昔読んだ、とあるデスゲームの漫画。クラスまるごと拉致されて、教室に集められて、今から殺し合いをしてもらいますーとか言われるというアレ。
 それを読んで、私はなんて親切なんだろう、と思ったものである。そりゃ、いきなりデスゲームに放り込まれるなんて理不尽極まりないが、向こうで飲み物食べ物もある程度用意してくれるし、武器も支給してくれる。ついでに、どうしてデスゲームを開催したのかについてもある程度丁寧に教えてくれると来た。酷い物語ではあるものの、妙なところで親切心がある。きっと、本物のデスゲームというのがあったらこうはいかないんだろうな、なんてことをぼんやりと思ったものだ。ついでに、あの話では所持品もひとしきり返して貰っていたように思う。
 その予感は、当たっていた。
 私は今森の中で一人、ガタガタと震えて木陰に隠れているのだから。手元にはほとんど空っぽのバッグしかない。私達を巻き込んだデスゲームの運営とやらは、なんで私達に殺し合いを強いるのかも教えてくれなかったし、食べ物も飲み物も武器さえも何も支給してくれなかったのだから。
 何でそれさえ教えてくれないの?と尋ねた女子サッカー部のキャプテンは、その場でハチの巣になって死んだ。頼りがいがあり、後輩たちにとっては良き姉でもあった彼女は、お腹から管のような内臓を溢れ出させ、口から血泡を吹きながら痛い痛いと泣き叫んで死んでいったのである。
 あんなものを見せられて、どうして怯えずにいられるだろう?
 櫛宮高校(くしみやこうこう)の男子サッカー部と女子サッカー部は今、理由もわからず殺し合いを強制させられている。今日を生きのびるための食べ物さえ、満足に与えられない状態で。

――嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!どうして、私がこんな目に遭わないといけないの!?私、私死にたくない、死にたくないよおっ……!

 怯えて震えるだけの人間は、真っ先に殺される。それが物語のお約束。
 分かっていたけれど私は、島のどこかに隠されているという武器を探しに行くことも、仲間を集めることもできずに、ずっとスタート近くの森の中で固まっていることしかできずにいるのだ。
 幸い、今のところ危ない目には遭っていない。でもいつ、発狂した仲間が襲ってくるかわからないのだ。ましてや、男子サッカー部の中にはあまり知らない人もいる。同じ女子サッカー部の仲間の中にだって、私のことを良く思っていない人もいるかもしれない。
 それこそ、これ幸いと殺しに来る人がもしいたら。だって、このゲームとやらは一人しか生き残ることができないのだから。

「あれ?」
「ひっ!」

 突然、茂みが震えて私は小さく悲鳴を上げた。顔を出したのは、私よりも小柄な人影だ。

蓮田(はすだ)先輩?……良かった、無事だったんですね」
「あ……北城(ほうじょう)、くん?」

 少しだけ、ほっとしたのは事実である。
 北城大河(ほうじょうたいが)。櫛宮高校男子サッカー部の一年生で、男子部の中でも特に親しい人物だった。なんせ、中学校の時からの友人なのだから。



 ***



「んぐっ……んぐ、ぬぐ、ごくっ……!」

 私は喉を鳴らしてペットボトルの水を飲んでいた。北城君が、飲料水を見つけてきて私に分けてくれたのである。なんでも、ここからさほど遠くない民家に結構な量の食料があったということらしい。

「長期保存用のパンとか缶詰とかも見つけてありますよ。何か食べます?」
「……食べる。ごめんね、君が見つけたのに」
「いいですいいです。気にしないでください。まだたくさんありますから」
「ほんと、ごめん」

 こんな状況でも、彼は冷静さを失っていないようだった。中学校時代。私たちの学校には女子サッカー部がなく、私は彼が所属するサッカー部のマネージャーをしていたのである。明朗快活な性格と可愛らしい見た目に反して、えげつない作戦を取る指揮官。北城大河という少年は、中学の頃からそう周辺の学校に評されて恐れられる人物だった。本人のスキルも高いが、なんといっても仲間の能力を生かすのが抜群に上手いのである。氷の指揮官、冷徹なミッドフィールダー、フィールドの魔術師。――全国区のサッカー部を持つ高校からいくつもスカウトが来ていたのに、全部断ったという意味でも有名だった。
 理由は「私と同じ高校に行きたいから!」だと本人は笑って話していたが――果たしてどこまで本当だったのやら。

「正直、今でも現実感なくて」

 水とパンを食べたら、だいぶ体の震えは止まった。少なくとも、北城君はゲームに乗って私を殺すつもりはないようだ。もしその気なら、最初に声なんかかけないで不意打ちしていればよかっただけの話なのだから。

「本当に、殺し合いなんてさせるつもりなのかな、あの人達は」
「わかりません。でも……松田先輩が撃ち殺されたのは事実です。逆らったら俺達はみんな殺されるんだと思います」
「……だよね」

 松田先輩、というのはハチの巣になった女子サッカー部のキャプテンのことだ。私はぎゅっと膝を抱えて座り込む。

「情けないよ。私、二年生なのにさ。後輩の子たちを助けにいくこともできないで、ずっとここでじっとして震えてた。ひょっとしたらみんなで力を合わせれば、あのクソ大人たちをぶっ飛ばすこともできるかもしれないのに」

 その結果、北城君に見つかって施しを受けている状態。中学の頃からの友達とはいえ、なんともみっともない話である。ところが。

「いや、多分それ、正解です」

 北城君は渋い顔で言ったのだった。

「この島、結構罠だらけみたいで。……下手に動き回った人達、次々罠にかかって酷い目に遭ってますよ。俺も、落とし穴に落ちるところで危なかったんです。しかもその落とし穴っていうのが、落ちたら全身穴だらけになって死んじゃうようなものだとか、ほんと即死級のもので」
「え、じゃあ……」
「残念ですけど、何人も……もう、トラップにかかって……」

 彼は言葉を濁した。私が知らないところで、そんなことになっていただなんて。

「みんな殺し合いなんかしたくないに決まってます。でも、一定時間ごとに人が死んでいかないと全員殺されるって話じゃないですか。生き残りたくて、パニックになってる人もいます。そして、そういう人が島に隠されてる武器を見つけたらどうなるのかと言えば……」

 彼はごそごそごそ、とバッグを漁った。そして、中から黒光りする鉄の塊を取り出す。
 あまりにも、現実感がなかった。だってそうだろう。
 普通の女子高校生が、銃なんて見る機会などあるはずもない。彼の手に握られているそれも、さながらドラマの中の存在のようだった。

「こんなのが普通に土に埋まってたんです。こっちは民家の引き出しに。ベレッタとかグロックとか、よくわかんないけどそういう拳銃なんだと思います」
「そ、そんな武器を手にしたら……」
「怖くてうっかり人を撃ってしまう人もいるかと。直接見てないですけど、さっき銃声が聞こえましたから」

 彼は二丁持っていた拳銃のうち、片方を私の手に握らせた。

「食料を少し。それと、これを先輩に渡しておきます。万が一の時は、これで身を守ってください。弾は全部こめられてるみたいだけど、予備がないから無駄撃ちはしないで。撃つ時は撃鉄を起こすのを忘れずに」
「ちょ、こんなの渡されても!」
「ごめんなさい。俺、やらないといけないことがあるんです。まださっきの民家の探索も終わってないし。……だから、先輩はもう少しだけ、このへんに隠れててください。多分、それが一番安全なので」

 どうして、と私は混乱した。彼は私よりも多く、人が死ぬのを見たはずだ。それなのに、どうしてこうも冷静でいられるのだろう。死ぬのが怖くないのだろうか。それに、私が彼を裏切ったらとか、そういうことは考えないものなのだろうか。銃があれば、男女の力の差なんて無いも同然だし、そもそも彼は私より体が小さいくらいなのに。

「怖くないの、死ぬのが」

 思わず尋ねた私に、彼は苦笑して言ったのだった。

「めっちゃ怖いです。でも、それ以上の怖いことはあるので」



 ***



 彼が再び茂みの奥に姿を消してからも、私はその付近に隠れ続けた。生理現象を催した時は、恥ずかしいけれど仕方なくその近くに用を足して埋めた。トイレをしている間に誰かが来ないかと気が気でなかったけれど、それ以上にこの場所を離れて唯一の味方に見つけて貰えないのが恐ろしかったから。
 恐ろしいことが、起きなかったわけではない。
 なんせ隠れている間に、遠くの方で銃声がいくつも聞こえてきたから。女の子の悲鳴のようなもの、走る足音なども。

『いやあああああああああああああああ!お願い助けて、助けて助けて助けて死にたくなっ……んがあああああっ!』

 私は、臆病者だ。女子の声だったということは、きっと私の同級生か先輩後輩の誰かであっただろうに。この場所で震えるばかりで、助けに行くこともできなかった。銃を渡された以上、その気になれば戦えたはずだというのに。
 どれくらいの時間が過ぎたのか。気づけば、高く昇っていた日は赤く染まり、地平線の向こうへとゆっくり落ちていこうとしている。スマホの電波は通じなかったが、ポケットに入れたままの充電器があったので時計代わりに使うには申し分なかった。夕方の、六時を過ぎたところ。私はこのまま一人、夜を迎えることになるのだろうか。

――北城君、まだかな。無事でいてくれるといいんだけど。

 まさか、もう死んでしまったなんてことは。あるいは、どこかで怪我をして動けなくなっているなんてことは。悪い想像がぐるぐると頭をめぐり始めた、まさにその時だった。

「先輩!」
「!」

 最初に会った時と同じように、ガサガサと茂みが動いた。彼はいなくなった方向とは反対の方角から姿を現した。一体何処に行っていたのだろう。

「よ、良かった。無事、また会えましたね」

 にっこりと微笑む北城君。しかし、私は何も言うことができなかった。
 彼は明らかに顔色が悪い。脇腹を抑えた手からは血が滲んでいるし、足も引きずっている。明らかにトラブルがあって、満身創痍でここまでたどり着いたという様子であったから。

「や、やだ!どうしたの北城君、酷い怪我だよ!?て、手当を……」

 しなきゃ、と言いかけたところで気づく。そもそも、救急セットの類なんて一切持っていないということに。もっと言えば彼は明らかに重傷だ。素人が応急手当したくらいでどうにかなるものなのだろうか。

「必要ありません」
「え」

 慌てる私の目の前で。彼は、バッグから銃を取り出した。

「もう、必要ないと言ったんです。だって」

 その瞬間。
 島中に響き渡ったのは、無機質なAIのアナウンスだ。

『おめでとうございマス。残り、二人。残り、二人。決勝戦となりマス。あと少しで優勝デス。優勝したらおうちに帰れマス。がんばりまショウ。がんばりまショウ』

 そうだ。
 運営委員を名乗る連中は言っていた。残り人数が二人になったらアナウンスを入れるからお楽しみに、と。誰がそんなもの喜ぶか、と思っていたものである。だって、それが流れるということは――二人以外の全員が死んだと、そういうことに他ならないのだから。

「そういうことです」

 北城君は笑って、銃を。

「もう、俺達以外生き残ってません。自滅した人達以外は、俺が全員殺したので」

 己のこめかみに、押し当てた。

「ちょ、北城君!何してるの、駄目だよ!!う、嘘だよね?みんな殺したなんて嘘だよね!?」
「嘘じゃありません。俺が、昔からなんて呼ばれてるか先輩も知ってるでしょう?氷の指揮官、北城大河ですよ。……俺、このデスゲームが始まった時に決めちゃったんです、優先順位を。俺の腕じゃ、守れる人なんてそう多くない。だから……一番大事な人に生き残って貰うために戦おうって。実は、俺だけじゃないんです。蓮田先輩の親友の鈴木先輩や、俺の友達の時田や西川。あいつらも協力してくれたんですよ。蓮田先輩を生き残らせるためなら力を貸すって。最後は……皆さん、笑顔で崖から飛び降りていきました」
「なん、で……」

 ウソだ。
 私はその場に崩れ落ちた。まさか、本当なのか。私が一人で何もできずに怯えている間に、みんなが私の代わりに戦っていたというのか。
 自分の手を汚してでも、私のことを救おうと?そんなことが、本当に。

「私……私、そんな、人間じゃない。そんな価値なんてない。なんで、なんで私なんかのために……」

 私よりかわいい子も、サッカーが上手い子も、かっこいい子も、頭の良い子もたくさんいた。それなのに、どうしてよりにもよって選ばれるのが私なのか。
 茫然と佇む私の前で、冷徹な策略家――を気取る少年は撃鉄を起こしたのである。

「決まってます。みんな、先輩が大好きだからです。中学の時、先輩が作ってくれたドリンク、凄く美味しかったですよ。先輩が応援してくれるだけで、俺はめっちゃ頑張れたし。先輩がコーチと考えてくれたメニューがあったから、うちの中学は関東大会まで行けたんです。高校に入ってからもそう。……先輩が念願の女子サッカー部があるところに入れて嬉しかったし……俺、女子サッカー部のマネになろうかって一時期真剣に考えてたくらいなんですから」

 それじゃあ、と。彼はまた明日会えるみたいな言い方をして、引き金に指をかけたのである。



「さよなら、先輩。愛しています」



 銃声。
 私の伸ばしかけた手が、地面に落ちる。一体、どうしてこんなバカげたことになってしまったのだろう。
 私にもう少し勇気があったなら、何かは変わったのだろうか。せめて。せめて彼やみんなの気持ちに気が付いていたのなら。

「酷いよ……」

 動かなくなった彼に縋り付いて泣くだけの私に、一体何ができるというのか。何を期待するというのか。だって。

「私も好きだって、まだ、言ってないよ。なんで?……返事くらい、聞いてよ……!」

 君を好きだと、もっと早く言えば良かった。
 そんな後悔、あまりにも遅すぎるけれど。