五日目。気分は最悪で、頭痛や吐き気が止まらない。あれが夢ならいいのにと何度も思ったのに、現実は残酷だ。
 事故だとしても子犬とらいむを殺したからか、絶望の分魔法石には青い光がさらに貯まっていた。
 これなら簡単な魔法なら数回は使えそうだ。けれども足りない。らいむを生き返らせるには、もっとエネルギーが必要だ。

「りんごちゃん、ひどい顔なのです。お空でも飛んで気分転換するです?」
「……やめとく。そんなので力使うの、もったいないから」

 魔法を手にして自由や希望を得たはずだった。あの日空を飛んだ高揚は、今でも覚えている。それなのに、今の気分はどん底だ。時間は残り少ない。焦りばかりが募っていく。

 幸い今日は土曜日で学校は休み。今日計画を立てるなりターゲットを決めるなりして、明日決行だ。

「なら、らいむちゃんを無事復活させられたら、一緒にお空で仲直りしたらいいのです。きっとらいむちゃん喜ぶのです」
「そうかな……?」
「もちろんなのです。自分のために十人も殺めてくれたなんて知ったら、きっととっても喜ぶのです!」
「……うん、そう、だね」

 一緒に空を飛ぶのを喜んでもらえるのかと思えば、殺すことを喜んでくれると話題がすり変わる。
 けれどその場でその違和感に気付く余裕もないまま、私は頷くしかできなかった。

 適当に着替えを済ませ、どこかでターゲットの目星をつけようと考えていると、不意に部屋の扉がノックされる。

「りんご姉、入っていい?」
「……ゆずる? ……うん、いいよ」

 ゆずるが朝から訪ねてくるなんて珍しい。土曜日ならあと一時間もすれば塾に行く時間だろう。そんな僅かな自由時間に、わざわざ何の用だろうか。

 顔を覗かせた彼は少し顔色が悪かったけれど、それよりひどい顔をしているであろう私を見て、ぎょっとした様子で部屋に入ってきた。

「ゆずるどうしたの? 何かあった?」
「……それはこっちの台詞」
「え?」
「りんご姉、昨日から様子おかしかったろ? 夜ご飯の時もほとんど食べないし顔色悪かったけど……朝からさ、ちょっと変だった」

 朝。私は何をしただろう。らいむのことが衝撃的すぎて、覚えていない。

「気になって、部屋に戻ってすぐ追い掛けたんだ。そしたら、ノックしようとしたら中から『もう盗みはしない』なんて聞こえてきて……」
「盗み……あ……ミルキーと、話してた時……。あんた、部屋の前に居たの……?」

 盗みがどうので悩んでいたのが、随分昔のことのように思えた。しかし、もっとも身近な存在にそれがバレてしまう焦りに、一気に現実味が押し寄せる。

「……真面目なりんご姉が盗みとか、信じられなかったけど……りんご姉が家を出たあと部屋を探したら、引き出しにあった……」
「ちょっと待って、勝手に人の部屋漁ったの!?」

 ゆずるの手には、よりによってらいむから盗んだボールペンが握られていた。
 思わず怒鳴ってしまうけど、私にそんなこと言う資格はない。わかっている、ゆずるは正義の告発をする正しい存在で、私はれっきとした犯罪者だ。

「りんご姉、なんでこんなこと? ストレス? それもこんなにたくさん。魔が差したとかじゃないよね?」
「それは、理由が……」
「勘弁してよ。こっちは散々期待背負って逃げられずに頑張ってんのにさ」
「……」

 期待されず可能性を潰される私に、期待され雁字搦めのゆずる。お互い無い物ねだり。わかってる。それをどうにかするために、魔法を使うために、盗みが必要だった。
 説明したかったけど、いざ罪を目の前に突きつけられ、言葉が出てこない。

「というか、このペン、らいむちゃんのだよね?」
「なんで知ってるの……?」
「これ、僕がらいむちゃんにプレゼントしたやつだから。ほら、名前入り」
「え……?」
「知らなかった? あー、最近りんご姉と疎遠だって言ってたもんな……僕とはあんなに仲良くしてくれるのに」

 らいむとゆずるが仲良しだなんて、知らなかった。らいむをうちに連れてくることは何度もあったけれど、ゆずるは塾でほとんど会うことはなかったはずだ。
 塾で知り合ったのだろうか? それともどこかで偶然? しかしそれを問い質す前に、衝撃的な言葉を突きつけられる。

「いいこと教えてあげる。僕、将来らいむちゃんにケーキ屋さんをさせてあげるんだ」
「……は?」
「らいむちゃんの夢。いつか結婚して、僕が経営する店を彼女に任せるんだ。……りんご姉じゃなく、僕が叶えてあげるんだよ」

 私は生まれてはじめて、心から殺意を覚えた。私の求めるもの全て奪うこの存在が、憎くて仕方なかった。

「ところでさ、昨日の夕方から、らいむちゃんと連絡つかないんだよ。何か……」

 感情が爆発して、抑えられない。気付くと変身していて、魔法石には眩しいくらいのエネルギーが集まっていく。

「!? りんご姉……!? 何!?」

 あまりの眩しさに、ゆずるは目を開けられないようだ。その隙に私は魔法を使い、彼を気絶させてその手に握られたボールペンを奪い返す。

「……殺すのです?」
「あとで。せっかくだもん、ゆずるは十人目にする」
「なるほどなのです! 九人で人がどの程度で死ぬか実験して、最後は死ぬぎりぎりを攻めてあらゆる苦痛を与えるのですね!」
「……はは、それじゃただの快楽殺人だよ。……でもまあ、それもいいかもね」

 計画なんて立てる余裕もない。らいむを生き返らせてから、私は殺人犯として捕まるだろう。
 それでも構わない。恨みや苦しみ、悲しみや怒り、不安や嫉妬、さまざまな感情が渦巻いて、もう他のことなんて考えていられなかった。

「ふふ、殺しちゃえばゆずるくんのことも解決なのです! りんごちゃん、ファイトなのです!」
「うん……頑張る」

 私はどん底でも、らいむを生き返らせるという希望だけを胸に進むことを決めた。
 部屋を出て、一番最初に目についたお母さん。これからゆずるの塾の送迎だろう。朝食やお弁当を作りながらばたばたとしていた。
 それから、休みだからと呑気に新聞を読んでいるお父さん。私を一瞥して、一瞬魔法少女の格好に怪訝そうにしたものの、すぐに興味をなくしたように顔を背ける。

 男の子っぽい服装でも、やっぱり私じゃ駄目なのだ。男の子じゃないと家族にも認められないし、らいむと結婚だって出来ないのだ。

 抱えていた絶望が二度目の爆発を迎え、私は魔法で、両親を殺していた。
 リビングに転がる、圧縮された二つの肉の塊。散々可能性を奪われ抑圧された私の気持ちを、少しでも思い知るといい。

「おお、いい感じなのです! 感情爆発の末の親殺し……すごいエネルギーなのです!」
「あと八人……」

 ふらふらと家を出て、近所で獲物を物色する。家族を殺した以上、もうなりふり構っていられなかった。
 すると道中、くまのぬいぐるみを連れた魔法少女が、誰もいない広場で何かしているのを見かけた。
 ふわふわと可愛らしいドレスに似たピンクの服を着た、女の子らしい子。女の子のまま幸せそうな彼女に、それだけでイライラとした。

「魔法少女……」
「あの子もきっと、魔法で幸せになろうとしてるのです。りんごちゃんはこんなにも苦しんでるのに、にこにこ呑気なものなのです」
「……ミルキー。魔法少女を殺すのは、試験に何か問題ある?」
「特にないのです。寧ろ、りんごちゃんにも襲撃はあったのです」
「……え?」
「ミルキーは人知れず、ずっとりんごちゃんを守ってたのですよ!」
「……知らなかった、ありがとう……」
「お礼なんていいのです! ミルキーはりんごちゃんの味方なのです!」
「味方……うん。私の味方は、ミルキーだけ」

 私を襲撃したのが彼女なのかはわからない。けれどどうせあの魔法少女も私と同じように、自らの欲のために人を殺すのだろう。
 それなら、私が彼女を殺せば助かる人もいる。殺人犯には変わりないけれど、寧ろいいことをすることになるのではないか。そんな言い訳がどんどん浮かび上がり、私は魔法で羽根を生やし空を飛ぶ。
 彼女の真上に差し掛かると、急に出来た日陰を怪訝そうに見上げた彼女と目が合った。

「あっ、あれ? あなた魔法少女!? わあ、嬉しい、わたし仲間に会うのはじめて……」
「……さよなら」

 真上からの攻撃に、笑顔だった彼女はあっさりと死んでしまった。
 空気を圧縮して酸欠になったゆずるを気絶させ、肉体を圧縮して両親を肉塊とし、今度は彼女を真上から潰した。
 あらゆる未来を潰されてきた私は、どうやら圧縮するのが得意らしい。皮肉なことだ。

 彼女の傍に居たくまのぬいぐるみは、魔法少女を殺され悲しむでも怒るでもなく「あーあ、だめだったかー」なんて呑気に呟いてどこかへ消えてしまった。

「……まだ五日目、希望に満ちた魔法少女もたくさんなのです。ふふ、幸せそうな女の子たちは、りんごちゃんにとっての敵なのです」
「魔法少女は、敵?」
「そうなのです。りんごちゃん、ミルキーが魔法少女を見つけるのです、やられる前にやるのです!」
「うん……」

 そうして私は、ミルキーに教えられるまま魔法少女たちを殺していった。変身前の普通の子も多く居たけれど、どの子も楽しそうに笑っていて、どの子も幸せそうで、私の苦しみをより浮き彫りにさせた。

 魔法で殺す度エネルギーが少しずつ消費されるから、ノルマは十人では済まなかった。らいむを生き返らせるため。あと何人殺せばいいのだろう。
 心が麻痺していって、次第に悲しみも怒りも失い、ただ機械的に人を殺すようになった。
 するとエネルギー還元率が低いようで、定期的にミルキーは私の感情を揺さぶる言葉をくれた。

「……もっと、殺さなきゃ」

 町中が血の海に沈めば、誰も私を捕まえないだろうか。
 そうすれば生き返ったらいむを連れて、誰も知らない他所の土地で、二人で過ごせるだろうか。今度こそ夢を叶えられるだろうか。

 そんななけなしの希望を胸に夜まで彷徨い、気付けば疲れて、あの河川敷で眠ってしまっていた。