世の中には同じ苗字と同じ名前をもつ人が複数いる。なかには珍しい名前のおかげで誰とも重複しない者もいるが,おそらくそれは少数派だろう。

 これは平成五年に東京都内の病院で実際に起こった医療事故の話である。同様の事故はほかの病院でも記録に残っているが,この事故は医療関係者に大きな衝撃を与え,彼らの患者に対する考え方を大きく変えた。

 当時,その病院には多くの患者が入院していた。その中に同姓同名の五十代の患者が三人いたが,それぞれ入院している理由が違うため入院病棟も異なっていた。

 その病院では最新の電子カルテが導入されていたが,それを扱うスタッフがしっかりした教育を受けておらず,すべては先輩から言われたことを自分なりに解釈して使用していた。

 最初の医療事故は風邪を悪化させて肺を患い入院していた患者と糖尿病を悪化させて断脚手術を予定していた患者の取り違いだった。

 風邪で入院していた患者は同姓同名という理由で健康な脚を切断された。

 そして糖尿病の患者は適切なタイミングで断脚手術を受けられなかったとこで糖尿病を悪化させ,本来切断する場所よりもさらに股関節に近い部分で脚を切断することになった。

 しかしここでも事故が起こった。

 断脚手術の予定だった糖尿病の患者と腹部の良性腫瘍を摘出予定の患者が同姓同名という理由で取り違えられた。

 三人は同姓同名ということで,それぞれ失うべきではないものを失った。

 一人は健康にもかかわらず脚を失い,一人は断脚予定にもかかわらず意味のない開腹手術を受けて結果として糖尿病を悪化させて命を失った。そして最後の一人は結果的に腫瘍の摘出は行われたが,健康だった股関節から下の脚を失った。

 すべては三人が同姓同名であることと,全員が五十代の男性であったことが理由だった。

 毎日患者に接していた看護師や担当医師が見ればすぐにそれぞれ別人であることは一目瞭然だったが,手術を担当する外科医は患者に会うのは手術室が初めてであり,電子カルテの情報のみを信じて施術した。

 それ以来,その病院では患者にそれぞれ番号をつけ,手首や足首にチップの入った簡単には取れないリングをつけて患者を数字で扱い,スタッフ間で患者の名前を呼ぶことを禁止された。

 その病院では同姓同名の三人の患者が大切なものを失うのと同時に,医療従事者にとって患者は名前のないただの番号だという教育が徹底された。