始めるんですけど、UFOとは何か?という話の前に、一体いつ頃からUFOが目撃されるようになったのか?について話していきますね。阿刀川さんは、ケネス・アーノルド事件ってご存知ですか?」
 と皆川さんは問う。
「ええ。これでも一応勉強してきましたから」と私はうなずいた。
 ケネス・アーノルド事件。
 それはおそらくUFO遭遇の歴史上もっとも有名な例のひと((3)) だろう。
 とはいっても、関心がなければ内容を耳にする機会もないと思うので、ここで簡単に紹介させていただく。
 事件が起きたのは、一九四七年六月二十四日のことだ。
 アメリカの実業家ケネス・アーノルドは、自家用機でワシントン州レイニア山付近を飛行していた。午後二時五十九分頃、レイニア山付近の上空で、彼は奇妙なものを目撃する。九個の物体が一列に並んで、北から南へ時速1700マイルという驚異的な速度で飛んでいたのだ。謎の物体の推定される大きさは15から20メートルで、既存のどの航空機とも似ていなかった。
 マスコミは、アーノルドが見た物を「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」と名付けて大々的に報道した。その後同様の目撃談が相次いで報告されたため、米国はUFOを調査する機関、いわゆる〈プロジェクト・サイン〉を発足させる事態にまで発展した。
 以来、六月二十四日は世界的にUFOの日とされている。
「私、イリヤの空、UFOの(なつ)大好きでした」
「ライトノベルですよねぇ、僕は読んだことないのですが。アーノルドの事件はアメリカで最初のUFO目撃例と思われていることが多いんですよ。印象が強烈なのでそうなってしまったんでしょうけど、実際にはもっともっと古い事例があるんです。記録によれば、一八九六年の出来事ですから、なんと一九世紀ですね。この年から翌年にかけて、アメリカ全土で〈謎の空中の乗り物〉の目撃が多発しました。乗組員と会話した体験談もあったようです」
「一九世紀、ですか……」
「当時の典型的な目撃報告例をプラモデル化した商品がありまして、それがコイツなんですが……」
 そう言って、皆川さんはモニターに模型を映してみせた。
 私は思わず「えっ?」と眉をひそめてしまった。
「それ、UFOですか?」と訊ねると、「ええ、UFOなんです」と皆川さんはイタズラが成功したように(たの)しそうに笑う。
 だが、それはどう見てもただの飛行船にしか見えなかった。
 スタジオジブリ制作のアニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場した巨大飛行船ゴリアテに似ているといえば似ている。
「全米で千件以上のUFO目撃報告がありましたが、僕らに馴染みのある円盤型の報告はただの一件もないんですよ。この飛行船タイプのみで」
「本物の飛行船のフライトだったんじゃ?」
「いえ。その可能性は否定されています。たしかに当時ヨーロッパでは飛行船のテストが開始されていましたが、アメリカは技術的に遅れていたんです。業界トップを走っていたのはドイツで、一九〇〇年七月にツェッペリンLZ1(ごう)の試験飛行に成功します。初のアメリカ製飛行船が(そら)を飛んだのは、一九〇四年になってからです」
「乗組員と会話したってことは、着陸してきたってことですか?」
「そういうパターンもあったみたいです」
 と皆川さんは付箋(ふせん)がたくさん挟まっている本を拾い上げた。
 ページをめくって、
「これはカリフォルニア州サクラメントの事例です。ソースは地元の新聞記事。……あっ、ちなみに一九世紀のアメリカって新聞社がめちゃくちゃ多くてですね、過当競争のせいで、クオリティペーパーすらヨタ話を平気で載せていたので、そういう時代背景を頭の隅にでも置いておいてください」
「了解しました」
「ということで、当時の新聞記事の要約です」
 と言って、皆川さんはページを読み上げてくれた。

・一八九六年十一月一八日の夕方。カリフォルニア州サクラメントに強烈な光を放つ飛行船があらわれた。それは教会の塔(醸造所の塔という説もある)にぶつかりそうになり、飛行船の乗組員が「上昇しろ!」と叫んでいるのが聞こえた。飛行船は謎の力で推進しており、かろうじて建物にぶつかるのを回避した。驚きながら人々が空を見上げていると、「さて明日の正午までにサンフランシスコにいかなくては」と話し合う声が聞こえてきた。言語は英語だったという。

 このサクラメントでの目撃を端緒として、米国中西部から西部一帯にかけて、物体は相次いで出没するようになる。カンザス州、ネブラスカ州、アーカンソー州、イリノイ州と縦横無尽だ。飛行船は「ゴースト・エアシップ」とか「ミステリー・エアシップ」「ファントム・シップ」などと呼ばれて新聞の紙面を賑わせた。その正体については、火星人の乗り物ではないかという説、どこかの富豪がひそかに開発した飛行船ではないか説、空を飛ぶ幽霊船説とさまざまだった。

・カリフォルニア州ストックトンでは、ショー大佐なる人物が、長さ45メートルの飛行機械とそれから降りてきた三人の搭乗員と遭遇する。三人は見た目こそ人間だったが、ショー大佐は「火星人ではないか」と思った。言葉は通じず、やたら体重が軽かった。ショー大佐は飛行機械内部に拉致(らち)されそうになったが、必死で抵抗すると、三人はあきらめてどこかへ飛び去ってしまった。
・アイオワ州スーシティ。ロバート・ヒバードという農夫が、空飛ぶ飛行船から垂れ下がったイカリにズボンをひっかけてしまい、十メートルほど地面を引きずられた。そのまま連れ去られそうになったが、ズボンが破れたために窮地を脱した。
・カンザス州エベレスト。夜、上空に飛行船が出現。強烈なサーチライトを装備しており、それをあちこちに動かしていた。形はゴンドラ型で長さ7・5メートルから九メートル。側面から四枚の翼が突き出ていて、船上部には気嚢(きのう)もあった。

「こうして目撃例を聞いてみると、形がばらばらだったり、翼が生えてたりで、本物の飛行船と程遠いですね」と私は言った。
「飛行船というのは一九世紀当時の最先鋭技術で、うわさで聞いたことはあっても実物を見たことがある人間はほとんどいなかったはずです」
 つぎは興味深い事例ですよ、と皆川さんは続けた。
「一八九七年四月一九日。テキサス州に住むJ・B・リンゴーンは隣人の牧場に飛行船が着陸しているのを発見しました。飛行船の近くには四人の男が立っており、そのうちのひとりが『これは新型の飛行船だ』と説明しました。四人の男はこれからアイオワに戻らなくてはならず、その前にバケツに二杯分の水を(めぐ)んでほしいとリンゴーンに要求したそうです」
「えっ?」
 一瞬(いっしゅん)、私の呼吸は止まったと思う。
 水を要求……。
 どこかで聞いた話だった。
「水がほしい、と言われたんですか?」
「ええ、そうみたいですね。飛行船の乗組員との接触例は多数報告されているんですが、興味深いことに水を要求してくるパターンが結構あるんですよ」
 他にも目撃談を読み上げてくれた。
 四月二〇日。テキサス州ユベルディの保安官の自宅ちかくに、リンゴーンが目撃したものと同じものらしい飛行船が降りてきた。乗組員は保安官にやはり水を要求し、われわれの存在は極秘にしてほしいと言い残して、空に去っていった。
 四月二十二日。飛行船は今度はテキサス州ジョーサーランドに出現する。農夫フランク・ニコルズのトウモロコシ畑に着陸すると、井戸水をわけてほしいと要求。
 五月六日、アーカンソー州フォートスミスで、パトロール中の警官が飛行船の乗組員と遭遇。乗組員たちは、ここでもやはり水を汲んでいた……。
 何なのだろうかこれは……。私はちょっとだけ怖くなっていた。なぜ飛行船の乗組員は、(はん)を押したように揃いも揃って「水」を要求するのだろうか。
 一〇〇年以上の時をこえて、二一世紀の日本のあきる野で目撃された〝緑色のジャージのオジサン〟も、小学生三人に「水もってる?」と訊ねてきた。
 偶然の一致? それとも……?
「……で。謎の飛行船の正体は判明しているんですか?」と私は言う。
「それがわからないんですよ。千件以上の証言があるし、乗組員と会話した事例もあるというのに、正体は不明なままです。目撃ブームは一八九七年にいったん落ち着きますが、一九〇八年と一九一二年に同じ騒動が起き、今度はヨーロッパでも目撃が多発するようになります。まるでインフルエンザの流行ですねぇ」
 想像してしまった。
 アメリカの上空を、飛行船のかたちをした「ナニカ」が州を(また)いで飛んでいく。
 それは時折(ときおり)人間の姿になって地上に降りてくると、水がほしい、と言う。
 目撃報告にパターンがあるのは、神話の原型(アーキタイプ)のようだ。時代や文化が異なるのに、なぜか似たような神話が発生することがあるのだ。ということはそれは物質をもたない観念的存在なのだろうか。人間の心から生まれたものなのだろうか。
 そしてその「ナニカ」は海を越えて広まっていく。まるで病原菌のパンデミックのように人間の住む場所から場所へ。
「……飛行船騒動は、ある時期を(さかい)にピタリとなくなります。まるで幻のように。そして、かわりに別のものが目撃されるようになります。──阿刀川さん、何だかわかりますか?」
 皆川さんに質問されて、私は妄想を中断した。
 ある時期にピタリと報告がなくなり、別のものが目撃されるようになった……。
 その〝別のもの〟も、空を飛ぶのだろうか?
「もしかして……飛行機?」
「そうです。正解です」皆川さんはうなずいた。「飛行船の時代は短命で、かわって飛行機の時代がやってきたんです」
 ライト兄弟が有人飛行に成功したのが、一九〇三年。
 飛行機産業はそれから驚異的な発展を続け、最初期は200メートル飛ぶのがやっとだったのだが、後続距離はどんどん伸びていった。ライト兄弟の初フライトからわずか二十四年後の一九二七年には、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク・パリ間の無着陸飛行に成功している。
 まさに日進月歩。理解が追いつかないほどの進化の速さだ。
「そして、各国のパイロットたちは、謎の飛行機を目撃するようになります」と皆川さんは言った。「当時は複葉(ふくよう)機が主流でしたが、目撃される謎の飛行機は単葉(たんよう)機で、ありえない速さで飛行するので、追跡が不可能なほどでした。一九三九年に第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)すると、パイロットたちは幽霊戦闘機──いわゆるフー・ファイターに翻弄されることになります。ちなみにフーの由来は英語のWHOではなく、フランス語のfeaです。意味は、火。パイロットたちが目撃したのは、明るい火の玉だったんです」
「それは現代のUFO目撃談に(つう)じるものがありますね。要するに皆川さんは、UFOは時代とともに変化している、と言いたいわけですね?」
「まさしく」
 皆川さんは、穏健そうな表情から一転してニヤリとした。
 話をまとめてみると、飛行船、単葉機、火の玉、という(じゅん)に目撃報告のトレンドがあるようだ。そして目撃されるのは、その時代の新しい技術である場合が多い。
 時が進み、一九四七年。ケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」を目撃すると、世界各地で似たようなものが目撃されるようになる。令和に生きる私たちも、UFOといえば円盤型を連想する。飛行船型UFOや単葉機型UFOなど聞いたことがない。一度(すた)れると、流行は復活しないということだろうか。
「そうそう。ケネス・アーノルドが見たUF((4))は『空飛ぶ円盤』ということになっていますが、本当はまったく別の形だったというのはご存知でしたか?」
「えっ。そうなんですか?」おどろいて、私は言った。
「ええ。彼が見た本当のUFOの模型もありますよ。どこに置いたかな。ここにホイしておいたんだが」
 皆川さんは椅子から下りたのか、ウェブ会議の画面から消えた。
 しばらくして戻ってくる。
 手には銀色のUFOの模型が(にぎ)られていた。「これです、変なカタチでしょう?」と画面の中心に映るように見せてくれる。 
 たしかに言葉で描写しにくい形状だった。熱帯魚のエンゼルフィッシュを銀色に()ったような、とでもいったらいいか。
「ぜんぜん違うじゃないですか。これがなぜ『空飛ぶ円盤』になったんですか?」
「それはですね、アーノルドは、形じゃなくて動きの説明をしたんです。目撃したUFOは、まるで瞬間移動のようなスキップ移動をした。それを『(ソーサー)を水切りの要領で投げたみたいな』と表現したのですが、記者が『(ソーサー)が空を飛んでいた』と誤解してしまったんですね。ですが、アメリカ人たちは『空を飛ぶ皿』のイメージをよほど気に入ったんでしょう。僕が思うに、もし当時の新聞記者がアーノルドの見た物体を正確に報道していたら、彼の目撃談はこれほど人気に火がついてなかったんじゃないでしょうか?」
 そう言って、皆川さんは銀色のエンゼルフィッシュを画面の中で揺らした。
 それを机に置くと、別の模型に手を伸ばす。「これはアダムスキー型と呼ばれるUFOです」と言って、先ほどと同じように空を飛んでいるように揺らしてみせる。
 その模型は、もっともUFOらしい形をしていた。
 いや、あえていおう。……進化していた。
「アーノルドが報告した『空飛ぶ円盤』はUFOの基本形を定義しました。そして時代は一九五〇年代。ジョージ・アダムスキーが遭遇したこの円盤によって、そのデザインはひとつの完成形に到達します」
 模型はサファリハットのような形状をしている。
 特徴的なのは円盤の(うら)で、ピンポン玉を半分にしたような半球が三個ついている。
 ほとんどの人がUFOといったらこの形を思い浮かべるのではないだろうか。
「アダムスキーは宇宙人とも接触しています。ちなみにその宇宙人、どこの星から来たと思いますか?」
「……宇宙人が、ですか? うーん、別の銀河系とか?」
「いえ。もっと近くて、太陽系の惑星からです。わかりませんか? じゃあ正解を言っちゃいますけど、じつは金星なんですよ。だれもがUFOと言ったら思い浮かべるであろうこのUFOは、金星から来た宇宙船なんです」
 一気にうさんくさくなってきた。
 金星は地球のとなりにある惑星で、よその銀河系に比べれば気軽にやって来れる距離ではあるが、生き物が住める環境ではないはずだ。
「一九五〇年代は人類が月に到達していない時((5))ですから、みんな信じたんでしょうね。アダムスキーが発信する主張はその後ころころ変わって、彼が会ったのは金星人だったり火星人だったり土星人だったりしました。撮影された証拠写真もトリックであることがわかっています。アダムスキー型のデザインも実は元ネタがあるのですが、話が長くなるので今回は割愛しましょう。重要なのは、彼をインチキだと糾弾することではなく、彼のUFOが与えた影響をどう見るかです」
 皆川さんは言う。
 アダムスキー以降、UFOといえばこの形になった。
 つまり、全世界的にバズった(・・・・・・・・・)
 そして世界中でアダムスキー型UFOが目撃されるようになった……。
「いやでも待ってください」と私は口を挟んだ。「そもそも円盤型というのが、新聞記者が誤解した形状で、アダムスキーの円盤はその亜流ですよね? だとしたら、私たちがUFOだと思っていたものって何なんですか?」
 そうなのだ。
 そもそも最初の円盤型というのが、伝言ゲームのミスのようなもので、本来目撃された形状と全然違っていた。
 なのに、私たちはUFOは円盤型だと思っているし、世界中で目撃報告がある。
 これでは私たちはバカみたいではないか。
「ミームだからです。あくまで僕が思うに」と皆川さんは答えた。「アダムスキー型UFOはポップかつユーモラスで、素晴らしいデザインだと思います。初期に報告されたUFOは、葉巻だったり、卵だったり、円筒だったり、色々な形があったんですが、今ではマイナーです。みんなの心を(つか)んだUFOが勝ち残ったんです」
「勝ち残った……」
 そこでふと、私は最初に出されたクイズのことを思い出した。
 UFOがバズることがあるならば、同じことが宇宙人にも言えそうだ。
 初期は多種多様な宇宙人が目撃されていたのに、ある時からリトル・グレイに限定されるようになった。その理由は、つまり、リトル・グレイのデザインが勝ち残ったから……。
「UFOとは、ミームである。というのが僕個人の考えです」
 ミーム。
 それは、進化生物学者のリチャード・ドーキンスが提唱した概念で、意味としては文化的遺伝子となる。あくまで概念であり、実体(じったい)があるわけではない。人間の脳から脳へ伝達される情報がまるで遺伝子を持つように振る舞う、ということだ。
 私たちに身近なのは、ネットミームだろう。
 ネット上で、とある画像や動画が流行する。SNSを通して拡散されるうちに改変や追加がおこなわれていく。何年か経つうちに元ネタと似ても似つかぬ姿になることもあるだろう。生物が進化するように、ミームも形を変えていく。
「でもミームというのは人間の脳内にあるものですよね? つまりUFOとは、私たちの頭の中にしかない、ということでしょうか?」
「半分は正解だと思いますねぇ。ただし映像に残されたり一度に多数の人間に目撃されたりすることを考えると、UFOを妄想と片付けてしまうのも早計でしょう」
 どういうことなのだろうか。
 私は混乱した。いっそ思い込みと断言されたほうがスッキリしたのだが。
「誤解してほしくないのですが、UFOの存在を否定しているわけではないのです」
 と皆川さんは言った。
「過去に目撃されてきたUFOや搭乗員である宇宙人は、おそらく僕らの脳内にある存在なのでしょう。ですが、そうなると、なぜ僕らの脳はそんなものを見てしまうのか?という疑問が生まれます。どうして人間は、ヘンなものを見てしまうのでしょうか、それも空に」

      4

 五月が過ぎ、六月になった。
 私はふたたび本業が忙しくなっていた。
 かねてより提出していた企画が会議を通り、ウェブコミック配信サイトで連載が決定したのだ。作画担当は引き続き、南條文夏さん。内容は、宝塚歌劇団をモチーフにした架空の少女歌劇団で三人の少女が成り上がりを目指す、というビルドゥングスロマンで、雰囲気をつかむために、南條さんと二人で宝塚のビデオを観たり、地下アイドルのライブに行ったりした。
 生活が充実し、私はUFOに対するモチベーションを失いつつあった。
 皆川雄一氏の話がショックだったというのもあるかもしれない。
 二〇二一年七月二十三日。この日、新型コロナウィルスの影響で一年延期していた東京オリンピックがいよいよ始まる。昼、東京都庁に聖火が到着すると、航空自衛隊のブルーインパルス編隊が飛来し、東京上空に五輪の()をえがいた。
 夜八時になると国立競技場からオリンピック開会式がライブ中継された。
 選手入場をテレビモニターに映しつつ、パソコンでは友人たちと作業通話をしつつ、という欲張りな環境で、私はこまごまとした仕事を片付けていた。
 SNSを覗いてみるとタイムラインはお祭り状態で、だれもが鬱屈(うっくつ)を吹き飛ばそうとしているかのようだった。
 私にとってもこの一年間は本当に大変で、オリンピックというお祭りによって厄を遠ざけてほしい気持ちになっていたと思う。
 UFOの取材ノートや集めた資料は……いつか漫画のネタにできるかもしれないから、一応保管しておこう。書こうと思っていた本はひとまずペンディングにしよう。そんなふうに思っていた。
 一本のメッセージが、私のスマートフォンに届くまでは。



注 釈

(1)フラットウッズモンスター
 目撃者の証言は以下のようなものだ。
・頭部にトランプのスペードのような形状のフードがついていた。
・体は暗緑色。かぎ爪を前方に突き出していた。
・身長は3メートルから3・6メートル。
・目から光を放っており、空中を浮きながら近づいてきた。
 アメリカ空軍は当時現地に赴いて調査をした。その結果によれば、モンスターの正体は、森に棲むメンフクロウである可能性が高いという。身長3メートルに見えたのは樹木の枝にとまっていたから。かぎ爪を突き出して近寄ってきたように見えたのは、メンフクロウが枝から飛び立って目撃者に向かって滑空してきたからである。

(2)リトル・グレイ
 有名な宇宙人の姿に元ネタはあるのだろうか? リトル・グレイのイメージの源となったのは、1961年のヒル夫妻誘拐事件であるとされている。ヒル夫妻は拉致されて円盤の中へ連れ込まれ、宇宙人に生体実験をされたと主張したのだが、この時の宇宙人がいわゆるリトル・グレイの姿をしていた。だが、夫妻が事件の記憶を〝思い出した〟のは、事件から2年半後の1964年2月22日であり、その12日前に米国で放映されたSF番組「アウター・リミッツ」に登場したエイリアンが、彼らの証言する宇宙人とそっくりだった。ヒル夫妻が事件の記憶をよびさましたのは精神科医による逆行催眠によってであり、実際にあった出来事であるか疑わしい。その後、映画「未知との遭遇」が宇宙人のデザインにグレイ・タイプを採用し、世界的にイメージが広まった。

(3)もっとも有名な例のひとつ
 UFOを語る上で外せない事件は二つある。ひとつはケネス・アーノルド事件であり、もうひとつはロズウェル事件である。
 1947年7月8日、米国ニューメキシコ州にあるロズウェル陸軍飛行場は「第509爆撃航空群の職員がロズウェル近郊の牧場から潰れた〈空飛ぶ円盤〉を回収した」と報じた。が、その数時間後に「回収されたのは気象観測用の気球であった」とプレスリリースを訂正した。過去から現在にいたるまで、ロズウェル事件に関してはさまざまな説や陰謀論が唱えられ、とてもひと言では語ることができない。詳細を語るのは大量に出版されている関連書籍に譲るとして、ケネス・アーノルド事件(同年6月24日)のわずか2週間後の出来事であることは注目しておきたい。

(4)ケネス・アーノルドが見たUFO
 彼が見たUFOは時間が経つにつれて変化していく。最初の証言ではエンゼルフィッシュのような形状だったのだが、翌年には世間に迎合したかのように円盤型を主張するようになり、後年にはブーメラン型になった。UFOまでの距離と大きさにも矛盾があり(30から40キロ先にある15メートルの物体は肉眼では見えない)、彼の主張は信憑性が低いと言わざるをえない。おそらくアーノルドは何かを見たのだろう。しかしそれが実際にはどんなものだったかは永遠の謎になってしまった。

(5)人類が月に到達していない時代
 イギリスの作家H・G・ウェルズが「宇宙戦争」を上梓すると、宇宙人=火星人のイメージが定着した。1950年代から60年代にかけて目撃された宇宙人は、ほとんどが太陽系内の惑星(火星・金星・土星)からの来訪者だったといっていい。だが1969年にアメリカが初の月面着陸を成功させ、太陽系内の惑星に探査機を送り込むようになると、どうやら地球以外の惑星に生命は存在しないらしいことがわかってきた。すると目撃される宇宙人も太陽系外の惑星、たとえばプレアデス星団やレチクル座のゼータ星、ウンモ星、琴座のヴェガ星などからやって来たと主張するようになった。











 補遺資料②

■人間の脳は最大11次元の構造を作り上げることができる。スイスの科学者がその証拠を発見
 古典的な数学を応用することで、脳の構造を観察するまったく新しい方法が考案された。それによると、脳は最大11次元で稼働する多次元幾何学的構造なのだとか。
「想像だにしなかった世界が見つかってしまいました」とスイス連邦工科大学ローザンヌ校の神経科学者アンリ・マークラム氏は当時コメントしている。「脳の小さな断片ですら、こうした物体が数千も7次元を超えて存在していたのです。一部のネットワークでは11次元構造すら見つかりました。」
 人は世界を3次元の空間としてとらえる生き物だ。4次元空間でさえまともに想像できないのに、突然11次元と告げられても、何のことやらまるで理解がついていかない。いったいどういうことなのか?
 この数学的脳モデルは、スーパーコンピューターでヒト脳を再現しようという計画「ブルー・ブレイン・プロジェクト」の研究チームによって作られた。
 研究チームは、「代数的位相幾何学」という形状の変化とは無関係に物体と空間の特性を記述できる数学を応用することで、神経細胞グループはクリーク(密集した神経細胞の集団)として結合していることを突き止めた。そして、クリークの神経細胞の数は高次元幾何学物体としてのサイズと関係しているという。
 そう言われても、一向に考えがまとまってくれないのは、自分の頭の中にある脳が11次元という複雑怪奇な構造であるからなのだろうか?
 念のためはっきりさせておくと、11次元とはいっても物理的な空間のことを指しているわけではない。ここでの次元とは、神経細胞クリークの結合具合について言及したものだ。
(中略)
 人間の脳は860億もの神経細胞を持つと推定されている。各々の神経細胞はありとあらゆる方向に網の目のように結合し、思考と意識を生じさせる広大な細胞のネットワークを構築する。
 その特徴を模した数学的脳モデルに仮想刺激を与えてみたところ、ラットの本物の脳組織と同じ結果が再現されたそうだ。
 未だ完全な理解にはいたっていない膨大な神経ネットワークを持つ脳であるが、この数学的モデルの登場によって、コンピューター上のデジタル脳モデルの完成に一歩前進できたとのことだ。
           カラパイア:https://karapaia.com/archives/52278989.html

■粘菌がコンピューターになる!? 単細胞生物が持つ驚異の“情報処理能力”
 今、SNSなどでひそかなブームとなりつつある生き物「粘菌(ねんきん)」をご存じですか。名前に“菌”とありますが、カビやキノコの仲間ではありません。人類誕生のはるか昔から地球で暮らしている原始的な「単細胞生物」です。
 たった一つの細胞からできた粘菌には脳や神経はありませんが、驚異の情報処理能力を持つことが明らかになってきました。中でも、ある日本の研究者が行った「粘菌に迷路を解かせる」という前代未聞の実験は、世界中の研究者を驚かせました。さらに、粘菌の情報処理能力を使えば、新型のコンピューターまで開発できると言うほど。実はさまざまな分野での応用が期待されている生き物で、粘菌を知れば、“単細胞”というイメージが180度変わるに違いありません。
                       NHK サイエンスZERO

■菌輪
 菌輪(きんりん)とは、キノコが地面に環状(あるいはその断片としての弧状)をなして発生する現象、あるいはその輪自体のことである。菌環(きんかん)とも呼ばれる。英語では "fairy ring"、"fairy circle"、"elf circle"、"pixie ring" など「妖精の輪」と表現される。
 菌輪はときとして直径10m以上にもなり、構成している菌類が生育し続ける限り安定である。特に大きな菌輪では直径600m、菌体の総重量は100t、菌輪としての年齢は700歳にも達した例がフランスで報告されている
                             〝菌輪〟Wikipedia

■取り替え子
 取り替え子 (とりかえこ、英語: changeling)とは、ヨーロッパの伝承で、人間の子どもがひそかに連れ去られたとき、その子のかわりに置き去りにされるフェアリー・エルフ・トロールなどの子のことを指す。時には連れ去られた子どものことも指す。またストック(stock)あるいはフェッチ(fetch「そっくりさん」)と呼ばれる、魔法をかけられた木のかけらが残され、それはたちまち弱って死んでしまうこともあったと言う。このようなことをする動機は、人間の子を召使いにしたい、人間の子を可愛がりたいという望み、また悪意であるとされた。
 取り替え子は、彼らのしなびた外観、旺盛な食欲、手のつけられないかんしゃく、歩行できないこと、不愉快な性格によって識別された。中世の年代記は、フェアリーについての民俗伝承の断片として知られる最古のものの一つを、この例として記載している。
 一部の伝承によると、取り替え子は人間の子供より知能がはるかに優れていたことから、見破ることは可能であった。ある時取り替え子であることが見破られると、その子の両親が子供を連れ戻しにやってきた。グリム兄弟の民話の一つでは、我が子が取り替え子にすり替えられたのではと疑った女が、木の実の殻の中でビールを醸し始めた。取り替え子はうなった。『おいらは森の中のオークの木と同じくらいの年だけれど、木の実の殻の中でビールを醸すなんて見たことがない。』そういうと、彼はたちまち消え失せた。
                          〝取り替え子〟Wikipedia


第三章「メン・イン・ブラック──不可思議な行動に取り憑かれた人たち」






      1

 仕事をしながら、選手入場のライブ中継を横目(よこめ)でちらちらと眺めていると、ふいにスマートフォンにメッセージが着信した。
 差出人は、以前取材をさせてもらった大学生・土井(どい)勇斗(ゆうと)くんからだ。
 それはこんな内容だった。

〈お久しぶりです その後UFO関連で新展開ありましたか? 最近僕はバイトを始めたんですが バイト先の先輩がUFOを目撃してたことが発覚しまして しかも阿刀川先生が目撃したヤツにそっくりみたいなんです!〉
〈すごくないですか? 残念ながら正確な日時は覚えてないみたいなんですけど これは絶対に先生に教えたほうがいいと思ってご連絡させていただきました〉

 すごくないですか?の部分から勇斗くんの興奮が伝わってくるようだった。
 一読後(どうしよう……)と私は思った。
 新連載は既に始まっている。今は作品世界にどっぷりと()まっているので、思考に不純物を混ぜ込みたくないのだ。かといって、ひと回りも年下の大学生がわざわざメッセージを送ってくれたのに無碍(むげ)にするのも気が引けた。
 私は本心を見透かされないように注意深く、具体的な形や目撃した場所やシチュエーションについての質問を送信した。すると、勇斗くんは着信を待機していたかのように即座に返事をくれた。
 それによると、「バイト先の先輩」が不思議な物体を目撃したのは二〇二〇年七月下旬。場所は豊島(としま)区にある立教大学キャンパスとのことだった。
 彼女(先輩は女性らしい)は立教大学の学生で、当時早朝のジョギングを日課にしていた。アパートは小竹向原(こたけむかいばら)にあるのだが、小竹向原〜(かなめ)町〜立教大学キャンパスまでの道が距離的にちょうどよく、毎朝のようにアパートを出て大学の裏門まで行っては折り返す、といったトレーニングを続けていたようだ。
 ある朝、彼女が走りながら大学の建物に何気なく目を向けたところ、上空に何かが浮かんでいるのに気づいた。それは言葉で説明できないカタチをしていた。

〈だから絵に描いてもらったんです そしたら螺旋?みたいなシュールな幾何学図形で……以前にメールで教えてもらった先生の体験談を連想しました〉

 もしかしたら。二つの目撃報告は同じ物体を見た可能性がある……のかもしれない。一回目が二月の石神井(しゃくじい)川上空に出現し、二回目が七月後半の立教大学キャンパス付近に出現したのかもしれない。
 勇斗くんはそんなふうに考えたようだ。

〈阿刀川先生! もし良ければいちどウチの先輩に会ってみませんか? 先輩も興味があるらしくて先生の話を聞きたがっているんです お仕事忙しいとは思いますが気が向いたらでいいのでお時間いただけるとうれしいです!〉

      2

 翌日の午後。私は電車に揺られて池袋(いけぶくろ)に向かっていた。勇斗くんおよび「先輩」が通う立教大学で待ち合わせをして話を聞くためである。
 UFOに対するモチベーションは低下していたのに、なぜ話を聞く気になったのか自分でも不思議だった。自己分析すると、きっと私は「UFOが誤認であってほしくない、本物であってほしい」という(おも)いが強すぎたのだろう。だから懐疑主義者の皆川氏と話をして気持ちが()えてしまったのだろうし、新しい情報を得ることで、ちょっとした逆襲をしてやりたいと無意識に考えていたのだ。
 そんな子供じみた()()いのせいで、私はこの後とんでもなく厄介な事件に巻き込まれてしまうのだが。

 二〇二一年の夏は猛暑続きで、電車で池袋に降り立った時間にはおそらくその()の最高気温をマークしていた。東武(とうぶ)百貨店地下から西口へ出ると、駅前広場のタイルからムワッと熱気が立ちのぼっており、息が苦しいほどだった。
 閑散(かんさん)とした立教通りを日蔭を選びつつ辿(たど)っていくと、大学正門に若い男女の姿が見えてきた。どちらも日傘を指していて、炎天下の中で陽炎のように立っている。大学は休暇中なのか他に学生の姿は見当たらず、あの二人が勇斗くんたちなのだろうかと私は駆け寄って、
「勇斗くん?」
 と声をかけた。
 すると日傘を指した男子が振り返って「あ。先生!」とパッと顔を輝かせたので、やっぱりそうだったと安心した。
「早かったんだね。ごめんね、ここ暑かったでしょう」
 炎天下の路上は(ねっ)したフライパンの上に立っているみたいだった。どこかの店を待ち合わせ場所に指定すればよかったと後悔しながら言うと、
「いえ僕らも来たばかりですから」と相手はこたえはあくまでも(さわ)やかだ。「それよりもお忙しいのに、わざわざ大学までご足労いただいてすみませんでした」
「ううん問題ないよ。とりあえず暑いからさっそくどこか店に入ろうよ。お店の選択はそっちに任せるから──」
 私は喋りながら相手の顔を見た。ところがその時、突如として言葉にならない違和感におそわれ、何かがおかしいと思った。頭のなかに「?」マークが浮かび、急速に膨れていく。もう一度相手の顔を見て、「?」は「!」に変化した。
 なんということだろう──日傘を指した男子は、勇斗くんではなかったのだ。
 待ち合わせ場所にいた男女の二人組だし、背格好(かっこう)が似ていたから勘違いしてしまったようだ。やってしまった、と思った。
 しかも会話が成立したことから察するに、相手も私を別の誰かと間違えているらしい。きっとマスクがいけないのだ。顔が半分隠れているものだから、この奇跡的なマッチングが生じてしまったのだ。
 私はとりあえずマスクを外して謝罪した。
「……あははごめんなさい。まちがえました。人違いだったみたいです」
 すると相手はきょとんとして「どうしたんですか阿刀川先生?」と言うではないか。
 阿刀川先生と名前を呼ばれたことで、私はあれれ、と思い「……えっ。あの、私のことを知ってるの? もしかして土井勇斗くんの関係者?」
「やだなぁ。勇斗は僕ですよ」と男子はマスクを外した。「先生、忘れちゃったんですか。ちょっと悲しいです」
 私は自分の笑顔が強張っていくのを感じた。
 靴底を通してアスファルトの熱が伝わってくるほどの暑さだというのに、じわじわと背筋につめたいものが()(あが)ってきた。
「……誰?」思わず口走ってしまった。「ごめん。何が起きてるのか分からないんだけど、あなた土井勇斗くんじゃないよね? 私が知っている人と顔とか雰囲気が全然違うんだけど」
「えぇえ……そんなこと言われても。僕、勇斗ですけど……?」
「……あの。どうかしたんですか」と、ここで連れの女子が割り込んできた。それまで傍観していたが、私たちが揉めはじめたので不安になったのだろう。
「よくわからないんですけど、彼は土井勇斗くんですよ?」
 と連れの彼女ははっきりと言った。
 意味が分からなかった。
 そんなはずがないのだ。あきる野のファミレスで、勇斗くんはドリンクを飲むためにマスクを何度も外していたから顔を知っている。眼の前にいる日傘男子は、明らかに別人だ。いくら私でも間違うはずがないのだ。
「身分を証明できるものを何か持っている?」と私は尋ねた。
 すると男子は「ええ。あります」と学生証を取り出した。
 見せてもらう。学生証には姓名と顔写真が記載されているのだが、信じられないことに名前欄には「土井勇斗」と記されていた。偽造された物とは到底思えなかった。二人が口を揃えて言うように、彼は本当に土井勇斗らしいのだ。
 呆然としていると、不毛な会話劇を見せられていた女子が、(しび)れを切らしたかのような口調で言った。「ねえねえ。とりあえず話の続きは場所を移してからにしない? ここ暑いしさ……」
「そうですね。じゃあ適当に店に入りましょうか」
 男子も同じくうんざりしたように同意した。
 私は状況についていけず、クラクラしながら無言で立っていた。
 まるで映画「ボディ・スナッチャー」のようだった。ある日、正体不明の何者かが人間とこっそり入れ替わり、それに気づいた人が次のターゲットに選ばれて、ひとりまたひとりとニセモノが増えていくのだ。あきらかに別人になっているのに、ニセモノたちは結託して、この人は本物ですよと断言する……。
 現実にそんな怪物がいるはずないと思うが、気がかりなのは、本物の勇斗くんのことだった。もし別人と入れ替わっているのだとしたら、本物はどこへ行ってしまったのだろう?
 談笑しながら日傘をくるりくるりと回して遊んでいる二人の男女が不気味に見えてきた。暑さで頭をやられて朦朧(もうろう)としているせいもあるのだが、このまま二人についていったら、もう帰ってこれない気がした。
「あ。あのさ、わるいんだけど……」
 私は体調不良を口実(こうじつ)にして「今日は帰る」と申し出ようとした。
 ところがその時。
「ちょっと待って」と突如(とつじょ)男子がすっとんきょうな声を出したのだ。
「ねえちょっと。あれなんだろう?」
「えっ何。どうしたの?」
 びっくりしている女子の肩を、彼はいきなり(つか)んで、
「見てくださいよ! 空、空! あそこに何か飛んでいませんか!」
 と叫びながら、斜め前方を指さした。南の方角、立教大学の建物が連なっている方角を。
 雲ひとつなく晴れ渡った空はまぶしくて、私は顔の前で手(びさし)しなくてはならなかった。指示された方角に視線を遣る。赤煉瓦造りのモリス館と、巨大な杉の木がまず目に入る。その奥にある校舎の上空に、キラキラ光るものが飛んでいた。
「UFO! UFO! あれってUFOじゃないですか!」
「えーっ。本当だ! 何だろうあれ?」と女子が大声を張り上げた。
 二人は騒ぎながら、スマートフォンで撮影を始めた。
 私もスマートフォンを出し、震える手で空に浮かぶ謎の物体に向けてレンズを向けた。それの形状は銀色もしくは白で、アルファベットのCの文字に見えた。風船などではない証拠に、ゆっくりと横に旋回(せんかい)運動をしている。
 動きは最初こそゆっくりだったが、急に不規則な上昇や下降、湾曲するような飛行をするようになり、スマホ画面に(とら)え続けるのが難しくなった。
 と、建物の陰に消えてしまい、姿を現さなくなった。時間にして二分か三分くらいだろうか。撮影した動画を確認してみると、小さな点ではあるが、未確認飛行物体の不規則な動きがちゃんと撮れていた。
(UFOの撮影に成功してしまった……)
 内心ドキドキした。
 私だけでなく、隣の二人は異様な興奮に()かれていて、その場から一歩も動けない様子だった。

      3

 その日はそのまま解散することになった。
 勇斗くんを(かた)る男子は「ちゃんと話し合いましょう」としつこく引き止めてきたが、誘いを振り切るようにして帰宅することにした。
 駅のホームで電車待ちをしながら、私はすかさずSNSアプリを起動して、宮地(みやじ)くんのアカウントにメッセージを送った。長文になってしまったが、さきほど見たものをすべて伝えた。
 宮地くんからの返事はこうだった。
〈阿刀川さんと会うって話は聞いてました でも待ち合わせ場所に来たんならソイツが勇斗本人なんじゃないんですか?知りませんけど〉
〈でも顔が別人だったの!〉私は反論した。〈マスクも外してもらって確かめたから間違いない。あれは勇斗くんじゃなかったよ!〉
〈そんなこと言われてもじゃあ誰なんだって話になるでしょ 勘違いってことはないですか? 俺も他人の顔覚えるの苦手で ひさしぶりに会うとコイツこんな顔だっけってなりますよ そもそも阿刀川さんアイツと一度しか会ってないですし〉
 確かにそれはそうだ。
 でも(別人だった……)という思いが捨てきれなかった。
 ふと、あきる野で取材した時にボイスレコーダーで記録していたことを思い出し、あの時の音声データが証拠にならないだろうか?とメッセージで送ると、
〈わかりました そこまで言うならまたあの時のメンバーで集まりましょう その時にボイレコ持ってきてもらって聞き比べしましょうよ〉
〈ありがとう。でもごめん、しばらく仕事が忙しくて時間とれないと思う〉
〈そうですか じゃあ今度時間が取れそうな時ですね それより勇斗からさっき連絡きたんですけどUFOみたんですか? 先生と会うことは知ってたけどまさかそんなことになるなんて思わなかったな〉
〈うん。まぁ飛んでたのは確かだよ〉 
〈スマホで撮影したみたいだし動画の良いネタになりそうです 開設はもうすぐですので良ければみてくださいね チャンネル名はオカルテットです〉
 わかったありがとうとメッセージを送り、スマートフォンの電源を落とした。
 考え事をしながら、ホームにやって来た電車に乗り込んだ。
 以前何かの本で読んだことがあるのだが、脳障害の一種に相貌失認(そうぼうしつにん)というものがあるそうだ。先天的な場合もあるが、後天的には脳腫瘍や血管障害が原因で、人間の顔を見ても表情や人物を識別(しきべつ)できなくなるのである。
 もしかしたら私の脳に異常があるのではないか……。
 電車の揺れのせいか吐き気がしていた。気持ち悪さは電車を降りてからも収まることがなく、胸の中に居座っていた。
 帰宅後感染対策のためにシャワーを浴びたが、気分は落ち着くどころか胃に鉛の塊でも仕込まれたかのような重苦しさに変化した。
 しばらくして私は思い切ってある人物とコンタクトをとることにした。

      4

「本当に申し訳ありません。お休みなのに突然連絡したりして」
「構いませんよ。どうせオリンピックのニュース観ているだけでしたから」
 ノートパソコンの画面の中。起動したオンライン会議アプリのウィンドウに映された皆川雄一氏は、七分袖の作務衣(さむえ)という涼しげな姿だった。ネットに繋いでいる場所は前回と同じく自宅らしく、背景の小物に見覚えがあった。
「では。さっそくですが相談というのをうかがいましょうか。不可解な現象に遭遇したということでしたが?」
 と皆川さんは首をかしげた。
 私は恐縮しながらうなずき、
「はい。ちょっと意見を聞かせてほしいんです」
 と言って、今日の午後に体験した出来事を語り始めた。
 皆川さんは話が終わるまで黙って聞いていた。
 話が終わると、しばらく考えてから、
「相貌失認……ですか。不安でしたらやはり病院に行くのがいちばんだと思います。ただ、専門家じゃないのであまり適当なことは言えないんですが、今は僕の顔を見分けられているんですよねぇ?」
「……はい。それは大丈夫です」
「だったら違うんやないかなぁ、という気はしますけど。相貌失認というのは人間の顔から情報が読み取れなくなる障害だと聞いたことがあります。相手が笑っているのか泣いているのか分からなかったり、性別や老若の区別がつかなくなったり」
「さすがにそこまでじゃないですね」
「気休めやないですけど、阿刀川さんは大病を(わずら)って、御自身の身体に対して不安を感じやすくなってるのでは? なので相貌失認を疑ってしまったけど、僕は今回の件は、もっとシンプルに考えたほうがいいと思うんです」
「といいますと?」
「本当に別人だったんでしょう、土井勇斗くんは」
 皆川さんはあっさりと言った。
「で、でも。学生証も見せてもらったし、一緒にいた女の子も土井勇斗に間違いないと断言したんですよ?」
「でもそれなのに阿刀川さんは別人だと思ったわけですよね? だったら考えられる可能性は絞られてくるじゃないですか」
 そうなのだろうか。私にはよくわからなかった。
 一体どんな可能性があるのだろうか、と考えていると、皆川さんは「……ところで」と言った。
「例のボイスレコーダーのデータって……送ってもらうことは可能でしょうか。もしかしたら今回の件のヒントが眠っているかもと思いまして」
「データですか。かまいませんけど、三時間近くありますよ?」
「全部送ってください、聴いてみたいんです。……あ、そうそう、阿刀川さんは今日は何時頃にお休みです? 三時間後にまたビデオ会議ってできますかねぇ?」
「この後は仕事を進めようかと……って本当に全部聴くおつもりなんですか?」
 私が言うと、皆川さんは「聴きます」と真面目な顔でうなずいた。
 ではデータをよろしくです、と接続が切れてしまった。

 それから三時間後。
 私はキッチンでふだんより濃い目のコーヒーを()れて仕事部屋に戻ってきた。
 時計を見ると深夜一時だった。
 草木も眠る丑三(うしみ)つ時……には多少早いが、こんな真夜中にオカルトめいた不思議な事件について語り合うというのは、ミステリー小説の一場面に迷い込んだような気がして自然とドキドキとした。
 約束の時間からやや遅れて、皆川さんはオンライン会議の画面にあらわれた。
「どうもおまたせしました。ごめんなさい、眠気ざましに風呂に入っていたらつい考え事を始めてしまって、遅れてしまいました」
「いえいえ。私事にお付き合い頂き、こちらこそすみません」
「データ、ありがとうございました。興味深かったです」
「そうですか。で、何かわかりました?」
 私は前のめりになって訊ねる。
「まああくまで仮説ですけど、個人的見解はあります」
 皆川さんはそう前置きして、メモ帳を手にした。
 背広のポケットに入りそうな、アドレス帳くらいのサイズのメモ帳だ。ボイスレコーダーのデータを聴きながら覚え書きをしたのだろう。
「まず今日……いやもう昨日か、待ち合わせ場所にやって来たという青年ですが、顔写真つき学生証という信頼できる物証がある以上、本人に間違いないでしょう。その人物こそが土井勇斗なのだと思います」
「はい。まあそれはそうですね……」
 私は同意した。
 さすがにあんな精巧な身分証を一般人が偽造できたとは思えない。
 だが、たしか三時間前、皆川さんは〝別人だった〟と発言していたはずだが……。
「じゃあなぜ顔が違ったんですか?」
「そこですよね。昨日阿刀川さんが会ったのが土井勇斗本人なのだとしたら、考えられるのは、もうこれしかないと思うんです」皆川さんは神妙な顔で言った。「五月の連休に、あきる野で会った人物がニセモノだったんです。あっちが土井勇斗ではなかった。だけど初対面で土井勇斗を名乗られたら、阿刀川さんにはわからないし、信じるしかないですよね?」
 なるほど……とはならなかった。
 理屈は正しいのだが、その推理には大きな問題点がある。
「待ってください。たしかに一対一で会ったのならあり得そうな話です。ですが、あの時は他に二人いたんですよ? 彼らは小学生の頃からの友人なんです。勝手に他人の名まえを名乗ったら、すぐにバレるんじゃないですか?」
「それなら簡単ですよ。宮地くん、安達くんもグルだったんです。三人で阿刀川さんを(だま)していたんですよ」
 そんなバカな。
 私は反論しようと論理の穴を探した。だが頭のなかがぐるぐると廻り始め、思考をうまく組み立てられなかった。
 ……最初から三人は私を騙そうとしていた? あきる野で会ったのは、宮地くん、安達くん、正体不明の誰かの三人で、昨日の午後に立教大学の正門で会った人こそが、本物の土井勇斗だった……。それが真相なのだろうか?
「でも、待ってください。昨日会った男の子なんですが、私のことを知っていましたし、初対面という雰囲気じゃなかったですよ?」
「当然本物の勇斗くんもグルです。彼らは四人組だったんじゃないかなと思うんです。じつはボイスレコーダーを聴いていて引っかかったことがありまして」
 と、皆川さんは無造作(むぞうさ)に髪をなでまわした。
 手元のメモ帳に視線を落として、
戸吹(とぶき)スポーツ公園ですか、テニスコートもある本格的な運動公園みたいですねぇ。調べてみたら、テニスコートの使用料は二時間借りて1500円でした。割り勘するとひとりあたり500円ですけど、これ小学六年生にとっては出費だと思いませんか。しかも三人で借りるって、コスパ悪くないですか。僕が彼らやったら、あとひとり誘います。それやったら頭割りの料金が多少安くなりますし、ダブルスで試合もできますから」
「うーん。まあ、三人でテニスってのはやりにくそうですけど……」
「ですよね。二人が試合しているあいだ、ひとりは見ているだけになっちゃいますから。それから他にも気になったことがあるんです」
 皆川さんは続けた。
「宮地くんと安達くんが同い(どし)で、勇斗くんが二つ下ということでしたが、僕の経験では、小学生の頃は、年下の子と遊ぶことってあまりなかったように思うんですよねぇ。基本的には同級生とばかり遊んでました。今の若い子は違うんかなぁ?と思いますけど、最初に引っかかったのが、彼らの関係性でした。そういう視点でボイスレコーダーを聴いていたら、あることに気づいたんです」
 それは、名前の呼び方だという。
 私は気にも留めなかったのに、一体何に引っかかったのか。
 皆川さんは話を続ける。
「宮地くんや安達くんはお互いを苗字で呼ぶのに、勇斗くんだけは下の名前なんですよね。ボイスレコーダーを聴く限りでは、宮地くんと安達くんの下の名前わからなかったです」
「それはまあ……勇斗くんだけ年下だから……」
「うん。僕もそう思います。でも勇斗くんだけ下の名前呼びは、他にも理由があると思うんです。ほら、よくあるでしょ。同じ組織内にたとえば鈴木さんが複数いたりすると、区別するために下の名前を使うことが。べつに親しいわけでもないのに、鈴木さんだけ下の名前で呼ぶことになっちゃいますよね」
「つまり、土井が、二人いたということですか……?」
「はい。可能性としてはこうです。最初に友達だったのは、宮地くん、安達くん、土井くんの三人だった。三人組で遊ぶうちに、土井くんの弟も混ざりたいといって遊びについてくるようになった。そして土井弟だけを区別するために下の名前で呼ぶようになった……」
 なるほど。ここまで聞いてようやく私も理屈を理解できるようになった。
 整理するとこうだ。
 五月、あきる野のファミレスで会ったのは宮地、安達、土井(兄)だった。彼らは何かの理由で私を(だま)すつもりで土井(兄)を、弟の勇斗であるように見せかけた。初対面である私は疑うことなくそれを信じてしまう。
 そして昨日、私を呼び出したのは、土井(弟)である勇斗くん。
 当然私は別人であることに気づいてパニックになる。
 なぜそんな手間(ひま)のかかる小細工をしたのか。
 実は心当たりならある。
 皆川さんの話を聞くうちに、そのことに気づいてしまった。
「もしかしたら。ユーチューブのネタにしようとしたのかも……」と私。
「ユーチューブ、ですか」
「ええ。彼らはオカルト系のチャンネルを開設すると言っていました。そのチャンネルのためにドッキリでも仕掛けたんじゃないでしょうか……」
 土井兄と土井弟が同一人物を演じながら入れ替わって、それに阿刀川恵は気づくことができるでしょうか、とかそういう企画だ。おそらく。
 そんなバカバカしいことを本気でやるか?と問われたら、大人である私ならリスクを考慮して即座に却下(きゃっか)するだろう。だが相手は大学生だ。コロナ禍でいろんな楽しみを奪われて、ストレスも溜まっていることだろう。若いエネルギーを持て余していることだろう。そんな彼らのところへ、UFOの話が聞きたいなどといってオバサンがやって来たら、イタズラのひとつも仕組んでみるかもしれない。
「今、思い出したんです」と私は言った。「宮地くんが言うには、彼らのチャンネルはオカルテットという名にするそうです」
 オカルテット。
 おそらくオカルトとカルテットを組み合わせた造語だろう。
 そしてカルテットとは「四重奏」という意味である。
「……きっと宮地くんはヒントを出したつもりだったのでしょうね」
 皆川さんはため息まじりに言った。

      5

〈……本当にごめんなさい 非常識なことをしたと今では反省しています 阿刀川さんを不愉快な気持ちにさせてしまって 自分たちの内輪のノリに巻き込んでしまって どう償えばいいのかわからないけど 心から謝罪します〉
 後日。SNSのダイレクトメッセージで宮地くんを問い詰めたら、こんな謝罪文が返ってきた。やはりユーチューブの動画ネタにするつもりだったらしい。
 彼はいろんなことを白状した。
 人間がいかに(だま)されやすい生き物であるかの実験だったこと。あきる野で会ったのは、土井勇斗の兄である健斗(けんと)だったこと。そして弟の勇斗も、となりのボックス席にいて、私たちの会話を盗み聞いていたこと。
 バイト先の先輩という女子も嘘の存在だった。あの女子は宮地くんの彼女で、芝居に協力しただけである。UFOも見ていない。それらしい目撃談をでっち上げただけだった。そして立教大学正門で会った日、会話をこっそり録音していたらしい。
 段取りとしてはこうだ。
 呼び出されてのこのこやって来た私にニセモノを会わせる。別人であることに気づいてパニックになったところで近くの喫茶店につれていく。その店では宮地くんたちが待ち構えており、私が来たところでネタバラシをする……。
 脱力するとは、このことだろうか。宮地くんの告白文を読んだ私は、へなへなとその場にしゃがみこみそうになった。メッセージを受け取ったのが外出先だったのでグッとこらえたが、もし他人の目がなければ(ひざ)から崩れ落ちていただろう。
〈……でも信じてください UFOは僕らの仕業じゃないです そんなのは打ち合わせになかったんです〉
 あの日。立教大学上空に未確認飛行物体があらわれたのは、彼らにとっても想定外の事件だったらしい。そのせいで「喫茶店につれていってネタバラシをする」という段取りがうやむやになってしまったのだ。
 そういう意味で、あのUFOは私にとっては救世主だったといえそうだ。
 バカバカしくなった私は彼らの謝罪を受け入れたが、今後はもう関わることもないと宣言して、連絡を断つことにした。
 そして迎えた二〇二一年八月三日。七月に開幕した東京オリンピックは佳境を過ぎ、新型コロナウィルス感染拡大のせいで、世間ではふたたび自粛ムードが戻りつつあった。私は週に数回の外出以外、ほとんど家に()もりきりの生活をしていた。
 八月三日のその日は食材の買い出しの日で、暑さのやわらいだ午後五時頃にマンションを出て、店にぶらぶらと歩いていった。スーパーで買い物を済ませ、いつもなら運動不足解消のために遠回りコースで帰宅するのだが、この日はまっすぐマンションに帰ることにした。
 というのは、じつはスマートフォンを持ってくるのを忘れたのだ。
 誰かと約束があるわけではないし、何かの連絡があっても折り返せばいいだけなのだが、スマートフォンを持たずに外にいるというのは、なんとなく不安になるものだ。
 いつもより早い帰宅。
 あとでまた外に出てちょっとだけ散歩しようなどと考えながら、自分の住む階に向かった。私の部屋は共用廊下のいちばん奥にある。玄関のドアが見えてくるにしたがって、違和感がおそってきた。
 ドアに異常があるのだ。
 私は足を早めた。自分の部屋の前に立つ。ドアの(わく)は金属のフレームなのだが、それがいびつに(ゆが)んでいた。ちょうど鍵穴の真横あたりで、鍵のボルトがねじ曲がって露出していた。ドアの表面には痛々しいひっかき傷もあった。
 唖然としてしまった。
 強盗、空き巣、などの単語がつぎつぎに浮かんでは消える。
 警察に連絡しなければならない。
 ふと気づくと、床にエコバッグが落ちている。手の力が()けて、落としてしまったのだ。(ショックを受けた人間って本当に物を落とすんだ……)と頭の片隅で考え、職業病のせいで(この呆然とする感覚をせっかくだし覚えておこう……)などと思ったりした。
 そして気づいた。通報したくともスマートフォンを持っていないことに。
 まったくどうしてこういう時に、こういう間抜けな事態が発生するのか。
 家を出る時に、なぜ持ち物を確認しなかったのか。
 後悔してももう遅い。
 私にできる選択肢はふたつ、一度この場を離れて、誰かに助けてもらう。あるいは、どうにかしてスマートフォンを手に入れて、助けを呼ぶ。
 そっと耳をそばだてると、音はしなかった。破壊されたドアに顔を()せ、神経を聴覚に集中してみたが、やはり室内に人間の気配はなかった。
 泥棒は、盗むだけ盗んで立ち去ったあとなのだろうか。
 こうなってくると被害状況が気になってきた。お金はまだいい。通帳やカード、電化製品や衣類、そのあたりも盗まれても取り返しがつく。でもパソコンだけは、その中身のハードディスクだけは、失われたら取り返しがつかない。焦りがいよいよ抑えきれなくなってきた。泥棒よ金なら持っていけ、でもパソコンにだけは手をつけてくれるなよ、と念じつつ、私はドアを開けて室内に入っていった。
 意外なことに……室内は荒らされていなかった。
 ドキドキしながら()き足で進んでいき、仕事場にしている洋間のドアをそっと開く。もう気分はすっかりホラー映画の主人公だ。
 デスクの上に……ノートパソコンはあった! それに充電ケーブルを()したままのスマートフォンも。
 私は飛びつくようにスマートフォンを拾い上げた。すぐさま警察に通報する。自分でも笑えるほど指がふるえていて、何度も番号を間違えた。ただ110と押すだけなのに。やっと電話をかけるとオペレーターが応対に出た。状況を説明しなければならないのだが、自分の声が緊迫感にかけていて、イタズラ電話と思われないかと気が気じゃなかった。すぐに警察官を派遣(はけん)するとオペレーターは言った。もし不安ならこのまま通話を続けてもいいと言ってくれたが、それは大丈夫と断った。
 電話を切った後、静まりかえった仕事部屋で私はしばし魂のぬけたような状態になった。緊張のせいで過剰(かじょう)に力を込めていたために、一度気を緩めると今度は緩みすぎてしまったのだ。
 でももう安心だ。五分も()たずに最寄りの交番から警察官が駆けつけてくれるだろう。私はそれを待っていればいいのだ。
 それにしても──泥棒はなぜ何も盗んでいかなかったのか。
 私はぼんやりと室内を見回した。
 ふとデスクの上に、見慣れない紙袋が置いてあることに気がついた。
 それは某有名コーヒーチェーン店の紙袋であり、この店は注文の仕方が独特なので、あまり積極的に利用したことがなかった。だから、こんなものが家にあるはずがない。なぜこんなものがここにあるのか。
 私は「ヒィイ」だか「ヒャァア」だか忘れたが、奇声を発してよろめいた。
 何者かが侵入したという証拠をまざまざと見せつけられてしまったのだ。
 しかも紙袋の中身がちらりと見えていて、それはどうやら市販の食品のようだ。
 勇気を振り(しぼ)って、もう一度紙袋を覗いてみる。
 やはり食品だ。それもレトルトの、保存がきくタイプの。カレーのパウチ。おかゆのパウチ。経口補水液のペットボトル。ゼリータイプの栄養飲料などなど。
 私はもう一度「うぇえええ」と声を()らした。
 何なのだろうかこれは。ラインナップだけ見れば保存食の差し入れのようだが、友人知人から貰うならともかく、何者とも知れぬ侵入者が気遣いや優しさのようなものを匂わせてくるのは、とにかくもう気持ちわるいとしか言いようがない。
 私はキモチワルイキモチワルイ!と声を限りに叫んでしまった。
 もうとてもじゃないが、こんな部屋にはいられない。
 マンションの玄関で警察官を待つことにして、仕事部屋を出ると、リビングを通り抜けた。バスルームやトイレのドアが並んだ廊下を足早に通り過ぎようとした時、ふとどこかから「ゴトッ」という物音が聴こえた。
 それは誰かが壁に身体をぶつけた音のようだった……。
 あるいは何か硬いものが床に落ちた音のようでもあった……。
 音は、トイレから聴こえた……気がした。
 まるで誰かがこの中にいるみたいな音だった。
 私は、まさかと思いながら、ドアノブを(つか)み、ゆっくりと慎重に開いた。
 人生で、これほど大胆だったことはない。
 だけど、こんなところにいるはずがない、と思ったのだ。
 だってそうだろう。いるはずがないのだ。こんなところに。
 トイレのドアは外開きで、十センチほど開くと、隙間から体温よりわずかに高い温度の空気がふわりと流れでてきた。隙間(すきま)に片目をあてるようにして、中を見た。
 男性がひとり、便座に腰掛けていた。
 ロダンの考える人の彫像のようなポーズで、無機物に変化してしまったかのようにぴくりとも動かなかった。ドアの隙間から覗く私に気づいた風もなく、まるで最初からマンションの備品として存在していたかのように、ただただ座っていた。
 私は開いたドアの隙間を、開いた時とまったく同じ慎重さでゆっくりと閉じた。

      6

 トイレで「考える人」になっていた不審者は、土井健斗(けんと)であった。
 あきる野で会った、気(よわ)そうな兄の方である。
 彼は駆けつけた警察官によって現行犯逮捕され、勾留(こうりゅう)されることになった。彼のしたことは冗談では済まされない。前科のつく歴然とした犯罪行為だ。罪状は、金品を盗んだりしたわけではないので、住居侵入罪および器物破損(きぶつはそん)罪となる。
 一週間経った八月一〇日。私は都内にある喫茶店に出向くことになった。
 相手方の弁護士と面会し、示談の話し合いをするためである。
 店に入ると見知らぬ中年の男女も同席していて、弁護士によれば土井健斗の両親とのことだった。彼らは私の顔を見るなり深々と頭を下げて、息子がどうしてあんなことをしたのかわからない、と泣きながら言った。
 実際、そのとおりだろうと思う。わけのわからない事件だ。
 彼の行動は意味不明な部分が多い。リスクを犯して不法侵入して、物を盗むわけでもなく、ただトイレの便座に腰かけていたのだから。何がしたかったのだろうと検察でなくても首をひねるというものだ。勾留後の供述(きょうじゅつ)もあやふやらしく、動機は不明のままだった。
 ただ、供述によっていくつか判明したこともあった。
 たとえば、土井健斗がどうやって私の住んでいる家をつきとめたのだろうと不思議だったのだが、弁護士はその疑問にこたえてくれた。
「七月二十三日に大学正門前に呼び出した際に、あなたを尾行したらしいのです。それで家を知ったのです」。
 立教大学の正門前でUFOを撮影したあの時、すぐ近くに土井健斗もいた。身を隠して様子をうかがい、帰宅する私をこっそり()けた。マンションの場所を把握すると、本当にそこに住んでいるのか、何度か確認に訪れたようだ。
 部屋番号については、過去のSNSの投稿から特定したらしい。
「こうした手口によって個人情報を取得するケースは増えているんです」と弁護士は言った。「画像から読み取れる情報は、われわれが思っている以上ですから」
 私はライフログのつもりで身辺の写真や目についたものの写真をネットにアップしていたが、ストーカーからしてみれば(あたい)千金のお宝だったことだろう。ベランダから撮った写真もあったと思う。土井健斗はその写真からわが家が角部屋であることや、建物の見える範囲から階数を割り出したのだ。
 デスクの上に放置されていた紙袋の謎もとけた。
 あれはマンションのオートロックを突破するために使ったらしい。
 彼はあの日、レトルト食品の詰まった紙袋を(たずさ)えてマンション入口で張り込み、通りかかった住人を呼び止めてこう言ったのだ。
〈大学の友人がコロナに感染したらしいのだが、中に入れなくて困っている。何度電話をかけても寝ているのか出てくれない。せめて物資をドアの前に置いていきたいので、オートロックを通らせてもらえないだろうか?〉
 呼び止められた住人はあっさりと通してくれたそうだ。 
 いくらハードウェアのセキュリティを確保しても、ソーシャルハッキングによって崩されてしまう典型例だと思う。
 だが、私はその住人のことを責められない。
 土井健斗の見た目は、真面目な大学生そのものなのだ。炎天下、友人のための補給物資を持ってマンションに入れずに困っている男の子を見たら、私だってかわいそうになって通してしまうかもしれない。新型コロナウィルスという共通の敵も、同情にひと役買ったことだろう。
 まんまとオートロックを突破した土井健斗は、バールを使ってドアフレームを破壊し、室内に侵入した。その後の彼の行動は……よくわかっていない。本人もほとんどおぼえていないらしい。なぜトイレにいたのかもわからない。
 こうして犯行の手口を書き連ねてみると、かなり計画的な気がする。
 知り合いの漫画家からは、示談交渉に応じないほうがいい、と忠告されていた。へたに甘やかすと、悪質なストーカーになりかねないと言うのだ。もしストーカー化した場合、過去に刑事裁判を受けていれば警察の対応も変わってくるらしい。
 だが私は、土井健斗はストーカー化しないだろうと予想していた。
 彼がなぜあんなことをしてしまったのかと誰もが不思議がっていたが、きっと本当に動機などないのだろう。
 なぜかやってしまった。そういうことなのだ。
 不起訴処分を()う嘆願書にサインをした後、弁護士は一通の手紙を取り出して、私に見せた。「じつは健斗くんから阿刀川さんに渡してほしいと頼まれて、手紙を預かっているのですが。どうしましょうか。受け取りますか?」
 是非もなかった。
 私は受け取ることにした。
 帰宅後、さっそく封を開けて中身を読んでみた。
 手紙には、長々と謝罪と後悔の言葉が書き連ねてあったが、全体の印象は不安と混乱だった。やはり彼自身なぜこんなことをしてしまったのか、わからないようだ。
 その中で、特に私の目にとまった一文があった。

〈先生。秋川駅前でミステリーサークルの写真を見てもらったときに、僕はちょっとだけ嘘をつきました。といっても大したことのない嘘なのですが。うちのおじいちゃんの水田をめちゃくちゃにした犯人、おじいちゃんの知人と言いましたよね。本当はおじいちゃんの弟なんです。今は絶縁状態ですが、おじいちゃんの弟がやったことも、動機不明のままです。もしかしたら何かが遺伝しているのかもしれません。僕が今回してしまったことも、なぜそうしたのか僕自身に説明がつかないんです〉




 補遺資料③

■メン・イン・ブラック
 メン・イン・ブラック(Men in Black、MIB、黒衣の男、ブラックメン)は、UFOや宇宙人などの目撃者・研究者の前に現れ、警告や脅迫を与えたりさまざまな圧力や妨害を行う謎の組織とされ、実在するしないに関わらず、その存在自体が一種の都市伝説や陰謀論となっている。
 メン・イン・ブラックが現れるという報告や噂の多くは、1950年代および1960年代に登場しており、その中でも最初のものはUFO・超常現象研究家のグレイ・バーカー(Gray Barker)が1956年に出版した『彼らは空飛ぶ円盤を知りすぎた』(They Knew Too Much About Flying Saucers)だとされる。バーカーは故郷で起きたフラットウッズ・モンスターの事件をきっかけにオカルト業界に入り、UFOや超常現象に関する記事を寄稿していた。
 UFO雑誌を出版し、1952年には全国規模のUFO調査団体「IFSB」(Internati
onal Flying Saucers Bureau、国際空飛ぶ円盤事務所)を立ち上げ率いていたアルバート・K・ベンダー(Albert K. Bender)が1953年に突然「私は空飛ぶ円盤の背後にある秘密を知ったが、そのために黒い背広と帽子の3人の男たちから『これ以上円盤のことを書くな』と脅された」と主張し、IFSBを解散した。バーカーの本は、このベンダーの遭遇した事件を描いたものである。ベンダーの証言は、当初は言外にアメリカ政府の介入があったことをほのめかしたものであったが、後に語った証言ではUFO目撃談のうちの超常現象的な部分が混ぜ合わされたような話へと変化している。
「黒服の男たちに脅された」という主張を始めるよりも以前に、ベンダーは1947年にワシントン州で起きた「モーリー島事件」(Maury Island incident)の取材を行い報告を雑誌に載せているが、この事件にもすでに「黒服の男」が登場している(当時、ベンダーはこの件について懐疑的だった)。モーリー島事件は、漁師のハロルド・ダールが息子とともにピュージェット湾に船を出していた際に複数の空飛ぶ円盤を目撃し、うち1機がトラブルを起こして部品を落とし、その破片がダールの船に当たって船の損傷と船に乗っていた飼い犬の死をもたらしたという事件だった。
 翌朝、黒い背広を着て黒い1947年型ビュイックに乗った男がダールの家を訪問してダールを近所のダイナーに食事に誘い、その席で事件について沈黙を守るよう警告したという。ここでは、後のメン・イン・ブラックの噂に出てくる典型である「浅黒い肌の、もしくはどこか外国人風の顔色の3人の男が、黒いサングラスに黒い背広を着て、黒いセダンに乗ってやってくる」がまだ完成していないが、その原型はすでに現れている。
                     〝メン・イン・ブラック〟Wikipedia

■脳血管性ストロース型認知症
 脳血管性ストロース型認知症(のうけっかんせいストロースがたにんちしょう、英:Strauss' vascular dementia)は1998年の第1回国際認知症例報告会にてクロード・ストロースにより初めて報告された新しい変性性認知症である。三大認知症のひとつである脳血管性認知症を基本としている。通常の脳は病原菌などの侵入を防ぐ目的で血液脳関門という器官によって物質の行き来を制限しているが、なんらかの原因で異物が脳組織内に運ばれてしまった結果、脳機能に異常が生じて認知症になるものである。幻視症状、レム睡眠行動障害とパーキンソン症候群を特徴とする変性性認知症である。
 繰り返し現れる幻視は臨床症状の中で最も特徴的である。典型的には反復性で、具体的で詳細な内容のものであり、閃輝暗点のような幾何学模様が視界内や空中に現れると表現されることが多い。
 幻視がパレイドリア(木が人間に見えたり、壁の染みが顔に見えたりと、対象物が別のものに見える現象である。対象物が木や染みであり、それぞれ人間や顔ではないと理解しているが一度そう思うと、どうしても人間や顔に思えてしまう)と連続性があるという仮説もある。
                  〝脳血管性ストロース型認知症〟Wikipedia





第4章 断片 fragments






【文章作成アプリにのこされたテキスト①】

「はあっ……はぁっ……はぁっ…………!」
 二〇二二年五月。私は息を切らして野山をトレッキングしていた。運動不足のために、わずか一時間歩いただけで脇腹に痛みが走り、情けなく(あご)をだして喘ぐ羽目になっていた。この日のためにトレッキングシューズを新調したのだが、それが(あだ)となって、かかとには靴()れができている。
 フィールドワークの言い出しっぺは私だが、その時はやくも後悔しつつあった。
「阿刀川さん、ゆっくり行きましょう! べつに何かの競技じゃないんですからのんびりしても文句言われないですから!」
 すぐ後ろを歩く編集者Tが言う。
 その後ろを歩いている皆川さんの「同意……です……」という声も聞こえた。
 今回の私たちは四人のパーティーだ。
 案内をつとめる地元農家の人の姿はもう見えない。
 さすがこのあたりを日常的に歩きまわっているだけあって、農家の人はスイスイと(こと)()げに斜面をのぼっていき、その健脚はデスクワークに慣れたわれわれではとてもついていくことができなかった。
 これでは案内人の意味がないじゃないかと思っていたら、農家の人は戻ってきて、
「あとちょっとだよ。もうすこしだからがんばって」
 と激を飛ばしてくれた。
 私たちはひので野鳥の森公園を出発し、二つ塚峠方面へ向かっている。グーグルの地図にも載っていない〈関谷(せきや)間口(まぐち)〉と地元の人々が呼ぶ場所があり、そこが今回の目的地なのである。
 明日筋肉痛になること確実の足をなだめすかしながら山道をのぼっていくと、次第に視界が開けてきた。樹木がまばらになり、傾斜がゆるくなり、青空が見えた。
 やがて私たちは不思議な場所に到着した。
 山の中に、突如として(まる)く平べったい野原があらわれたのだ。妖精がこっそりつくった庭と言われたら信じてしまいそうだ。ここが〈関谷の間口〉なのだ。
「おー。ここは気持ちがいいな」と編集者Tが言う。
 皆川さんも汗をタオルで拭きながら、
「すごいですね、キノコの群生地だ。でもどうして〈関谷の間口〉なんでしょう」
 と疑問を口にした。
 地元農家の人に訊ねてみたが、地名の由来は知らないという。
「昔からそう呼ばれてたね。さあ……なんでかは知らんね。とにかくここらあたりの地面はすべてキノコが根っこ伸ばしてるんだ。たったひとつの株があちこちに成長して、見渡す限りを(おお)ってんのよ」
 農家の人はあたりをぐるりと見回す。
 私も周囲の湿った地面を眺め回した。
 名前もよくわからない雑草や枯れ草の中に、ちいさくて白いものがちらほらと顔をのぞかせている。小動物の骨のようにも見えるそれらはキシメジ科に(ぞく)する菌類の子実体(しじつたい)である。平地は五十平方メートルくらいあるだろうか。そのすべての面積を菌類が覆い尽くしているとは、にわかに信じがたい。
「表面積だけでいうなら世界最大のシロナガスクジラより巨大ですね」
 と皆川さんが言うと。
 フンと農家の人は鼻で笑った。
「クジラ? もっともっとだよ。はじっこからはじっこまで測ったら六〇〇メートルくらいあるよ。たぶん(キノコの)年齢は数百歳とかじゃないかな」
「数百歳ですか、たまげたな」
「植物は長生きするからね、うちの近所の寺にある杉の木なんて300年とか生きてるよ。ほら見なよここ」
 農家の人はスタスタと歩いていく。
「ここ、ほら」と地面を見て「菌輪(きんりん)だ。直径一〇メートルくらいあるね。ここだけじゃないよ、こっちにもあっちにもあるんだよ」
 ひょいひょいと地面を移動しながら、農家の人は私たちに菌輪の場所を教えてくれる。目をこらすと、ちっちゃいシメジのようなものが緑のなかから芽ぶいている。途切れがちではあるが、それらは円を描いている。よく見れば、地面にいくつもいくつも円がある。
 うっかりすると踏んでしまいそうなので私は慎重に近づいた。
 菌輪は英語圏ではフェアリーリングとかピクシーリングと呼ばれる。昔の人は、これは妖精たちが輪になってダンスをして草を踏み荒らした痕跡(こんせき)だと考えた。
「これが見たかったんだろ? あんたら」
「ええ。そうです、これです」と私はうなずいた。
「変わってんね、こんなものを見にわざわざ来るなんてさ。このあたりじゃ珍しくないよ。うちの庭にもたまに輪っかができるくらいだから」
「このあたりはキノコが多いんですか?」
「そうだね。日本の野山ならどこいっても地面の下にキノコが菌糸伸ばしているんじゃないかなぁ。あいつら条件さえ揃えばどんなところにも生えてくるから」
「そういえばゴルフ場の芝生にも生えますよね」と編集者Tが言う。「一度見たことがあるなぁ。千葉のゴルフ場に行ったら、芝生に濃いグリーンの輪ができていて、遠目にもはっきりとわかるから不気味でしたよ。キャディさんは、芝生の根っこにキノコがからみついているせいだと言ってましたけど」
 地面の下のキノコが、色でわかるパターンもあるようだ。
 菌類は菌糸をからみつかせて植物の根を枯らせたり、逆に植物ホルモンを生成して周辺の環境を異常成長させたりする。
 キノコというと、スーパーで見かけるブナシメジやしいたけを連想するが、あれはキノコの本体ではない。大部分は地面に埋まっていて、そっちが本体なのだ。
 私たちがキノコと呼んでいるものは子実体という胞子(ほうし)をばらまくためのもので、いわば花や果実のようなものである。時期が来れば地面の外に子実体を伸ばし、風に胞子を運んでもらうことによって繁殖するのだ。
「このあたりには目に見えない胞子がうようよと漂っているんでしょうね」
 私はあたりを眺めまわす。
 フィトンチッドに満ちた心地よい森の空気が、急にほこりっぽく感じられてきた。肉眼で見えるはずもないが、胞子が今もそのへんを飛んでいるのではないか。
「あと一週間くらいが飛散のピークでしょうね」
 と皆川さんはそう言ってマスクをずらすと、深々と息を吸い込んだ。
 私は思わず「あっ」と叫びそうになった。
「……皆川さん。今大量に胞子吸い込みましたよ、きっと」なんてことをするのだろうと(とが)めるような気持ちで言うと、当の本人は平気な顔をして「大丈夫ですよ。キノコアレルギーないですし」と言う。「気にしてられないですよ」
 信じられないと私は思った。
 以前に話した土井健斗のケースを忘れてしまったのだろうか。
 もっとも都会で暮らしていれば排気ガスやハウスダストなど吸い込みまくっているだろうし、昨今は厄介なウィルスもうようよしているだろうから、あまり気にしすぎない方がいいというのはその通りなのだが。
「胞子だけじゃないですよ、花粉だってこのあたりにうようよしてますよ」
 皆川さんは空に目を向ける。
 五月の今、スギ花粉のピークは終焉したが、それでもまだ微量の花粉が飛んでいるだろう。森にいれば、杉だけでなくヒノキやらケヤキやらコナラやらの他の花粉もそこらじゅうに漂っているはずだ。
 そもそも目に見えないスギ花粉をなぜ人間が知覚できるのかといえば、スギ花粉がたまたま多くの日本人にアレルギー反応を引き起こすからだ。
 幸い私のアレルギーはスギ花粉だけだが、編集者Tはブタクサアレルギーも持っているために夏頃まで鼻をぐしゅぐしゅさせている。逆にアレルギーがない体質の人であれば、春先になってもマスクなしで平気で過ごせるし、花粉が空を飛んでいても気づかないだろう。
「そういえば昔から不思議だったんですけど、都心には杉なんてあまり生えてないのに花粉症きついですよね。花粉ってどこから飛んでくるんでしょう」と私。
「さあ。そういえば不思議ですねぇ」と編集者T。
「偏西風で飛んでくるから東京の西からじゃないですか。奥多摩(たま)とか神奈川とか。あとはあきる野のあたりにも杉が生えてるのかな」と皆川さん。
 なるほど。花粉は西から飛んでくるのか、と得心する。
 私はもう一度周囲を見回した。
 新宿から電車で二時間もかかる場所のスギ花粉が二十三区にも飛んでくるのだということは、キノコの胞子も風にのって運ばれてきているに違いない。
 離れてタバコをすっていた農家の人が戻ってきたので、私は質問してみた。
「あのう。すみません。日本の山ではキノコなんてめずらしくないんですよね。ということは、このあたりの人は日常的に胞子を吸ってるはずですよね?」
「ん、まぁそうなんじゃないの? あまり気にしたことねえけど」
「変なことを訊ねますけど、キノコの胞子がですね、肺にはいって病気になった人とか知りませんか。そういう話を聞いた、とかでもいいんですけど……」
「んー。聞いたことないねえ」農家の人は頬をポリポリとかいた。「キノコの胞子吸うと病気になるのかい? 聞いたことねえなぁ。もしその程度で病気になるなら日本じゅうが病人だらけになると思うよ?」
「ですよね、はい」
「キノコくらい平気だよ。まあカビとかなら体に悪そうな気がするけどさ、キノコの胞子くらいなら、みんな日頃から吸ってるよ。気づかないだけでさ」
「そうだと思います。変なこと聞いちゃいましたね、すみません」
 やはり土井健斗のケースは非常に珍しいのだろう、と思う。
 ふつうはキノコの胞子を吸ってもなんともないし、健康被害もおよぼさないのだ。
 アメリカの症例報告にも十万人にひとりいるかいないかのレアケースだと記載されていたし、胞子が体内で発芽(はつが)するなど通常ありえないことなのだ。
 ふと思いついて、私はマスクをずらすと目を閉じた。
 鼻から深々と空気を吸い込む。
 空気中を漂うキノコの胞子も肺に送り込まれたことだろう。
 しばらくして目を開き、空を見てみた。
 そこにあったのは、よく晴れた空だけであり、いくら眺めてみてもUFOの姿は見えてこなかった。

  ✕   ✕   ✕

【皆川雄一氏との通話のテープ起こし①】

「どうもお久しぶりです大変でしたねぇ、連絡頂いた時びっくりしました」
──お久しぶりです。いやまぁ今は落ち着きましたけどね、あれからマンションも引っ越しましたし。費用もあちらがすべて負担してくれたので、心機一転気持ちを切り替えることにしました。
「そうですか。でも阿刀川さんが無事だったのは何よりです。バールで玄関をこじ開けるって強盗の手口そのものですよねぇ、へたしたら襲われていた可能性もあったわけで。……犯人の動機はいまだに?」
──そうですね。いまだに。
「うーん、何がしたかったんでしょうか」
──相手の弁護士さんとこの前ちょっとお話したんですが、犯人の子、体調を崩して入院しているみたいなんです。咳がひどいらしくて。
「例の感染症ですか?」
──いえ、PCR検査は陰性だったみたいで。原因不明なんです。
「ふむ、なんでしょう」
──どのみち大学は休学する予定だったみたいですが。心配になりますよね。
「僕は阿刀川さんのメンタルを心配していますよ。やはり声に元気ないですし、失礼ですけどこの前通話した時よりお()せになった気がします」
──そうですか? でも結構平気なんですよ。この前一週間ほど実家に帰省して骨休めしてきましたし。でもあれかなぁ、メンタルにはダメージあったかもしれません。母親が心配しちゃって、こっちに帰ってきたら?としつこくて。
「なるほど。拠点を実家に移せ、と?」
──ええ。世の中リモートが主流になりつつありますし、東京に住まなくてもこっちで仕事できるんなら帰ってこい、と……。
「ふーん、意外とアリなんじゃないですか。そういうのも」
──いやぁきっついですね、女三人で暮らすなんて。私も妹も婚期のがしちゃって独り身なもんで。もう結婚に関してはあきらめたみたいで何も言わなくなりましたけど、母と娘二人で一緒に暮らすなんてしんどいです」
「そういうもんですか」
──ええ。ただ妹には悪いことしてしまったなと。私がこういう性格だから長女の役割を全部妹に押し付けてしまったんです。懺悔(ざんげ)の気持ちしかありません。
「僕は一人っ子なんでそういった関係性の機微はわかりませんねぇ。ただ結婚に関しては同じ状況です。僕も好き勝手やって生きてきましたから、気がついたらまわりが家庭持ちになっていて。いつ相手を見つけたんだと文句を言いたい(笑)」
──マッチングアプリとかやってみては? 皆川さんのプロフィールなら……。
「いやいやどうせ話が合わないです。僕が興味あることに興味がある女性はめったにお目にかかれないですし、相手に合わせるのは苦痛です。それならこうして阿刀川さんとUFOの話をしていたほうが気が楽です」
──それはどうも(笑)。そういえば一週間ほど実家に帰ったのはじつは理由がありまして、妹の友人と会うためなんです。その子もUFOを見たらしくて。
「ほう。そうだったんですか」
──皆川さんに意見をうかがってみたいんです。ところで話はちょっとズレるんですが、生成AIが画像を生成する仕組みってご存知ですか?
「生成AI?」
──はい。面白い画像を入手したんです。あとで共有しますね。

  ✕   ✕   ✕

【取材ノートに手書きされた長めの草稿(余白に二〇二一年八月の日付)】

 日本は各地に名産品があり、たとえば宇都宮(うつのみや)といったら餃子、草津(くさつ)といったら温泉といった具合だが、中にはUFOを観光資源に利用している自治体がある。
 それが福島県のI町だ。この町では古くから未確認飛行物体の目撃が多発しており、地域創生のためにUFOをモチーフにして町おこしを展開しているのだという。平成4年には研究資料などを展示する「UFOふれあい館」をオープン。公共施設を空飛ぶ円盤のデザインにするなど、UFOの里をアピールしている。
 そんな町にA子ちゃんは住んでいる。
 彼女は妹の友人で、わが家にも遊びに来たことがあったので私も面識があった。A子ちゃんは大学を卒業したあと美術教師としてI町の中学校に赴任(ふにん)し、趣味のサークルで知り合った男性と結婚して、現在は夫の実家で生活している。
 そして最近、A子ちゃんはUFOを頻繁(ひんぱん)に目撃するらしい。
 八月のちょうどお盆の時期、私と妹はくわしい話を聞かせてもらうために、I町に向かうことになった。
 道すがら、妹は車を運転しながらA子ちゃんの近況を話してくれた。
「あの子の趣味ってのが山歩きでさ。もともとアウトドアの趣味なかったみたいなんだけど一時期(やま)ガールとか流行ったじゃん。そのときにハマったらしくてね。でも基本的にはソロで行くのが好きみたいで、そのせいで今年の春に山で遭難しかけたらしくて……」
「ええっ。大丈夫だったの?」と私はおどろいて言う。
「大丈夫だったよ。ハイキングもできる山だったから、本来なら道に迷うのもむずかしいくらいなんだよ。でね、ここからが本題だけど。山から帰ってきたあたりから、頻繁にUFOを見るようになっちゃったんだって」
「頻繁にってどのくらいのペース?」
「多いときには週一。不思議だよね。それまで全然見たことなかったらしいのに」
 それは胡乱(うろん)な話だ。
 私の実家からI町まで車で行けば二〇分くらいなので、しゃべっている間にあっという間に到着した。今回はA子ちゃんの家を訪ねるのではなく、UFOふれあい館という施設で待ち合わせをしているようだ。
「隣町にそんなものがあるなんてはじめて知ったよ」と妹は言う。
 車は町を通り抜けて、山道を登っていく。このあたりは「千貫森(せんがんもり)」と呼ばれるUFO目撃多発エリアらしい。途中、案内板から顔をのぞかせる宇宙人を発見したりしながら、緑したたる道を進んでいくと、六角(ろっかく)屋根の「UFOふれあい館」が見えてきた。併設するように物産館があり、こちらは道の駅といった趣きである。
 私たちは車を駐め、本館より先に物産館に入った。
 物産館は、みやげ物屋のほかに食事ができる場所もあるようだ。クーラーもほどよく利いていて居心地が大変よろしい。
 私は「ここで冷たいものでも飲んで待っていようか」と提案した。
 妹は入口にあるメニューの看板をじっと見つめていたのだが、いきなり「UFOラーメンっていうのを食べてみたい」と言い出した。 
「えっ。昼にそうめん食べたじゃん?」と私は言った。ふたりともここへ来る前にしっかりと食事を済ませてきているのだ。
「じゃあ一杯だけ注文してシェアしよ」
 と妹はやけに乗り気で「ほらこれ見て」と看板を指さす。カレーライスやらうどんやらの見本写真が載っている中にUFOラーメンもある……のだが、注文してのおたのしみということか、その写真だけ黒くぬりつぶされているではないか。
「ほらっ見てよ、どんなラーメンなのか気にならない? これで好奇心がわかないなんてクリエイターじゃないよっ」
 そんな無茶な、である。
 困ってしまった。
 大体クリエイターを何だと思っているのか。
「また来りゃいいじゃん。その時に注文しようよ」と言うと、
「えぇーそもそもお姉ちゃんこっちに帰ってこないじゃん」と妹は膨れ顔になる。私もムキになってきて「いや来るから。じゃあ今年の年末は帰省する」となんだかんだと約束をさせられてしまった。
 私が病気して以降だと思うのだが、最近の妹は時々子どものようになることがあり、要するにワガママを言って甘えたいらしいのだ。
 なんとか説得して「うん……わかった……」と言わせたが、それでも妹は諦めきれないらしく、「うぅーUFOラーメンってどんなラーメンなんだぁ、気になるぅ〜」としばらく歯()みしていた。

 そうこうするうちに、A子ちゃんがやってきた。
 彼女はすっかり大人の女性になっていて、私たち姉妹がUFOラーメンを食べるかどうかで言い争っていたことなど(つゆ)知らず、優雅に近づいてくると「お久しぶりです」とおじぎした。
 その背後から三〇代くらいの男性がこちらに歩いてくる。
 男性はA子ちゃんの登山サークルの仲間で、本業は福島市の地域共創(きょうそう)課の職員とのことである。今回、私がUFOの件で取材にくると聞きつけて、どうせならI町のことも知ってほしいと急きょ同席することになったのだ。
 職員さんの案内でさっそく私たちは本館に向かい、そこで常設の展示物を見学させてもらった。内容はどちらかといえばファミリー向けで、磁力で浮くプレアデス星人の円盤の模型だとか、これまでにI町で撮影されたUFO写真、3Dシアターなどがあり、バラエティ豊富でなかなか見ごたえがあった。
 それが済むと二階へあがり、ロビーの喫茶室で話を聞かせてもらう時間となる。
「とりあえず、この町でUFOの目撃がどれくらい多いのか気になっています」
 と私が言うと、
「そうですね、まあ日本でいちばん目撃されているんじゃないでしょうか。石川県羽咋(はくい)市もUFOが出現する場所で有名ですが、はっきり言って負けていないと自負しています」
 と職員さんは胸をはった。
 ことUFOの町という呼び名にかけては、余所(よそ)に譲る気がないようだ。自身も目撃経験があり、思い入れが強いのだとか。
「小学生の頃なんですが、学校帰りになにげなく空を見たら、オレンジ色の円盤が編隊を組んで飛んでいたんです。しかも二〇とか三〇とかの数でした。そんなもの初めて見たんでびっくりして見守っていたら、すぐに雲のなかに消えてしまいました」
「二〇とか三〇って大編隊じゃないですか」と私がおどろいてみせると、
「そうなんです。飛行機やヘリじゃなかったですね。音しなかったんで」
「そのとき一緒に目撃した人とかいました?」
「いえ。残念ながら私ひとりでした」職員さんは首をふった。
「わたしこっちに来ていちばん驚いたのは」と今度はA子ちゃんが言う。「この町の人ってUFOを見るのが日常茶飯事(さはんじ)なんです。赴任(ふにん)した中学校でもクラスにだいたい五人か六人くらいは見たことのある子がいたりして」
「それはかなり多いね。ちなみに町の人口はどのくらい?」
「およそ五〇〇〇人です。人口の二割はUFOを見たことあると思います」
 職員さんが言うには、目撃情報のほとんどは千貫森(せんがんもり)周辺で起きているとのことだ。
 それはまさに私たちが今いる場所である。
 千貫森は標高四六二・五メートルのピラミッド型をした山だ。伝説では、かつてこの地には大貫坊という雲にとどくほどの巨人が住んでいて、その大貫坊が土を盛って造ったのが千貫森なのだとか。
 山の中には巨石や奇岩があり、千貫森付近で採取できる「ぴんから石」と呼ばれる鉱物は叩くと金属のような音がして、磁場をくるわせる性質があるらしい。
 また頂上付近の地面を蹴ると反響のある音が返ってくることがあり、もしかしたら地面の下に空洞があるのではないかと考えられている。
「私はこの千貫森に秘密があるのではないかと思うんです」と職員さんは言った。「お時間あればコンタクトデッキという展望台があるのですが、あとでちょっと登ってみませんか。もしかしたらUFOを見ることができるかもしれません」
「こんな昼間から出現するものなんですか?」
 と私が問うと、職員さんはうなずいた。
「ええ。昨年から試みにSNSで目撃情報を集めはじめたんですが、一年間でおよそ七〇件ほど集まりました。五日に一件のペースで何かしら目撃されているわけですから、いつ出現しても不思議はありません。今日これから見られるかもです」
 にこやかな顔をしながら職員さんはヒヤッとすることを口にする。
 おかげで場は盛り上がって、妹などは「うわっ。私こういう時本当に見ちゃう自信がある!」と声のトーンを高くしてはしゃいだ。
「そういえば」と私は言う。「A子ちゃんは山で遭難しかけたあとにUFOを見るようになったんだよね。もしかしてその山って千貫森だったりする?」
「あ、はい」とA子ちゃんはうなずいて「正確にはその近くの一貫(いっかん)森なんですけど、場所は同じようなものです」
「A子さんはワーム派だよね。僕はコウキュウ派だけど」と職員さんが言った。
 突如(とつじょ)聞き慣れない言葉が飛び出てきた。
 ワーム……コウキュウ……?と面食らっていると、職員さんはあわてて、
「あ、すみません。コウキュウというのはですね、光の球と書きます」
 と空中に文字を書くように指を動かした。
 光球(こうきゅう)ということらしい。
「そしてワームというのはミミズみたいな虫のことです。この町で目撃されるUFOを形状で分類してみると、おおまかに二種類に分かれるんですよ。光の球か、うねうねとしたワーム状の物体か。不思議なことに、光球を見るひとは光球だけを、ワームを見るひとはワームだけを目撃するんです」
「それは……たしかに不思議ですね。つまり派閥があるわけですか」
「そうですそうです。僕は光球派、A子さんはワーム派なんです」
 私は皆川さんから聞いた話をふと思い出した。
 二十世紀末の円盤ブームは今では下火になり、令和の現在では目撃されるUFOは原点回帰のように火の玉タイプが増えているのだとか。誰もがスマートフォンを持ち歩く時代では宇宙人も出現しにくいのだろう。
 そういう意味で光球はポピュラーな形状といえる。
 だが、ワームとは……。過去の例でもめずらしい気がする。
「えーと、A子ちゃんはそのワームタイプってのしか見たことがないんだ? それってどういう感じなの?」
 私が問うと、A子ちゃんは「うーん」と考えこみ「黒い毛糸って感じですかね。言葉で説明するのはむずかしいんですけど……」
「写真とか撮ってない?」
「いいえ、それが……」と気まずそうな顔になり「何度か撮影できないか試してみたんですよ、スマホで。でも何も写ってなくて。こう言うと嘘くさく聞こえちゃうんですけど、アレは写真に写せないのかもしれないなって」
介良(けら)事件でも捕獲した円盤の撮影ができなかったらしいです」と職員さん。「もしかしたらUFOは妨害電波のようなものを発していて、写真を撮影しようとする人間の脳に働きかけて邪魔をするのかもしれません」
「うーん。まあ、そうかもですねぇ……」
 そんなわけあるか、と思ったがここは言葉を飲み込む。
 A子ちゃんがスマートフォンで撮影を試みたが何も写っていなかったというのは結構重要な証言である気がする。それはある可能性を示唆(しさ)するからだ。
 話を続けてもらう。
「今年の四月に一貫森で道に迷っちゃって、まあ無事に帰れたんですけど、じつは帰途で最初のUFOを見たんです。その時は疲労のせいで眼の中にあるゴミが見えているのかなと思ったんですけど。それから二、三日して、ふと空を見たらまた黒い毛糸みたいなものが浮かんでいて。なんか怖くなっちゃって、とりあえず眼科を受診してみたんです」
「ふむ。で、眼科ではどうだった?」
「異常なしでした。家に帰ってから(しゅうとめ)さんに話したら、ああもしかしたらUFOかもねと言われて、まさか自分が見るなんてとビックリしちゃって」
 I町の目撃報告でもワーム派は少数勢力のようだ。
 姑さんがたまたまワームを見る体質だったらしい。
 その日を境に、A子ちゃんは積極的に空を見るようになった。二日続けて目撃するときもあれば、一週間音沙汰(おとさた)なしというときもあった。それでも見えなくなるということはなく、四月から今までコンスタントに目撃が続いている。
 空に浮かぶ黒い毛糸というと気持ち悪く感じるが、A子ちゃんにとっては見られたらラッキーなものらしく、それほど不快感はなかったという。
「写真に写せないから、スケッチしたんですよ」と彼女はスケッチブックを見せてくれた。鉛筆で丁寧に形状を写し取られたそれは、たしかにミミズやヘビのようだった。
「なにか規則性があるような……」
 と私は思わずつぶやく。
 A子ちゃんがスケッチしたワームは、現在までに二十一種。目撃した日付順に並べられていて、すべて形状が微妙に異なるのだが、適当に作られた形ではなく何かのパターンがあるように見えるのだ。
「それ、わたしも思ったんです。単一だと気づかなかったんですけど、こうしてたくさん並べてみると何かに似ているなって思えてきたんです。ただのランダムな黒い線じゃなく、別のものの形じゃないのかなって」
 A子ちゃんは言いながら、スマートフォンを取り出した。
 私たちに一枚の画像を見せて「話がいきなり変わってしまうんですけど、ちょっとこれを見てくれますか。これ、うちの二歳の娘が書いてくれたんです。母の日に、おかあさんの絵とメッセージを」。
 そこには(おさな)い子どもがクレヨンで描いた絵と、つたない文字がつづられていた。おかあさんありがとう、と書いたのだろうか。子どもには「あ」の文字がむずかしかったらしく「ね」のように見えるし、「か」はひっくりかえってしまっている。判別できるのは「り」「と」「う」くらいだろうか。
 だが母の日という情報を与えられているので、「おかあさんありがとう」と書いたのだろうということは想像することはできる。
「わたし、これ他人に言うの初めてなんですけど、ワームって子どもがひらがなとか漢字を見よう見まねで書いた文字に見えるんですよね。人間が使っている文字を、だれかが真似してるみたいって」

  ✕   ✕   ✕

【皆川雄一氏との通話のテープ起こし②】

──以前皆川さんは、もしかしたら宇宙人は言葉を話さないかもしれない、とおっしゃっていました。
「ええ。そうですね」
──それ、もう一度(くわ)しく聞かせてもらえますか。
「いいですよ。たとえば地球上に限定してみても高度な言語をあやつるのは、われわれホモ・サピエンスだけです。イルカやクジラは音で意思疎通しますし、オウムは人間そっくりに声まねをしますけど、人間ほどの能力はないわけです」
──それは知能の高さとは別なんですね?
「ですね。チンパンジーやゴリラ、あるいは犬などは人間の三歳児くらいの知能はあります。それだけ頭が良ければ、言葉くらい話してもよさそうじゃないですか。なのに人間のように喋れないのは、口腔(こうこう)内の構造が異なるからです。声によるコミュニケーションを成立させるには、複雑な音声が必要不可欠です。イルカやクジラや犬もたしかに言語らしきものを持ってはいるけど、ぜんぜん足りていません」
──私たちだけの能力だ、と。
「人間が複雑な声を出せるのも、ただの偶然ですけどね。たまたま中咽頭(いんとう)が広かったんです。もし狭ければ、われわれも言葉を話していません」
──宇宙人もそうかもしれない?
「可能性はあると思います。そもそもこの地球で、人類になるべき種族は恐竜だったはずなんです。不幸にも6500万年前に小惑星が衝突したために滅んでしまったけど、もし衝突がなければ、恐竜の子孫が天下をとっていたはずです。トロオドンという二メートルくらいの恐竜がいるんですけど、この種が知的生物に進化していたかもしれません。ただ、(のど)の構造的に彼らも言葉を喋れなかったでしょうけど」
──その場合、どうやってコミュニケーションをとるんですか?
「考えられるのはジェスチャーです。手話やボディランゲージですね。あるいは歯や舌をつかったクリック音でモールス信号のように意思疎通をするかもです。もしそうなれば、言語は〈音色〉でなく〈リズム〉になるでしょう。あるいはタコの仲間は体表の色を自在に変化させますが、色彩言語もあるかもですね」
──声によるコミュニケーションがなければ、文化はかなり異なるでしょうね。歌なんて発展しないでしょうし、携帯電話もないかもしれません。テレビとか映画はあるのかな。映像はすべて字幕つきなんでしょうか。
「文字も思想が異なるでしょう。われわれの文字は発声前提です。もし声を持たない宇宙人がいたら、ひとつの文字がひとつの音を表現していると理解できないかもしれません。彼らの本は象形文字で書かれているはずです」
──われわれで言えば、絵文字やスタンプで会話するようなものでしょうか。音読という概念もないので、彼らの脳が文字をどう処理するのか想像できません。そんな宇宙人がいたら、われわれはコミュニケーションできるんですか?
「問題なくできると思いますよ。時間はかかるでしょうけどね。同じ宇宙に住んでいる以上、物理法則は同じですから相互理解は可能なはずです。七〇年代にアレシボ・メッセージという電波を宇宙に送信したんですけど、素数を理解していれば解読できるようにしてあるんです」
──なるほど、数学ですか。
「ある程度文明が発展していれば、素数を理解しているはずですから。まあ、相手が原始時代だったりしたらどうしようもないでしょうけど(笑)」
──つまり解読は相手次第ということですね。逆もしかりですよね。相手がこちらにメッセージを送っても、われわれが解読に失敗している可能性もある。
「そうですね。たとえばアレシボ・メッセージは二進数を活用しているのですが、こちらの想定したデコード手順を宇宙人が行ってくれるかわからないんですよ。ちょっと特殊な表記方法をしているので、そこでつまづいたら解読に失敗するかもしれません。その場合は意味不明な信号に見えるでしょう」
──なんか意味ありそうだけど、よくわからないって感じですよね。
「ですね」
──先ほど見てもらったA子ちゃんのスケッチはどうですか。皆川さんあれを見てどう思いましたか。
「うーん……文字ではないかってことですか? どうでしょうねぇ」
──私は面白いなと思ったんです。文字を理解していないけど、とりあえず真似してみようとしたらあんな風になるのかなって。何も知らなければ、文字なんて線をウニョウニョさせただけに見えるはずじゃないですか。でも、そのウニョウニョに人間が興味を持っていることは理解している。だから自分たちも書いてみた……。
「ふーむ」
──A子ちゃんは子どもが練習した文字みたいだと言ってましたけど、私、別のものを連想したんです。
「……ああ。もしかしてそれが生成AI?」
──そうです。最近何かと話題ですよね。
「まあこれから先はAIを無視できない世の中になっていくでしょうね。最初の方で生成AIがどうのこうの言ってたのはそういうわけですか」
──画像を自動生成するAIってありますけど、あれって大量の画像データを学習して出力しているんですよね。画像に文字が(まぎ)()んでいて、出力するときに文字の残りカスが現れることがあるじゃないですか。実際には存在しない文字、でも既存の文字の特徴をそなえていて、読めそうに思える文字。
「はいはい、はい」
──仮にAIが人間とコミュニケーション取ろうと考えたら、文字に着目するんじゃないでしょうか。よくわからないけど、ウニョウニョした線を出力すると人間の反応がいいなぁ……みたいな。
「ちょっと誤解してらっしゃるかもしれないけど、現時点のAIはただの計算機ですよ。性能が上がることはあっても、意識を持つとは考えにくいです」
──だから、仮にですよ、仮に。私も現在のAIは高性能なファービーくらいにしか考えていませんから。
「(笑)」
──皆川さんは以前に〝われわれはなぜ空にヘンなものを見るのか〟とおっしゃっていました。UFOって、人間の脳内から興味を()きそうなものをピックアップして見せているように思えるんです。ただ、あまりにも種族としての差異(さい)があるから、結果として、われわれも解読に失敗しているのではないかと。
「それは同意です。阿刀川さんをあまり喜ばせたくないから黙ってましたけど、空に文字や記号があらわれた例は過去にもあるんです。レディ・オブ・ザ・レイク号事件とかですね。宇宙人がコンタクトをとってきたら、最初は意味不明でしょう。アレシボ・メッセージのように暗号としか思えないものになるはずです」
──はい。
「だけどやはり阿刀川さんの説には疑問があります。A子さんの見たものが文字だったとしてもコンタクトする相手がなぜ彼女なんでしょうか? 政治形態が異なったとしても、コンタクト相手に一般人は選ばないと思いますよ。仮にも恒星間航行を成功させるような知的生命なら、もっと効率的な手段を取ると思いますが」
──それはそうですけど。
「本物の宇宙人がコンタクトしてくる時は、きわめて大規模で具体的な接触になるでしょうね」
──じゃあUFOの正体は宇宙人ではないんですよ、きっと。
「ほう。では何なんですか? その正体は」
──それはわかりません。でも今までに取材させてもらった人はUFOは宇宙人の乗り物ではないと口にすることがあるんですよね。……くやしくなってきたので話題を変えますけど(笑)、さきほどAIには意識がないと言ってましたね。
「はい。AIはただの計算機です」
──では、意識って何でしょうね。どうしたら意識があるとわかるのでしょうか。

 ✕   ✕   ✕

【文章作成アプリにのこされたテキスト②】

 昼に目がさめた。
 寝汗がすごかったので、とりあえずシャワーを()びる。
 交感神経が刺激されたのか思ったよりもサッパリして気分が落ち着いてきたので、スマートフォンでSNSをチェックした。
 病院から帰ってすぐに投稿した報告にリプがたくさんついていたので、ありがたく読ませてもらう。みなさん私の体調を心配してくださっていて、もうしわけない気持ちになった。本当はひとりひとりに返事をして元気なところを見せたいのだけど、今は時間がほしくて「すみません」と独り言しながらスマートフォンを閉じた。
 冷蔵庫を開いてみたけど、食欲がない。
 昨日の夕食を抜いたので何か食べたほうがいいと頭ではわかっているのだが、胃のあたりにオモリがついているようで、気分がのらない。
 ベッドに横になったら眠ってしまうから仕事場の椅子に座ったのだが、習慣とはおそろしいもので、椅子に座るなり自動的にパソコンの電源を入れてしまい、電源を入れたからには何か書いていないと不安になるので、今こうして書いている。
 入院にそなえてポメラを買おうと思っていたけど、無料のワープロアプリの出来が思ったよりも良い。
 スマートフォンにも同じものを入れたので、元気なうちはノートパソコンで文章を書き、寝転びながらスマートフォンで続きを書く、なんてこともできる。
 昨日はつかれた。
 病院では八割くらいが待ち時間だったので、ひさしぶりにさくらももこさんのエッセイを読みかえした。
「そういうふうにできている」(新潮文庫)という本だ。
 さくらさんが帝王切開の手術を受けることになった「手術」の項で、心と脳と魂の関係について考察している部分がとくに心に響いた。
 ためしに引用してみる。
 さくらさんは長年「本当の自分とは結局何だろう」と考えていたという。それは難しい問題であり、いくら考えてみても答えにたどりつくことはできなかった。

「脳が思考を司る機能ならば、つまり心は脳なのか、人間とは単なる脳という『機能』に操られて愛も優しさも体現しているのか、それとも霊的な魂というものが存在してそちらが本当の自分だというのなら、思考や感覚などもそれが素となっているのだろうから、それなら脳の役割とは一体何か?」

 こういった疑問は、誰もが一度は考えるのではないだろうか。
 心とは何か、脳とどういう関係なのか。脳が人間の思考を司っているのなら、私が私であるという感覚やうれしいとか悲しいといった感情は、しょせん脳が生み出している幻想にすぎないのだろうか。
「私」を感じているのが脳なら、「私」とは脳なのだろうか。
 それとも魂とでも呼ぶべき本質的な何かがあるのか。
 さくらさんは、帝王切開手術を受けて、「これまでの人生の中で最も死に近い状態」にある時に、問題解決の糸口を得たのだという。
 手術は局部麻酔によって行われたのだが、さくらさんは、

「私は手術開始からほどなく、自分自身が肉体とは別のエネルギーの波動である事を実感としてとらえていた。それはただただゆるやかで静かで心地よく、宇宙空間を漂っているようであった」

 と感じたそうだ。
 私が私である感覚は脳とは別に存在しており、麻酔が脳というコンピューターをシャットダウンさせると、言語が休止し、意識がむきだしになった。
 この意識こそ本来の自分そのものだ、とさくらさんは言う。
 意識は「自分の根本のピュアなエネルギー」であり、それ自身はまわりに影響をおよぼすことはできない。他者と交流することもできない。この世界で何かをするためには肉体と脳が必要となる。つまり脳とは「意識」が「肉体」へ命令をするためのシステムにすぎないのだ。
 そして心とは、意識が脳を使用している〝状態〟のことだった……。
 手術を受けながら、さくらさんはそのようなことを考え、次のように結論する。
 意識、脳、心は、それぞれが密接に関係しあっているせいで、ごっちゃにされがちだが、全部別々のものである、と。
 もちろん、この結論が正解だというつもりはない。
 だが、私はこれまで唯物論者で、死んだら自分の意識もおわりだと思っていた。今回さくらももこさんのエッセイを読んだことで、肉体とは別の、意識のエネルギーのようなものがあるのかもしれないと考え直すようになった。
 それは少しだけ、今の気持ちを楽にしてくれたのはまちがいない。




第5章 断片2 fragments2






【皆川雄一氏との通話のテープ起こし③】

「おひさしぶりです」
──どうもおひさしぶりです。
「体調の方はいかがですか?」
──ええまあ、ぼちぼちというところですかね。
「前回リモートしたのは去年の夏くらいでしたっけ。あれからどうなったのか(おり)に触れて気にしていました」
──半年前くらいですね。いつも突然ですみません。
「いえいえ。貧血がひどいとのことでしたが顔色良くて安心しました」
──そうなんですよぉ。一時期はほんとうにひどかったですね、日常生活にも支障きたしてメンタルまでやられちゃって。今はもう本当にマシになってきたので大丈夫です。あ、そういえば今度PET検査ってのをやるんですよ。
「PET検査ですか」
──放射性物質を身体に入れて、それをトレーサーにして画像診断するらしいんです。なんかすごいですね人間の技術力って。
「僕の知り合いも受けたことありますよ。肺に影があると言われていたんですけど、結局勘違いだったらしいです。そういうことって結構あるみたいです」
──私の場合、悪性かどうかまだわからないらしいのでそこに()けてみるしかないですね。皆川さん、もしかして気をつかってくれてるんですか?
「いやまあ。そういう話を聞いたことあるんですよ。知り合いは今でもピンピンしています。そういう例を実際に見ているんで、阿刀川さんもあまり気に()まんでほしいなぁと思っているんです」
──はは(笑)。ありがとうございます。ところで今回連絡したのは、ちょっと皆川さんにもお伝えしておいたほうがいいと思ったことがあって……。昨年の事件おぼえていますか、私のマンションに大学生の男の子が侵入した……。
「ええ。もちろん」
──私も最近知ったのですが、その男の子が現在大変なことになっていて入院しているらしくてですね、なんでも肺と気管支から真菌が見つかったみたいなんです。咳が止まらないとは聞いていたんですけど、それが原因だったらしくて。
「真菌? マイコプラズマとかじゃなく真菌?」
──ええ、菌糸(きんし)の遺伝子を調べたらキノコの一種らしいです。キノコって人間と細胞が似ているらしくて、選択的に駆除しにくいらしいんですよ。薬でやっつけようとすると正常な細胞にもダメージを(あた)えてしまうので。
「なるほど、やっかいそうですね」
──気になって調べたら国内でも三十件ほどキノコ菌の感染例あるみたいです。スエヒロタケやヒトヨタケは人間の免疫に()える力がとくに強いらしくて、胞子を吸い込むと肺の中に住み着いてしまうんです。症状は咳やタンが多めに出るくらいですが、免疫機能が落ちると今回のケースみたいに重症化することもある、と。
「ふむ」
──で、ここからが本題なんですが、皆川さんは脳血管性ストロース型認知症というのを知っていますか。
「脳血管性……? いやちょっとわからないですが」
──ガイドラインのURL送りますね。私の頭では学術論文は理解できなかったんですが、アメリカの精神科医で作家のイブン・アレクサンダーという人が(くわ)しく解説している動画があったので、そっちも送ります。あとで見てみてください。
「どうも。……で、これが何だというのですか?」
──キノコ等の菌類が人間に及ぼす影響について興味がわいてきたので調べていたら、このイブン・アレクサンダーさんの動画を見つけたんです。脳血管性認知症のなかでもストロース型と呼ばれる病気は、脳に有害物質が蓄積することによって発症するらしいんです。通常は脳の血管に保護機能があるんで、脳に届くことはないらしいんですけど、不具合で保護機能をすりぬけてしまうことがあるんですね。アルツハイマー症と比べると若年(じゃくねん)層でも発症する可能性が高いのが特徴です。
「ふむ」
──危険因子(いんし)は環境ホルモンや化学物質なんですけど、菌類が生成するアミノ酸も原因になっているのではないかという研究報告があるんです。キノコの胞子が人間の体内に侵入すると免疫細胞が胞子を攻撃しますよね。その時に胞子は複数のアミノ酸を放出するんです。ほとんどの場合は害がないんですけど、なんらかの原因で脳に届いてしまうと病気を発症するリスクがある。とりわけ慢性(まんせい)的に胞子を体内に取り込むような環境だと、すこしずつ脳にダメージを受けていくんです。
「自然界の毒といえばキノコのイメージありますからね。それで、その認知症が今回の話のメインなんですか?」
──はい。ストロース型の認知症のおもな症状は、幻覚です。それは本人には現実の出来事としか思えないほどリアルなんだそうです。知らない人が(まど)から(のぞ)いているとか、存在しない動物が部屋の中にいるとか。色彩があいまいで境界線のぼやけているものを見た時に認知の混乱から幻覚が生じやすいらしくて、日常的に身のまわりにあるものでいえば、空を見た時……とくに雲が出ている空を見た時、なんですよ。
「なるほど。言いたいことがわかってきました」
──お、わかりました? さすがです。
「要するに、もしかしたらUFOの正体は認知症が見せている幻覚かもしれないということですよね?」
──すべてがそうとは言わないですけど。幻覚だったら写真に写せないですし。ですが、イブン・アレキサンダーさんはUFO目撃例のいくつかはこの病気が関わっているのではないかと言っているんです。
「ふーん……。発症率はどのくらいなんでしょうね。かなりのレアケースな気がします。もしキノコの胞子が認知症を引き起こすなら、昔から発病するひとがいたでしょうし、もっと早く危険性に気づいていそうですが」
──実際にそうなんじゃないんですか? 経験的に昔のひとは知っていたんだと思います。山の怪としてキノコの化け物は出てきますし、フェアリーリングは異世界への入口になるって伝承ありますけど、あれもキノコですよね。
菌輪(きんりん)っていうやつですね。しかし、UFOの正体はキノコが見せる幻覚だったということになると、()まらんというかガッカリ感が出てきますね(笑)」
──私、それだけじゃないと思っているんです。まだ仮説の段階ですけど。それで今度、あきる野にもう一度行ってみようと思っているんです。
「もう一度? どうして?」
──慢性的にキノコの胞子を吸ってしまうことが危険因子(いんし)だって話じゃないですか。もう一度あきる野に行って、土井健斗くんがそのリスクにさらされていたか検証してみたいんです。フィールドワークですね。
「なるほど。……しかし阿刀川さんは検査やら何やら(ひか)えていて、そんなことして大丈夫なんですか? あまり無理しないほうがいいと思うのですが」
──大丈夫です。というか、やってみたいんですよ。ひとりじゃ不安なので知り合いの編集者に同行していただきますし。
「どなたか聞いてもよろしいですか?」
──あ、皆川さんも知っている方ですよ。ほら私たちを仲介してくれた……。
「なるほど彼ですか。……それって、いつ頃行く予定なんでしょうか?」
──まあ日帰りなんで今週末でもよかったんですが、五月の連休がもうすぐなんでそのあたりに行こうかと考えています。
「……そうですか。もしご迷惑でなければですけど、僕も同行してもいいですか」
──えっ。皆川さんも来るってことですか?
「ええ。あいつは編集者として優秀な人間ということは知ってるんですけど、ふだんは抜けているところが多いので、ちょっと心配になりまして(笑)」
──いやぁそれは申し訳ないですよ。せっかくの連休を私なんかの思いつきに付き合わせることになってしまいますし……。
「いえいえ問題ないです。阿刀川さんの仮説というものを聞いてみたいですし、体調のことを考えるともうひとりくらい人手(ひとで)があった方がいいと思います」
──私はわりと元気なんですけどね。でも……そうですねぇ。考えてみたらリモートばかりで一度も直接お会いしたことがなかったですね。
「そういえばそうですね」
──じゃあ……申し訳ないんですけど皆川さんもお付き合いいただけますか。何も成果が得られず徒労に終わる可能性もありますけど。
「大丈夫です。UFO研究を趣味にしていたら、そんなことばかりです」
──(笑)。では日程など調整しますので、後日ご連絡差し上げます。
「了解です。お待ちしていますね」
──よろしくお願いします。あはは、なんだか楽しみになってきましたね。

 ✕   ✕   ✕

【文章作成アプリにのこされたテキスト①】

 ふと思いついて、私はマスクをずらすと目を閉じた。
 鼻から深々と空気を吸い込む。
 空気中を漂うキノコの胞子も肺に送り込まれたことだろう。
 しばらくして目を開き、空を見てみた。
 そこにあったのは、よく晴れた空だけであり、いくら眺めてみてもUFOの姿は見えてこなかった。
「どうかしましたか。阿刀川さん?」
 深呼吸をくりかえしている私を不審に思ったのか、皆川さんが声をかけてきた。
「いえ。なんでもないですよ。ちょっと感慨(かんがい)深くて」
 私は振り向いてこたえる。
 彼にはピンとこなかったようで、言葉を見失ったかのように腰に手をあてて空を眺めまわした。そして「写真とか撮ったらそろそろ戻り始めましょうか。ここに来るまでにかかった時間を考えると余裕はなさそうです」と言った。
 結局、私たちは〈関谷(せきや)間口(まぐち)〉に都合三十分も滞在しなかった。日帰りの現地調査なのであわただしいのだ。そうして山道を(くだ)りはじめたのだが、歩きだして十分もしないうちに問題がひとつ発生した。
 急に目眩がしてきたのだ。
 私の体力が尽きたのか、無理をしすぎた身体が危険信号を発しているのか、もしくはその両方であろう。
 貧血も同時に起きているらしく、眼の前がやたら暗い。森の樹木が光を(さえぎ)るせいで暗いのだろうと思っていたのだが、それだけではなかった。サーッと血の気が引いていく感覚とともに足に力が入らなくなってきた。
「…………」
 私は無言で目眩にたえていた。具合が悪いなどと申告しようものなら、同行者から「ほら見たことか病人なのに無茶するから!」と(しか)られそうだったからだ。それに目眩や立ち(くら)みなどは、経験上しばらくすれば収まるものなのだ。
 必死になって山道を下っていき、三〇分くらいは我慢したと思う。途中何度か足を滑らせて、そのたびに心配された。周囲もさすがにおかしいと勘付きだしたようだ。そもそもムダ話が大好きな私がさっきから押し黙っているのだから、名探偵でなくとも異変に気づくというものだ。
「阿刀川さん。具合悪いんでしょう?」ついに編集者Tが言った。「ちょっと休みましょうか。そこの地面に座っちゃってください」
 私は観念してうなずいて、獣道の(かたわ)らにしゃがみこんだ。
 心臓がいつもより頼りない鼓動を刻んでおり、全身の汗がつめたく感じられた。森のなかがざわざわと騒いでいるようで、樹木がこちらに倒れてきそうに思えた。
「落ち着くまで休んでください。僕らに気兼ねしなくていいですからね」
「阿刀川さんの荷物、分担して持ちましょう」
 叱られるだろうかとビクビクしていたが、意外にもみんな優しくしてくれる。なんだそれなら早く言えばよかったと安堵(あんど)しつつ、私は体力の回復を待った。チョコレートを食べてお茶をひと口飲むと、ちょっとだけ元気になった。ここまで三〇分山道を下ってきたのだから、折り返し地点は過ぎたはずだ。
「もう大丈夫です。行きましょう」
 私は立ち上がって言った。
 そして行動を再開した。ところが五分もしないうちにまたしても目眩が襲ってくる。これには参った。呼吸も苦しいし、足元もフラついてきた。
「休みましょう、しゃがんで。無理せずにしゃがんで」
 すかさず編集者Tが言う。
「誰か呼んできた方がいいかもね」と地元農家の人が心配そうな声を出した。
 しゃがみこんだ私の耳元で、編集者Tが「駐車場まであと十五分というところです。阿刀川さん行けそうですか。無理そうなら助けを呼びます」などと言う。
「俺、彼女を背負っていきますよ」と皆川さんの声が聞こえた。「太陽が傾いて気温が思っていたより下がってきた。あまりここに(とど)まらないほうがいい。大丈夫、十五分程度なら(かつ)いでいけます」
 その後多少の議論があったが、私は皆川さんの背中を借りることになった。
 重度の貧血であるから、なるべく早く体温の確保できる場所で安静な姿勢にさせた方がいいとの判断だ。
 私は恥ずかしいやら申し訳ないやらで終始(うつむ)きっぱなしだった。
「あの……重くないですか。すみません」
 蚊の鳴くような声で日頃の不摂生を()びる。コロナ禍で家に引きこもりがちになって以来、体重は確実に増加傾向にあったからだ。
 皆川さんは「全然平気ですよ。それより気にしないで休んでいてください。足を滑らせないように俺もゆっくり歩きますから」と言った。
 全然平気と言ってくれているが、成人女性ひとりを背負って山道を下っているのだから、大変じゃないわけがない。すぐに皆川さんは汗をかいて息を荒くしはじめた。私を落っことしたりしないように気を遣って、慎重に歩いている。
 背中にしがみつきながら、私はなんだか涙腺がゆるんでいた。この状況の情けなさもあったが、これまでに積み重なったいろいろな事が急に意識されたのだ。
 五月の森の中は薄暗い緑色のトンネルのようだった。私の視界は貧血のせいではっきりとせず、前方から差し込んでくる光をただ暖かいと感じていた。
「皆川さん。私ね、覚悟なんて全然できていないんです」
 私はふとそんなことを言った。どうしてそんなことを言ったのかわからない。普段なら絶対に口にしなかった言葉だ。言っても相手を困らせるだけだと分かっているからだ。だが、今だけは許される気がしたのだ。
 薄暗い緑色のトンネルはあと十分もすれば通り抜けられる。そして下界にもどったら、ここで交わした会話はお互いになかったことにするだろう。私もそうするし、皆川さんもきっとそうするだろう。
「覚悟なんて、できることじゃありませんよ。僕だって、きっと覚悟するなんて不可能だと思います。それが普通なんだと思います」
 皆川さんは言った。
「また来ましょうフィールドワーク。今日は楽しかったですね」
「そうですね、また来ましょう」私はバレないようにこっそりと目許をぬぐった。声がヘンになっているかもしれないので「ふう」とため息した。「まだ調べたいことや行ってみたい場所があるんです。UFOの正体をつきとめなくちゃ」
「そうですね。その通りです」
 皆川さんは微笑んだようだった。
 私は少しだけ気が楽になって、
「私、やっぱりUFOって何者かがコンタクトしてきたせいで発生していると思うんですよね」とそんなことを口にした。「福島のA子ちゃんが見たワームが顕著(けんちょ)ですけど、きっと私たちとあまりにもかけ離れた存在だから、彼らもどうやってコンタクトしていいかわからないんです」
「そうかもしれません」
「認知症が見せる幻覚についても、最初はこれが本命かなと思ったんですけど、もしかしたら原因と結果が逆じゃないかって。人間の脳は外部から干渉されると実際には存在しないモノが見えてしまう。それは文字や声を持たない『何者か』にとって便利なツールとして機能しているのかもしれない、と」
「かなり突飛(とっぴ)な発想に聞こえますが……」
「そう思ったのには理由があるんです」と私は言った。「じつは昨夜、A子ちゃんからメールが送られてきて、それが不可解な内容だったんです。東京に帰ったら、皆川さんにもお見せしますね」
「ふむ? 何なんですか?」
「長文なんですよ。読んだら感想を聞かせてください」
 私はワクワクして含み笑いした。
 きっとこれがUFOを探求する原動力なのだという気がした。解けない謎に挑戦する時の高揚感。そして「世界が見たままの単純な姿であってほしくない」という気持ち。見たことのない、聞いたことのない、驚くようなモノが存在していてほしい。私の生まれ落ちた世界は、神秘的でワクワクする世界であってほしい、という想い。
 そうでなければさみしいから。
 人間の思考は神経細胞の発火にすぎず、物質は素粒子の集まりにすぎず、量子的には確率でしか存在しておらず、あいまいで頼りないものだったとしても。自分が生まれてきたこの世界には意味があったと思いたいし、複雑であってほしい。
 私たちはいずれ資源をすべて使い果たして太陽系を出ることなどできず、地球上でほろびていく種族だろうという予測を読んだことがある。人類の進歩は意外に天井が低いかもしれないのだ。
 恒星間航行は困難であり、文明の寿命が尽きるまでに成し()げるのは不可能に思える。宇宙人もいくら探しても見つからない。痕跡(こんせき)くらいあってもよさそうなのだが、四方八方に目を向けてみても、いまだに気配すら見つからない。
 人類は誰とも出会わずに滅びていく宿命なのだろうか?
 私はそうは思わない。
 それどころかわれわれが思っているよりも身近に、対話するべき相手がいるのに見えていないだけではないだろうか。
 現時点では仮説にすぎないが、いくつか根拠もある。もういちどフィールドワークにも行かなくてはならないだろう。その時には約束をしたことだし、皆川さんを誘わなくては、と思っている。

 ※ ※ ※
(テキストファイルの更新日時は二〇二四年十月二十三日午後三時。それからわずか十日後に容態は急変。一進一退をくりかえしたが、十一月四日午前四時、阿刀川恵は永眠した)。

 二〇二四年十一月十三日。米国議会でUFOに関する公聴会が開催され、政府と軍の元高官らは「UFOは存在し、米国国民は真実を知る権利がある」と証言した。   
 海軍退役少将ティム・ギャローデットは自身の目撃体験を語り、「われわれは目をそむけるべきではなく、この新しい事実に向き合って学ぶべきだ」と主張した。
 海軍第11戦闘飛行隊に所属するライアン・グレイブスは二〇一四年にバージニアビーチの沖合いでの訓練中に未知の物体を目撃した。
「透明な球体の中に濃い灰色か黒色の立方体がある物体が、先導機の15メートル以内に接近した」。
 近年、米国では「未確認異常現象(UAP)」が国家安全保障上のリスクとなり得るとして、情報開示の流れが盛り上がりを見せている。

 ※ ※ ※
・闘病中の病室の窓から見えたUFOのスケッチ。
・ノートの裏表紙に阿刀川恵本人が描いたもの。日付は10月7日。
・大きい円と4から6の小さい円で構成。小さい円はランドルト環のような形状。
・小さい円は大きい円の周囲を回転しており、時計の長針と短針のように定期的に小さい円同士の形が重なる。






                                         UFOを知っていますか (了)

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

公開作品はありません

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア