世界がまだ金属の製錬技術をもたなかった古い時代,隕石として地球に落下した「隕鉄」は貴重な金属としてさまざまな道具に利用された。

 最初はその黒く硬い鉱物が隕鉄だと認識する者はおらず,それがなにかを理解しようとする者もいなかった。

 やがて隕鉄が宇宙から降ってきたものだと認識されるようになると,小さな黒い金属に宗教的な意味が加わった。

 現代では隕鉄はあくまで隕石としての価値しかなく,一部の愛好家たちが収集して楽しむようになっているが,これは隕鉄がまだ貴重品として多くの権力者が求めた頃の日本での話である。

 かつて隕鉄は世界的にもその希少性から金やダイアモンドよりも高値で取引されていた。そのため,偶然隕鉄を見つけた者はそれだけで一生遊んで暮らせるほどの財を成した。

 日本では明治二十三年に富山県で発見された隕鉄が有名で,刀工の岡吉国宗によって隕鉄で打たれた三本の刀が大正天皇に献上されている。

 岡吉は献上するために五本の刀を打った。そしてそのとき一緒に打った五本の刀うち献上された三本以外の二本がいまだに紛失したままになっている。

 紛失した刀はある時期,闇市に流れたと噂された。

 そして当時,裏社会を仕切っていた者たちの手にわたると,裏社会と密接な関係をもつ軍の人間たちへと所有者が変わっていった。

 刀は戦争に利用されアジア各国の現地の人間の血を吸い,元々黒く光る刀は怪しさを増しながら時間とともに妖刀として扱われるようになっていった。

 妖刀は何度か盗難に遭いながら,その存在自体は闇社会で「所有者は皆不幸になる,手に入れてはいけないコレクション」と認識された。

 時間とともに誰もがその存在を忘れていくと,持ち主のつかない妖刀は富山県に隣接する岐阜県の山寺に密かに寄贈された。

 寺に寄贈された理由は刀の所有者は長生きできないと噂になり,それが事実かのように刀を所有した者たちは皆,どんなに若くても原因不明の病気になり呼吸が浅くなって最後は寝たきりになって衰弱死したと言われた。

 寺では人の血を吸う呪われた妖刀として扱い,化粧箱にお札と共に入れられできるだけ人目につかない人の手が届かない寺の宝物庫の奥へと仕舞い込まれた。

 それ以来,寺にかかわる人たちが毎年のように衰弱して亡くなっていった。しかし当時は刀と謎の死を本気で関連づける者はおらず,寺の関係者ですら時間とともに刀が宝物庫の奥に仕舞い込まれていることを忘れていった。

 そんな寺に眠る妖刀の存在を知っている者たちがいなくなり,記録から消え去ったいまでも,その土地では毎年冬になると原因不明の吐血や下痢に悩まされ,治療方法すらわからないまま若くして命を落とす住民が数多くいる。

 これまでも,そしてこれからも,妖刀と呼ばれるその黒い刀は誰にも気づかれることなくその存在を忘れ去られたまま,その土地に住む者たちの命をゆっくりと静かに奪い続けている。