突然、王都に魔物が大量発生!
魔物たちが狙っているのは、どうやらわたしみたい。そうとわかるや、王子たちはわたしを王城の離れに避難させてくれたけど……。
「ここならきっと大丈夫。待っててね、ぼくの姫」
王子はやさしくほほえみかけ、わたしの額にキスをした。わたしは不安でたまらず、魔物討伐へ出向く王子の背中を離れの小窓からただ見つめた。
大丈夫……。
本当に、大丈夫なの……?
王都では今もなお、多くの人やお店が魔物に襲われて苦しんでいる。王子が騎士団を率いて王都を護ろうとしているけれど、どれだけ持つだろう。
わたしがここにいるせいで、みんなを傷つけてしまう。
わたしは、聖女なのに。
国を、民を守るべく神から授けられた、聖女という肩書き。
どうしてそんな大役がわたしにくだったのか、今でもわからない。
でも……!
聖女であるわたしのせいで、犠牲を増やすのはいやだ……!
わたしは離れの裏にある通気口から抜け出し、王都とは反対方向へ走った。
鬱蒼とした森に入り、草木をかき分けて進んでいく。できるだけ遠く。みんなを巻き込まないところを目指して。
「キェエエエ!!!」
背後から得体の知れない奇声が聞こえた。
反射的に振り返る。……大丈夫、まだ魔物はいない。
なのにちっとも安心できない。
荒々しい突風が森をいじめる。
辺りが暗くなる。ささいな茂みの振動も、おそろしくはっきりと感じる。
頭より先に、身体が逃亡の一手に突き動かされる。震えながらも止まらず突き進む両足が、自分のものではないように思えた。
生ゴミをかき集めたような異臭が、背筋に漂う。魔物が続々とわたしのほうに集まってきているのが感じ取れた。
こうなることを目論んで逃げてきたのに、恐怖で涙があふれた。
聖女らしくない。
そんなの自分がいちばんよくわかってる。
本来、聖女には聖なる光の魔法が生まれつき備わり、それをもってして傷を治癒したり悪しき魂を浄化したりすることができる。
でもわたしは、いまだに自分の意志で魔法を使えない。
王子がわたしを庇って大ケガしたときも、騎士団長が敵の攻撃に射抜かれそうになったときも、家族が謎の病原菌で死線をさまよったときも――いつだって、わたしの中に眠る聖なる光は、突発的に湧き上がる。
決まりの呪文を唱えても効果は得られない。力を必要とするときに使ってあげられない。なんて不便なんだろう。
それなら今は逃げるしかない。
みんなを守るにはそうするしか。
わたしにはできない。
体力が底を尽きかけ、ひとまず茂みに身を隠す。乱れる呼吸を両手で押さえ込んだ。
周りは異様に静かだった。自分の心音が鼓膜の内側を震わせる。
ザザッ……!
突然ノイズがかったような音が反響した。
即座に周囲を見渡す。何も見えない。けれど、たしかに、何かがいる。
聖女としての本能がざわついている。
ここは、危険だ。
逃げなきゃ。そう思うのに足がびくともしない。
どうして? さっきはふつうに動かせたのに。恐怖のせい? 体力の限界? それにしては少しおかしい……。
足元を見ると……目を疑った。
わたしの影が、笑っている。
全身真っ黒なはずの影に、にんまりとした口がある。
「ひぃ……っ!?」
「ギョエゥエエエ!」
わたしのとよく似たそれは、穢らわしい笑い声を吐いた。
影の中にゆっくりと足を引きずりこまれる。どろりとした気色悪い感触が、足首に巻きつくようにして這う。
「い、いや……いやああぁ……!!!」
怖い! 怖い……!
食べられる……!!
影は依然として笑っていた。口をかたどる赤色が、鮮血の色にそっくりだった。
わずかな木漏れ日を取りこんだ影は、広く、濃く、汚染していく。
陰鬱と深まる闇に、禍々しい赤眼まで浮かんで見えた。
感覚が鈍っていく。正常な判断ができない。
「ニゲルナ……アレ……ハ……オレノ……」
「アノコノタマシイウマイ」
「タマ……シイ……クワ……セロ……!!」
四方八方から声がする。
爪で引っ掻くような甲高さで、あるいは地底にうなるような低音で吠える、魔物の声。
何を言っているのか、理解できる。
わたしの影はおろか、肉体まで奪おうとしている。
……どうして、急に、理解できたのか。
もしかして、わたし……片足から徐々に魔物化してる?
ぞっとした。
勢いよく影から足を引き抜いたわたしは、毒々しく裂ける口から目を背け、うしろの茂みに頭から突っこんだ。
「ひぇ……ぅあああ!?」
だが、その先は、だだっ広い湖だった。
道の消えうせた地面にあるのは、泣きべそをかく自分の顔――が反射した澄んだ水面。けれどまぎれもなく自分の顔で、こんな状況なのにほんの少し安心感を覚えた。
わたしの身体はなすすべなく湖に落下した。
ざぶんっ……!
自分の顔を破って入った水中は、痛いくらい冷たくて、息苦しい。
両腕を振ってもがくも、足首を何かにつかまれたように沈んでいく。
息が、続かない。
ぶわっと泡がこぼれた。
意識が遠のいていく。
あぁ……この感覚、わたし知ってる。
あれは……そう、この世に生まれる前。
わたしの、前世。
日本でふつうの女子高生だったわたしは、海で溺れて、気づいたときにはこの異世界に転生していた。
あのときの絶望が、まざまざとよみがえる。
……わたし、また、死んじゃうのかな……?
「――汝、目を覚ませ」
……誰……?
わたしを呼んでいる……?
「我はおまえを待っていた」
おぼろげな視界に、ぱあっと鮮やかな閃光が射す。
心地よい光がわたしを包む。聖女の力を発動させたときとどこか似たあたたかさだった。
ふしぎと息がしやすくなった。
少しずつ焦点が定まっていく。
「……? んん……?」
目の前に、なぜか、水に透けた龍がいた。
「え!? りゅ、龍……!?」
「ようやく正気を取り戻したか」
「龍が喋ったー!?」
ていうかわたしも水中で喋ってる!? どうなってるの!?
「すべて我の力じゃ」
「っ! こ、心読ん……!?」
「ぞうさもない。我は、全知の神ぞ」
かみ……。神様……!?
嘘だ! と言いたいところだけど、否定材料が見当たらない。だって見た目が、この王国で聖女並みに奉ってる龍だし! 喋ってるし、意思疎通できちゃってるし! なんか神々しい後光までさしてるし……!
この状況のすべてが、神様の存在を肯定している!
「ほ、本当に、神様、なの……?」
「うむ。我こそが神だ」
神秘的なオーラをまとう龍が、わたしの目の前にいる。
信じざるを得ない。
「神様が、どうして……」
わたしを、助けてくれたの?
それとも……わたし、もう、死んじゃったの?
「おまえはまだ生きておる」
「えっ!」
神様だという龍は、ふと思い立ったように光のパワーを強く放出した。
あまりのまぶしさにわたしは目をつむった。
「こっちの姿のほうが話しやすいかの」
目を開けると、神様の姿かたちが変貌していた。
透明にきらめく長い髪、白魚のようなきめ細かな肌、目鼻立ちがはっきりとした精悍な顔立ち。まさしく絶世の美男子という表現がふさわしい。
なんて美しいんだろう……。
わたしは言葉にならずぼうっと見惚れてしまう。
非の打ちどころのない人型となった神様は、その切れ長の目をすんと眇めた。
「おまえは本来、ここにはいない存在じゃの?」
「ギクッ」
その一言にわたしは強制的に我に返ることになり、つい大げさなリアクションを取ってしまう。
神様にはなんでもお見通しなの? ……ハッ。まさか異分子であるわたしを消すために現れたとか!?
「ちがう」
頭で考えていたことを、神様に口頭でばっさりと一刀両断された。
そうだ、神様は心の中が読めるんだった……。一応わたしにもプライバシーというものがあるんだけど……あっ、でも、抹殺のためじゃないんだ! はーあ、安心したあ!
「単刀直入に言おう。おまえはわたしの嫁になれ」
「……はい!?」
前言撤回! 安心できない!
どうしていきなりそうなった!?



