その動画は、家族でバーベキューしに行ったときのものです。小学2年生の長女と仲の良い美波(ミナ)ちゃんと、そのご家族も一緒でした。

娘たちはよくお互いの家に遊びに行っていて、自然と家族ぐるみの関係に発展しました。

バーベキューについてもどちらかが誘ったわけではなく、公園で子どもたちが遊んでいる傍ら、わたしと美波ちゃんママでいろいろと話していたときに成り行きで決まったことでした。

ちょうど娘たちは夏休みで、バーベキューというイベントにはたいへん食いついていました。


ただ、急に決まったことだったので、近場の有名どころはすでに予約が埋まっていました。どうしようか悩んでいたとき、美波ちゃんママから連絡があったんです。会場を確保できた、と。

ネットで穴場スポットと紹介されていたところでした。
県境にあるバーベキュー場で、青々と茂った山々に囲まれ、そばに川が流れていました。

正直、ネットで写真を見たときは、少し廃れている印象がありましたが……実際に行ってみると、思いのほかきれいで開放的な場所でした。

ちょうどわたしたちしかいないタイミングで、貸切状態のバーベキュー場を広々と使えてラッキーでした。

せっかくの遠出なので、わたしの旦那が三脚にカメラをつけて動画を回し続け、帰ってから思い出のムービーに切り抜いて残しました。この動画は、編集前のものですね。


そのバーベキュー場は設備だけでなく食材も現地で提供してくれるタイプで、わたしたちはほぼ焼いて食べるだけでした。娘たちはちょくちょく焼けたお肉を食べながら、川で遊んでいたので、特別世話を焼く必要もなかったです。

わたしには娘のほかにもうひとり、来年小学校に上がる息子がいるんですが、娘と美波ちゃんは小さな息子とも一緒に遊んでくれていました。

肩の荷が下りた気分でした。

大人は大人で自由に満喫していて、まさに理想の夏の休日だと思っていました。


美波ちゃんパパとはちゃんと話すのははじめてだったんですけど……ここだけの話、あまり印象はよくなかったです。一度もトングに触れることなく、美波ちゃんママが焼いたのを食べ続けていました。

美波ちゃんママからお堅い人だとは聞いていましたが、堅いってそういう意味かあって。

でも、その日の運転は美波ちゃんパパがしてくれていたので、何も言いませんでした。こういう家庭もあるんだなあ、わたしは恵まれているほうなのかも、と思うくらいに留めました。


……バーベキューの肉類がなくなりかけたころだったでしょうか。

突然、息子が泣き出しました。


各々くつろいでいたわたしたち大人は、一瞬にして“親”の意識に切り替わりました。

目を向けると、息子は川の浅瀬に転がるように全身を濡らしていました。警報のような泣き声が、山の奥のほうまでとどろいていました。

息子はまだ5歳ですし、昔からよく泣く子ですが……そのときは、なんとなく、いつもとちがうように感じたんです。母親の勘というやつですね。

わたしはすぐに駆けつけて息子を抱き起こしました。



「痛かったねえ。冷たいねえ。よしよし」

「びえええええんんん!!!」

「ケガは? してない? 大丈夫?」

「ぅえええんんん、っえ゛、うわああん!!」



とんとんやさしくあやしながら、息子の体に傷はないかたしかめました。びしょびしょに濡れていましたが特に外傷はなく、そのことにまず安心しました。安心は、したんですが……ついさっきまで気が抜けていたこともあり、平静ではありませんでした。……そばについていた娘たちに、ついひどい態度を取ってしまったんです。



「ふたりとも! この子に何をしたの!」

「な、何もしてないよ」

「じゃあどうしてこんなに泣いてるの!」

「知らないよっ! 勝手に泣いたの!」



噛みつく勢いで言い返す娘が、そのときのわたしにはただの逆ギレに見えてなりませんでした。

うちの娘、家では毎日のように息子にいたずらをして笑わせたり、泣かせたりしているんです。それで今回もそうなんだろう、と。

そう決めつけるわたしに、娘の隣にいた美波ちゃんがぴしゃりと言ったんです。



「本当だよ。わたしも見たもん」

「っえ……」

「ひとりでに川に落ちてったところ」



小学生とは思えない、淡々とした口調でした。

わたしはあっけにとられ、黙りこんでしまいました。

嗚咽が聞こえ、腕の中の息子を見ると、息子はすでに泣き止んでいました。嗚咽は、娘のものでした。娘まで泣きそうになっていたことを、そこではじめて気づきました。母に頭ごなしに叱られれば、誰だってカッと昂ります。わたしは、だめな母親でした。

わたしはできるだけ冷静に、息子に確認しました。



「自分で川に入って、転んじゃったの?」

「ううん」

「ちがうの? 誰かに転ばされた?」

「うん」



もう何が本当かわからなくなりました。

やっぱり娘たちが……? それとも息子が嘘を……?

頭がパンクしそうでした。

すると、息子が震えながらわたしにしがみつき、こそっと教えてくれたんです。



「ぼくね、ぐいってね、やられたの」

「え……引っ張られたの? 誰に?」



息子が指さしたのは、娘――ではなく、川でした。



「川……? え? だ、誰か、そこにいたの?」

「うん。ほら。あそこ」

「あそこ?」



いくら目を凝らしても、川の中には、人どころか生物の影も形もありません。

姉をかばっているのかも、とも思いましたが、息子の涙ぐんだ目は頑なに自分の落ちた川のあたりをにらんでいました。



「近所の子が……いるの?」

「わかんない」

「わからない?」

「うん」

「じゃあどうして……」

「だって、てが……」

「……手?」

「うん。て」



何を言っているのか、さっぱりわかりませんでした。

5歳児の言葉は、大人の思考を上回ることがあります。理解したくても、できないんです。

煙たい空気が漂うなか、大人はみんな首をかしげていました。あ、みんなではありませんね。美波ちゃんパパは心配のしの字もなく、イヤホンしてスマホで遊んでいました。そして美波ちゃんママは――



「……そっかあ。息子さんは、視える子なんだね」



――そう言ってひとり、腑に落ちた面持ちをしていました。

わたしは思わずイラッとしてしまって。



「ちょ、ちょっとやめてよ」

「どうして。すごい才能じゃない」

「才能って……」



他人事だからとおもしろがっているのか。はじめはそう思っていました。お酒もだいぶ入っていたし、美波ちゃんママの目は少しとろんとしていたので。



「……いいなあ」



けれども彼女は本気でした。

うっすらと笑みまで浮かべて。

わたしは冷や汗をかきました。



「川の中に本当に何かがいたんだよ」

「だ、だから何かって何よ」

「それは……ほら」



――ピチャンッ。


見計らったように水音が立ちました。川には誰も入っていなかったのに。波紋の渦巻く川の水面が、まるで透明人間の存在を知らしめるようでした。

それまでは純粋にきれいだと思っていた自然豊かな周囲の山々が、とたんにゾオオオオとうなり声に似た自然音をさざめき出し、心霊スポットのようなおぞましさを感じました。

次の瞬間、ドスンッ! と細かな石ころで形成された地面に、わたしは尻もちをついていました。自分でもなぜそうなったのか、いまだにわかっていません。山の音にびっくりしたのでしょうか。気づいたら、体勢を崩していたんです。右足は膝あたりまで川に入り、スニーカーも靴下も大惨事でした。幸い、そのとき履いていたスカートは裾だけで済み、息子にも被害はありませんでした。

わたしはすぐに腰を上げようとしました。でも、なぜか立てなくて。



「あ、あれ……?」

「ママ……? どうしたのぉ?」

「ふふ。腰が抜けた?」

「ち、ちが……」



腰が抜けたわけじゃありません。ただ、なんというか……足が、何かにつっかえているような、そんな感触があって……。

よくよく考えると、そんなこと起こるはずないんです。なぜなら、そこは、覗けば川底が鮮明に見える、川の浅瀬。しかも、若者やファミリー層をターゲットにしたバーベキュー場のために整備された場所です。ちょっと転んだだけで障害物に当たるような危険物は、基本的にありません。石だってすべて、ここに流れつくまでにきれいに角が取れています。

でも、なぜか、わたしは立つことができませんでした。


――チャプンッ……。


川の流れが妙に乱れていました。静寂であった川に、不本意ながら侵入してしまったのだから、川水が揺れ動くのは自然なことです。そう、自然……なんですが、それにしては、ちょっと荒れているふうに見えました。

このままでは飲みこまれる。はっきりと身の危険を感じました。

川が荒れているといっても、わたしにはそう見えただけであって、実際はわたしの右足を中心にひかえめに流れに逆らっている程度だったのでしょう。

ただ、そのときのわたしはかなり焦っていて、早くここから出ないといけない気がしていたんです。

冷たい川水の中で右足をばたつかせ、無理にでも脱出しようとしました。

直後のことです。

ふっ、と川底に影が浮かび、わたしに襲いかかってきました。



「きゃあっ!?」



とっさに逃げたわたしは、結果的に川から抜け出すことができましたが……。

わたしは自分の目がおかしくなかったのではないかと、しばし呆然とへたりこんでいました。

水中をうごめく影は、棒状の見た目をしていて、とうてい魚には見えませんでした。しかも、驚くべきは、色が人肌のそれだったのです。

もしかして、息子はコレのことを言っていたんじゃ……。

さっきの息子の言葉が、たちまち真実めいて考えられました。


――ピチャンッ。


単なる水音ひとつが、怖くてたまりませんでした。

無意識に息子を抱く力が強くなっていて、息子が軽い抵抗を示したことではっと我に返りました。

旦那と娘が不安げにわたしを見つめていました。大丈夫だよと笑い、そして娘にはさっきはごめんねと言って平気なふりをしました。息子を腕から下ろし、最後のお肉食べてきな、とバーベキューセットのあるほうへ誘導しました。

念のため最後におそるおそる川のほうを確認しましたが……そこには何もありません。ただ静かで清らかな、よくあるふつうの川でした。



「ママぁ! ママはおばけとかみえないの?」

「うーん、視たことないなあ」

「ええ~……」



当初の雰囲気が壊れてしまったバーベキューで、美波ちゃんと美波ちゃんママだけは和気あいあいと話に花を咲かせていました。



「じゃあちがう世界に行ったら、ママもみえるようになる?」

「そうだね……。ちがう世界では、ママはママじゃなくなるから」



ほほえましい親子の会話……のようですが、話す声音はこころなしか真剣で。けれど、美波ちゃんパパは我関せず。食べているかスマホをいじっているかのどちらかでした。

こう言っては失礼ですが……少し、変わった家族でした。

わたしはもう心からバーベキューを楽しめませんでした。具材を食べきったあと、適当に理由をつけて早々に切り上げさせました。


帰ってからこの動画を観てみましたが、特に異変はなかったです。やっぱりわたしの見間違いだったのでしょうか。

最近、息子にもあのときのことを聞いてみたことがありました。バーベキューしに行ったことは覚えていましたが、川での一件についてはきれいさっぱり忘れていました。半年ほど経つし、そのようなものなんでしょうか。

アレがいったい何だったのか。なんでもなかったのか。

今となればもう、知るよしはありません。