『自らの欲望にだけ忠実となり、命を無下に投げすてるような人間に……生きる資格はありません』
深雪の目の前に置かれたスピーカーからは、無機質な声が響き渡った。男か女かもわからない声。スピーカーの向こうには、すよすよと寝息を立てる赤ん坊のホログラムが表示されている。
『暴力で身籠ってしまった命、相手の男性の過失によって望まずして得てしまった命。その場合は、女性に責任を求めるのは酷というものでしょう。ですが、この赤ん坊の場合は違います。快楽と愛情だけを求め、後先も考えずに行為に及び、面倒くさがって中絶も怠り、正しい処置も行わず赤ん坊を産み捨てて公園に投げ捨てた鬼畜……そのような人間に、生きる価値があるでしょうか。いいえ、ありません。そのような人間を、我々は生きるべき存在とは認めません。……ですので、皆さんに判断して頂きたいと思います』
深雪の周囲には、他に四人の女がいる。現在三十二歳の深雪と、さほど変わらない年齢に見える女たちだ。恐らくは全員、三十代か、二十代後半といったところだろう。誰も彼も、目の前の赤ん坊の“母親”であってもおかしくない年代の女性たちだった。
勿論、深雪は違う。そもそも、悲しいかなずっと仕事一筋で生きてきて、恋人らしい恋人がいたことさえないのだ。残念ながら男性経験そのものが皆無である。一体何がどうして、赤ん坊の母親になどなれるというのだろうか。
だが、文句をつけようにも自分達五人を拉致してきたと思しき存在は此処にはいない。スピーカーはただ、録音されているであろう音声情報を垂れ流すのみである。
『此処に集められた皆さんの中に、この赤ん坊の母親がいると我々は確信しております。皆さんで、その母親を見つけて、二十四時間以内にこのボードにその名前を書き記してください。その人物が、処刑されることとなります。ちなみに二十四時間以内に誰の名前も書かれない場合は、全員の首輪が作動して命を落とすことになりますので、必ず誰かの名前を書いてください……。ルールはそれだけです。検討を祈ります』
「ま、待ってよ!それだけって!」
全員が首輪を装着され、名札をつけられた囚人服のようなものを身に着けさせられている。非難の声を上げたのは、一番年上に見える太った女性、“川勝美恵子”だった。多分名前の読み方は“かわかつみえこ”だろう。
彼女は不満そうにテーブルの上のスピーカーをゆすったが、もう用事は済んだとばかりに機械は沈黙するばかり。イライラしながら、美恵子はテーブルを叩いた。振動と共にテーブルに置かれた丸いスピーカーと表示されたホログラム、それとアイパッドのようなものが揺れる。アイパッドの横には、タッチペンのようなものが備え付けられていた。これで一人の名前を書けということだろう。
――嘘でしょ。
深雪は呆然とするしかなかった。会社の帰り、電車の中で居眠りをしてしまったところまでしか覚えていない。気づいたら、この真っ白な部屋の中にいたのである。自分達を誘拐したのがテロ組織なのか、政府なのかもよくわからない。いきなり女性たちの中から赤ん坊を捨てた人間を見つけ出せと言われても、一体どうすればいいのか。
そもそも。確かに赤ん坊を捨てるのは罪深いこととはいえ、だからといって誘拐されて惨殺されていいというのは行き過ぎているのではなかろうか。その一人を、何故無関係の自分達が決めなければいけないのか。
「何で、こんなことになるのぉ……!死にたくない、死にたくないよう」
「ほんと、ふざけてるわ!」
しくしくと泣き始めたのは、小柄なツインテールの女性、“鈴木るり”。その年でツインテールか、と思ったが、髪の毛も染めているようだし案外コスプレでもしていたところを捕まっただけなのかもしれない。
怒りを露わにしたのは、眼鏡をかけた背の高い美人、“細井万葉”。下の名前をどう読むのかわからないが、あれで“かずは”とかだったりするのだろうか。まんよう、ではないと思うのだが。
最後の一人、短い髪の童顔の女性は、さっきから何も言わずに沈黙するばかりだった。名札には“篠原愛衣”。多分、しのはらめい、とでも読むのだろう。他のメンバーと違って表情も乏しく、何を考えているのか一向に読めない女性である。二十代後半に見えるが、案外年上であったりするのだろうか。
「変な試験」
やがて、愛衣は落ち着いた声で告げた。
「赤ん坊を殺す母親を許さない、というのは……ある程度の信念がある組織であるように思われる。その正義の是非はともかくとして。ならば、何が何でもわたし達に、個の中にいる“母親”を見つけ出させたいはず。それなのに、あまりにもヒントがなさすぎる」
「……確かに、そうかも」
深雪はそっと、ホログラムに近づいて確認した。スピーカーでの案内が終わってから、カウントが始まったのだろう。赤ん坊の映像の下には、タイマーらしきものが点滅しながら減り続けている。
赤ん坊の映像をまじまじと見たが、正直“この子の母親を探せと言われても”というのが実情だった。なんせ、赤ん坊は本当に生まれたてといった様子なのだ。黄色いおくるみにくるまれてすやすや眠っているが、髪型もほとんどわからないし(そもそもくるまれているのでわかりづらいが、まださほど髪の毛も生えてないのかもしれない)、目を瞑っているので瞳の色もわからないのだ。特徴的な場所にホクロがある様子さえない。これで、どうやって母親に繋がる情報を得ろというのだろう。
「冗談じゃないわ!」
美恵子が怒りながら、がんっと思いきりテーブルを蹴った。
「せっかくの旅行中だったのに、台無しよ!赤ん坊?いるわけないじゃない、こちとら小学生の息子二人と旦那の世話だけで手いっぱいなんだから!」
三十代後半ともなれば、小学生の子供がいてもなんらおかしくはないだろう。すると、それを皮切りと見てか、それはこっちの台詞よと万葉が声を上げた。
「あたしだって、大事な商談の前だったのに!何でこんな、無理やり人を誘拐しておいて……!赤ん坊を捨てた母親だかなんだか知らないけど、そんな奴一人のために巻き込まれて、ほんとふざけてるとしか思えないわ」
「その様子だと、あんたも違うと言いたげね」
「当然じゃない、結婚もしてないのに!ああもうっ」
同じような怒り方をする者同士、少しだけ通じ合うものがあったのかもしれない。万葉はぎろり、と深雪、るり、愛衣の方を睨んできた。眼鏡ごし、それもきつい顔立ちの美人であるせいで、威圧感がハンパない。
「あんた達の誰かなんじゃないの?さっさと名乗り出てくれない?」
この状況で、名乗り出る人間がいるわけないだろう。深雪は少しだけ呆れてしまう。すると、隣に立っていたるりの泣き声が大きくなった。
「やめてくださいよう……!て、テロリストみたいな人たちの言う通りにするんですか?誰か一人生贄に差し出して助かるなんて、そんなの本当にいいんですか?」
「じゃあ、あんたは全員一緒に心中する方がいいってわけ?」
「そ、そうじゃないです。そうじゃないですけどお……!」
ああ、埒があかない。深雪はため息をつくしかなかった。本当に、何でこんなことになってしまったのだろう。自分は“母親”じゃないし、こんな目に遭わなければならないほど酷い罪を犯した覚えもないというのに。
「…………」
そんな私達を、愛衣だけがじっと、冷静な目で見つめていたのが印象的だった。
***
この中央のテーブルのある部屋の他には、三つ部屋があるらしい。洗面所とトイレ、シャワールームがある部屋。それから、何かの倉庫のような部屋が二つ。倉庫のような部屋の一つは、棚の中に文房具や電卓、定規やファイルなどがごっちゃりとしまわれている部屋だった。もう一つの部屋は、露骨なまでの“武器庫”である。包丁やナイフ、拳銃のようなものまでがずらりと並んでいる。最悪の場合は殺し合いをしてでも一人を決めろと言いたいらしい。武器庫部屋は、全員の総意で封印されることになった。文房具部屋にあったガムテープでの頑丈に目張り。さすがに、殺し合いになるなんて展開は全員が望まなかったがためである。
だがそうなると、結局“母親”を探す方法は話し合いなどの原始的なやり方に限られる。赤ん坊を捨てたというだけでその一人を死なせるのは気が引けたが、かといって心中なんて絶対にしたくない。みんな首に鉄製の首輪をつけられていて逃げられない身であるのだから。
ならば、嫌でも“母親”を見つけるしかない。たとえ、その人物を選んだが最後間接的に殺すことであったとしても――同時に、それが“冤罪”である可能性を残すものであったとしても。
「ヒントは、この赤ちゃんしかないんですよね……」
意外にも。テーブルの周りに座り、いざ話し合いとなった時、口火を切ったのはずっと泣いていたるりだった。
「じゃあ、この赤ちゃんに似ている女性が母親なんじゃないですか?」
「似ている女性なんかいる?だって赤ちゃんだし」
「わ、わたし……」
るりはホログラムの中の、赤ん坊の眉毛を指さした。
「このうっすらある下がり眉のあたり、渡辺深雪さんに似てるなって、そう思うんですけど」
「!?」
るりの言葉に、全員が一斉に深雪を見た。は?と固まるのは深雪である。確かに、赤ん坊にはうっすら眉毛があるように見える。でも、下がり眉かどうかなんてかろうじて判別できる程度ではないか。そんなもので、自分に似ているなんて言いがかりもいいところである。
「ち、違います!」
しかし、深雪にはこの時、それを冷静に反論することはできなかった。自分が疑われている、自分が母親のポジションを押しつけられて生贄にされそうになっている――そう思ったとたん、目の前が真っ白になったのである。
「私、恋人もいないのに!だ、男性との経験もないのにそんな、そんなっ!」
「それを証明できるんですか?」
「証明する方法なんかあるわけないじゃないですか!酷い……私じゃない、私じゃないのに!」
疑心暗鬼。それから、憎しみに近い目。深雪は気づいた。彼女たちの中に、本物の母親はいる。その人物は、自分が犯人であると知っているはずだ。誰かは確実に、自分の罪を別の人間になすりつけて生き延びようとしているはずなのである。
もっと言えば、そうでない人間も――生き延びるためならば、冤罪であろうとなんだろうと“自分以外”の犯人を仕立てあげられればそれでいいと思うことは十分あり得るのかもしれない。このままでは、文字通り生贄にされてしまう。パニックの中、深雪は打開策を探そうともがいた。でも。
――どうしよう、何も思いつかないよ……!
自分は、このまま殺されるのか。そう思った時だ。
「……なるほど」
静かな声がした。見れば、唯一俯いて何かを考え込んでいた様子の愛衣である。
「少し待っていて」
彼女は文房具部屋に引っ込むと、すぐに何かを持って戻ってきた。そこにあったのは、全員分のメモとペンである。
「し、篠原さん?何を……」
「わたしは……やむをえない事情があったならまだしも……赤ん坊を、自分の欲望のためだけに捨てる人間なら死んでもいいと思っている。そして、そんな人間の身代わりに、無実の人間が死ぬのは避けるべきだとも」
だから、と彼女は自分を含めた全員に、紙とペンを渡して回った。
「だからほぼ確実に、犯人を見つけて裁くべき。それを判別できそうな方法をいくつか思いついたから、そのうちの一つを実行したいと思う」
「ほ、本当に!?そんな方法があるの!?」
「……そんなこと言って。貴女が自分の容疑を晴らしたいだけじゃないの?」
万葉がぎろりと愛衣を睨むも、愛衣は涼しい顔である。わたしも書くから、と言うようにメモをひらひらさせてみせるにとどまった。
「疑うのは、今からやることを見てからにして。……全員、今から言うお題を紙に、なるべく詳細に書いて欲しい。ただし、他の参加者には絶対に見えないようにして。お題は」
すっと、愛衣は息を吸って、告げた。
「この赤ん坊が、成長した姿。高校生になって、部活動で活躍している姿がどんなものなのか。絵にしてもいいし、文章にしてもいい。自分の名前といっしょに紙に書いて」
***
そのお題がどんな意図を持つのか、深雪にはまったくわからなかった。けれど愛衣の堂々とした様子から、なんとなく逆らうべきではない空気を感じ取ったのは皆同じだろう。ぶつぶつと文句を言っていた万葉や美恵子も、大人しく紙とペンを受け取ってお題を書き始めた。恐らくはほとんどのメンバーが、とにかくこの状況を打破するきっかけが欲しいと願っていたのだろう。
勿論、疑われていた立場である深雪が逆らうはずもない。むしろ、自分の疑いがこれで晴れるのならばと必死だった。己が母親になどなったことはないことは、自分自身が一番よく分かっているのである。
――赤ん坊の将来って言われても……難しいな。部活動?うーん……。
ホログラムの赤ん坊を見る。すやすやと眠っている姿は可愛らしいが、ここから高校生にまで成長した姿を想像するのは思ったよりも難しかった。イラストを書こうかと最初は思ったが、“ある大きな問題”が立ちふさがったことに気づいてすぐに断念する。大人しく文章にした方が無難だろう。
考えた末、大人しい子供で、文芸部に所属したことにした。殆ど、自分の高校時代を参考にした形である。多分同じように、自分が過去所属した部活動にでもしておこう、と思う人は多いのではないだろうか。こんなもので、一体何が分かるというのだろう。
やがて、全員が描き終わると。愛衣の合図で、その内容が一斉にオープンされた。
深雪は、“小説を書くのが大好きな、文芸部所属の高校生”。
愛衣は、“演劇部で大活躍する、演劇部員”。
美恵子は、“絵を描くのが好きな美術部の天才”。
るりは、“将来プロサッカー選手になりたいと願うサッカー部の少年”。
万葉は、“トランペットを吹いている吹奏楽部のエース”――。
「これで、何が分かるの……?」
深雪が疑問を口にすると、そこで初めて――愛衣が笑うのがわかった。それは、まさに勝利の笑みだった。
「分かる。というか、わたしが想定した以上に、犯人は馬鹿だったみたい」
「え」
「今回のお題、みんな文章で書いてきた。絵にしても文にしてもいいと私はそう言ったのに。それと、見事にほとんどみんな文化部に寄ってるけど、それは多分過去に自分が所属した部活動を参考にしたからだと思う」
「それが何か……」
「気づかない?」
愛衣は自分のメモをとんとんとペンで叩いて、言った。
「文化部の方が考えやすかった。そして、イラストにはしづらかった。イラストにすると高い確率で……その子の“制服”を描かないといけないから。みんなそれを描けなかったの。何故なら、制服を描くということはつまり、赤ん坊のおおよその性別を決定しないといけなくなるから」
あ、と深雪は小さく声を上げた。そうだ、自分も赤ん坊の性別がわからないから、絵を描くのを断念したのである。同時に、男女ともに所属してもおかしくはなさそうな部活動を選んだのだ。実際、自分が所属する文芸部は男女比率が半々だった。
だが、ただ一人。明らかに赤ん坊の性別を決めつけてお題を書いた人間がいる。黄色のおくるみに包まれていて、到底赤ん坊の性別など分かるはずもないというのに。何故か。
「鈴木るり。貴女が、あの赤ちゃんの“母親”。何故、赤ちゃんが“男の子”だと貴女は知っていたの?」
確信を持って、愛衣は断言した。がたん!と大きな音と共に、椅子から立ち上がるるり。
「ち、違う!わ、わたしはただ……なんとなく男の子っぽいからそうだと思っただけで!」
「他にも、貴女は最初から疑わしい要素があった。浚われてきたことに呆然とするでもなく、怒りを感じるでもなく……最初から“自分が殺される”ことを露骨に恐怖していたのは貴女だけ。順当にいけば、五分の四の確率で刑を免れられるはずなのに」
「わ、わたっ」
「そもそも、赤ん坊を殺す母親を探す行為を、“犯人を捜す”ではなく“生贄を差し出す”という言い方をしていたのも引っかかっていた。犯人と呼ばれるほど、赤ん坊を捨てる行為が悪いことではないと考えているのが透けていた。そのくせ、議論が始まると真っ先に……それこそ言いがかりとしか思えない方法で、この中で一番気が弱そうで発言力がなさそうな女性に“母親”をなすりつけようとした。矛盾している」
愛衣が言葉を重ねれば重ねるほど、血の気が引いて真っ青になっていくるりの顔。パクパクと金魚のように口を開く様は、いっそ滑稽なほどである。
「他人を露骨に疑うような発言は、細井万葉もしている。でも、最初の発言はあくまで“私と鈴木るりと渡辺深雪”の三人を疑うものであったし……メモとペンを持ってきて犯人を見つけると言い出したわたしを疑うことは至極当然の流れ。まあ、わたしが母親本人ならば、尚更あそこで渡辺深雪が疑われた流れを断ち切る必要がないのだけれど。そのまま、彼女が疑われているのに便乗すれば良かっただけなのだから」
何にせよ、これは決定事項。
愛衣は断言した。
「貴女が、母親。大人しく、罰を受けて」
悲鳴を上げて、るりが動いた。彼女がアイパッドの置いてある場所に駆け寄ろうとしたのを見て、とっさに動いたのが美恵子と万葉である。
そう。誰だって、死にたくない。でも本当は同じだけ、冤罪で人を死なせるなんてまっぴらごめんなのだろう。せめて、死なせるならば少しでも罪悪感が少ない相手を選びたい――赤ん坊を死なせた母親、という罪深い存在を。
「いや!離して、離して!」
「離すわけないじゃない、この罪人!」
「自分が助かるために、他人の名前をボードに書こうとしたでしょ!?絶対そんなことさせるもんですか!」
「いや!いやあ!」
私は唇を噛み締めて、自分もるりを抑える側に回った。それを見た愛衣がゆっくりとアイパッドの前に立つ。
「チェックメイト」
そして、彼女はその場で――鈴木るり、の名前を書いたのだ。
***
自分達は、正しいことをしたのだろうか。
自分達は、人を殺しただけではないのか。
残念ながら、その答えはあれから一年たった今でも深雪にはわからないことである。確かなのは、名前を書かれた途端、深雪が首を抑えて苦しみ始めたこと。じゅうじゅうと肉が焼けるような音がして、首輪からしみだしてきた劇薬に彼女の首が焼かれ、るりが泡を吹きながら悶絶し苦しみ抜いて死ぬ様を――その一部始終を見せつけられたこと。
次の瞬間部屋にガスが充満して意識を失い、気づけば浚われる前と同じ服を着て公園のベンチに寝かされていたことだけである。
――ハハオヤサガシ、は今日もどこかで行われている。
女性の生首だけの死体が見つかる事件が続いている。鈴木るりから始まり、この一年で他に四件も発生していた。その全員が、本当に“母親失格”の本人であったのかどうかはわからない。なんせ、あのゲームで必ずしも毎回正しい犯人を見つけられたとは限らないのだから。
また疑われて、浚われる日が来ないとも限らない。できることは事件の真相を知りながらも、怯えて過ごすことだけ。自分が断罪される“悪しき母親”本人にならないように気を付けることだけだ。
――何が正義で悪かなんて、そんなこと誰にもわからない。
今日も深雪は、あの日浚われたのと同じ電車に――怯えながら乗る日々を送っている。
深雪の目の前に置かれたスピーカーからは、無機質な声が響き渡った。男か女かもわからない声。スピーカーの向こうには、すよすよと寝息を立てる赤ん坊のホログラムが表示されている。
『暴力で身籠ってしまった命、相手の男性の過失によって望まずして得てしまった命。その場合は、女性に責任を求めるのは酷というものでしょう。ですが、この赤ん坊の場合は違います。快楽と愛情だけを求め、後先も考えずに行為に及び、面倒くさがって中絶も怠り、正しい処置も行わず赤ん坊を産み捨てて公園に投げ捨てた鬼畜……そのような人間に、生きる価値があるでしょうか。いいえ、ありません。そのような人間を、我々は生きるべき存在とは認めません。……ですので、皆さんに判断して頂きたいと思います』
深雪の周囲には、他に四人の女がいる。現在三十二歳の深雪と、さほど変わらない年齢に見える女たちだ。恐らくは全員、三十代か、二十代後半といったところだろう。誰も彼も、目の前の赤ん坊の“母親”であってもおかしくない年代の女性たちだった。
勿論、深雪は違う。そもそも、悲しいかなずっと仕事一筋で生きてきて、恋人らしい恋人がいたことさえないのだ。残念ながら男性経験そのものが皆無である。一体何がどうして、赤ん坊の母親になどなれるというのだろうか。
だが、文句をつけようにも自分達五人を拉致してきたと思しき存在は此処にはいない。スピーカーはただ、録音されているであろう音声情報を垂れ流すのみである。
『此処に集められた皆さんの中に、この赤ん坊の母親がいると我々は確信しております。皆さんで、その母親を見つけて、二十四時間以内にこのボードにその名前を書き記してください。その人物が、処刑されることとなります。ちなみに二十四時間以内に誰の名前も書かれない場合は、全員の首輪が作動して命を落とすことになりますので、必ず誰かの名前を書いてください……。ルールはそれだけです。検討を祈ります』
「ま、待ってよ!それだけって!」
全員が首輪を装着され、名札をつけられた囚人服のようなものを身に着けさせられている。非難の声を上げたのは、一番年上に見える太った女性、“川勝美恵子”だった。多分名前の読み方は“かわかつみえこ”だろう。
彼女は不満そうにテーブルの上のスピーカーをゆすったが、もう用事は済んだとばかりに機械は沈黙するばかり。イライラしながら、美恵子はテーブルを叩いた。振動と共にテーブルに置かれた丸いスピーカーと表示されたホログラム、それとアイパッドのようなものが揺れる。アイパッドの横には、タッチペンのようなものが備え付けられていた。これで一人の名前を書けということだろう。
――嘘でしょ。
深雪は呆然とするしかなかった。会社の帰り、電車の中で居眠りをしてしまったところまでしか覚えていない。気づいたら、この真っ白な部屋の中にいたのである。自分達を誘拐したのがテロ組織なのか、政府なのかもよくわからない。いきなり女性たちの中から赤ん坊を捨てた人間を見つけ出せと言われても、一体どうすればいいのか。
そもそも。確かに赤ん坊を捨てるのは罪深いこととはいえ、だからといって誘拐されて惨殺されていいというのは行き過ぎているのではなかろうか。その一人を、何故無関係の自分達が決めなければいけないのか。
「何で、こんなことになるのぉ……!死にたくない、死にたくないよう」
「ほんと、ふざけてるわ!」
しくしくと泣き始めたのは、小柄なツインテールの女性、“鈴木るり”。その年でツインテールか、と思ったが、髪の毛も染めているようだし案外コスプレでもしていたところを捕まっただけなのかもしれない。
怒りを露わにしたのは、眼鏡をかけた背の高い美人、“細井万葉”。下の名前をどう読むのかわからないが、あれで“かずは”とかだったりするのだろうか。まんよう、ではないと思うのだが。
最後の一人、短い髪の童顔の女性は、さっきから何も言わずに沈黙するばかりだった。名札には“篠原愛衣”。多分、しのはらめい、とでも読むのだろう。他のメンバーと違って表情も乏しく、何を考えているのか一向に読めない女性である。二十代後半に見えるが、案外年上であったりするのだろうか。
「変な試験」
やがて、愛衣は落ち着いた声で告げた。
「赤ん坊を殺す母親を許さない、というのは……ある程度の信念がある組織であるように思われる。その正義の是非はともかくとして。ならば、何が何でもわたし達に、個の中にいる“母親”を見つけ出させたいはず。それなのに、あまりにもヒントがなさすぎる」
「……確かに、そうかも」
深雪はそっと、ホログラムに近づいて確認した。スピーカーでの案内が終わってから、カウントが始まったのだろう。赤ん坊の映像の下には、タイマーらしきものが点滅しながら減り続けている。
赤ん坊の映像をまじまじと見たが、正直“この子の母親を探せと言われても”というのが実情だった。なんせ、赤ん坊は本当に生まれたてといった様子なのだ。黄色いおくるみにくるまれてすやすや眠っているが、髪型もほとんどわからないし(そもそもくるまれているのでわかりづらいが、まださほど髪の毛も生えてないのかもしれない)、目を瞑っているので瞳の色もわからないのだ。特徴的な場所にホクロがある様子さえない。これで、どうやって母親に繋がる情報を得ろというのだろう。
「冗談じゃないわ!」
美恵子が怒りながら、がんっと思いきりテーブルを蹴った。
「せっかくの旅行中だったのに、台無しよ!赤ん坊?いるわけないじゃない、こちとら小学生の息子二人と旦那の世話だけで手いっぱいなんだから!」
三十代後半ともなれば、小学生の子供がいてもなんらおかしくはないだろう。すると、それを皮切りと見てか、それはこっちの台詞よと万葉が声を上げた。
「あたしだって、大事な商談の前だったのに!何でこんな、無理やり人を誘拐しておいて……!赤ん坊を捨てた母親だかなんだか知らないけど、そんな奴一人のために巻き込まれて、ほんとふざけてるとしか思えないわ」
「その様子だと、あんたも違うと言いたげね」
「当然じゃない、結婚もしてないのに!ああもうっ」
同じような怒り方をする者同士、少しだけ通じ合うものがあったのかもしれない。万葉はぎろり、と深雪、るり、愛衣の方を睨んできた。眼鏡ごし、それもきつい顔立ちの美人であるせいで、威圧感がハンパない。
「あんた達の誰かなんじゃないの?さっさと名乗り出てくれない?」
この状況で、名乗り出る人間がいるわけないだろう。深雪は少しだけ呆れてしまう。すると、隣に立っていたるりの泣き声が大きくなった。
「やめてくださいよう……!て、テロリストみたいな人たちの言う通りにするんですか?誰か一人生贄に差し出して助かるなんて、そんなの本当にいいんですか?」
「じゃあ、あんたは全員一緒に心中する方がいいってわけ?」
「そ、そうじゃないです。そうじゃないですけどお……!」
ああ、埒があかない。深雪はため息をつくしかなかった。本当に、何でこんなことになってしまったのだろう。自分は“母親”じゃないし、こんな目に遭わなければならないほど酷い罪を犯した覚えもないというのに。
「…………」
そんな私達を、愛衣だけがじっと、冷静な目で見つめていたのが印象的だった。
***
この中央のテーブルのある部屋の他には、三つ部屋があるらしい。洗面所とトイレ、シャワールームがある部屋。それから、何かの倉庫のような部屋が二つ。倉庫のような部屋の一つは、棚の中に文房具や電卓、定規やファイルなどがごっちゃりとしまわれている部屋だった。もう一つの部屋は、露骨なまでの“武器庫”である。包丁やナイフ、拳銃のようなものまでがずらりと並んでいる。最悪の場合は殺し合いをしてでも一人を決めろと言いたいらしい。武器庫部屋は、全員の総意で封印されることになった。文房具部屋にあったガムテープでの頑丈に目張り。さすがに、殺し合いになるなんて展開は全員が望まなかったがためである。
だがそうなると、結局“母親”を探す方法は話し合いなどの原始的なやり方に限られる。赤ん坊を捨てたというだけでその一人を死なせるのは気が引けたが、かといって心中なんて絶対にしたくない。みんな首に鉄製の首輪をつけられていて逃げられない身であるのだから。
ならば、嫌でも“母親”を見つけるしかない。たとえ、その人物を選んだが最後間接的に殺すことであったとしても――同時に、それが“冤罪”である可能性を残すものであったとしても。
「ヒントは、この赤ちゃんしかないんですよね……」
意外にも。テーブルの周りに座り、いざ話し合いとなった時、口火を切ったのはずっと泣いていたるりだった。
「じゃあ、この赤ちゃんに似ている女性が母親なんじゃないですか?」
「似ている女性なんかいる?だって赤ちゃんだし」
「わ、わたし……」
るりはホログラムの中の、赤ん坊の眉毛を指さした。
「このうっすらある下がり眉のあたり、渡辺深雪さんに似てるなって、そう思うんですけど」
「!?」
るりの言葉に、全員が一斉に深雪を見た。は?と固まるのは深雪である。確かに、赤ん坊にはうっすら眉毛があるように見える。でも、下がり眉かどうかなんてかろうじて判別できる程度ではないか。そんなもので、自分に似ているなんて言いがかりもいいところである。
「ち、違います!」
しかし、深雪にはこの時、それを冷静に反論することはできなかった。自分が疑われている、自分が母親のポジションを押しつけられて生贄にされそうになっている――そう思ったとたん、目の前が真っ白になったのである。
「私、恋人もいないのに!だ、男性との経験もないのにそんな、そんなっ!」
「それを証明できるんですか?」
「証明する方法なんかあるわけないじゃないですか!酷い……私じゃない、私じゃないのに!」
疑心暗鬼。それから、憎しみに近い目。深雪は気づいた。彼女たちの中に、本物の母親はいる。その人物は、自分が犯人であると知っているはずだ。誰かは確実に、自分の罪を別の人間になすりつけて生き延びようとしているはずなのである。
もっと言えば、そうでない人間も――生き延びるためならば、冤罪であろうとなんだろうと“自分以外”の犯人を仕立てあげられればそれでいいと思うことは十分あり得るのかもしれない。このままでは、文字通り生贄にされてしまう。パニックの中、深雪は打開策を探そうともがいた。でも。
――どうしよう、何も思いつかないよ……!
自分は、このまま殺されるのか。そう思った時だ。
「……なるほど」
静かな声がした。見れば、唯一俯いて何かを考え込んでいた様子の愛衣である。
「少し待っていて」
彼女は文房具部屋に引っ込むと、すぐに何かを持って戻ってきた。そこにあったのは、全員分のメモとペンである。
「し、篠原さん?何を……」
「わたしは……やむをえない事情があったならまだしも……赤ん坊を、自分の欲望のためだけに捨てる人間なら死んでもいいと思っている。そして、そんな人間の身代わりに、無実の人間が死ぬのは避けるべきだとも」
だから、と彼女は自分を含めた全員に、紙とペンを渡して回った。
「だからほぼ確実に、犯人を見つけて裁くべき。それを判別できそうな方法をいくつか思いついたから、そのうちの一つを実行したいと思う」
「ほ、本当に!?そんな方法があるの!?」
「……そんなこと言って。貴女が自分の容疑を晴らしたいだけじゃないの?」
万葉がぎろりと愛衣を睨むも、愛衣は涼しい顔である。わたしも書くから、と言うようにメモをひらひらさせてみせるにとどまった。
「疑うのは、今からやることを見てからにして。……全員、今から言うお題を紙に、なるべく詳細に書いて欲しい。ただし、他の参加者には絶対に見えないようにして。お題は」
すっと、愛衣は息を吸って、告げた。
「この赤ん坊が、成長した姿。高校生になって、部活動で活躍している姿がどんなものなのか。絵にしてもいいし、文章にしてもいい。自分の名前といっしょに紙に書いて」
***
そのお題がどんな意図を持つのか、深雪にはまったくわからなかった。けれど愛衣の堂々とした様子から、なんとなく逆らうべきではない空気を感じ取ったのは皆同じだろう。ぶつぶつと文句を言っていた万葉や美恵子も、大人しく紙とペンを受け取ってお題を書き始めた。恐らくはほとんどのメンバーが、とにかくこの状況を打破するきっかけが欲しいと願っていたのだろう。
勿論、疑われていた立場である深雪が逆らうはずもない。むしろ、自分の疑いがこれで晴れるのならばと必死だった。己が母親になどなったことはないことは、自分自身が一番よく分かっているのである。
――赤ん坊の将来って言われても……難しいな。部活動?うーん……。
ホログラムの赤ん坊を見る。すやすやと眠っている姿は可愛らしいが、ここから高校生にまで成長した姿を想像するのは思ったよりも難しかった。イラストを書こうかと最初は思ったが、“ある大きな問題”が立ちふさがったことに気づいてすぐに断念する。大人しく文章にした方が無難だろう。
考えた末、大人しい子供で、文芸部に所属したことにした。殆ど、自分の高校時代を参考にした形である。多分同じように、自分が過去所属した部活動にでもしておこう、と思う人は多いのではないだろうか。こんなもので、一体何が分かるというのだろう。
やがて、全員が描き終わると。愛衣の合図で、その内容が一斉にオープンされた。
深雪は、“小説を書くのが大好きな、文芸部所属の高校生”。
愛衣は、“演劇部で大活躍する、演劇部員”。
美恵子は、“絵を描くのが好きな美術部の天才”。
るりは、“将来プロサッカー選手になりたいと願うサッカー部の少年”。
万葉は、“トランペットを吹いている吹奏楽部のエース”――。
「これで、何が分かるの……?」
深雪が疑問を口にすると、そこで初めて――愛衣が笑うのがわかった。それは、まさに勝利の笑みだった。
「分かる。というか、わたしが想定した以上に、犯人は馬鹿だったみたい」
「え」
「今回のお題、みんな文章で書いてきた。絵にしても文にしてもいいと私はそう言ったのに。それと、見事にほとんどみんな文化部に寄ってるけど、それは多分過去に自分が所属した部活動を参考にしたからだと思う」
「それが何か……」
「気づかない?」
愛衣は自分のメモをとんとんとペンで叩いて、言った。
「文化部の方が考えやすかった。そして、イラストにはしづらかった。イラストにすると高い確率で……その子の“制服”を描かないといけないから。みんなそれを描けなかったの。何故なら、制服を描くということはつまり、赤ん坊のおおよその性別を決定しないといけなくなるから」
あ、と深雪は小さく声を上げた。そうだ、自分も赤ん坊の性別がわからないから、絵を描くのを断念したのである。同時に、男女ともに所属してもおかしくはなさそうな部活動を選んだのだ。実際、自分が所属する文芸部は男女比率が半々だった。
だが、ただ一人。明らかに赤ん坊の性別を決めつけてお題を書いた人間がいる。黄色のおくるみに包まれていて、到底赤ん坊の性別など分かるはずもないというのに。何故か。
「鈴木るり。貴女が、あの赤ちゃんの“母親”。何故、赤ちゃんが“男の子”だと貴女は知っていたの?」
確信を持って、愛衣は断言した。がたん!と大きな音と共に、椅子から立ち上がるるり。
「ち、違う!わ、わたしはただ……なんとなく男の子っぽいからそうだと思っただけで!」
「他にも、貴女は最初から疑わしい要素があった。浚われてきたことに呆然とするでもなく、怒りを感じるでもなく……最初から“自分が殺される”ことを露骨に恐怖していたのは貴女だけ。順当にいけば、五分の四の確率で刑を免れられるはずなのに」
「わ、わたっ」
「そもそも、赤ん坊を殺す母親を探す行為を、“犯人を捜す”ではなく“生贄を差し出す”という言い方をしていたのも引っかかっていた。犯人と呼ばれるほど、赤ん坊を捨てる行為が悪いことではないと考えているのが透けていた。そのくせ、議論が始まると真っ先に……それこそ言いがかりとしか思えない方法で、この中で一番気が弱そうで発言力がなさそうな女性に“母親”をなすりつけようとした。矛盾している」
愛衣が言葉を重ねれば重ねるほど、血の気が引いて真っ青になっていくるりの顔。パクパクと金魚のように口を開く様は、いっそ滑稽なほどである。
「他人を露骨に疑うような発言は、細井万葉もしている。でも、最初の発言はあくまで“私と鈴木るりと渡辺深雪”の三人を疑うものであったし……メモとペンを持ってきて犯人を見つけると言い出したわたしを疑うことは至極当然の流れ。まあ、わたしが母親本人ならば、尚更あそこで渡辺深雪が疑われた流れを断ち切る必要がないのだけれど。そのまま、彼女が疑われているのに便乗すれば良かっただけなのだから」
何にせよ、これは決定事項。
愛衣は断言した。
「貴女が、母親。大人しく、罰を受けて」
悲鳴を上げて、るりが動いた。彼女がアイパッドの置いてある場所に駆け寄ろうとしたのを見て、とっさに動いたのが美恵子と万葉である。
そう。誰だって、死にたくない。でも本当は同じだけ、冤罪で人を死なせるなんてまっぴらごめんなのだろう。せめて、死なせるならば少しでも罪悪感が少ない相手を選びたい――赤ん坊を死なせた母親、という罪深い存在を。
「いや!離して、離して!」
「離すわけないじゃない、この罪人!」
「自分が助かるために、他人の名前をボードに書こうとしたでしょ!?絶対そんなことさせるもんですか!」
「いや!いやあ!」
私は唇を噛み締めて、自分もるりを抑える側に回った。それを見た愛衣がゆっくりとアイパッドの前に立つ。
「チェックメイト」
そして、彼女はその場で――鈴木るり、の名前を書いたのだ。
***
自分達は、正しいことをしたのだろうか。
自分達は、人を殺しただけではないのか。
残念ながら、その答えはあれから一年たった今でも深雪にはわからないことである。確かなのは、名前を書かれた途端、深雪が首を抑えて苦しみ始めたこと。じゅうじゅうと肉が焼けるような音がして、首輪からしみだしてきた劇薬に彼女の首が焼かれ、るりが泡を吹きながら悶絶し苦しみ抜いて死ぬ様を――その一部始終を見せつけられたこと。
次の瞬間部屋にガスが充満して意識を失い、気づけば浚われる前と同じ服を着て公園のベンチに寝かされていたことだけである。
――ハハオヤサガシ、は今日もどこかで行われている。
女性の生首だけの死体が見つかる事件が続いている。鈴木るりから始まり、この一年で他に四件も発生していた。その全員が、本当に“母親失格”の本人であったのかどうかはわからない。なんせ、あのゲームで必ずしも毎回正しい犯人を見つけられたとは限らないのだから。
また疑われて、浚われる日が来ないとも限らない。できることは事件の真相を知りながらも、怯えて過ごすことだけ。自分が断罪される“悪しき母親”本人にならないように気を付けることだけだ。
――何が正義で悪かなんて、そんなこと誰にもわからない。
今日も深雪は、あの日浚われたのと同じ電車に――怯えながら乗る日々を送っている。



