妙な出来事があった日以降、高橋さんはちょっと調べてみたいことがあると言って任務から外れることになりました。私は、高橋さんがなにかヤバいものでも見て逃げたのかと思いましたが、他の隊員によると、営業と共に本当になにかを調べているとのことでした。
あの妙な出来事以来、私は監視中も落ち着かない気持ちになっていました。完全に外部からの侵入が出来ない状況の中で起きた事件。考えたくはありませんが、やはり犯人はこの世の者ではないなにかという結論が頭をよぎっていきました。
そんな不気味な空気に嫌気がさした頃、高橋さんから夜勤明けのタイミングで声をかけられました。どうやら美智子の家についてなにかわかったらしく、その答えを見せてくれるとのことでした。
「それで、なにがわかったんですか?」
昼前の市街地を走る車の中、高橋さんに調査結果を尋ねてみました。
「色々わかったんだが、一番は美智子の父親が亡くなった背景にはあまりいい話がなかったことだ」
「亡くなった背景ですか?」
「美智子の父親は、船から誤って転落したことになっている。だが、実際は船が出港した形跡がなかったらしい」
「どういうことですか?」
「遺体が港近辺で見つかったことから警察は出港準備中に誤って落ちたと判断したらしいが、その点にちょっと違和感がある」
高橋さんが調べたところによれば、そもそも美智子の父親は一人で釣りに出かけることはなかったそうです。しかし、その日はたまたま友人と都合がつかなかったのか、一人で釣りに出かけることになったといいます。
そうしたイレギュラーな状況の中で起きた事故だからこそ、警察の調べとは裏腹によからぬ噂もあったようです。
そして、その噂の中心にいたのが、一切の贅沢を許されないまま長年家族を支え続けた美智子の母親とのことでした。
「まさか、美智子の母親が父親を殺害したんですか?」
「さあな。だが、これから会えばわかるだろう」
私の問いを否定することなく、高橋さんはある喫茶店の駐車場に車をとめました。そして、顎でオープンテラスを指し示すと、そこには知人たちと談笑する母親の姿がありました。
――あれが、美智子の母親?
家で見た印象とは違い、心底楽しそうな笑みを浮かべて談笑する母親の姿に、妙な寒気を感じました。
「あの事件が起きた時、家の中を調べるついでに色々探ってみた。そしたら、巧妙に隠された金庫が見つかった」
「金庫、ですか?」
「普通、大事な物が入った金庫があれば、当然セキュリティを付けるよな? しかし、美智子は金庫にセキュリティをつけていない。ということは、あの金庫は美智子にも教えてない母親だけが知るものと考えていいだろう」
「だとしたら、金庫の中身は誰にも知られたくない物が入っているということになりますよね?」
「そういうことになるな。実際に中身を見たわけじゃないから断定はできないが、おそらく表に出せない金が眠っていると思う」
美智子の父親は、お金にうるさい人でも有名でした。それはつまり、表に出せないようなお金を密かに管理していたとしていてもおかしくはないということになります。
「長年、美智子の母親は質素な生活を送りながら夫と息子、さらには血のつながらない娘の面倒をみてきた。しかも、美智子だけは夫に溺愛されるという環境の中でな。そうした歪な関係が、母親の中になにかを生み出していた。そして、母親は表に出せない大金を見つけてしまった。その瞬間、母親の中で生まれていたなにかが形になったとしてもおかしくはないよな?」
高橋さんに問われ、母親の心情を推察してみます。親が決めた結婚。三人の息子に恵まれながらも、自分ばかりが豪遊する夫。さらには、わけありの娘の面倒まで押しつけられたわけですから、母親はその人生の大半を都合のいいように利用されたと考えていたとしてもおかしくはないかもしれません。
そうした背景があったから、母親はあの家を相続することにこだわっていたのでしょう。誰にも知られていない金庫の中身を手にするため、美智子の面倒をみるふりして家を手に入れたのかもしれません。
「あの家のセキュリティは、外からの侵入に対しては異常なほど厳重なのに、中は驚くほど対策がされていない。金庫については誰にも知られたくないという理由だとしても、防犯カメラの一つもないのは不思議だと思わないか?」
「確かに、セキュリティに詳しいはずなのに肝心な部分が抜けていると思いました」
「異常な対策のように見えて、実は理にかなった対策をしていたにもかかわらす、家の中は隙だらけというのはおかしい。だが、それも本当は美智子ではなく母親の演出どおりだとしたら納得はできる」
そう語る高橋さんが推理した内容は、あまりにも常軌を逸していました。
まず、この状況の始まりは母親が金庫の存在とその中身を知った時に遡ります。その中身を手にしたいと考えた母親は、夫の殺害計画を企てます。
そこで利用したのが美智子の存在でした。過保護のお嬢様という陰口を利用し、少しずつ美智子の精神がおかしくなるように仕向けていきます。おそらくは、仕事にも付き添っていたことを利用してあらゆる場面で美智子が失脚するようにしていたと思います。
そうして状況が整ったところで、夫の殺害計画を実行します。夫が一人で釣りに行くタイミングを待ち続け、事故を装おって殺害したのです。
その後は、美智子の面倒をみるという条件で金庫が眠る家を手にしたというわけです。
しかも、あの家には人が近づかないように徹底したセキュリティを付けています。普通なら、家族にそこまでやるのは変だと怪しまれるのですが、その点は美智子をうまく隠れ蓑にしたようです。
つまり、高橋さんの考えでは、あの家は美智子がおかしくなって異常なセキュリティ対策をしているのではなく、むしろ、そう思われるように母親が仕向けていたということでした。
「そのために、あの母親はありもしない現象を作り上げていた。美智子に泥棒がいると思わせ、より厳重なセキュリティを作るためにな。だから、あの家の中には防犯カメラがなかったんだ。防犯カメラがあったら、自分のやっていることがばれてしまうからな」
ゆっくりとタバコを吸い終えた高橋さんが、談笑を切り上げる美智子の母親に目を向けます。美智子の世話のために買い物に出かけていた母親は、実は自分の時間を楽しんでいたようです。
「声をかけるか」
友達と別れた母親が車に戻ってきたタイミングで、高橋さんが母親に声をかけました。
「すみません、お楽しみのところ声をかけてしまいまして」
低姿勢のまま近づいた高橋さんに、母親は驚いた表情を浮かべます。しかし、なにかを察したのかいつものように笑みを浮かべはじめました。
「先日の件、調査が終わりましたのでご報告をと思いまして」
「そういうことでしたら、わざわざこちらに来なくても家でお聞きしましたのに」
「いえ、できれば美智子さんがいない時がよかったものですから」
突然の来訪を謝りつつ、高橋さんが用件を伝えます。母親は一瞬嫌そうな表情を浮かべましたが、高橋さんは気にすることなく核心を切り出しました。
「勝手なこととは承知な上で、家の中に隠しカメラを設置していました。その映像を確認したところ、あの現象について全てが記録されていました」
突然の高橋さんの言葉に、母親の表情が固くなるのがわかりました。私も隠しカメラの件は聞いていませんでしたので、母親と一緒に驚いてしまいました。
その後は、高橋さんが一方的に推理した内容を淡々と告げていきました。母親も反論したそうに口を開きはするものの、隠しカメラの映像があると言われたことで反論できないでいるようでした。
その姿が、全てを物語っていると言っても過言ではありませんでした。隠しカメラの映像を確認していないので断定はできませんが、あの日、バッグを移動させた犯人は母親で間違いないようです。
「あなた達、見かけによらずなかなか鋭い視点の持ち主みたいね」
高橋さんの話が終わると、しばらく思案していた母親が急に笑顔を浮かべて余裕たっぷりに口を開きました。
「それで、あなた達は私をどうにかするつもりなの?」
「どうにかとは?」
「言っておくけど、この件に関して脅しをしても無駄だから。あの人が亡くなったのも、ちゃんと警察が事故にしてくれたし、美智子がおかしくなったのも、ある意味自業自得でしょ? 私が責められるようなことはないと思うけど?」
温和な雰囲気から一変して、母親がきつい眼差しで高橋さんを睨んできました。言うまでもなくこの姿こそが母親の本性だとわかった瞬間、私は言いようのない不安な気持ちにからまれてしまいました。
「別にどうにかするつもりはありません。ただ、なぜこんなことをされたのかが気になっただけです」
母親の圧力におされるように、高橋さんの声もトーンが落ちていました。
「なぜって? そんなの簡単なことよ。私は、自分の人生を犠牲にして湊家を支えてきたの。その報いを受けるチャンスがあれば、手にして当然のことでしょ?」
母親は、全く悪びれる様子もなくはっきりとそう言い切りました。その言葉の本意はわかりませんが、強引に要約すれば、湊家に貢いだ人生の代償として金庫のお金をいただいたということなのでしょう。
「あ、そうそう」
話は終わりとばかりに車に乗り込んだ母親が、窓を開けて私に手招きしてきました。
「あなた、まだ若いから一つ教えてあげる」
「なんでしょうか?」
不意に呼ばれた私は、硬くなった体を無理やり動かして母親の方に耳を傾けました。
「人生はね、最後に笑った者が勝ちなのよ」
そう教えてくれた母親は、満面の笑みを浮かべていました。
そう、なんの淀みもない満面の笑みでした。
それだけに、その曇りない笑みに母親のどす黒いなにかに触れたような気がして、私はなにも言えないまま母親を見送るしかできませんでした。
あの妙な出来事以来、私は監視中も落ち着かない気持ちになっていました。完全に外部からの侵入が出来ない状況の中で起きた事件。考えたくはありませんが、やはり犯人はこの世の者ではないなにかという結論が頭をよぎっていきました。
そんな不気味な空気に嫌気がさした頃、高橋さんから夜勤明けのタイミングで声をかけられました。どうやら美智子の家についてなにかわかったらしく、その答えを見せてくれるとのことでした。
「それで、なにがわかったんですか?」
昼前の市街地を走る車の中、高橋さんに調査結果を尋ねてみました。
「色々わかったんだが、一番は美智子の父親が亡くなった背景にはあまりいい話がなかったことだ」
「亡くなった背景ですか?」
「美智子の父親は、船から誤って転落したことになっている。だが、実際は船が出港した形跡がなかったらしい」
「どういうことですか?」
「遺体が港近辺で見つかったことから警察は出港準備中に誤って落ちたと判断したらしいが、その点にちょっと違和感がある」
高橋さんが調べたところによれば、そもそも美智子の父親は一人で釣りに出かけることはなかったそうです。しかし、その日はたまたま友人と都合がつかなかったのか、一人で釣りに出かけることになったといいます。
そうしたイレギュラーな状況の中で起きた事故だからこそ、警察の調べとは裏腹によからぬ噂もあったようです。
そして、その噂の中心にいたのが、一切の贅沢を許されないまま長年家族を支え続けた美智子の母親とのことでした。
「まさか、美智子の母親が父親を殺害したんですか?」
「さあな。だが、これから会えばわかるだろう」
私の問いを否定することなく、高橋さんはある喫茶店の駐車場に車をとめました。そして、顎でオープンテラスを指し示すと、そこには知人たちと談笑する母親の姿がありました。
――あれが、美智子の母親?
家で見た印象とは違い、心底楽しそうな笑みを浮かべて談笑する母親の姿に、妙な寒気を感じました。
「あの事件が起きた時、家の中を調べるついでに色々探ってみた。そしたら、巧妙に隠された金庫が見つかった」
「金庫、ですか?」
「普通、大事な物が入った金庫があれば、当然セキュリティを付けるよな? しかし、美智子は金庫にセキュリティをつけていない。ということは、あの金庫は美智子にも教えてない母親だけが知るものと考えていいだろう」
「だとしたら、金庫の中身は誰にも知られたくない物が入っているということになりますよね?」
「そういうことになるな。実際に中身を見たわけじゃないから断定はできないが、おそらく表に出せない金が眠っていると思う」
美智子の父親は、お金にうるさい人でも有名でした。それはつまり、表に出せないようなお金を密かに管理していたとしていてもおかしくはないということになります。
「長年、美智子の母親は質素な生活を送りながら夫と息子、さらには血のつながらない娘の面倒をみてきた。しかも、美智子だけは夫に溺愛されるという環境の中でな。そうした歪な関係が、母親の中になにかを生み出していた。そして、母親は表に出せない大金を見つけてしまった。その瞬間、母親の中で生まれていたなにかが形になったとしてもおかしくはないよな?」
高橋さんに問われ、母親の心情を推察してみます。親が決めた結婚。三人の息子に恵まれながらも、自分ばかりが豪遊する夫。さらには、わけありの娘の面倒まで押しつけられたわけですから、母親はその人生の大半を都合のいいように利用されたと考えていたとしてもおかしくはないかもしれません。
そうした背景があったから、母親はあの家を相続することにこだわっていたのでしょう。誰にも知られていない金庫の中身を手にするため、美智子の面倒をみるふりして家を手に入れたのかもしれません。
「あの家のセキュリティは、外からの侵入に対しては異常なほど厳重なのに、中は驚くほど対策がされていない。金庫については誰にも知られたくないという理由だとしても、防犯カメラの一つもないのは不思議だと思わないか?」
「確かに、セキュリティに詳しいはずなのに肝心な部分が抜けていると思いました」
「異常な対策のように見えて、実は理にかなった対策をしていたにもかかわらす、家の中は隙だらけというのはおかしい。だが、それも本当は美智子ではなく母親の演出どおりだとしたら納得はできる」
そう語る高橋さんが推理した内容は、あまりにも常軌を逸していました。
まず、この状況の始まりは母親が金庫の存在とその中身を知った時に遡ります。その中身を手にしたいと考えた母親は、夫の殺害計画を企てます。
そこで利用したのが美智子の存在でした。過保護のお嬢様という陰口を利用し、少しずつ美智子の精神がおかしくなるように仕向けていきます。おそらくは、仕事にも付き添っていたことを利用してあらゆる場面で美智子が失脚するようにしていたと思います。
そうして状況が整ったところで、夫の殺害計画を実行します。夫が一人で釣りに行くタイミングを待ち続け、事故を装おって殺害したのです。
その後は、美智子の面倒をみるという条件で金庫が眠る家を手にしたというわけです。
しかも、あの家には人が近づかないように徹底したセキュリティを付けています。普通なら、家族にそこまでやるのは変だと怪しまれるのですが、その点は美智子をうまく隠れ蓑にしたようです。
つまり、高橋さんの考えでは、あの家は美智子がおかしくなって異常なセキュリティ対策をしているのではなく、むしろ、そう思われるように母親が仕向けていたということでした。
「そのために、あの母親はありもしない現象を作り上げていた。美智子に泥棒がいると思わせ、より厳重なセキュリティを作るためにな。だから、あの家の中には防犯カメラがなかったんだ。防犯カメラがあったら、自分のやっていることがばれてしまうからな」
ゆっくりとタバコを吸い終えた高橋さんが、談笑を切り上げる美智子の母親に目を向けます。美智子の世話のために買い物に出かけていた母親は、実は自分の時間を楽しんでいたようです。
「声をかけるか」
友達と別れた母親が車に戻ってきたタイミングで、高橋さんが母親に声をかけました。
「すみません、お楽しみのところ声をかけてしまいまして」
低姿勢のまま近づいた高橋さんに、母親は驚いた表情を浮かべます。しかし、なにかを察したのかいつものように笑みを浮かべはじめました。
「先日の件、調査が終わりましたのでご報告をと思いまして」
「そういうことでしたら、わざわざこちらに来なくても家でお聞きしましたのに」
「いえ、できれば美智子さんがいない時がよかったものですから」
突然の来訪を謝りつつ、高橋さんが用件を伝えます。母親は一瞬嫌そうな表情を浮かべましたが、高橋さんは気にすることなく核心を切り出しました。
「勝手なこととは承知な上で、家の中に隠しカメラを設置していました。その映像を確認したところ、あの現象について全てが記録されていました」
突然の高橋さんの言葉に、母親の表情が固くなるのがわかりました。私も隠しカメラの件は聞いていませんでしたので、母親と一緒に驚いてしまいました。
その後は、高橋さんが一方的に推理した内容を淡々と告げていきました。母親も反論したそうに口を開きはするものの、隠しカメラの映像があると言われたことで反論できないでいるようでした。
その姿が、全てを物語っていると言っても過言ではありませんでした。隠しカメラの映像を確認していないので断定はできませんが、あの日、バッグを移動させた犯人は母親で間違いないようです。
「あなた達、見かけによらずなかなか鋭い視点の持ち主みたいね」
高橋さんの話が終わると、しばらく思案していた母親が急に笑顔を浮かべて余裕たっぷりに口を開きました。
「それで、あなた達は私をどうにかするつもりなの?」
「どうにかとは?」
「言っておくけど、この件に関して脅しをしても無駄だから。あの人が亡くなったのも、ちゃんと警察が事故にしてくれたし、美智子がおかしくなったのも、ある意味自業自得でしょ? 私が責められるようなことはないと思うけど?」
温和な雰囲気から一変して、母親がきつい眼差しで高橋さんを睨んできました。言うまでもなくこの姿こそが母親の本性だとわかった瞬間、私は言いようのない不安な気持ちにからまれてしまいました。
「別にどうにかするつもりはありません。ただ、なぜこんなことをされたのかが気になっただけです」
母親の圧力におされるように、高橋さんの声もトーンが落ちていました。
「なぜって? そんなの簡単なことよ。私は、自分の人生を犠牲にして湊家を支えてきたの。その報いを受けるチャンスがあれば、手にして当然のことでしょ?」
母親は、全く悪びれる様子もなくはっきりとそう言い切りました。その言葉の本意はわかりませんが、強引に要約すれば、湊家に貢いだ人生の代償として金庫のお金をいただいたということなのでしょう。
「あ、そうそう」
話は終わりとばかりに車に乗り込んだ母親が、窓を開けて私に手招きしてきました。
「あなた、まだ若いから一つ教えてあげる」
「なんでしょうか?」
不意に呼ばれた私は、硬くなった体を無理やり動かして母親の方に耳を傾けました。
「人生はね、最後に笑った者が勝ちなのよ」
そう教えてくれた母親は、満面の笑みを浮かべていました。
そう、なんの淀みもない満面の笑みでした。
それだけに、その曇りない笑みに母親のどす黒いなにかに触れたような気がして、私はなにも言えないまま母親を見送るしかできませんでした。



