異世界にいったひと




「単刀直入に言おう。おまえはわたしの嫁になれ」

「……はい!?」



突然、イケメンに求婚されました。

この世のありとあらゆる財宝を捧げたくなるほど美しい彼は、実は、全知の神で。

魔物に襲われて湖に沈んだわたしを助けてくれた恩人でもある。

嫁になれとのたまわるならば、うなずくほかない――なわけがない!



「いやいや意味がわからない!」



単刀直入すぎるよ神様!



「いきなり嫁って何!? どういうこと!?」

「それは」

「初対面だよね!? あなた龍だよね!? どうしてわたし!? 聖女だから!? そもそも神様にも結婚の概念あったの!?」

「だから」

「ていうか、そんなことより魔物を退治しないと! 王都が! 王子たちが! この国が! 大変なことに……!!」

「我の話を聞け」

「イテッ」



パニック状態のわたしに、神様のデコピンがくだった。あとからくるタイプの痛みだ。

力尽くで静かにさせた神様は、やれやれと片方の眉を傾けた。



「まず、魔物についてはすでに解決しておる」

「え……ええ!? 解決……!?」



魔物って、アレだよ? わたしを狙って森の中に大集合して、スタンピードと化していたアレだよ? アレを解決したの? わたしが湖に飛びこんで5分も経ってないよ? 解決可能なの!?



「いつの間に……どうやって……」

「おまえを救うついでにちょちょいとやったまでのこと」

「ちょちょい、であの大量の魔物を……?」

「この程度、我には朝飯前じゃ」

「か、神様ってすごいんですね……」

「神だからな」



ふん、と得意げに鼻を鳴らす神様に、わたしは自然と合掌していた。



「ありがとうございます……本当に……」



ちょっと泣きそうだった。

みんなを助けたくて避難所の離れを飛び出したはいいものの、結局聖女らしいことは何ひとつできなくて、あげく死にそうになって……。

守りたかったものを、逆に傷つけてしまったんじゃないかって。

本当は、ずっと、怖かった。



「みんなも……無事、なんですよね?」

「無論だ。王都には平和が戻っておる」

「……そっか……ああ、よかった……」



神様って、本当にいたんだね。

無力な聖女の代わりに、みんなを守ってくれた。ありがとうの言葉程度じゃ、感謝の気持ちはおさまらない。

これから先、未来永劫、神様を奉らなければ! ……嫁になるかは別として。



「しかしおまえを王都には返せぬ」

「えっ? なんでですか!?」

「おまえは我の嫁になるのじゃから」



また出た、神様のいきなりプロポーズ。



「だからどうしてわたしが神様に嫁がなければならないんです」

「おまえが、この世の者ではないからじゃ」

「な……」



なんで……。

それとこれと何の関係があるの?



「おまえはこの世に転生していると思っているようじゃが、真実は異なる」

「そ、それは……どういう意味ですか」

「今のおまえの体は、おまえのものではない」



神様ははっきりと告げた。



「その体には、本来、別の持ち主がおる。しかし持ち主が命を絶ったことで、体が空になり、たまたまこの世をさすらっていたおまえの魂が入ってしまったのじゃ」



つまり、聖女になるべきはわたしじゃなくて。

わたしは憑依してしまっただけの、この世の異分子ってこと……?


言われてみれば、いくつか思い当たる節がある。

わたしが前世の記憶とともに自我が覚醒したのは、10歳のころ。目を覚ますやいなや、今世の家族が泣きながら抱きついてきたのを思い出す。

たしか、わたしはベランダを飛び降りてほぼ植物状態だったと言っていたっけ。

もしかしてあのとき、わたしの魂がこの体に住み着いたの?

聖女なら使えて当然の光の魔法が、ずっと不安定なのも、わたしが本当の聖女ではないから……?



「おまえはこの世の理を揺るがす、危うい存在。先の魔物襲来もそうじゃ」

「で、でも、あの魔物は、聖女が狙いじゃ……」

「聖女の名ではない。おまえの希少な魂に引きつけられ、狂暴化したのじゃ」

「っ……」



不意に、おぞましい魔物の声が、鼓膜の奥を煽った。


――ニゲルナ……アレ……ハ……オレノ……。

――アノコノタマシイウマイ。

――タマ……シイ……クワ……セロ……!!


ぞくっとして自分を抱きしめた。

さっき……魔物に食べられるかと思った。

体を影に飲みこまれ、自分が人間ではなくなっていくようだった。

でも、本当に狙っていたのは、体の内側にある魂そのものだったんだ。



「我は神として、おまえをこのままこの世にのさばらせておくわけにはいかんのじゃ。それゆえ、嫁という名目で我の支配下に置く。これは決定事項じゃ」



嫁とは名ばかりの、囚人のようなものだった。

しょうがない。

それがこの国の平和のためならば。

わたしは。

わたしは……。


――ここならきっと大丈夫。待っててね、ぼくの姫。


ふっ、と脳裏をよぎった、やさしい声。

王子と最後に交わした約束。

約束、破っちゃった。怒られるかな。……あ、このまま会えなかったら、怒られることもないんだ。


――ぼくは、きみが聖女でなくとも、そばにいたいよ。

――もう、どこにも行くな。

――しょうがねえ。俺が隣にいてやるよ!


魔法の師匠、義理の弟、幼なじみの騎士団長。

みんなの笑顔が、胸を刺す。

……いたい……。

みんなに、会いたいよ……。



「ふむ……嫁になる覚悟はできぬか」

「……」



どうしよう。

わたし、知っているようで知らなかった。

この世にこんなにも大切な人がいたなんて。

永遠の別れをする覚悟なんて、そう簡単にできないよ。



「ならば、特別に見せてやろう」

「み、せる……?」

「おまえの居続ける世界の末路を」



理解が追いつかないまま、神様は不敵な面持ちで指を弾いた。

パチン。

シャボン玉が割れるような軽快な音だった。

瞬間、息苦しさがこみあげる。鼻や口からぶくぶくと泡があふれ出る。

神様の加護が解け、水中に投げ出されたのだ。


どうして……。

世界の末路っていったい……。

わたしは、どうなってしまうの……?



「か、かみさ……っ」



清らかな光が、遠のいていく。

最後に見た神様は、龍の姿に戻り、わたしをじっと見据えていた。




――ッハァ、と息を吸って、瞼をこじ開けた。

明るい陽射しがいちばんに視界を通る。ピヨピヨと小鳥のさえずりが聞こえ、ふんわりと甘い香りが漂う。

あれ……?

ここは、どこだろう。



「何か考えごとかな、ぼくの姫は」



すぐ近くからなじみのある声がして、おもむろに目を向ければ。

金髪碧眼が特徴の王子が、わたしの隣に座っていた。

……あ。わたしも、どこかの椅子に、座ってる。



「王子……?」

「ん?」

「王子だ……」

「そうだよ、きみの王子だ」



王子はわたしの手を取って口づけを落とす。

その声、その表情、そして、その華麗な仕草。まちがいなく、わたしの知る王子だった。



「それはちがうだろ!」



わたしと王子の手を引きはがしにかかったのは、中世的な顔立ちをした義理の弟だ。弟はおそれ多くも王子をにらみつける。



「あなたはこの国の第一王子であって、姉様の王子では断じてない!」

「でも婚約者だよ?」

「おれは認めていません!」

「そう言われてもなあ」



微笑でいなす王子に、弟はむうっと頬をふくらませる。

そんなふたりのやりとりを一歩引いて見ている人が、ふたり。フェロモンがダダもれの魔法の師匠と、人一倍ガタイの大きな幼なじみの騎士団長。

みんなが、いる。みんなと、いる。

うれしい……。みんなに、会いたかった……。

でも、おかしいな。

どうして、会いたかったんだっけ?

みんなとはいつも顔を合わせているのに。

今世でのわたしの日常。別に感動するほどでもない。

まあ、こうして5人が勢ぞろいするのは、めずらしいほうかもしれない。

5人が集まる日といえば、そう、お茶会! そうだ、今日はお茶会の日だった。どうして忘れていたんだろう。

わたしは日ごろの感謝の気持ちをこめて、定期的にみんなをアフタヌーンティーに招待している。

もう何回目かもわからないプチパーティー、今回は王子のいる王城の温室を借りての開催だ。

緑に包まれた温室のど真ん中、純白な円卓をみんなで囲む。わたしのお付きのメイドが入れた紅茶と、きらきらと光沢のあるチョコレート菓子。順に口に入れると、幸せがとろけた。



「ん~おいし~!」

「ふふ、口についてるよ」

「へっ?」



魔法の師匠が頬杖をつきながら、親指でわたしの口の端をぬぐった。チョコのかけらのついた親指を、彼はぺろりとなめとる。うん、甘い。いろんな意味で。

弟がまたギャアギャア叫んでいるが、わたしは意識があらぬ方向にいってしまわないよう、無心でチョコレート菓子を食べ続けた。



「そんなに気に入ったなら、おれのも食べるか?」



対局の位置に座っている幼なじみの騎士団長が、手つかずのチョコレート菓子の乗った小皿をわたしのほうに寄せた。



「いいの!?」

「ああ。おまえのうまそうな顔でなんか満足した」

「ええ~何それ。でも……そこまで言うなら」



じゃあおれも。ぼくも。そう言って、結果的に全員が自分の分の小皿をわたしに差し出した。

こんなに食べられないよ! って言いたいところだけど、余裕で食べられちゃいそうな自分が憎い。



「み、みんな、チョコレート苦手なの?」

「ううん、好きだよ」



我先に否定したのは、王子だ。



「ならどうして……。すごくおいしいよ?」

「でも、いちばんは別にあるから」

「いちばん?」

「うん。いちばん好きなのは……」

「おれはっ! 姉様が喜んでくれるのがいちばんだ!」



どうやら、わたしの弟は、会話に割りこむのが癖らしい。

わたしはお言葉に甘えていただくことにした。

甘さと苦さ、アクセントの甘酸っぱさのバランスが絶妙なハーモニーを織りなしている。つまり最高ということ。

ひと口ずつじっくり味わいながら食べ進めていると、ふと視線を感じた。

うん? と目をしばたたきながら円卓を見渡せば、みんながみんな、ニコニコしてわたしを観察していた。



「な、なに?」

「おいしそうに食べるなあって」

「だ、だって、おいしいもん……」

「そっかあ」

「う、うん」



魔法の師匠はわたしの頭をよしよしと撫でた。

師匠……わたしのこと、愛玩動物だと思ってない?

わたし人間だし、食事しているところをまじまじと見られるのは恥ずかしいよ……!

あんまり見ないで! と抵抗しても、みんなは聞いてくれない。ひどい。せめて何かおしゃべりしていてよ! わたしの観察タイムにしないで!


背後からも視線を感じた。

まさか侍従たちにも見られてる!?

振り返れば、生い茂る草花に静かな池。人影はない。

なんとなく、違和感。

侍従たちは下がらせたのかな……?



「どうかしたか?」

「う、ううん。気のせいみたい」



幼なじみの声で、わたしは前に向き直す。



「あ、れ……?」

「どうかしたか?」

「い、いや……」



みんなの表情が、どこかおかしい。

笑顔から1ミリも動いていない。目の細さ、口角の高さ、首の角度、どれもさっきと変わらない。

そんなにお茶会を楽しんでくれているのかな。それなら主催者として本望だけれど……。

そうじゃない、気がする。

みんなの笑顔が、まるで仮面のようにのっぺりして見える。

心がこもっていないのだ。



「チョコ、おいしいか?」



そう問いかける王子の声には、感情があるのに。



「おまえが食べると、よりおいしそうに見えるな」

「……そ、そうかな……」



どうして、わたしに向けた笑顔を、不気味に感じるんだろう。

どうして……。


――ピチャンッ……。


かすかな水音に、わたしはびくりと身体をこわばらせた。

温室内に造られた小さな池に、慎重に視線を送った。

ゆらり、尾ひれような影が見え隠れする。

心拍数が劇的に上がった。なのに、血の気は引いていく。


わたし……。

何かを忘れているような……。

なんだっけ。何か、とても大事なこと気がするんだけど。


思い出したいのに、寸前で引っかかる。

胸がズキズキ痛みだす。

わたしは銀のスプーンを置いた。



「食欲、なくなっちゃった……」

「えっ、いつも食い意地張ってる姉様が!?」

「ちょっと!」



条件反射でツッコミをしたが、からかってきた弟の顔は依然として絵文字を想起させる笑顔で、たまらなくおそろしかった。



「さっきからあの池を気にしているね」

「見に行きたいの?」



魔法の師匠の鋭い言葉を聞いて、王子はわたしに問いかける。



「え、えっと……」

「いいよ、行こうか」



返答を聞き終えることなく、王子は無機質な笑みをたたえたまま立ち上がった。



「い、いや、いいよ! お茶しよ?」

「行こうか」



手首をつかまれ、半ば無理やり池のほうへ連行されてしまう。

いくら拒んでも止まらない。手首を拘束する力がだんだんと強くなり、ぎちぎちと皮膚が絞め上がる。

こんな強引なことするなんて王子らしくない。いつもならわたしの気持ちを第一に考えてくれるのに。

いつもなら。


……いつも……?

目の前にいる王子は、本当に、わたしの知る王子なの?



「お……王子……?」

「なんだい、ぼくの姫」



こちらに向いたその顔に、青く輝く瞳が――ない。

なくなっている!



「ぎゃああぁぁああ!!」



右の眼は、赤々と充血していて。

左には眼球が垂れ下がっていた。目の縁から赤い滝が流れ、頬を腐食していた。


ちがう!

王子じゃない!

魔物だ。きっとそうだ。魔物が王子を食べたんだ!


だだちに逃げようとするも、手をつかまれていて離れられない。

わたしは必死に暴れた。その拍子に王子に化けた魔物に攻撃が入り、どうにか拘束を解くことに成功した。

温室の出口へ走り出す。が、なぜか地面がぬめぬめしていて転倒してしまう。



「いったぁ……。なんでここだけすべりやすくなって…………え?」



地面が一面、赤黒く濡れていた。

チョコレート? ……ううん、ちがう。

独特なにおい。生あたたかな質感。これは……血だ。

皮膚だった破片の混じった血液が、温室を染めている。



「イ……ッ」



もうまともに声も出なかった。


なんで。

どうして。

いったい誰の。

どこから。



「姉様、大丈夫?」

「転んじゃったの?」

「手ぇ貸してやろうか」



みんなの声が正面から聞こえ、わたしはすがるように顔を上げた。



「みんな――」



声が、途絶えた。

目の前にたたずむ姿は、わたしの想像とはかけ離れていたからだ。

義理の弟は四肢がちぎられ、魔法の師匠は骨をえぐりとられ、幼なじみの騎士団長は内臓をぶちまけていた。

みんなの変わり果てた姿に、涙があふれて止まらなかった。


ちがう。

ちがうよ!

わたしの大切な人たちは、こんな化け物じゃない。

どこか、別の場所にいるんだ。

きっとそうだ。

そうなんだ。

そうだと、言ってよ。



「ほら。早く。手を」

「……い、や……」



わたしは首を振って、自力で起き上がった。

聖女が使える光の魔法。今こそ発動してほしいのに、何も感じない。呪文を唱えても、何も起こらない。

ここにあるのは、闇の色をした地獄だけだ。


――今のおまえの体は、おまえのものではない。



「は、あ……っ」



わたしは、言われたのだ。

本物の聖女ではないのだと。


……誰に?


考えている間もなく、足を引っ張られてしまう。王子に化けた魔物の手が、今度こそ離すまいと足首を折る力量でわしづかみにしたのだ。

血の海となった地面に倒れたわたしの体は、池のほうへ引きずられていく。



「いや……やだ……やだ……! 離して……!」



清潔に保たれていた池は、気づけば真っ黒によどんでいた。

鼻の曲がる異臭がする。気持ち悪くて、チョコレート菓子を戻してしまった。

ぽちゃん、と足先を冷たい温度が襲った。



「やだっ……やめて、お願い……やめて!」



喉を枯らしながら訴えても、温室に反響するばかりで、聞き入れてはくれない。

血まみれの地面にしがみつくが、手がすべり、あっけなく池の中に落ちてしまった。

空虚な笑い声がこだましていた。


――ならば、特別に見せてやろう。


身体の力が入らない。

息ができない。

痛みも、もはやない。


――おまえの居続ける世界の末路を。


光の消え失せた暗闇に、誰かの血液が天女の羽衣のようにさまよう。

透明の雫がぽろぽろと浮いていく。

わたしは流れに委ねて手を伸ばした。



「神、様……」



助けて。


たすけて。




たすk|