これは僕が小学四年生の頃に初めて経験し,以来この生まれ育った町でずっとソレに縛られている話である。
当時,学校が終わると同級生たちは急いで帰宅し,我先にと集まる公園があった。大きな公園で,管理事務所に言えば小学生でも借りられるテニスコートや野球場も併設されていた。
そんな公園のすぐ近くに長い間誰も住んでいない空き家があり,子供たちは親から「怖い人が管理しているから近づいたり入ったりしてはいけない」と言われていた。
子供たちも親の言いつけに従い,空き家には決して近寄らなかったが,ある日その家の敷地内に知らない老夫婦が出入りしているのを公園で遊ぶ子供たちが見ていた。
「あの家の人かな?」
「そうじゃね? 怖そうには見えないな」
「普通のお爺ちゃんとお婆ちゃんだな」
子供たちは老夫婦に興味を示したが,すぐに遊びに夢中になってその家と老夫婦のことは気にしなくなった。
しばらくして,その家の玄関に木製の表札が掛けられた。子供たちには読めない難しい四文字の漢字がやけに立派に見えた。
老夫婦がその家に住むようになってすぐ,公園の管理事務所から小学校に「できるだけ公園で大きな声で騒がないようにお願いします」と何度か連絡があったと母親から聞かされた。
母親は言葉を濁しながら「あの家に住む◯◯◯◯さんにはかかわらないでね」と何度も念をおし,その時初めて表札の名前が◯◯◯◯と読むことを知った。
五年生になる頃,公園の野球場は広い花壇のある広場に造りかえられ,テニスコートは駐車場になった。
いままで自由に出入りできていた公園は柵で囲まれ入口には門がつき、公園に入るのにお金を払わなくてはならなくなった。
遊び場を失った子供たちは学校が終わると家でゲームをするようになり,友達とは塾で顔を合わせる程度になっていった。
そして中学三年生のとき,駅前の市議会議員選挙のポスターを見て◯◯◯◯という苗字の候補者が三名もいることに驚いた。
そのことを学校で友達に話すと「あそこのパチンコ屋もその名前だし,駅前の高級中華料理店のビルもその名前だぞ。前の市長もそうだし,この中学の校長と俺たちが卒業した小学校の校長も同じ名前だぞ。お前,知らなかったのか?」と呆れ顔をした。
「それとな,この町の郵便局や銀行にも◯◯◯◯って名前の人が何人もいて,この町に住む人間の貯金額や給料の額まで全部把握されてるって話だ」
「なんだよ,それ。そんなの法律で認められてないだろ」
「まあ,この町に生まれ育ったらしょうがないんだよ。お前も受け入れろ。ゆりかごから墓場まで,あの一族に逆らったらこの町で生きていけないぞ。反抗的な態度をとったらお前に監視がつくことになるから気をつけろ」
「ふざけんなよ。この時代に監視なんてありえないだろ」
「まあ,あんまり大声で◯◯◯◯を批判しなきゃ問題ないよ。そもそも俺たちみたいな学生を監視する意味なんてないもんな。でも,お前はマジで気をつけろよ。あの一族に対してあきらかに不満があるのがダダ漏れだから」
「心配すんなって。俺だって監視なんかつけられたくないから」
それ以来,その名前を見るたびに「◯◯◯◯は子供たちの遊び場を奪った一族」であり,母親の腫れ物に触るような表情を思い出すのに,いま僕の隣にいる初めての彼女の名前が◯◯◯◯であることを誰にも言えないでいる。
当時,学校が終わると同級生たちは急いで帰宅し,我先にと集まる公園があった。大きな公園で,管理事務所に言えば小学生でも借りられるテニスコートや野球場も併設されていた。
そんな公園のすぐ近くに長い間誰も住んでいない空き家があり,子供たちは親から「怖い人が管理しているから近づいたり入ったりしてはいけない」と言われていた。
子供たちも親の言いつけに従い,空き家には決して近寄らなかったが,ある日その家の敷地内に知らない老夫婦が出入りしているのを公園で遊ぶ子供たちが見ていた。
「あの家の人かな?」
「そうじゃね? 怖そうには見えないな」
「普通のお爺ちゃんとお婆ちゃんだな」
子供たちは老夫婦に興味を示したが,すぐに遊びに夢中になってその家と老夫婦のことは気にしなくなった。
しばらくして,その家の玄関に木製の表札が掛けられた。子供たちには読めない難しい四文字の漢字がやけに立派に見えた。
老夫婦がその家に住むようになってすぐ,公園の管理事務所から小学校に「できるだけ公園で大きな声で騒がないようにお願いします」と何度か連絡があったと母親から聞かされた。
母親は言葉を濁しながら「あの家に住む◯◯◯◯さんにはかかわらないでね」と何度も念をおし,その時初めて表札の名前が◯◯◯◯と読むことを知った。
五年生になる頃,公園の野球場は広い花壇のある広場に造りかえられ,テニスコートは駐車場になった。
いままで自由に出入りできていた公園は柵で囲まれ入口には門がつき、公園に入るのにお金を払わなくてはならなくなった。
遊び場を失った子供たちは学校が終わると家でゲームをするようになり,友達とは塾で顔を合わせる程度になっていった。
そして中学三年生のとき,駅前の市議会議員選挙のポスターを見て◯◯◯◯という苗字の候補者が三名もいることに驚いた。
そのことを学校で友達に話すと「あそこのパチンコ屋もその名前だし,駅前の高級中華料理店のビルもその名前だぞ。前の市長もそうだし,この中学の校長と俺たちが卒業した小学校の校長も同じ名前だぞ。お前,知らなかったのか?」と呆れ顔をした。
「それとな,この町の郵便局や銀行にも◯◯◯◯って名前の人が何人もいて,この町に住む人間の貯金額や給料の額まで全部把握されてるって話だ」
「なんだよ,それ。そんなの法律で認められてないだろ」
「まあ,この町に生まれ育ったらしょうがないんだよ。お前も受け入れろ。ゆりかごから墓場まで,あの一族に逆らったらこの町で生きていけないぞ。反抗的な態度をとったらお前に監視がつくことになるから気をつけろ」
「ふざけんなよ。この時代に監視なんてありえないだろ」
「まあ,あんまり大声で◯◯◯◯を批判しなきゃ問題ないよ。そもそも俺たちみたいな学生を監視する意味なんてないもんな。でも,お前はマジで気をつけろよ。あの一族に対してあきらかに不満があるのがダダ漏れだから」
「心配すんなって。俺だって監視なんかつけられたくないから」
それ以来,その名前を見るたびに「◯◯◯◯は子供たちの遊び場を奪った一族」であり,母親の腫れ物に触るような表情を思い出すのに,いま僕の隣にいる初めての彼女の名前が◯◯◯◯であることを誰にも言えないでいる。



