農耕民族である日本人にとって古くから天候は生活に直結しており,長く雨の降らない日照りの日が続くと農作物に影響が出るため,その土地の神様に雨を降らせてほしいと能力のある者が祈祷した。
逆に雨が長く続いても農作物が育たなくなるため,晴れるようにと祈祷することがあった。
これは昭和初期の頃,群馬県と栃木県の境目にある日光へと続く山道にある集落で起こった出来事によって,今でも一年中「てるてる坊主」を集落の入り口と家の軒先に吊るされている土地の話。
かつてこの土地を収めていた古い一族の長が毎年夏になると山を削るほどの長雨に頭を悩ませていた。
そんな土地を日光を目指す修行僧たち立ち寄った際に,一族の長から雨が多くて困っていると相談を受けた。修行僧たちは善意から雨が止むように祈祷を行うと集落の者たちに伝え,その日から一週間,朝から晩まで古い寺の境内で祈祷を捧げた。
その間,集落の者たちは修行僧に言われ祈祷の間に酒を呑み,豪華な食事をとりながら舞を披露して神様を喜ばせるための祭りを催した。
しかし,一週間経っても激しい雨は降り続き,田畑は水没し,その年は例年に比べても降水量が多かったことと貴重な食糧を贅沢に飲み食いしたことで不安になった集落の者たちは怒り出し,修行僧と長を責め立てた。
長は集落の者たちから激しく責められると,怒りに任せて修行僧たちの首を順番にはねてゆき,薄汚れた布に首を包んで集落の入り口に吊るしていった。
布に包まれたいくつもの首が風に揺られ激しい雨が血溜まりの地面を叩きつけると,やがて雲の隙間から陽射しが刺し,その日からぱったりと雨が止み晴天が続いた。
それ以来,子供たちは天候に関係なく白い布で「てるてる坊主」を作り,軒先に吊るして「てるてる坊主」の歌を歌い,大人たちは夏祭りと秋の収穫祭の前には必ず大量のてるてる坊主を集落の入り口に吊るした。
集落では窃盗や不貞行為などをした者への罰則として,また山で遭難した人たちを捕まえては「てるてる坊主」を作り神様に捧げるようになった。
今でも日光へ向かう観光客が何も知らずにこの集落に立ち寄ると,入り口に吊るされている大量の「てるてる坊主」を目にして楽しそうに写真を撮ったり,夏祭りや収穫祭に観光として立ち寄っては大量の「てるてる坊主」の下で豪勢な山の幸が振る舞われる不思議な祭りを楽しんでいるという。
逆に雨が長く続いても農作物が育たなくなるため,晴れるようにと祈祷することがあった。
これは昭和初期の頃,群馬県と栃木県の境目にある日光へと続く山道にある集落で起こった出来事によって,今でも一年中「てるてる坊主」を集落の入り口と家の軒先に吊るされている土地の話。
かつてこの土地を収めていた古い一族の長が毎年夏になると山を削るほどの長雨に頭を悩ませていた。
そんな土地を日光を目指す修行僧たち立ち寄った際に,一族の長から雨が多くて困っていると相談を受けた。修行僧たちは善意から雨が止むように祈祷を行うと集落の者たちに伝え,その日から一週間,朝から晩まで古い寺の境内で祈祷を捧げた。
その間,集落の者たちは修行僧に言われ祈祷の間に酒を呑み,豪華な食事をとりながら舞を披露して神様を喜ばせるための祭りを催した。
しかし,一週間経っても激しい雨は降り続き,田畑は水没し,その年は例年に比べても降水量が多かったことと貴重な食糧を贅沢に飲み食いしたことで不安になった集落の者たちは怒り出し,修行僧と長を責め立てた。
長は集落の者たちから激しく責められると,怒りに任せて修行僧たちの首を順番にはねてゆき,薄汚れた布に首を包んで集落の入り口に吊るしていった。
布に包まれたいくつもの首が風に揺られ激しい雨が血溜まりの地面を叩きつけると,やがて雲の隙間から陽射しが刺し,その日からぱったりと雨が止み晴天が続いた。
それ以来,子供たちは天候に関係なく白い布で「てるてる坊主」を作り,軒先に吊るして「てるてる坊主」の歌を歌い,大人たちは夏祭りと秋の収穫祭の前には必ず大量のてるてる坊主を集落の入り口に吊るした。
集落では窃盗や不貞行為などをした者への罰則として,また山で遭難した人たちを捕まえては「てるてる坊主」を作り神様に捧げるようになった。
今でも日光へ向かう観光客が何も知らずにこの集落に立ち寄ると,入り口に吊るされている大量の「てるてる坊主」を目にして楽しそうに写真を撮ったり,夏祭りや収穫祭に観光として立ち寄っては大量の「てるてる坊主」の下で豪勢な山の幸が振る舞われる不思議な祭りを楽しんでいるという。



