第二章「どうして人間はヘンなものを見てしまうのでしょう」
1
さて。そろそろこのあたりで、私・阿刀川恵が実際に目撃したUFOについて書かなければならないと思う。
だがそのためには私の病気に触れておかなくてはならない。目撃時の状況や精神状態は無関係ではないと思うし、私だけ個人的なことを開陳しないのは、他のUFO目撃者に対してアンフェアだと思うからだ。
ただし病気の話など興味ない方もいるだろうし、もしかしたら読んでいて不快にさせてしまうかもしれない。その場合はどうか読み飛ばしてほしいと思う。
病気に関して、いつから症状があったのかわからないのだが、最初に痛みを自覚したのは、二〇一九年一二月三十一日の大晦日だった。
一年間のどん詰まりの日、私は左上腕から肩関節にかけての鈍痛になやんでいた。腕を動かすとピキリと痛く、痛みの種類はあえていうなら筋肉痛に似ていた。
片腕だけ酷使するようなことがあっただろうか?と、ここ数日の行動を振り返ってみたが、年末進行と関係各所の忘年会で多忙な日々を過ごしていたために、原因となりそうな出来事は思い出せなかった。そもそも私の職業と腰痛・肩こりは切っても切り離せない関係である。とりあえず市販の湿布薬を貼りつけてその日は過ごし、夜は早めにベッドに入ることにした。
翌朝、目が覚めてみると体調は悪化していた。
頭痛がするので熱を測ってみると38度ある。泣く泣く仕事のパートナーである南條文夏さんにLINEをして、初詣に行けなくなったと伝えた。じつは私も彼女も人生で一回も初詣というものをしたことがなく、ならば一念発起して元日に明治神宮に行こう、と盛り上がっていたのだ。
LINEで、南條さんは「お大事に」とやさしい言葉をかけてくれた。
この時の私は多分風邪をひいたのだろうと高をくくっていて、「連載に影響が出ないように早めに癒すからね」などと返信している。
だが、それから一週間が経過しても関節の痛みはおさまることがなかった。鎮痛剤を服用すれば症状は緩和するのだが、薬の効果が切れれば、元の不調にもどってしまう。さすがにおかしいと思い、近所の整形外科を受診した。
最初の医院ではストレートネックではないかと診断された。
別の医院も受診してみたが、原因は不明だった。
この時の私は、医師に伝えるために症状を箇条書きにしている。
・痛みは左上腕、肩甲骨、背中の一部。
・肩関節に言葉にならない違和感がある。
・腕に力がはいりにくく、キーボードをタイピングできない。
・腕は上げられるけど、途中で痛みがある。
とくに痛みが問題で、夜中に痛みのせいで目が覚めてしまうこともしょっちゅうだった。当時のSNSには「腕の骨に虫歯ができたみたい」と書いている。
一向に改善しない状況に焦りを感じはじめた私は、仕事のスケジュールを調整して、地域でいちばん大きな総合病院を受診することにした。
定番のレントゲン撮影をして、診察室にもどってくる。と、医師の表情が心なしか曇っていた。「骨の一部が石灰化している」と言うのだ。
「なんでしょうね、良性だと思うけど腫瘍の可能性もあるかもしれないです。はっきりさせたほうが良いので今度МRI検査してみましょうか」
その日は検査の予約だけして帰宅。
帰宅するなりネットで腫瘍について調べる調べる調べまくる……。腫瘍ということは癌かもしれないわけで、まさに青天の霹靂だった。部位が腕なだけに、靭帯損傷とか骨のヒビだろうと思い込んでいたのだ。
病気の体験ブログをひたすら読み込んだ。自分の症状と合うところと合わないところを比べて、一喜一憂した。
その後МRI検査を受け、検査の結果がようやく出たのは二月四日。
最初に痛みを自覚してから、はやくも二ヶ月が経とうとしていた。
あの日のことはいまだに覚えている。朝は凍えるほど冷え込んで、外に出ると吐く息が白かったが、午後から太陽が出はじめると、ホッとするような陽気になった。斜めに差し込む陽の光を背に浴びながら、私は総合病院の入口をくぐった。
「軟骨肉腫でした。骨にできる腫瘍です」
診察室で医師は告げた。
モニターにМRI検査の結果が映し出されていた。骨のなかに五センチほどの黒っぽい異物が巣喰っている。やはりそうかという気持ちと、そうであって欲しくなかった気持ちとが正面衝突して、医師の話が耳に入ってこなかった。
だが、腫瘍と判明した以上、考えなければならないことは山ほどあるのだ。
生体検査をどうするかというのが、目下決断を必要とする事項だった。検査は腕を切開して骨を露出させ、骨に穴をあけて腫瘍の細胞を採取する手術になるとのことで、もちろん入院が必要となる。
ただし、生体検査をしても悪性かどうか必ずしも判別がつくとは限らない。
だとすれば、無意味に身体を痛めつけるだけになってしまう……。
どうしましょうか?と医師は訊ねてくるが、どうしても脳みそが働かず、いったん保留にさせてもらって「家に帰ってから考えてみる」と伝えた。
医師も「そのほうがいいですね」と言ってくれた。
病院を出た。
来たときよりも気温が下がっていて、陽の光も頼りなくなっていた。マフラーをきつく巻き直した私は足早に歩きだした。いろんなことを考えた。
仕事の関係各位に連絡しなくてはならなかった。 編集者と作画担当の南條さんに。連載はどうなるだろう。多大な迷惑をかけてしまうに相違ない。他にも連絡しなくてはならない人たちがたくさんいた。友人や知人。それと家族にも。
母や妹に、電話しなければならない。
癌であることを伝えたら、どんなリアクションが返ってくるだろう。私は、家族がかわいそうでしかたなかった。病気になったのは、私の方なのに。
心を空っぽにしたまま歩きつづけた。
ふと気がつくと、石神井川沿いの遊歩道にいた。時刻は一六時頃だったと思う。
石神井川は、練馬区から板橋区にかけてを蛇行しながら横断する川である。
春ともなれば桜の名所になる川沿いの並木道も、二月の今は痩せた枝ぶりを垂らしているだけだった。護岸壁は十メートル以上の高さがあり、覗き込むと冷たいガラスのような石神井川の水面が、冬の陽を反射していた。
私は立ち止まって、しばらく川の流れを眺めた。
虚無の時間が流れ、思考をするのがむずかしくなったフニャフニャの脳みそで「寒いしそろそろ行こう」とぼんやりと思い、何となく空へ視線を向けた。
そして私は「それ」を目撃したのだった。
高度はどのくらいだったのだろう。数十メートルか数百メートルか。
上空にクロム色の球体が──完全な球体ではなく縦にやや潰れたような「何か」が、音もなく浮かんでいた。太陽の光を浴びてきらきらと輝いていたので、「宣伝用の飛行船か?」と思ったのだが、よく目を凝らしてみれば、球体の周りを小さなものがぐるぐると廻っていた。数は4つか5つ。小さな「何か」も球体で、まるで太陽系の惑星運行モデルを見ているようだった。
(……何だろう、あれ)
正体を見極めようと謎の物体を見つめた。
形が似ているものを思い浮かべたが、どれも当てはまらなかった。
滑稽なのだが、これほど異常なものを目撃してもこの時は「UFOだ」などと微塵も思わず、人間の造った機械以外の発想が浮かんでこなかった。
謎の物体の見かけ上の大きさは、小指の爪ほど。私の裸眼視力は両方とも1・0だが、それでも目を細めないと輪郭を把握することさえむずかしい。物体は上昇もしくは遠ざかっているらしく、見つめているうちに雲の中へ入ってしまった。目撃体験は、時間にして一分間に満たなかったと思う。私はぼんやりとその場に立ち尽くし、しばらくして、やらなくてはいけない事を思い出して歩きはじめた。
(何か不思議なものを見た……)
クイズの答えを聞きそびれたような気持ちで私はのろのろと帰宅した。
その後の話をすれば、手術は無事成功し、私はどうにか生き延びた。
人工関節に置き換えられた左肩関節は不自由になったし、月にいちどの診察はまるでロシアンルーレットを試しに行く心境であるが、今のところ癌は再発することなく日々を無事に過ごせている。
南條文夏先生とのタッグで四年連載した作品が終了し、病気の影響で縮小せざるをえなかったために現在進行形の仕事がほぼゼロになると、ふいに私は癌の告知を受けた日に見た不思議な物体の正体が気になってきた。
(もしかしてUFOだったんじゃ……いやきっとUFOだったんだアレは)。
日に日にその想いが強くなり、新連載の企画提出後、ヒマな時間を見つけてはちょくちょくUFOについて調べるうちに、どうせなら文章にまとめてみたくなった。漫画のネタには使えないだろうから、同人誌にして文学フリーマーケットに参加してみようなどと妄想を膨らませ、とうとう本気になった次第である。
それにしても返す返すも悔しいのは、UFOを目撃しておきながら撮影をしなかったことである。なぜあの時の私はぼんやりと眺めているだけだったのか。まあ当時の精神状態を考えれば、とっさにスマホで撮影するなんて無理だったのだが。
(もしかしたら、あの日アレを目撃したのは私以外にもいるかもしれない……)。
そんな一縷の望みをかけて、私はSNSでUFOの目撃情報を募集した。余計なバイアスがかかるのを避けるために、目撃した物体の詳細は伏せておくことにした。
そして〝ゆうちゃむ〟くんこと土井勇斗くんが連絡をくれたのだった。
さて、お気づきかもしれないが、勇斗くんが送ってきてくれた画像「水田のミステリーサークル」と、例の謎の物体は、いくつかの共通点がある。
・球体、もしくは円に準じる形。
・大きな母体と小さな子体。大きい円と小さい円。
・小さいほうの数は、4〜6。
はたしてこれは偶然なのだろうか……?
2
あきる野市での取材を終えて、数日経った晩。
スマートフォンに続けて二本のメッセージが着信した。
一本目は、妹からだった。
『あのさ、わたしの友だちでA子ちゃんっていたのおぼえてる? その子が今年の四月に山で不思議な体験したんだって。UFOのこと調べてるんでしょ。こんど話聞いてみたら』
妹は、私がどんなペンネームで活動しているか知っていて、SNSもチェックしている。それでこんなメッセージを送ってきたらしい。
私は『感染者の推移を見て、そのうち帰る』と返信した。延期した東京オリンピックの開催が間近に迫っている現在、県を跨ぐ移動は自粛が呼びかけられている。東京の感染者数は横ばい傾向だが、様子見したほうがいいと判断した。
二本目のメッセージは、私が漫画家から原作者に転向したときに、最初に担当についてくれた某編集者からだった。彼もSNSを見たらしく『UFOについて知りたいんだったら詳しい人を紹介してあげようか?』と申し出てくれた。
私はすぐさま『お願いします』と返信し、何度かやりとりを経て、皆川雄一という人物を紹介してもらえることになった。
皆川雄一氏は一九八六年生まれ。大学を卒業後大手出版社に就職するも、仲間と疑似科学をウォッチする会を結成して作家業をスタート。
現在はAPAS(Anti−Pseudoscience Activities Society)の代表を務め、超常現象の真相を究明する本をいくつも出版している。
私にとって願ってもないチャンスだった。素人がネットや書物で調べているだけでは限界がある。有識者の知見に頼らせてもらえるならそれが最良だ。
皆川さんとお話する機会を得たのは、それから一週間後だった。
「こんばんは。はじめまして、皆川です」
面会はオンライン上で行われた。ノートパソコンで立ち上げたウェブ会議のウィンドウに相手の顔と部屋が映っていた。皆川さんはどうやら仕事場ではなく自宅からネットに繋いでいるらしく、室内に趣味的な物が飾ってあるのが見えた。
自己紹介のあと、彼は相好を崩して、
「UFOの話がしたいと伺って、うれしくなっちゃいまして。倉庫からこんなものを引っ張り出してきてしまいました」
と机の上に宇宙人のフィギュアをつぎつぎに置いてみせた。
塩化ビニールやプラスチック製だろうか。オモチャには詳しくないが日本製には見えず、海外のそれもかなりアンティークなフィギュアのようだ。保存状態も良いしブリスターパックもついていたら結構良い値段がするのではないだろうか。
「こういうモノは卒業しろと家族に怒られて泣く泣く大部分を捨てたんですが、全部を捨てるのは忍びなくてですねぇ。内緒でこっそりアレしてホイしてたんですが、やっぱり良いですね、こういうオモチャは」
皆川さんはうれしそうに言った。
「どことなく可愛いですね、その宇宙人。昔の特撮の怪獣みたいで」と私が言うと、
「そうなんですよ。見てください、こいつの造形なんか秀逸ですよねぇ」
と言いながら皆川さんはスカートをはいた宇宙人のフィギュアを持ち上げた。商品紹介系のユーチューバーがやるように背後に手のひらを添える。
フラットウッズ・モンスター。
一九五二年に米国ウェストヴァージニア州フラットウッズで目撃された全長三メートルの宇宙人だ。頭部にスペード型の板をはりつけたような面白い姿をしているので、創作の題材にされやすく、私も以前から知っていた。
「今アメリカのオークションサイトでは、このフィギュアが一〇〇ドル前後で取引されているんですよ。いやぁもったいないことをしましたよ」
もっと他にも色々持っていたのに……、と彼は悔しがる。
「皆川さんはUFOに懐疑的な立場だと聞いたんですが、それにしては宇宙人とかUFOのオモチャはお好きなんですね?」
「ええまぁ……これとそれは別なので」
「今回は、その懐疑的立場から、いろいろお話を伺いたいと思っているんです。皆川さんは、ズバリUFOの正体は何だと思います?」
取材に臨むにあたって、私はいつも質問リストを作成している。
今回、皆川氏に聞いてみたいのは、ダントツでこの質問であった。
UFOとは何なのか? どうして私たちは空に謎の飛行物体を見てしまうのか?
目撃例の大多数は、おそらく誤認や虚偽なのだろう。だが、その中には最後まで正体不明なケースがあるわけで、実際に私も体験したし、あきる野で会った三人も嘘をついていたとは思えない。であれば、アレは何なのか。懐疑派の立場から合理的な解釈を聞きたかった。
私の質問を受けて、皆川さんはしばらく思案していた様子だったが、
「うーん。いきなり直球できましたね。弱ったな」
と頭をかいてみせて、
「何なのか?と聞かれると、わかりませんと答えるしかないです。正体がわからないけど、何かが空を飛んでいたんでしょうね、というのがUFOなので」
「失礼しました。質問の仕方が悪かったですね」と私は言った。「あくまで皆川さん個人の意見で、という意味です。UFOの正体を究明しろ、ということではなく、皆川さんはどんな考えをお持ちなのか、それを知りたいんです」
ふむ、と皆川さんは首をかしげた。そして、
「なるほど。僕個人の意見というエクスキューズさせてもらえるんやったら、もしかしてこういうことちゃうかなぁ?というのはあります。まあ大した話じゃないかもしれませんが、順番に話していきましょうか」
皆川さんは笑いながら「そうだ」と言って、宇宙人のフィギュアを手に取って、「せっかくここに面白いものがあるんやし、最初に阿刀川さんにクイズ出しておきましょうか」
「クイズ、ですか?」
「ええ。ここにあるフィギュアは、過去に目撃された宇宙人たちです。いろんな格好してますよねぇ。金髪の女性だったり、ロボットだったり」
皆川さんはフィギュアをひとつずつ指さしていく。
たしかにその外見は多種多様だ。
宇宙服を着ている個体や、全身毛むくじゃらのゴリラのような個体。真っ赤なミシュランマンみたいな個体。半透明のクラゲのような個体や、二足歩行の巨大な蛾のような個体。どれも宇宙人というより、モンスター映画の怪物のように見える。
「こいつらは五〇年代から七〇年代にかけて実際に目撃されました。ところがですよ、ある時期を境に、目撃例はほぼ一種類に収束してしまうんです」
と言って、彼はフィギュアのひとつを持ち上げた。
それは馴染みのある姿形をしていた。大きな頭部。アーモンド型の巨大な瞳。手足は華奢で、身長は低い。体色がくすんだ灰色であることから、リトル・グレイと呼ばれる種類の宇宙人だ。
「阿刀川さんも宇宙人といったらこいつを連想するんじゃないですか?」
「まあ、そうですね……」
「かつてはあれだけバリエーション豊かな宇宙人が目撃されていたのに、ある時期からグレイ・タイプに目撃例は限定されるようになった。でも、考えたらおかしな話ですよね。他の宇宙人はどこへ消えてしまったのか? なぜグレイ・タイプばかり目撃されるのか?」
「なるほど。それがクイズなんですね?」
「そういうことです。僕がこれから話す内容と関係してきますので、しょうもない話ですけど、聞きながら考えてもらえたらな、と思って」
皆川さんはフフフと不敵に頬を歪めた。
3
宇宙人のフィギュアはお役御免ということで、机の上から片付けられた。
だが、皆川さんはそのかわりにUFOのプラモデルを持ってきたので、賑やかさは相変わらずだった。
私はなんだかユーチューバーの動画を視聴している気分になっていた。
「では始めるんですけど、UFOとは何か?という話の前に、一体いつ頃からUFOが目撃されるようになったのか?について話していきますね。阿刀川さんは、ケネス・アーノルド事件ってご存知ですか?」
と皆川さんは問う。
「ええ。これでも一応勉強してきましたから」と私はうなずいた。
ケネス・アーノルド事件。
それはおそらくUFO遭遇の歴史上もっとも有名な例のひとつ だろう。
とはいっても、関心がなければ内容を耳にする機会もないと思うので、ここで簡単に紹介させていただく。
事件が起きたのは、一九四七年六月二十四日のことだ。
アメリカの実業家ケネス・アーノルドは、自家用機でワシントン州レイニア山付近を飛行していた。午後二時五十九分頃、レイニア山付近の上空で、彼は奇妙なものを目撃する。九個の物体が一列に並んで、北から南へ時速1700マイルという驚異的な速度で飛んでいたのだ。謎の物体の推定される大きさは15から20メートルで、既存のどの航空機とも似ていなかった。
マスコミは、アーノルドが見た物を「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」と名付けて大々的に報道した。その後同様の目撃談が相次いで報告されたため、米国はUFOを調査する機関、いわゆる〈プロジェクト・サイン〉を発足させる事態にまで発展した。
以来、六月二十四日は世界的にUFOの日とされている。
「私、イリヤの空、UFOの夏大好きでした」
「ライトノベルですよねぇ、僕は読んだことないのですが。アーノルドの事件はアメリカで最初のUFO目撃例と思われていることが多いんですよ。印象が強烈なのでそうなってしまったんでしょうけど、実際にはもっともっと古い事例があるんです。記録によれば、一八九六年の出来事ですから、なんと一九世紀ですね。この年から翌年にかけて、アメリカ全土で〈謎の空中の乗り物〉の目撃が多発しました。乗組員と会話した体験談もあったようです」
「一九世紀、ですか……」
「当時の典型的な目撃報告例をプラモデル化した商品がありまして、それがコイツなんですが……」
そう言って、皆川さんはモニターに模型を映してみせた。
私は思わず「えっ?」と眉をひそめてしまった。
「それ、UFOですか?」と訊ねると、「ええ、UFOなんです」と皆川さんはイタズラが成功したように愉しそうに笑う。
だが、それはどう見てもただの飛行船にしか見えなかった。
スタジオジブリ制作のアニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場した巨大飛行船ゴリアテに似ているといえば似ている。
「全米で千件以上のUFO目撃報告がありましたが、僕らに馴染みのある円盤型の報告はただの一件もないんですよ。この飛行船タイプのみで」
「本物の飛行船のフライトだったんじゃ?」
「いえ。その可能性は否定されています。たしかに当時ヨーロッパでは飛行船のテストが開始されていましたが、アメリカは技術的に遅れていたんです。業界トップを走っていたのはドイツで、一九〇〇年七月にツェッペリンLZ1号の試験飛行に成功します。初のアメリカ製飛行船が空を飛んだのは、一九〇四年になってからです」
「乗組員と会話したってことは、着陸してきたってことですか?」
「そういうパターンもあったみたいです」
と皆川さんは付箋がたくさん挟まっている本を拾い上げた。
ページをめくって、
「これはカリフォルニア州サクラメントの事例です。ソースは地元の新聞記事。……あっ、ちなみに一九世紀のアメリカって新聞社がめちゃくちゃ多くてですね、過当競争のせいで、クオリティペーパーすらヨタ話を平気で載せていたので、そういう時代背景を頭の隅にでも置いておいてください」
「了解しました」
「ということで、当時の新聞記事の要約です」
と言って、皆川さんはページを読み上げてくれた。
・一八九六年十一月一八日の夕方。カリフォルニア州サクラメントに強烈な光を放つ飛行船があらわれた。それは教会の塔(醸造所の塔という説もある)にぶつかりそうになり、飛行船の乗組員が「上昇しろ!」と叫んでいるのが聞こえた。飛行船は謎の力で推進しており、かろうじて建物にぶつかるのを回避した。驚きながら人々が空を見上げていると、「さて明日の正午までにサンフランシスコにいかなくては」と話し合う声が聞こえてきた。言語は英語だったという。
このサクラメントでの目撃を端緒として、米国中西部から西部一帯にかけて、物体は相次いで出没するようになる。カンザス州、ネブラスカ州、アーカンソー州、イリノイ州と縦横無尽だ。飛行船は「ゴースト・エアシップ」とか「ミステリー・エアシップ」「ファントム・シップ」などと呼ばれて新聞の紙面を賑わせた。その正体については、火星人の乗り物ではないかという説、どこかの富豪がひそかに開発した飛行船ではないか説、空を飛ぶ幽霊船説とさまざまだった。
・カリフォルニア州ストックトンでは、ショー大佐なる人物が、長さ45メートルの飛行機械とそれから降りてきた三人の搭乗員と遭遇する。三人は見た目こそ人間だったが、ショー大佐は「火星人ではないか」と思った。言葉は通じず、やたら体重が軽かった。ショー大佐は飛行機械内部に拉致されそうになったが、必死で抵抗すると、三人はあきらめてどこかへ飛び去ってしまった。
・アイオワ州スーシティ。ロバート・ヒバードという農夫が、空飛ぶ飛行船から垂れ下がったイカリにズボンをひっかけてしまい、十メートルほど地面を引きずられた。そのまま連れ去られそうになったが、ズボンが破れたために窮地を脱した。
・カンザス州エベレスト。夜、上空に飛行船が出現。強烈なサーチライトを装備しており、それをあちこちに動かしていた。形はゴンドラ型で長さ7・5メートルから九メートル。側面から四枚の翼が突き出ていて、船上部には気嚢もあった。
「こうして目撃例を聞いてみると、形がばらばらだったり、翼が生えてたりで、本物の飛行船と程遠いですね」と私は言った。
「飛行船というのは一九世紀当時の最先鋭技術で、うわさで聞いたことはあっても実物を見たことがある人間はほとんどいなかったはずです」
つぎは興味深い事例ですよ、と皆川さんは続けた。
「一八九七年四月一九日。テキサス州に住むJ・B・リンゴーンは隣人の牧場に飛行船が着陸しているのを発見しました。飛行船の近くには四人の男が立っており、そのうちのひとりが『これは新型の飛行船だ』と説明しました。四人の男はこれからアイオワに戻らなくてはならず、その前にバケツに二杯分の水を恵んでほしいとリンゴーンに要求したそうです」
「えっ?」
一瞬、私の呼吸は止まったと思う。
水を要求……。
どこかで聞いた話だった。
「水がほしい、と言われたんですか?」
「ええ、そうみたいですね。飛行船の乗組員との接触例は多数報告されているんですが、興味深いことに水を要求してくるパターンが結構あるんですよ」
他にも目撃談を読み上げてくれた。
四月二〇日。テキサス州ユベルディの保安官の自宅ちかくに、リンゴーンが目撃したものと同じものらしい飛行船が降りてきた。乗組員は保安官にやはり水を要求し、われわれの存在は極秘にしてほしいと言い残して、空に去っていった。
四月二十二日。飛行船は今度はテキサス州ジョーサーランドに出現する。農夫フランク・ニコルズのトウモロコシ畑に着陸すると、井戸水をわけてほしいと要求。
五月六日、アーカンソー州フォートスミスで、パトロール中の警官が飛行船の乗組員と遭遇。乗組員たちは、ここでもやはり水を汲んでいた……。
何なのだろうかこれは……。私はちょっとだけ怖くなっていた。なぜ飛行船の乗組員は、判を押したように揃いも揃って「水」を要求するのだろうか。
一〇〇年以上の時をこえて、二一世紀の日本のあきる野で目撃された〝緑色のジャージのオジサン〟も、小学生三人に「水もってる?」と訊ねてきた。
偶然の一致? それとも……?
「……で。謎の飛行船の正体は判明しているんですか?」と私は言う。
「それがわからないんですよ。千件以上の証言があるし、乗組員と会話した事例もあるというのに、正体は不明なままです。目撃ブームは一八九七年にいったん落ち着きますが、一九〇八年と一九一二年に同じ騒動が起き、今度はヨーロッパでも目撃が多発するようになります。まるでインフルエンザの流行ですねぇ」
想像してしまった。
アメリカの上空を、飛行船のかたちをした「ナニカ」が州を跨いで飛んでいく。
それは時折人間の姿になって地上に降りてくると、水がほしい、と言う。
目撃報告にパターンがあるのは、神話の原型のようだ。時代や文化が異なるのに、なぜか似たような神話が発生することがあるのだ。ということはそれは物質をもたない観念的存在なのだろうか。人間の心から生まれたものなのだろうか。
そしてその「ナニカ」は海を越えて広まっていく。まるで病原菌のパンデミックのように人間の住む場所から場所へ。
「……飛行船騒動は、ある時期を境にピタリとなくなります。まるで幻のように。そして、かわりに別のものが目撃されるようになります。──阿刀川さん、何だかわかりますか?」
皆川さんに質問されて、私は妄想を中断した。
ある時期にピタリと報告がなくなり、別のものが目撃されるようになった……。
その〝別のもの〟も、空を飛ぶのだろうか?
「もしかして……飛行機?」
「そうです。正解です」皆川さんはうなずいた。「飛行船の時代は短命で、かわって飛行機の時代がやってきたんです」
ライト兄弟が有人飛行に成功したのが、一九〇三年。
飛行機産業はそれから驚異的な発展を続け、最初期は200メートル飛ぶのがやっとだったのだが、後続距離はどんどん伸びていった。ライト兄弟の初フライトからわずか二十四年後の一九二七年には、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク・パリ間の無着陸飛行に成功している。
まさに日進月歩。理解が追いつかないほどの進化の速さだ。
「そして、各国のパイロットたちは、謎の飛行機を目撃するようになります」と皆川さんは言った。「当時は複葉機が主流でしたが、目撃される謎の飛行機は単葉機で、ありえない速さで飛行するので、追跡が不可能なほどでした。一九三九年に第二次世界大戦が勃発すると、パイロットたちは幽霊戦闘機──いわゆるフー・ファイターに翻弄されることになります。ちなみにフーの由来は英語のWHOではなく、フランス語のfeaです。意味は、火。パイロットたちが目撃したのは、明るい火の玉だったんです」
「それは現代のUFO目撃談に通じるものがありますね。要するに皆川さんは、UFOは時代とともに変化している、と言いたいわけですね?」
「まさしく」
皆川さんは、穏健そうな表情から一転してニヤリとした。
話をまとめてみると、飛行船、単葉機、火の玉、という順に目撃報告のトレンドがあるようだ。そして目撃されるのは、その時代の新しい技術である場合が多い。
時が進み、一九四七年。ケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤」を目撃すると、世界各地で似たようなものが目撃されるようになる。令和に生きる私たちも、UFOといえば円盤型を連想する。飛行船型UFOや単葉機型UFOなど聞いたことがない。一度廃れると、流行は復活しないということだろうか。
「そうそう。ケネス・アーノルドが見たUFOは『空飛ぶ円盤』ということになっていますが、本当はまったく別の形だったというのはご存知でしたか?」
「えっ。そうなんですか?」おどろいて、私は言った。
「ええ。彼が見た本当のUFOの模型もありますよ。どこに置いたかな。ここにホイしておいたんだが」
皆川さんは椅子から下りたのか、ウェブ会議の画面から消えた。
しばらくして戻ってくる。
手には銀色のUFOの模型が握られていた。「これです、変なカタチでしょう?」と画面の中心に映るように見せてくれる。
たしかに言葉で描写しにくい形状だった。熱帯魚のエンゼルフィッシュを銀色に塗ったような、とでもいったらいいか。
「ぜんぜん違うじゃないですか。これがなぜ『空飛ぶ円盤』になったんですか?」
「それはですね、アーノルドは、形じゃなくて動きの説明をしたんです。目撃したUFOは、まるで瞬間移動のようなスキップ移動をした。それを『皿を水切りの要領で投げたみたいな』と表現したのですが、記者が『皿が空を飛んでいた』と誤解してしまったんですね。ですが、アメリカ人たちは『空を飛ぶ皿』のイメージをよほど気に入ったんでしょう。僕が思うに、もし当時の新聞記者がアーノルドの見た物体を正確に報道していたら、彼の目撃談はこれほど人気に火がついてなかったんじゃないでしょうか?」
そう言って、皆川さんは銀色のエンゼルフィッシュを画面の中で揺らした。
それを机に置くと、別の模型に手を伸ばす。「これはアダムスキー型と呼ばれるUFOです」と言って、先ほどと同じように空を飛んでいるように揺らしてみせる。
その模型は、もっともUFOらしい形をしていた。
いや、あえていおう。……進化していた。
「アーノルドが報告した『空飛ぶ円盤』はUFOの基本形を定義しました。そして時代は一九五〇年代。ジョージ・アダムスキーが遭遇したこの円盤によって、そのデザインはひとつの完成形に到達します」
模型はサファリハットのような形状をしている。
特徴的なのは円盤の裏で、ピンポン玉を半分にしたような半球が三個ついている。
ほとんどの人がUFOといったらこの形を思い浮かべるのではないだろうか。
「アダムスキーは宇宙人とも接触しています。ちなみにその宇宙人、どこの星から来たと思いますか?」
「……宇宙人が、ですか? うーん、別の銀河系とか?」
「いえ。もっと近くて、太陽系の惑星からです。わかりませんか? じゃあ正解を言っちゃいますけど、じつは金星なんですよ。だれもがUFOと言ったら思い浮かべるであろうこのUFOは、金星から来た宇宙船なんです」
一気にうさんくさくなってきた。
金星は地球のとなりにある惑星で、よその銀河系に比べれば気軽にやって来れる距離ではあるが、生き物が住める環境ではないはずだ。
「一九五〇年代は人類が月に到達していない時代ですから、みんな信じたんでしょうね。アダムスキーが発信する主張はその後ころころ変わって、彼が会ったのは金星人だったり火星人だったり土星人だったりしました。撮影された証拠写真もトリックであることがわかっています。アダムスキー型のデザインも実は元ネタがあるのですが、話が長くなるので今回は割愛しましょう。重要なのは、彼をインチキだと糾弾することではなく、彼のUFOが与えた影響をどう見るかです」
皆川さんは言う。
アダムスキー以降、UFOといえばこの形になった。
つまり、全世界的にバズった。
そして世界中でアダムスキー型UFOが目撃されるようになった……。
「いやでも待ってください」と私は口を挟んだ。「そもそも円盤型というのが、新聞記者が誤解した形状で、アダムスキーの円盤はその亜流ですよね? だとしたら、私たちがUFOだと思っていたものって何なんですか?」
そうなのだ。
そもそも最初の円盤型というのが、伝言ゲームのミスのようなもので、本来目撃された形状と全然違っていた。
なのに、私たちはUFOは円盤型だと思っているし、世界中で目撃報告がある。
これでは私たちはバカみたいではないか。
「ミームだからです。あくまで僕が思うに」と皆川さんは答えた。「アダムスキー型UFOはポップかつユーモラスで、素晴らしいデザインだと思います。初期に報告されたUFOは、葉巻だったり、卵だったり、円筒だったり、色々な形があったんですが、今ではマイナーです。みんなの心を掴んだUFOが勝ち残ったんです」
「勝ち残った……」
そこでふと、私は最初に出されたクイズのことを思い出した。
UFOがバズることがあるならば、同じことが宇宙人にも言えそうだ。
初期は多種多様な宇宙人が目撃されていたのに、ある時からリトル・グレイに限定されるようになった。その理由は、つまり、リトル・グレイのデザインが勝ち残ったから……。
「UFOとは、ミームである。というのが僕個人の考えです」
ミーム。
それは、進化生物学者のリチャード・ドーキンスが提唱した概念で、意味としては文化的遺伝子となる。あくまで概念であり、実体があるわけではない。人間の脳から脳へ伝達される情報がまるで遺伝子を持つように振る舞う、ということだ。
私たちに身近なのは、ネットミームだろう。
ネット上で、とある画像や動画が流行する。SNSを通して拡散されるうちに改変や追加がおこなわれていく。何年か経つうちに元ネタと似ても似つかぬ姿になることもあるだろう。生物が進化するように、ミームも形を変えていく。
「でもミームというのは人間の脳内にあるものですよね? つまりUFOとは、私たちの頭の中にしかない、ということでしょうか?」
「半分は正解だと思いますねぇ。ただし映像に残されたり一度に多数の人間に目撃されたりすることを考えると、UFOを妄想と片付けてしまうのも早計でしょう」
どういうことなのだろうか。
私は混乱した。いっそ思い込みと断言されたほうがスッキリしたのだが。
「誤解してほしくないのですが、UFOの存在を否定しているわけではないのです」
と皆川さんは言った。
「過去に目撃されてきたUFOや搭乗員である宇宙人は、おそらく僕らの脳内にある存在なのでしょう。ですが、そうなると、なぜ僕らの脳はそんなものを見てしまうのか?という疑問が生まれます。どうして人間は、ヘンなものを見てしまうのでしょうか、それも空に」
4
五月が過ぎ、六月になった。
私はふたたび本業が忙しくなっていた。
かねてより提出していた企画が会議を通り、ウェブコミック配信サイトで連載が決定したのだ。作画担当は引き続き、南條文夏さん。内容は、宝塚歌劇団をモチーフにした架空の少女歌劇団で三人の少女が成り上がりを目指す、というビルドゥングスロマンで、雰囲気をつかむために、南條さんと二人で宝塚のビデオを観たり、地下アイドルのライブに行ったりした。
生活が充実し、私はUFOに対するモチベーションを失いつつあった。
皆川雄一氏の話がショックだったというのもあるかもしれない。
二〇二一年七月二十三日。この日、新型コロナウィルスの影響で一年延期していた東京オリンピックがいよいよ始まる。昼、東京都庁に聖火が到着すると、航空自衛隊のブルーインパルス編隊が飛来し、東京上空に五輪の輪をえがいた。
夜八時になると国立競技場からオリンピック開会式がライブ中継された。
選手入場をテレビモニターに映しつつ、パソコンでは友人たちと作業通話をしつつ、という欲張りな環境で、私はこまごまとした仕事を片付けていた。
SNSを覗いてみるとタイムラインはお祭り状態で、だれもが鬱屈を吹き飛ばそうとしているかのようだった。
私にとってもこの一年間は本当に大変で、オリンピックというお祭りによって厄を遠ざけてほしい気持ちになっていたと思う。
UFOの取材ノートや集めた資料は……いつか漫画のネタにできるかもしれないから、一応保管しておこう。書こうと思っていた本はひとまずペンディングにしよう。そんなふうに思っていた。
一本のメッセージが、私のスマートフォンに届くまでは。
注 釈
(1)フラットウッズモンスター
目撃者の証言は以下のようなものだ。
・頭部にトランプのスペードのような形状のフードがついていた。
・体は暗緑色。かぎ爪を前方に突き出していた。
・身長は3メートルから3・6メートル。
・目から光を放っており、空中を浮きながら近づいてきた。
アメリカ空軍は当時現地に赴いて調査をした。その結果によれば、モンスターの正体は、森に棲むメンフクロウである可能性が高いという。身長3メートルに見えたのは樹木の枝にとまっていたから。かぎ爪を突き出して近寄ってきたように見えたのは、メンフクロウが枝から飛び立って目撃者に向かって滑空してきたからである。
(2)リトル・グレイ
有名な宇宙人の姿に元ネタはあるのだろうか? リトル・グレイのイメージの源となったのは、1961年のヒル夫妻誘拐事件であるとされている。ヒル夫妻は拉致されて円盤の中へ連れ込まれ、宇宙人に生体実験をされたと主張したのだが、この時の宇宙人がいわゆるリトル・グレイの姿をしていた。だが、夫妻が事件の記憶を〝思い出した〟のは、事件から2年半後の1964年2月22日であり、その12日前に米国で放映されたSF番組「アウター・リミッツ」に登場したエイリアンが、彼らの証言する宇宙人とそっくりだった。ヒル夫妻が事件の記憶をよびさましたのは精神科医による逆行催眠によってであり、実際にあった出来事であるか疑わしい。その後、映画「未知との遭遇」が宇宙人のデザインにグレイ・タイプを採用し、世界的にイメージが広まった。
(3)もっとも有名な例のひとつ
UFOを語る上で外せない事件は二つある。ひとつはケネス・アーノルド事件であり、もうひとつはロズウェル事件である。
1947年7月8日、米国ニューメキシコ州にあるロズウェル陸軍飛行場は「第509爆撃航空群の職員がロズウェル近郊の牧場から潰れた〈空飛ぶ円盤〉を回収した」と報じた。が、その数時間後に「回収されたのは気象観測用の気球であった」とプレスリリースを訂正した。過去から現在にいたるまで、ロズウェル事件に関してはさまざまな説や陰謀論が唱えられ、とてもひと言では語ることができない。詳細を語るのは大量に出版されている関連書籍に譲るとして、ケネス・アーノルド事件(同年6月24日)のわずか2週間後の出来事であることは注目しておきたい。
(4)ケネス・アーノルドが見たUFO
彼が見たUFOは時間が経つにつれて変化していく。最初の証言ではエンゼルフィッシュのような形状だったのだが、翌年には世間に迎合したかのように円盤型を主張するようになり、後年にはブーメラン型になった。UFOまでの距離と大きさにも矛盾があり(30から40キロ先にある15メートルの物体は肉眼では見えない)、彼の主張は信憑性が低いと言わざるをえない。おそらくアーノルドは何かを見たのだろう。しかしそれが実際にはどんなものだったかは永遠の謎になってしまった。
(5)人類が月に到達していない時代
イギリスの作家H・G・ウェルズが「宇宙戦争」を上梓すると、宇宙人=火星人のイメージが定着した。1950年代から60年代にかけて目撃された宇宙人は、ほとんどが太陽系内の惑星(火星・金星・土星)からの来訪者だったといっていい。だが1969年にアメリカが初の月面着陸を成功させ、太陽系内の惑星に探査機を送り込むようになると、どうやら地球以外の惑星に生命は存在しないらしいことがわかってきた。すると目撃される宇宙人も太陽系外の惑星、たとえばプレアデス星団やレチクル座のゼータ星、ウンモ星、琴座のヴェガ星などからやって来たと主張するようになった。
1
さて。そろそろこのあたりで、私・阿刀川恵が実際に目撃したUFOについて書かなければならないと思う。
だがそのためには私の病気に触れておかなくてはならない。目撃時の状況や精神状態は無関係ではないと思うし、私だけ個人的なことを開陳しないのは、他のUFO目撃者に対してアンフェアだと思うからだ。
ただし病気の話など興味ない方もいるだろうし、もしかしたら読んでいて不快にさせてしまうかもしれない。その場合はどうか読み飛ばしてほしいと思う。
病気に関して、いつから症状があったのかわからないのだが、最初に痛みを自覚したのは、二〇一九年一二月三十一日の大晦日だった。
一年間のどん詰まりの日、私は左上腕から肩関節にかけての鈍痛になやんでいた。腕を動かすとピキリと痛く、痛みの種類はあえていうなら筋肉痛に似ていた。
片腕だけ酷使するようなことがあっただろうか?と、ここ数日の行動を振り返ってみたが、年末進行と関係各所の忘年会で多忙な日々を過ごしていたために、原因となりそうな出来事は思い出せなかった。そもそも私の職業と腰痛・肩こりは切っても切り離せない関係である。とりあえず市販の湿布薬を貼りつけてその日は過ごし、夜は早めにベッドに入ることにした。
翌朝、目が覚めてみると体調は悪化していた。
頭痛がするので熱を測ってみると38度ある。泣く泣く仕事のパートナーである南條文夏さんにLINEをして、初詣に行けなくなったと伝えた。じつは私も彼女も人生で一回も初詣というものをしたことがなく、ならば一念発起して元日に明治神宮に行こう、と盛り上がっていたのだ。
LINEで、南條さんは「お大事に」とやさしい言葉をかけてくれた。
この時の私は多分風邪をひいたのだろうと高をくくっていて、「連載に影響が出ないように早めに癒すからね」などと返信している。
だが、それから一週間が経過しても関節の痛みはおさまることがなかった。鎮痛剤を服用すれば症状は緩和するのだが、薬の効果が切れれば、元の不調にもどってしまう。さすがにおかしいと思い、近所の整形外科を受診した。
最初の医院ではストレートネックではないかと診断された。
別の医院も受診してみたが、原因は不明だった。
この時の私は、医師に伝えるために症状を箇条書きにしている。
・痛みは左上腕、肩甲骨、背中の一部。
・肩関節に言葉にならない違和感がある。
・腕に力がはいりにくく、キーボードをタイピングできない。
・腕は上げられるけど、途中で痛みがある。
とくに痛みが問題で、夜中に痛みのせいで目が覚めてしまうこともしょっちゅうだった。当時のSNSには「腕の骨に虫歯ができたみたい」と書いている。
一向に改善しない状況に焦りを感じはじめた私は、仕事のスケジュールを調整して、地域でいちばん大きな総合病院を受診することにした。
定番のレントゲン撮影をして、診察室にもどってくる。と、医師の表情が心なしか曇っていた。「骨の一部が石灰化している」と言うのだ。
「なんでしょうね、良性だと思うけど腫瘍の可能性もあるかもしれないです。はっきりさせたほうが良いので今度МRI検査してみましょうか」
その日は検査の予約だけして帰宅。
帰宅するなりネットで腫瘍について調べる調べる調べまくる……。腫瘍ということは癌かもしれないわけで、まさに青天の霹靂だった。部位が腕なだけに、靭帯損傷とか骨のヒビだろうと思い込んでいたのだ。
病気の体験ブログをひたすら読み込んだ。自分の症状と合うところと合わないところを比べて、一喜一憂した。
その後МRI検査を受け、検査の結果がようやく出たのは二月四日。
最初に痛みを自覚してから、はやくも二ヶ月が経とうとしていた。
あの日のことはいまだに覚えている。朝は凍えるほど冷え込んで、外に出ると吐く息が白かったが、午後から太陽が出はじめると、ホッとするような陽気になった。斜めに差し込む陽の光を背に浴びながら、私は総合病院の入口をくぐった。
「軟骨肉腫でした。骨にできる腫瘍です」
診察室で医師は告げた。
モニターにМRI検査の結果が映し出されていた。骨のなかに五センチほどの黒っぽい異物が巣喰っている。やはりそうかという気持ちと、そうであって欲しくなかった気持ちとが正面衝突して、医師の話が耳に入ってこなかった。
だが、腫瘍と判明した以上、考えなければならないことは山ほどあるのだ。
生体検査をどうするかというのが、目下決断を必要とする事項だった。検査は腕を切開して骨を露出させ、骨に穴をあけて腫瘍の細胞を採取する手術になるとのことで、もちろん入院が必要となる。
ただし、生体検査をしても悪性かどうか必ずしも判別がつくとは限らない。
だとすれば、無意味に身体を痛めつけるだけになってしまう……。
どうしましょうか?と医師は訊ねてくるが、どうしても脳みそが働かず、いったん保留にさせてもらって「家に帰ってから考えてみる」と伝えた。
医師も「そのほうがいいですね」と言ってくれた。
病院を出た。
来たときよりも気温が下がっていて、陽の光も頼りなくなっていた。マフラーをきつく巻き直した私は足早に歩きだした。いろんなことを考えた。
仕事の関係各位に連絡しなくてはならなかった。 編集者と作画担当の南條さんに。連載はどうなるだろう。多大な迷惑をかけてしまうに相違ない。他にも連絡しなくてはならない人たちがたくさんいた。友人や知人。それと家族にも。
母や妹に、電話しなければならない。
癌であることを伝えたら、どんなリアクションが返ってくるだろう。私は、家族がかわいそうでしかたなかった。病気になったのは、私の方なのに。
心を空っぽにしたまま歩きつづけた。
ふと気がつくと、石神井川沿いの遊歩道にいた。時刻は一六時頃だったと思う。
石神井川は、練馬区から板橋区にかけてを蛇行しながら横断する川である。
春ともなれば桜の名所になる川沿いの並木道も、二月の今は痩せた枝ぶりを垂らしているだけだった。護岸壁は十メートル以上の高さがあり、覗き込むと冷たいガラスのような石神井川の水面が、冬の陽を反射していた。
私は立ち止まって、しばらく川の流れを眺めた。
虚無の時間が流れ、思考をするのがむずかしくなったフニャフニャの脳みそで「寒いしそろそろ行こう」とぼんやりと思い、何となく空へ視線を向けた。
そして私は「それ」を目撃したのだった。
高度はどのくらいだったのだろう。数十メートルか数百メートルか。
上空にクロム色の球体が──完全な球体ではなく縦にやや潰れたような「何か」が、音もなく浮かんでいた。太陽の光を浴びてきらきらと輝いていたので、「宣伝用の飛行船か?」と思ったのだが、よく目を凝らしてみれば、球体の周りを小さなものがぐるぐると廻っていた。数は4つか5つ。小さな「何か」も球体で、まるで太陽系の惑星運行モデルを見ているようだった。
(……何だろう、あれ)
正体を見極めようと謎の物体を見つめた。
形が似ているものを思い浮かべたが、どれも当てはまらなかった。
滑稽なのだが、これほど異常なものを目撃してもこの時は「UFOだ」などと微塵も思わず、人間の造った機械以外の発想が浮かんでこなかった。
謎の物体の見かけ上の大きさは、小指の爪ほど。私の裸眼視力は両方とも1・0だが、それでも目を細めないと輪郭を把握することさえむずかしい。物体は上昇もしくは遠ざかっているらしく、見つめているうちに雲の中へ入ってしまった。目撃体験は、時間にして一分間に満たなかったと思う。私はぼんやりとその場に立ち尽くし、しばらくして、やらなくてはいけない事を思い出して歩きはじめた。
(何か不思議なものを見た……)
クイズの答えを聞きそびれたような気持ちで私はのろのろと帰宅した。
その後の話をすれば、手術は無事成功し、私はどうにか生き延びた。
人工関節に置き換えられた左肩関節は不自由になったし、月にいちどの診察はまるでロシアンルーレットを試しに行く心境であるが、今のところ癌は再発することなく日々を無事に過ごせている。
南條文夏先生とのタッグで四年連載した作品が終了し、病気の影響で縮小せざるをえなかったために現在進行形の仕事がほぼゼロになると、ふいに私は癌の告知を受けた日に見た不思議な物体の正体が気になってきた。
(もしかしてUFOだったんじゃ……いやきっとUFOだったんだアレは)。
日に日にその想いが強くなり、新連載の企画提出後、ヒマな時間を見つけてはちょくちょくUFOについて調べるうちに、どうせなら文章にまとめてみたくなった。漫画のネタには使えないだろうから、同人誌にして文学フリーマーケットに参加してみようなどと妄想を膨らませ、とうとう本気になった次第である。
それにしても返す返すも悔しいのは、UFOを目撃しておきながら撮影をしなかったことである。なぜあの時の私はぼんやりと眺めているだけだったのか。まあ当時の精神状態を考えれば、とっさにスマホで撮影するなんて無理だったのだが。
(もしかしたら、あの日アレを目撃したのは私以外にもいるかもしれない……)。
そんな一縷の望みをかけて、私はSNSでUFOの目撃情報を募集した。余計なバイアスがかかるのを避けるために、目撃した物体の詳細は伏せておくことにした。
そして〝ゆうちゃむ〟くんこと土井勇斗くんが連絡をくれたのだった。
さて、お気づきかもしれないが、勇斗くんが送ってきてくれた画像「水田のミステリーサークル」と、例の謎の物体は、いくつかの共通点がある。
・球体、もしくは円に準じる形。
・大きな母体と小さな子体。大きい円と小さい円。
・小さいほうの数は、4〜6。
はたしてこれは偶然なのだろうか……?
2
あきる野市での取材を終えて、数日経った晩。
スマートフォンに続けて二本のメッセージが着信した。
一本目は、妹からだった。
『あのさ、わたしの友だちでA子ちゃんっていたのおぼえてる? その子が今年の四月に山で不思議な体験したんだって。UFOのこと調べてるんでしょ。こんど話聞いてみたら』
妹は、私がどんなペンネームで活動しているか知っていて、SNSもチェックしている。それでこんなメッセージを送ってきたらしい。
私は『感染者の推移を見て、そのうち帰る』と返信した。延期した東京オリンピックの開催が間近に迫っている現在、県を跨ぐ移動は自粛が呼びかけられている。東京の感染者数は横ばい傾向だが、様子見したほうがいいと判断した。
二本目のメッセージは、私が漫画家から原作者に転向したときに、最初に担当についてくれた某編集者からだった。彼もSNSを見たらしく『UFOについて知りたいんだったら詳しい人を紹介してあげようか?』と申し出てくれた。
私はすぐさま『お願いします』と返信し、何度かやりとりを経て、皆川雄一という人物を紹介してもらえることになった。
皆川雄一氏は一九八六年生まれ。大学を卒業後大手出版社に就職するも、仲間と疑似科学をウォッチする会を結成して作家業をスタート。
現在はAPAS(Anti−Pseudoscience Activities Society)の代表を務め、超常現象の真相を究明する本をいくつも出版している。
私にとって願ってもないチャンスだった。素人がネットや書物で調べているだけでは限界がある。有識者の知見に頼らせてもらえるならそれが最良だ。
皆川さんとお話する機会を得たのは、それから一週間後だった。
「こんばんは。はじめまして、皆川です」
面会はオンライン上で行われた。ノートパソコンで立ち上げたウェブ会議のウィンドウに相手の顔と部屋が映っていた。皆川さんはどうやら仕事場ではなく自宅からネットに繋いでいるらしく、室内に趣味的な物が飾ってあるのが見えた。
自己紹介のあと、彼は相好を崩して、
「UFOの話がしたいと伺って、うれしくなっちゃいまして。倉庫からこんなものを引っ張り出してきてしまいました」
と机の上に宇宙人のフィギュアをつぎつぎに置いてみせた。
塩化ビニールやプラスチック製だろうか。オモチャには詳しくないが日本製には見えず、海外のそれもかなりアンティークなフィギュアのようだ。保存状態も良いしブリスターパックもついていたら結構良い値段がするのではないだろうか。
「こういうモノは卒業しろと家族に怒られて泣く泣く大部分を捨てたんですが、全部を捨てるのは忍びなくてですねぇ。内緒でこっそりアレしてホイしてたんですが、やっぱり良いですね、こういうオモチャは」
皆川さんはうれしそうに言った。
「どことなく可愛いですね、その宇宙人。昔の特撮の怪獣みたいで」と私が言うと、
「そうなんですよ。見てください、こいつの造形なんか秀逸ですよねぇ」
と言いながら皆川さんはスカートをはいた宇宙人のフィギュアを持ち上げた。商品紹介系のユーチューバーがやるように背後に手のひらを添える。
フラットウッズ・モンスター。
一九五二年に米国ウェストヴァージニア州フラットウッズで目撃された全長三メートルの宇宙人だ。頭部にスペード型の板をはりつけたような面白い姿をしているので、創作の題材にされやすく、私も以前から知っていた。
「今アメリカのオークションサイトでは、このフィギュアが一〇〇ドル前後で取引されているんですよ。いやぁもったいないことをしましたよ」
もっと他にも色々持っていたのに……、と彼は悔しがる。
「皆川さんはUFOに懐疑的な立場だと聞いたんですが、それにしては宇宙人とかUFOのオモチャはお好きなんですね?」
「ええまぁ……これとそれは別なので」
「今回は、その懐疑的立場から、いろいろお話を伺いたいと思っているんです。皆川さんは、ズバリUFOの正体は何だと思います?」
取材に臨むにあたって、私はいつも質問リストを作成している。
今回、皆川氏に聞いてみたいのは、ダントツでこの質問であった。
UFOとは何なのか? どうして私たちは空に謎の飛行物体を見てしまうのか?
目撃例の大多数は、おそらく誤認や虚偽なのだろう。だが、その中には最後まで正体不明なケースがあるわけで、実際に私も体験したし、あきる野で会った三人も嘘をついていたとは思えない。であれば、アレは何なのか。懐疑派の立場から合理的な解釈を聞きたかった。
私の質問を受けて、皆川さんはしばらく思案していた様子だったが、
「うーん。いきなり直球できましたね。弱ったな」
と頭をかいてみせて、
「何なのか?と聞かれると、わかりませんと答えるしかないです。正体がわからないけど、何かが空を飛んでいたんでしょうね、というのがUFOなので」
「失礼しました。質問の仕方が悪かったですね」と私は言った。「あくまで皆川さん個人の意見で、という意味です。UFOの正体を究明しろ、ということではなく、皆川さんはどんな考えをお持ちなのか、それを知りたいんです」
ふむ、と皆川さんは首をかしげた。そして、
「なるほど。僕個人の意見というエクスキューズさせてもらえるんやったら、もしかしてこういうことちゃうかなぁ?というのはあります。まあ大した話じゃないかもしれませんが、順番に話していきましょうか」
皆川さんは笑いながら「そうだ」と言って、宇宙人のフィギュアを手に取って、「せっかくここに面白いものがあるんやし、最初に阿刀川さんにクイズ出しておきましょうか」
「クイズ、ですか?」
「ええ。ここにあるフィギュアは、過去に目撃された宇宙人たちです。いろんな格好してますよねぇ。金髪の女性だったり、ロボットだったり」
皆川さんはフィギュアをひとつずつ指さしていく。
たしかにその外見は多種多様だ。
宇宙服を着ている個体や、全身毛むくじゃらのゴリラのような個体。真っ赤なミシュランマンみたいな個体。半透明のクラゲのような個体や、二足歩行の巨大な蛾のような個体。どれも宇宙人というより、モンスター映画の怪物のように見える。
「こいつらは五〇年代から七〇年代にかけて実際に目撃されました。ところがですよ、ある時期を境に、目撃例はほぼ一種類に収束してしまうんです」
と言って、彼はフィギュアのひとつを持ち上げた。
それは馴染みのある姿形をしていた。大きな頭部。アーモンド型の巨大な瞳。手足は華奢で、身長は低い。体色がくすんだ灰色であることから、リトル・グレイと呼ばれる種類の宇宙人だ。
「阿刀川さんも宇宙人といったらこいつを連想するんじゃないですか?」
「まあ、そうですね……」
「かつてはあれだけバリエーション豊かな宇宙人が目撃されていたのに、ある時期からグレイ・タイプに目撃例は限定されるようになった。でも、考えたらおかしな話ですよね。他の宇宙人はどこへ消えてしまったのか? なぜグレイ・タイプばかり目撃されるのか?」
「なるほど。それがクイズなんですね?」
「そういうことです。僕がこれから話す内容と関係してきますので、しょうもない話ですけど、聞きながら考えてもらえたらな、と思って」
皆川さんはフフフと不敵に頬を歪めた。
3
宇宙人のフィギュアはお役御免ということで、机の上から片付けられた。
だが、皆川さんはそのかわりにUFOのプラモデルを持ってきたので、賑やかさは相変わらずだった。
私はなんだかユーチューバーの動画を視聴している気分になっていた。
「では始めるんですけど、UFOとは何か?という話の前に、一体いつ頃からUFOが目撃されるようになったのか?について話していきますね。阿刀川さんは、ケネス・アーノルド事件ってご存知ですか?」
と皆川さんは問う。
「ええ。これでも一応勉強してきましたから」と私はうなずいた。
ケネス・アーノルド事件。
それはおそらくUFO遭遇の歴史上もっとも有名な例のひとつ だろう。
とはいっても、関心がなければ内容を耳にする機会もないと思うので、ここで簡単に紹介させていただく。
事件が起きたのは、一九四七年六月二十四日のことだ。
アメリカの実業家ケネス・アーノルドは、自家用機でワシントン州レイニア山付近を飛行していた。午後二時五十九分頃、レイニア山付近の上空で、彼は奇妙なものを目撃する。九個の物体が一列に並んで、北から南へ時速1700マイルという驚異的な速度で飛んでいたのだ。謎の物体の推定される大きさは15から20メートルで、既存のどの航空機とも似ていなかった。
マスコミは、アーノルドが見た物を「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」と名付けて大々的に報道した。その後同様の目撃談が相次いで報告されたため、米国はUFOを調査する機関、いわゆる〈プロジェクト・サイン〉を発足させる事態にまで発展した。
以来、六月二十四日は世界的にUFOの日とされている。
「私、イリヤの空、UFOの夏大好きでした」
「ライトノベルですよねぇ、僕は読んだことないのですが。アーノルドの事件はアメリカで最初のUFO目撃例と思われていることが多いんですよ。印象が強烈なのでそうなってしまったんでしょうけど、実際にはもっともっと古い事例があるんです。記録によれば、一八九六年の出来事ですから、なんと一九世紀ですね。この年から翌年にかけて、アメリカ全土で〈謎の空中の乗り物〉の目撃が多発しました。乗組員と会話した体験談もあったようです」
「一九世紀、ですか……」
「当時の典型的な目撃報告例をプラモデル化した商品がありまして、それがコイツなんですが……」
そう言って、皆川さんはモニターに模型を映してみせた。
私は思わず「えっ?」と眉をひそめてしまった。
「それ、UFOですか?」と訊ねると、「ええ、UFOなんです」と皆川さんはイタズラが成功したように愉しそうに笑う。
だが、それはどう見てもただの飛行船にしか見えなかった。
スタジオジブリ制作のアニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場した巨大飛行船ゴリアテに似ているといえば似ている。
「全米で千件以上のUFO目撃報告がありましたが、僕らに馴染みのある円盤型の報告はただの一件もないんですよ。この飛行船タイプのみで」
「本物の飛行船のフライトだったんじゃ?」
「いえ。その可能性は否定されています。たしかに当時ヨーロッパでは飛行船のテストが開始されていましたが、アメリカは技術的に遅れていたんです。業界トップを走っていたのはドイツで、一九〇〇年七月にツェッペリンLZ1号の試験飛行に成功します。初のアメリカ製飛行船が空を飛んだのは、一九〇四年になってからです」
「乗組員と会話したってことは、着陸してきたってことですか?」
「そういうパターンもあったみたいです」
と皆川さんは付箋がたくさん挟まっている本を拾い上げた。
ページをめくって、
「これはカリフォルニア州サクラメントの事例です。ソースは地元の新聞記事。……あっ、ちなみに一九世紀のアメリカって新聞社がめちゃくちゃ多くてですね、過当競争のせいで、クオリティペーパーすらヨタ話を平気で載せていたので、そういう時代背景を頭の隅にでも置いておいてください」
「了解しました」
「ということで、当時の新聞記事の要約です」
と言って、皆川さんはページを読み上げてくれた。
・一八九六年十一月一八日の夕方。カリフォルニア州サクラメントに強烈な光を放つ飛行船があらわれた。それは教会の塔(醸造所の塔という説もある)にぶつかりそうになり、飛行船の乗組員が「上昇しろ!」と叫んでいるのが聞こえた。飛行船は謎の力で推進しており、かろうじて建物にぶつかるのを回避した。驚きながら人々が空を見上げていると、「さて明日の正午までにサンフランシスコにいかなくては」と話し合う声が聞こえてきた。言語は英語だったという。
このサクラメントでの目撃を端緒として、米国中西部から西部一帯にかけて、物体は相次いで出没するようになる。カンザス州、ネブラスカ州、アーカンソー州、イリノイ州と縦横無尽だ。飛行船は「ゴースト・エアシップ」とか「ミステリー・エアシップ」「ファントム・シップ」などと呼ばれて新聞の紙面を賑わせた。その正体については、火星人の乗り物ではないかという説、どこかの富豪がひそかに開発した飛行船ではないか説、空を飛ぶ幽霊船説とさまざまだった。
・カリフォルニア州ストックトンでは、ショー大佐なる人物が、長さ45メートルの飛行機械とそれから降りてきた三人の搭乗員と遭遇する。三人は見た目こそ人間だったが、ショー大佐は「火星人ではないか」と思った。言葉は通じず、やたら体重が軽かった。ショー大佐は飛行機械内部に拉致されそうになったが、必死で抵抗すると、三人はあきらめてどこかへ飛び去ってしまった。
・アイオワ州スーシティ。ロバート・ヒバードという農夫が、空飛ぶ飛行船から垂れ下がったイカリにズボンをひっかけてしまい、十メートルほど地面を引きずられた。そのまま連れ去られそうになったが、ズボンが破れたために窮地を脱した。
・カンザス州エベレスト。夜、上空に飛行船が出現。強烈なサーチライトを装備しており、それをあちこちに動かしていた。形はゴンドラ型で長さ7・5メートルから九メートル。側面から四枚の翼が突き出ていて、船上部には気嚢もあった。
「こうして目撃例を聞いてみると、形がばらばらだったり、翼が生えてたりで、本物の飛行船と程遠いですね」と私は言った。
「飛行船というのは一九世紀当時の最先鋭技術で、うわさで聞いたことはあっても実物を見たことがある人間はほとんどいなかったはずです」
つぎは興味深い事例ですよ、と皆川さんは続けた。
「一八九七年四月一九日。テキサス州に住むJ・B・リンゴーンは隣人の牧場に飛行船が着陸しているのを発見しました。飛行船の近くには四人の男が立っており、そのうちのひとりが『これは新型の飛行船だ』と説明しました。四人の男はこれからアイオワに戻らなくてはならず、その前にバケツに二杯分の水を恵んでほしいとリンゴーンに要求したそうです」
「えっ?」
一瞬、私の呼吸は止まったと思う。
水を要求……。
どこかで聞いた話だった。
「水がほしい、と言われたんですか?」
「ええ、そうみたいですね。飛行船の乗組員との接触例は多数報告されているんですが、興味深いことに水を要求してくるパターンが結構あるんですよ」
他にも目撃談を読み上げてくれた。
四月二〇日。テキサス州ユベルディの保安官の自宅ちかくに、リンゴーンが目撃したものと同じものらしい飛行船が降りてきた。乗組員は保安官にやはり水を要求し、われわれの存在は極秘にしてほしいと言い残して、空に去っていった。
四月二十二日。飛行船は今度はテキサス州ジョーサーランドに出現する。農夫フランク・ニコルズのトウモロコシ畑に着陸すると、井戸水をわけてほしいと要求。
五月六日、アーカンソー州フォートスミスで、パトロール中の警官が飛行船の乗組員と遭遇。乗組員たちは、ここでもやはり水を汲んでいた……。
何なのだろうかこれは……。私はちょっとだけ怖くなっていた。なぜ飛行船の乗組員は、判を押したように揃いも揃って「水」を要求するのだろうか。
一〇〇年以上の時をこえて、二一世紀の日本のあきる野で目撃された〝緑色のジャージのオジサン〟も、小学生三人に「水もってる?」と訊ねてきた。
偶然の一致? それとも……?
「……で。謎の飛行船の正体は判明しているんですか?」と私は言う。
「それがわからないんですよ。千件以上の証言があるし、乗組員と会話した事例もあるというのに、正体は不明なままです。目撃ブームは一八九七年にいったん落ち着きますが、一九〇八年と一九一二年に同じ騒動が起き、今度はヨーロッパでも目撃が多発するようになります。まるでインフルエンザの流行ですねぇ」
想像してしまった。
アメリカの上空を、飛行船のかたちをした「ナニカ」が州を跨いで飛んでいく。
それは時折人間の姿になって地上に降りてくると、水がほしい、と言う。
目撃報告にパターンがあるのは、神話の原型のようだ。時代や文化が異なるのに、なぜか似たような神話が発生することがあるのだ。ということはそれは物質をもたない観念的存在なのだろうか。人間の心から生まれたものなのだろうか。
そしてその「ナニカ」は海を越えて広まっていく。まるで病原菌のパンデミックのように人間の住む場所から場所へ。
「……飛行船騒動は、ある時期を境にピタリとなくなります。まるで幻のように。そして、かわりに別のものが目撃されるようになります。──阿刀川さん、何だかわかりますか?」
皆川さんに質問されて、私は妄想を中断した。
ある時期にピタリと報告がなくなり、別のものが目撃されるようになった……。
その〝別のもの〟も、空を飛ぶのだろうか?
「もしかして……飛行機?」
「そうです。正解です」皆川さんはうなずいた。「飛行船の時代は短命で、かわって飛行機の時代がやってきたんです」
ライト兄弟が有人飛行に成功したのが、一九〇三年。
飛行機産業はそれから驚異的な発展を続け、最初期は200メートル飛ぶのがやっとだったのだが、後続距離はどんどん伸びていった。ライト兄弟の初フライトからわずか二十四年後の一九二七年には、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク・パリ間の無着陸飛行に成功している。
まさに日進月歩。理解が追いつかないほどの進化の速さだ。
「そして、各国のパイロットたちは、謎の飛行機を目撃するようになります」と皆川さんは言った。「当時は複葉機が主流でしたが、目撃される謎の飛行機は単葉機で、ありえない速さで飛行するので、追跡が不可能なほどでした。一九三九年に第二次世界大戦が勃発すると、パイロットたちは幽霊戦闘機──いわゆるフー・ファイターに翻弄されることになります。ちなみにフーの由来は英語のWHOではなく、フランス語のfeaです。意味は、火。パイロットたちが目撃したのは、明るい火の玉だったんです」
「それは現代のUFO目撃談に通じるものがありますね。要するに皆川さんは、UFOは時代とともに変化している、と言いたいわけですね?」
「まさしく」
皆川さんは、穏健そうな表情から一転してニヤリとした。
話をまとめてみると、飛行船、単葉機、火の玉、という順に目撃報告のトレンドがあるようだ。そして目撃されるのは、その時代の新しい技術である場合が多い。
時が進み、一九四七年。ケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤」を目撃すると、世界各地で似たようなものが目撃されるようになる。令和に生きる私たちも、UFOといえば円盤型を連想する。飛行船型UFOや単葉機型UFOなど聞いたことがない。一度廃れると、流行は復活しないということだろうか。
「そうそう。ケネス・アーノルドが見たUFOは『空飛ぶ円盤』ということになっていますが、本当はまったく別の形だったというのはご存知でしたか?」
「えっ。そうなんですか?」おどろいて、私は言った。
「ええ。彼が見た本当のUFOの模型もありますよ。どこに置いたかな。ここにホイしておいたんだが」
皆川さんは椅子から下りたのか、ウェブ会議の画面から消えた。
しばらくして戻ってくる。
手には銀色のUFOの模型が握られていた。「これです、変なカタチでしょう?」と画面の中心に映るように見せてくれる。
たしかに言葉で描写しにくい形状だった。熱帯魚のエンゼルフィッシュを銀色に塗ったような、とでもいったらいいか。
「ぜんぜん違うじゃないですか。これがなぜ『空飛ぶ円盤』になったんですか?」
「それはですね、アーノルドは、形じゃなくて動きの説明をしたんです。目撃したUFOは、まるで瞬間移動のようなスキップ移動をした。それを『皿を水切りの要領で投げたみたいな』と表現したのですが、記者が『皿が空を飛んでいた』と誤解してしまったんですね。ですが、アメリカ人たちは『空を飛ぶ皿』のイメージをよほど気に入ったんでしょう。僕が思うに、もし当時の新聞記者がアーノルドの見た物体を正確に報道していたら、彼の目撃談はこれほど人気に火がついてなかったんじゃないでしょうか?」
そう言って、皆川さんは銀色のエンゼルフィッシュを画面の中で揺らした。
それを机に置くと、別の模型に手を伸ばす。「これはアダムスキー型と呼ばれるUFOです」と言って、先ほどと同じように空を飛んでいるように揺らしてみせる。
その模型は、もっともUFOらしい形をしていた。
いや、あえていおう。……進化していた。
「アーノルドが報告した『空飛ぶ円盤』はUFOの基本形を定義しました。そして時代は一九五〇年代。ジョージ・アダムスキーが遭遇したこの円盤によって、そのデザインはひとつの完成形に到達します」
模型はサファリハットのような形状をしている。
特徴的なのは円盤の裏で、ピンポン玉を半分にしたような半球が三個ついている。
ほとんどの人がUFOといったらこの形を思い浮かべるのではないだろうか。
「アダムスキーは宇宙人とも接触しています。ちなみにその宇宙人、どこの星から来たと思いますか?」
「……宇宙人が、ですか? うーん、別の銀河系とか?」
「いえ。もっと近くて、太陽系の惑星からです。わかりませんか? じゃあ正解を言っちゃいますけど、じつは金星なんですよ。だれもがUFOと言ったら思い浮かべるであろうこのUFOは、金星から来た宇宙船なんです」
一気にうさんくさくなってきた。
金星は地球のとなりにある惑星で、よその銀河系に比べれば気軽にやって来れる距離ではあるが、生き物が住める環境ではないはずだ。
「一九五〇年代は人類が月に到達していない時代ですから、みんな信じたんでしょうね。アダムスキーが発信する主張はその後ころころ変わって、彼が会ったのは金星人だったり火星人だったり土星人だったりしました。撮影された証拠写真もトリックであることがわかっています。アダムスキー型のデザインも実は元ネタがあるのですが、話が長くなるので今回は割愛しましょう。重要なのは、彼をインチキだと糾弾することではなく、彼のUFOが与えた影響をどう見るかです」
皆川さんは言う。
アダムスキー以降、UFOといえばこの形になった。
つまり、全世界的にバズった。
そして世界中でアダムスキー型UFOが目撃されるようになった……。
「いやでも待ってください」と私は口を挟んだ。「そもそも円盤型というのが、新聞記者が誤解した形状で、アダムスキーの円盤はその亜流ですよね? だとしたら、私たちがUFOだと思っていたものって何なんですか?」
そうなのだ。
そもそも最初の円盤型というのが、伝言ゲームのミスのようなもので、本来目撃された形状と全然違っていた。
なのに、私たちはUFOは円盤型だと思っているし、世界中で目撃報告がある。
これでは私たちはバカみたいではないか。
「ミームだからです。あくまで僕が思うに」と皆川さんは答えた。「アダムスキー型UFOはポップかつユーモラスで、素晴らしいデザインだと思います。初期に報告されたUFOは、葉巻だったり、卵だったり、円筒だったり、色々な形があったんですが、今ではマイナーです。みんなの心を掴んだUFOが勝ち残ったんです」
「勝ち残った……」
そこでふと、私は最初に出されたクイズのことを思い出した。
UFOがバズることがあるならば、同じことが宇宙人にも言えそうだ。
初期は多種多様な宇宙人が目撃されていたのに、ある時からリトル・グレイに限定されるようになった。その理由は、つまり、リトル・グレイのデザインが勝ち残ったから……。
「UFOとは、ミームである。というのが僕個人の考えです」
ミーム。
それは、進化生物学者のリチャード・ドーキンスが提唱した概念で、意味としては文化的遺伝子となる。あくまで概念であり、実体があるわけではない。人間の脳から脳へ伝達される情報がまるで遺伝子を持つように振る舞う、ということだ。
私たちに身近なのは、ネットミームだろう。
ネット上で、とある画像や動画が流行する。SNSを通して拡散されるうちに改変や追加がおこなわれていく。何年か経つうちに元ネタと似ても似つかぬ姿になることもあるだろう。生物が進化するように、ミームも形を変えていく。
「でもミームというのは人間の脳内にあるものですよね? つまりUFOとは、私たちの頭の中にしかない、ということでしょうか?」
「半分は正解だと思いますねぇ。ただし映像に残されたり一度に多数の人間に目撃されたりすることを考えると、UFOを妄想と片付けてしまうのも早計でしょう」
どういうことなのだろうか。
私は混乱した。いっそ思い込みと断言されたほうがスッキリしたのだが。
「誤解してほしくないのですが、UFOの存在を否定しているわけではないのです」
と皆川さんは言った。
「過去に目撃されてきたUFOや搭乗員である宇宙人は、おそらく僕らの脳内にある存在なのでしょう。ですが、そうなると、なぜ僕らの脳はそんなものを見てしまうのか?という疑問が生まれます。どうして人間は、ヘンなものを見てしまうのでしょうか、それも空に」
4
五月が過ぎ、六月になった。
私はふたたび本業が忙しくなっていた。
かねてより提出していた企画が会議を通り、ウェブコミック配信サイトで連載が決定したのだ。作画担当は引き続き、南條文夏さん。内容は、宝塚歌劇団をモチーフにした架空の少女歌劇団で三人の少女が成り上がりを目指す、というビルドゥングスロマンで、雰囲気をつかむために、南條さんと二人で宝塚のビデオを観たり、地下アイドルのライブに行ったりした。
生活が充実し、私はUFOに対するモチベーションを失いつつあった。
皆川雄一氏の話がショックだったというのもあるかもしれない。
二〇二一年七月二十三日。この日、新型コロナウィルスの影響で一年延期していた東京オリンピックがいよいよ始まる。昼、東京都庁に聖火が到着すると、航空自衛隊のブルーインパルス編隊が飛来し、東京上空に五輪の輪をえがいた。
夜八時になると国立競技場からオリンピック開会式がライブ中継された。
選手入場をテレビモニターに映しつつ、パソコンでは友人たちと作業通話をしつつ、という欲張りな環境で、私はこまごまとした仕事を片付けていた。
SNSを覗いてみるとタイムラインはお祭り状態で、だれもが鬱屈を吹き飛ばそうとしているかのようだった。
私にとってもこの一年間は本当に大変で、オリンピックというお祭りによって厄を遠ざけてほしい気持ちになっていたと思う。
UFOの取材ノートや集めた資料は……いつか漫画のネタにできるかもしれないから、一応保管しておこう。書こうと思っていた本はひとまずペンディングにしよう。そんなふうに思っていた。
一本のメッセージが、私のスマートフォンに届くまでは。
注 釈
(1)フラットウッズモンスター
目撃者の証言は以下のようなものだ。
・頭部にトランプのスペードのような形状のフードがついていた。
・体は暗緑色。かぎ爪を前方に突き出していた。
・身長は3メートルから3・6メートル。
・目から光を放っており、空中を浮きながら近づいてきた。
アメリカ空軍は当時現地に赴いて調査をした。その結果によれば、モンスターの正体は、森に棲むメンフクロウである可能性が高いという。身長3メートルに見えたのは樹木の枝にとまっていたから。かぎ爪を突き出して近寄ってきたように見えたのは、メンフクロウが枝から飛び立って目撃者に向かって滑空してきたからである。
(2)リトル・グレイ
有名な宇宙人の姿に元ネタはあるのだろうか? リトル・グレイのイメージの源となったのは、1961年のヒル夫妻誘拐事件であるとされている。ヒル夫妻は拉致されて円盤の中へ連れ込まれ、宇宙人に生体実験をされたと主張したのだが、この時の宇宙人がいわゆるリトル・グレイの姿をしていた。だが、夫妻が事件の記憶を〝思い出した〟のは、事件から2年半後の1964年2月22日であり、その12日前に米国で放映されたSF番組「アウター・リミッツ」に登場したエイリアンが、彼らの証言する宇宙人とそっくりだった。ヒル夫妻が事件の記憶をよびさましたのは精神科医による逆行催眠によってであり、実際にあった出来事であるか疑わしい。その後、映画「未知との遭遇」が宇宙人のデザインにグレイ・タイプを採用し、世界的にイメージが広まった。
(3)もっとも有名な例のひとつ
UFOを語る上で外せない事件は二つある。ひとつはケネス・アーノルド事件であり、もうひとつはロズウェル事件である。
1947年7月8日、米国ニューメキシコ州にあるロズウェル陸軍飛行場は「第509爆撃航空群の職員がロズウェル近郊の牧場から潰れた〈空飛ぶ円盤〉を回収した」と報じた。が、その数時間後に「回収されたのは気象観測用の気球であった」とプレスリリースを訂正した。過去から現在にいたるまで、ロズウェル事件に関してはさまざまな説や陰謀論が唱えられ、とてもひと言では語ることができない。詳細を語るのは大量に出版されている関連書籍に譲るとして、ケネス・アーノルド事件(同年6月24日)のわずか2週間後の出来事であることは注目しておきたい。
(4)ケネス・アーノルドが見たUFO
彼が見たUFOは時間が経つにつれて変化していく。最初の証言ではエンゼルフィッシュのような形状だったのだが、翌年には世間に迎合したかのように円盤型を主張するようになり、後年にはブーメラン型になった。UFOまでの距離と大きさにも矛盾があり(30から40キロ先にある15メートルの物体は肉眼では見えない)、彼の主張は信憑性が低いと言わざるをえない。おそらくアーノルドは何かを見たのだろう。しかしそれが実際にはどんなものだったかは永遠の謎になってしまった。
(5)人類が月に到達していない時代
イギリスの作家H・G・ウェルズが「宇宙戦争」を上梓すると、宇宙人=火星人のイメージが定着した。1950年代から60年代にかけて目撃された宇宙人は、ほとんどが太陽系内の惑星(火星・金星・土星)からの来訪者だったといっていい。だが1969年にアメリカが初の月面着陸を成功させ、太陽系内の惑星に探査機を送り込むようになると、どうやら地球以外の惑星に生命は存在しないらしいことがわかってきた。すると目撃される宇宙人も太陽系外の惑星、たとえばプレアデス星団やレチクル座のゼータ星、ウンモ星、琴座のヴェガ星などからやって来たと主張するようになった。
