ちょっとアレ、見てよ。
 声をかけてきたのは、いつもつるんでいるサキだ。いつも小さなことを大げさに言うから、「ほら、見てって!」と急かされても、気乗りはあまりしなかった。どうせ、特に何事もない日常の風景が広がっているに決まっている。
「マリ、ほんとに大変なんだから!」
 スマホを見ながらの登校。本当は、持ち込みを禁止されているけれども誰も守っていない。中学生ながらに髪を金や赤、ツートンカラーに染めている人間のいるウチらのグループには、教師も何も言えないから、好き勝手に生きている。
「ちょっと、今いいとこ……」
 暇つぶしに始めたけれど、これが癖になるパズルゲームに夢中になっていて、サキの話はあまり聞けていなかった。なんか喚いてるなあ、くらいのもので。ちょっとぽっちゃり体型のサキがぐちゃぐちゃやっているのは、豚みたいだ。本当の豚ならまだ可愛いものだけれど、ただうるさいだけ。
「何よ、もう」
 結局詰んでしまったゲームから目を離して、「アレ」と彼女が指した場所を見る。
「はぁ?」
 信じられないものが映った。つかず離れずの距離を保って並んで歩く、一組の男女。その空気感といったら、春みたいに浮かれてやがる。たまたま並び立って歩いているわけではないことが見てとれた。
「アレ、女の方ってブー子だよね」
 似たような体型のサキに、ブー子も「ブー子」呼ばわりされるのは納得いかないだろうが、ブー子はブー子だ。同じクラスで、一番背が低くて、ころころまるまると太っている。大人しくて、本名をもじって「ブー子」呼ばわりされても、困ったように笑うだけの面白みのない奴。
 そんな女の隣に歩いているのは、一個上の生徒会長だ。マサキ先輩。サッカー部のキャプテンも務めていて、文武両道って奴だ。
 そのふたりが、なぜか一緒に登校している。ブー子はマサキ先輩のことをじっと見つめては、目が合う度にパッと逸らす。その顔は赤い。先輩は彼女のそんな反応を見て、デレデレしている。あの、マサキ先輩が、である。
 朝礼や行事のときには登壇して、きりっとした表情で生徒たちを見る。校長なんかよりもよっぽど、私たちは彼の言うことを聞く。うちらみたいなはみだし者であっても、恐れずにきちんと対等に話をしようとしてくれるから、ヤンキーの先輩たちも彼に一目置いていた。
 その彼が、そこらへんを歩いているスケベ男みたいな顔をして、ブー子を見つめている。
「あのふたりって、付き合ってんのかな?」
「まっさか!」
 ボリュームを調節する機能が壊れたみたいに、大きな声が出た。まさかそんなはずがないと言葉にはするが、あの甘ったるい感じは、彼氏彼女の関係に他ならない。
「マリ……」
 やめてよ。サキなんかに、哀れまれたくない。
 私は無言で彼女の背中を叩き、校舎の中へ入ろうと促した。最後にブー子をひと睨みするのを忘れずに。

 ブー子とマサキ先輩の登校風景は、クラス中の噂になっていた。本人に確認をしにいく人間はいなかった。休み時間の度に、先輩が教室に来て、ブー子に手を振るのだから、尋ねずともよかった。全然よくはないけど。
「しっかし、ブー子がなぁ」
 午後イチの授業をさぼっての校舎裏。ここは二年の不良連中のたまり場だ。私もサキも常連で、隣のクラスのタカシとコウジがいつものツレというやつだった。
 タカシのつぶやきに、コウジは下品なジェスチャーつきで嘲笑う。
「会長さん、あんなデブスに興奮すんのかね?」
「ちょっと、やめてよ」
 サキがコウジを止めて、首を横に振った。そのときにちら、と私を見る。コウジはハッとして、「お、おお……すまんかった」と頭を下げた。私に謝らないでよ。余計に惨めになる。
 私は、マサキ先輩が好きだった。一年の頃からずっとずーっと、好きだった。クラスで浮いている私に対しても、彼は悪いことを一切言わなかったから、信頼した。もしもマサキ先輩と付き合うことができて、金髪をやめてほしいと言われたら、次の日にはのっぺりした黒髪になってもいいとすら思っていた。
 なのに、どうしてブー子なの? 目は細いし、鼻の穴はでかいし、デブだしブスだし!
 地面を蹴り飛ばしている私を、いたたまれない目で見てくる三人も気に入らない。ああ、タバコってこういう気分のときにすうもんんじゃない? どうしてタカシもコウジも持ってないんだろう。俺ら健康志向のヤンキーですから、と運動場でバカ騒ぎするよりも、まず不良なら形から入りなさいよ。
「そういやブー子といえばさあ」
「もうあいつの話やめない? ムカつくから」
 まだ続けるの? と睨みつけると、コウジが両手を振って「そういうつもりじゃなくて」と言う。
「あいつ、うちのクラスの佐藤とよくつるんでたよな、と思って」
「佐藤? 佐藤って、佐藤エミリ?」
 その名前に反応したのは、サキだった。私はそいつとは去年も今年も別のクラスで、顔くらいしか知らない。真っ黒の長い髪を垂らして、朝礼のときとかは、背中を丸めている。廊下で誰かと楽しく喋っているということもなくて、あれは何かに似ていると、常々思っていた。
「魔女と友達なんて、ありえない」
 そうだ、魔女だ。サキの叫びに納得した。よからぬことを考えていつも冷笑している、そんなイメージだ。
 でもそれはあくまでも、彼女の見た目や所作による印象の問題で、「魔女」は単なるあだ名だ。そう思っているのは、私だけらしい。
 サキたちは神妙な顔をして、エミリについて無知な私に、彼女のことを教えてくれる。
 例えば、遠足のときに森に分け入っていって、薬草やらきのこやらを掘り返していたこと。
 例えば、分厚くて表紙にタイトルのない古ぼけた本を見て、指を何やら動かしていたこと。
「それから、黒猫の首根っこを捕まえて笑ってたって。猫好きだからとかじゃないよ? なんかそのとき、持ってたんだって」
 ナイフ。
 口の動きだけで、サキはそう言った。ナイフを片手に黒猫を見て笑う。その凶器の用途など、ひとつしかない。猫を殺して、何かを成そうとしているに違いない。ゾッとした。けれど同時に、納得もした。
「……そんな奴とブー子が仲よかったんならさあ……もしかしてブー子、なんかしたんじゃない?」
「なんかって、なに?」
 察しの悪い連中だ。学年中、学校中の人間が避けて通る魔女と仲良くするメリットなんか、ひとつしかない。

 夜中にそっと家を抜け出しても、うちの親は何も言わない。気づいていて、放っておいているのだから、どうしようもない。私も、親も。そしてそれは、サキやタカシ、コウジたちも同じだ。 
 マサキ先輩といちゃついているブー子のことを視界に入れないようにしながら、私はみんなと、魔女・エミリについて調べた。すると、ブー子が彼女に「何か」を渡していたという証言があったり、彼女の趣味(?)が深夜徘徊だということもわかった。
 やっぱりブー子、魔女に頼んで何かをしてもらったんだ。そうだよねえ。そうじゃなきゃ、マサキ先輩があんなブス、相手にするわけがないじゃない。恋のおまじないなんて可愛いもんじゃない、黒魔術だ。そのせいでマサキ先輩の心は操られてしまって、ブー子のことが絶世の美女のように見えているのだ。ああ、かわいそうな先輩!
 ということで、サクッと術者本人に聞くことにした。誰も来ない、深夜の河川敷。ふらふらと歩いていた彼女を捕まえたのは、タカシだった。
「おら!」
 突き飛ばして転ばせる。石も落ちているから、咄嗟に地面についた手のひらも傷ついたかもしれない。小さな悲鳴を上げる彼女にまたがって、私はエミリの頬を片手で強く掴んだ。長い前髪で隠れているからわからなかったけれど、エミリはまぁまぁの顔をしていた。それを変形させてブスにして、少しだけ留飲が下がるけれど、本題はこれから。
「ねぇ、魔女さん。あんた、ブー子に何したの?」
 ぶるぶると首を横に振る。何もしていないから離してくれと必死にもがく女を、男ふたりがかりで押さえた。サキは私と一緒に、尋問役である。
「まぁまぁ、マリ。その状態じゃあエミリも何も言えないっしょ?」
 飴と鞭ならサキが飴だ。私は彼女の言葉に従って、手を緩める。
「な、なにもしてない。わたしは……」
「嘘ついてんじゃねぇよ!」
 エミリの頬を張った。喧嘩はあまりやらないが、やれないわけじゃない。相手が拘束されていて、反撃のチャンスがないから安心して全力でやれる。
 エミリの頬は、みるみるうちに腫れた。見るも無残な状態であった。いったそ~、と口笛を吹いて茶化すコウジを睨んで黙らせる。もう一方の手を封じているタカシは、興奮しているみたいだった。そういやこいつ、Sだって自分で言ってたっけ。彼の思い通りに、この女に乱暴させてやっても面白いかもしれない。惨めで、滑稽で。
 何度も殴り、その度にサキが心の籠っていない「やめなよ~」を飛ばす。エミリに向かって、「こうなったマリは止めらんないからね~。正直に話した方がいいよ~?」と言うのも忘れない。優秀なアシスタントだ。
 タカシはいよいよ止まらなくなったのか、私の殴打で少々弱ったエミリの拘束を解き、腹に攻撃を加える。内臓が詰まっていて、特に女は子宮があるから大切にしろと口を酸っぱくして言われている場所への執拗な暴力に、エミリは蹲り、泣いた。こうして見ると、魔女もただの女子中学生である。
 うー、うー、と獣みたいに泣いて地に伏しているエミリの前髪を掴んで、顔を上げさせた。
「泣いてちゃわかんねぇよ。ちゃんと言えよ」
 言ったら解放されると信じて、エミリは話を始めた。
 ブー子には、おまじないを教えたのだと。
 小動物をいけにえに捧げて自分の願いを叶えてくれる悪魔様を呼び出す、本格的な魔術である。呪文などは特にないが、獲物の血で地面に円を描き、中心にいけにえを投げ入れる。そして願いを三度唱えたのちに、地面に埋める――。
「そ、それで彼女は、会長と付き合いたいと願ったの! 私はやり方を教えただけ。何もしてない!」
 だからもう、殴らないで。助けてよ、としくしく泣いているエミリを見て、タカシは鼻息を荒くしていた。こんなに変態だとは思わなかった。エミリのことは、こいつにもう全部丸投げしよう。目配せをすると、タカシは意気揚々、彼女を罵倒しながら手を上げている。なんで、教えたでしょ!? 「あんまり声出させんなよ~。ばれちまったらどうすんだよ」
 学校の教師は放置してくれるけれど、警察が来たらそうはいかない。タカシは女の悲鳴が聞けなくなることにありありと不満を浮かべながらも、ポケットの奥にぐちゃぐちゃに丸まっていたハンカチを彼女の口に詰めて、暴行を再開した。
「本当に、ブー子なんかがおまじないのおかげで先輩と……」
 あの日まで、ブー子とマサキ先輩の接点は、ほとんどなかったはずだ。ブー子には一目ぼれされるような要素はひとつもないし、先輩が操られているのだと思えば、納得がいく。許せない。好きでもない女に恋をさせられて、先輩がかわいそう。
 目を覚まさせるには、私がおまじないの結果を上書きしてやればいい。今聞いたばかりの闇の儀式の手順を思い返しながら、ふとタカシたちを見た。
 エミリはいけにえには小動物が適当だと言ったけれど、果たしてどんな生物であっても、結果は同じだろうか。
 虫を餌にして捕まえられるのは、魚やカエル、雑食の小型哺乳類。小動物を食べるのは、肉食のもう少し大きなもの。ライオンはネズミを全力で追いかけない。得られる満腹感と労力が釣り合わないから。
 ならば、もっと大きなものをいけにえにしたら? たとえばそう……。
「ええ、タカシ。その女をいけにえに、おまじないやってみない?」
 私の言葉を、最初「何言ってんだ?」という顔で聞いていた彼は、数秒後に理解して、唇を歪めた。中学生男子がするのにふさわしくない、残虐な笑み。そのまま悪役で映画に出られそうだ。もっとイケメンだったら、の話だけれど。
「好きにしちゃっていいってこと?」
 言葉を封じられたエミリが、ガタガタと震えて首を横に振る。逃げようとするけれど立ち上がれないのは、すでに何度も全体重を乗せて踏まれたせいで、脚のどこかの骨が折れているんだろう。
「うん。ここまでやっちゃったらさ、警察、呼ばれたらまずいじゃん? ねぇ、ふたりもそう思うでしょ?」
 黙っていたサキとコウジが、顔を見合わせる。
「あんたたちだって、共犯なんだからさ」
 顔を隠しているわけじゃない。同じ学年の生徒だということがわかっている状態で、エミリを逃がすわけにはいかないのだと説得をする。
「それに、大きな生き物をいけにえにしたら、ウチらの願いぜーんぶいろいろ叶えてもらえそうじゃん?」
 私は先輩を取り戻す。コウジの家は貧乏だっていつも愚痴っているから、金。サキは痩せてきれいになりたいと言いながら、お菓子をバクバク食べているから、ダイエット。タカシのことは知らない。たぶん、自分の言いなりになる女の子が欲しいとでも言うのかもしれない。
 そっと望みが叶うことを囁けば、ふたりも俄然、やる気になった。そもそもここまでひどく傷つけたのはタカシだ。共犯とはいえ、直接暴力に関わっていないとなれば、気もラクになるというものである。
「どうする? 俺、カッター持ってるけど。これでいけっかな」
 タカシの示すカッターは、普段使いのものとは違って大振りで、きちんと殺傷能力がありそうだった。いつも持ち歩いているのだとすれば、エミリと同じくらいヤバイ奴だ。わかってるけど。彼女の目の前でチャキチャキと刃を出して威嚇をすると、震えあがっておしっこを漏らした。
 きったねぇ、とコウジがゲラゲラ笑う。Sではあるが、潔癖症の気も多少あるタカシは飛びのいて、すっかり覚めてしまった模様。そのまま殴り殺すつもりだったようだが、カッターでめった刺しにする方に決めたらしい。
「じゃ、まずは一巡刺してみよっか」
 残酷な黒ひげ危機一髪ゲームの提案に、サキは難色を示したけれども、刺さなきゃあんたの願いは叶えてやらないと言えば、おとなしく従った。

 事切れたエミリの死体を、彼女に教わったとおりにした。けれど、何も起きなかった。こっくりさんじゃないけど、こういうのって、即異変が起きたりするもんじゃないのか?
「なんだよ、ガセかよ」
 タカシは癇癪を起こして、血まみれのエミリを蹴り飛ばす。まさしく死体蹴りだが、
「ちょっと! 靴に血がついたらまずいってば!」
 考えナシで短絡的に暴力を行使する男は、やっぱり馬鹿だと思う。死体については、川に沈めた。流れはそこそこ速く、深さもある。本当はバラバラにした方がいいんだろうけれど、さすがに彼女の脂肪で汚れたカッターでは、無理だ。凶器も一緒に捨てる。タカシは名残惜しそうにしていたが、持ったままでいるわけにもいかない。
 血の跡は、足で消した。消しきれなくても、こんなところに来る人間は、私たちと似たり寄ったりだ。不良の仲間割れのリンチか、金目当ての恐喝・暴行。警察に通報したりはしないだろう。
 夜が明ける前に解散して、帰宅した。眠れるわけなかった。学校には行くつもりはなく、眠気が訪れたのは、昼近くになってからだった。寝て、起きて、みんなと連絡を取り合って、次の日は学校に行くことにした。
 エミリが行方不明になった、という騒ぎにはなっていない。どころか、「佐藤エミリ」という女子の存在自体、なかったものになっていた。
「どういうこと?」
 校舎裏に集まる。コウジがばつの悪そうな顔で、手を挙げた。
「俺、俺。俺さ、やっぱり捕まるのやだったからあんとき、佐藤エミリの存在を消してくれ~、って頼んだんだよね」
「コウジにしては天才じゃん」
 もともといなかった人間を殺しても、罪にはならない。タカシは、「それならもっとあれこれしとくんだったなあ」と、何やら恐ろしいことを言っていたが、無視だ、無視。
「そういやサキ、きれいになったんじゃない?」
 こちらは予想通り、自分のルックスに関する願い事だったらしい。胸を張り、できたばかりの括れに手を当ててセクシーなポーズを気取る。
「そう! モデル体型にして、顔も二重で可愛くして、食べても太ったりニキビができたりしないようにしてくださーい、ってね」
「欲張りセット!」
 ゲラゲラと笑う。タカシは願い事について何も言わなかったけれど、たぶんよからぬことを考えている。家にペットの全裸女子が何人も侍っているとか、そういう。
「マリは?」
「私は……」
 話をしようとしたところで、「おーい、マリちゃん!」と、私を探す声がした。
「はーい、こっちです!」
 こっちじゃわかんないなぁ、という苦笑とともにやってきたのは、マサキ先輩だ。登校したら、彼が校門前に立っていた。そして私の顔を見るなり、告白をしてきたのだ! タカシたちはもちろん、サキも今日は遅刻してきたから、あのドラマチックな告白シーンを見ていない。話題は生徒会長の心変わりで持ち切りだったというのに。
 もちろんイエスだったが、返事をする前に聞いた。ブー子もとい、フーコのことはいいんですか、と。マサキ先輩は嫌悪感を露にして、「ああ、あの子? なんで俺、あんなのと付き合っていたんだろう」と、自分自身を信じられないと笑っていた。離れたところから、ブー子がすごい顔をしてこちらを睨んでいたけれど、知ったことではない。
「こんなところで何をしているんだい? 今日は一緒に帰ろうって言ったじゃないか」
 迎えに来た彼の腕に抱き着いて、「そういうわけだから、ウチ、帰るね」と三人に手を振った。ひらひらと振り返され、「お幸せに~」と冷やかしたのはコウジだ。自分たちの犯罪行為がばれる心配がなくなって、彼は満面の笑みである。
 エミリ、ごめんね。おまじないが嘘だなんて思って。あんたちゃんと、真実を教えてくれていたんだね。
 大丈夫。ウチらはあんたの分まで、幸せに生きるから……。
 バラ色の生活を思い浮かべて、私は先輩と一緒に帰るのだった。

 最初に異変が起きたのは、コウジだった。
「ねぇ、隣のクラスのコウジが行方不明なんだって!」
 エミリを刺したときに、一番震えていた臆病者のコウジ。エミリを消し去ることができて、一番安心していたのは彼だった。もう一個、金が欲しいってのも付け足すべきだったかな~、と笑っていたのは、つい昨日のことだ。
 結局コウジは、見つからない。最初からいなかったみたいに、きれいさっぱり痕跡を残さずに消えてしまった。
「エミリの呪いなんじゃ……」
 そう言いながら、サキは自分の顔をひっきりなしに引っ掻いた。コウジの安否が知れないことが、よほどストレスになっているのだろう。昼ご飯が終わっても、こっそり持ち込んだお菓子を大量に食べていて、「最近あいつ、可愛くなったよな」と好意を抱き始めていた男子たちを幻滅させている。
 あれだけ食べているのに、サキはどんどん痩せていった。ううん、痩せたなんてもんじゃない。やつれた。ガイコツにでもなれそうなくらいだった。顔の皮膚は、爪でひっかきすぎたせいでボロボロになっている。
「ねぇ、どれだけ食べても、食べても、食べても、お腹がすくの! 太らないの! なんで!? どうして痩せてくの!?」
 ――どれだけ食べても太らないように。
 彼女の願い事は、意図とは違う形で、しっかりと叶っている。サキは学校に来なくなった。親が病院に入院させたという。
 そしてタカシは死んだ。土に半分埋もれた形で、凄惨な暴行を加えられて。やっぱり彼は、苛む相手をまじないで求めたに違いない。出てきたのは美女だったのだろうが、呪術的な手段で生み出された、バケモノだった。人間ではとても無理な形に死体はねじくれていたそうで、私たち生徒は、通夜や葬儀への参加許可が出ないほどだった。
「マリちゃん」
 先輩が背中を撫でてくれる。私が望んだのは、彼だ。誰よりも優しくて、平等で、そして付き合っていれば自慢ができる、学校で一番いい男。
「いやっ」
 みんなに起きていることが、まじないのしっぺ返しだというのなら、私に牙を剥くのはマサキ先輩だ。こうやって触れてきて、何をされるかわからない。嫌悪感とともに振り払い、私はその場を立ち去った。走って走って、辿り着いた保健室の前で、ブー子と出くわした。
「ブー子!」
 保健委員として、保健だよりを取りにきたらしい彼女の手首を掴み、私は相変わらずの校舎裏にやってきた。ここに集っていた仲間たちは、私を除いてもう、誰もいない。
 怯えた様子のブー子を、校舎の壁に手をついて逃さないようにした。
「ねぇ、あんた、なんか知ってるでしょ?」
「な、なにを?」
 とぼけないでよ! と声を限りに叫ぶ。唾が頬に飛び、ブー子が嫌な顔をした。
「あんたがおまじないで、マサキ先輩と付き合ってたの知ってるんだからね!」
 目を丸くした彼女は、「そう。あなたも……」と、小さく呟いた。そして周囲で起きた事件について、私の顔を見て思い当たったらしい。コウジにタカシにサキ。いつも私とつるんでいた人間ばかりが、悲惨な目に遭っている。エミリのことは覚えていなくても、自分がおまじないを使ったことは記憶にある。ブー子は私に、淡々と言った。
「呼び出した悪魔様にお礼を言って、お帰りいただいたの?」
「は……?」
 曰く、いけにえを捧げて呼んだ悪魔は、召喚者が帰さない限りはこの世に留まり、願いを叶え続ける。
「願いを叶えるのには、代償がいる。お帰りいただいていない以上、代償を求められ続ける」
 ぐにゃり、視界が歪む。ブー子の顔が、今はいない「あの子」に見えてくる。
「あなたのお仲間は、『代償』を支払ったの」
 あなたの支払いは、まだみたいね。
 私はブー子に縋りついた。もう、助けてくれるのはこの女しかいない。泣きながら、嗚咽しながら、見えないけれど今も私に憑りついている悪魔を帰す方法を聞く。
 彼女は首を横に振る。
「もう、遅い」
 と。
 術を使って、すぐに帰ってもらわなきゃいけなかったのだ。なのに、その呪文なり手順を聞く前に、私たちは、私は、ああ! 
 立っていられなくて、膝を地面につく。頭上から、哀れみの目を向けられていることがわかった。
「ものすごく効果があるおまじないなのは間違いないけれど……私はもう、やらないわ。じゃあね」
 そう言って帰ろうとするブー子の足首を掴んだ。慌てて振り落とそうとするけれど、きつく、指の痕が残るほど。
 代償? 欲しけりゃくれてやろうじゃないの。でも、私じゃないわ。命なら、なんでもいいんでしょ?
 引っ張って転ばせて、馬乗りになって首を絞める。必死に抵抗されるけれど、こんなデブに私が負けるわけないじゃない。
 苦しそうな呻き声。真っ赤になって、ブスがますますブスだ。あはは、死ね。ウチのために死ねよ、ブス。
 動かなくなったブー子を見下ろしながら、私は願った。
 どうせ見てるんでしょ、悪魔。この死体も、ブー子の存在も、なかったことにしてちょうだい。
 醜い死体は、すぐにサラサラと砂になった。風に飛ばされて、跡形もなく消え去る。
「ああ、いたいた。マリちゃん。どうしたの、ひとりでこんなところで」
「……なんでもない。行こ、先輩」
 きっと、次に代償として支払うのは。