S氏はとある民俗資料館で、展示内容を解説するボランティアに励む地元の古老である。2020年に米寿を迎えた。
 この民俗資料館は某ダムの近隣に建っており、ダムには昭和中頃まで存在していた山村集落が沈んでいる。S氏はその集落で生まれ育ち、山村での暮らしをリアルに体験していた貴重な生き字引である。

 山にまつわる不思議な体験や伝承を集める上で貴重な話を得られると考えインタビューを依頼するも、当時はコロナ禍の最中であり、直接の面会は叶わなかった。高齢の為WEB対談もやり方がよく分からないと言われ、やむなく電話口でのやり取りとなった。

 以下の文章はそのやり取りを一部書き起こしたものである。

   *

――この度はご無理をお願いしてしまい、申し訳ありません。よろしくお願いします。

こちらこそよろしくお願いします。すんませんね、こんな世の中で、直接お会いできれば良かったんですけど。なにぶん田舎なもんで、都会の人が来られるんは具合が悪いんですわ。

――いやいや、これはもう、致し方ないとしか。

それにしても、私みたいな田舎の爺さんに白羽の矢を立ててもらって、ありがたい話です。なんでも、一度お会いさせてもらってたとか。

――2015年です。そちらの資料館に訪れた際、Sさんから熱心に解説をしていただいて。その際に名刺も。

恥ずかしながら全く覚えとらんかったです。この歳になると最近の出来事は物忘れが激しくて。まあ、昔のことはよう覚えとるもんで、何でも聞いてください。

――はい。ではまず、そちらの地方の昔話を集めた『山暮らしの民話集』に出てくる話について詳しくお聞きしたいものがあります。

どうぞどうぞ。

――今私の手元にあるんですが、45頁に載っている『山の神にイワナ釣りを教えた話』について、深掘りしてお聞かせ願えますか。

※筆者注:短い話なので、『山暮らしの民話集』に収録されている内容をそのまま抜粋する。

『昔々、炭焼きの息子がトチの実を拾いに山へ入った。谷川に沿って一心不乱にトチを集め歩いた。たまに食べられるキノコも取った。背負い籠がいっぱいになる頃、ずいぶん山奥へ入っていた。目の前の谷川には大きな淵があり、たくさんのイワナが泳いでいた。炭焼きの息子は杖代わりにしていた竹竿で、川虫を餌にして釣りを始めた。
 面白いようにイワナが釣れた。炭焼きの息子がそろそろ帰ろうとした時、大きな猿がどこからともなく現れて、「坊、それは何をしておる」と尋ねてきた。炭焼きの息子は「イワナを釣っとる」と答えた。猿が「それはどうやるのだ」と言うので、炭焼きの息子は、川虫を捕まえて、こうやって針に掛け、イワナがいるところに流すのだと丁寧に教えた。猿に竹竿を渡し「やってみれ」と言うと、猿は教わった通りに針を流し、見事イワナを釣り上げた。猿は嬉しそうに笑い、「面白い、面白い」と言いながら山奥へ消えていった。
 それ以降、集落のはずれや、杣道の端に時折お椀に盛られた米が置かれるようになった。釣りを教えてもらった山の神様からのお礼だと言って、村人たちはたいそうありがたがったとさ。』

ああ、あの炭焼きの倅の話。私も本に書いてあることぐらいしか知りませんが、あんまり気分のええ話ではないですね。

――どちらかと言うと、ほっこりするような話な気がしますが。

白米を食べたもんは数日のうちに消えてしまうって言うんやから、何とはなしに不気味な話でしょう。

――そう言うオチなんですか?私の手元にある本では、『村人たちはたいそうありがたがったとさ』で括られてるんですが。

それいつ刊行されたやつか分かりますか。

――2013年で第二版と書かれてますね。

あの、よくある話ですわ。カチカチ山が最後タヌキと仲良くなって終わるような。県の教育委員会の人がね、子どもたちに親しみやすくする為とか言って、残酷な描写とか不気味な話をあれこれ改定したんです。お持ちの本はいわば平成版という訳ですな。

――なるほど、時代というやつですね。ちなみにSさんのお手元には改訂前の本って残っていますか?

私も終活と言うんですか、老い先短いので、古い本やら資料やらは処分し始めてるんで。探してみて、見つかったらお送りしましょう。

――すみません、ありがとうございます。

(中略)

――では、Sさんが考える山の神とは一体どういうものなんでしょうか。

里の人が考える山の神と、私らみたいに山で暮らしとるもんの山の神は随分違うもんやと思います。『山の神、田の神』はご存知ですか?

――春になると山の神が里へ降りてきて、田の神になって農業を守護して、秋の収穫が終わると山に帰っていくっていう信仰ですよね。

そうですそうです。あれはね、農民の視点なんです。そしたら山に神様がおるんは冬の間だけっちゅうことになる。私ら山のもんからすると、決してそんなことはない。年がら年中、山には神様がおるという心持ちでおりましたよ。

――言われてみればその通りですね。

高い山の頂上に神様がいるとイメージなさってる人が多いように思います。山一座に対して一柱の神様が司っとる。それも間違いじゃあないんでしょうか、私らからしたら、もっと雑多で、木にも水にも岩にも獣にもそれぞれ神様がおります。神様というより、妖怪や物の怪に近いもんも、全部ひっくるめて山の神です。山の神は女やと言いますが、それもあくまでたくさんの山の神の中の一つなんやと思います。

――具体的な人格があるわけではなく、多種多様だったと。

そうです。中には、春先から里に降りる神様もおったんでしょう。でもずっと山におる神様もおれば、気ままに移動する神様もおったと思います。

――興味深いお話です。何か具体的な、信仰にまつわるお話はありますか?

そら年中通して色々ありましたよ。毎年正月になれば、杣道の入り口に注連縄張り直して、お神酒と塩と鎌を供えてね。

――カマ、というと。

畑で使うような鎌ですわ。

――鎌を供えるというのは、珍しい気がしますね。

供えるとはちょっと違うかもしれんですね。当時の集落なんて、集落の中でさえ山みたいなもんですから、そうやって線引きしたんですね。ここから先は人の領分なもんで、降りてこんといてください、山におってくださいと。

――降りてこないでください、ですか。

人間みたいに色んなのがおるんで。良い神様もおれば悪さするのもおります。さっきの昔話に出てきた猿も、まあ悪さする側でしょう。そうやって人と山の領分を分けようとしたんでしょうなぁ。
実は、私今でも正月のこの習わしだけは続けてるんです。

――そうなんですか

ダムにボート浮かべてね、対岸まで行くと当時の杣道があったところに行けるんです。正月の大事なしきたりなもんで、元気なうちは続けようと思っとります。

――後世に続いていけばいいですね。

(中略)

――すみません、今日は長々とお話を聞いてしまい。非常に参考になりました。

どういたしまして。お役に立てたか分かりませんが、ぜひまた資料館の方にもいらしてください。

――そうですね、コロナが落ち着き次第、ぜひ直接、もっと詳しくお話聞かせてください。本当にありがとうございました。

   *

 その翌年、奇しくもS氏は新型コロナウイルスに罹患。元々肺を患っていたせいもあり、90歳を目前にして他界されてしまった。
 資料館の方から遺族に連絡を取り次いでもらい、2022年の夏、線香を上げにS氏の自宅へと伺った。蒐集されていた資料のほとんどは生前に処分されてしまっていたが、唯一、S氏の奥様から、私が訪ねてきたら見せてあげようと用意してくれていたという写真を手渡された。
 写真には、褪色した紫の紐が結ばれた半分に割られたしゃもじが写っていた。写真の裏にはボールペンで「半宮嶋」と判別できる文字が書かれている。詳細は奥様も、資料館のスタッフもご存知ではなかった。この写真がいつどこで、誰によって撮影されたか、そしてS氏がなぜこれを私に見せようとしていたか、一切は不明である。


※S氏の奥様からご提供いただいた写真。


※写真裏面。『半宮嶋』と読める。