「実は私らな、親戚になってん」
もう何年ぶりかわからない、おそらく卒業してから二十年は経っていると思われる中学の同窓会。当時の記憶がよみがえり賑わいが増していくなかでの佐藤華子( さとうはなこ ) の発言。彼女は隣にいた小山美咲( こやまみさき ) の腕を組んでニコリと笑った。
「よく言うわ、私のこと忘れてたくせに」
「ごめんごめん」
特に会いたい人がいなかったので案内がきても参加は見送るつもりだった同窓会。当時いちばん仲良くしていた人たちとは高校の頃には疎遠になり、同じ高校に進学してから仲良くなった人とも大学になって疎遠になり、いま美咲が繋がっていると言えるのは──社会人になってからSNSで運良く見つけた、当時の人気者たちくらいだった。友人だった人も見つけたので一応相互フォローはしているけれど、特に話が弾むこともなく数年が経った。
だから本当に中学時代の同級生には会う予定はなかったけれど、SNSで誘われたのと、華子が幹事として出席するのは知っていたのと、──当時のイケメンたちがどうなっているのか見たいのもあって、美咲は同窓会に参加の返事を出した。
三百人ほどいた同級生のうち、同窓会に集まったのは五十人ほどだった。三十代も半ばになると皆の暮らしは様々で、中にはどうしても連絡がつかない人もいた。卒業アルバムに載っていた連絡先やSNSを駆使して、できるだけ多くの同級生に声をかけて、参加の返事が来たのが五十人。
地元に残っていて当時の友人とは今でもよく会っている、という人たちが半数。地元は離れたけれどみんなのことが気になって、という人たちが半数。幹事をしているのが華子なので彼女の友人だった人たちが多めになっているけれど、美咲が気になっていた人たちは──会場入り口の受付で名簿に名前を確認した。
「親戚になった……って、どういうこと?」
華子の話を聞いていた人たちが彼女に注目する。
同窓会の会場は近くのホテルだった。地元からは電車で三十分ほどで、美咲がいま住んでいるところからは電車で二駅だ。ホテルの小さい宴会場で、料理がいくつかの丸テーブルの上に置かれ、立食パーティー形式になっている。
「あのな……美咲ちゃんの旦那さんが、もともと私の親戚やったらしいねん。遠いんやけどな」
「そう……私も聞いたときビックリした」
華子が『らしい』と言っているのは、会ったことがないからだ。美咲は中学を卒業した時点で華子とは疎遠になっていたし、旦那の母方の親戚なので普段は話にも出ない。
「そもそも、中学のときだってそんなに仲良くはなかったからなぁ?」
「友達の友達、って感じやったかな?」
「うん。同じクラスになったこともなかったし。だから私のことも忘れてたんやろ?」
美咲は華子のことを覚えていたけれど。旦那と一緒に彼女の親戚の家に顔をだしたとき、『華子は美咲のことを覚えていないらしい』と聞いた。
「でも、今はちゃんと思い出してるから!」
「あやしいなぁ」
当時のクラスメイトたちの話をしながら、同窓会に来れなかった人の近況を聞きながら、同窓会に来て良かった、と美咲は思った。中学三年間が楽しいことだらけだった──わけではないけれど。会いたいようで会いたくない人もこの場にいる──けれど。
「美咲ちゃんってさぁ、中学のとき大倉( おおくら ) 君とかと仲良かったよなぁ」
話をしながら美咲はいつの間にか視線を男性陣のほうへ向けていたようで、彼らの話になった。
「そうかなぁ? 仲良かったっていうか……、あの人らみんな塾で一緒やったし、二回同じクラスやった人もいたし……」
いまはもちろん落ち着いて見えるけれど、当時の彼らは『やかましい』印象だった。ガラスを割ったり、教室で走って転んだり。バカだな、と思いながら友人たちと観察しているうちに、いつの間にかよく話すようになった。美咲が進学したのは女子校だったので彼らとは卒業と同時に疎遠になり、町で見かけることもあまりなかった。
「おーっ、紀伊( きい ) 発見!」
その言葉に美咲はビクリとした。紀伊、というのは美咲の旧姓で、話しかけてきたのは噂をしていた大倉裕人( ひろと ) だった。
「あんまり変わってないなぁ……。……いまコヤマになったん? 結婚してんや」
裕人はまず美咲がつけている名札を見て、次に左手の指輪を確認した。
「うん。大倉君はいま何してんの?」
「俺、いま美容師やってんねん。あ、これ、名刺、はい」
「ありがとう……Hair Salon HIRO( ヘアサロンひろ ) ……って、駅前のところ? よく前通る!」
「まじ? こんど来てや。サービスするで」
「うん、行く! そうなんやぁ、いつも家の近くで済ましてたからなぁ」
「口コミも良いほうやで。あいつらもたまに来てくれるし……」
言いながら裕人は友人たちのほうを見た。美咲が当時『やかましい』と分類していた人たちで、いまの様子が気になっていたイケメンたちでもある。詳しくは見えないけれど、残念な方向に変わってしまった人はどうやらいないようだ。
「そろそろ俺あっち行くわ、また連絡して。名刺にLINE載せてるから」
そう言うと裕人はもといた男性陣のところに戻っていった。
もらった名刺を鞄に入れて振り返ると、華子がニヤリとしていた。
「……なに?」
「いやぁ……。仲良いな、と思って」
「うん。……いや、別に何もないから」
「そう~? でも美咲ちゃん、目がハートになってたけど」
それはきっと、美咲は中学のとき彼のことが好きだったからだ。当時は彼にはそんなことは言わなかったし、これからも言うつもりはない。第一、美咲には彼よりも気になる人がいたから、恋人(を作るとして)候補の二番目だった。もちろん、一番だった人にも何も言わずに卒業したけれど……。
美咲が結婚したのは、三十歳になった頃だった。
二十代後半で付き合っていた恋人とは三十路目前で破局し、焦りを感じていたときに知り合いから小山航( わたる ) を紹介された。初対面が結婚前提だった上に性格も違ったので戸惑ったけれど、長く一緒にいて疲れるかと聞かれると『いいえ』という感想だった。
これまでに付き合っていた人たちとの違いはおそらく、育った環境にあった。美咲はずっと普通の核家族の、できれば長男ではない人を選んできた。義両親といきなり同居するのは嫌だったし、大きい家の後取りというのも、面倒くさいことになりそうな気がして、何も気にしなくて良さそうな平凡な人、かつ家を出て都会で一人暮らしをしている人を選びがちだった。
けれど紹介された航は、両親と祖父母の三世代で暮らしていたらしい。住んでいるのも都会ではなく、昔からある少し田舎の町。彼の育った環境を聞くたびに、将来のことが心配になった──けれど。
似たような環境で育った美咲は航に親近感を覚えたし、彼も彼の両親も、『同じ三世代で暮らしてきてるから合うと思う』と言っていた。航を断ってすぐに他の人と出会える保証もなかったので、美咲は覚悟を決めて彼を選んだ。
普段生活しているマンションの近くに義実家があって、週末はよく航と二人で顔を出していた。
「あのな、私の兄のお嫁さん、江井( えい ) 市から来てるねん」
そんな話を始めたのは義母だった。江井市は美咲が生まれ育ったところだ。
「佐藤商店って知ってる? あそこの人でな。確か美咲ちゃんくらいの女の子おったって聞いた気するけど」
佐藤商店は駅前にある小さな売店だった。店が開いていたとき美咲はまだ小さかったので、店内のことは覚えていないけれど。
「あ──いました。お店のことも言ってました」
同じクラスになったことも、深い話をしたこともなかったけれど。
駅前の目立つところにお店があったので、華子が店と関係している、と知ってから駅に行く度に思い出していた。売り上げの関係か人手不足だったのか、いつしか店はシャッターを閉めたままになった。
用事ができて美咲が航と義母の実家に行ったとき、江井市の話になった。義母の兄も仕事で江井市に行ったことがあるようで、江井市についていちばん知識が少ない航は少し放置されていた。
「聞いた? 私の実家のほうに美咲ちゃんと同級生の子いてるって」
「はい。聞きました」
「ハナちゃんていう、花じゃなくて」
「華やかの華ですよね」
「そうそう」
「でもハナちゃんに美咲ちゃんのこと聞いたら、覚えてない、って……」
中学を卒業してずいぶん経っているので、忘れられていても仕方がない。もしかすると、特に思い出がないから面倒で知らないふりをしたのかもしれない。
(それはそれで嫌やけどなぁ)
華子はいま地元から遠いところで一人暮らしをしていて、会社でもわりと人気者らしい。
「江井市に佐藤さんっておったって言うてたやろ? あの子が美咲ちゃんに会いたいんやって」
いつものように義実家に行った週末、義母が美咲に言った。
「詳しいことは知らんけど、いろいろ思い出したから話したいって」
美咲は特に話したいことはなかったけれど。
結婚して専業主婦になり時間に余裕があったので、華子と会うことになった。久しぶりすぎて会ってもわからない可能性があったので、時間と場所は美咲が指定した。江井市の駅前の、佐藤商店の前だ。
華子と会う前に、美咲は実家に寄った。
「えーっと、アルバムは……あった」
中学の卒業アルバムのページをめくり、華子を探した。顔はぼんやりとしか覚えていなかったけれど、ほぼそれで正解だった。目鼻立ちのはっきりとした、美人なほうだと思う。
約束の午後一時。の少し前には美咲と華子は無事に再会し、近くのカフェに入った。二人とも昼ご飯を済ませていたので、飲み物だけ注文した。
「ハナちゃん──私のこと忘れてたって聞いたんやけど」
美咲が言うと、華子は少し気まずそうな顔をした。
「ごめん、完全に忘れてたわけではないねん。一応、覚えてたで」
申し訳なさそうに謝りながらも華子は笑顔のままだ。それでも許せてしまうのは、彼女が美人だからだろうか。
「美咲ちゃんっていう子がいた、とは覚えててん。ただ、どんな子やったかはっきり思い出せんかって……。実家帰ったときに卒アル見て、顔見たら思い出した!」
中学の頃から相変わらず、華子はノンストップで話す癖がある。
「美咲ちゃんって、ピアノ弾けたよな? よく合唱コンクールで伴奏してた、選択授業とかでも」
「うん。よく覚えてたね」
「そりゃあ、上手かったもん」
美咲は幼い頃からピアノを習っていて、学校ではよく歌の伴奏を担当していた。誰が弾くかを決めるときに、『どうせ紀伊になるんやろな』と誰かが呟くのを聞いたこともある。中学二年の反抗期の頃に習うのは辞めてしまったけれど、趣味としては今でも続けている。
「それで、私に話って?」
「そうそう、ちょっと前から考えてたんやけど、同窓会せーへん?」
「同窓会?」
「私ら、せっかく親戚になったんやし、他のみんながどうなってんのかとか気になるやん?」
「まぁ、そうやけど……」
中学を卒業して以来ほとんど同級生とは会っていないので、仲良くしていた人達の近況は美咲も気になっていた。進学してから疎遠になった友人たちと、友人ではなかったけれど接することが多かった人気男子たち。
面倒な幹事は華子が引き受けてくれるというので良かったけれど、もしかすると手伝いを依頼されるのではないか、という嫌な予感は見事に的中した──。
「そうや、みんなで校歌歌おうよ! みんな覚えてる?」
美咲たちとは違うグループからそんな話が出て、やがて全員が歌詞を思い出そうとし始めた。完璧に覚えている人、一番と二番が混ざっている人、小学校の校歌と似ていたからと途中でおかしくなっている人。
「ピアノあるし、誰か弾いて」
校歌を歌おう、と言い始めたグループの中に校歌の伴奏経験者がいたので、美咲は歌う側になった。美咲は校歌は何となく覚えていたので、回りの友人たちのリードをすることになった。肝心の伴奏が途中で危なくなっていたけれど、美咲は弾かずに済んだ。
同窓会の時間が終わりに近づいた頃に二次会の話が出たけれど、美咲は参加せずに帰ることにした。華子も用事があるからと車で帰ってしまったので、美咲は一人で駅に向かった。同じく電車での帰宅組がいたので途中まで一緒に帰り、電車を降りてから航に電話した。
『今日はありがとうね! また会おう!』
帰宅後しばらくしてから、華子からLINEがあった。彼女も無事に帰宅して、明日の仕事に備えて早めに寝るらしい。ちなみに華子はまだ独身で、同窓会の話を聞いたときに「優良物件おらんかな?」と言っていた。美咲は華子が男性陣と話しているのを見なかったので、残念ながら良い人はいなかったようだ。
華子に『こちらこそ』という返事を送ってから、美咲は大倉裕人にもらった名刺を見た。彼が勤めるヘアサロンの連絡先と、裏面に彼個人の連絡先を書いてくれていた。少し迷ってから美咲は個人の連絡先をLINEに登録した。
裕人もLINEを見ていたのか、すぐに友達に追加されたので『小山(紀伊)美咲です』ととりあえず送信した。
裕人は友人たち数人で飲みに行ったようで、電車で帰っているところだと返事がきた。住んでいるところは全員が違うので、いまは一人らしい。
「美咲、何してんの? それ誰?」
美咲が名刺を見ながらLINEをしていると、航が名刺を覗きにきた。
「同窓会で貰ったん?」
「そうそう。駅前で美容院やってるらしくて、今度行こうかなぁと思って」
引っ越してから最初に美容院を探したとき、近くの店を調べていると口コミの良いところが徒歩圏内にあった。何度か行って、店内もお洒落でスタッフとも話せるけれど、料金が割高なのが少し気になっていた。
「駅前……あ、HIRO? 俺の後輩で行ってる奴おるわ。結構良いらしいで」
ふぅん、と航には適当に相槌を打って、美咲はLINEに視線を戻した。旦那の後輩が通っているらしい、と送信すると、『誰やろ? 電車降りるから、またな!』と返ってきた。
美咲は中学に入った頃から裕人の存在は知っていた──クラスは違うけれど目立っていた──けれど実際に初めて話したのは二年生になって同じクラスになってからだった。一年生のときに仲良くなった友人と同じ塾に通っているようで、見渡すと、塾が一緒のクラスメイトが結構いたらしい。
美咲は新たな友人やよく話す生徒を増やし、やがて同じ塾にも通うようになった。そして中学卒業の頃には裕人は友人──ではなかったけれど、それなりに仲良く話す相手になっていた。
そのきっかけになった友人とは残念ながら高校で離れてから疎遠になり、大学生になってからSNSで見つけたときに連絡を試みたけれど素っ気ない一言しか返ってこなかったので、それ以来、美咲は連絡をしなかったし、同窓会の連絡は実家に送ったけれど参加はしていなかった。
そういえば彼女は裕人と同じ高校だったな、と思い出したけれど、それもどうでも良かった。つい最近、新たなSNSのアカウントを見つけたけれど一年以上前に更新が止まっていたし、美咲とはまるで違う生活をしていた。同窓会に来ていた人からも彼女の話は聞かなかったし、素っ気ない返事が来たときに当時大学で同じゼミだった仲間に簡単に話すと『なにそれ!』と全員が口を揃えた。
(あんなん……ほっとこ!)
美咲は気持ちを切り替えて、もう少しだけ同窓会の余韻に浸ることにした。新たにLINEに追加した友人たちに簡単に連絡をして、連絡先は貰わなかった人たち──裕人の友人たちを思い浮かべた。残念な方向に向かいかけている人は、いたけれど。美咲が気になっていた人たちは当時のイメージのまま大人になっていて、それが確認できただけでも良かったな、と思う。
彼らは美咲の初恋ではなかったけれど。仮にも少しでも好きになった人を見かけたときに、あまりに様変わりしていてショックを受けるのは嫌だとずっと思っていた。
「今回幹事の手伝いしたから、次はないやろ?」
「と思うけど……。ハナちゃんがまた幹事やるって言ったら、わからんな」
華子から同窓会の幹事を手伝ってほしいと言われたとき、美咲には参加の予定はなかった。仕方ないので準備だけ親戚の好( よしみ ) で手伝って、当日は顔を出さないつもりだった。最終的に参加を決めて良かったとは思ったけれど、何年後かわからない次回開催時には、せめてもう少し規模を小さくしてもらわないと、幹事も出席するのも大変だ。
「十人くらいで飲み会とかのほうが楽やわ……。まぁでも、久々やったし、何人か連絡先交換できたから、今回は良かったけどな……」
「名刺もらってた奴……ネットに載ってたで。人気みたいやな」
「そうなん? へぇー」
そう言われると、裕人は他の男性陣よりはお洒落な服装をしていた。中学の頃から少し周りとは違う服装をしていたけれど、大人になったいまはシンプル路線らしい。
「……どうしたん?」
「いや──」
航がじっと美咲を見ていた。
「なに考えてんの?」
航は何でもないと言ったけれど、しばらく美咲に甘えていた。浮気の心配をしたのではないかと察しがついたので、そんなことはしませんよ、というつもりで彼に優しくした。
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第2章 Hair Salon HIRO
第4話 Hair Salon HIRO
同窓会から一ヶ月ほど経って、美咲は駅前のHair Salon HIROを訪れた。平日の昼間だったのもあって希望時間に予約が取れ、受付で少し待っていると裕人がやって来た。仕事柄か、やはりお洒落だ。
初回なので簡単な個人情報を記入して、シャンプーは若い女性アシスタントが担当してくれた。店に来た経緯を聞かれたので裕人と同窓会で再会したと話すと、店長はどんな子供だったんですか、と笑っていた。
「それ、いま言って良いの?」
「やっぱり、本人いると言いにくいですよね」
美咲は直接は聞かなかったけれど、HIROはおそらく裕人の名前だろう。店の内装もシンプルで、いまの彼の服装によく似ている。
シャンプーが終わり鏡の前に案内され、置かれた雑誌に目を通していた。数冊ある中から旅の情報誌を選び、パラパラとページをめくる。もうすぐ夏になって航も長期休暇を取る予定なので、どこか行きたいね、とは話しているけれど具体的には何も決まっていない。
「お待たせ。今日はカットだけ?」
裕人が他の用事を済ませたようで、美咲の隣に来た。
「うん。まだカラーは大丈夫そうやから。もうすぐ夏やから、軽い感じにしてもらおうかな」
「オッケー。じゃあ……これくらいかな?」
鏡越しに話をしながら、長さを確認する。中学のときはバカ騒ぎしてたのにな、と思い出して、美咲は笑ってしまった。
「なに? どうしたん?」
「いや、なんか、子供のときはあんなん( ・・・・ ) やったのになぁ、って」
美咲が言うと、裕人も思わず笑っていた。子供だったので仕方ないけれど、三十路になった今と比べられるものではないけれど、本当にあの頃はしょうもなかったな、と当時を振り返る。
「紀伊とは、二年と三年で同じクラスやったよな?」
「うん。塾も一緒やったし……。大倉君は常に視界にいた気がする」
「──そうやなぁ。同じ班とかなったもんな」
「塾もわりと同じクラスやったやん? あのとき、学校は普通やったけど、塾行くとき髪の毛固めて立ててたやん? あれ、後ろに座ったら結構邪魔やってんで」
「え、マジで?」
髪の毛を、これでもか、というくらいに四方八方に立てていた彼の頭は、元の大きさの約二倍になっていた。おかげで彼より後ろの席になってしまった時は黒板との間に大きな邪魔ができて、身体を動かさないと見えないこともあった。
「あれは確かに、やりすぎてたと思うわ」
苦笑しながら裕人は手を動かし、左右の長さを確認してからハサミを置いてドライヤーに持ち変えた。ブウォーンという乾かす音が鳴って、途中からシャンプーをしてくれたアシスタントが手伝いに来てくれた。何か話しているけれどドライヤーの音であまり聞こえない。
「そういえば、店長の同級生って他にも来てくれてましたよね。男の人何人か」
「うん。何人かおるけど……一番来てくれるのはトモ君かなぁ。あと佳樹と……」
ドライヤーを使いながら裕人が挙げたのは、山口朋之( ともゆき ) と高井佳樹( よしき ) だ。朋之は二年のときに、佳樹は一年と三年の二回も同じクラスになった。そして裕人を含め全員が同じ塾に通っていたので、いつの間にか常に視界にいたメンバーだ。
「トモ君て、あのシュッとしてる人ですよね。こないだ来てくれてた」
「そうそう……」
アシスタントがドライヤーのスイッチを切り、しばらくしてから裕人もドライヤーを止めてハサミに持ち変えた。
「あいつらも……高校入ってから連絡取らんようになったりしたけど、成人式で会ったり──こないだも会えたし……」
美咲の髪を整えながら、会いたかった人はだいたい会えた、と同窓会を振り返っていた。細かいところをカットして、美咲に正面を向くように言った。
「前髪はどうする?」
「あ──お願いします」
ハサミが見えたので美咲は目を閉じたけれど、ふとあることを思い出して笑ってしまった。
「ごめん、ちょっと、高井君のこと思い出して……」
「佳樹?」
美咲は自分を落ち着かせてから、改めて目を閉じた。
「入学式の日やったかなぁ? 前髪切りすぎた、って凹んでる子がいたんやけど、高井君がしばらく、前髪命、って呼んでた」
「──そやねん、だから女の子の前髪切るのは緊張すんねん」
二人は小学校から仲良くはなかったようで、美咲の知る限りでは顔を合わせる度に言い争っていた。高校は二人は違うところになったけれど、ライバル校のようなところだったので合格通知を受け取ってからも争いは続いていた。
「あの二人、ひどかったよな。まぁ、だいたい悪かったのは佳樹やけどな」
「ははは! 確か、友達ともしょっちゅう喧嘩してたよなぁ」
あいつはそういう奴だ、と笑いながら裕人は鏡を出して美咲に後ろ姿を見せた。特に不満はなかったので美咲は席を立ち、受付の方へ向かう。
「今日はカットだけやから、ええと……」
裕人が料金を提示して、美咲は財布から支払う。カラーをしていないのでその分はもちろんないけれど、それにしても今まで行っていた近所の店よりは安いなと思う。
「こんな安くて良いの?」
「うん。だからお客さん来てくれるし、まぁ、他のカラーとかパーマは普通かもしれんけど」
レシートと会員証を受け取ってから、店内に他の客がいなかったので美咲は少し裕人と話していた。髪の仕上がりも悪くなかったので通う店を変えようかと思うと言うと、裕人は顧客特典を説明してくれた。
「まぁ、今まで行ってた店もあるやろうし、たまにで良いで。でも、来てくれたら嬉しいな」
裕人が笑うので美咲も釣られて笑い、話を聞いていたアシスタントも一緒に笑っていた。
「ありがとうな。またな」
裕人とアシスタントに見送られ、美咲は店を出た。久々に思い出話をできて嬉しかったので、顔は緩んだままだ。先程の会話を思い出して、改めて笑ってしまう。
それでも──。
一番気になっていた情報はほんの僅かしか聞けなかったので、美咲はHair Salon HIROに通うことに決めた。
Hair Salon HIROからの帰り道、美咲は旅行代理店へ寄って旅先の候補に上がっていた場所のパンフレットをいくつか取ってきた。航の仕事の都合でそれほど長くは休みが取れないので、行き先は国内に限定されている。そもそも美咲はパスポートを持っているけれど航は持っていないので、今から申請したとしても夏の旅行に間に合うはずはない。
美咲は新婚旅行は海外に行きたかったけれど、諸々の事情で北海道になった。秋に行ったのに予想外に雪が降って寒かったのと世間の事情で観光地が閑散としていたのとで残念だったけれど、それでも宿のサービスや人との出会いは良かったと思う。一日目の小樽の宿の夕食時、コース料理のデザートの後で改めて出された御祝いのケーキは、食べきれなかったので部屋に届けてもらって夜食になり。二日目の旭川では宿の好意で部屋をグレードアップしてもらい。三日目、旭川の別の宿に泊まった夜は非常に寒く、偶然訪れたおでん屋の女将は有名な写真家だったようで。最終の札幌は、テレビをつけると御祝いのメッセージが表示されていた。
旭川のおでん屋にまた行きたいな、と航と話しながらスマホで店を検索すると『閉業』と表示されていて、詳しく探すと女将は店を訪れた数ヶ月後に亡くなったらしいと記事が出ていた。
「あのおでん屋さん行きたかったなぁ」
「手伝ってたおばちゃんも面白かったよな。おでんの形のペンダントしてた」
口数が少なかったのであまり話さなかったけれど、ペンダントの話をすると少し照れていた。できればまた会いたいけれど、名前もわからないので元気なことを願うしかできない。
夏の旅先として北海道は定番、だけれど。
美咲は二十代前半の頃、友人と頻繁に行っていたけれど。
いくつものパンフレットを見た末に、旅行先は広島になった。美咲も航も何度か行ったことがあるので、ある程度のプランも立てることができた。広島には美咲の母方の祖母がいるので会いに行くことになって、航が野球を見たいと言うのでナイター観戦に行くことも行程に入れた。あとは宮島へ行って、お好み焼きを食べて、あなごめしも食べたい。
「そういえば美咲、HIROはどうやったん? なんか──いつもと感じ違うな」
言いながら航は美咲の髪を見た。今までのところも上手かったけれど、スタッフの平均年齢が高いのでスタイルはやや古い。と言うと店に失礼になるしスタッフも日々勉強しているのを美咲は知っていた。裕人の店は駅前にあるのもあって客層も若く、スタッフも美咲くらいの年代だ。
「どっちが良いと思う? 見た感じ」
「どっちでも良いんちゃう?」
「──そーですか」
航はファッションには特に拘( こだわ ) りがないらしく、いつも同じような服装だ。美容師に任せて髪をイメチェンされても、翌朝にはワックスで固めていつもと同じような形になっている。いまは多少は気を遣っているけれど、出会ったときは数ヶ月も放置していたようで、こういう人なのか、と少し不安になった。
「行くとこ変えるん?」
「うん。上手いし、安いし……。でも、前のとこもあるし、ちょっと迷ってる」
技術が同じなら、確実に安いほうを選ぶ。料金が同じなら、技術が上手いほうを選ぶ。まだ裕人には普通のカットしかしてもらっていないので、技術で判断するのは早いかもしれない。今まで行っていた店も、顔馴染みになったので急に行かなくなるのも申し訳なく思う。
ひとつだけ確実なのは、裕人にカットしてもらう時間が嬉しかったことだ。
もちろん、彼のことは好きだったけれど今は航と結婚しているし、話はしなかったけれど裕人もおそらく結婚しているし、二人とも独身だったとして恋愛感情が──、ということはなぜか起こらなかった。
(やっぱり、二番目……やったからかな)
今の状態でまた好きになってしまったら、それはそれで問題なので良かったのだけれど。
「広島まで新幹線で行って、……レンタカー借りる? 電車で移動する?」
変な気が起きないうちに美咲は話題を旅行に戻し、パンフレットを見た。
「電車やな。美咲のおばあちゃんのとこも、バス停の近くやろ?」
「うーん……バス停から坂道上らなあかんかったような……」
美咲が大学に入った頃に祖父が他界し、しばらくしてから祖母はマンションに引っ越した。その後、成人式の振袖を作ってくれることになった時に行ったきりなので、あまり覚えていない。祖父の墓参りにも行きたいけれど、マンションから車でも数時間かかる田舎のほうにあって道も詳しくわからないので今回は断念することになった。
「時間あったら商店街でパン買いたいな。それか昼ごはん食べたい」
美咲が子供の頃に両親と広島に行ったとき、必ず立ち寄るパン屋があった。いつ行っても賑わっていて、二階のレストランでは何を食べても美味しかったことを覚えている。ネットで検索してみるとリニューアルしたようで、久しぶりに行ってみたくなった。
「帰りに直島に寄る?」
「ああ……岡山で新幹線降りて? ……無理やな、日程を倍にせなあかん」
直島は瀬戸内海にある香川県の島で、一年ほど前に突然思い立って行った。ほとんど無計画だったので時間があまり無く、知らなかった雨と世間の事情と月曜日の飲食店休日が重なって少し残念だった。おかげで一泊二日でも楽しめたけれど、思いきり楽しむには二泊したいと思った。
「どうせなら、同じとこより違うとこに行きたいな。今度は沖縄とか東北とか行ったこと無いとこ行きたい」
「そうやなぁ……。私は東北は一回だけ行ったことあるけど」
美咲が小学校六年生の夏休みの出来事になるけれど、それはまた別の話だ。
まずは目先の広島旅行について、しっかり計画を立てることにした。
六月の上旬、梅雨に入ってしまう前の日曜日の午後に華子と美咲は会うことになった。華子の親戚で祝い事があって、土曜の午後から近くにいたらしい。歳が近いので仲良くしている親戚ではあるけれど、間で繋がっている人達のことはよくわからないので華子はホテルに泊まっていたようだ。
航は仕事が休みで家にいたので、晩御飯までには戻ると約束してから美咲は家を出た。華子との待ち合わせは、最近近くにできたお洒落なカフェだ。
美咲が先に到着して待っていると、華子が手を振って店内に入ってきた。自分の鞄と紙袋をいくつか持って、走ってきたのか少々息切れている。
「ごめんごめん、遅くなって……」
「ハナちゃん──車じゃないん?」
「あのな、……ごめん、先に何か買ってくる」
店員が注文を聞きに来るのとは違うセルフサービスのカフェなので、華子は荷物を置いて注文しに行った。ちなみに美咲は既にカフェモカを飲み始めている。
華子が戻ってくる前にもう一口──とストローを持ったとき、華子が飲み物と一緒にチーズケーキを二つ運んできた。
「美咲ちゃん、これ食べよ」
「えっ、ありがとう……いくら?」
「良いよ良いよ。食べて」
昼ごはんを食べてきたけどお腹が空いたから、と言いながら華子はケーキ一つを美咲の前に置いた。
「あのな、親戚のお兄ちゃんが結婚して、結婚式は行かんかったから親と一緒に御祝い持って行っててん。晩御飯も一緒やったから、お酒飲むかもしれんから電車にしてん」
やはり華子はノンストップで説明してから、ようやく飲み物を口にした。喉がカラカラだったようで、生き返った、と笑った。
「喋る前に飲んだらよかったのに」
「──ほんまやな」
暑いから頭が回っていないと笑いながら、華子は持ってきた紙袋を一つ美咲に渡した。地元では有名なメーカーの涼菓の詰め合わせらしい。
「これ、どうしたん?」
「昨日、御祝いのお返しにもらったんやけど、うちの両親あんまり食べへんねん。だから貰って」
「いいの? ……ハナちゃんの親戚やったら、私も親戚なんか?」
「そう、やな。でも、私らくらい遠いんちゃうかな? たまたま私が仲良くしてもらってたから知ってるけど」
改めて華子にお礼を言ってから、美咲は袋を荷物の隣に置いた。涼菓なので重いけれど、それほど大きな箱ではないので何とか食べれそうだ。
「はぁ……。お兄ちゃんイケメンやってんけどな……」
どうやら華子は、彼のことが好きだったらしい。
「でも、親戚やったらどっちみちあかんかったんちゃうん?」
「そうか……」
「ハナちゃん、職場には良い人いないん?」
美咲が聞くと、華子はフッと笑顔になった。飲んでいたドリンクはこぼす前にテーブルに置いた。
「実はおんねん。まだあんまり話したことはないんやけど……独身、てことは他の人から聞いてんねん」
「お? 頑張れ。年上の人?」
「うん。隣の課の人でな……。頑張って声かけてみるわ」
彼の予定を思い出しながら、華子は声をかけるタイミングを考えだした。一日で何度かすれ違うことはあるようで、帰り道でもたまに見かけるらしい。
「それより美咲ちゃん、前と雰囲気違えへん?」
「そう? 旦那は何も言わんけどな」
「あ──もしかして、恋してる?」
「ち、違うから! 怒られるわ。……美容院変えてん。前、同窓会で大倉君が美容師してるって聞いたから行ってみた」
本当にそれだけで、美咲の生活は以前と変わっていない。裕人にLINEもしていないし、店にもまだ一度しか行っていない。店に何度か通いだすと、連絡することが増えるかもしれないけれど。
「ふぅん。前に会ったときより綺麗に見えたから。髪が」
「うん……まだ一回しか行ってないけど、技術は高いと思うわ」
「どこでやってんの?」
「駅前。帰りに覗いてみたら?」
と言ったけれど、中学時代、華子はあまり裕人とは関わりがなかった。行っても気まずいだけなので、情報は不要らしい。
「美咲ちゃんは大倉君といつ同じクラスやったん?」
「二年と三年。あと塾でも一緒やったわ。最初は特に喋らんかったけど、三年なってからかなぁ……友達に近い感覚やったな……」
「確か──彩加( あやか ) ちゃんとも仲良かったよな?」
突然出てきたその名前に美咲は一瞬、顔を強ばらせた。佐方( さかた ) 彩加は当時の友人で、大学生になってからSNSでそっけない返事をしてきた人物だ。
「いま何してんのか知らんけどな。大倉君と同じ高校やったから、もしかしたら何か聞くかもしれんけど……。高井君も一緒やったみたいやし」
「あー、高井……あいつ、みんなに嫌われてたよな」
「うん。私、一年と三年で一緒やって、最初は大嫌いやったのに最後は妙な親近感あったわ……。いや、好きではないで? 大倉君と話してたらいつのまにか話の輪におった感じ」
本当に、佳樹には好きという感情を持ったことがない。入学したときの〝前髪騒動〟から嫌なイメージだったし、彼を良く言う人もほとんどいなかった。高井=トラブルメーカー、というイメージが教師を含めた彼を知る人全員に広がっていた。それでも美咲が親近感を持ってしまったのは、裕人を含めた三人が学校や塾でたまたま近くにいることが増えたからだろうか。
「美咲ちゃんて──誰が好きやったん?」
「え? それは……秘密! あ、でも、ハナちゃん知ってる人やわ。同じクラスになってるはず」
「いつ?」
「それは言われへん」
美咲の雰囲気が変わった理由が美容院を変えたことにあるのは間違いない。裕人の腕が良かったようで、綺麗にして貰えて、嬉しかったのも間違いない。
それよりももっと影響しているのは、美咲が当時片思いしていた人がHair Salon HIROに通っているようで、店で会う可能性が非常に高いことだ──。