夏休み明けの小学校では、朝一に全校朝会が行われた。

休みボケしている生徒たちが、先生に言われて仕方なくといった様子で、残暑に蒸された体育館に集う。

校長が登壇すると、これから長話が始まるのだろうと、生徒たちは早くもうんざりしていた。

だが、始まりのひとことに、顔色を変えることになる。



「みなさんに悲しいお知らせです。この学校の大切な生徒がひとり、帰らぬ人となりました」



小学1・2年生はまだ理解できていないようだったが、“帰らぬ人”とクラスメイトだったのであろう5年生のいるあたりは、一気にざわざわし始めた。寝ぼけていた頭をガンッと殴りつけられたかのように目を大きく見開き、動揺を隠せない。

もう二度と会うことのできないその生徒は、明るくて元気なサッカー少年だった。

消防士である父親のようにかっこいいヒーローになるのだと、よく夢を語っていたことを、クラスメイトは昨日のように思い出せる。

夏休み直前には、まさに今校長が立っている場所で、優秀賞を取った絵を表彰されていた。少年は満面の笑みだった。

そんな輝く未来のある子どもが、唐突にいなくなってしまった。

もしかしたらクラスメイトよりも先生たちのほうがずっと、絶望感を抱いていたかもしれない。


黙祷――聞きなれない言葉がマイクを介して響いた。

校長が目をつむる。体育館の脇にたたずむほかの先生たちも、目も口も固く閉じる。しんと静まり返る。生徒たちは混乱しながらも大人にならい、見よう見まねで祈りを捧げた。

ほんの十数秒がいやにゆっくりと刻まれた。

あちこちで嗚咽がこぼれていた。子どもは共感性が高い。泣く生徒は次第に増えていった。


いったい夏休みに何があったのか。

全校朝会後のホームルームで少年のクラスメイトが担任の先生に聞いてみたものの、先生はかたくなに口を割らなかった。クラスには形容しがたい不信感が漂っていた。

そんな空気は1か月ほどすると薄れていき、夏休み前のような明るさが戻り始めた。教師陣はみな、ひと安心していた。

しかし、生徒の間では、とある説が出回っていた。


――あいつ、異世界にいったんだって。



少年は、休み時間になると誰よりも先にグラウンドに出て走り回るような子だった。

長時間じっとしているのが苦手で、授業中も落ち着きがないとよく注意されていたほどだ。

常に元気がありあまり、サッカーの試合となるとそれがわかりやすく表れる。がむしゃらにボールを追いかけ、全力で攻撃をしかける。

それが裏目に出て、ある日、足をケガしてしまった。

1か月運動禁止。当然、サッカーもできない。

右足にギプスをはめた少年は、動きたくても動けない。内にくすぶるエネルギーをもてあまし、若干やさぐれていた。

そんなとき、サッカークラブの仲間であり同じクラスの友だちが、励ましの声をかけた。



「ひまならこれでも読めよ。超おもしろいぜ!」



手渡したのは、空前絶後のブームを起こしている児童文庫だった。異世界転生した男子高校生が、勇者となって世界を救う、王道ファンタジーだ。

少年はあまり読書が得意ではなかったが、友だちの厚意を無下にはできず、時間のむだづかいをしている自覚もあったので、言われたとおりその本を読んでみることにした。


結論から言おう。まんまとハマった。

少年はまるで別人のように本の虫になった。魔法や剣の世界で戦う主人公に、サッカーの試合と似た興奮を覚えた。

足が治っても、休み時間は机にかじりついて物語にふけっていた。国語の宿題で将来の夢を作文にしたとき、堂々と「ヒーロー」と書いたくらいだ。

四六時中ここではないどこかに意識をトリップさせる少年を、周りは少し気味悪がっていた。日に日にクマが濃くなり、笑い声はうすっぺらく、話しかけてもどこか上の空。魔物か何かに取り憑かれているようだった。

サッカーへのやる気も、見るからに失われていた。試合に出ても身が入らず、ボールを奪われてもゴールを決められても、表情は能面みたく変わらなかった。



「……海が、呼んでる……」



ましてや、おかしなひとりごとをボソボソつぶやいていた。少年に本を貸したチームメイトは、はっとして驚いた。貸した児童文庫の主人公が、海に溺れて異世界に転生した設定だったのだ。

友だちはいよいよ罪悪感を覚え始めたが、大人たちはそういう年ごろなのだろうと、なまあたたかく見守るだけだった。


少年の絵がコンクールで賞を授けられ、全校朝会で表彰されることになった。

夏休みを控え、浮かれている500人近くの生徒の前で、少年は校長先生から表彰状を受け取る。先生たちも鼻が高い。

ただ唯一、少年のクラスメイトだけは、心から祝福できなかった。

だって、クラスメイトは、知っている。

少年の描いた絵の正体を。

得体の知れない生き物……いや、風景が、一枚の画用紙に隙間なく写実されていた。現実にはありえない、けれど想像にしてはリアルすぎる――まさしく「異世界」と呼ぶにふさわしい風景画だった。

少年の美術の成績は、お世辞にも良くはなかった。だが、それはたしかに少年の手で描かれた。

紙に顔が埋もれるほど距離を近くして、熱心にするすると線を描く姿を、クラスメイトは遠巻きに見ていた。かつてサッカーに向けられていたものをはるかに超える、めらめらとした狂気じみた情熱。とても正気には思えなかった。


ステージで笑顔を浮かべる少年は、瞳が血の色に染まり、代わりに肌はこの世のものとは思えないほど青白かった。

もう自分たちの知る少年ではない。

クラスメイトは猛暑のなか身を震わせた。それでも、誰も、少年から目を離さなかった。一瞬でも離せば、どこかへ消えてしまうような危うさがあった。

だから夏休み明け、少年が帰らぬ人となったと聞いたとき、クラスメイトだけは言葉の意味をすとんと理解できた。あぁ、やっぱり……。そう思ってしまった人も少なくない。

後悔の念に押しつぶされている人もいた。少年に異世界ものの本をすすめた友だちだ。


少年をそうさせてしまった罪意識を心の底にためていたその友だちは、実は夏休みに一度だけ少年を見かけたことがある。サッカークラブに来なくなり、いくら遊びに誘っても無視され、罪悪感ごとふてくされていたころだった。

サッカーの練習をした帰り道。浜辺にひとりで突っ立っている少年がいた。ざぶんっと荒波を立てる海を眺めながら、恍惚とした笑顔を浮かべていた。明々と燃え上がる海水に、少年の痩せた足が浸っていた。



「アハッ……アハハ!アハハハハッ!!」



その友だちは逃げるように立ち去った。

その日を境に、少年の姿を見た者はいない。


――あいつ、異世界にいったんだって。


そう言い出したのは、その友だちだった。



少年の描いた絵は、夏休み明けから約一年に渡り、生徒玄関前に掲示された。

タイトルは、「ぼくのせかい」。

その絵を避けては教室に行けないし、帰れない。

生徒たちの顔色は、日に日に悪くなっていった。