第5章 断片2 fragments2
【皆川雄一氏との通話のテープ起こし③】
「おひさしぶりです」
──どうもおひさしぶりです。
「体調の方はいかがですか?」
──ええまあ、ぼちぼちというところですかね。
「前回リモートしたのは去年の夏くらいでしたっけ。あれからどうなったのか
折に触れて気にしていました」
──半年前くらいですね。いつも突然ですみません。
「いえいえ。貧血がひどいとのことでしたが顔色良くて安心しました」
──そうなんですよぉ。一時期はほんとうにひどかったですね、日常生活にも支障きたしてメンタルまでやられちゃって。今はもう本当にマシになってきたので大丈夫です。あ、そういえば今度PET検査ってのをやるんですよ。
「PET検査ですか」
──放射性物質を身体に入れて、それをトレーサーにして画像診断するらしいんです。なんかすごいですね人間の技術力って。
「僕の知り合いも受けたことありますよ。肺に影があると言われていたんですけど、結局勘違いだったらしいです。そういうことって結構あるみたいです」
──私の場合、悪性かどうかまだわからないらしいのでそこに
賭けてみるしかないですね。皆川さん、もしかして気をつかってくれてるんですか?
「いやまあ。そういう話を聞いたことあるんですよ。知り合いは今でもピンピンしています。そういう例を実際に見ているんで、阿刀川さんもあまり気に
病まんでほしいなぁと思っているんです」
──はは(笑)。ありがとうございます。ところで今回連絡したのは、ちょっと皆川さんにもお伝えしておいたほうがいいと思ったことがあって……。昨年の事件おぼえていますか、私のマンションに大学生の男の子が侵入した……。
「ええ。もちろん」
──私も最近知ったのですが、その男の子が現在大変なことになっていて入院しているらしくてですね、なんでも肺と気管支から真菌が見つかったみたいなんです。咳が止まらないとは聞いていたんですけど、それが原因だったらしくて。
「真菌? マイコプラズマとかじゃなく真菌?」
──ええ、
菌糸の遺伝子を調べたらキノコの一種らしいです。キノコって人間と細胞が似ているらしくて、選択的に駆除しにくいらしいんですよ。薬でやっつけようとすると正常な細胞にもダメージを
与えてしまうので。
「なるほど、やっかいそうですね」
──気になって調べたら国内でも三十件ほどキノコ菌の感染例あるみたいです。スエヒロタケやヒトヨタケは人間の免疫に
耐える力がとくに強いらしくて、胞子を吸い込むと肺の中に住み着いてしまうんです。症状は咳やタンが多めに出るくらいですが、免疫機能が落ちると今回のケースみたいに重症化することもある、と。
「ふむ」
──で、ここからが本題なんですが、皆川さんは脳血管性ストロース型認知症というのを知っていますか。
「脳血管性……? いやちょっとわからないですが」
──ガイドラインのURL送りますね。私の頭では学術論文は理解できなかったんですが、アメリカの精神科医で作家のイブン・アレクサンダーという人が
詳しく解説している動画があったので、そっちも送ります。あとで見てみてください。
「どうも。……で、これが何だというのですか?」
──キノコ等の菌類が人間に及ぼす影響について興味がわいてきたので調べていたら、このイブン・アレクサンダーさんの動画を見つけたんです。脳血管性認知症のなかでもストロース型と呼ばれる病気は、脳に有害物質が蓄積することによって発症するらしいんです。通常は脳の血管に保護機能があるんで、脳に届くことはないらしいんですけど、不具合で保護機能をすりぬけてしまうことがあるんですね。アルツハイマー症と比べると
若年層でも発症する可能性が高いのが特徴です。
「ふむ」
──危険
因子は環境ホルモンや化学物質なんですけど、菌類が生成するアミノ酸も原因になっているのではないかという研究報告があるんです。キノコの胞子が人間の体内に侵入すると免疫細胞が胞子を攻撃しますよね。その時に胞子は複数のアミノ酸を放出するんです。ほとんどの場合は害がないんですけど、なんらかの原因で脳に届いてしまうと病気を発症するリスクがある。とりわけ
慢性的に胞子を体内に取り込むような環境だと、すこしずつ脳にダメージを受けていくんです。
「自然界の毒といえばキノコのイメージありますからね。それで、その認知症が今回の話のメインなんですか?」
──はい。ストロース型の認知症のおもな症状は、幻覚です。それは本人には現実の出来事としか思えないほどリアルなんだそうです。知らない人が
窓から
覗いているとか、存在しない動物が部屋の中にいるとか。色彩があいまいで境界線のぼやけているものを見た時に認知の混乱から幻覚が生じやすいらしくて、日常的に身のまわりにあるものでいえば、空を見た時……とくに雲が出ている空を見た時、なんですよ。
「なるほど。言いたいことがわかってきました」
──お、わかりました? さすがです。
「要するに、もしかしたらUFOの正体は認知症が見せている幻覚かもしれないということですよね?」
──すべてがそうとは言わないですけど。幻覚だったら写真に写せないですし。ですが、イブン・アレキサンダーさんはUFO目撃例のいくつかはこの病気が関わっているのではないかと言っているんです。
「ふーん……。発症率はどのくらいなんでしょうね。かなりのレアケースな気がします。もしキノコの胞子が認知症を引き起こすなら、昔から発病するひとがいたでしょうし、もっと早く危険性に気づいていそうですが」
──実際にそうなんじゃないんですか? 経験的に昔のひとは知っていたんだと思います。山の怪としてキノコの化け物は出てきますし、フェアリーリングは異世界への入口になるって伝承ありますけど、あれもキノコですよね。
「
菌輪っていうやつですね。しかし、UFOの正体はキノコが見せる幻覚だったということになると、
締まらんというかガッカリ感が出てきますね(笑)」
──私、それだけじゃないと思っているんです。まだ仮説の段階ですけど。それで今度、あきる野にもう一度行ってみようと思っているんです。
「もう一度? どうして?」
──慢性的にキノコの胞子を吸ってしまうことが危険
因子だって話じゃないですか。もう一度あきる野に行って、土井健斗くんがそのリスクにさらされていたか検証してみたいんです。フィールドワークですね。
「なるほど。……しかし阿刀川さんは検査やら何やら
控えていて、そんなことして大丈夫なんですか? あまり無理しないほうがいいと思うのですが」
──大丈夫です。というか、やってみたいんですよ。ひとりじゃ不安なので知り合いの編集者に同行していただきますし。
「どなたか聞いてもよろしいですか?」
──あ、皆川さんも知っている方ですよ。ほら私たちを仲介してくれた……。
「なるほど彼ですか。……それって、いつ頃行く予定なんでしょうか?」
──まあ日帰りなんで今週末でもよかったんですが、五月の連休がもうすぐなんでそのあたりに行こうかと考えています。
「……そうですか。もしご迷惑でなければですけど、僕も同行してもいいですか」
──えっ。皆川さんも来るってことですか?
「ええ。あいつは編集者として優秀な人間ということは知ってるんですけど、ふだんは抜けているところが多いので、ちょっと心配になりまして(笑)」
──いやぁそれは申し訳ないですよ。せっかくの連休を私なんかの思いつきに付き合わせることになってしまいますし……。
「いえいえ問題ないです。阿刀川さんの仮説というものを聞いてみたいですし、体調のことを考えるともうひとりくらい
人手があった方がいいと思います」
──私はわりと元気なんですけどね。でも……そうですねぇ。考えてみたらリモートばかりで一度も直接お会いしたことがなかったですね。
「そういえばそうですね」
──じゃあ……申し訳ないんですけど皆川さんもお付き合いいただけますか。何も成果が得られず徒労に終わる可能性もありますけど。
「大丈夫です。UFO研究を趣味にしていたら、そんなことばかりです」
──(笑)。では日程など調整しますので、後日ご連絡差し上げます。
「了解です。お待ちしていますね」
──よろしくお願いします。あはは、なんだか楽しみになってきましたね。
✕ ✕ ✕
【文章作成アプリにのこされたテキスト①】
ふと思いついて、私はマスクをずらすと目を閉じた。
鼻から深々と空気を吸い込む。
空気中を漂うキノコの胞子も肺に送り込まれたことだろう。
しばらくして目を開き、空を見てみた。
そこにあったのは、よく晴れた空だけであり、いくら眺めてみてもUFOの姿は見えてこなかった。
「どうかしましたか。阿刀川さん?」
深呼吸をくりかえしている私を不審に思ったのか、皆川さんが声をかけてきた。
「いえ。なんでもないですよ。ちょっと
感慨深くて」
私は振り向いてこたえる。
彼にはピンとこなかったようで、言葉を見失ったかのように腰に手をあてて空を眺めまわした。そして「写真とか撮ったらそろそろ戻り始めましょうか。ここに来るまでにかかった時間を考えると余裕はなさそうです」と言った。
結局、私たちは〈
関谷の
間口〉に都合三十分も滞在しなかった。日帰りの現地調査なのであわただしいのだ。そうして山道を
下りはじめたのだが、歩きだして十分もしないうちに問題がひとつ発生した。
急に目眩がしてきたのだ。
私の体力が尽きたのか、無理をしすぎた身体が危険信号を発しているのか、もしくはその両方であろう。
貧血も同時に起きているらしく、眼の前がやたら暗い。森の樹木が光を
遮るせいで暗いのだろうと思っていたのだが、それだけではなかった。サーッと血の気が引いていく感覚とともに足に力が入らなくなってきた。
「…………」
私は無言で目眩にたえていた。具合が悪いなどと申告しようものなら、同行者から「ほら見たことか病人なのに無茶するから!」と
叱られそうだったからだ。それに目眩や立ち
眩みなどは、経験上しばらくすれば収まるものなのだ。
必死になって山道を下っていき、三〇分くらいは我慢したと思う。途中何度か足を滑らせて、そのたびに心配された。周囲もさすがにおかしいと勘付きだしたようだ。そもそもムダ話が大好きな私がさっきから押し黙っているのだから、名探偵でなくとも異変に気づくというものだ。
「阿刀川さん。具合悪いんでしょう?」ついに編集者Tが言った。「ちょっと休みましょうか。そこの地面に座っちゃってください」
私は観念してうなずいて、獣道の
傍らにしゃがみこんだ。
心臓がいつもより頼りない鼓動を刻んでおり、全身の汗がつめたく感じられた。森のなかがざわざわと騒いでいるようで、樹木がこちらに倒れてきそうに思えた。
「落ち着くまで休んでください。僕らに気兼ねしなくていいですからね」
「阿刀川さんの荷物、分担して持ちましょう」
叱られるだろうかとビクビクしていたが、意外にもみんな優しくしてくれる。なんだそれなら早く言えばよかったと
安堵しつつ、私は体力の回復を待った。チョコレートを食べてお茶をひと口飲むと、ちょっとだけ元気になった。ここまで三〇分山道を下ってきたのだから、折り返し地点は過ぎたはずだ。
「もう大丈夫です。行きましょう」
私は立ち上がって言った。
そして行動を再開した。ところが五分もしないうちにまたしても目眩が襲ってくる。これには参った。呼吸も苦しいし、足元もフラついてきた。
「休みましょう、しゃがんで。無理せずにしゃがんで」
すかさず編集者Tが言う。
「誰か呼んできた方がいいかもね」と地元農家の人が心配そうな声を出した。
しゃがみこんだ私の耳元で、編集者Tが「駐車場まであと十五分というところです。阿刀川さん行けそうですか。無理そうなら助けを呼びます」などと言う。
「俺、彼女を背負っていきますよ」と皆川さんの声が聞こえた。「太陽が傾いて気温が思っていたより下がってきた。あまりここに
留まらないほうがいい。大丈夫、十五分程度なら
担いでいけます」
その後多少の議論があったが、私は皆川さんの背中を借りることになった。
重度の貧血であるから、なるべく早く体温の確保できる場所で安静な姿勢にさせた方がいいとの判断だ。
私は恥ずかしいやら申し訳ないやらで終始
俯きっぱなしだった。
「あの……重くないですか。すみません」
蚊の鳴くような声で日頃の不摂生を
詫びる。コロナ禍で家に引きこもりがちになって以来、体重は確実に増加傾向にあったからだ。
皆川さんは「全然平気ですよ。それより気にしないで休んでいてください。足を滑らせないように俺もゆっくり歩きますから」と言った。
全然平気と言ってくれているが、成人女性ひとりを背負って山道を下っているのだから、大変じゃないわけがない。すぐに皆川さんは汗をかいて息を荒くしはじめた。私を落っことしたりしないように気を遣って、慎重に歩いている。
背中にしがみつきながら、私はなんだか涙腺がゆるんでいた。この状況の情けなさもあったが、これまでに積み重なったいろいろな事が急に意識されたのだ。
五月の森の中は薄暗い緑色のトンネルのようだった。私の視界は貧血のせいではっきりとせず、前方から差し込んでくる光をただ暖かいと感じていた。
「皆川さん。私ね、覚悟なんて全然できていないんです」
私はふとそんなことを言った。どうしてそんなことを言ったのかわからない。普段なら絶対に口にしなかった言葉だ。言っても相手を困らせるだけだと分かっているからだ。だが、今だけは許される気がしたのだ。
薄暗い緑色のトンネルはあと十分もすれば通り抜けられる。そして下界にもどったら、ここで交わした会話はお互いになかったことにするだろう。私もそうするし、皆川さんもきっとそうするだろう。
「覚悟なんて、できることじゃありませんよ。僕だって、きっと覚悟するなんて不可能だと思います。それが普通なんだと思います」
皆川さんは言った。
「また来ましょうフィールドワーク。今日は楽しかったですね」
「そうですね、また来ましょう」私はバレないようにこっそりと目許をぬぐった。声がヘンになっているかもしれないので「ふう」とため息した。「まだ調べたいことや行ってみたい場所があるんです。UFOの正体をつきとめなくちゃ」
「そうですね。その通りです」
皆川さんは微笑んだようだった。
私は少しだけ気が楽になって、
「私、やっぱりUFOって何者かがコンタクトしてきたせいで発生していると思うんですよね」とそんなことを口にした。「福島のA子ちゃんが見たワームが
顕著ですけど、きっと私たちとあまりにもかけ離れた存在だから、彼らもどうやってコンタクトしていいかわからないんです」
「そうかもしれません」
「認知症が見せる幻覚についても、最初はこれが本命かなと思ったんですけど、もしかしたら原因と結果が逆じゃないかって。人間の脳は外部から干渉されると実際には存在しないモノが見えてしまう。それは文字や声を持たない『何者か』にとって便利なツールとして機能しているのかもしれない、と」
「かなり
突飛な発想に聞こえますが……」
「そう思ったのには理由があるんです」と私は言った。「じつは昨夜、A子ちゃんからメールが送られてきて、それが不可解な内容だったんです。東京に帰ったら、皆川さんにもお見せしますね」
「ふむ? 何なんですか?」
「長文なんですよ。読んだら感想を聞かせてください」
私はワクワクして含み笑いした。
きっとこれがUFOを探求する原動力なのだという気がした。解けない謎に挑戦する時の高揚感。そして「世界が見たままの単純な姿であってほしくない」という気持ち。見たことのない、聞いたことのない、驚くようなモノが存在していてほしい。私の生まれ落ちた世界は、神秘的でワクワクする世界であってほしい、という想い。
そうでなければさみしいから。
人間の思考は神経細胞の発火にすぎず、物質は素粒子の集まりにすぎず、量子的には確率でしか存在しておらず、あいまいで頼りないものだったとしても。自分が生まれてきたこの世界には意味があったと思いたいし、複雑であってほしい。
私たちはいずれ資源をすべて使い果たして太陽系を出ることなどできず、地球上でほろびていく種族だろうという予測を読んだことがある。人類の進歩は意外に天井が低いかもしれないのだ。
恒星間航行は困難であり、文明の寿命が尽きるまでに成し
遂げるのは不可能に思える。宇宙人もいくら探しても見つからない。
痕跡くらいあってもよさそうなのだが、四方八方に目を向けてみても、いまだに気配すら見つからない。
人類は誰とも出会わずに滅びていく宿命なのだろうか?
私はそうは思わない。
それどころかわれわれが思っているよりも身近に、対話するべき相手がいるのに見えていないだけではないだろうか。
現時点では仮説にすぎないが、いくつか根拠もある。もういちどフィールドワークにも行かなくてはならないだろう。その時には約束をしたことだし、皆川さんを誘わなくては、と思っている。
※ ※ ※
(テキストファイルの更新日時は二〇二四年十月二十三日午後三時。それからわずか十日後に容態は急変。一進一退をくりかえしたが、十一月四日午前四時、阿刀川恵は永眠した)。
二〇二四年十一月十三日。米国議会でUFOに関する公聴会が開催され、政府と軍の元高官らは「UFOは存在し、米国国民は真実を知る権利がある」と証言した。
海軍退役少将ティム・ギャローデットは自身の目撃体験を語り、「われわれは目をそむけるべきではなく、この新しい事実に向き合って学ぶべきだ」と主張した。
海軍第11戦闘飛行隊に所属するライアン・グレイブスは二〇一四年にバージニアビーチの沖合いでの訓練中に未知の物体を目撃した。
「透明な球体の中に濃い灰色か黒色の立方体がある物体が、先導機の15メートル以内に接近した」。
近年、米国では「未確認異常現象(UAP)」が国家安全保障上のリスクとなり得るとして、情報開示の流れが盛り上がりを見せている。
※ ※ ※
・闘病中の病室の窓から見えたUFOのスケッチ。
・ノートの裏表紙に阿刀川恵本人が描いたもの。日付は10月7日。
・大きい円と4から6の小さい円で構成。小さい円はランドルト環のような形状。
・小さい円は大きい円の周囲を回転しており、時計の長針と短針のように定期的に小さい円同士の形が重なる。
UFOを知っていますか (了)