榎戸光主、十九歳。
突然、双子の兄である灯司とともに、この部屋に連れてこられた……らしい。
張り詰めた緊張感の中に懐かしさを覚えるのは、ここが僕たちの通っていた中学校の視聴覚室だからだ。
昨夜は家族四人でいつも通り食卓を囲んでいたはずだが、目が覚めたらここにいた。
壁の時計がさしている時刻は二時。日が差し込んでいるから昼の二時だとわかる。
広い部屋の真ん中、視聴覚室らしい幅一五〇センチ程の長机がどういうわけか一つだけ、教室前方のスクリーンに垂直になるように置かれている。
目の前には机を挟んで僕と同じ顔だけれど今は仏頂面をしている灯司。彼も目覚めたばかりのようだ。
そして……。
『榎戸灯司くん、光主くん。目が覚めたかな』
明らかに異様な空気と机上の物に気を取られていた僕は、ハッと声の方を見た。
スクリーンにスーツ姿の四十代くらいの男性が映し出されている。
それはこの国の大人なら誰もが知っている顔だった。
「火垣総理……?」
灯司が発したその名前で、ここに連れてこられた理由を確信する。
「なんで総理が俺たちのことを知っている? それにこれ——」
彼が本当はわかっていて思考を整理するために言葉を発しているのがなんとなくわかる。
『私のことはわかるかな? 首相の火垣明善だ。突然呼び出して済まない』
どうやら、こちらの声は届いていないらしい。
『今日は君たちに大切な決断をしてもらいたくて、来てもらったんだ』
「大切な決断……」
素直に総理の言葉を繰り返す灯司。僕だって心の中で繰り返していた。
その先に続くであろう言葉を想像しながら。
『先ごろ一卵性双生児粛清法が施行されたことは知っているだろう?』
「やっぱり……」
今度は思わず僕が声を発してしまった。
『この国の未来のために、やむを得ない施策だ。君たちだって理解してくれるだろう?』
その法律は、僕たち一卵性双生児である当事者にとってはこれ以上ないほど忌々しく、恐ろしいものだ。
そして、火垣総理こそがその発案者だという。
『それで今日が君たちの番なんだ』
総理はまるで感情が無いかのように淡々と静かに続ける。
〝君たちの番〟それはつまり……。
『どちらが粛清されるのか、二人で相談して決めて欲しい』
予想していた言葉ではあっても、あまりの現実味の無さに思わず唾を飲む。
「——っざけんな。何言ってんだよ」
そう悪態をついた灯司がチラッとこちらを見て、不意に目が合った。
こんな風に二人で過ごすのはとくに成人してからは久しぶりだと、今度は頭が妙に冷静になる。
『平和的に決めるのか、実力で決めるのか、その判断は君たちにお任せしよう。残った方をより優秀な遺伝子として歓迎する』
——『実力』
その言葉に、僕たちは机上を見渡した。
『そこにある道具は使っても使わなくてもいい。ルールは無い。君たちの方法で、君たちの時間で決断してくれればそれでいい』
机の上には、鉛筆と紙、硬式野球ボール、カッターナイフ、ハサミ、包丁が数種類、アイスピック、バールやハンマーなどの工具類、ロープ、金属製のチェーン、カプセル薬が1粒入った小さなビニール袋にはご丁寧に【青酸カリ】と書かれている。それに……銀色の、おそらく本物の拳銃……そしてなぜかトランプやオセロ、チェスなどのボードゲームやビンゴゲームのセットなども置かれている。
ボードゲームやビンゴが、総理の言う〝平和的〟な方法ということだろうか。求められる結論が〝どちらかの死〟だというのに。
「マジで頭おかしいんじゃねえ? 法律だからって殺し合いなんてするかよ」
灯司が椅子の背もたれに寄りかかり、だらしなく脚を投げ出して悪態をついた。
僕だって同意見だ。
『法律だからって、大切な自分の半身のような存在を粛清するのは難しいかな』
聞こえていない僕たちの気持ちを見透かすように、総理が続けた。
『もちろん逆らえば罰がある』
脅しのつもりかもしれないが、殺し合うくらいならどう考えても牢屋に入るほうがマシだ。
『若い君たちが二人とも生き残りたいというのであれば、二人分、口減しをしてもらわなくてはいけない』
「え……」
総理を映していたカメラがぐるりと横に動き、よく知っている二人の人物が映し出された。
「……母さん、父さん……」
僕たちの両親だ。
布を噛まされて声が出せない状態の二人は、目からボロボロと涙を流しながらこちらを見ている。こちらの声が聞こえていないということは、こちらの様子も見えていないのかもしれないが。
『君たちの代わりにご両親には死んでもらうことになる。そもそも、彼らが君たちを一卵性双生児としてこの世に送り出さなければこんな事態にもならなかったのだから、相応の責任をとってもらうことに問題は無いだろう』
「無茶苦茶だ」
父も母も、その瞳に悲痛さを映し出している。
助けを求めているのか、双子に産んだことへの謝罪なのか、どちらなのかはわからない。
『それでは、君たちなりの結論に期待しているよ』
総理がそう言ったところで、スクリーンは静かな白い四角に戻った。
午後四時。
あれから二時間、僕たちは気持ちを落ち着けるかのように、無心でババ抜きをしている。二人でするババ抜きほど虚無感に溢れたカードゲームを僕は知らない。
腹も減ったし喉だって乾いているけど、この状況で食糧なんてものは期待できない。
「なあ、本気だと思うか? こんなこと」
僕の手もとのカードを一枚取って、灯司は二枚のカードを机の上に捨てた。
「灯司だって見てるだろ? 最近の自殺だの餓死だの……」
認めたくはないが、死はもはや身近な存在だ。目の前の灯司の顔だって、以前よりずっとやつれている。
僕もカードを二枚捨てた。
「本気だよ。人口が増えすぎて人の命の価値が無くなったんだ。次はきっと暴動に略奪に人殺しだ」
僕の言葉に灯司が「チッ」と舌打ちする。
「じゃあ——」
僕はコクリと頷いた。
「誰かが死ぬしかない状況だ」
僕か、灯司か、両親か。
「なあ光主。お前だったらどの方法で死にたい?」
「なんだよその質問。馬鹿げてる」
「たしかに馬鹿げてるけど、お前だって本気だって言っただろ? どのみちこのままだったら餓死コースじゃん」
それだってきっと、どちらか一方が死ぬまでなんだろう。
「「せーの」で指さそうぜ」
灯司はまるで好きなおもちゃでも選ぶかのように言った。
半ば自暴自棄になっているのは、自分も同じ気持ちなのでよくわかる。
だから「せーの」と言われて、つい素直に指さしてしまった。
「やっぱりな」
二人の指は同じところをさしている。
「そりゃあ、痛めつけられたりするのはいやだからね」
「けど、これだって苦しいんじゃねえの?」
「そうかもしれないけど……」
二人の人さし指の先には青酸カリ。
他のどれよりマシな方法に思える。
「よし、じゃあどっちが飲むかこれで決めようぜ」
灯司はトランプの山をかき集めると、綺麗にまとめて切り始めた。
「二人でやるババ抜きも、命がけになったら案外面白いかもしれねえし」
彼はヤケクソ気味に笑った。
「あれ覚えてるか? 小三の時の遠足」
「ああ、山で迷った灯司を僕が見つけたよね」
灯司はババ抜きをしながら幼い頃からの思い出を語り出した。
ひとつ語るごとに、カードは当然ながらスムーズに減っていく。
ジョーカーは二人の間を定期的に行き来している。
その一回ごとに命がかかっているなんていう緊張感はあまり感じない軽い動作だ。
「双子ってすげえって、あの時思った」
「同じタイミングで熱が出たりするしね」
「ああ、いまだにそうだもんな」
どちらかが死ぬというのに、なぜわざわざこんな話をするのだろう。
思い出がひとつ呼び覚まされるごとに、この先に待ち受ける状況が頭に重くもたれてくるというのに。
そう思いながら、次のカードに手をかける。
「ねえ灯司、思い出話なんてやめ——」
その瞬間に灯司がポツリとこぼした。
「だけど、所詮二分の一って程度にしか思われてなかったんだな」
そう、一卵性双生児粛清法のおぞましさは一卵性双生児を物理的に殺すことだけでなく、まるで同じDNAを持つスペアかのように扱った点にもある。
一卵性双生児の存在そのものを根本的に否定し、殺したようなものだ。
「俺もお前も、どちらかのスペアなんかじゃない」
気づけば、手もとのカードはあと二枚。僕の手にジョーカーがある。
灯司が違う方のカードを引き抜けばゲームオーバーだ。
「二人でやるババ抜きってさ、最後の三枚までは意味が無いって気づいてたか?」
「え……」
「ジョーカー以外を引けば必ずペアになるカードがあるんだから、最後の三枚からスタートしても結果は同じってこと」
「それなら……思い出なんか語らないで最後の三枚から始めれば良かったのに」
灯司の指が、取ってほしく無い方のカードにかかっている。
「やっぱ、最後くらいは語り合いたいじゃん? 双子だし。それに確かめたかったんだ、光主の——」
灯司の指がもう一方のカードにスライドして、そのまま引き抜く。
「俺がジョーカーに触れると、一瞬目が細くなるっていうクセを」
彼は不敵に笑ってカードを自分の方に向けた。
「え……」
カードを見た灯司の顔が青ざめるというより、表情を失って白くなったように見えた。
「なんで……」
当たり前だ。ジョーカーを引いたはずの彼の手の中には、最後のペアが揃っているのだから。
「おめでとう、灯司の勝ちだよ」
わざとらしく拍手なんかもしてみせる。
「だって……俺……」
「僕たちは双子なんだよ? 灯司だって似たようなクセがあるんだよ。それを見てたら、自分にもそういうクセがあることにも、灯司がそれに気づいてることにも気づくよ」
そして、彼がわざと負けようとしていたことにも。
「どうせ次の一回で、僕に数字のカードを押し付けて終わらせるつもりだったんだろ?」
「おい、待てよ、三回勝負にし——」
焦ったような彼の言葉に、僕は首を横に振る。
「何回やったって納得なんてできないんだから、これで終わりでいいよ」
「何言ってんだよ」
灯司の声が震え始めた。
「灯司、僕嬉しかったんだ。二人とも選んだのが青酸カリで」
食べ物や飲み物が望めないこの環境の中で、何かに混ぜて飲ませることができない毒薬は殺人の道具には適さない。死ぬ方法としてこれを選んだということは十中八九、自殺を想定しているということだ。
「僕に殺されようって考えがなかったんだよな」
〝相手の手を汚させない〟そんな考えまでシンクロしてしまった。
「待てよ光主、そこまでわかってるなら俺の気持ちだってわかってるだろ?」
僕は微笑んで今度は首を縦に振る。
「生きてて欲しいよな。結局僕らはお互いの半身なんだから」
「だったら——」
「でもきっと、僕と灯司の考えは少し違う」
「え……」
頭の中に、先ほどの両親の顔が浮かぶ。
「僕はもう、あの人たちとは生きていきたくない」
「なんで」
灯司には『あの人たち』が両親のことだというのがすぐにわかったようだ。
「昨日の夕飯、僕たちの分だけ妙に豪華だったよな」
ここ最近では珍しく、ステーキなんかが食卓に並んでいた。違和感が無かったわけではない。
「灯司だって気づいただろ? つまりあれは僕と灯司、どちらかの最後の晩餐で」
「…………」
「彼らは、少なくともあの時——僕らが殺し合うのを良しとしたんだよな?」
向き合った灯司の目からはとっくに涙がこぼれていて、言いながら僕の目からも悲しいのか悔しいのかわかならいものが流れてきた。
「いや、父さんと母さんだって、あんな法律ビビるに決まってるだろ」
「そうやって許せるならさ、やっぱり灯司が彼らと生きていくべきだよ」
他の誰に灯司のスペアとして扱われてもいい。
だけどあの人たちだけには、一人の、代用のきかない人間として扱って欲しかった。
たった一度でも、こうして考えるだけで喉の奥がギュッと苦しくなってしまう僕には一生あの二人を許せそうにない。
「最近全然話もできてなかったから、こんな時間も結構悪くなかったな」
「光主! おい」
「バイバイ、元気で」
カプセルを噛んで、最後に見たのは灯司の泣き顔だった。
生まれてきた時もきっと同じだったんだ。
これはこれで、悪くない最期だ。
◇◆
「うーん……ちょっと地味だったねえ」
モニタールーム代わりに使っている校長室で、榎戸光主の最期を見ながらつぶやいたのは火垣総理だ。
「ねえ、影沼くん」
「え、いえ、地味ということは……けっして」
人の死を目撃した上で『地味』という意見に同意を求められて言葉に詰まる。
私は彼の秘書をしている影沼晃介、四十歳。
「そうかなあ。ああでも、トランプで命のやり取りをしたことと、両親への失望で死を選ぶという心理は予想外で興味深くはあるか」
総理はもともと研究者だったこともあり、人間心理などにも興味関心があるようだ。
飢餓が始まっているこの国において、あの法律は国民の関心を逸らすという意味でも必要だったと言えなくもないが、こうしてモニタリングしているのはいささか悪趣味ではないかと思う。
「やっぱりこっちに聞こえてないってことにしておいた方が、本音が聞けるな」
満足げに頷く総理には、そんなこと口が裂けても言えないが。
「次の双子はどうだろう」
資料を手にしている私に向かって総理が微笑む。
思わずゾクッと鳥肌が立つが、自分を取り巻く状況を思えば、今は仕事だと割り切るしかない。
「次は——」
突然、双子の兄である灯司とともに、この部屋に連れてこられた……らしい。
張り詰めた緊張感の中に懐かしさを覚えるのは、ここが僕たちの通っていた中学校の視聴覚室だからだ。
昨夜は家族四人でいつも通り食卓を囲んでいたはずだが、目が覚めたらここにいた。
壁の時計がさしている時刻は二時。日が差し込んでいるから昼の二時だとわかる。
広い部屋の真ん中、視聴覚室らしい幅一五〇センチ程の長机がどういうわけか一つだけ、教室前方のスクリーンに垂直になるように置かれている。
目の前には机を挟んで僕と同じ顔だけれど今は仏頂面をしている灯司。彼も目覚めたばかりのようだ。
そして……。
『榎戸灯司くん、光主くん。目が覚めたかな』
明らかに異様な空気と机上の物に気を取られていた僕は、ハッと声の方を見た。
スクリーンにスーツ姿の四十代くらいの男性が映し出されている。
それはこの国の大人なら誰もが知っている顔だった。
「火垣総理……?」
灯司が発したその名前で、ここに連れてこられた理由を確信する。
「なんで総理が俺たちのことを知っている? それにこれ——」
彼が本当はわかっていて思考を整理するために言葉を発しているのがなんとなくわかる。
『私のことはわかるかな? 首相の火垣明善だ。突然呼び出して済まない』
どうやら、こちらの声は届いていないらしい。
『今日は君たちに大切な決断をしてもらいたくて、来てもらったんだ』
「大切な決断……」
素直に総理の言葉を繰り返す灯司。僕だって心の中で繰り返していた。
その先に続くであろう言葉を想像しながら。
『先ごろ一卵性双生児粛清法が施行されたことは知っているだろう?』
「やっぱり……」
今度は思わず僕が声を発してしまった。
『この国の未来のために、やむを得ない施策だ。君たちだって理解してくれるだろう?』
その法律は、僕たち一卵性双生児である当事者にとってはこれ以上ないほど忌々しく、恐ろしいものだ。
そして、火垣総理こそがその発案者だという。
『それで今日が君たちの番なんだ』
総理はまるで感情が無いかのように淡々と静かに続ける。
〝君たちの番〟それはつまり……。
『どちらが粛清されるのか、二人で相談して決めて欲しい』
予想していた言葉ではあっても、あまりの現実味の無さに思わず唾を飲む。
「——っざけんな。何言ってんだよ」
そう悪態をついた灯司がチラッとこちらを見て、不意に目が合った。
こんな風に二人で過ごすのはとくに成人してからは久しぶりだと、今度は頭が妙に冷静になる。
『平和的に決めるのか、実力で決めるのか、その判断は君たちにお任せしよう。残った方をより優秀な遺伝子として歓迎する』
——『実力』
その言葉に、僕たちは机上を見渡した。
『そこにある道具は使っても使わなくてもいい。ルールは無い。君たちの方法で、君たちの時間で決断してくれればそれでいい』
机の上には、鉛筆と紙、硬式野球ボール、カッターナイフ、ハサミ、包丁が数種類、アイスピック、バールやハンマーなどの工具類、ロープ、金属製のチェーン、カプセル薬が1粒入った小さなビニール袋にはご丁寧に【青酸カリ】と書かれている。それに……銀色の、おそらく本物の拳銃……そしてなぜかトランプやオセロ、チェスなどのボードゲームやビンゴゲームのセットなども置かれている。
ボードゲームやビンゴが、総理の言う〝平和的〟な方法ということだろうか。求められる結論が〝どちらかの死〟だというのに。
「マジで頭おかしいんじゃねえ? 法律だからって殺し合いなんてするかよ」
灯司が椅子の背もたれに寄りかかり、だらしなく脚を投げ出して悪態をついた。
僕だって同意見だ。
『法律だからって、大切な自分の半身のような存在を粛清するのは難しいかな』
聞こえていない僕たちの気持ちを見透かすように、総理が続けた。
『もちろん逆らえば罰がある』
脅しのつもりかもしれないが、殺し合うくらいならどう考えても牢屋に入るほうがマシだ。
『若い君たちが二人とも生き残りたいというのであれば、二人分、口減しをしてもらわなくてはいけない』
「え……」
総理を映していたカメラがぐるりと横に動き、よく知っている二人の人物が映し出された。
「……母さん、父さん……」
僕たちの両親だ。
布を噛まされて声が出せない状態の二人は、目からボロボロと涙を流しながらこちらを見ている。こちらの声が聞こえていないということは、こちらの様子も見えていないのかもしれないが。
『君たちの代わりにご両親には死んでもらうことになる。そもそも、彼らが君たちを一卵性双生児としてこの世に送り出さなければこんな事態にもならなかったのだから、相応の責任をとってもらうことに問題は無いだろう』
「無茶苦茶だ」
父も母も、その瞳に悲痛さを映し出している。
助けを求めているのか、双子に産んだことへの謝罪なのか、どちらなのかはわからない。
『それでは、君たちなりの結論に期待しているよ』
総理がそう言ったところで、スクリーンは静かな白い四角に戻った。
午後四時。
あれから二時間、僕たちは気持ちを落ち着けるかのように、無心でババ抜きをしている。二人でするババ抜きほど虚無感に溢れたカードゲームを僕は知らない。
腹も減ったし喉だって乾いているけど、この状況で食糧なんてものは期待できない。
「なあ、本気だと思うか? こんなこと」
僕の手もとのカードを一枚取って、灯司は二枚のカードを机の上に捨てた。
「灯司だって見てるだろ? 最近の自殺だの餓死だの……」
認めたくはないが、死はもはや身近な存在だ。目の前の灯司の顔だって、以前よりずっとやつれている。
僕もカードを二枚捨てた。
「本気だよ。人口が増えすぎて人の命の価値が無くなったんだ。次はきっと暴動に略奪に人殺しだ」
僕の言葉に灯司が「チッ」と舌打ちする。
「じゃあ——」
僕はコクリと頷いた。
「誰かが死ぬしかない状況だ」
僕か、灯司か、両親か。
「なあ光主。お前だったらどの方法で死にたい?」
「なんだよその質問。馬鹿げてる」
「たしかに馬鹿げてるけど、お前だって本気だって言っただろ? どのみちこのままだったら餓死コースじゃん」
それだってきっと、どちらか一方が死ぬまでなんだろう。
「「せーの」で指さそうぜ」
灯司はまるで好きなおもちゃでも選ぶかのように言った。
半ば自暴自棄になっているのは、自分も同じ気持ちなのでよくわかる。
だから「せーの」と言われて、つい素直に指さしてしまった。
「やっぱりな」
二人の指は同じところをさしている。
「そりゃあ、痛めつけられたりするのはいやだからね」
「けど、これだって苦しいんじゃねえの?」
「そうかもしれないけど……」
二人の人さし指の先には青酸カリ。
他のどれよりマシな方法に思える。
「よし、じゃあどっちが飲むかこれで決めようぜ」
灯司はトランプの山をかき集めると、綺麗にまとめて切り始めた。
「二人でやるババ抜きも、命がけになったら案外面白いかもしれねえし」
彼はヤケクソ気味に笑った。
「あれ覚えてるか? 小三の時の遠足」
「ああ、山で迷った灯司を僕が見つけたよね」
灯司はババ抜きをしながら幼い頃からの思い出を語り出した。
ひとつ語るごとに、カードは当然ながらスムーズに減っていく。
ジョーカーは二人の間を定期的に行き来している。
その一回ごとに命がかかっているなんていう緊張感はあまり感じない軽い動作だ。
「双子ってすげえって、あの時思った」
「同じタイミングで熱が出たりするしね」
「ああ、いまだにそうだもんな」
どちらかが死ぬというのに、なぜわざわざこんな話をするのだろう。
思い出がひとつ呼び覚まされるごとに、この先に待ち受ける状況が頭に重くもたれてくるというのに。
そう思いながら、次のカードに手をかける。
「ねえ灯司、思い出話なんてやめ——」
その瞬間に灯司がポツリとこぼした。
「だけど、所詮二分の一って程度にしか思われてなかったんだな」
そう、一卵性双生児粛清法のおぞましさは一卵性双生児を物理的に殺すことだけでなく、まるで同じDNAを持つスペアかのように扱った点にもある。
一卵性双生児の存在そのものを根本的に否定し、殺したようなものだ。
「俺もお前も、どちらかのスペアなんかじゃない」
気づけば、手もとのカードはあと二枚。僕の手にジョーカーがある。
灯司が違う方のカードを引き抜けばゲームオーバーだ。
「二人でやるババ抜きってさ、最後の三枚までは意味が無いって気づいてたか?」
「え……」
「ジョーカー以外を引けば必ずペアになるカードがあるんだから、最後の三枚からスタートしても結果は同じってこと」
「それなら……思い出なんか語らないで最後の三枚から始めれば良かったのに」
灯司の指が、取ってほしく無い方のカードにかかっている。
「やっぱ、最後くらいは語り合いたいじゃん? 双子だし。それに確かめたかったんだ、光主の——」
灯司の指がもう一方のカードにスライドして、そのまま引き抜く。
「俺がジョーカーに触れると、一瞬目が細くなるっていうクセを」
彼は不敵に笑ってカードを自分の方に向けた。
「え……」
カードを見た灯司の顔が青ざめるというより、表情を失って白くなったように見えた。
「なんで……」
当たり前だ。ジョーカーを引いたはずの彼の手の中には、最後のペアが揃っているのだから。
「おめでとう、灯司の勝ちだよ」
わざとらしく拍手なんかもしてみせる。
「だって……俺……」
「僕たちは双子なんだよ? 灯司だって似たようなクセがあるんだよ。それを見てたら、自分にもそういうクセがあることにも、灯司がそれに気づいてることにも気づくよ」
そして、彼がわざと負けようとしていたことにも。
「どうせ次の一回で、僕に数字のカードを押し付けて終わらせるつもりだったんだろ?」
「おい、待てよ、三回勝負にし——」
焦ったような彼の言葉に、僕は首を横に振る。
「何回やったって納得なんてできないんだから、これで終わりでいいよ」
「何言ってんだよ」
灯司の声が震え始めた。
「灯司、僕嬉しかったんだ。二人とも選んだのが青酸カリで」
食べ物や飲み物が望めないこの環境の中で、何かに混ぜて飲ませることができない毒薬は殺人の道具には適さない。死ぬ方法としてこれを選んだということは十中八九、自殺を想定しているということだ。
「僕に殺されようって考えがなかったんだよな」
〝相手の手を汚させない〟そんな考えまでシンクロしてしまった。
「待てよ光主、そこまでわかってるなら俺の気持ちだってわかってるだろ?」
僕は微笑んで今度は首を縦に振る。
「生きてて欲しいよな。結局僕らはお互いの半身なんだから」
「だったら——」
「でもきっと、僕と灯司の考えは少し違う」
「え……」
頭の中に、先ほどの両親の顔が浮かぶ。
「僕はもう、あの人たちとは生きていきたくない」
「なんで」
灯司には『あの人たち』が両親のことだというのがすぐにわかったようだ。
「昨日の夕飯、僕たちの分だけ妙に豪華だったよな」
ここ最近では珍しく、ステーキなんかが食卓に並んでいた。違和感が無かったわけではない。
「灯司だって気づいただろ? つまりあれは僕と灯司、どちらかの最後の晩餐で」
「…………」
「彼らは、少なくともあの時——僕らが殺し合うのを良しとしたんだよな?」
向き合った灯司の目からはとっくに涙がこぼれていて、言いながら僕の目からも悲しいのか悔しいのかわかならいものが流れてきた。
「いや、父さんと母さんだって、あんな法律ビビるに決まってるだろ」
「そうやって許せるならさ、やっぱり灯司が彼らと生きていくべきだよ」
他の誰に灯司のスペアとして扱われてもいい。
だけどあの人たちだけには、一人の、代用のきかない人間として扱って欲しかった。
たった一度でも、こうして考えるだけで喉の奥がギュッと苦しくなってしまう僕には一生あの二人を許せそうにない。
「最近全然話もできてなかったから、こんな時間も結構悪くなかったな」
「光主! おい」
「バイバイ、元気で」
カプセルを噛んで、最後に見たのは灯司の泣き顔だった。
生まれてきた時もきっと同じだったんだ。
これはこれで、悪くない最期だ。
◇◆
「うーん……ちょっと地味だったねえ」
モニタールーム代わりに使っている校長室で、榎戸光主の最期を見ながらつぶやいたのは火垣総理だ。
「ねえ、影沼くん」
「え、いえ、地味ということは……けっして」
人の死を目撃した上で『地味』という意見に同意を求められて言葉に詰まる。
私は彼の秘書をしている影沼晃介、四十歳。
「そうかなあ。ああでも、トランプで命のやり取りをしたことと、両親への失望で死を選ぶという心理は予想外で興味深くはあるか」
総理はもともと研究者だったこともあり、人間心理などにも興味関心があるようだ。
飢餓が始まっているこの国において、あの法律は国民の関心を逸らすという意味でも必要だったと言えなくもないが、こうしてモニタリングしているのはいささか悪趣味ではないかと思う。
「やっぱりこっちに聞こえてないってことにしておいた方が、本音が聞けるな」
満足げに頷く総理には、そんなこと口が裂けても言えないが。
「次の双子はどうだろう」
資料を手にしている私に向かって総理が微笑む。
思わずゾクッと鳥肌が立つが、自分を取り巻く状況を思えば、今は仕事だと割り切るしかない。
「次は——」